4.除夜の鐘を聞いた夜
年があけるとセンター試験が待っている大晦日の夜だった。
部屋では母が、自分の子供のころの正月の思い出を話していた。それまでに何度となく聞いていて、どう続いていくか、聞かなくてもよくわかっている話だった。小さな頃は繰りかえし聞いて飽きなかった話が、そのころには話が始まるというだけで、苛立たしくてならないのだった。
わたしは手紙を書いていた。予備校の夏期講習で知り合った他県の子と、夏以来、頻繁に手紙のやりとりをしていたのだ。
受験勉強をしなければならないことはよくわかっていた。それでも、やらなければならない、と思っただけで、プレッシャーに押しつぶされそうで、机の前にすわっても、どうやっても参考書や問題集には手が伸びず、わけもなく長い手紙を書いたり、無関係な本を読んだり、長々しい日記を書いてみたりするばかりだった。
それでも手紙の最後は、決まったように、勉強する決意を書いた。
模擬試験の判定も、滅多にB判定にさえ届かない。このままではダメだ、自分に足りないのは、無心に勉強することだ、と。
繰りかえすたびに、その決意は立派なものになり、文章は磨き上げられた。それでも、それを実際に自分がやることはどうしてもできなかった。
年末に相手から届いた手紙には、第一志望を京都に変更したことが書いてあった。
それまで、自宅から通える大学に行くこと以外、考えたことすらなかったわたしは、そういう選択もありうるのだと、目を開かれるような思いでそれを読んだ。
ここにはいられない。
そんな苛立ちが、高校も半ばぐらいからしきりに胸のうちに兆すようになっていた。
一方で、この家を出ていく自分というものが、どうしても想像できない。母も、あなたはずっと家にいてね、とことあるごとに言うのだった。
自分がやりたいと思うことはひどく漠然としていて、どうやっても焦点を結ばない。考えれば考えるだけ曖昧になっていくようで、結局は自分には何もできないのかもしれない、と、ゾッとするほどの心細さを覚えたりもした。
そんな先のことなど考える必要はないのだ、いま自分の目の前のことをひとつずつやっていくしかないのだ、と自分に言い聞かせようとしても、そんな言葉はまるで借りてきたもののようで、少しも自分の奥深くまで届かず、どれだけ決意をくりかえしても、いざ始めようとすれば、どうしてもやる気になれない。
胸は塞がれたようで、深く息をすることもできないような日を過ごしていた。
「もうすぐ除夜の鐘がなります。
来年、わたしはこの鐘をどこで聞いているのでしょうか」
そんな言葉を末尾に書いて封をしたのを見計らったように、鐘が鳴り出した。
ゴーン、とひとつ。
それに応えるかのように、遠くの鐘が鳴った。
鐘の音は、夜の静けさを際立たせるかのようだった。
また近くから。遠くから。さらに遠くから。別のところから。
遠く、近く、低く、高く、余韻を残しながら消えていく音もあれば、すぐにつぎの音がかぶさる音もあった。
鐘の音に合わせて、近所のイヌが遠吠えを始めた。
それに、別のイヌが長鳴きで応えた。
夜の静けさにも慣れた耳は、静けさに塗り込められた奧に、さまざまな音を聞き分けていった。
鐘と鐘の音のあいだを縫うように、通りを初詣に行くらしい一団が笑いさざめきながら通っていく。
またひとつ、どこかで鐘の音が加わる。
車のエンジンをかける音。
今日は終日走るらしい電車の音が遠くから響く。
母の声が、もう寝なさい、と言っていた。
わたしは、ここを出ていくのだ、と思った。
ほんとうに、もうここにはいられない。
京都も、いいかもしれない。
わたしは何かが見えるかのように、硝子窓の向こうの闇に目をこらした。
そうやって目をこらせば、闇の向こうに未来が見えるかのように。
また鐘がひとつ鳴った。
(明日最終回)
年があけるとセンター試験が待っている大晦日の夜だった。
部屋では母が、自分の子供のころの正月の思い出を話していた。それまでに何度となく聞いていて、どう続いていくか、聞かなくてもよくわかっている話だった。小さな頃は繰りかえし聞いて飽きなかった話が、そのころには話が始まるというだけで、苛立たしくてならないのだった。
わたしは手紙を書いていた。予備校の夏期講習で知り合った他県の子と、夏以来、頻繁に手紙のやりとりをしていたのだ。
受験勉強をしなければならないことはよくわかっていた。それでも、やらなければならない、と思っただけで、プレッシャーに押しつぶされそうで、机の前にすわっても、どうやっても参考書や問題集には手が伸びず、わけもなく長い手紙を書いたり、無関係な本を読んだり、長々しい日記を書いてみたりするばかりだった。
それでも手紙の最後は、決まったように、勉強する決意を書いた。
模擬試験の判定も、滅多にB判定にさえ届かない。このままではダメだ、自分に足りないのは、無心に勉強することだ、と。
繰りかえすたびに、その決意は立派なものになり、文章は磨き上げられた。それでも、それを実際に自分がやることはどうしてもできなかった。
年末に相手から届いた手紙には、第一志望を京都に変更したことが書いてあった。
それまで、自宅から通える大学に行くこと以外、考えたことすらなかったわたしは、そういう選択もありうるのだと、目を開かれるような思いでそれを読んだ。
ここにはいられない。
そんな苛立ちが、高校も半ばぐらいからしきりに胸のうちに兆すようになっていた。
一方で、この家を出ていく自分というものが、どうしても想像できない。母も、あなたはずっと家にいてね、とことあるごとに言うのだった。
自分がやりたいと思うことはひどく漠然としていて、どうやっても焦点を結ばない。考えれば考えるだけ曖昧になっていくようで、結局は自分には何もできないのかもしれない、と、ゾッとするほどの心細さを覚えたりもした。
そんな先のことなど考える必要はないのだ、いま自分の目の前のことをひとつずつやっていくしかないのだ、と自分に言い聞かせようとしても、そんな言葉はまるで借りてきたもののようで、少しも自分の奥深くまで届かず、どれだけ決意をくりかえしても、いざ始めようとすれば、どうしてもやる気になれない。
胸は塞がれたようで、深く息をすることもできないような日を過ごしていた。
「もうすぐ除夜の鐘がなります。
来年、わたしはこの鐘をどこで聞いているのでしょうか」
そんな言葉を末尾に書いて封をしたのを見計らったように、鐘が鳴り出した。
ゴーン、とひとつ。
それに応えるかのように、遠くの鐘が鳴った。
鐘の音は、夜の静けさを際立たせるかのようだった。
また近くから。遠くから。さらに遠くから。別のところから。
遠く、近く、低く、高く、余韻を残しながら消えていく音もあれば、すぐにつぎの音がかぶさる音もあった。
鐘の音に合わせて、近所のイヌが遠吠えを始めた。
それに、別のイヌが長鳴きで応えた。
夜の静けさにも慣れた耳は、静けさに塗り込められた奧に、さまざまな音を聞き分けていった。
鐘と鐘の音のあいだを縫うように、通りを初詣に行くらしい一団が笑いさざめきながら通っていく。
またひとつ、どこかで鐘の音が加わる。
車のエンジンをかける音。
今日は終日走るらしい電車の音が遠くから響く。
母の声が、もう寝なさい、と言っていた。
わたしは、ここを出ていくのだ、と思った。
ほんとうに、もうここにはいられない。
京都も、いいかもしれない。
わたしは何かが見えるかのように、硝子窓の向こうの闇に目をこらした。
そうやって目をこらせば、闇の向こうに未来が見えるかのように。
また鐘がひとつ鳴った。
(明日最終回)
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