サキの短篇です。
今回は昨日までの「メスのオオカミ」にも出てきたクローヴィスが引き続き登場です。
前編後編の二回でお届けします。
原文はhttp://haytom.us/showarticle.php?id=108で読むことができます。
* * *
Shock Tactics
「ショック作戦」
晩春の午後、エラ・マッカーシーはケンジントン公園の緑色のペンキが塗ってある椅子に腰かけて、おもしろみのない公園の景色をぼんやりと眺めていた。そこへ急に熱帯の輝きが目の前に広がった。向こうに待ちわびた姿が現れたのである。
「こんにちは、バーティ」エラのすぐ隣の椅子に、ズボンの具合に気を配りつつも、いそいそと腰をおろす相手に、落ち着いた声をかけた。「こんなに気持ちのいい春の昼下がりもないわね」
そのせりふはエラの気持ちという意味ではまったくの嘘だった。バーティが来るまでは、こんなに気持ちいい、などという状態とはほど遠かった。
バーティはその場にふさわしい返事をしたが、そこに問いかけるような響きを漂わせた。
「きれいなハンカチのセットをどうもありがとう」エラは相手の口にされなかった質問を察して答えた。「あんなハンカチがほしいと思ってたところだったの。プレゼント、ほんとにうれしかったんだけど、ひとつだけ気になることがあるの」ちょっと拗ねたようにつけくわえた。
「何だって」バーティは驚いてたずねた。女性が使うにしては大きすぎるのを選んでしまったのだろうか。
「わたし、すぐお手紙を書いてお礼が言いたかったのに」エラの言葉に、バーティの胸の内にたちまち暗雲がたれこめた。
「君もうちの母親がどんなだか知ってるだろ」とぼやいた。「ぼくに来た手紙は全部、開けちまうんだから。もしぼくが誰かにプレゼントなんかしたってわかったら、二週間はぐちゃぐちゃ言われるんだから」
「まさか二十歳にもなるっていうのに……」エラがそう言いかけた。
「ぼくはまだ二十歳じゃない、九月が来るまでは」バーティが口をはさむ。
「十九歳と八ヶ月にもなったら」エラは食い下がった。「自分宛ての私信ぐらいまかせてもらってもいいんじゃないかしら」
「確かにそうすべきだろうね。だけど物事はかならずしもそうすべきだからってそうはいかないものなんだ。母はね、誰宛てだろうが、うちに来た手紙は全部あけてしまうんだ。姉さんたちだってぼくだってもう何度も文句を言ってきたんだけど、ぜんぜんやめようとしないんだよ」
「わたしがあなたの立場だったら、きっと何かやめさせる方法を考えると思うわ」エラはきっぱりとそう言い切った。バーティにしてみれば、不愉快なしめつけを受けて返事さえ制限されているのかと思うと、さんざん頭を悩ませた末にプレゼントを贈ったときのなんともいえないすばらしい気持ちさえあせていくような気がした。
「何かあったのか」その晩、室内プールで会ったとき、友だちのクローヴィスがたずねた。
「なんでそんなことを?」
「室内プールでそんな憂鬱そうな雰囲気を身にまとってるんだから」とクローヴィスが言った。「ほかに身にまとってるものもろくにないんだもの、そりゃ目立つさ。彼女、ハンカチのセットが気に入らなかったのか」」
バーティはいきさつを説明した。
「くやしいのは」と言葉を続ける。「女の子にしてみたら、書きたいことがたくさんあるのに、手紙を出そうと思ったら、こっそりとまわりくどいやり方をしなきゃならないなんて」
「人間というものは、幸福に浸っているうちは決してそのことに気がつかないものなのさ」クローヴィスは言った。「ぼくなんか、いまは手紙を書かなくてすむようないいわけをひねりだすのに大汗をかいているんだから」
「冗談なんかじゃないんだ」バーティはいらだたしげに言った。「君のお母さんが、君の手紙を片っ端から開封してるとしたら、少しもおかしくないだろう
「おかしいのは君がお母さんにそんなことをさせてるってことさ」
「やめさせられないんだよ。もうさんざん言い合ったんだけど……」
「そういうことは話し合ったってダメなのさ。ほら、手紙が開封されるたびに、晩飯になるとテーブルの上でひっくり返って発作を起こしてみせるとか、真夜中、家中みんなにウィリアム・ブレイクの『無垢の歌』を暗唱して聞かせてやるとかすれば、そのさき抗議したときには、きっともっと聞いてもらえるさ。まわりの人間にしてみれば、食事の時間をめちゃくちゃにされるとか、夜中にたたき起こされるとかの方が、誰かが失恋するより、大問題なのさ」
「いいかげんにしろよ」バーティは腹を立て、いきなりプールに飛び込むと、クローヴィスに水をさんざんはねかした。
(この項つづく)
今回は昨日までの「メスのオオカミ」にも出てきたクローヴィスが引き続き登場です。
前編後編の二回でお届けします。
原文はhttp://haytom.us/showarticle.php?id=108で読むことができます。
* * *
Shock Tactics
「ショック作戦」
晩春の午後、エラ・マッカーシーはケンジントン公園の緑色のペンキが塗ってある椅子に腰かけて、おもしろみのない公園の景色をぼんやりと眺めていた。そこへ急に熱帯の輝きが目の前に広がった。向こうに待ちわびた姿が現れたのである。
「こんにちは、バーティ」エラのすぐ隣の椅子に、ズボンの具合に気を配りつつも、いそいそと腰をおろす相手に、落ち着いた声をかけた。「こんなに気持ちのいい春の昼下がりもないわね」
そのせりふはエラの気持ちという意味ではまったくの嘘だった。バーティが来るまでは、こんなに気持ちいい、などという状態とはほど遠かった。
バーティはその場にふさわしい返事をしたが、そこに問いかけるような響きを漂わせた。
「きれいなハンカチのセットをどうもありがとう」エラは相手の口にされなかった質問を察して答えた。「あんなハンカチがほしいと思ってたところだったの。プレゼント、ほんとにうれしかったんだけど、ひとつだけ気になることがあるの」ちょっと拗ねたようにつけくわえた。
「何だって」バーティは驚いてたずねた。女性が使うにしては大きすぎるのを選んでしまったのだろうか。
「わたし、すぐお手紙を書いてお礼が言いたかったのに」エラの言葉に、バーティの胸の内にたちまち暗雲がたれこめた。
「君もうちの母親がどんなだか知ってるだろ」とぼやいた。「ぼくに来た手紙は全部、開けちまうんだから。もしぼくが誰かにプレゼントなんかしたってわかったら、二週間はぐちゃぐちゃ言われるんだから」
「まさか二十歳にもなるっていうのに……」エラがそう言いかけた。
「ぼくはまだ二十歳じゃない、九月が来るまでは」バーティが口をはさむ。
「十九歳と八ヶ月にもなったら」エラは食い下がった。「自分宛ての私信ぐらいまかせてもらってもいいんじゃないかしら」
「確かにそうすべきだろうね。だけど物事はかならずしもそうすべきだからってそうはいかないものなんだ。母はね、誰宛てだろうが、うちに来た手紙は全部あけてしまうんだ。姉さんたちだってぼくだってもう何度も文句を言ってきたんだけど、ぜんぜんやめようとしないんだよ」
「わたしがあなたの立場だったら、きっと何かやめさせる方法を考えると思うわ」エラはきっぱりとそう言い切った。バーティにしてみれば、不愉快なしめつけを受けて返事さえ制限されているのかと思うと、さんざん頭を悩ませた末にプレゼントを贈ったときのなんともいえないすばらしい気持ちさえあせていくような気がした。
「何かあったのか」その晩、室内プールで会ったとき、友だちのクローヴィスがたずねた。
「なんでそんなことを?」
「室内プールでそんな憂鬱そうな雰囲気を身にまとってるんだから」とクローヴィスが言った。「ほかに身にまとってるものもろくにないんだもの、そりゃ目立つさ。彼女、ハンカチのセットが気に入らなかったのか」」
バーティはいきさつを説明した。
「くやしいのは」と言葉を続ける。「女の子にしてみたら、書きたいことがたくさんあるのに、手紙を出そうと思ったら、こっそりとまわりくどいやり方をしなきゃならないなんて」
「人間というものは、幸福に浸っているうちは決してそのことに気がつかないものなのさ」クローヴィスは言った。「ぼくなんか、いまは手紙を書かなくてすむようないいわけをひねりだすのに大汗をかいているんだから」
「冗談なんかじゃないんだ」バーティはいらだたしげに言った。「君のお母さんが、君の手紙を片っ端から開封してるとしたら、少しもおかしくないだろう
「おかしいのは君がお母さんにそんなことをさせてるってことさ」
「やめさせられないんだよ。もうさんざん言い合ったんだけど……」
「そういうことは話し合ったってダメなのさ。ほら、手紙が開封されるたびに、晩飯になるとテーブルの上でひっくり返って発作を起こしてみせるとか、真夜中、家中みんなにウィリアム・ブレイクの『無垢の歌』を暗唱して聞かせてやるとかすれば、そのさき抗議したときには、きっともっと聞いてもらえるさ。まわりの人間にしてみれば、食事の時間をめちゃくちゃにされるとか、夜中にたたき起こされるとかの方が、誰かが失恋するより、大問題なのさ」
「いいかげんにしろよ」バーティは腹を立て、いきなりプールに飛び込むと、クローヴィスに水をさんざんはねかした。
(この項つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます