陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

スコット・フィッツジェラルド「生意気な少年」その13.

2010-12-18 23:02:47 | 翻訳
その13.


  第三幕 ヴァン・アスター家の屋上庭園
 夜。

半時間ほどが経過していた。結局は何もかもがうまくいくのだろう。コメディアンはいまが見せどころ、涙のあとだけに、笑いの場が楽しくふさわしいのだ。明るい熱帯の空は至福を約束している。愛らしくももの悲しいデュエットがあり、比類なきまでに美しい場面が続き、やがて幕が下りた。

 ベイジルはロビーに出て、去っていく観客を見送りながら立ったままで考えていた。母親の手紙とショーが、彼の気持ちの苦々しさと恨みがましさをきれいにぬぐい去ってくれていた――前の自分に戻って、やるべきことをするんだ、と思っていた。ルーニー先生を学校に連れて帰ることが、その“やるべきこと”に該当するだろうか。酒場に向かって歩き出し、店にさしかかったあたりで歩調を緩め、用心深くスイングドアを開けて、内部にすばやい一瞥をくれた。彼にわかったのはただ、カウンターで飲んでいる男たちの中に、ルーニー先生はいない、ということだった。彼は通りをしばらく歩き、戻ってきてもう一度、中をのぞいてみた。あたかもドアに噛みつかれるかといわんばかりに、おそるおそるそうしたのは、時流に遅れた中西部の少年らしく、彼も酒場に恐怖感を抱いていたのである。三度目にやっと彼は目的を達成した。店の奥のテーブルで眠りこけているルーニー先生を見つけたのである。

 ふたたび外に出たベイジルは、行ったり来たりしながら考えた。ルーニー先生にもう三十分、時間をあげることにしよう。もしそれだけの時間が経っても出てこなければ、自分ひとりで学校に帰るのだ。結局、ルーニー先生はフットボールシーズンが終わってからずっと、おれのようすをうかがっていたんだ――おれはこの出来事の一切から手を引く。なにしろあと一日か二日で学校ともおさらばするんだから。

 彼は五、六回も行ったり来たりしていたが、劇場の横手に沿った露地にふと目をやると、「楽屋入口」という看板が目に入った。ちょうどそこへ役者が出てきた。

 ベイジルは立ち止まった。役者のあとから女たちが続いたが、それは祝日前の日々のようなもので、このさえない人びとは衣装係か何かなのだろう。不意に若い女性が現れて、その向こうに男が一緒にいた。ベイジルはまるで見とがめられるのを怖れるかのように、くるりと身を翻すと通りを駆け出した。だが数歩いったところでふたたび向きを変えて走って戻り、はあはあと心臓発作でも起こしたかのように息を荒げていた。というのも女性は、輝くほど美しくかわいらしい十九歳の劇中の「かのひと」であり、傍らにいる若い男はテッド・フェイだったのである。

 腕と腕をからませて、ふたりはベイジルの横を通り過ぎた。ベイジルは、ついていきたいという思いに抵抗できなかった。歩きながら彼女はテッド・フェイに身を寄せ、ふたりから醸しだされる親密な雰囲気は、周囲を魅了するばかりだ。ふたりはブロード・ウェイを横切り、そこで方向を変えてニッカボッカホテルに入っていく。ベイジルは五、六メートルほど後ろから、アフタヌーン・ティーのための細長い部屋に入っるふたりのあとを追った。二人用のテーブルに着いてから、ウェイターに何ごとか言い、ふたりきりになると嬉々として頭を寄せた。ベイジルはテッド・フェイが彼女の手袋をはめた手をにぎっているのを見た。







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