陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フィッツジェラルド「崩壊」 その1.

2011-08-01 23:26:27 | 翻訳
今日からしばらくフィッツジェラルドのエッセイ“Crack-up”の翻訳をお送りします。なるべくがんばって毎日訳そうと思いますので、十日くらいで訳せるかと思います。
原文を読みたい方はhttp://www.esquire.com/features/the-crack-upでどうぞ。

* * *

Crack-up(崩壊)

by F. Scott Fitzgerald



いうまでもなく人生はみな崩壊の過程だ。
だが、手ひどい打撃――つまり、不意に襲ってくる、というか、外からふりかかってくるように感じられる打撃ならば、思い出しては誰かのせいにしてみたり、落ちこめば友だちに愚痴ったりするものではあっても、影響が一気に現れるようなことはない。ところがそうではないタイプの打撃、言うなれば内側からやられてしまうような打撃は、もはや手の施しようのないところに来るまで気がつかないし、気がついたが最後、自分はある面においては二度と元には戻れないのだ、と悟るほかない。外からの破壊作用は一瞬のうちに終わる――だが、後者はやられた瞬間を気づかせないままに、ある日突然、致命傷となってあらわれる。

 この短い自伝を続ける前に、一般論をひとつあげておこう。人が第一級の知性を備えているか否かは、相反するふたつの考えを同時に頭の中に抱きながら、なおかつ行動できるかどうかによる。事態が絶望的であることは充分に理解しながらも、そうはさせるものかと歯を食いしばる人のように。……こうした人生観は、青年期の私にはぴったりくるものだった。

当時の私は、信じられないようなことや、実感のともなわないこと、ときには「あり得ないこと」すら現実になっていくのを目の当たりにしていた。そんなわけで、多少なりとも気の利いた人間なら人生なんてどうにでもできるものだ、と思っていたのだ。人生なんて知性か努力、あるいはその両方を適当にまぜあわせたもので、簡単に屈服させることができる、と。流行作家というのは、なかなかすてきな職業だ――映画スターほど有名ではないにせよ、もっと長い間、記憶に留めておいてもらえるはずだ。政治家や宗教家ほど大衆を動かす力は持てないだろうが、はるかに自由だろう。むろんどんな仕事だって、実際に取りかかってみれば、不満な面はかならずあるだろうが――とはいえ、こと私に限っては、ほかの選択肢は存在しないも同然だったのである。

 1920年代が私の二十代を追いかけるようにして過ぎていき、少年期に味わったふたつの失望感――大学でフットボールをやれるほど体が大きくならなかった(もしくはうまくならなかった)ことと、戦時中、外国に派兵されなかったこと――は姿を消したものの、子供じみた白日夢を見るようになったのである。英雄になった自分の姿を空想する。そのうち、眠れない夜にも安らかな眠りが訪れた。人生の途中で立ち現れる数々の難題も、時が来れば解決するように思われたし、解決のために実際に行動するのは困難であっても、空想のおかげで頭はすっかり疲れ果て、ほかの問題どころではなかったのだ。

 十年前の私にとって、人生はおおむね自分だけの問題だった。努力なんてむなしいものだという気持ちと、懸命に努力しなくては、という気持ち、矛盾するふたつの気持ちのバランスを取ることが必要だった。失敗するにちがいないとわかっていても、なお、「成功してやる」と決意を固めること――さらに言えば、過去に対する絶望の思いと、未来に向けた高邁な心構えという矛盾するふたつの意識のバランス。もし普遍的な苦しみ――家庭内の、職業上の、さらに人との関係からくる苦しみ――を乗り切ることができるなら、「自我」は虚空に放たれた矢のように、どこまでも飛び続けるだろう。無から無へと。やがて重力によって地上に引き寄せられるまで。

 こうした状態が十七年間――その間でわざとぶらぶら過ごした一年間を含めて――続いた。今日やり遂げた仕事が、明日を切り開いていく。もちろん生活はぎりぎりだったが「四十九歳まではいける」と思っていた。「そこまでなら大丈夫、やっていける。おれのような生き方をしているような人間に、それ以上何が望める?」

 ――そうして、四十九歳になるまであと十年というところで、不意に私は気がついた。自分が早くも壊れてしまっていることに。




(この項つづく)



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