シャーロット・パーキンス・ギルマン『黄色い壁紙』完結編 2005-07-22 21:59:08 | 翻訳 一括してお楽しみください。 もう少し手を入れて、明日ぐらいにサイトのほうに正式にアップします。 http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/wallpaper.html « シャーロット・ギルマン 『... | トップ | シャーロット・パーキンス・... »
8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 スパイダーウォーク (陰陽師) 2006-09-08 22:35:33 歩とりこさん、こんばんは。『黄色い壁紙』本でも読めるようになったんですね。『淑やかな悪夢』というのは、確か比較的マイナーな出版社から出ていて、なかなか手に入らない本であるように思っていたんですが。なにはともあれ名作である『黄色い壁紙』が広く読まれるようになるのはうれしいかぎりです。>すべては妻の空想と妄想が作り出した、妻の頭のなかで展開する狂気でありそれはもちろん狂気だと思うんです。だけど、最初は異常ではなかったわけですよね。だから、最初の部分は、少なくとも信用していいのではないか。そう思って読んでいくと、いくつか腑に落ちない、説明のつかない、ことばを換えれば「作者の仕掛けた空白」の部分が見つかるわけです。たとえば、あの壁紙の家を「安く借りることができた」のはなぜなのか。あるいは、異様に荒れた部屋や、壊れた温室、部屋の窓の鉄格子、そういったものは、確かに、過去、尋常ではない何ごとかがあったのではないのか。そういうところを丁寧に読んでいくと、いろんな読み方ができるんじゃないか、と思うんです。語り手は狂気に落ちていきますよね。その原因は何なのか。夫が取った、仕事を取り上げ、ひたすら安静にする、という療法のせいなのか。もちろんそれは大きな原因でしょう。だけど、ほんとうに、それだけにしちゃっていいのか。この作品は、わたしとしては、やはりゴーストストーリーとして読みたいんですね。実際にそんな話を聞いたら「んなわけないじゃん」って言うと思いますが。ええ、よつんばいになって大人の女性が床をはいまわってたら、怖いと思います。ほんと、ゾッとする。このラストのイメージが思い浮かべることができたら、この「不快な怖さ」を楽しめる。ところでこれ、訳しているとき、「よつんばい」にすべきか、「はいつくばる」にすべきか、ものすごく悩んだんです。で、どっちが怖いか考えて、支配-被支配のニュアンスの少ない「よつんばい」を選んだんですが、「スパイダーウォーク」おもしろい言い方ですね。確かに言い得て妙、って感じです。この文章のなかにはちょっと使えませんが。おもしろい言葉を教えてくださってありがとうございました。また遊びにいらしてくださいね。 返信する こんにちは (歩とりこ) 2006-09-08 00:02:40 『黄色い壁紙』、創元推理文庫の「淑やかな悪夢」ではじめて読みました。2回読み返したんですが、初見ではいまいち分かりませんでした。怖くもなかったし。。。解説や書かれた背景など後で読んで、やっと納得した次第です。いや~、恐ろしいハナシだ。。。でも、すべては妻の空想と妄想が作り出した、妻の頭のなかで展開する狂気であり、最後に夫のジョンが倒れるくだりは、スパイダーウォークしている妻に驚いただけではないのかな、と思う。そりゃ、愕然とするよなぁ。。。 返信する はじめまして (陰陽師) 2005-09-13 21:51:34 ユイさん、こんばんは。『黄色い壁紙』の解説とまで詳しく踏み込んでいるわけではありませんが、書かれたものとして、『アメリカ文学のレッスン』(柴田元幸 講談社現代新書)はもうお読みでしょうか。このなかの「幽霊の正体」と、もうすこしあとの「建てる」という項目で、『黄色い壁紙』が触れられています。「(主人公にいっさいの自由を許さない夫は、この時代の男性のもうひとつのタイプ「おまえは私の所有物であり私の言うとおりにやっていればよいのだ」とふるまう父権的な男性の超典型)(p.77)最近訳した『乾いた九月』に出てくるミス・ミニーも、ある意味、こうした父権的な社会の犠牲になった、という見方もできるのかもしれません。けれどもこうした関係というのは、抑圧する側も、される側も、ともに不幸になっていくのだと思うのです。それが証拠に、最後に「夫」は倒れますよね。この「夫」なんで倒れたんでしょう?妻の狂気を目の当たりにしたからだと思います?それとも、やっぱり何か見たんじゃ?なんてことを書くと、フェミニズム系の先生から怒られるかもしれませんから、先生の系列はよくみておくことにこしたことはありません(と役に立たないアドバイスをしてみる)。また遊びにいらしてください。それじゃ、また。 返信する こんにちは、はじめまして (ユイ) 2005-09-13 15:11:54 レポートでギルマンについてを調べている時に、このブログに出会いました。私一人の力で翻訳するのがとても大変でしたので非常に助かったといいますか…とても分かりやすくて楽しかったです。当時の女性の抑圧された中、自分の欲求と現実の狭間で狂気の沙汰となる主人公、同じ女性としてとても苦しい気持ちになりました。私はこの小説を、女性作家論で勉強しましたが、そうですよね、考えてみればこれは限りなくホラーに近いようなものに思えます……。 返信する わたしもそう思います (陰陽師) 2005-07-24 21:54:16 これ、細かいところがすごくよくできてます。微妙な伏線も、いくつもある。ちょっとずつ、ちょっとずつ、精神のタガがはずれていくでしょ?そのはずしかたにしても、読み手が自然に乗っていける、なめらかなはずしかたなんです。不思議なのは、ギルマン自身が、自分の実体験をもとに書いた、っていってること。いっそ、完全なフィクションだったら、納得できるんです。つまりこれは、はずれていっている自分を見ているもうひとりのギルマンがいたってことなんでしょうか。ある意味、すごくタフな精神だな、と思います。そうした自分をきっちり見据えて、対象化するなんて、なかなかできることじゃない。柴田元幸は『アメリカ文学のレッスン』(講談社現代新書)のなかで、アメリカ文学で、幽霊は自分の分身である、という法則がなりたつ、としています。その実例として、カポーティの『ミリアム』、ポーの『赤死病の仮面』と並んで、この作品もあげています。「幽霊や悪魔は客体として自分の外にあるのではない。かりにそれが全面的に自分の欲望や恐怖の産物ではないとしても、自分もその生成に加担していることは間違いない」こんなふうに考えてみると、一番怖いのは、思いがけないところで見つけた自分なのかもしれませんね。そういえば、お化け屋敷に必ず鏡ってありますよねー。書きこみ、ありがとうございました。 返信する Unknown (ゆふ) 2005-07-24 19:23:13 >ピンとこないのは、翻訳がヘタッピなせいです。そんなことはありません。私はこれを読んで気が変になりかかりました。(今はたぶん正常です)作中の「わたし」が書いているのが、まさにこの『黄色い壁紙』なのかって思ったんですけど、それって、あったりまえ? 返信する 壁紙と壁紙 (陰陽師) 2005-07-23 21:13:42 arareさん、こんばんは。暑いですね~。イライラする、なんて言ったら阿那含さんに悪いです。この壁紙も、翻訳のページのあちこちでお世話になってるインド素材の阿那含さんにいただきました(阿那含さん、ごめんなさい。こんなキモチワルイ話に使っちゃって)。だけど、別にこの壁紙がイライラするわけではないんです。ほら、このページ、見てください。http://www3.ocn.ne.jp/~anagon/anagonindo/zmug.htmね? 全然雰囲気ちがうでしょ?あることが起こって、わたしたちはある感想を持つ。けれど、その「感想」というのは、どこまでそのできごとが原因なのか。この『黄色い壁紙』で使った背景を、なんとなく気持ち悪く感じてしまうのも、この壁紙そのものに原因があるのではなく、壁紙とは無関係の、ギルマンの短編を読んだからです。こんなふうに、ものごとの原因-結果って、実は「原因がある→結果が起こる」という関係にあるのではなく、「あることが起こる→それを経験したひとが、そのとき、その場から、過去にさかのぼって「原因」を見つけだす」っていうことなんですね。って、オチのない話をしてしまいました(汗)。気持ち悪くなっていただいたなら、本望でございます(笑)。ピンとこないのは、翻訳がヘタッピなせいです。ヘッタクソ、と罵倒してやってください。わたしは『黄色い壁紙』って、これまで読んだ本のなかで二番目におっかないと思ってるんですけどね。書きこみ、ありがとうございました。 返信する ほらー (arare) 2005-07-23 04:07:27 壁紙を嫌っていた女が、次第に壁に同化していくさまは、気味が悪いですね。寝苦しい夜に眠れなくなってしまいました。エドガー・アラン・ポーの黒猫を思い出します。それにしてもサイトの壁紙、よくあんなイライラする色の壁紙を見つけてきましたね。いや、このホラーにぴったりの壁紙です。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
『黄色い壁紙』本でも読めるようになったんですね。
『淑やかな悪夢』というのは、確か比較的マイナーな出版社から出ていて、なかなか手に入らない本であるように思っていたんですが。
なにはともあれ名作である『黄色い壁紙』が広く読まれるようになるのはうれしいかぎりです。
>すべては妻の空想と妄想が作り出した、妻の頭のなかで展開する狂気であり
それはもちろん狂気だと思うんです。
だけど、最初は異常ではなかったわけですよね。
だから、最初の部分は、少なくとも信用していいのではないか。
そう思って読んでいくと、いくつか腑に落ちない、説明のつかない、ことばを換えれば「作者の仕掛けた空白」の部分が見つかるわけです。
たとえば、あの壁紙の家を「安く借りることができた」のはなぜなのか。
あるいは、異様に荒れた部屋や、壊れた温室、部屋の窓の鉄格子、そういったものは、確かに、過去、尋常ではない何ごとかがあったのではないのか。
そういうところを丁寧に読んでいくと、いろんな読み方ができるんじゃないか、と思うんです。
語り手は狂気に落ちていきますよね。
その原因は何なのか。
夫が取った、仕事を取り上げ、ひたすら安静にする、という療法のせいなのか。
もちろんそれは大きな原因でしょう。
だけど、ほんとうに、それだけにしちゃっていいのか。
この作品は、わたしとしては、やはりゴーストストーリーとして読みたいんですね。
実際にそんな話を聞いたら「んなわけないじゃん」って言うと思いますが。
ええ、よつんばいになって大人の女性が床をはいまわってたら、怖いと思います。ほんと、ゾッとする。
このラストのイメージが思い浮かべることができたら、この「不快な怖さ」を楽しめる。
ところでこれ、訳しているとき、「よつんばい」にすべきか、「はいつくばる」にすべきか、ものすごく悩んだんです。で、どっちが怖いか考えて、支配-被支配のニュアンスの少ない「よつんばい」を選んだんですが、「スパイダーウォーク」おもしろい言い方ですね。
確かに言い得て妙、って感じです。この文章のなかにはちょっと使えませんが。
おもしろい言葉を教えてくださってありがとうございました。
また遊びにいらしてくださいね。
解説や書かれた背景など後で読んで、やっと納得した次第です。いや~、恐ろしいハナシだ。。。
でも、すべては妻の空想と妄想が作り出した、妻の頭のなかで展開する狂気であり、最後に夫のジョンが倒れるくだりは、スパイダーウォークしている妻に驚いただけではないのかな、と思う。そりゃ、愕然とするよなぁ。。。
『黄色い壁紙』の解説とまで詳しく踏み込んでいるわけではありませんが、書かれたものとして、『アメリカ文学のレッスン』(柴田元幸 講談社現代新書)はもうお読みでしょうか。
このなかの「幽霊の正体」と、もうすこしあとの「建てる」という項目で、『黄色い壁紙』が触れられています。
「(主人公にいっさいの自由を許さない夫は、この時代の男性のもうひとつのタイプ「おまえは私の所有物であり私の言うとおりにやっていればよいのだ」とふるまう父権的な男性の超典型)(p.77)
最近訳した『乾いた九月』に出てくるミス・ミニーも、ある意味、こうした父権的な社会の犠牲になった、という見方もできるのかもしれません。
けれどもこうした関係というのは、抑圧する側も、される側も、ともに不幸になっていくのだと思うのです。
それが証拠に、最後に「夫」は倒れますよね。この「夫」なんで倒れたんでしょう?
妻の狂気を目の当たりにしたからだと思います?
それとも、やっぱり何か見たんじゃ?
なんてことを書くと、フェミニズム系の先生から怒られるかもしれませんから、先生の系列はよくみておくことにこしたことはありません(と役に立たないアドバイスをしてみる)。
また遊びにいらしてください。
それじゃ、また。
私一人の力で翻訳するのがとても大変でしたので非常に助かったといいますか…とても分かりやすくて楽しかったです。
当時の女性の抑圧された中、自分の欲求と現実の狭間で狂気の沙汰となる主人公、同じ女性としてとても苦しい気持ちになりました。
私はこの小説を、女性作家論で勉強しましたが、そうですよね、考えてみればこれは限りなくホラーに近いようなものに思えます……。
微妙な伏線も、いくつもある。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、精神のタガがはずれていくでしょ?
そのはずしかたにしても、読み手が自然に乗っていける、なめらかなはずしかたなんです。
不思議なのは、ギルマン自身が、自分の実体験をもとに書いた、っていってること。
いっそ、完全なフィクションだったら、納得できるんです。
つまりこれは、はずれていっている自分を見ているもうひとりのギルマンがいたってことなんでしょうか。
ある意味、すごくタフな精神だな、と思います。
そうした自分をきっちり見据えて、対象化するなんて、なかなかできることじゃない。
柴田元幸は『アメリカ文学のレッスン』(講談社現代新書)のなかで、アメリカ文学で、幽霊は自分の分身である、という法則がなりたつ、としています。
その実例として、カポーティの『ミリアム』、ポーの『赤死病の仮面』と並んで、この作品もあげています。
「幽霊や悪魔は客体として自分の外にあるのではない。かりにそれが全面的に自分の欲望や恐怖の産物ではないとしても、自分もその生成に加担していることは間違いない」
こんなふうに考えてみると、一番怖いのは、思いがけないところで見つけた自分なのかもしれませんね。
そういえば、お化け屋敷に必ず鏡ってありますよねー。
書きこみ、ありがとうございました。
そんなことはありません。私はこれを読んで気が変になりかかりました。(今はたぶん正常です)
作中の「わたし」が書いているのが、まさにこの『黄色い壁紙』なのかって思ったんですけど、それって、あったりまえ?
イライラする、なんて言ったら阿那含さんに悪いです。この壁紙も、翻訳のページのあちこちでお世話になってるインド素材の阿那含さんにいただきました(阿那含さん、ごめんなさい。こんなキモチワルイ話に使っちゃって)。
だけど、別にこの壁紙がイライラするわけではないんです。
ほら、このページ、見てください。
http://www3.ocn.ne.jp/~anagon/anagonindo/zmug.htm
ね? 全然雰囲気ちがうでしょ?
あることが起こって、わたしたちはある感想を持つ。
けれど、その「感想」というのは、どこまでそのできごとが原因なのか。
この『黄色い壁紙』で使った背景を、なんとなく気持ち悪く感じてしまうのも、この壁紙そのものに原因があるのではなく、壁紙とは無関係の、ギルマンの短編を読んだからです。
こんなふうに、ものごとの原因-結果って、実は「原因がある→結果が起こる」という関係にあるのではなく、「あることが起こる→それを経験したひとが、そのとき、その場から、過去にさかのぼって「原因」を見つけだす」っていうことなんですね。
って、オチのない話をしてしまいました(汗)。
気持ち悪くなっていただいたなら、本望でございます(笑)。
ピンとこないのは、翻訳がヘタッピなせいです。
ヘッタクソ、と罵倒してやってください。
わたしは『黄色い壁紙』って、これまで読んだ本のなかで二番目におっかないと思ってるんですけどね。
書きこみ、ありがとうございました。
それにしてもサイトの壁紙、よくあんなイライラする色の壁紙を見つけてきましたね。いや、このホラーにぴったりの壁紙です。