『水滸伝』に夢中になって読んでいたのは中学生のころで、当時は読み進みながら作っていった百八人の豪傑のプロフィールを机の前に張り、朝な夕なに眺めては、それこそ山のようにあるエピソードを思い返していたものだった。いま振り返ると、豊かな時間を過ごしていたようでもあり、馬鹿なことをしていたような気もする。その時間勉強していれば、いまごろこんなことは間違いなくしていなかっただろうが、そんなことばかりしていたからこそ、いまの自分があるとも言えて、結局のところ、そんなことを考えること自体が意味ということなのだろう。
いまでもたまに眠れない夜などに豪傑を思い出してみるのだが、たいてい四十人ぐらいを思い出したところで寝ているようだ。おそらく残りは藻くずとなって記憶の海の底に沈んでしまったのだろう。
ただ、豪傑ではないのだが、はっきりと記憶に残っているのが、悪役中の悪役、高求(ほんとうはニンベンに求)である。豪傑が荒唐無稽な人びとであるのに対し、高求はきわめてリアルな、身近にいそうな人物だった。
高求はそもそも町のごろつきで、実際、棒たたきの刑を受けるような人物である。とはいえ諸芸巧みで、なかでも蹴鞠の達人だった。彼の蹴鞠の技に徽宗皇帝はすっかりとりこになったというのだから、サッカーでいうところの中村俊輔に比肩するほどのテクニシャンだったのだろうか。ともかく、徽宗皇帝はその高求を召し抱えるようになる。
皇帝の寵愛を良いことに、高求はトントン拍子に出世する。そうしてついに殿帥府の大尉に就任するのだが、初出仕の日に運悪く風邪を引いている部下がいた。それがのちの豪傑になる王進である。王進は家で伏せっていたのだが、高求が激怒しているのを見た同僚が、王進を呼びに行く。王進が病を押して登庁したところ、高求は王進を罵倒する。
その怒りのただならぬことに、王進は身の危険を感じ、その夜、母親を連れて出奔する。そこから先、青龍の入れ墨をした青年に会ったりして、話は波瀾万丈、どんどんと進んでいく。
ともかくこのエピソードを何よりもよく覚えているのは、話が初めの頃という理由ももちろんあるのだが、激怒する高求の気持がよくわかったからだ。
実はそれには過去の因縁があるのだが、それを置いても、自分に自信のない上役というのは、そんなふうに、部下のあれやこれやに過度に神経質になり、変にうがった見方をするものだからだ。
なにしろ高求は元ごろつき、自分に能力もなければ仕事もできないことはよく知っている。そんな自分が殿帥府の大尉に就任したのだから、初めて役所に出たときは、いったいどれほど緊張していたことだろう。そこでひとつだけ空席になったイスは、自分に対する侮辱、ひいては、自分を無能とみなした上での侮蔑であると受けとったことは想像に難くない。
当時学校にみんなからひどく嫌われている先生がいた。
その先生の授業はおもしろくない。砂を噛むような、と言ったら良いのだろうか。教科書を生徒に読ませ、ちょっと説明し……の繰りかえしで、豊かなふくらみというものがまるでない授業だった。
だがそれだけではなかった。神経質な先生で、私語をひどく嫌う。あるときその先生が、たまたま教室の後ろの方でおしゃべりしていた女の子たちを、残りの授業時間すべてを費やして、怒鳴りつけ、さらにはねちねちといびり続け、泣いて謝らせ、そこからまたしつこく説教を続けたことがあった。あれはやりすぎなのではないか、と担任に抗議した子たちもいたような記憶がある。もしかしたらわたしもその抗議に加わっていたかもしれない。
『水滸伝』に出てくる高求を読んだとき、ああ、あの先生がここにいる、と思った。
あの先生がおしゃべりが許せなかったのは、高求が王進の欠席を許せなかったのと一緒だ。先生もわかっていたのだ。
わたしたちがまじめに聞いていないことがわかっていたからこそ、あれだけ私語に神経質だったのだ。自分に求心力がないということは、教壇に立っている先生に、誰よりもよくわかっていたことだろう。おもしろくないから、みんなはつい心ここにあらず、ということになる。おしゃべりもしたくなる。実際になされた私語を見て、その先生は自分に対する侮蔑と受けとり、そこまでいきりたったのだ。十四、五歳の女の子がどれだけおしゃべりなものか、ベテランの先生が理解できないはずはないだろうに。
少なくとも王進は、まだ会ったことのない高求に対して、悪意を抱くはずがない。
冷静に考えれば明かなことだ。だが、高求はそれに目をふさぎ、自分にとって不快なはずの解釈をあえて選んだ。
だが、それは不快ではあるが、同時に高求にとって、もっともぴったりくる解釈だったのだと思う。
自己欺瞞の中にいる人間は、自分が無能であることを知っている。それを知らないでは自分をだますことはできないからだ。
一方で、現在の自分を無能と見なすのは、同時に自分が非の打ち所もないほど、誰にも文句のつけようがないほど、すばらしくもなれると思っているからだ。その理想とする自分、お手本の自分と引き比べて、いまの自分を憎んでいるのだ。
高求は、あまりに自分を憎んでいるから、自分を賞賛する人間や、好意的な人間を軽蔑せずにはいられない。そうして、自分に対する悪意の発言、批判的な態度ばかりを、好んで取り上げるのだ。
なぜ自分はすばらしい自分、自分が望むような自分になれないか。
それは障碍があるからだ、と彼らは考える。
邪魔するものの存在によって、あるいは自分が手に入れられないという非充足感によって、逆に、自分が何者かであること、自分が何物かを所有していたことを感じ取る。だからこそ、その障碍となるようなものごとや人をつねに捜しているのだ。
高求ばかりではない。
たまに自分でも、自分にとって不快なはずのものの見方を、半ば無意識のうちにしてしまっていることがある。冷静に考えればそんなはずはないのに、あえて人の言動を悪意に取ったり、悪いケースを予測したり。
だが、そういうときは、自分自身がやるべきことをやっていないときだ。自分がやったことに自信がなかったり、自分で納得できるまで下調べや煮詰めることができていなかったりするときだ。
結局、自分のことは自分が一番よくわかっている、ということなのだろう。わかっているからこそ、自分をだまそうとする。こうなってしまえば、周囲の障碍をどれほど打破したと思っても、結局は失敗の感情を抱くことになってしまうのだ。
自分がいま何をしているのか。
それは長い計画のなかで、どれほどの位置にあるものか。自分はどれだけ積み上げてきたか。これから何をしようとしているのか。高求になるまいとすれば、答えはそこにしかないように思う。
いまでもたまに眠れない夜などに豪傑を思い出してみるのだが、たいてい四十人ぐらいを思い出したところで寝ているようだ。おそらく残りは藻くずとなって記憶の海の底に沈んでしまったのだろう。
ただ、豪傑ではないのだが、はっきりと記憶に残っているのが、悪役中の悪役、高求(ほんとうはニンベンに求)である。豪傑が荒唐無稽な人びとであるのに対し、高求はきわめてリアルな、身近にいそうな人物だった。
高求はそもそも町のごろつきで、実際、棒たたきの刑を受けるような人物である。とはいえ諸芸巧みで、なかでも蹴鞠の達人だった。彼の蹴鞠の技に徽宗皇帝はすっかりとりこになったというのだから、サッカーでいうところの中村俊輔に比肩するほどのテクニシャンだったのだろうか。ともかく、徽宗皇帝はその高求を召し抱えるようになる。
皇帝の寵愛を良いことに、高求はトントン拍子に出世する。そうしてついに殿帥府の大尉に就任するのだが、初出仕の日に運悪く風邪を引いている部下がいた。それがのちの豪傑になる王進である。王進は家で伏せっていたのだが、高求が激怒しているのを見た同僚が、王進を呼びに行く。王進が病を押して登庁したところ、高求は王進を罵倒する。
その怒りのただならぬことに、王進は身の危険を感じ、その夜、母親を連れて出奔する。そこから先、青龍の入れ墨をした青年に会ったりして、話は波瀾万丈、どんどんと進んでいく。
ともかくこのエピソードを何よりもよく覚えているのは、話が初めの頃という理由ももちろんあるのだが、激怒する高求の気持がよくわかったからだ。
実はそれには過去の因縁があるのだが、それを置いても、自分に自信のない上役というのは、そんなふうに、部下のあれやこれやに過度に神経質になり、変にうがった見方をするものだからだ。
なにしろ高求は元ごろつき、自分に能力もなければ仕事もできないことはよく知っている。そんな自分が殿帥府の大尉に就任したのだから、初めて役所に出たときは、いったいどれほど緊張していたことだろう。そこでひとつだけ空席になったイスは、自分に対する侮辱、ひいては、自分を無能とみなした上での侮蔑であると受けとったことは想像に難くない。
当時学校にみんなからひどく嫌われている先生がいた。
その先生の授業はおもしろくない。砂を噛むような、と言ったら良いのだろうか。教科書を生徒に読ませ、ちょっと説明し……の繰りかえしで、豊かなふくらみというものがまるでない授業だった。
だがそれだけではなかった。神経質な先生で、私語をひどく嫌う。あるときその先生が、たまたま教室の後ろの方でおしゃべりしていた女の子たちを、残りの授業時間すべてを費やして、怒鳴りつけ、さらにはねちねちといびり続け、泣いて謝らせ、そこからまたしつこく説教を続けたことがあった。あれはやりすぎなのではないか、と担任に抗議した子たちもいたような記憶がある。もしかしたらわたしもその抗議に加わっていたかもしれない。
『水滸伝』に出てくる高求を読んだとき、ああ、あの先生がここにいる、と思った。
あの先生がおしゃべりが許せなかったのは、高求が王進の欠席を許せなかったのと一緒だ。先生もわかっていたのだ。
わたしたちがまじめに聞いていないことがわかっていたからこそ、あれだけ私語に神経質だったのだ。自分に求心力がないということは、教壇に立っている先生に、誰よりもよくわかっていたことだろう。おもしろくないから、みんなはつい心ここにあらず、ということになる。おしゃべりもしたくなる。実際になされた私語を見て、その先生は自分に対する侮蔑と受けとり、そこまでいきりたったのだ。十四、五歳の女の子がどれだけおしゃべりなものか、ベテランの先生が理解できないはずはないだろうに。
少なくとも王進は、まだ会ったことのない高求に対して、悪意を抱くはずがない。
冷静に考えれば明かなことだ。だが、高求はそれに目をふさぎ、自分にとって不快なはずの解釈をあえて選んだ。
だが、それは不快ではあるが、同時に高求にとって、もっともぴったりくる解釈だったのだと思う。
自己欺瞞の中にいる人間は、自分が無能であることを知っている。それを知らないでは自分をだますことはできないからだ。
一方で、現在の自分を無能と見なすのは、同時に自分が非の打ち所もないほど、誰にも文句のつけようがないほど、すばらしくもなれると思っているからだ。その理想とする自分、お手本の自分と引き比べて、いまの自分を憎んでいるのだ。
高求は、あまりに自分を憎んでいるから、自分を賞賛する人間や、好意的な人間を軽蔑せずにはいられない。そうして、自分に対する悪意の発言、批判的な態度ばかりを、好んで取り上げるのだ。
なぜ自分はすばらしい自分、自分が望むような自分になれないか。
それは障碍があるからだ、と彼らは考える。
邪魔するものの存在によって、あるいは自分が手に入れられないという非充足感によって、逆に、自分が何者かであること、自分が何物かを所有していたことを感じ取る。だからこそ、その障碍となるようなものごとや人をつねに捜しているのだ。
高求ばかりではない。
たまに自分でも、自分にとって不快なはずのものの見方を、半ば無意識のうちにしてしまっていることがある。冷静に考えればそんなはずはないのに、あえて人の言動を悪意に取ったり、悪いケースを予測したり。
だが、そういうときは、自分自身がやるべきことをやっていないときだ。自分がやったことに自信がなかったり、自分で納得できるまで下調べや煮詰めることができていなかったりするときだ。
結局、自分のことは自分が一番よくわかっている、ということなのだろう。わかっているからこそ、自分をだまそうとする。こうなってしまえば、周囲の障碍をどれほど打破したと思っても、結局は失敗の感情を抱くことになってしまうのだ。
自分がいま何をしているのか。
それは長い計画のなかで、どれほどの位置にあるものか。自分はどれだけ積み上げてきたか。これから何をしようとしているのか。高求になるまいとすれば、答えはそこにしかないように思う。