その3.
時間は飛ぶように過ぎ去って、フランシスは逃れる手だてのひとつも考え出せなければ、やがて来る試練に備えて覚悟を決める暇さえ与えてもらえなかった。何一つ用意のないまま、冷たい風を避けようとコートの襟を立て、玄関先の階段に立っている自分に気がついたときには、パニックに襲われそうになった。乳母の懐中電灯が、暗がりの中、短い尾を引いていく。背後では明かりが玄関ホールを照らし、召使いが食卓の用意をしている音が聞こえていた。お父さんとお母さんは二人だけで食事をするんだ。
家の中に駆け込んで、ぼくはパーティに行かない、絶対いやだ、と母親に向かって叫びたいという思いが耐えがたいまでにふくらみ、そうする寸前までいった。誰もぼくを行かせることなんてできない。自分がその決定的な言葉を告げるのが、いつも彼の心と両親とを隔てている、無知の壁を破る言葉が、耳に聞こえさえした。
「行くのが怖いんだ。行かないよ。絶対にいやだ。あの人たちはぼくに暗い中に隠れろって言うんだ。ぼくは暗闇が怖いんだよ。思いっきり叫んでやる」
母親の驚いた顔が目に浮かぶ。だがそれに続くのは、自信たっぷりの冷たい声の、大人がよくやる例の切り返しにちがいない。「馬鹿なこと言わないで。行かなきゃダメですよ。招待してくださったんだから」
それでも、誰もぼくを行かせることなんてできないんだ。乳母は霜でおおわれた草をざくざくと踏んで門の方へ歩いていくが、階段のところでためらうフランシスには、そのことがわかっていた。だからぼくはこう言ってやる。「病気だって言えばいいでしょう? 行きたくないんだ。暗いところが怖いんだから」
そしたらお母さんはこう言うだろう。「おかしな子ね。暗いところなんて怖いことはひとつもありませんよ」だが、フランシスにはそんなせりふは嘘っぱちだとわかっていた。大人たちは、死は怖れるようなものではないと言いながら、ほんとうのところは目を背けて考えないようにしているじゃないか。ぼくをパーティに行かせることなんてできない。「叫んでやる。叫んでやる」
「フランシス、さあいらっしゃい」ぼうっと明るい芝生の向こうから乳母の声が聞こえてくる。目をやると、懐中電灯の小さな黄色い光の輪が、木や茂みを丸く照らし出していた。
「わかった」絶望的な思いで彼は返事をした。彼は、戻って自分の秘密を打ち明け、母親に対して心を開くことができなかった。それも、最後の手段、ミセス・ヘン=ファルコンに懇願するという手段がまだ残っていたからだ。彼は玄関ホールをゆっくり進みながら、そうするんだ、と自分を励ましていた。ぼくはとても小さいのに、あの人はあんなに大きいのだから。
心臓はドキドキしていたが、声が震えないように懸命にこらえ、細心の注意を払いながら言った。「こんばんは、ヘン=ファルコンさん。パーティに招待してくださって、どうもありがとうございました」こわばった顔を夫人の豊かな胸のあたりに向け、礼儀正しい決まり文句を、ひからびた老人がするように口にした。
ふたごである彼は、多くの面で一人っ子と同じだった。ピーターと話をするのは、鏡の中の自分に向かって話しかけるようなものだ。その姿は鏡に傷があるせいで、少しだけ実物とちがっていた。彼自身の姿というより、こうありたいと願う姿、暗闇や、知らない人の足音や、夕闇のたれこめる庭を飛び回るコウモリに、得体の知れない恐ろしさを感じることのない者の姿だった。
(この項つづく)
時間は飛ぶように過ぎ去って、フランシスは逃れる手だてのひとつも考え出せなければ、やがて来る試練に備えて覚悟を決める暇さえ与えてもらえなかった。何一つ用意のないまま、冷たい風を避けようとコートの襟を立て、玄関先の階段に立っている自分に気がついたときには、パニックに襲われそうになった。乳母の懐中電灯が、暗がりの中、短い尾を引いていく。背後では明かりが玄関ホールを照らし、召使いが食卓の用意をしている音が聞こえていた。お父さんとお母さんは二人だけで食事をするんだ。
家の中に駆け込んで、ぼくはパーティに行かない、絶対いやだ、と母親に向かって叫びたいという思いが耐えがたいまでにふくらみ、そうする寸前までいった。誰もぼくを行かせることなんてできない。自分がその決定的な言葉を告げるのが、いつも彼の心と両親とを隔てている、無知の壁を破る言葉が、耳に聞こえさえした。
「行くのが怖いんだ。行かないよ。絶対にいやだ。あの人たちはぼくに暗い中に隠れろって言うんだ。ぼくは暗闇が怖いんだよ。思いっきり叫んでやる」
母親の驚いた顔が目に浮かぶ。だがそれに続くのは、自信たっぷりの冷たい声の、大人がよくやる例の切り返しにちがいない。「馬鹿なこと言わないで。行かなきゃダメですよ。招待してくださったんだから」
それでも、誰もぼくを行かせることなんてできないんだ。乳母は霜でおおわれた草をざくざくと踏んで門の方へ歩いていくが、階段のところでためらうフランシスには、そのことがわかっていた。だからぼくはこう言ってやる。「病気だって言えばいいでしょう? 行きたくないんだ。暗いところが怖いんだから」
そしたらお母さんはこう言うだろう。「おかしな子ね。暗いところなんて怖いことはひとつもありませんよ」だが、フランシスにはそんなせりふは嘘っぱちだとわかっていた。大人たちは、死は怖れるようなものではないと言いながら、ほんとうのところは目を背けて考えないようにしているじゃないか。ぼくをパーティに行かせることなんてできない。「叫んでやる。叫んでやる」
「フランシス、さあいらっしゃい」ぼうっと明るい芝生の向こうから乳母の声が聞こえてくる。目をやると、懐中電灯の小さな黄色い光の輪が、木や茂みを丸く照らし出していた。
「わかった」絶望的な思いで彼は返事をした。彼は、戻って自分の秘密を打ち明け、母親に対して心を開くことができなかった。それも、最後の手段、ミセス・ヘン=ファルコンに懇願するという手段がまだ残っていたからだ。彼は玄関ホールをゆっくり進みながら、そうするんだ、と自分を励ましていた。ぼくはとても小さいのに、あの人はあんなに大きいのだから。
心臓はドキドキしていたが、声が震えないように懸命にこらえ、細心の注意を払いながら言った。「こんばんは、ヘン=ファルコンさん。パーティに招待してくださって、どうもありがとうございました」こわばった顔を夫人の豊かな胸のあたりに向け、礼儀正しい決まり文句を、ひからびた老人がするように口にした。
ふたごである彼は、多くの面で一人っ子と同じだった。ピーターと話をするのは、鏡の中の自分に向かって話しかけるようなものだ。その姿は鏡に傷があるせいで、少しだけ実物とちがっていた。彼自身の姿というより、こうありたいと願う姿、暗闇や、知らない人の足音や、夕闇のたれこめる庭を飛び回るコウモリに、得体の知れない恐ろしさを感じることのない者の姿だった。
(この項つづく)