陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

「責任」の裏話

2010-02-02 23:31:37 | weblog
責任の話、番外編


そもそも「責任」のことを書こうと思ったのは、アメリカのドラマ『ザ・ホワイトハウス』のDVDを見たからでした。

ドラマも放送開始から四年目に入り、マーティン・シーン演ずるバートレット大統領も再選を果たします。二期目の就任演説直前、アフリカの「赤道クンドゥー共和国」という国で、部族間抗争が勃発します。ルワンダを彷彿とさせるような、敵対部族に対するジェノサイドが進行していく情報が、CNNを通じて刻々と入ってくる。

国連も、ローマ法王も、和平と抗争の即刻停止を求めるのですが、軍事独裁政権はそれを無視します。クンドゥー国内では、万単位の人びとが強制的に連行されていき、生き埋めにされるばかりでなく、「隣人に対するレイプ」が軍隊によって強制されるような非道な事態になっています。大統領は対応を迫られます。

外交折衝は効果をあげません。
ペンタゴンは、クンドゥーの現状は、自壊行為にほかならず、事態を看過したがっています(ここらへんは、ソマリア内戦の介入に失敗したために、ルワンダ紛争に介入をいやがった現実が背景にあるのかもしれません)。

大統領は苦慮しています。ホワイトハウスの上級職員(このドラマの実質的な主人公たち)は、「世界のリーダー」として、アメリカは派兵すべきだ、そのことを明確に就任演説にて訴えるべきだと考えています。

最終的に、大統領は派兵を決断し、感動的な就任演説はアメリカ国民の胸を打つ……という方向に話は展開していくのですが、わたしはそれを見て、ああ、アラン・ソーキン(脚本家)は「情け深い帝国主義」こそがアメリカの採るべき道と考えているのかと思いました。

ドラマのなかでも、登場人物のひとりは「それじゃあまるで、銃を持ったマザー・テレサね?」と言って、別の人物に「そうだ、それこそが理想だ」と言わせています。
国内では銃の所持を制限し、福祉と教育を手厚く保護しようとする、民主党内部でもリベラルな政権である大統領ですが、同時に、世界に民主主義と教育を伝播しようとしているのです。

はっきりとこの姿勢がドラマのなかで出てきたのは、このときが初めてだったように思います。1999年から始まったこのシリーズは、あいだに9.11をはさんで、それ以降のストーリィはあきらかに影響を受けているのですが、はっきりと一歩踏み出した印象を受けました。

つまり、9.11のような事態を防ぐには、非民主的な国家に軍事行動をも含む介入をしていき、「銃を持ったマザー・テレサ」として、政治的民主的援助を行っていこう、という主張です。自国の安寧のみをこころがけていては、逆に自国をも守ることはできない。そういう発想なのでしょう。

おそらくこの背景には、現実でのコソヴォ紛争でのNATOによるベオグラード空爆があったように思います。セルビアによる民族浄化を「国際的な人道危機」であるとして、当時のクリントン政権はNATO軍としてアメリカ軍を派兵しました。
そうして、その評価は一概には言えないのでしょうが、ともかくも、民族浄化をやめさせ、国連の監督下に置かれることで、紛争状態の終止符は打たれたことになります。

ただ、やはりアフリカとヨーロッパは異なります。アフリカ大陸の国に対して、果たして介入が効果をあげるのか。ソマリアの内戦は、未だに続いています。

ドラマの中では、繰りかえし、自由世界のリーダーとしてのアメリカが主張されています。アメリカ大統領というのは、国内問題のみならず、世界のリーダーとしてのふるまいが要求されている、といわんばかりに。それが超大国であるアメリカの責任なのだ、と。

で、責任って何なんだろう、と思ったわけです。
なんかちがうんじゃないか、と。

いろいろ本を読んだりして考えていくうちに、微妙に問題意識はシフトしていって、ちょっと国際問題までは扱えそうにないのでここらへんで手を打ったわけですが(笑)。

で、その『ザ・ホワイトハウス』も第五シーズンに入って(なにしろ少しずつ見ているので、なかなか進みません)、監督も脚本家も代わりました。

そうして、その中で、サウジアラビアで言論の自由を求めるデモが起こる、というエピソードがありました。架空の国ではないということもあるのでしょうが、今回の大統領は、何もできないまま、事態は収束します。

そのなかで、元大統領のひとりがこうアドバイスします。
民主主義が訴えたければ、軍を動かすのではなく、駱駝に乗って50年かけて、アラブ諸国をまわった方がいい。そのぐらい、時間をかけなくては。

確かにそうだなあ、と思ったのでした。

また本文の方は大幅に手を入れて、サイトの方にアップしたいと思います。
興味のある方は、またいずれ、見てみてください。