陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ・コレクション「トバモリー」その2.

2010-02-27 23:23:08 | 翻訳
その2.

 サー・ウィルフリッドはくだんのネコをさがしに行き、一同は腰を下ろしたまま物憂げに、多少は気の利いた素人腹話術でも見ることになるのだろう、と思っていた。

 まもなく戻ってきたサー・ウィルフリッドの日焼けした顔は蒼白で、興奮した目は飛び出しそうになっている。
「なんということだ、本当だったんだ!」

 その動揺はまぎれもなく本物で、興味をかき立てられた人びとは身を乗り出した。

 肘掛け椅子に身を沈めても、サー・ウィルフリッドの息は治まってなかった。「喫煙室で寝ているのが見えたから、『こっちへ来て一緒にお茶にしよう』と声をかけたんだ。そしたらこっちを向いて、いつもやるみたいにまばたきする。だから言ってやった。『トビー、こっちへおいで。お客様を待たせるもんじゃない』すると、どうしたと思う? やつは恐ろしいほど普通の声音で、うんざりしたみたいに言うんだ。『その気になったら走っていくさ』だと! 心臓が飛び出すかと思ったよ」

 アピンが話したときは、誰もまともに相手にしなかった。だが、サー・ウィルフリッドの話となると、信憑性がまるでちがってくる。驚きのコーラスが湧き上がるのを、科学者アピンは静かに腰を下ろして耳を傾け、世紀の発見の最初の果実を心ゆくまで楽しんでいた。

そのさわぎのまっただなかに、トバモリーはやってきたのである。ベルベットのようになめらかな足取りで、興味もなさそうに一同を見渡すと、丸いティー・テーブルを囲む人びとの方へ歩いていった。

 気まずい、当惑に満ちた沈黙が、一同の頭上にたれこめる。どうやら飛び抜けた知能を持つとされる飼い猫と、対等の立場で会話するというのは、妙に居心地の悪いものであるらしい。

「ミルクを少しいかが、トバモリー?」レディ・ブレムリーが緊張した声でたずねた。

「悪くはないね」というのがその答えだった。どっちでもいいけど、と言わんばかりである。それを聞いた一同は、動転しそうな気持をなんとか抑えた。レディ・ブレムリーのミルクをつぐ手が震えたのも、無理からぬところである。

「ごめんなさい、わたし、ずいぶんこぼしちゃったわね」すまなそうにそう謝った。

「ま、何にしてもぼくのアクスミンスター・カーペットじゃないからね」とトバモリー。

「人間の知性について、どう考えていらっしゃる?」メイヴィス・ペリントンがへどもどと聞いた。

「たとえば誰の知性?」トバモリーはすげなく聞き返す。

「あら、まあ、そうね、たとえばわたしとか」メイヴィスは弱々しい笑い声をあげた。

「そりゃまた言いにくいことをぼくに言わせようとするね」だが、トバモリーの声も態度も、言いにくそうなようすはみじんもない。「今度のパーティにあんたを呼ぶかどうかって話になったときにも、サー・ウィルフリッドは反対して、『あんなに頭の悪い女は見たことがない』って言ったんだ。『客をもてなすことと、頭の弱い手合いの面倒を見てやることは、話がちがうんだぞ』ってね。そしたらレディ・ブレムリーはこんなふうに言い返した。『智恵が足りない人っていうのは、招待するのにもってこいなのよ。うちの古い車を買ってもいいって考えてくれるようなおバカさんは、あの人だけなんだから』って。ほら、あの車、『シジフォスの羨望』とかいうやつ。まあ押してやれば坂だってちゃんと上れる。だからそんな名前がついてるんだろうな」

 レディ・ブレムリーは、とんでもない、と打ち消してはみたが、それも、もし今朝、何気ないふうを装って、メイヴィスに、この車だったらデヴォンシャーのお宅にはちょうどいいわ、ともちかけていなければ、多少は本当らしく聞こえたかもしれなかった。

 バーフィールド少佐が話の流れを変えようと、大きな声で割り込んだ。

「馬小屋にいる三毛猫とはうまくいってるのかね、ええ?」

 すぐに、全員が少佐の失敗を悟った。

「ふつうはそういった話題は、人前で取りざたするのを避けるもんじゃないかね」トバモリーは冷たく言う。「この家に来てからのあんたをちらっと見ただけだが、その話をしたら具合が悪いんじゃないのかな。あんたのちょっとした恋の話とかね」

 大慌てに慌てたのは、ひとり少佐だけではなかった。

「コックのところへ行って、あなたのご飯の準備ができたかどうか見てきたらどうかしら」とレディ・ブレムリーが焦りながら言った。トバモリーの夕食まで二時間は優にあったが、気がつかないふりをしたのだ。

「どうも」とトバモリーは答えた。「お茶の時間が終わってから間がないんだがね。消化不良で死にたくはないな」

「ネコは九生あるそうだが」サー・ウィルフリッドは陽気に言った。

「かもしれないが、我々の肝臓はひとつしかない」

「アデレイド!」ミセス・コーネットが言った。「あなた、このネコが召し使いのところへ行って、ゴシップを広めるのをそのままにしておくつもりなの」


(この項つづく)