もう少し服装の話。
「例のスノーボードの選手」という言い方をしたのは、検索避けのつもりだったのだけれど、そろそろ「国母選手」という名前で検索する人も減ってきたと思うので、そんな言い方は失礼だし、きちんと名前を書くことにしよう。
さて、その国母選手はユニフォームを着崩したことが、かくも大きな騒ぎになるとは予想もしていなかっただろう。もし彼が、反抗の意味をこめてあんな着方をしたのであれば、記者会見の席で自分のポリシーなりなんなりを明らかにできたはずだからである。
反抗というのは、公に受け入れられている規範や人びとのものの見方考え方に対して、異を唱えるということだ。
むしろ、国母選手の場合は「公に受け入れられている規範」をよく知らなかった、あるいは、知ってはいても、自分の意識に入っていなかったのではあるまいか。彼が自分の着こなしを見せたかったのは、自分の属する共同体に向かってであり、「こんなダッセエ格好でも、オレなんかこんなに着こなしちゃうんだもんね~。どうよ?」とアピールしたかっただけだろう。
ところが彼の視野の中に入っていなかった人から抗議が来て(あるいは文句を言われて)、おそらく彼は驚いただろうし、同時に不快に思ったにちがいない。
ちょうど、短いスカートを、「オシャレだから」「かわいいから」とはいている女の子が、彼女が自分を見てほしいのは、もっぱら同性の同じくらいの年代の女の子なのに、中年のおじさんに脚をジロジロ見られて憤慨するのと一緒だ。
誰でも、自分を「見てほしい」「賞賛してほしい」相手は、自分の中でおおざっぱに想定されている。特定ひとりから始まって、身の回りの小さなグループから大きなグループへと同心円状に広がっていく。
ところが自分の想定する同心円の外から評価が矢のように飛んできたとき、人はとまどってしまう。その「矢」が想定内の内容であればまだしも、予想もしなかった反応であれば、「ちっ、うっせーなー」となるのは当然なのである。
オメーの意見なんて何も聞いてねーんだよ。
気に入らなきゃ、見るなよ。
エッチなおじさんなんかに見せようと思って短いスカート、はいてるんじゃないの。
見ないでよ。
国母選手にしても、ミニスカートの女の子にしても、自分の想定しうる世界の外に、さらに大きな世界が広がっていることを知らなかったから、そういうことになってしまったのだ。逆にいうと、彼ら彼女らが意識しうる世界というのは、きわめて小さなものだったといえる。きわめて小さなものだったからこそ、その反応もあらかじめ予想できたのである(ヤッベ~、カワイイ……)。そうして、その世界からこぼれおちた大勢からの矢によって、初めて、自分がいままで気がつかなかったけれど(見ないように、忘れようとしていた)世界というのは大きなものだった、そこに属する人も、さまざまにいたのだ、ということを、思い知らされたのである。
世の中にはたくさんの人がいる。
たくさんの人は、キミの(せまい頭の中からは)予想もしない反応を取ってくる。
このことで世界が広いことはよくわかったね。
問題は、じゃ、これからどうするか、だ。
1.広い世界に対して、飛んでくる矢をことごとく受けるサンドバッグになりながら、自分のこれまでのスタイルを貫き通す。
…とすれば、やがてそれは強靱でしたたかな、そのときこそ“個性”と呼べるものになっていくかもしれない。
2.狭い世界に退却して、自分と意見を同じくする者たちとだけつきあっていく。
…うまくすればカルト・ヒーローになれるかも。
3.世間に受け入れてもらえるようなスタイルに変えていく。
…かつての仲間からはバカにされるだろうが、お父さんお母さん、母校の先生たちは喜んでくれるだろう。
4.時と場合によって、うまく使い分けていくようになる。
…つまりこれがいわゆる「オトナになる」ということだ。
わたしがいま想定しうる方向性というのは、この四つだけれど、なにしろ世界は広い。わたしの想定しえないやり方もあるかもしれない。
国母選手は五つめの方向性を見せてくれたらおもしろいんだけどな、と思っているのだけれど、きっと一番おもしろくない四番目だろうな。
「例のスノーボードの選手」という言い方をしたのは、検索避けのつもりだったのだけれど、そろそろ「国母選手」という名前で検索する人も減ってきたと思うので、そんな言い方は失礼だし、きちんと名前を書くことにしよう。
さて、その国母選手はユニフォームを着崩したことが、かくも大きな騒ぎになるとは予想もしていなかっただろう。もし彼が、反抗の意味をこめてあんな着方をしたのであれば、記者会見の席で自分のポリシーなりなんなりを明らかにできたはずだからである。
反抗というのは、公に受け入れられている規範や人びとのものの見方考え方に対して、異を唱えるということだ。
むしろ、国母選手の場合は「公に受け入れられている規範」をよく知らなかった、あるいは、知ってはいても、自分の意識に入っていなかったのではあるまいか。彼が自分の着こなしを見せたかったのは、自分の属する共同体に向かってであり、「こんなダッセエ格好でも、オレなんかこんなに着こなしちゃうんだもんね~。どうよ?」とアピールしたかっただけだろう。
ところが彼の視野の中に入っていなかった人から抗議が来て(あるいは文句を言われて)、おそらく彼は驚いただろうし、同時に不快に思ったにちがいない。
ちょうど、短いスカートを、「オシャレだから」「かわいいから」とはいている女の子が、彼女が自分を見てほしいのは、もっぱら同性の同じくらいの年代の女の子なのに、中年のおじさんに脚をジロジロ見られて憤慨するのと一緒だ。
誰でも、自分を「見てほしい」「賞賛してほしい」相手は、自分の中でおおざっぱに想定されている。特定ひとりから始まって、身の回りの小さなグループから大きなグループへと同心円状に広がっていく。
ところが自分の想定する同心円の外から評価が矢のように飛んできたとき、人はとまどってしまう。その「矢」が想定内の内容であればまだしも、予想もしなかった反応であれば、「ちっ、うっせーなー」となるのは当然なのである。
オメーの意見なんて何も聞いてねーんだよ。
気に入らなきゃ、見るなよ。
エッチなおじさんなんかに見せようと思って短いスカート、はいてるんじゃないの。
見ないでよ。
国母選手にしても、ミニスカートの女の子にしても、自分の想定しうる世界の外に、さらに大きな世界が広がっていることを知らなかったから、そういうことになってしまったのだ。逆にいうと、彼ら彼女らが意識しうる世界というのは、きわめて小さなものだったといえる。きわめて小さなものだったからこそ、その反応もあらかじめ予想できたのである(ヤッベ~、カワイイ……)。そうして、その世界からこぼれおちた大勢からの矢によって、初めて、自分がいままで気がつかなかったけれど(見ないように、忘れようとしていた)世界というのは大きなものだった、そこに属する人も、さまざまにいたのだ、ということを、思い知らされたのである。
世の中にはたくさんの人がいる。
たくさんの人は、キミの(せまい頭の中からは)予想もしない反応を取ってくる。
このことで世界が広いことはよくわかったね。
問題は、じゃ、これからどうするか、だ。
1.広い世界に対して、飛んでくる矢をことごとく受けるサンドバッグになりながら、自分のこれまでのスタイルを貫き通す。
…とすれば、やがてそれは強靱でしたたかな、そのときこそ“個性”と呼べるものになっていくかもしれない。
2.狭い世界に退却して、自分と意見を同じくする者たちとだけつきあっていく。
…うまくすればカルト・ヒーローになれるかも。
3.世間に受け入れてもらえるようなスタイルに変えていく。
…かつての仲間からはバカにされるだろうが、お父さんお母さん、母校の先生たちは喜んでくれるだろう。
4.時と場合によって、うまく使い分けていくようになる。
…つまりこれがいわゆる「オトナになる」ということだ。
わたしがいま想定しうる方向性というのは、この四つだけれど、なにしろ世界は広い。わたしの想定しえないやり方もあるかもしれない。
国母選手は五つめの方向性を見せてくれたらおもしろいんだけどな、と思っているのだけれど、きっと一番おもしろくない四番目だろうな。