陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

洗濯機の法則

2007-02-22 22:21:31 | weblog
ときどき思うのだけれど、いまや洗濯というのは家事のうちに入らないのではないだろうか。
全自動だと洗濯機に洗濯物を入れてボタンさえ押しておけば、あとは全部やってくれて、干しさえすればよい。朝の陽を浴びて洗濯物を干すのは気持ちがいいし、まあ取りこんだあと畳むのはめんどくさいのだけれど、それくらいは文句を言わずにやろうと思っている。

洗濯機の置き場と家賃のあいだには相関関係があるように思う。
わたしが大学の寮を出て最初に生活をするようになったアパートは、入り口のドアの横が洗濯機の置き場だった。大荷物を下げて帰ってきて、よく洗濯機の上に買い物袋をのせて、部屋の鍵をカバンから取りだしていたのを覚えている。うっかり部屋の中に入れ忘れて、どこへおいたのだろう、とさんざん探した挙げ句、もしや、と思って外を見たら、しっかりそこに置いてあった、ということも何度かあった。一度などはアイスクリームを忘れてしまってどろどろにしてしまったこともある。

そのころの洗濯機は、先輩から3千円で譲り受けた小さな二層式のものだった。もともと中古の洗濯機だったらしく、ずいぶん昔の製造年のシールが裏の方にはってあった。
朝起きて、とりあえずアパートの外に出られるくらいの格好に着替えて、サンダルを履いて外に出て、洗濯を始めるのだ。冬はふきさらしの廊下は寒くて、上着を着てマフラーを巻いて、手袋まではめてやっていた。洗剤を入れて10分ほど回すと、まず軽く脱水をして、それから水を張って、すすぎを二回、それから脱水、と何回も出入りしなければならない。
廊下を人が通ることより、下の道から丸見えなのがイヤだった。

やがてそこを出て、もう少し広くて日当たりの良い、家賃も二割ほど高いところに移った。今度は洗濯機の置き場は、ベランダになっていた。
ベランダに置いた洗濯機は、洗濯がすむとすぐそこに干せるのはありがたかったし、玄関脇よりはずいぶんマシだったが、それでもやはり下を通る道からは見えるし、洗濯をしようと思ったら、パジャマのまま、という訳にはいかない。
洗濯をするためには、それなりの身支度が必要なのだった。

それから数年が経過して、つぎには「マンション」と呼ばれるところに入った。英語でいう mansion の、たとえば敷地内にある使用人のための小屋よりも、敷地面積はさらにせまかっただろうが、それまでに住んでいたところよりは、格段に良かった。
そうして、ついに専用の洗濯機置き場が、風呂場の外、脱衣場のわきにあったのだった。
薄いベージュ色のプラスティックでできた排水口付きのちゃんとした洗濯機置き場に、えらく古い二層式、しかも玄関脇やベランダと雨風にさらされた洗濯機はプラスティックの部分が、黄色がかったグレーというのか、グレーがかった黄色というのか、なんともいえない面妖な色に変色していて(元は白かったのだ)まったく似つかわしくなかったのだが。

そこに移って間もなく、洗濯機は壊れた。ベルトが切れて、ドラムが回転しなくなったのだ。譲り受けてから六年ほど経っていた。そのころやたらあちこちで見かけるようになった家電量販店に行ってみると、全自動は思ったよりずっと安かった。かえって、端に追いやられた二層式の方が高いくらい。迷わず小ぶりの全自動を買ったのだった。
さすがにそれは洗濯機置き場に、ぴたりとおさまった。

いまや洗濯をする前に、上着を着こみマフラーを巻く必要もないし、何度もふたをあけて手を突っこんで、洗濯物を取り出したり移したりする必要もない。洗う前にネットに入れたり仕分けして洗濯槽に入れさえすれば、あとはボタンを押せば、全部やってくれる。考えてみれば、ずいぶん便利になったものだ。
便利になればなったで、ボタンひとつ押すのがめんどくさいこともあるのだけれど。

ともかく、いま払っている家賃のうちには、そうした便利さの価格も含まれているのだろうと思うのである。