陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

H.G.ウェルズ 「水晶の卵」その1.

2007-02-12 22:19:23 | 翻訳
今日からH.G.ウェルズの短編『水晶の卵』の翻訳をやっていきます。
H.G.ウェルズは、『タイム・マシン』などを始めとして、SFの嚆矢ともなるような作品や、あるいは冒険小説など、数多くの作品を発表しています。
この『水晶の卵』も一種のSF、でも不思議な味わいの作品です。

原文は
http://www.online-literature.com/wellshg/2878/
で読むことができます。目安としては六日ぐらいです。

* * *
「水晶の卵」
by H.G.ウェルズ


1.

昨年まで、ロンドンのセヴン・ダイアルズ界隈には、小さなみすぼらしい店があり、雨風でぼろぼろになった黄色い文字で「C・ケイヴ 剥製と骨董」と記された看板がかかっていた。陳列窓には、色とりどりの奇妙なものが置いてあった。象牙が数本、不揃いなチェスセット、遺跡のビーズや武器、箱に入った眼球、虎の頭蓋骨がふたつ、人間のものがひとつ、何箇所かに虫が食ったあとのある剥製のサル(一匹はランプをたずさえている)、昔風の棚、蠅の糞のしみがついたダチョウかなにかの卵、つり具、おそろしく汚い、空っぽのガラスの水槽といったもの。もうひとつ、この話が始まった時点では、水晶のかたまり、卵形でぴかぴか光るほどに磨きあげられたものがあった。ちょうどそのとき、ふたりの男が外に立って、陳列窓を眺めていた。ひとりは背の高い、痩せた牧師、もうひとりは黒い顎髭をはやした若い男で、黒っぽい地味な身なりをしていた。陰気な若い男は、熱のこもった身ぶりで何ごとか語っており、どうやらつれにその水晶を買うようにたきつけているらしかった。

ふたりが窓の外にいるときに、ミスター・ケイヴが店に入ってきた。あごひげは昼食に食べたバタつきパンを咀嚼しているせいでもぐもぐと動いている。ふたりの男に気がついて、ふたりが見ているものに目を留めると、表情が翳った。後ろめたそうな顔で肩越しにちらっとそちらに目をやると、そっと扉を閉めた。ミスター・ケイヴは小柄な老人で、青白い顔の、風変わりな淡い水色の瞳をしている。薄汚れた白髪頭、着古した青いフロックコートに身を包み、古ぼけたシルクハットをかぶって、踵のすり切れた室内履きをはいている。ふたりの男が話しているのをまだずっと見ていた。牧師がズボンのポケットに手を深くつっこんで、ひとつかみの金を改めると、満足そうに満面の笑みをうかべた。ふたりが店に入ってくると、ミスター・ケイヴの表情は、いよいよ気遣わしげなものになった。

牧師は気さくに水晶の卵の値段を尋ねた。ミスター・ケイヴは奧に通じるドアを神経質そうに見やると、五ポンドです、と答えた。牧師が、それはずいぶん高いね、と連れの男にも、ミスター・ケイヴに対しても、抗議するように言い――確かにミスター・ケイヴも品物を仕入れたときにはそんな値をつけるつもりはなかったのだ――、値引き交渉が始まった。ミスター・ケイヴは戸口に歩いていって、そこを開けた。
「うちでは五ポンドつけさせていただいてるんです」益もない話し合いなどご免被らせていただきますよ、とでも言わんばかりだった。そのとき、女の顔の上半分が、奧に通じるドアにはまったガラスのブラインド越しにのぞき、ものめずらしげにふたりの客を眺めた。
「五ポンドいただきます」ミスター・ケイヴは震える声でもう一度言った。

(この項つづく)