陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ 『ハツカネズミ』 その3. 

2005-05-04 19:08:17 | 翻訳
砂糖大根の根っこのように真っ赤になって、眠り込んでいる相客のようすを必死の思いでうかがいながら、すばやく音がしないように、備え付けのひざかけを客室の両端の網棚に固定した。かくして客室を仕切るには十分なカーテンができあがったのである。


間に合わせの狭苦しい脱衣所で、セオドリックは疾風怒濤の勢いで、自分自身の一部とハツカネズミの全身を、ツイードとウールの綾織りの外皮から引き出した。解放されたハツカネズミが勢いよく床に飛び降りたそのとき、両端を留めていたひざかけが外れ、心臓が止まるようなバサッという音を立てて落ちたのだ。それとほとんど同時に、眠っていた女性は目を開けた。

ハツカネズミよりも素早い動作でひざかけに飛びつくと、セオドリックは無防備になった身体をすっぽりとそのなかに入れ、顎の位置までひっぱりあげ、そのまま客室の反対側の隅に、がっくりと崩折れた。血は体内を荒れ狂い、首とこめかみの静脈はドキドキと脈打つ。セオドリックは相客が通話装置のコードを引っ張るのを、固唾を飲んで待った。ところがその女性は、妙な格好でくるまっているこちらを、無言のまま見つめるだけだ。いったいどこまで見られてしまったんだろう。なんにせよ、自分の現在のていたらくを、どんな思いで見ているんだろう。

「風邪を引いてしまったようなんです」せっぱつまったセオドリックは思い切ってそう言ってみた。

「それはお気の毒ですこと。ちょうど窓を開けていただけないかと思っていたところだったんです」

「マラリヤじゃないかと思うんですが」そう言うと、かすかに歯をガチガチいわせてみせる。実際、怯えてもいたが、自分の言っていることを裏付けようと願う気持ちもあったのだ。

「スーツケースのなかにブランデーがすこしありますわ。よろしければ、おろしていただけませんこと?」

「と……とんでもない、いえ、その、何もいただけません」セオドリックは必死で言い張った。

「熱帯のほうで感染なさったんでしょうね」

熱帯とのつきあいといえば、セイロンにいる伯父から毎年送られてくる紅茶一箱に限られていたセオドリックは、マラリヤにまで避けられたような気がしてしまう。すこしずつ小出しに、ほんとうの事情を打ち明けてみようか。

(内気なセオドリックの運命やいかに? いよいよ明日最終回)