この道を歩んで行った人たちは、ねえ酒姫(サーキィ)
もうあの誇らしい地のふところに臥したよ。
酒をのんで、おれの言うことをききたまえ――
あの人たちの言ったことはただの風だよ。
(オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』小川亮訳 岩波文庫)
サキ、本名はヘクター・ヒュー・マンロー、ペンネームのサキ(Saki)は、11世紀ペルシャの詩人オマル・ハイヤームの詩『ルバイヤート』に出てくる酒姫にちなんでいる。酒姫とは酒の酌をする侍者、普通女性ではなく、美少年で、同性愛の対象とされた。このペンネームに、彼の性的嗜好を読み込む見方もある。
生まれたのは1870年イギリスの植民地ビルマ、スコットランド系の父親は当地で警官をしていた。この経歴はジョージ・オーウェルとも重なり合うのだが、オーウェルが生まれたのは1903年、ヘクターが生まれた時代とは、植民地もそれを取り巻く情勢も、ずいぶん異なっていただろう。
母親はヘクターが二歳の時、イギリスの田舎道で逃げ出した雌牛に殺される。その後兄や姉と一緒にイギリス本国の伯母のもとに引き取られ、そこで成長する。この伯母という人はしばしばムチを使う厳しい人物だったらしい。ここで紹介された“スレドニ・ヴァシター”のデ・ロップ夫人にも、おそらくこの伯母のイメージが投影されているのだろう。
ヘクターはベッドフォード・グラマースクール(グラマースクールとは、中世からある特権階級のための中等教育機関で、後にパブリック・スクールと枝分かれしていく)を終えたあと、1893年、ビルマ警察に勤務するようになる。三年間、そこで働いた後、健康を害して退職し、帰国。ジャーナリストとして活動を始める。
1900年、最初の書物を出版、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をモデルとした『ロシア帝国の台頭』を出版するが、黙殺される。続いて1902年、初めての短編集を出版、以降1908年まで、ジャーナリストとして活動しつつ、短編を中心に創作を続けていく。以降は創作に専念し、数多くの短篇集のほか、長篇小説や戯曲も発表した。
1911年第一次世界大戦勃発、ヘクターは41歳になっていたが、志願し、一兵卒として参戦し、1916年11月14日、フランスにて狙撃兵の銃弾に倒れ、死亡。最期のことばは「このいまいましいタバコの火を消してくれ」だったという。
ホモセクシュアル、かつ反ユダヤ主義者で保守主義者、ただし彼自身はあまり人生を重要なものとはとらえていなかったという。批評家のV.S.プリチェットはサキの作品をこのように語っている。「サキは書くことを目の敵にしていた。世の中には死ぬほどうんざりしていたし、その笑い声は、恐怖のためにあげた悲鳴が短く、ひとつかふたつ、連なったもののようだった」
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短編のなかには、わたしたちが生きている一瞬を切り取ったようなものもあれば、すべてはラストシーンに向かって準備され、「その瞬間」が訪れたとき、一気に終わるような短編もある。
サキはもちろん後者に属する作家である。
ほぼ同時代にアメリカで活躍したO.ヘンリーと比較されることも多いが、ともに意外なオチを用意しているとはいえ、O.ヘンリーの持つ人生の暖かみは、サキとは無縁である。
恐怖を主題とした作品も多く、ここでも紹介した『開いた窓』は、恐怖と笑いの要素が入り交じった、巧妙なプロットとタイトな構成を持つ、短編小説の一種のモデルと言える作品だろう。
ここでは短編小説のお手本のような代表作『開いた窓』、コミカルな『ハツカネズミ』、そしてサキとなる前、ヘクター少年の幻想の世界を垣間見ることができるような『スレドニ・ヴァシター』の三篇を選んでみた。サキの魅力を少しでも感じていただければ、それに優る喜びはない。
最後にサキも愛した『ルバイヤート』からもうひとつ。
死んだらおれの屍は野辺にすてて、
美酒(うまざけ)を墓場の土に振りそそいで。
白骨が土と化したらその土から
瓦を焼いて、あの酒瓶(さかがめ)の蓋にして。