陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

短編小説とはなんだろうか その4.

2005-05-25 22:37:45 | 
4.短編小説は物語

チェホフはあるとき若い作家たちに語ったという。

ある点に関して、君たちは僕に感謝しなければならない。短編作家の道を切り開いたのはこの僕なのです。以前は、原稿を携えて編集部へ行っても、読んでさえくれぬことがありました。ただ侮蔑的に見て、「なんですって? こんなのが――作品と呼べますか? 雀の鼻より短いじゃありませんか。いや、こんな《小っちゃい代物》は用がない。」しかし、ほら、僕はやっと努力して道を開き、他の人たちにも示してあげました。(クプーリン『チェホフの思い出』)

このようにして、チェホフによって道をつけられた短編小説の方法を、マンスフィールドを初め、多くの作家がたどっていった。今日の、大衆的とされる短編小説が、モーパッサンの系列を引く、はっきりとした筋と結末を持っているのに対し、文学的とされる短編小説の多くは、大なり小なりチェホフの影響を受けたものとなっている。

読者の側も、短編というのは、「何が書いてあるか」をたどるのにも骨の折れる、精妙で微妙な形式、と思うようになってしまった。

けれども、20世紀半ば、39年の短い生涯のうち、彼女以外書きようがない、独特の小説世界を築き上げたフラナリー・オコナーは、短編小説に対して、このように語っている。

 短編小説は文学の形式の中でもっともむずかしいものの中に入る、と言われるのを聞くことがある。私には、人間の表現手段のうちもっとも自然で根本的に思われるこの形式が、どうしてそんな受け取り方をされるのかいつもわからないでいる。つまり、物語を聞き語りだすのは、誰も子ども時分なのであって、あれには何もさほど複雑な問題はなさそうである。思うに大部分の人は、これまでの一生、物語を語りつづけてきたのではなかろうか。……
 物語とは、完結した劇的行為である。優れた物語の中では、その行為をとおして人物が示され、行為は人物によって統制されるのだが、そこから結果として出てくるのは、提示された経験全体から発する意味である。私なら物語の定義として次のように言ってみたい。物語とは、ある人が人間であり、同時に個としての人間であるがゆえに、すなわち一般的な人間的状況を共有し、さらに特定の個人の条件も兼ねて所有するがゆえに、そのある人間を巻き込む劇的出来事である、と。物語は、つねに劇的な方法で人格の神秘に関わるものなのだ。……
 短編小説を短く終わらせないのは意味である。物語の主題についてなんかより、私は物語の意味について語りたい。人びとが主題について話すのを聞いていると、主題とはまるで鶏の飼料袋の口を閉じる糸のようだ。袋の閉じ糸を引っ張る要領で主題を拾い出せば、物語は裂けて口を開け、鶏は餌にありつけるわけである。しかし小説の中での意味の働き方は、そんなものではない。
 ある物語についてその主題を論じられる場合、すなわち物語の本体から主題を引き離せるとき、その作品はたいしたものではないと思っていい。意味は、作品の中で体を与えられていなければならない。具体的な形にされていなければならない。物語は、他の方法では言えない何かを言う方法なのだ。作品の意味が何であるかを言おうとしたら、その物語の中の言葉がすべて必要である。……それは何についての物語か、とたずねる人がいたら、正当な答えはただ一つ、その物語を読めと言ってやるしかない。(フラナリー・オコナー「物語の意味」『秘儀と習俗』所収 春秋社)

短編小説とは、なによりも、物語なのである。
さらに時代がくだったアメリカの短編作家、ジョン・チーヴァーも、このように言っている。

ぼくに言わせれば、短編、つまり短い話は人生で重要な役割を果たしているんだ。それは、ある意味で、苦痛を癒してくれるんだよ――たとえば、スキーのリフトが止まってしまったとき、船が沈んでいくとき、あるいは、歯医者とか医者の診察室にいるとき――つまり、死ぬかもしれないなあというとき、だれが長い話をする? そのとき必要なのは短編、短い話だ。自信をもって言うけど、いよいよ死ぬぞっていうとき、人間はじぶんにむかって短い話をするものさ――長編はお呼びでないの。(青山南『アメリカ短編小説興亡史』)

あるいは、1982年チーヴァーが亡くなったあとも、今日に至るまで多くの短編を発表し続けているジョン・アップダイクはこう語っている。

わたしにとって短編小説は、長い間わたしの生計をたてるためのたいせつな一部だった。しかし、それを書くのは、単に仕事以上に審美的なチャレンジでもあったし、また歓びでもあった。長編小説と詩のいわば中間に位置しながら、かつその両方の楽しみをわたしたちに与えてくれることができるのが、短編小説の魅力である。その上、短編小説には、エッセイの持つ奇妙な親近感がある。そこには、非常に微妙でかつ重要な秘め事をわたしたちの耳に語りかけてくれる声がある。(『アップダイク自選短編集』前書き、日本の読者に)

短編小説とは、芸術作品であるよりもなによりも、物語なのだ。

最後に、毎年編まれる、その年にアメリカの雑誌に発表されたすべての短編小説のなかからベストのものを選び出すアンソロジー、『アメリカ短編小説傑作選』の2000年版から、編者ギャリソン・キロワーの文章を引く。

 人は物語が現実的であってほしいと思う。ソローが言ったように、リアリティこそわれわれが切望するものなのである。もし人に物語を聞かせて、相手がそれを気に入れば、彼らは物語のスタイルに世辞など言わず、「それ本当?」と言う。それが作家にとって、あなたは真実を書いていますよという最高の賛辞である。単に感情を表現するためだけに物語を利用しても、人は気に入ってくれない。……
 教訓を小脇にかかえた物語はたちまち信頼を失う。従って、膨大な証拠があるにもかかわらず、ホロコーストは作り話だと信じる人々もいる。なぜならそれは教訓的な寓話として語られているからだ。対照的に、アンネ・フランクの物語は、その美しいまでの常態から、真実がありありと伝わってくる。それをわれわれは確信をもって信じているが、その理由は、アンネがまばゆいばかりに聡明な考え方――「いろいろな事があっても、やっぱり人は心の底では本当に善良なのだと、わたしは信じています」――をするからではなく、物語をことこまかに書き綴っているからである。部屋に座り、映画スターや王室のことを思い、気短で自己を憐れむばかりのミセス・ファン=ダーンに嫌悪を抱き、ペーターと屋根裏に行っておしゃべりをしてキスをすることのスリルを夢見る。命がけの状況にある人々の普通の暮らしを、われわれはどんどん読み進めていく。一九四二年の十月の夜、アムステルダムに潜伏しているユダヤ人たちが、「九百九十九の〈えっちら〉と一つの〈おっちら〉とはなんのことでしょう。それは、足が一本曲がったムカデ」という冗談を言って楽しんだことを知り、われわれは大きな事実に気づくことになる――十四歳のアンネ・フランクは、この日記を憎悪や邪悪に対する証言として書いたのではなく、これは単なる物書きのノートなのだ――と。少女は小説家になることを望んでいるのである。……
 アンネ・フランクを受難者、そして象徴にしたのはナチスだった。彼女自身は風刺家であったほうがずっとよかっただろう。収容所生活を生き延びてさえいれば、一九五五年には一篇の小説を携えて姿を現していたかもしれない。その小説には、月の光あふれる屋根裏部屋での、少女と少年の情熱的なラブシーンが描かれている。二人の唇が重なり、少女の手は少年のウエストに触れ、少年の手は少女のスカートの下にもぐりこみ、下の部屋では大人たちが警察が来ないかとドアのところで耳をそばだてるが、聞こえるのは階上の恋人たちのため息だけ。アンネは聖人になろうとは思いもしなかった。彼女は、現実の人々がポットローストとゆでたじゃがいもを食べ。子供時代、恋人、子供、孤独、老年期について話をしたという、そんな物語をかきたかったのである。
(『アメリカ短編小説傑作選 2000年』DHC)


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