行こう行こうと思っていた神代植物公園へ行った。「秋バラが10月18日に7割開花」とHPにあり、土曜日で混雑が予想されたが、急遽行くことにした。
ばら園は正門を入って右手(南)のピンク色の広大な領域を占める。なお、深大寺は右上(東南)の深大寺門を出るとすぐだ。
ばら園の脇には、「国際バラコンクール花壇」がある。欧米や日本の育種家が作った未発表の新品種を育成しているところで、2年をかけて審査し、上位入賞に花名がつけられ、市販されるものもある。2つだけご紹介。
やわらかな色合いと、花弁のそり工合が得も言われぬ美しさだ。
ばら園には、各国のバラが約300品種、5千本植えられている。5千本は多いようだが、それでも一株200の花が咲いてはじめて、加藤登紀子の歌う100万本のバラになる計算だ。
春は5月中下旬、秋は10月中下旬が見頃だ。秋に比べ、春はいっそう美しいという。
奥に見えるのは、温室だ。中央には噴水が見事に整っているが、皆さん見向きもせず、数あるバラに夢中だ。
バラは品種毎にかたまって植えられているので、横から見ると、色模様の絨毯だ。
バラといえば赤がやはり多い。
数は少ないが、黄色もあり、豊香をただよわせていた。
8
ピンクも良いが、
純白の肌をほんのり恥ずかしげにピンクに染めるのが一番(何の話だか)。
「夕霧」という趣ある名前の日本のバラ。
このあと、温室を見て、深大寺に行ったが、それは次回。
深大寺と神代植物公園
私には、深大寺と神代植物公園の関係が従来から疑問だったが、案内板を読んで解った。江戸時代の深大寺村が、明治に近隣と合併して神代村となり、昭和15年に東京府は、防空緑地として神代緑地を開園した。しかし、昭和30年調布町と神代町が合併し、調布市になり、以後、深大寺を名乗る地番が多く誕生した。一方、昭和36年に防空緑地の名を引き継ぎ、神代植物園が誕生し、「深大寺」の名が付くいくつかの地番に囲まれることになった。
ばら園は正門を入って右手(南)のピンク色の広大な領域を占める。なお、深大寺は右上(東南)の深大寺門を出るとすぐだ。
ばら園の脇には、「国際バラコンクール花壇」がある。欧米や日本の育種家が作った未発表の新品種を育成しているところで、2年をかけて審査し、上位入賞に花名がつけられ、市販されるものもある。2つだけご紹介。
やわらかな色合いと、花弁のそり工合が得も言われぬ美しさだ。
ばら園には、各国のバラが約300品種、5千本植えられている。5千本は多いようだが、それでも一株200の花が咲いてはじめて、加藤登紀子の歌う100万本のバラになる計算だ。
春は5月中下旬、秋は10月中下旬が見頃だ。秋に比べ、春はいっそう美しいという。
奥に見えるのは、温室だ。中央には噴水が見事に整っているが、皆さん見向きもせず、数あるバラに夢中だ。
バラは品種毎にかたまって植えられているので、横から見ると、色模様の絨毯だ。
バラといえば赤がやはり多い。
数は少ないが、黄色もあり、豊香をただよわせていた。
8
ピンクも良いが、
純白の肌をほんのり恥ずかしげにピンクに染めるのが一番(何の話だか)。
「夕霧」という趣ある名前の日本のバラ。
このあと、温室を見て、深大寺に行ったが、それは次回。
深大寺と神代植物公園
私には、深大寺と神代植物公園の関係が従来から疑問だったが、案内板を読んで解った。江戸時代の深大寺村が、明治に近隣と合併して神代村となり、昭和15年に東京府は、防空緑地として神代緑地を開園した。しかし、昭和30年調布町と神代町が合併し、調布市になり、以後、深大寺を名乗る地番が多く誕生した。一方、昭和36年に防空緑地の名を引き継ぎ、神代植物園が誕生し、「深大寺」の名が付くいくつかの地番に囲まれることになった。