hiyamizu's blog

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「中年期うつと森田療法」を読む

2009年04月03日 | 読書2

北西憲二著「中年期うつと森田療法」2006年6月、講談社発行、こころライブラリーを読んだ。

かねてからもっと知りたいと思っていた森田療法の本はいろいろ目にするが、面倒くさそうな本ばかりだった。たまたま図書館で比較的読みやすそうなこの本を見つけた。

難しい本はあとがきから読むことにしている。「おわりに」は以下のような趣旨のことが書いてあった。

現在主流のうつ病の診断は米国生まれのマニュアルがあって、治療も薬物療法が主体だ。つまり、「うつ」は悪いものなので、コントロールしようという考え方だ。
一方、日本生まれの森田療法は、私たちの心と体の自然回復力を尊重し、引き出していく東洋的な考え方の治療法だ。

「うつ」はコントロールできないもので、「うつ」とつきあい、受けとめ、あきらめ、引き受け、そして「できること」にとりかかることから「うつ」の回復が始まると考える。「うつ」から回復するということは、苦悩に陥る前に戻ることではない。前の状態に戻るのでは再発の危険があるということなのだから。
「うつ」の経験はその人の人生にさまざまな影響を与える。「うつ」からの回復だけでなく、その人生からも回復し、本来のその人の生き方をつかめる可能性があるのだ。

自分の感情、取り巻く環境、人間関係は、自分の思うとおりには「できないこと」だ。「できないこと」の事実を受けとめ、なんとかすることをあきらめ、「できること」に集中して取り組むようにするのが森田療法らしい。「できること」とは、自分の中にある本来の生きる欲望を自覚し、現実の中で発揮していくことだ。

森田療法の特徴は、
不安・恐怖、あるいは私たちの苦悩は生きる欲望ゆえに起こると理解する。
それら「できないこと」にとらわれ、それを取り除こう、それから逃げようとすると不安、恐怖、苦悩はますます強くなる(悪循環モデル)。
悪循環から逃れようとすると、逆にそれに集中してしまう。悪循環に気づき、落ち込みを放っておく練習が必要だ。ポイントは「待つ」ことと「観察する」ことだ。
不安、恐怖、苦悩そのものを受容することと生きる欲望の発揮を重視する(あるがまま)。

「うつ」には「心因性うつ」と「内因性うつ」の2つのタイプがある。
「心因性うつ」には、身近な人を亡くすなどの体験から起こる「反応性うつ」と性格的、環境要因の強い「神経性うつ」がある。
「内因性うつ」は、さまざまなストレスと、ストレスに対するもろさにより発症し、しばしば慢性化する。
具体的には、これらのタイプ別に療法が行われる。また、森田療法は万能ではないので、とくに効果を発揮するケースの例示がある。



北西憲二は、1946年生まれ。東京慈恵会医科大学卒。森田療法創始者の森田正馬教授に学ぶ。慈恵医大助教授、成増厚生病院副院長を経て、現在、森田療法研究所(北西クリニック)所長、日本女子大教授。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

この本で森田療法の概要、考え方はわかったが、進歩激しい現代医学の中での位置づけがわからない。古めかしい療法なのか、漢方のようにある程度認知、利用されているものなのか、私にはわからない。


「できないこと」に対し、そうあってはならぬ、「かくあるべし」と自分で自分を縛り、戦っている自分の心の態度に気づくこと、その修正を試みることが、・・・

など随所にある記述は、精神療法としてではなく、生きるための知恵として読むこともできると思う。



最後に、紹介されている作家の南木佳士(なぎけいし)のうつからの回復例の概要を紹介。

南木氏が末期肺ガン患者たちを看取る内科医としての生活の中で芥川賞を受賞し、心身ともに疲労しきったときに、強烈なパニック発作を起こし、初期治療の遅れからうつ病になった。

「悲観への過度の傾斜。不幸な過去への執拗なこだわり。そして心身の不調。これらは私に小説を書かせる原動力になっていたものだが、このエッセイを仕上げた時期にはそれぞれの要素が身のうちに抱え込める限界に達していたようだ」

「どうしようのない自分をありのままにさらけ出し、以前の元気な姿に戻ろうとあせらなくなった頃からいくらか症状も軽くなってきた。・・・すべての不幸は、己もその一部に過ぎない有情なる自然を制御可能と思い上がることから始まるようだ」

と、この本によれば、彼は何かに書いているらしい。



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