城山三郎著「どうせ、あちらへは手ぶらで行く-『そうか、もう君はいないのか』日録」2009年1月、新潮社発行 を読んだ。
城山三郎の死後、仕事場から9冊の手帳が発見された。本書は、それらを編集部で整理したものだ。それに、次女の井上紀子さん話と、勲章を断る話が追加されている。
日録は、71歳の1998年から始まり、79歳で亡くなる前年の2006年で終わっている。内容は、公開を前提としない手帳のメモで、その日に会った人、会合、執筆の進行状況、自身と家族の健康状態、ゴルフのメンバーと自分のスコアなどだ。ゴルフはあまり上手ではないが、著名な経営者と回ることが多く、そこでいろいろな情報を得ていたようだ。
2000年の2月に愛妻の容子さんが亡くなるのだが、その前の心配な様子と、亡くなった後、いつまでも嘆き悲しみ、次女や孫に支えられながら、何かというと愛妻を思い出す様子がそのまま記述されている。
そして、やがて自身も体が弱り、その中で、「指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく」を執筆し、個人情報保護法への反対運動を主導し、そして、遺稿「そうか、もう君はいないのか」を書いていた。
最後の方は、約束の日を忘れ、キーを何度も無くし、いつも何か探していて多くの時間を割かれるようになる。
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
城山三郎の著書で思い出すのは、「官僚たちの夏」「粗にして野だが卑ではない-石田禮助の生涯」位で、最近は、次女の井上紀子さんが書いた「父でもなく、城山三郎でもなく」だけだが、経済小説のパイオニアとして、そして、晩年になっても個人情報保護法に対し熱く戦った真面目な人と私は評価している。
この本は、手帳のメモなので、一つ一つは何があるわけでもない。しかし、飛び飛びだが、8年分も眺めると、城山さんが年とって徐々にいろんなことが出来なくなっていく様子がわかる。しかし、その中で、生来の真面目さ、真摯さから、これだけはと、資料を読み、必死に書き、戦う姿には敬意を持つ。
また、家族を愛し、家族に支えられ、そして、何よりも妻を愛し、死後までも愛し続けた
城山三郎の温かさ、一途さは見事だ。