たまには真面目な話しをと、今回は、憲法9条の政府解釈の話。
友人の誘いを受けて、「憲法を学ぶ会」の講演を聞いた。浦田一郎、明治大学法科大学院教授が「政府の憲法解釈の変更と安保法制懇報告」と題し1時間半講演し、若干の質問を受けた。約20名の出席者だが、この種の会合ではほとんどが60歳以上なのだが、20代とおぼしき人が3,4人いた。
私にとって、40年ぶりの法律の話だったが、わかりやすく話されたので、集中して聞けた。
浦田一郎さんは、1972年3月、一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。山形大学教養部助教授、一橋大学大学院法学研究科教授を経て明治大学法科大学院教授。
1.政府の平和主義解釈の変化
1980年代までは、護憲派が自衛隊や安保を合憲とするのはおかしいと批判していた。現在では、改憲派が、集団的自衛権がないのはおかしいと批判している。
日本国憲法は、軍隊を持ち、戦争をすることを想定していない。なぜなら、明治憲法にあった誰が軍隊の統制権者か、戦争開始決定規定に触れていないからである。
そもそも憲法制定時には、自衛のためでも戦争しないとの解釈だった(吉田首相)。
1950年に警察予備隊、1954年に自衛隊ができると、自衛のための必要最低限度の戦力は違憲でないとの政府解釈になった。しかし、この解釈は、逆に、自衛力を超える軍事力は持てないということであり、集団的自衛権は認められないという解釈になっている。
現在の政府の解釈は、「憲法9条はすべての軍事力を否定しているようにも読めるが、個別的自衛権だけは認められている」というものである。
個別的自衛権:自分の国が攻撃されれば、反撃する権利
集団的自衛権:仲間の国が攻撃されれば、自国が攻撃されなくても戦う権利
両権利とも国際法上では認められている。つまり、反撃するかどうかはその国の判断で、反撃したとしても、国際的に非難されることはないという意味だ。
2.安保体制と集団的自衛権
安保条約5条に、日本が攻撃されたら米国は共同で反撃するとある。日本には集団的自衛権がないので逆はないが、代わりに6条に基づき、日本は米国に基地を提供していることでバランスをとっている。日本が集団的自衛権を持つと、現状のバランスが崩れるので、安保体制も見直さなくてはならない。
3.改憲の動き
国会の議事録では、政府解釈を変えない内閣法制局長官を罷免して集団的自衛権を認める憲法解釈をとらせるとか、憲法とは別に集団的自衛権を認める安全保障基本法を作るなどの議論がなされている。
安部元首相は、設置した「安保法制懇」に、(1)公海における米艦の護衛、(2)米国に向かう弾道ミサイルの迎撃、(3)国際平和活動における武器使用、(4)国際平和活動に参加する他国への後方支援について諮問した。2008年6月に福田前首相に提出された答申は、国際法(国連規則51条)を重視し、憲法でも集団的自衛権を認めていると解釈すべきというものだった。
しかし、国際法上の集団的自衛権は各国の義務ではなく、権利である。したがって、国内法の憲法で集団的自衛権を放棄し、行使しなくても国際法上の問題はないのだ。
民主党が政権交代優先で、自民党と違いを明確にするため、改憲に反対しているため、現状で自民党は、実質困難な改憲でなく政府解釈変更で集団的自衛権を獲得しようとしている。
ソマリア沖の海賊対処法案では、海賊対策は国際間の問題でなく、警察的行動と解釈している。北朝鮮ミサイル破片迎撃も北朝鮮と戦争するわけではなく、落ちてくるものを迎撃するのは警察活動としている。
4.質疑
集団的自衛権は国際法上では自然権、固有の権利と国連憲章に書いてあるのでは?
国際法としての権利ではあるが、国内法で認めるかどうかはその国の判断。つまり、反撃するかどうかはその国の判断で、反撃したとしても、国際的に非難されることはないという意味だ。
個別自衛権も自然権ではない。まず、戦争は禁止されている。これが大原則。しかし、例外としてルール違反する国があって、戦争を起こし攻めてこられたので、反撃したとしても、それは非難されることはないというのが個別自衛権。
ルール違反の国には、国連軍(未だ出来ていない)による集団安全保障が原則で、それまでの措置として個別自衛権がある。
集団的自衛権の行使を認めることは、実質的には改憲であり、解釈変更の閣議決定などで行うことは憲法上認められないと考えている。
内閣法制局は各省庁で法律に秀でている人の中から出向させて構成している。出向期間は通常より長めで約70名。
5.雑感
私は、最小限の軍備を持つのはやむをえないと考えている。そして軍備を持つことは厳密に言えば現憲法に違反するのだろう。しかし、この国のあり方について国論が一致しておらず、議論も十分でない現状で、憲法を改正するのには反対である。自衛隊の方には申し訳ないが、ありていに言えば、気持ち悪いから憲法を改正しましょうなんて硬いことを言うなということだ。大多数の日本人は私のように考えているのではないだろうか。
冷戦時代に自分で国を守れない小国が一方の大国と協定を結び、基地を提供などの見返りに、守ってもらうというのが、集団的自衛権の始まりではないだろうか。現在では、近いところに仮想敵国がいる小国がこれにあたるだろう。
日本は核こそ持っていないが、その軍事力は世界でも大きい方で、最近は不明だが、中国に匹敵すると読んだことがある。軍事情勢に疎いのに乱暴なことを言うと、そろそろ安保解消の努力を始めても良いのではないか。そもそも日本に米軍基地がある方が危険だ。
国際貢献はかって進めたことがない積極的な平和外交によるべきであり、国内向けポーズだけで、利益のない北朝鮮への強行姿勢などを改め、なにより、中国、韓国、北朝鮮、ロシアと友好関係を築くことに努力すべきだ。そして、それこそが最大の安全保障だ。