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元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

雪の大晦日 12月30・31日

2010年12月31日 | 日記
●12月31日(金)

 朝、8時前に起床したら小雪が舞い始めていた。10時前にわが家から事務所に行こうとしたら、もう家の前には積雪、初雪だ。午後2に過ぎで雪が降り続くのを見ながら発送作業を続行。多少、年明けに発送するのもありそう。ご笑覧下さい。
 午後3時、雪の積もった道を吉田神社へ。大晦日恒例の大祓式。講社員らが雪の中集まり、「大祓詞(おおはらへのことば)」を一同で述べる。澤井宮司さん曰く、雪の大祓式は初めてとのこと。

 さて、2010年は、どんな年だったか。政権交代して以降、民主党鳩山政権は、年が明けて政治とカネの問題と普天間基地問題でダッチロール、迷走して民主党への期待を裏切ったが、菅政権が誕生して支持率はV字回復して、参議院選挙に突入したものの消費税発言と政治とカネの問題のボディーブローが響いて大敗。ねじれ国会になった。 代表選挙で小沢、菅の対決になり菅さんがなんとか勝利したものの、尖閣列島での中国漁船衝突事件が勃発、日中関係が悪化したと思ったら、次に北朝鮮の韓国への砲撃事件、朝鮮半島の緊張が高まる。民主党への支持率は下落する。小沢前代表の政治とカネの問題はいまだ決着が付かず、党内対立が高まるばかり、年が明けてもこの状況が続くやろなあ。ええかげんにしてほしい!

 で、ぼくはといえば、2月予算市会で、京都市財政や食の安心安全のこと、左京区役所の移転問題のことなど代表質問。
 4月からは京都市会「くらし環境委員会」の委員長になり委員会の進行役。環境政策局の職員の不祥事問題、焼却灰溶融炉でのダイオキシンの検出事件があり、委員会で住友重機工業の役員を参考人招致したこと、地球温暖化対策条例の全面改正や空き缶持ち去り禁止条例の議論や、公明党議員団が提案した自転車安心安全条例の議員同士の審議、また市立浴場の指定管理者を巡る議論や旧隣保館コミュニティセンターが「いきいき活動センター」への転用のことなど印象に残る。
 
 市会としては、2月市会で市立看護短期大学の廃止条例が自民党と共産党の反対で否決されるという異例なことがあり、さらに5月市会に再上程されたが、自民党の半数が反対というこれまた異例の事態。結局は、自民の半数と民主、公明で可決されたが、前代未聞の光景でした。
 なお12月市会では新基本計画が議決されました。
 
 ところで、3月からは毎月一回、日吉神社を皮切りにして、上高野防災会館、吉田自治会館、田中神社、岩倉はグランドプリンス、市原野会館、岡崎は平安の森、松ヶ崎はアピカルインで市政懇談会。多くの友人がビラ撒きを手伝ってくれて、ぼく自身もよう歩いた。また懇談会では、参加者からご意見をいただき、アンケートにも答えていただいた。この1年みなさんに支えられてここまできた。ありがとう。感謝です。

 「市民パワーで京都の未来を!」と市民による市民のための市政を目指して地域主権の時代、新たな地平を切り拓きたい。
 燃える闘魂、いまいちど、4月10日、目指してがんばるぞ!

 朝から降り続いた雪は15センチほど、深々とした大晦日です。帰って久しぶりに愚息や娘と鍋を囲んで一杯飲んでテレビを見て年を越そう。2011年は、みなさんにとっても、良い年になりますように!

●12月30日(木)

 朝から何人かの友人が手伝いに来てくれて黙々と市民派議員レポートの発送作業。正月明けから挨拶がてら自分で配るのに分ける作業なども。夕方、終了。明日もう一日かけたら一段落かな。されどなんとか目途が付いたかな。

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左京府会候補2人目擁立と消防団回り 12月23日ー29日

2010年12月30日 | 日記
●12月29日(水)

 朝から市民派議員レポート新春号の発送作業を手伝いに来てくれたメンバーと一緒に住所を点検しながら黙々とする。なんとか年内に発送できそう。

 午後は、2区総支部の常任幹事会を、もちろん大臣不在だが、前原事務所にて開催。過日の選挙対策委員会の報告など。左京区の府会候補に某君を擁立することにほぼ決まり、気持ち良く新年を迎えられそう。色々と調整に苦労してきたが、現職の北岡ちはる府議と新人の某君の必勝を目指してどう戦略を立てるのかがこれからの大きな課題。
 定数削減になり公明党の現職府議が市会に回り、今の時点で定数4人に自民党は現職のひとりと共産党の現職2人と民主の2人の5人の激戦。共産党の2議席を1議席にするのだ!共産に負けてたまるか!の気概で、民主2人当選を目指してがんばろう!年明けの民主党京都府連の会議で決定される予定。

●12月28日(火)

 朝、泉ケンタ議員らと連合京都へ。この間の左京区の府会候補の擁立について説明に。色々と意見交換して1時間ほど協議。振り返れば、細田一三連合京都会長と出会ったのは1989年か、自民と共産の指定席であった参議院選挙に連合の候補として笹野貞子氏が出馬したとき、ぼくが市会議員に当選した一期目で意気盛んな時。彼は確か候補者付けで選挙事務所に詰めていたのを思い出していた。あれから20年余。お互い若かったね。

 午後は、事務所に左京区の保育園連盟の園長会の先生3人が来所。左京区選出の議員との懇談会の開催について打ち合わせ。2月初旬に開催をする方向で調整することを約束。

 夜は、この1年、ビラ撒きや市政懇談会の準備で世話になったわが後援会メンバーの望年会。ほんまにこの1年お世話になった。ありがとう。感謝、感謝です。鍋を囲みながらワイワイ。いよいよ正念場の春。いざ出陣のとき、心あわせでがんばろう!最後は一本締めで必勝を誓う。
 
 テレビニュースでは、小沢一郎氏が政治倫理委員会に出席するとか、しないとか。この数週間、海老蔵の暴行事件と民主の小沢・菅の対決の報道ばかり。ええ加減にしてほしいよ!

●12月27日(月)

 この間、毎晩寝るのが午後2時、朝の街頭演説はできず。昼久しぶりに吉田デンタルクリニックへ。ゴリゴリと歯石を取ってもらい久々の快感!

 午後、民主党京都府連の選挙対策委員会に。この1月に行われる長岡京市市長選挙と同時に急遽市会議員の補欠選挙が行われることになり、泉ケンタ事務所の高見良一君が立候補することと下京区の府会候補に平衆議院議員の秘書の松崎弘晃君が公認候補とすることを決定。そしてこの間、ぼくが2区総支部幹事長として色々と思案してきた左京区の府会候補のことが議題。前原総支部長の意向を受けてぼくが説明。概ね了承してもらい、泉選対委員長に一任することに。ここが第二の山だったが、なんとか越えられたかな。

 夜は、消防団回りの3日目。修学院第二分団から修学院分団に行く時、場所が変更になっていたので、消防署の車を先導し駆けつける。その後、上高野から国道367号を北上、八瀬から大原に、そして江文峠を越えて、静原から鞍馬、最後は市原野分団。
 この20数年、毎年消防団の歳末警戒を回っているが、今年は降雪もなく凍結の心配もなく助かった。かつて静原では車が路肩に落ちて助けてもらったり、某府会議員が側溝にはまったり、色々なエピソードがある。
 ところで、今年はどういう訳か、共産党の議員諸君が府市会議員全員が揃って回っていたのには、驚いた。地域割りをしている彼らが一緒に回るのは作戦を変えたのかな? ともあれ消防団員のみなさん、ご苦労さま。今年の火災件数は20件。昨年は15件だったから5件の増加だが、他都市に比べて圧倒的に少ない火災件数なのだ。

●12月26日(日)

 日曜日の朝はゆっくり寝たいが、毎月第4週の日曜日は、朝9時からわが事務所で今年最後の朝粥の会。
 「10年後の京都と左京はどんなまちになっているかな?」と題してぼくが京都市の基本計画について話題提供。15人ほどの参加者。京都生涯学習研究所の冨士谷あつ子さんもご参加いただいて、この秋に開催された環境と文学のシンポジウムのことや男女共同参画のことなど話題満載。彼女は鴨沂高校の大先輩だ。

 午後は、京都の冬の風物詩、全国高校駅伝。いつものように京大病院前の散髪屋さんが店の前にテレビを置いてくれるので観戦しながらランナーを待つ。広島の世羅高校がトップで走り去っていったが、優勝は鹿児島実業。

 午後4時からは法然院近くのカフェで物江和子さんを偲ぶ会。滋賀県の社会保険労務士会会長をしていたが、この秋、病に倒れた。1970年前後、立命館大学で当時、共産党の民青から暴力学生と呼ばれていたわが同世代が20人ほど集い偲ぶ会。
 中島みゆきの「シュプレヒコールの波が通り過ぎていく」という「世情」が流れ、それぞれが思い出を語った。ぼくは同志社だったが、当時に出会っている。その後、あったかサポートや社労士さんたちの会で再会した。心よりご冥福を。

 7時過ぎから消防団激励の二日目。北白川、養徳、松ヶ崎、葵、下鴨、岩倉南、明徳、岩倉北分団を回る。北白川、養徳、松ヶ崎では、消防少年クラブの小学生たちも寒い中、参加。ご苦労さん。大将で餃子を食べて帰宅したら11時を回っていた。

●12月25日(土)

 午前中、京都の教職員の「サイバーユニオンきょうと」の野崎君が来所、彼との付き合いも長い。退職して講師として今も小学校に行っているが、その再雇用のあり方について疑問点などを聞く。

 また午後は、市民派議員レポート新春号を送る準備でバタバタしていると民間会社を退職した後、四国のお遍路さんを回っている友人が来所。お遍路回りの楽しさを聞く。わが団塊世代の退職後の生き様は多彩だな。

 夜は、年末恒例の消防団回りの初日。クリスマス寒波とかで急に寒くなった。カイロを貼り付けて浄楽の仙人の運転でいざ出陣。山内左京区長、梅景消防団長、荒木署長と一緒にまずは左京南部の消防分団の養正、浄楽、錦林東山、岡崎、聖護院、川東、新洞、吉田を回る。錦林東山はこの夏、総合査閲の左京代表だったのでその余韻もあって気合が入っていた。川東とわが地元の吉田分団では女性団員ががんばっていて、吉田では自治連の役員さんや自主防災会のメンバーらも激励に。さすが吉田や。いつものように、にゅう麺を食べてようやく体が温まる。ほんま寒かった!

●12月24日(金)

 昼、同志社総合政策科学研究科で一緒だった友人とランチ。博士課程を修了し、市役所を退職して今は大学で教えているとのこと。ええなあ。ぼくもあやかりたい。

 午後は、空き缶持ち去り禁止の条例策定時に反対運動を展開していた反貧困ネットワークのメンバー舟木弁護士らと環境政策局と保健福祉局との懇談会。付帯決議についての項目である、ホームレスの自立支援の今後の取り組みや施行後の現場での対応など、厳しい指摘も。行政だけの取り組みだけではなくて、支援団体と連携を図ることが大切だとぼくは考えている。

 その後、知人が立ち上げたブライダル研究所へ。結婚相談だけではなくて、色々と範囲を広げて事業を展開されるとのこと。結婚願望があっても出会いがない人紹介しますよ。

 クリスマスイブだというのに、夕方は、議員団会議。1月7日に予定している「事業仕分け」について進行やテーマについて協議。ぼくは伊勢参りに行く予定をしていたがキャンセルして、事業仕分けのアドバイザーということになった。会場は、ロイヤルホテルです。傍聴できますよ。
 その後、某労組委員長とこの間のとある問題について懇談。経過を説明して理解を求める。

●12月23日(木)

 朝、8時に京都駅八条口のホテルへ。東京発始発の新幹線で前原大臣が颯爽と登場。諸問題を巡って、朝8時過ぎから2区総支部の常任幹事会と幹事会。色々と神経を使いながら幹事長として進行役。胃が痛い。

 色々とご意見をいただいたが、前原総支部長に一任していた懸案の左京の府会候補の擁立について、某君を左京区の府会候補になることを2区総支部として合意を得ることができた。ようやく一山を越えて、民主党府連の選挙対策委員会に上申することになった。ほっとした。前原大臣の京都滞在は1時間。新幹線でとんぼ返り。

 午後は、挨拶周りに行きたいのだが、次の山を越えるために色々と事務所にて思案しながら、雑務。

 夜は、わが応援団の大木工務店の恒例のクリスマスパーティ。出席者にご挨拶して久しぶりにオールディズのバンド演奏で踊り憂さを晴らす。帰途、これまた久しぶりに叡電元田中は、立ち呑み処「串かつ・さかな屋のあと」にてほっと一息。焼酎で一献。

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今年最後のくらし環境委員会 12月15日ー22日

2010年12月28日 | 日記
●12月22日(水)

 朝は、出町柳駅前で街頭演説。寒くはないがどんよりした空気。近くに住む、詩人の有馬敲さんが通り過ぎて全詩集を刊行したので宣伝してほしいと声をかけられる。学生時代に「ほんやら洞」で出会った人。フォークシンガーの高田渡も彼の詩を歌っていた。

 午後、左京区役所に。東村副区長と松ヶ崎の新庁舎建設の進捗状況など高野川新橋のことなど諸々のことで懇談。順調に工事は進み5月には開所する予定。
 ちょうど議員定数削減の直接請求の署名者の住民閲覧がされていたので、ついでに閲覧。受任者の名前を見ると知り合いの名前がチラホラ。左京では8千筆余集まったという。点検するのに選挙管理委員会の職員もたいへんだったみたい。ともあれ1月には臨時市会が開かれることになった。

 その後、何年前かな、開発を巡って大きな問題になった銀閣寺前の半鐘山に久しぶりに行く。宅地化されて風景が変わってしまった。当時反対運動をしていた友人宅をあいさつがてら訪問。
 また、錦林車庫近くのカフェ「東西南北」に立ち寄る。主宰者は、桜井一二さん。彼は長い間、ひきこもりの青年たちを支援する居場所作りを進めてきた人。滋賀県などで畑もしているという。久しぶりに会って農業のことや沖縄のことを聞く。

 夜は、事務所でいよいよ春に向けての選挙対策会議。事務所の開設のことやスタッフのことなど決めて、正月明けから本格的に活動を開始しよう。1月22日(土)午後2時から「みやこめっせ」で未来の京都を語ろう!新春市政懇談会を開催する。前原外務大臣に来場の予定。

●12月21日(火)

 10時から今年最後の「くらし環境委員会」。委員長席に座っていつものように進行役。
 環境政策局からは、新京都市地球温暖化対策計画骨子案の報告。11月市会で全面改正の条例を可決した。温室効果ガスの排出量を2020年度までに90年度比25パーセント、およそ117万トン削減しようという計画。グリーンエコノミーやエコライフ、エココンパクトな都市、グリーンイノベーション、スマートコミュニティ、スマートシティ、カーボンオフセット、などカタカナが多くてなんやよう分からんよ。
 ともあれ公共交通を優先して、木の文化を大切にして、環境にやさしいライフスタイルで、環境にやさしい経済活動とごみの減量に取り組もうということ。
 またこの委員会でなんども議論された焼却灰溶融炉のダイオキシン対策の工事の進捗状況について報告も。来年になって試運転がされるようになるのかな。住友重機工業は延滞金で2億円ぐらい払うことになりそうだ。

 文化市民局とは左京区に青少年活動センターをという請願審査。金もないし直ぐにできそうにないよ。今回も留保。選択的夫婦別姓制度の法制化の要請は自民党委員からは不採択という声もあったが、結局は留保。
 マラソンこと、旧隣保館のいきいき活動センターのこと指定管理者のこと、左京体育館のこと、婚活イベントのことなどの一般質問があり、終わったのは3時。これにて今年のくらし環境委員会はお終い。

 夜、雨の降る中、岩倉南小学校へ。年末恒例の消防団への市長の激励。議長、副議長、まちづくり消防委員長が選出されている行政区の消防団を激励に行くことになっているのだ。講堂には左京の各消防団の分団長や地域の自主防災会の住民が見守る中で市長が到着。岩倉南分団を激励。いつもは和服姿の市長が消防の制服を着ると、なんとなく違和感があるなあ。それほど寒くなかって助かった。

●12月20日(月)

 朝は、熊野神社前で街頭演説。30分ほど喋る、明星観光バスの運転手さんや車や自転車通勤の友人らが声をかけてくれる。近くの喫茶店で政治の四方山話をしながらモーニング。

 昼前、議員団室に。学校体操着の循環型リサイクル運動など環境問題に取り組んでいる岡部達平君のことを本にしたいと企画されている児童文学作家の今関信子さんと昼食。ぼくは20代の頃、児童文学作家の今江祥智さんら親交があったことやまた「抱きしめてビワコ」に参加したことなど話が弾む。3人で門川市長を表敬訪問。
 便所掃除のことや京都市の環境の取り組みなど早速取材されていた。

 午後、老朽化したマンションの改善について京都市の委託を受けて調査をされている建築士さんたちと懇談。マンションの修繕であれ、立替であれこれから新景観政策との絡みもあり、管理組合とのことやなど色々と問題を解決しないかんことが山積。

●12月19日(日)

 昨日の疲れでぐったり。昼、ゲストして奥野史子さんが来られるということ岡崎公園は「みやこめっせ」での京都市と商工会議所青年部主催の「婚活イベント」に。200人の定員に対して1500人の申し込みがあったらしい。奥野史子さんには、ぼくが顧問をしているクリーニング組合の研修会で1月に講演してもらうのでご挨拶。
 その後クリーニング組合の関係者と打ち合わせ。ぼくがインタビューをすることに。シンクロのこと、オリンピクのこと、朝原選手と子育てのこと、京都のこと、同志社の総合政策科学研究科でのこと、教育委員のことなど、色々と聞きたいね。

 その後、祇園歌舞練場での加藤登紀子さんの恒例の「ほろ酔いコンサート」、登紀子さん、元気。ラストではわが高校時代の友人夫婦らが舞台に上がって上機嫌。

 近くで、京都日韓親善協会の忘年会。北朝鮮からの砲撃から一ヶ月、緊張が高まっているが、韓国民団の団長さんらと親睦を図り、焼肉食べて元気を出そう!

●12月18日(土)

 朝、東山区は民主党府会候補として立候補を予定している作島牧さんの事務所開き。近くの三島神社の宮司さんが来られて清祓式。市会議員中野洋一後援会や前原後援会、また連合京都の役員さんに地元東山の支援者のみなさんで厳粛ななかで、春の勝利を祈念して、祝詞が上げられた。マキちゃん、がんばりや!

 帰途、駐車料金には驚いた!なんと15分500円で2千円。いくら清水寺近くで土日は混雑すると言ってもぼったくりやないか!けしからんよ!頭にきたね!

 11時から2区総支部常任幹事会。午後5時から予定している2区総支部の大会の議事について議論。総支部長が帰京できなくなったのでどう運営するのか、幹事長としてほんまに胃も頭も痛いよ!
 
 12時過ぎには民主党府連の選挙対策委員会、向日市の府会候補に泉ケンタ事務所の近藤君が立候補することに決定。続いて常任幹事会は、淡々と進むが、小沢問題やなんやかんやで重い雰囲気。来年春に向けて意気あがらんなあ。
 幹事総会や本来ぼくが事務局長として活動報告をする自治体議員ネットワークの総会もあったが、予定していた2区総支部の定期大会に。
 幹事長として参議院選挙などの活動報告と活動計画を提案するが、前原総支部長が帰って来れなくなったので喧々諤々。心底、疲れました!

 夜は、福祉工房P&Pの忘年会と吉田剣鉾保存会の直会の二次会で憂さを晴らす。長い長い一日でした。

●12月17日(金)

 朝、議員団室で、とある団体との懇談会があると思って行ったら手帳に書き込んでいたのが間違っていたのが判明。呆けてきたな。
 されど正午からは、解放同盟京都市協議会と議員団との懇談会。北区から民主党府会候補として出馬する平井としき君の司会で、京都市のコミュニティセンターの転用問題や戸籍謄抄本・住民票の写し等の不正取得に関わる本人通知問題などについて懇談。旧隣保館がコミュニティセンターと名前が変わり、市職員が引き上げて、貸館事業としてこの1年経過したが、来春には指定管理者が選定されて「いきいき活動センター」として再発足することになる。地域に根ざした団体として、まさに運動団体の真価が問われる時だ。

 夜は、京都工芸繊維大学にて、都市計画道路北泉通の整備に関する説明会に。左京区役所が松ヶ崎に移転することになり、高野川に新しい橋を作り、都市計画決定されていた道路を拡幅するという事業計画。地元関係者が80人ほど大教室に集まり京都市の建設局の担当者から説明を受けて激しいやり取り。丁寧な説明と合意を得る努力が必要だが、さてこれからどうなるか、時間がかかりそうだ。

 その後、この6月に上條恒彦さんと野田淳子さんのコンサートを成功させた経糸の会の忘年会。「静岡おでん」を食べながら来年のコンサートのことなど話題に。

 深夜、明日の民主党2区総支部大会に総支部長として帰京を予定していた前原大臣が、韓国の軍事演習で北朝鮮との緊張が高まり、東京を離れられないとの連絡。えらいこっちゃ!

●12月16日(木)

 朝、社団法人京都鴨沂会の副会長の速水醇一先生と京都市教育委員会に。3年前からか、京都鴨沂会として勉学に励む高校生に奨学金制度を創設したのでその公募について説明に。また府庁にも出向き、府内の府立高校生にその周知をお願いに京都府教育委員会での高校担当の課長らと懇談。毎月1万円の奨学金。作文などを書いてもらって審査することになる。高校生諸君、大いに応募してください。

 午後は、この間、ポスターのデザインなどで世話になっている岡部君と宣伝カーで岡崎公園へ。市民派議員レポートに活用すべく美術館は平安神宮の大鳥居の前で写真撮影。観光客に向かって暫し京都の観光戦略になどについて演説している所を写してくれた。

 夕方は、自治労京都市職労組の現業評議会の総会で挨拶に。技能労務職員としてごみの収集や土木事務所や公園管理事務所や動物園などの職員が現業職と呼ばれるが色々と市政改革のなかで新規採用の凍結や給与カットなどが行われてきた。組合運動としても市民への公共サービスとは何かが問われる時代。

●12月15日(水)

 昼、京都水道労組の委員長で市労連松田委員長と京都市労連傘下の学校職員労働組合と学校給食労働組合の事務所に山本恵議員と推薦依頼にご挨拶を兼ねて参上。いずれも女性の委員長。よろしくお願いしますね。ぼくも盟友の山本恵も労組出身ではないが、連合京都や組合の推薦がもらえることはうれしいね。

 夕方は、同志社校友会のクリスマスパーティ。細見副市長は大先輩。先輩の自民党の井上与一郎議員と後輩の自民党は加地君と共産党の富樫君と同じテーブルに座って和気あいあい?同志社出身の市役所のメンバーらとも懇親を深める。大谷総長、野本理事長、八田学長らにも挨拶して、この夏、学生だけで西ネパールの6千メートルを越える山に登頂成功して表彰された山岳部の大日会長らにご挨拶。ようやった!OB会の会友としてうれしいね。
 同志社校友会は、昔、色々と内部対立があったと聞くが、それも収まり穏やかなパーティ。去年は、恒例の抽選大会で商品が当たったが、今年は当たらなくてよかった!ここで運をつかむより、選挙で当たらないと!と思ったり。

 その後、遅くまでとある問題を巡って関係者とああでもないこうでもないと議論。頭が痛い。

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国会へ予算要望と行政視察 12月11日ー14日

2010年12月22日 | 日記
●12月14日(火)

 東京は雨。民主・都みらい議員団の他都市行政調査ということで九段下の千代田区役所へ。立派な区役所だ。

 その建物の中にある千代田区立図書館を視察。この図書館の特徴は、3年前にリニューアルオープンして以来、民間企業による指定管理者によって運営されているところだ。夜の10時までの開館ということには驚く。託児サービスや神田の古書店や大学などとの連携も活発に行われていて評判はいいらしい。サラリーマンの利用も多い。京都の場合は、もちろん教育委員会の直営で窓口は多くの嘱託の職員で維持されているが、市民サービスの向上と指定管理者制度の是非が問われることになる。

 終了後、次の視察地、世田谷区は三軒茶屋駅近くの「世田谷ものづくり学校」へ。廃校になった池尻中学校の建物そのものを活用した再生プロジュクトで2004年から「株式会社ものづくり学校IDD」が管理運営している。
 デザインや映像、またパン工房などの、ものづくりなどの多様な40の事業者が各教室をオフィスにして、区民のためのワークショップや、音楽ライブなど多様なイベント、ビジネスサポートのセミナーなど展開。カフェもあり、「自由学校」もあって、なにやらなつかしい自由な雰囲気がいいな。京都では、学校跡地を活用した「京都まなびの街生き方探究館・スチューデントシティ・ファイナンスパーク」がユニークだが、地域に根ざした建物の再活用のひとつの例として実に面白い。スタッフの説明に好感が持てた。

 午後は、南青山にある京都の着物のアンテナショップとして、この2月にオープンした「白イ烏」(白いカラス)に。オープニングの時に、当時のファーストレディ、鳩山首相夫人、幸さんがゲストに来て、それを自民党の議員団が予算委員会でイチャモンを付けたのが記憶に残る。それにしても分かりにくい建物や。ちゃんと儲かっているのやろか?東京在住の友人のみなさん、ともかく見に行ってちょうだい!
 夕方、帰京。議員レポート新春号の打ち合わせ。なんとか年内に発送したい。

●12月13日(月)

 わが議員団の同僚らは早朝に出発したが、ぼくは午前10時過ぎの新幹線で東京へ。昼過ぎに東京着。

 地下鉄の永田町駅近くにある政策シンクタンク「構想日本」の事務所に。来春1月に議員団で予定している「事業仕分け」についての勉強会。
 下が中華料理屋の小さな雑居ビル。スタッフの人から地方自治体における事業仕分けについて説明。その意義や手法について研修を受ける。代表の加藤秀樹さんも挨拶に。

 国会に向かう途中、民主党本部前は、テレビ各社の中継車も並び騒然とした光景。小沢元代表の政治とカネの問題を巡り、政治倫理審査会出席を巡って役員会が開かれていたらしい。後でニュースでは、岡田幹事長に一任と決まったらしい。

 国会は衆議院に。身体チェックを受けて国会内に。
 わが京都選出の山井会長、松井孝治参議院議員、泉ケンタ議員と各国会議員秘書らと民主・都みらい議員団の懇談会。
 民主党、政府への要望として、地下鉄事業に対する財政措置への国の支援や政府予算に関連する京都市予算要望のことを「陳情」。また11月市会で賛成可決した「子ども手当ての地方負担反対の意見書」のことなど説明し、混迷する政局の行方や国会審議の模様や今後の予算編成の見通しなど、生々しい状況も聞き、また市会議員選挙への取り組みについて議論も。重苦しい雰囲気。いやになるね。
 同僚らと夕食後、鴨沂高校の関東在住の友人らと会いたかったが結局会えず。

●12月12日(日)

 朝、第四錦林小学校に。わが地元吉田学区の自主防災会ら主催のふれあいの集い。餅つきと、防災の訓練を兼ねて豚汁などが振舞われる。グランドでは小さな消防車に子どもたちが乗って喜んでいた。ぼくは焚き火を囲みながら地元の人たちと談笑。毎年恒例、吉田の歳末の風景。

 昼は、連合京都前副会長、三菱自工労組の市瀬義信さんのご母堂の告別式。連合京都の組合役員ら多くの参列者。心よりご冥福を。

 午後は、天気もまあまあなので新しくなった看板を取り付けた宣伝カーで百万遍や熊野神社で街頭演説。
 夕方からは事務所に篭って深夜まで市民派議員レポート新春号の原稿書き。9月と11月市会の報告やこの間開催してきた市政懇談会でのアンケート結果に対してスタッフが書いてくれた原稿が中心。新春に届くようにしますので、読んでや!
 
 夜のニュースは、茨城県議会選挙の結果が出て、民主党の議席は現有の6議席。逆風そのものや。ぼくの知人も出ていたが落選。また選挙事務所に車が突っ込んで死者が出たという。なんやこれは!

●12月11日(土)

 どんよりした天気。午前中から事務所にて山科区2人目の市会議員新人候補松下しんぞう君のフォローアップ。選挙準備に向けての取り組みについてインタビュー。活動状況や悩みごとを聞き、これから運動について助言。

 午後は、ウイングス京都での「ウイングスフォーラム」に、くらし環境委員長ということで正副議長、副委員長らと登壇。この10月に開催された「日本女性会議」の映像が流され、「京都男女共同参画推進宣言登録事業者制度」で高島屋と大和学園、中央市場の河市水産の受賞式も。
 そして、「幸せ笑顔夢をつくるオヤジの味」と題した伊藤公雄氏とパパ料理研究家の滝村雅晴さんの軽妙な対談。伊藤氏とは学生時代から知っているので挨拶に。

 その後、新人候補の島内君、作島牧さんのフォローアップ。民主党への支持率が下落しているので、悪戦苦闘や。地道な努力で歩くしかない。国会や民主党内のごたごたはもうええ加減にしてほしい!

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11月市会終わる!「警告」を可決!12月9・10日

2010年12月12日 | 日記
●12月10日(金)

 11月市会定例会もいよいよ会期末の本会議。
 10時から始まるということで委員長報告の文面など読んで準備をしていたら、開会が遅れるとのこと、なんでや、と不思議に思っていたら、本会議の冒頭に補正予算の審議結果を報告する普通予算特別委員長の自民党の某議員が来なくて、連絡が取れないというハプニング。これまた前代未聞のこと(バイクが故障して携帯も忘れたらしい)。しっかりせえよ!

 10時15分に開会。副委員長がピンチヒッターで登壇して委員長報告をして事なきを得た。以下、各委員会の委員長報告があり、各議案についての表決がされていく。「はばたけ未来へ!京(みやこ)プランー京都市基本計画」の策定については各会派の議員が討論に立つ。共産党は反対。

 そして、くらし環境委員長としてぼくが登壇。市立浴場の指定管理者の選定については「警告」の文面も読み上げる。自民党の議員が討論に立つ。また体育館や文化施設、児童館などの指定管理者の選定についての議案では、選定された団体の役員などをしている議員は「除斥」ということで本会議場から退場して淡々と表決していく。

 正午前に休憩に入って、昼から共産党議員団が提案して市会運営委員会で審議された議員報酬の3割削減については、各会派が討論に立ち丁々発止。賛成少数で否決。今後、市会改革推進委員会で議会費の経費削減や定数是正も議論されることになりそう。
 その後、人事委員会委員や教育委員会委員の選任など淡々と表決された後、意見書の表決。自民、共産党の議員が討論に立った。

 全会派共同提案で可決された意見書は、「ヒトT細胞白血病ウイルス1型総合対策」「脳脊髄液減少症の診断・治療の確立」の2本。

 わが民主が提案して自民、公明も共同提案になった「地方財政の充実・強化」は、共産が反対したが可決。
 自民、共産、公明が共同提案して民主が賛成して可決されたのが、「子ども手当て財源の地方負担に反対」と「地方交付税の特別加算を廃止せず拡充」の2本。政権与党のわが議員団だが地方自治体の切実な声を聞けよ!という表明だ。
 「切れ目のない中小企業支援及び金融支援策」は共産がどういうわけか反対。
 わが民主が反対した「子ども・子育て新システムに反対」は、自民、共産、公明で可決。「北方領土問題に対して毅然とした外交姿勢」は、わが前原外務大臣が頑張っているから賛成できないよね。共産は、独自の北方領土論を展開して反対、自民、公明で可決。「政府に対して万全の危機管理体制の構築」の意見書と仙石由人官房長官の発言に抗議する決議は、自民、公明で可決。これらの自民、公明の可決は賛成反対同数で議長裁定。
 そして「北朝鮮の韓国・大延坪島砲撃に断固抗議する決議」は全会派賛成して可決された。立ったり座ったり、ややこしいこっちゃ!

 議長から閉会宣告がされたのは、午後2時30分頃だった。いやはやハプニングもあり、13人が討論に立った活発な長時間に亘る本会議でした。
 
 夕方は、明日の京都市立美術館でのオープニングを控えて「日展」京都展の出品者祝賀懇親会。正副議長が他の公務で来れないということで、文化市民局を所管するくらし環境委員長ということで来賓として出席。市長の挨拶や内閣総理大臣賞受賞者など表彰の後、ぼくが乾杯の発声。4年前、副議長のとき挨拶したことを思い出した。わが愚息の恩師、鴨沂高校の増川先生も「書」の部門で今年も入選されていた。おめでとうございます。 

 途中で退席して山科のホテルでの藤川剛議員の後援会の望年会に。細田会長ら連合京都の役員さんや地元の後援会、また自治労市職のメンバーらカラオケ大会もあり盛り上がっていた。久しぶりに同じ剛ということで長淵剛の「乾杯」を久しぶりに歌う。ラストは、奥さんや子どもたち藤川一家のエレクトーンの演奏もあり微笑ましい。しっかりがんばらなあかんで!藤川君よ!

●12月9日(木)

 10時から議員会。今日は付託された議案についての討論結了の日。さて何時になるかな?

 まずは意見書の調整の進み具合の報告があって、各会派賛成して共同提案になる意見書や取り下げられる意見書、また民主党として賛成できないものなど整理されていく。基本計画や共産党議員団提案の議員報酬の削減に対しても討論に立つ議員を決めて文面の点検や付帯決議に対する考え方など調整の作業も。

 そして市立浴場の指定管理者の選定についてどうするかが課題として最後に残る。自民、公明などとの協議もあり、付帯決議より、より議会の意志として重みのある「警告」をつける方向で 決着が付いたのは4時過ぎか。この「警告」が採択されるのは、1994年の地下鉄東西線工事費の高騰問題の時に付けられて以来だ!そして討論結了の各委員会が始まったのは午後5時。ぼくは「くらし環境委員会」の委員長として議案についての各会派の態度を聞き表決を取っていく。そして「警告」の文面について調整をするのもぼくの役目。共産党はこの選定についての議案には反対したが、文面についは議論があり一箇所を訂正することで共産党も賛成するということで、全会派賛成して「警告」が可決されることになった。

 この「警告」の趣旨は、財団が運営する市立浴場の人件費の削減や地域福祉の向上に努め、地域に愛される浴場として運営されるように厳しく指導をし、市立浴場の廃止や統合に向けて努力するとともに、文化市民局の幹部らが財団の理事になっていることをもあり、兼職規定を見直し、選定方法の改善や公平公正を疑わせることのないように措置をすること」と記された文面。同和行政終結後の施策のあり方について色々と改革、改善されてきたが、今後の市立浴場の運営を見守りたい。午後6時過ぎには、議員会もようやく解散。

 夜は、事務所にてこの間の市会報告の市民派議員レポート新春号を発行すべく原稿を書き始める。

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11月市会定例会、会期末を迎えて 12月7・8日

2010年12月09日 | 日記
●12月8日(水)

 朝の街頭演説はわが地元の東一条、京大正門前でマイクを持つ。第四錦林小学校に通う生徒たちを地域の人や学校の先生が交差点で見守っている。4年前か、前原議員ら民主党の国会議員らがこの見守り隊を視察に来たこともあった。区役所移転問題と跡地の問題について演説。

 事務所に戻って一服して市役所に行こうとしていたら消防のサイレン、近くかなと事務所を出たら、なんと近衛広場のところに消防車が止まっているではないか!えらいこっちゃ!と走ると、わが家から80メートルほどの所の家。消防隊が入って行ったが、煙も炎も出てなかったのでなんとなくほっとした。顔見知りのひとり住まいのおっちゃんが出てきて怪我もない様子。布団がこげた程度。消防団の友人らも駆けつけてきたが、事なきを得た。つい先月も近くで小火騒ぎがあった。気をつけないと。民生委員さんらと話しをして現場が落ち着いてから市役所に。

 議員会には遅参。意見書のことについて協議が進んでいた。自民4本、共産5本、公明3本、民主1本の合計13本の意見書と自民から「仙石由人官房長官の発言に抗議する決議」と「北朝鮮の韓国・大延坪島砲撃に断固抗議する決議」の2本が出てきてた。対応について協議。調整役の藤川議員から随時報告を受けるが、政権与党になると、思案することがあるね。
 また基本計画についての審議状況なども報告があり、各議案についての態度を決めて行く。途中、相談ごとで来客もあり右往左往。市立浴場の指定管理者選定については、その経過などを聞くために文化市民局を呼び込んでの質疑も。

 夕方6時には、12月は人権月間ということで左京区役所主催の「心のふれあい、みんなの広場」―認知症の妻を支えてー今までとこれから」と題して俳優の長門裕之さんの講演会。カミさんが壇上に恥ずかしげに座っていた。長門さんは、南田洋子さんとの介護体験の心温まる夫婦愛のお話し。認知症の洋子さんとの会話や仕草を、さすが俳優、真似しながら泣き笑い。老いをどう過ごすのか、身につまされた。いい企画でした。  

●12月7日(火)
 
 朝から2区総支部の常任幹事会。前原総支部長は渡米中であり幹事長のぼくがまとめ役。大会のことや諸般の課題について朝食を食べながら議論。ぼくは、いつもは朝食抜きなので腹いっぱいになったよ。

 市会定例会もいよいよ最終コーナー。10時から会期末を控えて議員会。

 途中、11時から市会会議室で来春市会議員選挙に出る候補者の写真撮影。新人候補も含めて各新聞社のカメラマンの前に座りハイチーズ。本番間近や。男前に写ってたらええなあ。

 議員会では、今後の日程などの報告。まずは意見書の提出を検討。地方財政の充実・強化を求める意見書を提出することに。1月に議員団で計画している「事業仕分け」のことで項目の洗い出し。また各委員会に付託されていた議案の審議状況や問題点について、各委員から報告。太陽光発電への助成の充実など補正予算は、特に問題なし。文化施設や児童館、また市立浴場などの指定管理者については、議論も。また景観政策を一層進化させるための条例の改正や学校耐震化事業などについては、問題なしか。議論になりそうなのは、市立浴場の指定管理者の選定かな。

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松井孝治議員をゲストに市政懇談会 12月3日ー6日

2010年12月08日 | 日記
●12月6日(月)

 朝の街頭は「市民パワーで未来の京都!」の看板を取り付けたポンコツ車のデビュー戦。熊野神社前で第一声。民主党政権への逆風は収まりそうにないが、自力で春に向けてがんばろう!

 午前中は今後の日程など事務所で打ち合わせ。昼前議員団室に。正午に付託された議案の審議状況について報告する各委員会の委員長会議。くらし環境委員会では付託された議案を審議終了しましたとぼくは発言。10日の討論結了の委員会の開催時間を決定するが、その時間通りにはいかんやろう。

 午後は、ぼくは委員会のメンバーではない新基本計画を審議する特別委員会が開催されていたので、ちょっと委員会の様子を傍聴して、議員団室でモニターテレビを見ながら審議の様子を聞きながら雑務。

 市民から道路明示のことで相談を受けていたので担当者とも協議。また夕方、事務所への来客は、メンタルヘルスのことで相談ごと一件。色々な相談ごとがあるよ。
 また民主党2区総支部のことで前原事務所の斉藤所長とも相談ごと。そして昨日の市政懇談会にご参加いただいた人に礼状の発送をするために一言書き添える作業。

●12月5日(日)

 朝8時に家の近くの近衛広場に。街路樹の里親制度といういうことで、毎年正月を控えて、町内の寿会の人などが集まって落ち葉を集めて雑草を引いて1時間ほどの清掃作業で汗を流す。これぞわが地元の地域力。

 それから大原へ。大原地域住民待望の左京消防署大原消防出張所の竣工式。景観にマッチした切妻という正に和風の屋根。雨水の貯水施設、LEDの照明、太陽光発電もあり、消防車だけではなく救急車も配備。市長も挨拶に。左京選出の府市会議員が参加。工事を請け負った株式会社福井の福井武司さんは、吉田の自主防災会長でわが剣鉾の師匠。お疲れさんでした。

 午後2時からアピカルイン京都で秋の第4弾になる鈴木マサホ市政懇談会。北岡ちはる府会議員とメインゲストは前内閣府副官房長官の松井孝治参議院議員。「地域主権と新しい公共」と題して講演。鳩山政権の時にテレビでも取り上げられた障がい者が働くチョーク工場の話をエピソードに、「新しい公共」とは、「世のため、人のために地域の人が考え支えること」と久しぶりの松井節を聞く。

 ぼくはそのとき、最初に選挙に出た時、鶴見俊輔先生から薦められた作家の金達寿氏が書いた確か「公僕」というタイトルだったか記憶が定かではないが、道路を直す人のことを書いた短編小説のことを思い出していた。「公僕」とは、辞書に、公衆に奉仕する者とあり、一般的には公務員のことだが、議員もそうだと思うと話した。前原後援会の主だった役員さんたちを含めておよそ80人の参加者が熱心にぼくの話も最後まで聴いていただき、その後意見交換。地デジ対策、ハローワーク、文化のこと、左京区新庁舎のことなどご意見を聞く。この3月以来、毎月一回の市政懇談会も今年は最後でした。参加していただいたみなさんに感謝。

 夕方は、歳末警戒を始める消防団の激励に左京の区長や消防署長と消防団長らと、国道367号を滋賀県は、途中峠、花折峠を越えて北上、梅ノ木から左京区の最北部は久多へ入る。今年は暖かい!5度くらいかな。
 久多は60所帯人口120人ほど。消防団員さん17人が結集。無火災記録が6278日とのこと。なんと17年火事がない地域。住宅用火災警報器もほぼ全戸が取り付けているとのこと。女性団員さんが作ってくれた栃餅のぜんざいをお変わりする。美味かった!
 そして能見峠の急峻な細い道を車を連ねて越えたので、鹿を見ることはなかった。広河原分団を激励して、次に花背は「ふるさと森都市交流センター」の「森愛館」のドームの中で花背消防分団を激励。議員で同行したのは自民党の石田府会議員とぼくの二人だけ。花背峠では満天の冬空にオリオン座や北斗七星が輝いていた。我ながら今日は朝からよく動きました。

●12月4日(土)

 午前中、爆睡。たまにこういこうこともある。鬼のかく乱。寝たら元気になる。
 午後は、事務所で雑務。この間の資料に目を通し整理、また新年会や組合の旗開きの案内が早くも郵送されてくるので、新しい手帳に書き込む。来年のことを言ったら鬼が笑うといわれるが、正念場だ。なんやかんやで夕方まで事務所でウロウロでした。カミサンや友人が松ヶ崎地域などの人に電話で市政懇談会のご案内。ありがたいことです。ほんまにおおきに。

 夕方は、前原誠司後援会のひとつ、「誠会」の忘年会。50人ほどの集まり。前原大臣は北海道を訪問、上空から北方領土を視察の日。新聞記事によれば「前原氏は4日朝、航空機で新千歳空港に到着。海保の航空機に乗り換えて上空から水晶島、国後島を視察した。機中で前原氏は、北方領土問題は、ぜひとも解決したい。政治関係がしっかりしないと領土交渉ができないので、政治を安定させて粘り強くロシアと交渉したい。領土問題が解決すれば日ロ関係も強固になる、と語った。前原氏は上空からの視察後、中標津空港に到着。その後、根室市に向い、納沙布岬からも北方領土を視察するほか、同市内で元島民や領土返還運動関係者らとの対話に臨む」と書いてあるが、この夜の移動の時間か、忘年会の会場から電話がつながり、北海道の原野を走る車から参加者にご挨拶。いやはやリアルタイムや。携帯電話は凄いね。

●12月3日(金)

 わがポンコツの軽貨物車の上に「市民パワーで京都の未来を!」「鈴木マサホ号」と書いたブルーとオレンジの看板が出来上がった。1995年春、3回目の選挙のときに買った三菱ミニキャブは、オートマではないし冷房がないので夏は蒸し風呂になるが、今もよく走ってくれる。マイクだけは以前から付けていたが、看板を載せるのは何年ぶりだろうか?初心に戻って、春に向けて、朝や夕方の街頭演説をやるで!早速、川端署に道路使用許可を申請に行く。来週から本格的に始めよう。

 午前中は、とあることで書道家らが来客。四方山話。
 午後、朝からの雨が上がったので、修学院地域のビラ撒きに友人と出発。途中で小雨、狐の嫁入りか、2時間ほど撒き、またご挨拶も。

 帰路、紅葉の終わりがけの関西セミナーハウスでお茶をして満殊院や詩仙堂あたりをウロウロ。秋も終わりだね。

 夜は、民主党府連の各総支部の幹事長が集って、新人候補に対するフォローアップをどうするか、など協議。ポスターを破って逮捕、公認取り消しの御仁もいたので、悩みや活動の様子を聞いたりすることになる。
 帰途、バスの車中で友人に出会い、聖護院の行きつけの「炎の火」に久しぶりに行ってマッコリを飲んだら酔いがまわった。

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もう師走です。11月28日ー12月2日

2010年12月05日 | 日記
●12月2日(木)

 「くらし環境委員会」が開催。いつものように委員長席に座って進行役。まずは委員会に付託されていた京都市過疎地域自立促進計画に対して審議。京北町が京都市に編入合併されて5年。国の財政支援がもう5年延長されるということでいくつかの事業が取り組まれる。右京区選出の青木議員ががんばって質疑をしたよ。

 そして地域体育館などスポーツ施設や地域文化会館、そして市立浴場など指定管理者の指定についての審議。選定については公募されて、学識経験者など第三者委員会によってプレゼンなどがされて点数が付けられて決まるのだが、民間企業の参入があるものの京都市の外郭団体が選定されるケースが多い。市民サービスの向上と効率化が指定管理者の目指す所だが、課題は多い。特に市立浴場についての議論が多かった。

 理事者報告は、京都男女共同参画推進プランと消費者基本計画に策定についてパブリックコメントを受けて修正されたところなどの説明。請願は、左京区での青少年活動センターの設置と選択的夫婦別姓制度法制化の要請。いずれも留保。一般質問は簡単に終わった。

 これらの審議が4時半ごろまで行われ、環境政策局との審議が始まったのは5時前。付託された議案はなく、特定事業者の温室効果ガス排出量及び京都市役所からの温室効果ガスの排出量について報告。某議員ががんばって質疑をしたが、一般質問はなくて5時半に終わった。ぼくだったらこう質問するのになあ、と思うが、なにせ進行役なのでイライラすることも。しゃあないな。

 夜は、とある問題を巡って久しぶりに友人と懇談。大見の2頭の子牛は牛は元気に育っているらしい。

●12月1日(水)

 今日から12月、暖かくて師走の感じがしない。

 朝から京都市水道労組の松田國広委員長に同行してもらってわが盟友の山本恵議員と連合京都傘下の組合に推薦依頼や挨拶回り。松田委員長とはもう20年以上の付き合いかな。ぼくより若いが、昔の市民運動や社会党時代のぼくのことを知っている数少ない労組活動家。
 南区の久世まで行って、また街中に戻って来ていくつかの組合を回るが、民主党はどうなるのやろう、と苦言もいただく。政権交代がなって一年余。悪戦苦闘の新政権だ。ほんまに来年春の選挙は逆風やろうなあ。

 夕方、事務所では市民相談ごと一件。道路明示に対する市の対応への苦情をお聞きする。

 ニュースでは、今年の流行語大賞には、「ゲゲゲの~」に決まったという。NHKの朝ドラは見ていたし、かつては水木マンガもよく読んでいたが、ちょっとインパクトはないな。「女子会」や「ととのいました」などぼくには訳の分からん言葉が流行したらしい。政界では「脱小沢」だろう!

●11月30日(火)

 午前中、左京土木事務所に。この間、区民から要望を受けていた街灯の設置や道路の拡幅、事故対策、また私道舗装の助成のことなど所長と懇談。財政難で進展が見込めないものなどもあるが、前向きに色々と検討をお願いする。

 夜は、わが応援団のみなさんに集まってもらって、この春からの取り組みを振り返り、また本番に向けてこれからの活動をどうするか協議。

 この春以来、市政懇談会を、3月の日吉神社、4月は上高野、6月は吉田自治会館、7月は田中神社、8月に都ホテル、9月に宝ヶ池プリンスホテル、そして10月には平安の森、11月には市原野とほぼ毎月開催して、多くのご意見をいただいた。そしてビラ撒きも精力的にこなしてきたが、これからが正念場だぞ。

 市会議員の定数削減問題も浮上するなかで、ほぼ候補者の名前が出揃ってきた。民主3、自民3、公明1、共産3、社民1、みんなの党1、京都党1、そしてもう一人出そうで合計14人か。現在の定数は9人。大激戦だ。がんばるぞ!

●11月29日(月)

 朝、百万遍で街頭演説。ちょっと寒くなってきたが、車から手を振ってくれる人も多くなってきて元気をもらう。

 市会は基本計画を審議する委員会が始まったがぼくは委員会に所属していないので時間がある。

 先の9月の市会で大いなる議論のあった空き缶持ち去り禁止の条例について反対運動を展開していた反貧困ネットワークのメンバーと久しぶりの懇談。条例施行が来年4月になるので、条例可決の際にホームレスへの福祉施策の充実など付帯決議を可決したが、付帯決議の各項目の実現に向けてどうするのか、当局との懇談をしたいとの申し入れを受ける。

 午後は、12月5日の市政懇談会に向けての案内ビラの戸別配布で友人らと松ヶ崎を歩く。知人宅ではご挨拶も。健康のためにも歩くことが大切だ。左京総合庁舎もほぼ立ち上がってきて外観が姿を現してきた。来年5月には開所の予定。ぼくはこの間、交通アクセスの改善を求めてきて、先のくらし環境委員会で市バスの停留所の設置など、大筋の案が示されたので、南部の区民にも行きやすくなるかな。しっかり頼むよ。夜は事務所にて雑務。

●11月28日(日)

 朝は事務所にて朝粥の会。「法然院森のセンター」でフイールドソサエティ代表の久山喜久雄さんが「変わりゆく里山の森」と題して話題提供。里山と人々の暮らしの歴史やナラ枯れの話まで多岐にわたるお話。人はいかに自然と共生できるのか。

 朝粥も食べずに吉田山に。地元は吉田山を美しくする会の清掃事業と共に、春にはまたロータリークラブが桜を植樹するということで間伐の作業。ほぼ終わっていたが、友人らと鋸で木を倒す。いつか吉田山を桜の名所にするのだ。

 11時過ぎには、宝ヶ池公園での自治労市職の駅伝大会。橋元委員長ら組合員と当局の理事者に声をかける。模擬店のお好み焼きなどの店も出ている。各支部対抗の駅伝。わが民主の若手の藤川、山本ひろふみ、府会議員の田中ケンジ、そして北区から立候補する片桐君がチームを組んで出場。大丈夫かいな、と心配しながら応援。最終ランナーの藤川議員、40チームほどのなかで後ろから3番目でぐらいでなんとかゴール。ようがんばった!

 午後は、民主党府連の選挙対策会議と常任委員会。山井会長から冒頭、26日のパーティに国会が問責決議を巡ってのことで禁足令で帰って来られなかったお詫びと国会報告。舞鶴の市会議員選挙で民主党公認二人が落選し、千葉県の松戸市の選挙でも民主党大敗したこともあり、元気ないよ。ほんまに統一地方選、どう戦うのか、真剣に考え行動しないとたいへんやぞ!と意見を述べる。

 夜は、京大正門前のイタリア料理店「チェルキオ」にて、中尾写真館の中尾勇さんの呼びかけによるサロン。今日のゲストは京大総合博物館の髭の大野照文館長。吉田の祭りの神輿を担いでもらった縁。2月の節分の頃、宇宙から帰還した「はやぶさ」が博物館に来るらしいよ!見に行きましょう。ワインを飲んでご機嫌。

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民主党府連のパーティ 11月25日ー26日

2010年12月02日 | 日記
●11月27日(土)

 朝10時過ぎから12月5日のアピカルインでの市政懇談会の案内ビラのポスティング・各戸配布を会場近くの松ヶ崎、修学院、山端地区を重点的に撒いてもらうようにわが友人たちにお願いする。

 午後は京都アスニーでの京都学講座に。「剣鉾」の話を京都市文化財保護課普及調査係長の村上忠喜さんが講演。吉田や粟田、八大神社などわが剣鉾仲間をはじめほぼ会場は満員の聴衆。文化庁の予算もついたこともあり、張り切ってもらっている。剣鉾の歴史、云われ、京都の剣鉾の現状など、古書の図や写真を見て、また30年ほど前の一乗寺の八大神社や嵯峨の剣鉾の巡幸のビデオを見る。若かりし頃の友人が出ていた。これからの調査が楽しみや。

 4時過ぎには紅葉真っ盛りの八瀬の野外保育センターへ。毎年秋の恒例の「落ち葉まつり」。府立植物園の松谷名誉園長が四季折々の写真を見せながら植物園の花の解説。この数年連合京都のメーデーで行くことがあるが、この間の植物園の取り組みは目覚しいものがあるのだ。いちどゆっくり園内を散策したくなった。ところで、昨年は保育園のプール制のことや資金の流用のことでスッタモンダした年であったが、今年は保育園連盟も落ち着いた様子。土と緑の賞の式典も。

 夜は、思文閣美術館で野村尚志監督作品の「声・対話 人間 金里博」の映画会。わが友人のハングル詩人、金里博さんは、この夏、朝鮮高校の生徒への授業料無償化を訴えて、ひとりで京都市内を「無声デモ」。黙々と歩く様子をバックに、彼の生い立ちやまた西陣織や友禅染職人さんなど在日のオモニやアボジへのインタビュー、また韓国に里帰りしたときの映像など織り交ぜたドキュメント。彼のハングル詩の朗読で締めくくられたが、この夏の大文字の送り火がエンディングだった。野村監督に声をかけたら鴨沂高校の後輩で、ぼくの最初の選挙も知っていたという。次回の作品にも期待したい。里博さん、カッコよかったよ!

●11月26日(金)

 10時から普通予算特別委員会が開かれる。ぼくは第二分科会。選挙管理委員会は府市会議員選挙に係わる補正予算、行財政局からは22億円の補正予算についての説明。 環境政策局は、多くの委員が、家庭ごみ有料指定袋の製造入札減で余った金を活用した太陽光発電システム設置助成について質疑をした。約450件分の1億1千万円を補正。金持ちしか設置できないのにいかがなものか、という意見もあった。ぼくは東部山間埋立地の気象観測装置の整備についての予算などについて簡単に質疑した。
 文化市民局は、アライグマの捕獲のことで盛り上がり、地域活性化交付金を活用して動物園のこどもの国の改修にあてる予算など。産業観光局は、外国人観光客販売促進事業、特に中国人観光客向けの接客研修の実施や観光案内標識の整備など。予想していたより遅くなった。

 夕方は、民主党京都府連の躍進の集い。資金集めのパーティ。会費は1万円。このご時世にも(経済不況で民主党の支持率が落ち込んでいる中で)関わらず会場は満員。主催者発表1800人。各市町村の首長や各種団体の人、そして各議員後援会の人らが多数集まる。ただし、問責決議を巡って国会は緊迫していたので、禁足令がかかって誰も国会議員が帰って来れず。来賓の知事、市長らの挨拶の後、稲盛京セラ会長がご挨拶。2大政党の意義を述べ、困難な時こそ、みんなで支えあうことが大切だと指摘。ええスピーチでした。ほんまに菅政権、しっかりしてくれよ!
 乾杯の後、京都府内の府市町村議員と春の統一選挙に立候補予定の全員が2会場を交互に演壇で立ち紹介される。京都市会候補、われわれ現職14人と新人8人の計22人が壇上に並んで立つと壮観だが、新人と現職の間に微妙な空気が流れた感じ。逆風の中、全員当選目指してがんばろう!ほんまに気合を入れんとやばいよ!終了後、とある会社の親睦会に走る。色々と応援をお願いする。         

●11月25日(木)
 
 11月市会の代表質問の本会議。自民、共産、民主、公明の順で代表質疑。もたつく民主政権を冷やかした発言もあったが、各議員の質問に対して大きな野次が飛ぶこともなく、平穏に終わった本会議であった。わが民主からは、安井、山本恵の二人の議員が質問。動物園の整備、人権問題、差別落書きの対処、環境政策、新景観政策、地元伏見区の西南部の整備、山本恵議員は、基本計画、ユニバーサルデザイン、ドメスティックバイオレンス、地下鉄経営健全化、浸水対策など。いささか面白かったのは、某議員がいささか神がかり的になってきたことかな。

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