●1月25日(月)
昼前、哲学の道は若王寺神社に。春と秋の行楽シースンは多くの観光客が訪れる哲学の道だが、観光トイレの設置が懸案の問題。計画があるのだが、地元の人たちとの意見調整がまだまだ必要な段階。ご意見を伺う。
午後は、わが民主・都みらい議員団と旅館組合の人たちとの懇談会。予算要望で宿泊税の創設の検討を京都市に要望したこともあり、また入湯税を課すことを京都市が表明していることもあり、理事長さんらが来られて京都の旅館やホテルの現状など説明をされ、観光行政のことなど意見交換。わが下大路町にある吉田山荘の中村英一さんも役員で来られていた。
夕方は、住みよい京都をつくる婦人の会の新年会。会長の内藤しげさんは、なんと今年88歳。今だカクシャクとして、ノー原稿で「人生を振り返りながら「失敗したこともあったが、常に前向きに挑戦する!」と迫力のあるご挨拶。ほんまに頭が下る。市長や各区長等が来賓。
乾杯の後、自治労清掃支部の旗びらきに駆けつけたらちょうどタイミングよく議員団の紹介のとき。ラッキー。自治労清掃支部が結成されてちょうど20年か。わが盟友の髭の加藤氏が初代書記長で立ち上げに苦労していたことを思い出して挨拶。
そして、わがカミさんが二部の司会ということもあり、住み京の会に引き返してロシア民謡を左京と中京のメンバーと披露。いやはや行ったり来たりでもうたいへん。
●1月24日(日)
第7回朝粥の会、わが地元の中大路町の稲田和彦さんが「古今の吉田を語ると」と題して吉田神社の云われ、吉田兼倶の神道のこと、豊臣秀吉が死後、遺体が山麓にあったという説、神楽岡のこと、また細川三斉が茶会を開いたことなど紹介しながらのお話。そして吉田山周辺の古地図や昭和30年代あの写真を見せていただく。昔はまつたけも採れたらしい。古地図には大元宮への階段が当時表参道であったこともわかる。屋敷が並んでいるなつかしい写真もあった。朝粥を食べながら、近くの百歳の中村さんも来ていただいた。
10時過ぎには、大原へ。里の駅で地元の藤井さんとアミタの熊野さんらと待ち合わせて、小出石から百井へ。いつもの冬だったら積雪でノーマルタイヤでは登れないのに今年は雪がない。百井からは所々影には雪が路面にあったが、京都北山は大見までなんとか無事にたどり着いた。大見は残雪が残る早春の風景。熊野さんの友人等と大見の未来の夢を語りながら安曇川の源流付近まで散策。そして朽ち果てかけた思子渕神社にも。かっての田んぼがススキの原野になっている冬の大見。ここにいつか森の牧場が拓かれることを夢見るのだ。
夕方は、平安女学院理事長の山岡景一郎先生の叙勲・傘寿をお祝いする会。山岡さんは、1930年(昭和5年)生まれの80歳か。ダンスは上手だし髪の毛は黒々としているしとても若々しい。私学振興や京都府生活衛生業界の発展に寄与され、秋の叙勲で旭日中綬賞を授賞されたということでのお祝いの会。知事、市長、伊吹衆議院議員、野中広務元官房長官などお歴々の来賓。大学や各業界、行政関係者、ペンクラブ、左京区の社会福祉協議会の役員でもあるので左京の各種団体長さんら多彩な顔ぶれ。バイオリニストの佐藤陽子さんの演奏や寺田バレエのプリマドンナの可憐な踊りも。いやはやたくさんの人たちでした。
●1月23日(土)
朝、西京極運動公園横のNPO法人「加音」西京極作業所の開所式。アンサンブルクローバーのみなさんによる室内楽の演奏と利用者のバッヘルベルの演奏で幕開け。施設長の北村さんとはもう10年を超える付き合いかな。このたび福祉工房P&Pから独立して再出発をすることになった。家主さんの京都プリント染色協同組合のご理解も得て2階も借りることになって広くなった。京都光華女子学園の学生さんなどの応援、また箱折の仕事を回していただいている企業や総合支援学校の先生方や行政関係者や他の共同作業所のメンバー等も来ていただいての賑やかな開所式。ぼくも理事ということでお礼を述べる。家族会のみなさんの料理をご馳走になり、利用者の青年たちの懇談。持続可能な作業所として利用者が社会参加できるようになればいいなあ。
昼から、民主党京都府連へ。知事選挙が近づいてきたので新聞記者諸氏が待ち受ける。まずは選挙対策委員会。参議院選挙の複数擁立問題や統一地方自治体選挙の第一次公認問題を巡って議論。色々と複雑やな。
その後、府連の常任幹事会。小沢幹事長の政治とカネ問題でちょっと重苦しい雰囲気。諸般の報告など。知事選挙については、山田知事の4年間の実績を概ね評価するということで、いよいよ4月の選挙に向けて色々と民主党本部や自民・公明との駆け引きが始まるのだろう。出馬表明はいつになるのかな。そしてどんな選挙体制ができるのかな。
夕方は鴨沂高校同窓会の新年の理事会。ホームページの本格的立ち上げとニュース発行のことなど今後の作業日程など協議。大先輩の一期生の木村要さんや4期生の藤野さんもお元気です。ぼくは会長で19期生だが、若い世代の理事も増えてきてよかった。二次会にも参加してワイワイ。テレビニュースでは小沢幹事長東京地検の事情聴取に応じての記者会見。さてこれからどういう展開になるのか。一寸先は闇や。なにが起こるかわからんよ。
●1月22日(金)
午前10時から岡崎中学校の校長だった稲冨哲哉先生の告別式。退職後体調を崩されていたことを聞いていたがーー。長年人権教育に尽くされてきた人。享年63歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
昼前、体操服のリサイクルに取組んでいる岡部達平君を教育委員会と大島地球環境政策監に紹介、懇談。岡部君はわが母校鴨沂高校の後輩で写真家。「体操服!いってらっしゃい、おかえりなさい」運動に取組んでいるエコ活動家。ポリエステルで作られた児童の体操服を回収してリサイクル、また体操服として活用してもらおうというもの。御所南小学校などでこの春から取組まれるとのこと。エコサークルのマークが付いている体操服があることを初めて知った。みなさん、ご協力のほどよろしく!
昼、京都アースライド2010を企画しているマルチスポーツインターナショナルの坂口弥寿久君とランチ。彼は、京都精華大学の卒業生で当時ラグビーをやっていて、職員だった今は亡き田所伴樹さんに可愛がってもらっていたとのこと。田所さんは、ぼくの同志社の先輩で精華大学の創設時の職員で親しかった人だ。いささかなつかしく思う。
午後は、京都大学や北白川の友人等を尋ねて、それぞれ四方山話。
そして夕方は、またまたロイヤルホテルへ。自治労公室支部の旗びらき。行財政局、総合企画局、選挙管理委員会、監査委員会、市会事務局の職員や理事者が揃う。
足早に各テーブルの挨拶を済ませて、解放同盟田中支部の荊冠旗びらきに走る。学生時代に今の高層住宅が建つ前に近くの大丸配達所でアルバイトで地域を回っていたことを今年も披露。もう40年前の話。問題に出会ったぼくの原点。
それから、東山の安井金比羅神社横の風の倶楽部に。第四錦林小学校の校長だった海原清子さんが立ち上げたギャラリーの新春懇談会。わが地元吉田の面々が何人か集う。器や絵の展示やちょっとした会議も出来るええスペースですよ。帰宅は深夜。我ながら毎晩よう続くよ。
●1月21日(木)
午前中、民主党京都府連で選挙対策委員会。府連の定期大会を控えて、11年の統一自治体選挙の候補者の公認問題について各総支部の決定状況の報告と議論。総支部によっては温度差があり、現職の市会議員を公認しない総支部もあって、ちょっと問題やないか。また知事選挙と同時に行われる亀岡の府会議員補欠選挙に同志社出身で高島屋のアジア地域の支配人をされて現在亀岡市観光協会の事務局長の藤村公平さんを候補者とすることを確認。がんばってよ。
午後は、大島地球環境政策監らに京大化学研究所の名誉教授の中原勝教授を紹介。京都市の環境モデル都市としての様々な取り組みの説明などの後、石油代替エネルギーとしてのギ酸水素エネルギーの可能性について講義?を受ける。文科系のぼくには全く持ってチンプンカンプンの話。クリーンセンターなどのごみの焼却で出る熱を利用して低炭素社会をつくろうということかな?熱い想いをお持ちの先生ですよ。
夕方、事務所には市立看護短大の同窓会「あかね会」の方が来所。看護短大が佛教大学の4年生の看護学科に新設統合されるということで、十分な論議をするようにと要望に。卒業した学校がなくなるというのは寂しいものだというその心情は十分理解できるが、京都市立として老朽化した学校の立替など無理でしょうね。
夕方は、まずは今年3回目の聖護院御殿荘に。聖護院学区の自治連の新年会に。来賓は、左京区長、錦林小学校や近衛中学校校長らに、川端警察署長さんら。そして各種団体長さんらが参加。乾杯で退席して、ロイヤルホテルでの自治労衛生支部の旗びらき。今年ロイヤルホテルは5回目かな。保健所の保健師や薬剤師さんたち女性職員が多くて華やかや。保健所のセンター化を巡って今後の課題はあるよ。で、各テーブルを挨拶して聖護院御殿荘に引き返して、わが地元のみなさんと一献を傾けながら、道路の舗装のことなど要望を聞く。
●1月20日(水)
今年初めての教育福祉委員会が開催される。まずは教育委員会との質疑。君が代や京都市歌のこと、電子黒板の入札状況、高校無償化、成人式のことなどが議論されたが、ぼくも久しぶりに「学校における人権教育を進めるにあたって(案)」を巡って、法的なことなど状況が変わったこともあり2002年に策定された指針を改定することになったのだが、ぼく自身の全国在日外国人教育研究協議会での活動等に触れながら、この案が、ページ数からして分量が少ないこともあるが、中味が薄い、熱が入っていないと感想を述べ、わが同世代の教員たちが人権教育に取り組んできた成果などを忘れてはならない、若い教員に伝えなければならないと人権教育の大切さについてウンチクを傾けた。
昼から保健福祉局。まずは、昨年来の大きな宿題であった「京都市民間保育園職員給与等運用事業(プール制)のあり方」について検討委員会からようやく答申が出た。京都独自の民間保育園の職員の給与を一定にするべき相互扶助を目的としたこのプール制に40億円補助されているが、保育園連盟の不正流用が昨年発覚して見直しが検討されてきたのだ。「子どもの最善の利益」を図るという視点を忘れることなく、この指摘を受けて、どう改善するのか、今後どう予算措置されるのか、見守りたい。
また報告案件は、京都市立病院の5年前の医療事故関わる損害賠償請求事件について、京都地方裁判所の判決が出されたということ。医療事故の起こらない文化を創りたい、と院長の答弁。その後、市立看護短大のことなど、共産党の議員を中心に次々に質疑がされて、終わったのは5時を回っていた。
夕方は、解放同盟錦林支部の荊冠旗びらき。昨年はこの時期に同和行政終結後の在り方検討委員会のことやかっての隣保館であるコミュニティセンターの職員の引き上げ問題などが話題になっていたが、熱は冷めたのかな。地域に根ざした活動をしてほしい、と挨拶。
昼前、哲学の道は若王寺神社に。春と秋の行楽シースンは多くの観光客が訪れる哲学の道だが、観光トイレの設置が懸案の問題。計画があるのだが、地元の人たちとの意見調整がまだまだ必要な段階。ご意見を伺う。
午後は、わが民主・都みらい議員団と旅館組合の人たちとの懇談会。予算要望で宿泊税の創設の検討を京都市に要望したこともあり、また入湯税を課すことを京都市が表明していることもあり、理事長さんらが来られて京都の旅館やホテルの現状など説明をされ、観光行政のことなど意見交換。わが下大路町にある吉田山荘の中村英一さんも役員で来られていた。
夕方は、住みよい京都をつくる婦人の会の新年会。会長の内藤しげさんは、なんと今年88歳。今だカクシャクとして、ノー原稿で「人生を振り返りながら「失敗したこともあったが、常に前向きに挑戦する!」と迫力のあるご挨拶。ほんまに頭が下る。市長や各区長等が来賓。
乾杯の後、自治労清掃支部の旗びらきに駆けつけたらちょうどタイミングよく議員団の紹介のとき。ラッキー。自治労清掃支部が結成されてちょうど20年か。わが盟友の髭の加藤氏が初代書記長で立ち上げに苦労していたことを思い出して挨拶。
そして、わがカミさんが二部の司会ということもあり、住み京の会に引き返してロシア民謡を左京と中京のメンバーと披露。いやはや行ったり来たりでもうたいへん。
●1月24日(日)
第7回朝粥の会、わが地元の中大路町の稲田和彦さんが「古今の吉田を語ると」と題して吉田神社の云われ、吉田兼倶の神道のこと、豊臣秀吉が死後、遺体が山麓にあったという説、神楽岡のこと、また細川三斉が茶会を開いたことなど紹介しながらのお話。そして吉田山周辺の古地図や昭和30年代あの写真を見せていただく。昔はまつたけも採れたらしい。古地図には大元宮への階段が当時表参道であったこともわかる。屋敷が並んでいるなつかしい写真もあった。朝粥を食べながら、近くの百歳の中村さんも来ていただいた。
10時過ぎには、大原へ。里の駅で地元の藤井さんとアミタの熊野さんらと待ち合わせて、小出石から百井へ。いつもの冬だったら積雪でノーマルタイヤでは登れないのに今年は雪がない。百井からは所々影には雪が路面にあったが、京都北山は大見までなんとか無事にたどり着いた。大見は残雪が残る早春の風景。熊野さんの友人等と大見の未来の夢を語りながら安曇川の源流付近まで散策。そして朽ち果てかけた思子渕神社にも。かっての田んぼがススキの原野になっている冬の大見。ここにいつか森の牧場が拓かれることを夢見るのだ。
夕方は、平安女学院理事長の山岡景一郎先生の叙勲・傘寿をお祝いする会。山岡さんは、1930年(昭和5年)生まれの80歳か。ダンスは上手だし髪の毛は黒々としているしとても若々しい。私学振興や京都府生活衛生業界の発展に寄与され、秋の叙勲で旭日中綬賞を授賞されたということでのお祝いの会。知事、市長、伊吹衆議院議員、野中広務元官房長官などお歴々の来賓。大学や各業界、行政関係者、ペンクラブ、左京区の社会福祉協議会の役員でもあるので左京の各種団体長さんら多彩な顔ぶれ。バイオリニストの佐藤陽子さんの演奏や寺田バレエのプリマドンナの可憐な踊りも。いやはやたくさんの人たちでした。
●1月23日(土)
朝、西京極運動公園横のNPO法人「加音」西京極作業所の開所式。アンサンブルクローバーのみなさんによる室内楽の演奏と利用者のバッヘルベルの演奏で幕開け。施設長の北村さんとはもう10年を超える付き合いかな。このたび福祉工房P&Pから独立して再出発をすることになった。家主さんの京都プリント染色協同組合のご理解も得て2階も借りることになって広くなった。京都光華女子学園の学生さんなどの応援、また箱折の仕事を回していただいている企業や総合支援学校の先生方や行政関係者や他の共同作業所のメンバー等も来ていただいての賑やかな開所式。ぼくも理事ということでお礼を述べる。家族会のみなさんの料理をご馳走になり、利用者の青年たちの懇談。持続可能な作業所として利用者が社会参加できるようになればいいなあ。
昼から、民主党京都府連へ。知事選挙が近づいてきたので新聞記者諸氏が待ち受ける。まずは選挙対策委員会。参議院選挙の複数擁立問題や統一地方自治体選挙の第一次公認問題を巡って議論。色々と複雑やな。
その後、府連の常任幹事会。小沢幹事長の政治とカネ問題でちょっと重苦しい雰囲気。諸般の報告など。知事選挙については、山田知事の4年間の実績を概ね評価するということで、いよいよ4月の選挙に向けて色々と民主党本部や自民・公明との駆け引きが始まるのだろう。出馬表明はいつになるのかな。そしてどんな選挙体制ができるのかな。
夕方は鴨沂高校同窓会の新年の理事会。ホームページの本格的立ち上げとニュース発行のことなど今後の作業日程など協議。大先輩の一期生の木村要さんや4期生の藤野さんもお元気です。ぼくは会長で19期生だが、若い世代の理事も増えてきてよかった。二次会にも参加してワイワイ。テレビニュースでは小沢幹事長東京地検の事情聴取に応じての記者会見。さてこれからどういう展開になるのか。一寸先は闇や。なにが起こるかわからんよ。
●1月22日(金)
午前10時から岡崎中学校の校長だった稲冨哲哉先生の告別式。退職後体調を崩されていたことを聞いていたがーー。長年人権教育に尽くされてきた人。享年63歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
昼前、体操服のリサイクルに取組んでいる岡部達平君を教育委員会と大島地球環境政策監に紹介、懇談。岡部君はわが母校鴨沂高校の後輩で写真家。「体操服!いってらっしゃい、おかえりなさい」運動に取組んでいるエコ活動家。ポリエステルで作られた児童の体操服を回収してリサイクル、また体操服として活用してもらおうというもの。御所南小学校などでこの春から取組まれるとのこと。エコサークルのマークが付いている体操服があることを初めて知った。みなさん、ご協力のほどよろしく!
昼、京都アースライド2010を企画しているマルチスポーツインターナショナルの坂口弥寿久君とランチ。彼は、京都精華大学の卒業生で当時ラグビーをやっていて、職員だった今は亡き田所伴樹さんに可愛がってもらっていたとのこと。田所さんは、ぼくの同志社の先輩で精華大学の創設時の職員で親しかった人だ。いささかなつかしく思う。
午後は、京都大学や北白川の友人等を尋ねて、それぞれ四方山話。
そして夕方は、またまたロイヤルホテルへ。自治労公室支部の旗びらき。行財政局、総合企画局、選挙管理委員会、監査委員会、市会事務局の職員や理事者が揃う。
足早に各テーブルの挨拶を済ませて、解放同盟田中支部の荊冠旗びらきに走る。学生時代に今の高層住宅が建つ前に近くの大丸配達所でアルバイトで地域を回っていたことを今年も披露。もう40年前の話。問題に出会ったぼくの原点。
それから、東山の安井金比羅神社横の風の倶楽部に。第四錦林小学校の校長だった海原清子さんが立ち上げたギャラリーの新春懇談会。わが地元吉田の面々が何人か集う。器や絵の展示やちょっとした会議も出来るええスペースですよ。帰宅は深夜。我ながら毎晩よう続くよ。
●1月21日(木)
午前中、民主党京都府連で選挙対策委員会。府連の定期大会を控えて、11年の統一自治体選挙の候補者の公認問題について各総支部の決定状況の報告と議論。総支部によっては温度差があり、現職の市会議員を公認しない総支部もあって、ちょっと問題やないか。また知事選挙と同時に行われる亀岡の府会議員補欠選挙に同志社出身で高島屋のアジア地域の支配人をされて現在亀岡市観光協会の事務局長の藤村公平さんを候補者とすることを確認。がんばってよ。
午後は、大島地球環境政策監らに京大化学研究所の名誉教授の中原勝教授を紹介。京都市の環境モデル都市としての様々な取り組みの説明などの後、石油代替エネルギーとしてのギ酸水素エネルギーの可能性について講義?を受ける。文科系のぼくには全く持ってチンプンカンプンの話。クリーンセンターなどのごみの焼却で出る熱を利用して低炭素社会をつくろうということかな?熱い想いをお持ちの先生ですよ。
夕方、事務所には市立看護短大の同窓会「あかね会」の方が来所。看護短大が佛教大学の4年生の看護学科に新設統合されるということで、十分な論議をするようにと要望に。卒業した学校がなくなるというのは寂しいものだというその心情は十分理解できるが、京都市立として老朽化した学校の立替など無理でしょうね。
夕方は、まずは今年3回目の聖護院御殿荘に。聖護院学区の自治連の新年会に。来賓は、左京区長、錦林小学校や近衛中学校校長らに、川端警察署長さんら。そして各種団体長さんらが参加。乾杯で退席して、ロイヤルホテルでの自治労衛生支部の旗びらき。今年ロイヤルホテルは5回目かな。保健所の保健師や薬剤師さんたち女性職員が多くて華やかや。保健所のセンター化を巡って今後の課題はあるよ。で、各テーブルを挨拶して聖護院御殿荘に引き返して、わが地元のみなさんと一献を傾けながら、道路の舗装のことなど要望を聞く。
●1月20日(水)
今年初めての教育福祉委員会が開催される。まずは教育委員会との質疑。君が代や京都市歌のこと、電子黒板の入札状況、高校無償化、成人式のことなどが議論されたが、ぼくも久しぶりに「学校における人権教育を進めるにあたって(案)」を巡って、法的なことなど状況が変わったこともあり2002年に策定された指針を改定することになったのだが、ぼく自身の全国在日外国人教育研究協議会での活動等に触れながら、この案が、ページ数からして分量が少ないこともあるが、中味が薄い、熱が入っていないと感想を述べ、わが同世代の教員たちが人権教育に取り組んできた成果などを忘れてはならない、若い教員に伝えなければならないと人権教育の大切さについてウンチクを傾けた。
昼から保健福祉局。まずは、昨年来の大きな宿題であった「京都市民間保育園職員給与等運用事業(プール制)のあり方」について検討委員会からようやく答申が出た。京都独自の民間保育園の職員の給与を一定にするべき相互扶助を目的としたこのプール制に40億円補助されているが、保育園連盟の不正流用が昨年発覚して見直しが検討されてきたのだ。「子どもの最善の利益」を図るという視点を忘れることなく、この指摘を受けて、どう改善するのか、今後どう予算措置されるのか、見守りたい。
また報告案件は、京都市立病院の5年前の医療事故関わる損害賠償請求事件について、京都地方裁判所の判決が出されたということ。医療事故の起こらない文化を創りたい、と院長の答弁。その後、市立看護短大のことなど、共産党の議員を中心に次々に質疑がされて、終わったのは5時を回っていた。
夕方は、解放同盟錦林支部の荊冠旗びらき。昨年はこの時期に同和行政終結後の在り方検討委員会のことやかっての隣保館であるコミュニティセンターの職員の引き上げ問題などが話題になっていたが、熱は冷めたのかな。地域に根ざした活動をしてほしい、と挨拶。