元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

「平成」から「令和」の時代を迎えて         2019年4月30日

2019年04月30日 | 日記

    <「平成」から「令和」の時代を迎えて> 

 「平成」の時代に幕が下り、「令和」の時代を迎えることになる。
 昭和24年(1949年)1月に生まれたぼくは、「古希」、70歳を迎えた。

◆ 昭和62年(1987年)に3度目の挑戦で初当選して、2年後、昭和64年1989年の1月に昭和天皇が崩御。平成の時代になった。
ぼくは、平成の時代を8期32年間、京都市会議員として駆け抜けてきたことになる。この間、京都市政の発展や左京の市民の福祉のいささかいでも寄与でいたらわが人生に悔いはない。ここまでご支援いただいたみなさんに心より御礼申し上げます。
 
◆ 平成の時代は、きな臭い時もあったが、わが国では、戦争もなくて平和な時代でよかったとしみじみ思う。しかし、1965年の阪神淡路大震災、その直後のまたオウム真理教のサリン事件も衝撃的であった。そして2011年の東日本大震災とフクシマ原発の事故は忘れてはならない記憶である。
 
◆平成の京都市政

 さて、2017年7月京都市会本会議で永年(30年)在職議員の表彰を受けた。そのときの本会議での謝辞でぼくは平成の京都市政を振り返り次のように<謝辞>を述べた。その要旨を平成の京都市政の沿革として記録すべく再録しておく。

●思えば速くまで来たもので。まさか30年もこの職に就くとは思いませんでした。顧みますと,三度目の挑戦で市会に送っていただいたのが,昭和62年,1987年,まだ髪もふさふさしていましたけれども,38歳のときでありました。丁度,今川市政,今川正彦市長でしたけれども,古都税紛争で本当に京都市が疲弊していた年です。昭和64年1月に時代は昭和から平成に変わりました。

●田辺市政の時代
 田邊市長は,お医者さんの出身で,健康都市づくりというのを標ぼうされ,地下鉄の東西線の問題,工事費が暴騰して,色々な課題がありましたが、何とかやりきられました。そしてまた,建都1200年事業とか,あるいは様々な健康都市に向けてのインフラづくりもされました。しかし一方で,大文字山やポンポン山のゴルフ場計画の問題,あるいは町なかにおけるマンションの建設と紛争,あるいは京都ホテルの改築の問題とか,いわゆる環境と自然と開発の問題が大きく議論されたときです。田邊市長は,残念ながら病に倒れられて,6年間で市政に終止符を打たれました。

●桝本市政の時代
 その後,桝本賴兼さんが市長になって3期12年務められました。桝本市政は,元気都市・京都ということで,何とか元気に頑張ろうという掛け声で,職員一丸となって頑張ってこられた。COP3がこの京都の地で行われ,また,ゴミ減量のための有料指定袋の導入もされ、また市職員の不祥事が次から次へと起こってくる,そういう時代であり,同和行政で職員の皆さんが疲弊をして、議会でも大論議をしながら改善に向けて,発言をしてきた。

●門川市政に
 桝本市政の後,門川市長が,この10年かじを取ってこられた。「共汗」と「融合」,そしてリーマンショックがあり、その後の財政的に厳しい状況を乗り切ってこられた。その後,新景観政策やロームシアター京都,あるいは岡崎の地域の活性化や,そして直近では,文化庁の移転ということで奮闘されてきた。

●市会改革のこと
振り返れば,私は今川市政の末期から,田邊,桝本,門川市長の時代に緊張ある関係の中で議論をして,政策提言を皆さんと共に議論をする中で,色々と市民生活の福祉のためにも頑張ってきた。
 また,10数年来,議会改革の取組に皆さんと共に進めてきたことも誇りに思い、インターネットで,情報公開も随分進み,身近な議会になってきたと思います。
 30年前の議会の在り方に比べて,格段の違い,大きく改革されてきて,身近な,市民に開かれた信頼される議会になったと思います。

●議会の役割 
この間,私は,副議長も拝命し,また,繰り上げ当選ということもありました。色々な思い出がありますが、多くの皆さんに支えられて,ここまでやってきた。京都市会における様々な決議,あるいは条例を議決すること,あるいは市民の声を請願として受け止めて,色々な政策を進めていくこと,議会の役割は市民の声を市政に反映する,そしてあるいは,ときには我々が先頭を切って政策提言していく,そういう役割が今の二元代表制の中で必要ではないかと,皆さんと共にできたことを非常に誇りに思っております。

●これからもより良いまちづくりを 
当選以来,30年、今68歳になりました。平成生まれの議員もおられますが、これから少子高齢化社会,とりわけ私は団塊の世代でありますが、2025年問題,非常に大きな社会の変革を迎えることになります。このときにどのように立ち向かっていくのか,皆さんと共に知恵を絞りながら,よりよい京都のまちづくりのために皆さんと共に歩んでいきたいと思っております。
 今日は30年の在職のこうして議決していただいたことに心よりうれしく思いますし,誇りに思います。今日は皆さんの御推挙を賜りましてありがとうございます。
 
以上の文章は、2年前の2017年7月の議事録に残るぼくの謝辞だが、平成の時代の京都市政を端的に表していると思い再録した次第。
 
 ◆ さて、2019年、春、この4月に平成最後の京都市会議員選挙が執行された。9期目の挑戦をしたが、多くのみなさんにご支援をいただきながら、定数8人のところを15人が立候補するという大乱戦に勝ち残ることができなかった。
 不徳の致すところであり、応援していただいたみなさんに心より感謝したい。無念であるが、潮時でもあった。定年退職した気分である。
 
 この1か月、選挙事務所の撤収やあと始末で今もバタバタしているが、今しばらく、休んで、次のステージへの道を模索したい。
 
 そして、いずれ平成の時代の京都市政や京都市会、またわが左京のことについて、記録を残しておきたいと思う。
 
 ◆ところで、この「ひとくち日記」には、365日の日々の活動や京都市会の動向を中心に、その時々の世相や政治状況を書き添えながら、2001年に書き始めて、途切れている時期もあるが、「過去のひとくち日記」や、その後は今日までブログに記録されている。
 われながら3日坊主に終わることなく、この20年の京都市会の動きやわが人生の日々を書き続けてきた。継続は力なり!であるとぼくは思っている。
 
 ◆この春、3月中旬から選挙準備などで多忙になり、4月7日の投票日までの選挙戦、そしてその後の選挙事務所の撤収や諸般の後片付けで、右往左往し、正直、気分的にも書き続ける気力も失せて、途切れた。
 
 されど、わが「令和」の時代が始まることを機会に、日々のこと出来事を記録としても残していきたいという意欲は少し出てきた。
 
 今までのように活動のことも微細に書くこともしないが、それなりに「ひとくち日記」を再開したいと思う。

 これからもお付き合いいただければ幸甚です。

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桜散る!

2019年04月08日 | 日記

  2019年4月8日
  
 京都市会議員選挙、4月7日が投票日でした。

 桜散りました。

 思いがけず遠くまできたものです。
 32年間、市会議員として活動をできたことに心より感謝いたします。定年?退職です。
 
  人生100歳時代、70歳にして次のステージに歩み始めます。
 
  ご支援いただいたみなさん、ありがとうございました 今後ともよろしくお願いします。
 
  ご愛読いただいている「ひとくち日記」、継続は力なり、また書き始めますよ。
 
  しばし、再開までお時間をくださいね。
                    鈴木 マサホ


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4月4日(木)鈴木マサホ個人演説会のお知らせ

2019年04月01日 | 日記

京都市会議員選挙もいよいよ終盤戦。

4月7日が投票日。
左京区は、定数8人に15人の大激戦。
なんとしても勝ち抜きます。
叱咤激励にぜひお越しください!

■ 鈴木マサホ 個人演説会 ■ 

4月4日(木)午後7時30分―8時30分

  わが母校・近衛中学校(東山通近衛下車 電話075-771-0007)

  応援弁士 
     前原誠司衆議院議員
     北岡ちはる府会議員
     岡田憲和京都市副市長他

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