元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

左京府会候補2人目擁立と消防団回り 12月23日ー29日

2010年12月30日 | 日記
●12月29日(水)

 朝から市民派議員レポート新春号の発送作業を手伝いに来てくれたメンバーと一緒に住所を点検しながら黙々とする。なんとか年内に発送できそう。

 午後は、2区総支部の常任幹事会を、もちろん大臣不在だが、前原事務所にて開催。過日の選挙対策委員会の報告など。左京区の府会候補に某君を擁立することにほぼ決まり、気持ち良く新年を迎えられそう。色々と調整に苦労してきたが、現職の北岡ちはる府議と新人の某君の必勝を目指してどう戦略を立てるのかがこれからの大きな課題。
 定数削減になり公明党の現職府議が市会に回り、今の時点で定数4人に自民党は現職のひとりと共産党の現職2人と民主の2人の5人の激戦。共産党の2議席を1議席にするのだ!共産に負けてたまるか!の気概で、民主2人当選を目指してがんばろう!年明けの民主党京都府連の会議で決定される予定。

●12月28日(火)

 朝、泉ケンタ議員らと連合京都へ。この間の左京区の府会候補の擁立について説明に。色々と意見交換して1時間ほど協議。振り返れば、細田一三連合京都会長と出会ったのは1989年か、自民と共産の指定席であった参議院選挙に連合の候補として笹野貞子氏が出馬したとき、ぼくが市会議員に当選した一期目で意気盛んな時。彼は確か候補者付けで選挙事務所に詰めていたのを思い出していた。あれから20年余。お互い若かったね。

 午後は、事務所に左京区の保育園連盟の園長会の先生3人が来所。左京区選出の議員との懇談会の開催について打ち合わせ。2月初旬に開催をする方向で調整することを約束。

 夜は、この1年、ビラ撒きや市政懇談会の準備で世話になったわが後援会メンバーの望年会。ほんまにこの1年お世話になった。ありがとう。感謝、感謝です。鍋を囲みながらワイワイ。いよいよ正念場の春。いざ出陣のとき、心あわせでがんばろう!最後は一本締めで必勝を誓う。
 
 テレビニュースでは、小沢一郎氏が政治倫理委員会に出席するとか、しないとか。この数週間、海老蔵の暴行事件と民主の小沢・菅の対決の報道ばかり。ええ加減にしてほしいよ!

●12月27日(月)

 この間、毎晩寝るのが午後2時、朝の街頭演説はできず。昼久しぶりに吉田デンタルクリニックへ。ゴリゴリと歯石を取ってもらい久々の快感!

 午後、民主党京都府連の選挙対策委員会に。この1月に行われる長岡京市市長選挙と同時に急遽市会議員の補欠選挙が行われることになり、泉ケンタ事務所の高見良一君が立候補することと下京区の府会候補に平衆議院議員の秘書の松崎弘晃君が公認候補とすることを決定。そしてこの間、ぼくが2区総支部幹事長として色々と思案してきた左京区の府会候補のことが議題。前原総支部長の意向を受けてぼくが説明。概ね了承してもらい、泉選対委員長に一任することに。ここが第二の山だったが、なんとか越えられたかな。

 夜は、消防団回りの3日目。修学院第二分団から修学院分団に行く時、場所が変更になっていたので、消防署の車を先導し駆けつける。その後、上高野から国道367号を北上、八瀬から大原に、そして江文峠を越えて、静原から鞍馬、最後は市原野分団。
 この20数年、毎年消防団の歳末警戒を回っているが、今年は降雪もなく凍結の心配もなく助かった。かつて静原では車が路肩に落ちて助けてもらったり、某府会議員が側溝にはまったり、色々なエピソードがある。
 ところで、今年はどういう訳か、共産党の議員諸君が府市会議員全員が揃って回っていたのには、驚いた。地域割りをしている彼らが一緒に回るのは作戦を変えたのかな? ともあれ消防団員のみなさん、ご苦労さま。今年の火災件数は20件。昨年は15件だったから5件の増加だが、他都市に比べて圧倒的に少ない火災件数なのだ。

●12月26日(日)

 日曜日の朝はゆっくり寝たいが、毎月第4週の日曜日は、朝9時からわが事務所で今年最後の朝粥の会。
 「10年後の京都と左京はどんなまちになっているかな?」と題してぼくが京都市の基本計画について話題提供。15人ほどの参加者。京都生涯学習研究所の冨士谷あつ子さんもご参加いただいて、この秋に開催された環境と文学のシンポジウムのことや男女共同参画のことなど話題満載。彼女は鴨沂高校の大先輩だ。

 午後は、京都の冬の風物詩、全国高校駅伝。いつものように京大病院前の散髪屋さんが店の前にテレビを置いてくれるので観戦しながらランナーを待つ。広島の世羅高校がトップで走り去っていったが、優勝は鹿児島実業。

 午後4時からは法然院近くのカフェで物江和子さんを偲ぶ会。滋賀県の社会保険労務士会会長をしていたが、この秋、病に倒れた。1970年前後、立命館大学で当時、共産党の民青から暴力学生と呼ばれていたわが同世代が20人ほど集い偲ぶ会。
 中島みゆきの「シュプレヒコールの波が通り過ぎていく」という「世情」が流れ、それぞれが思い出を語った。ぼくは同志社だったが、当時に出会っている。その後、あったかサポートや社労士さんたちの会で再会した。心よりご冥福を。

 7時過ぎから消防団激励の二日目。北白川、養徳、松ヶ崎、葵、下鴨、岩倉南、明徳、岩倉北分団を回る。北白川、養徳、松ヶ崎では、消防少年クラブの小学生たちも寒い中、参加。ご苦労さん。大将で餃子を食べて帰宅したら11時を回っていた。

●12月25日(土)

 午前中、京都の教職員の「サイバーユニオンきょうと」の野崎君が来所、彼との付き合いも長い。退職して講師として今も小学校に行っているが、その再雇用のあり方について疑問点などを聞く。

 また午後は、市民派議員レポート新春号を送る準備でバタバタしていると民間会社を退職した後、四国のお遍路さんを回っている友人が来所。お遍路回りの楽しさを聞く。わが団塊世代の退職後の生き様は多彩だな。

 夜は、年末恒例の消防団回りの初日。クリスマス寒波とかで急に寒くなった。カイロを貼り付けて浄楽の仙人の運転でいざ出陣。山内左京区長、梅景消防団長、荒木署長と一緒にまずは左京南部の消防分団の養正、浄楽、錦林東山、岡崎、聖護院、川東、新洞、吉田を回る。錦林東山はこの夏、総合査閲の左京代表だったのでその余韻もあって気合が入っていた。川東とわが地元の吉田分団では女性団員ががんばっていて、吉田では自治連の役員さんや自主防災会のメンバーらも激励に。さすが吉田や。いつものように、にゅう麺を食べてようやく体が温まる。ほんま寒かった!

●12月24日(金)

 昼、同志社総合政策科学研究科で一緒だった友人とランチ。博士課程を修了し、市役所を退職して今は大学で教えているとのこと。ええなあ。ぼくもあやかりたい。

 午後は、空き缶持ち去り禁止の条例策定時に反対運動を展開していた反貧困ネットワークのメンバー舟木弁護士らと環境政策局と保健福祉局との懇談会。付帯決議についての項目である、ホームレスの自立支援の今後の取り組みや施行後の現場での対応など、厳しい指摘も。行政だけの取り組みだけではなくて、支援団体と連携を図ることが大切だとぼくは考えている。

 その後、知人が立ち上げたブライダル研究所へ。結婚相談だけではなくて、色々と範囲を広げて事業を展開されるとのこと。結婚願望があっても出会いがない人紹介しますよ。

 クリスマスイブだというのに、夕方は、議員団会議。1月7日に予定している「事業仕分け」について進行やテーマについて協議。ぼくは伊勢参りに行く予定をしていたがキャンセルして、事業仕分けのアドバイザーということになった。会場は、ロイヤルホテルです。傍聴できますよ。
 その後、某労組委員長とこの間のとある問題について懇談。経過を説明して理解を求める。

●12月23日(木)

 朝、8時に京都駅八条口のホテルへ。東京発始発の新幹線で前原大臣が颯爽と登場。諸問題を巡って、朝8時過ぎから2区総支部の常任幹事会と幹事会。色々と神経を使いながら幹事長として進行役。胃が痛い。

 色々とご意見をいただいたが、前原総支部長に一任していた懸案の左京の府会候補の擁立について、某君を左京区の府会候補になることを2区総支部として合意を得ることができた。ようやく一山を越えて、民主党府連の選挙対策委員会に上申することになった。ほっとした。前原大臣の京都滞在は1時間。新幹線でとんぼ返り。

 午後は、挨拶周りに行きたいのだが、次の山を越えるために色々と事務所にて思案しながら、雑務。

 夜は、わが応援団の大木工務店の恒例のクリスマスパーティ。出席者にご挨拶して久しぶりにオールディズのバンド演奏で踊り憂さを晴らす。帰途、これまた久しぶりに叡電元田中は、立ち呑み処「串かつ・さかな屋のあと」にてほっと一息。焼酎で一献。
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