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元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

前原後援会新年会と吉田で火災!1月24日ー28日

2013年01月31日 | 日記
●1月28日(月)

     <高野パチンコ店出店を巡って>
   
 10時に市会委員会室に。高野アバンシェルホテル(旧ホリデーイン)跡のパチンコ店出店問題で左京選出議員の議員が同席して、高野パチンコ店建設反対住民連絡協議会の代表者10人ほどの方が都市計画局の担当部長らとの協議。
 良好なまちづくりを謳っているまちづくり条例の趣旨とパチンコ店出店の問題、説明会の在り方と継続、住環境への悪影響、千台余りの駐車場規制、解体届出のこと、縦割り行政ではなく連携して住民側に立った指導を、など色々な問題について住民の方から意見が述べられる。
 市会で請願も採択されて重みを受けて対処しますと担当部長は答えるが、風営法や京都市の都市計画関連の条例での行政指導の限界が露呈している。要は、閑静な住宅専用地域と道路一本隔てたところの近隣商業地区にパチンコ店を出店する、というのがそもそも問題なのだ、とぼくは思っている。パチンコ店を出店する本体はどこなのか、これが大きな問題だ!

 午後、京都高野川ライオンズクラブ杯左京小学生バレーボール大会の名義後援の申請書をもって教育委員会と文化市民局スポーツ振興室を訪問。スポーツ振興室は京都マラソンの準備でたいへんそう。

 その後、事務所で、民主都みらい議員団ニュースに載せるべく11月市会代表質問の要旨などをまとめる作業など雑務をこなす。

     <吉田で火災発生!>

 家で風呂上がり、一杯飲もうとしていたら、11時過ぎに友人から吉田の中阿達で火事やで、と電話。そして左京消防署からも電話。パジャマの上からセーター着込んで現場に走る。
 元左京区役所を南に路地を下がったところ。吉田と聖護院の消防分団に出動がかかり右往左往。火は消し止められていたが、一人の友人の家が類焼して、呆然と立ちすくんでいる。大丈夫か!と声をかけるがこっちもうろたえた。
 区役所横の自治会館へ行くと7、8人の人が避難。毛布が足りない、ということで思案しているときに、火災発生の連絡で駆けつけてきていた左京区役所の防災担当者を伴ってぼくの車で松ヶ崎の総合庁舎に走る。地下に備蓄倉庫があって防災用の毛布を発見。車に積み込んで自治会館へ。自治会館で不安な夜を過ごされたのは老夫婦のお二人だったが、消防署によると、出火元の方が焼死されたとのこと、残念でならない。
 帰宅したのは2時を過ぎていたかな。吉田では久しぶりに大きな火災になった。日頃、消防団や自主防災会が火災予防の活動をしているが、改めて「火の用心!火の用心!」。

●1月27日(日)

     <朝粥の会ー八重と新島襄>

 毎月第4日曜日の朝は、事務所にて「朝粥の会」。
 NHK大河ドラマ「八重の桜」が始まったので、岡崎在住で元市会議員故太田光子さんの御主人だった太田雅夫先生に「八重の桜と新島襄―京都での八重さん」と題して話していただく。
 小山明子さんの色紙も披露しながら、亡くなった映画監督大島渚氏が京大生の頃、全学連の闘士、同志社で学生運動をしていたときに出会った話から始まって、その後、八重さん略歴。兄の覚馬を頼って京都に転居。わが鴨沂高校(元府立第一女学校)の前身になる「女紅場」で教師になり、新島襄と結婚。その後、日清戦争中、看護婦として傷病兵を看護したことで女性として叙勲されたこと、など文献を示しながら、自立心に富んだ八重の姿を話されました。復興支援で京都市と会津若松市との協定のことなどぼくも補足。ドラマで、京都が舞台になるのが待ち遠しいね。観光客や同志社の入学希望者が増えたらええなあ。

昼は、大阪女子マラソンを見ながらウツラウツラ。福士加代子さんの笑顔がよかった。

     <前原誠司後援会新年会>

 夕方、昨日に続いてウエスティン都ホテルへ。毎年1月の最終日曜日に開催される前原後援会新年会。
 選挙が終わって、民主党の影が薄くなったとき、多少参加者は減るのかな、と思っていたが、なんのなんの受付開始と同時に続々と前原ファンが詰めかける。選挙を一緒に闘った後援会のみなさんにご挨拶。会場は超満員で1200人とか、人いきれで熱気。
 重森三果さんの三味線、若柳壽延さんの踊りで始まり小林祥一後援会連合会会長の挨拶から門川市長が話して、前原議員が当選のお礼と反省と今後のことなど淡々と挨拶。池坊美佳さんらも挨拶。細田連合京都会長の音頭で清酒乾杯して懇親会の始まり。
 左京選出の議員らと一緒に各テーブルを挨拶回り、会場は100テーブルほどぎっしりと詰まっていて、挨拶回りも一苦労。そして壇上に2区選出の府市会議員が壇上に上がり、ぼくが代表して「陽はまた昇る!」と短い挨拶。
 民主党は、これからどうなるのかいささか心配だが、ともあれ7期目の当選が果たせてよかったよ。その後、舞台ではラヴァーエンジェルのヒップホップダンスで盛り上がり、九谷和彦後援会幹事長の閉会の辞と戸川「誠会会長」のガンバローでお開き。
 解散から総選挙、そして新年会まで前原後援会の役員や事務所みなさんお疲れさんでした!明日から国会が始まるので議員は東京へ。実行委員のみなさんと打ち上げして大団円。

●1月26日(土)

     <片桐直哉議員の結婚披露宴>

 正午前、白ネクタイで礼服を着てチャリンコでウエスティン都ホテルへ。家から10分。
 今日は、わが議員団の片桐直哉議員と井上美和子さんの結婚披露宴。
 学生たちの和太鼓ドンの勇壮な演奏でオープニング。片桐君は立命出身で北神議員の秘書などした後、北区から2度目の挑戦で初当選。その年の秋にあった京都市や商工会議所青年部が主催した婚活に応募して参加。そこで彼女と出会って愛を育ててきた。
 来賓のトップは、婚活主催者のもちろん門川市長。そして北神議員も彼のエピソードを披露、前原議員は、結婚して17年目になるが、奥さんとの家庭でのやり取りなど面白おかしく挨拶。笑わせはりました。福山議員は、得意の動物占いで新しい門出のお祝い。新婦の来賓の挨拶した人は、元連合系組合の役員だった人で細田連合京都会長の友人とか。

 片桐君はバンド演奏でサックスを吹いたり、学生時代能楽部だったらしくクラブメンバーと謡を唄う。また今枝団長は例によって相撲甚句。多彩な出し物もあり賑やかな披露宴でした。行政書士さんや北区の地元のみなさんも来られてい賑やかでした。お幸せに。そやけど議員の妻はたいへんですよ!ふたりしてがんばってね!

    <鴨沂高校同窓会 理事会>

 夕方は、鴨沂高校同窓会の理事会と懇親会。ぼくの後任の上野民夫会長が、鴨沂高校建て替えが現実味を帯びてきたので、校長先生らから色々と情報収集などして、今後の工事予定の報告や同窓会としてできることを色々と提案。またこの間、校舎を記録に残すべく写真撮影などしてきたこと報告や、同窓会員の募集の方法など協議。卒業生のみなさん、解体が始まる前に、ぜひ懐かしの校舎を見学しておいてくださいよ。
 高校の入試制度が来年から全面的に変わるが、さて鴨沂はどういう学校になって甦るのかな?
 解散すると鴨川はうっすら雪化粧。

 吉田神社参道前のチェルキオでの吉田剣鉾保存会の新年会に。近衛中学校の生徒らも参加してワイワイ。今年は、5月の吉田の講社大祭で披露する。ぼくも今年は練習するで!

●1月25日(金)

 朝、アピカルインにある京都高野川ライオンズクラブの事務所に。小学生バレーボール大会の後援名義の申請書をアシスタントの清水さんに記載のお願い。

 その足で、浄土寺の吉田デンタルクリニックへ。可愛い歯科衛生士さんが、歯石がどれだけ溜まっているか、なにやら試験。真っ赤!歯ブラシで、こうして磨くのですよと、指導してもらう。いつもはガリガリやられて青色吐息になるのだが、今日は歯の治療がちょっと楽しい気分でした。

     <民主党2区総支部 選挙総括>

 民主党2区総支部の常任幹事会と幹事総会で選挙総括。結果について、前原議員の6期19年の実績と知名度、地域での活動、前原後援会、連合京都、自治体議員の結集により勝利して、自民党候補の比例復活を許さなかったことはよかったが、政党別では維新に負けたのを大いなる反省!
 今後は民主党の再生を願い、雌伏の時、努力精進して、夏の参議院選挙で池坊美佳さんの必勝を期し、地域における地道な活動をがんばろう。冬来たりなば、春遠からじ、陽はまた昇る!というのが総括。幹事長として進行役、宿題もあるので、ちょっと疲れました。

     <田中支部 荊冠旗開き>

 夜は、解放同盟田中支部荊冠旗開き。昨年、結成90周年記念の集いがあった。梅井支部長ら同盟員と企業連の人や区役所らの行政関係者ら70人ほどの集い。
 ぼくがいつも来賓スピーチで話すのは、学生時代に、今の高層住宅が建つ前、長屋が連なっている劣悪な住宅環境の頃、バイトで近くの大丸の配達所から自転車で町内を荷物の配達をしていたときのこと。それがぼくの原点。

 まちの様子も全く変わったし、京都の同和行政も終結した。改良住宅には留学生なども住み始め、また旧隣保館、コミュニティーセンターから市職員が引き上げて、左京西部いきいき市民活動センターと名前も変わり、指定管理者の劇研が今は運営して演劇など稽古場や市民の様々な活動の場に使われている。隔世の感。
 高齢化が進む地域でこれからどんなまちづくりを進めるのか、解放運動の今後はどうなるのか、そんなことを思いながら、久しぶりに女性部の人らと懇談。
 昨年の今頃か、藤田敬一さんが発行している「こぺる」に掲載するべく京都市の同和行政について原稿を書いたが、掲載が見送られた。「こぺる」はこの3月に終刊を迎えるが、ぼくの書いた原稿を自分で冊子にして活字にしておこうと決意をした。その時は読んでみてください。

●1月24日(木)

      <左京ライフにご協力を!>

 10時過ぎコムペイジの牧野君来所。「左京ライフ」というコミュニティーウエッブサイトを立ち上げて一年ちょっと。さらなる活性化を目指して、より多くのイベント情報などを送ってもらうべく営業?に。
 まずは「みやこめっせ」で元左京区長の波部さんとしばし懇談。また国際交流会館では岩佐元左京福祉部長が事務局長なので岡崎地域の活性化のことなど色々と話す。岡崎界隈は今年も色々な催しが予定されているし楽しみ。

 午後は、叡山電車と京都バス高野営業所を訪ねて担当者と情報提供について、意見交換させてもらう。みなさん、左京のお祭りや楽しいイベントなどぜひお知らせください。「左京ライフ」への応援のほどよろしくお願いします。いちどアクセスしてみてや!

      <住みよい京都をつくる婦人の会>

 夕方は、「住みよい京都をつくる婦人の会」の新年会。1昨年秋に長年会長をつとめられていた内藤しげさんが亡くなり新会長は森智恵子さん。ご挨拶はたどたどしかったが、気持ちがこもっていました。

 民主党の府市会議員や各区役所の区長らが来賓。ぼくのカミサンは左京支部の会長を拝命していて今年は司会。いささか心配だね。来賓紹介が気恥ずかしい。とどこおりなく司会も終えたのでほっとした。後半の司会は、山本ひろふみ議員のお母さん。
 舞台では、北支部の会員の方のマッジクがいつも楽しみ。好評でした。 公務多忙で遅れてきた市長もえらくご機嫌でした。左京は高城区長らと一緒に「川の流れのように」を合唱。会員は高齢化が進んでいるが、みなさんお元気で何よりです。
 ホテルの同じ会場で京都市の獣医師のみなさんも新年会中。飲み友達の北村自治労保健福祉支部長や動物園の獣医さんらに挨拶。若い女性の獣医さんが多いのでびっくり。がんばってね!

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市会改革推進委員会と教育福祉委員会  1月17日ー23日

2013年01月27日 | 日記
●1月23日(水)

  <教育福祉委員会ー京都ほほえみプラン>

 今日は第4週なので教育福祉委員会が開催。
 まずは、保健福祉局から報告案件として、「支えあうまち・京都ほほえみプラン(京都市障害者施策推進計画)(案)」に関する市民意見の募集について報告。来年度以降のプランの策定のために当事者や家族、また学識経験者や市民が参加した「京都市障害者施策推進審議会」で協議されてきた案について市民意見、パブリックコメントの募集をすると報告。
 ぼくは11月市会の代表質問で総合支援教育と障害者施策について質疑をしたことを踏まえて、共生の社会をめざして質疑をする。皆様のご意見もお寄せください。

 次に「京都市民健康づくりプラン(第2次)」(案)に関する市民意見の募集について」報告。京都市では平成14年に「京都市民健康づくりプラン」が策定され、市民の健康づくりが推進されてきたが、今年度でその期限をむかえることから、「京都市民健康づくり推進会議」において見直しが進められ、この度、その案が取り纏められたので、パブリックコメントの募集をするという内容。

   <ロコモとは>

 ぼくも質疑をする。京都府議会で議員提案された「歯と口の健康づくり推進条例」との関連、そして、「飲酒」と「喫煙」対策について面白おかしく質疑。つまり、ぼくは、清酒条例ができてアルコール依存症みたいになったとか、酒は飲むし、煙草は止めないし不健康の塊みたいなものだが、風邪もひかないしノロウイルスにも感染しないが、さて、どうすればいいのか、喫煙派の某局長を指名して答弁を求める。
 さらに「ロコモ」なる新しい健康ワードが説明文書に出ているので、「メタボ」のことも聞く。「ロコモ」とは、運動器症候群:ロコモティブシンドロームの略で、「運動器の障害」により「要介護になる」らしい。「加齢による運動器機能不全」になるとかで、要は「運動せい!」いうことか。これもぼくは苦手なことや。ともあれ笑いを誘う質疑でした。

 請願審査は、保育及び学童保育施策の拡充は留保。「妊婦健診及びヒブワクチン等への公費助成継続の要請」は意見書が出たことで、請願者から,取下届が提出。 生活保護基準の引下げ反対の要請は共産党委員からしつこく質疑。
 一般質問では、父子家庭への医療費助成について山本ひろふみ議員らが質疑。

     <変わる京都の高校入試制度>

 午後4時前から教育委員会。報告案件は、「京都市・乙訓地域公立高校の新しい教育制度(案)について」。1年以上に渡って議論をされてきた京都における高校入試制度の改革案。ぼくも審議会を傍聴もし、また委員会でもたびたび質疑をしてきた。
 この度「各高校において、特色ある学校づくりを更に推進し、生徒一人一人が望む進路や将来の希望に柔軟に応えられる制度」「中学生が自らのキャリア形成に向けて、各高校の特色を理解したうえで、目的意識を持って主体的に高校を選択できる制度」という基本的な考え方をもとに、「全日制普通科の「類・類型制度」の廃止」、「通学区域の統合(2通学圏から1通学圏へ)」、「「総合選抜制度」を廃止し「単独選抜制度」の導入」の3つの大きな改革が行われることになる。
22014年の春からの実施になるが、要は京都府立市立の21の高校を2月から3回の受検機会ができる。
 さて、問題は大学進学率だけを競うナンバー校を生む危惧や地域性がなくなるのことの良しあしなど、ぼくは、受検機会の確認や危惧していることについて荒瀬教育企画監(元堀川高校校長)らとやりとり。ぼくらの時代の高校制度と全く違う制度になる。わが母校鴨沂高校はどうなるかもいささか心配だよ。

 一般質問では、大阪市立桜宮高校での事件をうけて、部活動における体罰が議論になり、京都市教育委員会でも当然のことながら、体罰は絶対に許さないという立場で、体罰を招くような土壌や、風土はないか?現在、教育委員会が主体的に各学校をまわり、点検、指導も行われている。終わったのは5時を回っていた。

     <聖護院学区新年の集い>

 夜は、ホテル平安の森で聖護院学区の新年会。聖護院八つ橋の鈴鹿さんが自治連の会長さん。高城左京区長、近衛中学校西垣校長や川端警察署長らが来賓で聖護院の各団体長さんらが集う。お開きの前にマイクを借りて、丸太町通の道路改修について、空洞があり振動をしていた道路の改修を求めて地元のみなさんが署名を集めて改修ができたことなど報告をした。 聖護院に事務所を構えていたこともあり、その時からみなさんとは親しくなって大いに懇談できました。

●1月22日(火)

      <経糸の会・李広宏さんを迎えて6月にコンサート>

 昼、京都市コンサートホールへ。以前から予定していた経糸の会の運営委員が集まり、この6月に予定している「ヒューマンふれあいコンサート」で唄ってくれる李広宏さんと「あおい苑」の施設長中島さん、それに舞台監督をお願いするRYUの關秀哉さんらと打ち合わせ。今までは京都会館で開催してきたが、改築中でもあり今回はコンサートホールでの開催。障がい者の人とともに楽しめる楽しいコンサートにしたいな。
舞台に上がって、担当者と打ち合わせも。

      <岩澤重夫画伯の展覧会の開催に向けて>

 それから日本芸術院会員で文化功労者の岩澤重夫画伯の子息の有徑さんに同行して京都市美術館に。来年の秋にでも岩澤画伯の展覧会を京都市美術館での開催をしたいと準備の相談に。学芸課長らと展覧会の開催方法について色々と助言をもらう。7年前か、ぼくが市会副議長の時、日展のレセプションでお会いしたことがあるが、子息の有徑さんとは3年ほど前にとあるご縁でお会いした。ぼくは美術の世界は門外漢だけれど協力できたらいいなあと思っている。美術展の裏話を聴くが、新聞社の協力が不可欠のようだが、文化首都京都として、ぜひ開催できることを期待したい。

 夕方の事務所の来客は、吉田剣鉾保存会の津田会長。京都・ケルン姉妹都市50周年記念事業での剣鉾を披露する話など四方山話。

夜は、自治労のとある支部の旗開きがあったが、連夜の新年会、旗開きで、いささか疲れ気味でもあり、ダウン寸前。欠席。事務所にて明日の教育福祉委員会の資料など見て、久しぶりに我が家でゆっくり。3週間ぶりの休肝日。

●1月21日(月)

     <京都府美容業生活衛生同業組合の新春パーティ>

 昼前、京都府美容業生活衛生同業組合の新春パーティに。毎年近所の美容室の方に誘われて参加している。また岡田理事長の店は左京区で司会を毎年されている山本さんは鴨沂高校の大先輩。府内各地から来られた美容師のみなさんでいつもながらの熱気。伊吹国会議長や前原議員など国会議員に、共産党の議員も含めて府市会議員も多数参加。
 左京区の組合員のみなさんのテーブルで会食。フラダンスなどの催しに、クイズ大会。テーブルごと相談しながら20問の問題に頭を悩ましていたら、同志社の総合政策科学研究科の同窓会「総政会」でいちど出あったことのある三田果菜(さんだ)さんが挨拶に来てくれる。美容師としてハッピービューティプロジェクトを立ち上げて、抗がん剤で頭髪が抜けるガン患者さんたちのケアをしたり、「美容術で女性とまちを元気にする!」と頑張っている女性。同志社の総合政策科学研究科の修了したのかな?がんばってね!最後は抽選があったが、民主党の京都府連に行く予定にしていたので閉会前には退出。
 (翌日、近所の美容室から電話。なんと抽選でホテルの食事券が当たっていた!今年は春から縁起がええぞ!感謝感激!)

 その後、民主党府連で打ち合わせ。事務所で雑務。夜はとある相談ごと一件など。
 ニュースは、アルジェリアの天然ガス施設での人質事件で死者も。
 また大阪市立桜宮高校のバスケットボール部顧問による体罰で生徒が自殺した事件で、橋下市長が入試中止を求めたことが波紋を呼んでいる。体罰を許すことはできないが、生徒たちの思いをどう受け止めるのか、市長の強権的な姿勢には異論がある。

●1月20日(日)

     <吉田もちつきと防災の集い>

 朝10時過ぎ、第四錦林小学校に。地元吉田学区のもちつき大会と防災の集い。自主防災会や女性会、消防分団の皆さんらを中心に、お餅を食べ、美味しい豚汁で体を温め地元のみなさんと懇談。起震車も来ていて地震の体験も。世話役のみなさん、ご苦労様です。

     <大原各種団体新年交礼会並びに大原消防分団出初式>

 それから一路、大原へ。大原各種団体新年交礼会並びに大原消防分団出初式。江文神社の神主さんの神事が終わったところで、分団員の表彰式が行われていた。大原地区は、この3年余、無火災記録を更新中。素晴らしいね。そして、この6月に開催される京都市消防団総合査閲の左京代表に決定しているので、原田分団長は気合が入ったご挨拶。練習はたいへんでしょうが、ご健闘を!2部では、大原学院の小中学生が伝統芸能である八朔踊りと道念音頭を披露。堂々たるものでした。乾杯の後、知人らに挨拶をして退席。

    <民主党京都府連の会議>  

 午後1時半から民主党京都府連の常任幹事会と幹事総会。
 山井府連会長は冒頭に民主党政権が取り組んだ大きな成果として、15年ぶりに自殺者が2万人台に減少したことを報告。この間の諸々の活動報告が行われたが、課題は、選挙総括。各総支部から総括文を示されて反省点などの指摘。ぼくは2区幹事長として簡単な選挙総括を発表。
 京都は小選挙区で、前原、山井議員の再選、比例復活で泉ケンタ議員の復活があり、まだしも踏みとどまったといえるが、北神、小原の両氏の敗北と全国的に惨敗した結果を深刻に受け止めて民主党の再生をするのか、また参議院選挙で池坊美佳さんの勝利を目指して反転攻勢をかけることができるのか、前に進むしかないのだ。雰囲気は重苦しいよ。
 幹事総会では、自治体議員ネットワーク代表として昨年11月に開催された近畿ブロック会議の研修会について簡単に報告。2月9日には定期大会が開催される。ぼくが議事運営委員長を拝命した。

    <京都政経交流会>

 午後5時過ぎ、清水三雄さんが主宰のKSK•京都政経交流会に。
 泉ケンタ衆議院議員の当選報告をかねた「ケンタは国会で何をしてきたか、何をしようとしているか」の講演。首の皮一枚つながってほんまによかった!東日本大震災のとき、危機管理対策に奔走したことなどスピーチ。
 思い起こせば、出会ったのはケンタ君が立命の弁論部で活躍していたとき。審査委員として呼ばれ、我が家にも来て飲んだ。あれから15年は経つなあ。門川市長も来て、ちょうど1年前の市長選挙のときのことや京都市政の課題や清酒条例のことなど挨拶。主宰者の清水さんは記憶術の達人。何月何日は何曜日です、と当てたり、またマジックも披露して、会場が和む。元気な人です。

 解散後、吉田神社の参道前のチェルキオにて、ご近所の方とのサロン、チェルキオ会に。閉会直前だったが、みなさんに今年もよろしくとご挨拶。

●1月19日(土)

     <テンダーハウス15周年記念式典>
 
 昼前、社会福祉法人菊鉾会テンダーハウス15周年記念の式典に出席。
 前原議員も以前からのつきあいがあって来賓の挨拶。テンダーハウスの誕生のきっかけは、「ホテルで知的障がいのある方を雇用してもらえませんか?」という一つの問いかけに、ホテルニュー日昇の野村登志子さんがその要請を快く引き受けられたのが始まりだという。
 そして、阪神淡路大震災の時に避難先として、ニュー日昇東別館を提供されて、「テンダーハウス」は誕生したという。ぼくはこの数年前かな、経糸の会でのコンサートなどで出会った。陶器や織物の製品を作り、百貨店でも販売されている。年末にはビラのシール貼りの仕事もお願いしました。ありがとうございました。
 勤続15年の利用者の方を一人ひとりが表彰されて、そして、アトラクションとして吹奏楽団の演奏ととも「ラヴァーエンジェル」の子どもたちのダイナミックなダンスに感動しました。

 午後4時過ぎには、国際交流会館で京彩都の石井さんらと昨秋に開催した「ユイハート福祉まつり」をこの4月の桜のシーズンに2回目を開催するということで打ち合わせ。テンダーハウスなど就労支援を目的に制作された製品の展示販売や御茶席、また新たに「心で描く絵画展」も開催しようと意欲的な企画。またご協力のほどよろしく!

 夜は、毎年の新年にぼくも楽しみにしている左京南部のクリーニング組合のみなさんの新年会。わが家の近くのクリーニング屋さんら10人ほどの集まり。前原議員も遅れてだったが参加。花街は宮川町の芸妓さんと楽しいひと時。

 ニュースは元横綱大鵬関死去。「巨人、大鵬、卵焼き」と称された1960年代、高度成長時代の名横綱。ぼくは柏戸のファンだった。わが中学、高校時代。ご冥福を。


●1月18日(金)

    <市会改革推進委員会ー直接傍聴、試行!>

 10時から月に一回開催されている市会改革推進委員会。
 今日は京都市会にとっては、委員会の直接傍聴が試行された画期的な日。試行とはいえ、ようやく委員会の直接傍聴ができるようになってよかった。ぼくは感慨無量。5、6人の市民が来られていた。

 10時から全国市議会議長会法制参事の廣瀬和彦氏が、「議員定数と議員報酬」について講演。議員定数についての考え方の変わりようや常任委員会数方式や人口1万人に1人方式、住民自治協議会方式(または小学校区方式)、議会費固定方式などの他都市の議会の例を示しながら、議員定数の考え方を示される。京都市会は、現在69人、およそ2年後の市会議員選挙に向けて、議員定数の是正が議論されることになる。
また議員報酬については、・市政への貢献度を把握し、それをもとに議員報酬を定める考え方や自治体職員の歳費や国会議員の歳費を基準とする考え方、日当制を根拠に算出する方法、市長の給与額を基準とする考え方などの基本的な考え方について話されて委員から質疑。

 午後からも市会改革推進委員会が継続されて、議会基本条例の骨子についての議論。
 議会報告会の開催、現在の4期制の会期、休日・夜間議会の開催、本会議における一問一答方式など、ああでもないこうでもないと議論。民主主義は時間がかかるのだ。なかなかまとまらんね。

    <介護保険にかかわる会>

 委員会の散会後、「きょうと介護保健にかかわる会」の新年会。理事長の梶宏さんは、鴨沂高校の大先輩で市役所のOB。40キロもない小さな体でがんばっておられる。介護保険制度ができたころから第三者評価などの活動を展開。ぼくはメンバーの中では若手の方。市役所OBの親しい方らと懇談。市会事務局におられた中島康喜さんは現在俳優業?朝ドラの「純と愛」でこの間舞台になっている「里や」で将棋を指しているチョイ役で出演中とか!見てみたいね。みなさんお元気で何よりです!

 夜は、自治労左京支部の旗開き。毎晩ホテルでの会食で、いくら美味しい料理でも飽きてくるよ。高城区長ら管理職のみなさんと組合員の集い。少しくだけた挨拶をさせてもらい笑いをとる。若い職員も多くて活気のある会だった。

●1月17日(木)

    <阪神大震災から19年>

 阪神大震災から18年目。月日が経つのは早い。あの日、地震の揺れでさすがのぼくもびっくりして飛び起きた。多くの犠牲者のご冥福を。メールで市会事務局から議員の安否確認が来ていたのに気付いたのも午後になってから。もう忘れかかっている。

    <京都。ケルン姉妹都市50周年に向けて>

 午前中、わが家の町内下大路町に在住のドイツ人、ケルン生まれで京大教員のトラウデントご夫妻と一緒に京都市の国際化推進室の糟谷室長らと懇談。今年は、京都・ケルン姉妹都市提携50周年記念の年。トラウデントさんは、わが吉田の剣鉾仲間で、3年ほど前か剣鉾を練習していた仲間。ケルンに行って剣鉾を差せたら凄いね、と夢を見ていたのだが、それは無理としても、ケルン市長らが5月に京都を訪問されるということで、その日程や記念イベントなどの企画について懇談。 ぼくがケルン市を訪問したのは2期目の時、1991年か。バルセロナでの世界歴史都市会議に参加すべく、ひとりで海外視察をしたのは田邊市長の時代。ええ街でした。剣鉾という吉田に伝わる神幸祭で一緒に巡行もしたし、京都で暮らすケルン生まれのトラウデントさんと一緒にケルン市長を歓迎できたらいいなあ、と思う。これから関係者と相談しながら前向きに協力しよう。

 午後、比叡平の友人宅に。年末に大手術をして、退院していたので見舞いに行ったが、随分元気になっていて一安心。庭に来る雀を見ながら四方山話。元気になってよかったね。

 その後、いのちの花協会の宮田さよ子さんと懇談。宮田さんは、『私は高齢介護請け負い人』( 岩波書店(1999)刊)を出版されているが、介護付きケアホーム「花の家」を開設。介護問題に取り組む先駆者のひとり。介護保険制度が始まった頃から色々と勉強をさせてもらっている。色々とこれからの高齢化社会に必要な色々な課題についてお話を伺う。

   <左京小学生バレーボール大会に向けて>

 夜は、左京総合庁舎で高野川ライオンズクラブ小学生バレーボール大会実行委員会。偶然にも高野のアバンシェルホテル跡のパチンコ店出店問題で地元住民と京都市都市計画局との協議が開催されていたが、関係者に挨拶だけして、実行委員会に。
 左京の小学校、スポーツ少年団の指導者が集まって、3月に開催する大会の抽選や運営について打ち合わせ。今年で16回目になる。4年から6年までの40チーム近くのチームが参加する予定。京都高野川ライオンズクラブは少人数のメンバーだが、この大会だけは子供たちのためにも今後も応援したいと思っている。
 ニュースは、アルジェリアで人質事件。

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成人式 ぼくが20歳のころ  1月14日ー16日

2013年01月22日 | 日記
●1月16日(水)

 午前中、事務所にて前原事務所の齊藤所長と過日の2区常任幹事会での議論を踏まえて選挙総括文を仕上げる作業。

 午後は、左京区選出の有志の議員が集まり、宝ヶ池に建築が予定されている体育館に関連して、違法駐輪で撤去された自転車の保管所のことについて説明を受ける。保管場所の確保と公園と体育館の建設が微妙に関連するのだなあ。

 午後5時から新年最初の民主。都みらい議員団の議員会。今後の日程や市会改革推進委員会のでの取組状況、議会基本条例制定への議論など報告がある。そして夕方は、議員団の新年会をとある居酒屋で。

 閑話休題、わが13人の議員団で煙草を吸うのは、4人。いつも端っこに座って4人組でわいわい。

 なお乾杯はビールで、小林議員はウーロン茶で、某議員は、焼酎のお湯割りでした。これもいいではないか。清酒条例に罰則があったら、たまったもんじゃないよね。自由に好きな飲み物で乾杯だ!しかしまあ、毎晩新年会や旗開きで飲みづづけて、肝臓が悲鳴をあげてるかな。我ながらよう続く。肝硬変に気を付けようね。そして議員になって25年、よう毎年やってるよね。若い議員らは2次会に行ったようだが、ぼくは大人しく帰宅。

●1月15日(火)

 昼過ぎ、ゼスト御池で12月26日に可決された京都市清酒の普及の促進に関する条例の施行記念セレモニー。大きな樽が置かれて、門川市長も上機嫌。伏見酒造組合の関係者らの挨拶。鏡割りの後の乾杯の音頭は、にこやかな顔の大西議長。昼間から酒を飲めるのはうれしいね。これも自民党議員団のお蔭です!アルコール依存症になりそう。

 その後、市役所北隣の島津製作所跡のフォーチュンガーデンなるレストランで青木芳香議員と年に一度のランチ。実は誕生日が同じ1月13日なのですよ。二人してお誕生会。彼女の親父はぼくと同世代で、ぼくの娘と彼女は同世代。まさに父と娘ですよ。彼女も2期目でよう勉強して発言もしっかりしている。一児の母としてもようがんばる。衆議院選挙のことなど色々喋りワインを飲みがら「ガレット」なるフランスの「もんじゃ焼き」みたいなものを初めて食す。おもろい味やった。ええ気分で議員団室に戻って雑務。
 
 夜は、自治労京都市職労現業評議会の旗開き。土木事務所、まち美化事務所、動物園、中央斎場など現業職員の組合員に、各局の労務管理担当の課長らも出席。親しい動物園のメンバーらと歓談。みなさん、公共サービスの前線に立って真面目に頑張ってはりますよ。ビンゴゲームで盛り上がりました。
 事務所に戻って、市民派議員レポートを書き始めるが、日々のアルコール漬けで冴えないな。

 ニュースは、大島渚監督死去のニュース。高校時代から京大西部講堂や一乗寺の京一会館で「白昼の通り魔」「 日本春歌考」、「絞死刑」など見た。若松孝二監督もあの世に行ったし、今頃二人して喧嘩してるのやろ。

●1月14日(月)

   <成人式>

 今日は小雨模様の成人式。吉田神社で吉田在住の20歳を迎えた若人たちが、女性は晴れ着で、男性は背広を着て、雨に濡れるのを気にかけながら、保護者の人とともに三々五々集まり、本殿の中で神事。今年は19人の青年たちが集まった。

 吉田氏子講社長の福井晟さんが祝辞。昭和3年生まれの福井講社長は、東京へ行った時に空襲後の惨状などご自分の戦争体験を語られた。今、戦争体験を平成の時代に生まれた若者たちに語る人はほとんどいないし、戦争を知らない戦後生まれのぼく自身も改めて戦争と平和を考え、2度と戦争を起こしてはならないと決意したのです。

 で、ぼくの二十歳のころは、反戦脱走米兵をかくまっているころで、デモと大学のバリケードの中でウロウロしていて、革命家チェ・ゲバラにあこがれていた青春でした。夏には、ベトナムへ空爆に飛び立つ復帰前の沖縄でワークキャンプに参加して、沖縄を旅した20歳だったなあ。あれから44年も経つのか。

   <太田雅夫さんと八重のこと>

 午後、岡崎の太田雅夫先生宅に。年末に亡くなった玉子夫人に線香をあげて、朝粥の会で新島襄と八重さんの話を講演してもらうべく、打ち合わせ。NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公、八重さんは、会津若松から京都に来て、わが母校の鴨沂高校の前身の会津若松から27歳で京都に来て、わが母校鴨沂高校の前身、府立第一高女のさらに前身の京都女紅場で英語を教えておられたとか。そして同志社の創設者新島襄と結婚。墓は哲学の道を上がった若王子にあるが、太田先生は新島襄の研究者でもあり、お話を聞くのが楽しみ。太田先生の前妻の光子さんが社会党の市会議員で、彼女の後継者としてぼくは3度目の挑戦で初当選したのが26年前のこと。
 
 午後遅く、前原事務所にて民主党京都2区総支部の常任幹事会。
 ぼくが起草した選挙総括文など検討。2区においては、要は、民主党への大逆風下、前原候補も民主党の顔として他候補の応援に行って京都を留守にしていたが、前原後援会、自治体議員、連合京都の三位一体の選挙運動で自民党候補の比例復活を許さず、7期目の当選を果たしたが、比例区では維新に負けて大反省!陽はまた昇る!ことを期待して、地道にがんばろう、ということ。されど選挙中のとある問題についての対処のことが悩みの種。

 夜は、西院の居酒屋で京都サイクリング協会の新年会。アースライドなどで彼らと出会って4年かな。守時会長は、吉田の剣鉾仲間。井原理事長ら、同世代も多くて、70代の女性の元気なサイクリストも。ワイワイいいながら楽しく過ごす。この6月に1年ぶりに京都アースライドも開催される予定。ぼくもママチャリで走ろうかな。

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64歳の誕生日  1月11日ー13日

2013年01月20日 | 日記
●1月13日(日)

   <64歳の誕生日  消防出初式>

 今日は64歳の誕生日。カミさんから「おめでとう」のひとこと。そしてたくさんの方から、フェイスブックでお祝いの言葉をいただきました。うれしいねえ!感謝です。もうひとふんばりしましょう!

 チャリンコで岡崎へ。恒例の京都市消防の出初式。今年はどんよりした天気だったが風もなく寒くもなし。赤いオープンカーに乗って先頭を行ったのは、6年前か!消防車など車両、そして消防職員、消防団員、自主防災会、学生サポーター、消防少年クラブ、園児たちの行進があり観覧席から各議員は、自分の選出区の行進が来ると立ち上がって拍手で迎えるのが習わし。久しぶりに会う消防局のOBや地元消防団や自主防災会の知人らに挨拶して退出。
 

   <琴基都君の告別式> 

 今日は女子駅伝の日。交通規制に引っ掛かることなく、四条は天神川の葬儀場に。在日の友人、琴基都君の告別式に参列。ぼくが議員になった頃、朝鮮総連左京支部の委員長だった。その後、彼は、国際部長として日朝友好のために活動をしていたので、様々な場面で出会った。
 拉致問題やミサイル問題などで、国交正常化への道は険しいが、色々と議論をした仲。
 数年前に倒れて長い闘病生活を送り、見舞いにも行ったことがあるが、帰らぬ人となった。彼が望んでいた祖国の統一と日朝国交正常化が実現できるのはいつの日か?享年56歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

    <らーめん はらだ>

 その後、一乗寺のラーメン激戦区にラーメン店を開店した小学校時代からの友人原田恒男君の店「らーめん はらだ」の試食会に。下関で魚箱を扱う仕事をして、またラーメン屋もしていた、諸事情があって京都に戻ってきてタクシーの運転手などしながらラーメン店開店の夢を追いかけていた。とある縁で、このたび開店にこぎつけた。豚骨をベースにした九州は久留米ラーメンがその元。実にさっぱりした、またコクのあるスープで美味いよ!ぜひ応援してや!団塊の世代の再挑戦だ!がんばれよ!

 事務所への来客は、京大教員のドイツはケルン生まれのトラウデント夫妻。ケルンと京都市の姉妹都市30周年記念事業への協力の依頼と打ち合わせ。

    <クリーニング組合の新年会>

 午後4時からは、京都府クリーニング組合の新年会。ぼくが顧問にならしてもらったのは4年ほど前かな。京都府内のクリーニング屋さんが集う。自民党の伊吹、西田議員に、わが前原議員も来賓。ちょっと火花が散った。ぼくは、左京のクリーニング屋さんらに挨拶。
 国交省が引火性溶剤使用について、クリーニング店の建築基準の見直しの指導をするとかで、個人経営の店は色々と心配をされていたが、ちょっと今は落ち着いている様子。

    <環境・文化首都京都を考える新春交歓会> 

 夜は、京都生涯教育研究所設立40周年記念「環境・文化首都京都を考える新春交歓会―環境と文化の時代、いまここに始まるー」に参加。主宰者の冨士谷あつ子さんは、わが鴨沂高校の元気な大先輩。女性学の先達者でもあり、エッセイストでもあり、多岐にわたる活躍をされている。
 「人々が人間らしく生き、文化創造が可能となるような自然環境・社会環境の改善に努める」という趣旨のもと、「環境・文化首都京都宣言」を目指しておられる。
 角倉了以のこと、日仏少子化抑止研究交流プロジェクト、食と農、衣と住の研究など今後プロジェクトチームを作って、活動をすると報告など。ぼくもお手伝いできることがあれば、いいな。
 今日は、64歳の誕生日です、と言って、京都市の取り組みなどぼくも短いスピーチ。多彩な人に出会えてええ会でした。

 帰宅したら、娘から靴下のプレゼント。ありがとう!

●1月12日(土)

    <吉田神社で便所掃除>

 朝6時半に起床。眠たい!7時過ぎに吉田神社に。正月恒例の「京都掃除に学ぶ会」の便所掃除に、山岸副議長に誘われて参加。会長は門川大作市長。作務衣を着込んだ大作さんは、便所掃除の達人?山岸議員も熱心な会員で毎年来ている。5年前か、彼が百段から足を踏み外して骨折したのは。ギブスをしながら市長選挙にがんばった。

 彼の指導に従って、鳥居のところにある公衆トイレ清掃のグループに入って便器に手を突っ込んで清掃活動。ぼくはもともと怠け者なので、積極的ではないが、まあ地元やし、年に一回ぐらい付き合うか、といった感じ。手がかじかむが、最後は汗が出た。清々しい気分だ!ということにしておこう。終わった後での豚汁は体が温まりうまかった!秘書さんが迎えにきて市長は次の公務に。秘書もたいへんだね。それにしても大作さんのエネルギーには驚くね。たまの休みは家でゆっくりしてたらええのにね。

    <京都市学校職員労働組合の旗開き>

 着替えて、京都市学校職員労働組合の旗開きに。小中学校の管理用務員さんの組合。昔はおっさん連中が多かったが、このところは植田委員長をはじめ女性が張り切っている!
 学校で教室には行けないけれど、彼女達、管理用務員さんの部屋で時間を過ごす生徒もいるということや、年末には学校の体育館がいざという時に避難所になることもあるので防災研修会に取り組むなど積極的な活動を展開している。乾杯は、昆布茶でした。

 午後は、事務所にて、衆議院選挙の総括文を起草すべく前原事務所の齊藤所長と協議。前原議員は7期目の当選を果たせてよかったけれどまあ色々と苦労したよな。

    <吉田学区民 新年会>

 夕方は、わが吉田自治連主催の吉田学区民新春の集い。わが吉田には共産党の比例参議院議員と府会議員が。市会議員はぼくひとり。校区の近衛中学校と第四錦林小学校の校長先生らも参加。
 民生委員、社会福祉協議会、町内会長、自主防災会、女性会、少年補導委員会、消防分団、体育振興会の役員ら70人ほどのメンバーが懇親を深める。子どもたちの見守り活動も長く続いているし、去年は、自主防災会が、内閣府防災大臣表彰を受けるなど、地域力があるところ。腰を落ち着けてビールと徳利をもって挨拶回り。初対面で顔を知らなかった人は2、3人かな。民主党の話も多く出たが、今日はその話はやめましょう、と政治の話はご法度。散会後、辻左京副区長と近くのお好み焼き屋で四方山話。

●1月11日(金)

 午前中、コムページの牧野君、新年の挨拶がてら来所。左京ライフの充実と今後の方向性について話す。

 午後、岡崎の障害者の作業所「あおい苑」に経糸の会のメンバーとご挨拶に。この6月に李広宏をゲストに予定している「ヒューマンふれあいコンサート」にミュージックベルの演奏のお願いに。

 その後、左京総合庁舎に、一乗寺のラーメン街道にラーメン屋「らーめん はらだ」の開業を準備している原田恒男君を伴って、保健センターへの許可の書類について説明を受けに出向く。原田君とは、小学生5、6年の同じクラスで、高校卒業後、下関で魚箱を売る仕事をし、またラーメン屋も開業していた。とあることで京都に戻ってきてタクシーの運転手をしていたが、多くの人に助けられてこのたび、ラーメン屋を開店することになった。とんこつ味の絶品のラーメンをつくる。わが同世代として、人生再挑戦を応援したい。ぜひ食べに行ってや!

 その後、事務所には、左京の保育園連盟の役員の園長先生が来所。左京選出の議員と保育関係者との懇談会について日程の打ち合わせや協議内容について色々と懇談。11月12月に予定していたが、選挙の関係で2月中旬にすることで調整を図ることになりました。

    <連合京都 旗開き>

 夕方は、連合京都の旗開き。細田会長の挨拶は、選挙結果を受けてシビア。されど参議院選挙をがんばろうと決意もみなぎった挨拶。
 来賓挨拶は、山田知事、門川市長に山井民主党京都府連会長。連合京都の推薦を受けた京都府内の多くの自治体の市長や副市長、そして民主党の国会議員に、落選組も参加。こころなしか、元気がないのも仕方がないなよね。
 それから鏡開き、清酒で乾杯して、しばし懇談した後は、1区から6区まで順番に、自治体議員が登壇して挨拶。その後、各テーブルを回って知り合いに挨拶。いつもの旗開きの光景。二次会に行くことなく帰宅。
 

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2013年年明けの日々 1月1日ー10日 

2013年01月13日 | 日記
   
 寒中お見舞い申し上げます。
 本年もどうぞよろしくお願いします。
 ちょっとさぼっていた日記を元旦から10日までようやく更新しましたよ!
 

● 1月10日(木)

      <韓国民団のみなさんと>

 朝10時から韓国民団京都府本部の新春年賀交歓会。昨年10月末に韓国孤児の母、田内千鶴子さんの生誕100周年記念の国連孤児の日制定運動で一緒に渡韓した民団王団長らや婦人部の会長さんらに挨拶。
 王清一団長は雄弁ではないがとうとつと挨拶されて好感が持てる。長い付き合い。朴新大統領が誕生して、日韓関係の好転を望むのみ。地域住民として文化交流や普通の人としての友でありたいね。
 市会議員らは全員が壇上に上がって紹介してもらう。ぼくは今年も、「セヘ ポンマーニ パドゥセヨ」といつもように挨拶。今年はハングルを本格的に勉強したいなあ。懇親会にも参加したかったが次の催しに。

      <ライオンズクラブ 新春合同例会>

 正午過ぎ、ライオンズクラブは、2R!Zの新春合同例会。洛陽、北桑田、堀川、天神川、ときわ、ニューセンチュリーに女性の会員のチェリーライオンズの会員が揃う。地域の奉仕するというのが、ライオンズの目標。
 ぼくは今期京都高野川の会長なのですよ。元副市長夫人もお元気になられて参加されていて何よりでした。クイズ形式での楽しい時間は、京都にまつわる問題だったので、商品をゲット!記念撮影も。新年恒例の光景。
 かつてはビールも出ていたがこの数年はなし。最後は大の大人が、輪になって手をつないでライオンズの唄を歌のが、いつもながら気恥ずかしいよ。ようやるよ。

      <人権擁護委員会研修会>

 その後、京都地方法務局にて、人権擁護委員会研修会に参加。「こどものいじめの現状と課題」について、京都教育大学教育支援センター教授の桶谷守先生が講演。
 大津市いじめ事件第三者調査委員会のメンバーでもあり、大津のことは最後の報告書のとりまとめにこの週末にかかるという時期での講演。外国でのいじめとの比較や有識者のいじめの考え方など色々と話されたが、要は、子供の目線に立って、どういじめ問題と向き合うのか、深刻な問題だけにぼくも真剣に拝聴した。

      <自治労府本部旗開き>

 夕方は、自治労京都府本部の旗開き。司会は、友人の高橋君と学職労の安岐さん。京都市など市町村の自治労労組や競輪、埋蔵文化財研究所労組、関西セミナーハウス、京都ユース協会の労組なども自治労傘下。この6月には、京交も合併、統合されるという。友人らに新年のご挨拶。帰途、どこにも立ち寄らず事務所に戻って、さぼってきた「ひとくち日記」を一気に打ち込む。


●1月9日(水)

      <新年最初の教育福祉委員会>

 年が明けて第2週ということで市会は常任委員会の開催の週。新年早々、教育福祉委員会が開催。教育委員会からは、市民意見募集の結果を受けて、「京都市立工業高校将来構想委員会の最終まとめ」について報告があり質疑。要は、洛陽工業高校と伏見工業高校をものづくり都市として、人材育成などより総合的に図るために2校を再編しようという構想。答申を受けて教育委員会が今後、将来構想を練ることになる。 
 請願審査では、共産党の議員が紹介議員の「新しい高校教育制度の拙速な導入の反対」などは多少議論されて留保。
 一般質問では、文部科学省の発表を受けて、メンタルヘルスで求職中の教員のことなど質疑が交わされた。
 
      <ノロウイルス対策はいかに?>

 保健福祉局からは、報告案件はなくて、前日の5時までに通告のあった共産党議員からの市営保育所の民間移管についての質疑。そしてぼくも昨日通告しておいたノロウイルスの感染状況や対策について質疑。少なくともぼくの周りには2人が感染したことなど触れながら市内の状況を問い、また対策について議論。
 議員団のスタッフが摘録を作ってくれているので、張り付けておきましょう。土井部長とのやりとり。
「○ノロウイルスの現状と対策について
(Q)京都の状況は。いつ頃から流行しているのか。
(A)毎年11月頃から増え始め、冬場がピークになる。
 現在のところ、病院等の社会福祉施設で42件、食中毒についても8件発生している。
(Q)病院からの報告について。
(A)年度統計をしており、24年10月頃から冬にかけて30件となっており、20件ほどは似たような疑わしい事例があった。
(Q)今後の予防対策は。それぞれの家庭で何をすべきか、飲食店への指導は。
(A)今現在把握している患者数は439人である。今後も暖かくなるまで収まることはないと考えている。
 各自の対策としては、普段からうがい手洗いをしていただき、栄養をとっていただく事。嘔吐などをした場合、トイレの清掃は充分にしていただく。
 調理師については手洗いを念入りに、食品は85度まで熱する。講習会もさせていただいており、今後も啓発活動を行っていく。
(Q)感染した場合はどうすればいいのか。薬はあるのか。
(A)ノロウイルススのワクチン、特効薬はない。ただし高齢者や幼児に関しては危険な状態となる場合もあるので適切な対応をしてもらいたい。自身の判断で病院に行く等の対応をお願いしたい。」
 
 もしぼくが感染したら、家で寝てるしかなさそう。毎晩アルコール消毒しているし大丈夫やろう。みなさん、ノロウイルスによる感染症にはくれぐれもご注意を!

      <京都府歯科医師会新年互礼会>

 委員会終了後、午後3時から京都府歯科医師連盟の新年互礼会。自民、公明、民主の国会、市会議員とともに府内一円から府会議員が多数参加。12月の選挙で当選した自民党の新人議員の顔を初めて見たよ。

 京都府議会では、昨年12月26日の本会議で、議員提案として「京都府歯と口の健康づくり推進条例」が制定されたという。知らんかったなあ。山田知事らからその話が披露された。
 一方、門川市長は、京都市会で清酒条例が制定されたことを披露。そして乾杯は、もちろん日本酒でした。陽の明るいうちに飲む日本酒はよく回る。アルコール依存症にならんように自戒しよう。
 着物姿のわが主治医の吉田民夫先生らにご挨拶。今年もお世話になりますよ。

 夜は、京都水道労組の旗開き。髭の松田委員長に風格が出てきたなあ。2区の前原選挙の会場設営などを手伝ってくれた組合役員さんらに挨拶。
 解散後、今年初めて改装なった韓国料理の店「新羅」でくつろぐ。キムチ卵丼で人心地。

●1月8日(火)

      <新年会と旗開き>

 今日から本格的に新春の恒例、各種団体の賀詞交歓会や組合の旗開きが始まる。

 まずは、京都府宅建協会の賀詞交歓会。民主党政権になってからぼくも呼ばれるようになったが、自公政権になってもお招きがあった。各会派の市会議員らにも挨拶。友人の宅建協会の人らにご挨拶。知事表彰なども。

      <社会福祉大会> 

 午後は、教育福祉委員会の委員と一緒に京都市社会福祉大会に。
 壇上には、綺麗に着物を着飾ったわが町内の菊池嵯智子さんが座っておられてびっくり。長年の民生児童委員としての功労者として代表して市長表彰を受けられた!おめでとうございます。その他、老人福祉委員、社会福祉関係者や団体の功労者らが表彰されました。ご苦労さんです。最後に「ともに信頼の絆をつむぎ、京都の福祉力を高めることを決意する」と大会宣言が読み上げられお開き。去年は修光学園の森昇先生が読まれていた。改めてご冥福を。

 夕方は、グランビアでの自治労京都市職労組とロイヤルホテルでの京都交通労組の新年の旗開きをハシゴ。瀬戸京交委員長の誕生日でえらい盛り上がってました。

 民主党の国会議員の挨拶は、選挙支援のお礼とともに反省の弁、さらに夏の参議院選挙勝利に向けての挨拶だが、やっぱ元気ないよ。
 
●1月7日(月)

    <左京区新春文化の集い>

 10時から区役所で左京区新春文化の集い(新春賀詞交歓会)にカミさんと行く。左京区の市政協力委員や社会福祉協議会など各種団体長、それに左京区選出の府市会議員が揃う。今年も前原議員も参加。もちろん門川市長もいつものように羽織袴姿で登場。
 恒例になっている都山流大師範中川廣山さんと生田流の師範中川景子さんの琴と尺八、岩倉南小学校児童の琴の演奏でオープニング。今売り出し中の未生流笹岡家元の笹岡隆甫さんが、竹筒に松などをいけた花の解説。そして楽しい福引大会。今年も飴が当たったよ!

     <映画「「ホビットー思いがけない冒険」>

 午後、久しぶりに映画館に。シルバー料金で千円だ。映画「ホビットー思いがけない冒険」を見たかったのだ。
 岩国に1972年に開店した反戦喫茶「ほびっと」こそ、この映画の原作となったトールキンの「ホビットの冒険」から名前を頂戴した。
 魔法使いのガンダルフは、さしずめ哲学者の鶴見俊輔先生で、六平君やぼくらはビルボ・バギンズだった。中川六平君は「ほびっと・戦争を止めた喫茶店」(講談社)としてその記録をとどめているが、鶴見先生は「ベトナム戦争はベトナム人民の勝利に終わった。やがて人間は過ぎていく。その終わりの前に、日本人民の中にひそんでいるホビットやザシキワラシに呼びかけて新しい反戦運動が起こるのを待つ」と、書かれている。
 反戦喫茶「ほびっと」が開店して40年かな。思いがけない冒険から40年。遠くまで来たものだ。ぼくらの冒険はもう終わったのか、それともちょっと続くのかなあ!

     <寺田バレエ ニューイヤーバレエコンサート>

 夕方は、びわこホールでのキエフとの文化交流に尽くされた故寺田博保さんを偲ぶキエフバレエ団と寺田バレエ団によるニューイヤーバレエコンサートに。キエフバレエ団の世界のプリマ、エレーナさんや寺田バレエのプリマによる「くるみ割り人形」や「白鳥の湖」そしてフィナーレは「コバック」。躍動する彼らの舞台はいつ見てもスゴイ。そしていつもながら凛とした高尾美智子さんには敬服。京都会館が竣工したらぜひ京都で公演してくださいね!


●1月6日(日)

 10時過ぎ、岩倉の大木工務店の餅つきに。元気、やる気で住宅建設に邁進。毎年正月の餅つき大会で元気をもらう。

     <最初の街頭演説!>

 正午には三条京阪に。2区総支部の府市会議員が揃って恒例の民主党京都府連の大型宣伝カーダッシュ号の上で街頭演説。寒風は吹くことなく比較的暖かくて助かった。前原議員が7期目の当選を果たしたことのお礼などを述べるが、選挙で惨敗してさあ新年になって反転攻勢をかけたいと決意をしたいところだが、イマイチ元気が出んよ。ほんまに、これから民主党はどうなるんやろ?

 午後は、事務所で弟が代表取締役の鈴木マイクロ研究所の株主総会。
祖父が東一条に店を開いたのは、遥か昔。パソコンの普及などでスライド作成の仕事など激変して、技術革新について行けずに青色吐息。なんとか活路を見出す営業努力が必要。医療学会などでの発表される方を応援する新商品が売れればいいのだが。

     <高野パチンコ店出店 説明会>

 3時過ぎには、京都市のまちづくり条例に従って、高野の旧ホリデーイン、現アバンシェルホテルに計画されているパチンコ店の出店計画についてホテルパートナーズという事業者の説明会。会場は300人ほどの住民が集まり事業者とやり取り。住民の声にのらりくらりと応える事業者に腹が立つ。風営法など関連法令では出店できるということだが、道ひとつ隔てたところは閑静な公団住宅のあるところになんでパチンコ店やね!
 ぼくはちょっと疲れていたので6時半頃に退出したが、参加していた友人が下記のようにメールを送ってきたので、張り付けて置きます。

 「今日の説明会でも前回と同じく平行線。 パートナーズは十分説明したと説明会を打ち切ろうとするし、我々としては全く答えになっていない、前回の質問にすら答えていない(本当にでたらめなレベルでの答えしか返ってこない。)ので、引き続き説明会を要求した。 
 たとえば、パチンコ屋を立てて、地域住民の福祉にどう寄与するのか、さっぱり説明されない。 さらに、アクシス(設計会社)の説明では、1000台近い駐車場ができるにも拘らず、交通量が今より増えるとは考えていない⇒この発言の根拠は何もないとのこと。
 一貫して、でたらめ且つ根拠のない説明が続いただけだった。最後は、パートナーズは一々根拠など示す必要はないと言い張る始末。
 青少年の育成に悪影響はあるとは考えていないとか、日本では極一般的に親しまれている娯楽としてパチンコを捉えているとか、地域との共存共栄を目指していると言いながら、パチンコ屋は立てますの一点張り。自分の発言の無住は全く意に介さず。ホテル・パートナーズとは、企業倫理などまったくない会社で、事務所もない、従業員は6名?とかで、会社として体をなしていないことが露呈しただけの説明会でした。
どこまで行っても、平行線なので、アクシズもパートナーズも行政の判断には従うということで、街づくり条例にもとづく説明会がこれで終わりでいいかどうか、行政に判断してもらうということになりました。行政から再度説明会を開き住民への説明をするように指導されたら、真摯に受けて、説明会をもう一度開くということを明言しました。
とりあえず報告しておきます。2時から7時半まで、休憩なしでの説明会で、もうくたくたですわ。でも、最後まで残った人がほとんどで、皆の危機感は相当大きいし、関心の高さを象徴していると思いました。
この問題は、今後もっとおおきくなっていく可能性があると思います」

 以上です。

●1月5日(土)

    <京都府生協新春交歓会> 

 昼には京都府生活協同組合連合会の新春交歓会に。共産党、公明党の府議と市議らも参加。知り合いの関係者に挨拶。民主はぼくだけかと思っていたら、山井、前原、泉ケンタ議員も登場。テレビで大学生協でプリンを注文ミスをして、それがインターネットで学生に広がって全部売り切れたというニュースを思い出した。わが友人たちが立ち上げた生活クラブ生協エルコープのメンバーは不参加だったみたいです。

 午後、久しぶりに阪急に乗って大阪に。梅田の雑踏に圧倒される。
 立ち飲みの串カツ屋で一杯。たまには大阪で飲むのもいいなあ。

    <大阪ワンネス人材育成機構の説明会>

 夕方、江坂駅で元市会議員上倉哲郎さんの娘の妙さんと落ち合って前からの約束でNPO法人大阪ワンネス人材育成機構の説明会に。30代前後の若者が中心の集まり。人生には脚本があって、人との出会いの中で、自己発見したり、人とのコミュニケーションをより円滑に進めようという心理学を応用した講義。実習として初対面の青年と5分間ほど対話したりして、楽しい時間を過ごす。人生を振り返るのもいいかな、と思うけれど、この齢になって、あれこれ思案するのもしんどいな。帰りは京阪で帰る。

●1月4日(金)

   <京大西部講堂横のボックスがボヤ!>

 午前中ゆっくり。午後、事務所にて年末に中途半端で終わっていた資料の整理など。新年の挨拶の来客が3人。

 夜、左京消防署から京大西部講堂で火災の発生の連絡。わが青春の西部講堂の隣の荒れ果てたクラブボックスの建物でボヤ騒ぎ。正月早々、女性分団員さんも含めて、吉田消防分団員さんも早速出動。西部講堂本体はどうもなかったし、大火にならなかってよかった。火の用心、火の用心!

●1月3日(木)

 10時に吉田神社へ。本殿と神楽岡社と今宮社にお参りした後、参集殿で吉田氏子講社の恒例の理事会。冒頭、福井講社長ら永年の理事さんたちの表彰式。講社長や宮司さんのご挨拶があって、予算や今年の行事の確認など淡々と議事は進み、1時間ほどでお開き。長老らに新年のご挨拶。来月は節分祭。

 午後、カミさんと愚息と一緒に両親を連れて嵯峨野の叔母の家に。従姉夫婦に歓待してもらう。親父の妹の叔母は、大正13年生まれ。朗らかな叔母はピアノを弾き、大正15年生まれのお袋と二人でローレライなど唱歌を唄う。それを大正8年生まれの親父が、にこやかに笑いながら聴いている風景はなんともいえんな。ぼくの20年後はどうなっているのかな?
夜、テレビを見ながら愚息の土産の奄美の黒糖焼酎でええ気分。

●1月2日(水)

 ゆっくり起きて、朝から御屠蘇。今朝はすましの雑煮。

 午後、散歩がてら初詣に。須賀神社、熊野神社、平安神宮、2年前は卯年でたくさんの参拝者があった岡崎神社から、哲学の道にある大豊神社に。大豊神社では、剣鉾仲間や神輿のリーダーに会い新年の挨拶をして、それから錦林車庫西の日吉神社にお参りして、友人の健康回復を祈願。御利益がありますように!

 夕方は、末の弟の娘、姪っ子が東京から帰ってきていたので、またまた宴会。ディズニーランドで仕事をしているとかで、元気そう。ぼくは疲れていて10時過ぎには就寝。

●1月1日元旦(火)

 2013年の元旦、いつものように7時過ぎにホカロンを張り付けて礼服で吉田神社へ。本殿前で元旦恒例の歳旦祭。地元の氏子講社のみなさんと一緒に雅楽が鳴り響くなかで安寧な一年であることを祈る。風はなかったが、手がかじかむ。
 参集殿にて「一月一日」と「年の初め」の歌を歌い、乾杯。
 澤井宮司さんは曰く、今年は、癸巳(みずのとみ)という年で、冬枯れの季節にそれまで見えなかった四方の水路が見えてくる、或いは先端が三つに分かれた矛の象形からきていて、一揆や紛争を生じやすい気で、上位に立つものが物事を正しく判断しないと後に抗争をもたらすといわれている。巳は、新たに始まるという意味もあるといわれていると新年のご挨拶。わが地元の長老や剣鉾仲間に新年の挨拶をして、帰宅。

 愚息が奄美から帰ってきたので、娘も一緒に家族4人で白味噌雑煮と友人から頂いた久保田の万寿で祝い酒。正月は朝から酒が飲めてうれしいね。たくさんの年賀をいただいて感謝。
 
 午後は、嵯峨のケア付きマンションで暮らしている両親をわが4人の家族と末の弟らと訪問。ここで暮らし始めて3回目の正月。大正15年生まれのお袋は、耳が遠く、食欲もちょっと落ちてるかな、今年で86歳。親父はマダラ症候群だが、入れ歯は一本も無く健啖家。持参したおせち料理を美味そうに食べてご機嫌の様子。大正8年生まれで今年は94歳かいな。誰かわかるか!と問えば、長男やったなあ、と覚えてるようだ。家族で写真。末の弟も今年還暦だと。
ぼくもカミサンも今年は64歳になる、結婚して40年を迎える。
いやはやなんとも遠くまで来たものだ。

 夜は、年賀状を読みながら、テレビで「相棒」を見てぼんやり過ごす。昨夜の紅白は、ヨイトマケの唄がよかったね。

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