元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

初夏の陽射しですね!  4月20日ー28日

2012年04月29日 | 日記
●4月28日(土)

   <日韓親善協会理事会>

 午前中、日韓親善協会の理事会。理事長は二の湯参議院議員なのだが、同期で市会議員選挙に当選した仲、昨年の活動報告や会計報告、今年に活動計画や予算案が承認される。京都府がこの夏に舞鶴港から交流の船を出すという。日程が合えば行ってみたいな。

  <京都市動物園 もうじゅうワールド竣工>  

 昼過ぎには岡崎の動物園に。夏日で暑いよ!この間整備が順次進んできたが、「もうじゅうワールド」の園舎の竣工式。幼稚園児らが見守る中、市長らが挨拶してテープカット。ツシマヤマネコ、ジャガー、ライオン、トラがガラス面から間近で見られて空中通路などもあり観察しやすくなった。雄ライオンが堂々と観覧者に向かって睨みをきかしていたよ。中野洋一くらし環境委員長が可愛い赤ちゃんを連れて幸せそうなパパ顔していたのもよかったよ。新緑がきれいな動物園にせひ行ってくださいね。

   <電動蹴球団 SONIC>

その後、高野の障害者スポーツセンターに。京都電動蹴球団SONICの練習試合を見学に。久しぶりに試合を見たが、吉村君や河前君は随分とたくましくなって電動
車いすを果敢に操ってボールを回してゴールを狙う。大阪のチームに勝ちました。ようがんばったね。

 急に暑くなったビールがうまい季節! 

●4月27日(金)

   <公園体操に参加> 

 朝、近くの近衛広場で左京区地域介護予防推進センター主催の公園体操でご近所のみなさんと一緒になって、雲ひとつない晴天で気持ちいい汗を流す。たまには体を動かさいと。民生児童委員さんたちの手話による歌も勉強する。

 その後。相談ごと一件。緊張すると過呼吸になって仕事ができなくなったと深刻な悩み。まずは病院に行って診療してもらってからまた相談しようということに。

 昼過ぎ、保健福祉局の担当者が5月定例市会の議案の説明に。国民健康特別会計の繰り上げ充用と子供手当が児童手当になったのでシステムの変更の作業の補正予算など。  


   <どうなる京都の高校制度> 

 午後は、京都市・乙訓地域公立高等学校教育制度に係る懇談会を傍聴に行く。
 15の春は泣かせないとかつて某知事が言っていたが、ぼくらの時代は、高校3原則で公立高校はそれなりの大学進学も一浪すればなんとかなていた。その後、色々と制度は見直されてきたが、バス停方式も含めて問題が生じている。
 総合選抜制度も含めて見直しをしようということで昨年来、府教委と市教委が協力して懇談会が設置された。議論を来ているとどうも単独選抜制度の方向に流れているような気がしてならないが、特色ある高校とかセフティネットとしての制度の議論などもあり、各委員が真剣に議論を尽くしていることにはわかった。
 高校無償化による影響や私学との共存もあるだろうが、生徒たちの自己実現のための学力向上や進路保障に努めなければならないだろう。議論の行く末を見守りたい。
 夕方は、ぼくも役員をしている知的障碍者の施設「わかば会」の理事長らと懇談。開設されてもう5年目かな。なんとか順調に運営されている。今後の夢を熱く語る理事長の思いを実現させてあげたいなあ。

●4月26日(木)

 朝8時過ぎに嵯峨のケア付きマンションに住んでいるおふくろを迎えに行く。93歳になる親父も久しぶりに会うがまあまあ元気そう。昨年秋に白内障の手術をして6か月検診でバブテスト病院の眼科に同行する。85歳の老母は、難聴で大きな声で喋らんといけないが、術後の経過も良好のようでほっとした。

 待合室のテレビでは、小沢一郎元代表の政治資金を巡る裁判で無罪の速報。これでまた復権して民主党の党内抗争は激化するのだろうか。ええかげんにせえよ!
 午後は事務所で雑務。夕方、同志社の総合政策科学研究科で出会った飛鳥祥三氏らと一献。京都市役所職員だった彼は早い目に退職して今は大阪学院大学で教員をしている。髭をはやしたおもろいおっさん。なんやかんや言いながら遅くまで飲んだ。

●4月25日(水)

    <教育福祉委員会>

 毎月第4週の水曜日は教育福祉委員会。保健福祉局からは災害発生時における福祉避難所の事前指定などに置ける協定の締結について報告。
 福祉避難所として災害時に高齢者施設、障害者施設107箇所、福祉用具などの物資の提供を福祉介護用品協会と締結することになる。左京では市原寮や修光学園など10箇所。
 ぼくは、過日仙台市に議員団で他都市調査でいた際、要援護対策と福祉避難所の運営について調査、説明を受けていたので仙台での取り組みを紹介しつつ議論をする。京都市では要援護者への取り組みはこれから。
 一般質問では、保育所の耐震化、保育所の給食放射能検査、宇治市の福祉施設の不正請求による京都市の被害、ワクチン
接種のこと、看護短大、保健士の養成、保育士の非正規職員のことなどが話題になった。
 4月の人事異動で部長になって初めて答弁するのも大変ですね。
 午後は、教育委員会との質疑。大飯原発再稼働問題に絡まして冷房対策、某中学校生徒の逮捕と連絡。中学生の進路、高校の中退率など資料の要求や不用図書の処分のあり方などについて質疑がありました。

   <アースディコンサート>

 夕方は、わが近くの東一条の関西日仏学館での自治労京都府本部主催のアースディコンサート。京都市交響楽団の音楽家労組のフルート、バイオリン、コントラバス、チェロの奏者が室内楽を奏でてくれる。カルメンやトルコ行進曲、天空の城ラピュタ、ひまわり、など聴いたことのある曲も演奏。ドリンクタイムもあってよかったよ。
 散会後、百万遍の居酒屋でこの春から某組合の書記長なった友人と一献。がんばりや!

●4月24日(火)

    <斉藤尚さんと二宮幸司君の作品展>

 わが事務所の一階はフリースペースとしてカルチャーガーデン吉田の森と名付けているのだが、イラストレーターの齊藤尚子さんと造形作家二宮幸司君のコラボレーションの作品展の搬入。尚子さんは動物のイラストを描くのが得意で、動物園のショップでも売っているが、彼女の描いた動物を精華大学出身の二宮君が木材で造形作品にしたもの。その融合にはいささかびっくりした。飾り付けをやっている若い彼らを見ているとうれしいね。

    <京都会館再整備案の説明に>

 事務所への来客は、京都会館の再整備について担当者が説明に。色々と議論があるが、加藤登紀子さんのコンサートなど主催した経験のあるぼくからすれば、建物の外観より、舞台の機能充実やバリアフリーのホールにしてほしいというのが願いだ。詳細設計にこれから入ることになるが、楽しみにしているよ。

 ところで、朝からわが必需品の市会手帳が見当たらずで右往左往。色々と日程調整の電話がかかってくるが、仕事にならず。物忘れが進むしどうしようと悩む。ことの顛末は、衣替えで部屋に置いてあった厚手のジャケットのポケットを探したら、出てきましたがな。よかった、よかった!

●4月23日(月)

    <カラスの鳴き声がうるさいか?>

 朝6時過ぎ小雨模様だったが、岡崎神宮道界隈へ。過日、カラスの鳴き声が朝からうるさいので何とかなりませんかと苦情の市民相談があったので早速検分に。我が家の近くの吉田山周辺でカアカアと鳴いていたが、電話のあった周辺では特に鳴いているということではなかった。またの機会に早起きして行こう。それにしてもカラスはゴミを突いて散乱させるし東京で問題になっていたニュースを見た記憶があるが、果たして対策はあるのだろうか。

 事務所でちょっと転寝してベトナム日記を書いたり、ある原稿の校正をしたりで雑務をしたが、マインスイパーにまたまたハマってしまった。我ながらアホや。 

●4月22日(日)

    <朝粥の会 臨床美術とは>

 毎月第4日曜日はわが事務所で「朝粥の会」を開催している。近所の方が10人ほど参加してくれている。今日は、話題提供は 「脳いきいき臨床美術」と題して尺八の師範中川明廣さん。認知症などの改善のを目的に開発された 臨床美術を体験。パステルで心象を描く。久しぶりに絵を描いたよ。94歳の模型作家の人も参加、和気あいあいと日曜日の朝のひと時をゆっくり過ごす。

    <上倉哲郎さんの7回忌>
 
 昼前、銀閣寺交差点近くの「すいれん」へ。市会議員だった上倉哲郎さんの7回忌。当時の民社党の人や山形県人会のメンバーが集い、上倉さんを偲ぶ。宇都宮さんや宮本徹夫妻、石黒利雄君らも参加。ぼくは晩年お宅にお邪魔して将棋をよくした。お酒が好きで温厚な人だった。ひ孫さんたちも来ていて賑やかだった。

 帰途「みやこめっせ」での花と緑の市民フェアをのぞく。花き振興協会などが主催で花と緑に関係する諸団体が出店。産業観光局の農林振興室のメンバーが活躍。ご苦労さんです。

 それから左京西部いきいき活動市民センターでの春の文化祭に。餅つきを終わっていて残念だったが、ささやかな集まりだったが、川柳とダジャレ作品を集めてみなさんに披露。

 夕方事務所でパソコンに向かうが、ゲームソフトのマインスイパーにハマル。もちろん上級だが、なかなか上がれなくて腹が立つ。200秒をなんとか切ったが、熱中すると時間を忘れるね。

●4月21日(土)

     <平田オリザさんのヤルタ会談>

 午後、松井孝治参議院議員の京都からこの国のかたちを変える会主催の演劇とパネル討論「ヤルタ会談」フォーラムに。ゲストは劇作家の平田オリザさん。劇団青年団の女性2人がルーズベルトとスターリンを、太った男の俳優がチャーチルを演じる。インターナショナルをスターリンが歌い、第二次世界大戦の終結後の領土問題などを面白おかしく舞台で演じる。最初は落語のネタに書かれたというが実にリアルやな。苦笑の連続。
 松井議員とのトークでは、鳩山内閣のときに平田さんは、官邸でカフェを企画、また所信演説の原稿を書いたという話など。松井議員ならではの企画でユニークな試みでした。

 夕方は、祇園にある梨花苑のペイ・リハさんの娘さんHYANGH(ヒャンハ)のコンサート。2枚目のCDが発売になり、順調のようだ。左京のふれあいまつりでは舞台で躍動している。ますます綺麗になってきたな。応援してね。ブラジルに行っていた子息のKEIJU君も元気になってダンスを披露。店の常連の某氏の退職祝いも兼ねた夕べだった。

 9時過ぎには三条の錦水館に。1968年ぼくが同志社に入学した時のゼミで親しくなった田下、音喜多、キューバに一緒に行ったナベさんら民俗学研究会の恒例の同窓会に。40年を超える付き合いになった。女性陣もみんな元気で夜遅くまでワイワイ。

●4月20日(金)

 朝事務所に。ちょっと留守をしていた間に溜まった書類や郵便物やメールに目を通す。
 午後は市民から相談ごと一件。家の建て替えのことに関係して固定資産税のこと。
 1月1日が基準になるので、ちょっとややこしい。
 事務所でベトナム日記を書き始める。大飯原発の再稼働を巡って政府は京都府や滋賀県に説明をするとか色々と動き始めているが、原発からそう遠くはない京都市に住んでいる人間として安易に再稼働を認めるわけにはいかないぞ!
 旅の疲れがちょっとあるなあ。

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ベトナム日記 ③ サイゴンを視察、無事に帰国  4月18・19日

2012年04月24日 | 日記

●4月19日(木)

      <ベトナムから帰国>

 飛行機の中でうつらうつら。熟睡もできず。およそ5時間のフライト。7時に関西空港に無事に帰着。佛教大学の学生と安孫子和子さんと山本恵とぼくの三人組の珍道中もこれにて幕。ずーと付き合ってくれた日本旅行の布川さん、ありがとう。よう面倒を見てくれました。8時過ぎの関空快速と京阪電車を乗り継いで帰宅。いやはや疲れたよ。
 歴史都市会議に参加できたこと、駆け足だったがベトナムの風景を見て、いろいろと考えたりで有意義な視察でした。短い旅であったが、またいってみたいなあ。 

 ニュースでは、石原知事が尖閣列島を買うとか、わけの分からんことを言ってるよ。都議会は承認するのかね。
終日、ぼんやり過ごす。旅の疲れがやっぱりあるよ。阪神タイガースよう頑張ってるや。

●4月18日(水)

      <サイゴン・ホーチミン市を視察>

 朝、5時過ぎ起床。眠たいよ。6時にバスに乗って空港へ。7時からがベトナムでは仕事が始まるということで道路
はバイクで大混雑で喧騒。信号もないのによう走るなあ、と感心。道端では朝ごはんを食べている光景も。40分ほどでフエ空港に。午前8時の国内線で1時間ちょっとでホーチミン市へ。

      <戦争証跡博物館>

 かつての南ベトナムの首都、旧サイゴン市のこと。空港は大きい。早速、市内の官庁街にある戦争証跡博物館に行く。入ったところにはベトナム戦争に反対する日本のポスター。日本共産党系の団体の横にヤングベ平連のポスターが貼ってあったのとキューバのポスターが色々なことを思い出させた。館内には、アメリカ軍による空襲や地上戦の模様など石川文洋さんらの写真の展示やナパーム弾や枯葉剤の被害による子供たちの写真が惨い。南ベトナム政府が政治犯を拷問にかけた刑務所の部屋も復元されている。学生や外国からの観光客と一緒に見入る。戦車や戦闘機の展示もあった。
 あの戦争はなんだったのか!わずかな時間であったけれど歴史を凝視したということか。

 それから市場の見学。品物は豊富でものすごい雑踏。庶民のエネルギーを感じることができる市場を見るのはいいなあ。

      <旧大統領官邸で>

 午後は、旧大統領官邸、その巨大さに目を見張る。今は統一会堂と呼ばれていて、正面には大きな国旗が翻る。市民の会議場としても貸し出されているという。当時の大統領の居室なども公開されて地下には指令室なども。
 1975年、南ベトナム解放戦線が攻撃して陥落したのだ。戦車も置いてあった。そして南北統一されて社会主義国として人々は生きることになったが、風景はどこの大都会と変わらない。
 フランス植民地時代に整備された周辺の公園は緑豊かであるが、地方はどうであろうか。

 その後、ベトナム歴史博物館に行く。原始時代から中国から攻めてきた時代の攻防には大きな模型まで作ってあった。出土した遺跡や陶器など色々とあり少数民族の紹介のコーナーも。通訳さんが熱心に説明をしてくれました。

 それかラ街の中央に立つ巨大なタワー、68階建て262メートルのスカイデック。サイゴンの街を見渡す。高いところに登って知らない街を見るのは、ぼくの趣味。現地の人は入場料が高いので、閑散としていた。

 そして通訳に進められて水上人形劇を鑑賞。ストーリーはいまいちわからなかったがまさに水の上で人形がテンポよく動き回る。また袖で演奏と掛け声をかけるのも絶妙であった。

 夕食は、佛教大学の学生諸君らと解団式。彼らも色々なことを学んだであろう。

 空港に行く前に夜のサイゴンを垣間見る。フランス風の建物などがライトアップされていて賑わっていた。「シャチョー」と声をかけてくる男もいたが、治安がたいへん悪いという感じは受けなかった。

 夜10時には空港に向かい深夜12時30分のベトナム航空で帰国の途に。ベトナム戦争が終わって40年。社会主義国ベトナムがこれから先どうなっていくのか、注目したい。


 

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ベトナム日記 ② フエ市で世界歴史都市会議   4月16・17日

2012年04月20日 | 日記
●4月17日(火)


  <世界歴史都市会議 2日目>

 午前中はワークショップと市長らの円卓会議。フエ市の文化遺産保存の取り組みついて報告があり、近代遺産のことについては宗田府立大学教授のコメント。
 門川市長は世界遺産に指定された社寺が多くあることを述べて、東日本大震災に触れながら祇園祭の由来と市民が支えていること、文化財防火、景観政策によって広告物の規制のこと、市民が残したいものの登録制度のこと、地域力や自治の伝統と暮らしの哲学の大切さなどを日本語でスピーチ。その他韓国は慶州、中国は西安からの報告なども。


   <ベトナム子供の家を視察>

 午後も会議は続いたが、ぼくらはJASS(ベトナム子供の家を支える会)が運営する施設を訪問。
 小山道夫代表から説明を受ける。高校時代からベトナム戦争に反対してデモに参加していた小山さんが20年前にベトナムに来てストリートチルドレンに衝撃を受けて45歳の時小学校教員を退職して、フエに来て日本語教師をしながら子供の家づくりに邁進。
 93年に子供の家が設立された。今までに450人の子供たちが入所して育っていた。現在は65人の子供たちが入所して10人のスタッフが世話をしている。かつてはストリートチルドレンが多かったそうだが、最近は貧し農村からの子供たちが多いという。2段ベッドの部屋を見て説明を聞いた後、子供たちが歓迎の踊りを踊ってくれた。佛教大の学生諸君がお礼に「世界にひとつだけの花」をみんなで熱唱。日本からのボランティアで来ている大学生もいるんだね。今どきの若者も頑張ってる。短時間であったけれど有意義な時間だった。 

 夕食は、子供の家で育ったスタッフが料理し運営する日本料理店で酢の物やロールキャベツ、豚の角煮など日本の家庭料理をご馳走になる。そしてなんといっても生の地ビールが最高でした。小山さんとは、波乱万丈のベトナム体験記や今は亡き児童文学作家灰谷健次郎のことなどが話題に。
 そしてこの視察に付き合ってくれた日本旅行の布川氏と路上のカフェでビールを飲みながら、フエの夜は過ぎていくのでした。

●4月16日(月)

    <世界歴史都市会議 開会>



朝9時に世界歴史都市会議会場のホテルに。歓迎の挨拶はフエ市人民委員会議長やベトナムの文化スポーツ観光大臣に続いて、世界歴史都市連盟会長として東日本震災への支援を感謝しつつ門川市長が挨拶。同時通訳は英語と日本語とベトナム語。参加都市は30都市。
 テーマは「伝統の継承が直面する課題とその解決への道」。
 アンコールワットやベトナムの文化財保護に尽力されてきた中川武早稲田大教授が基調講演。
 それからユースフォーラムが開始されてフエ市の青年たちが文化遺跡保存や観光、環境の取り組みを報告したのち、佛教大学の学生諸君が緊張した面持ちながら英語で歴史都市京都のライフスタイルの変わりようと歴史遺産と伝統文化についてプレゼンテーション。左大文字や地蔵盆のことなど写真を見せながら大丈夫かなと心配していたが、英語でやり切った。
 その他トルコのコンヤ市、またフエ市にて英語を教えているイギリス人青年が生まれ故郷の北イングランドはソルトバーン市のことや英語力のことを報告。コーヒータイムでは、オーストラリアはバララット市からも市長が参加していて6年前にぼくも参加したのでお礼を言ったり。

    <フエ市内を視察>

 午後は、濠に囲まれたフエ市の世界遺産になっている広大なグエン朝王宮に。1968年にベトナム解放戦線がテト攻勢をかけた時の銃弾跡が残っていた。また城内には、歴代の王朝の廟があり汗をかきながら見学。観光資源として二匹の象が広場にいて観光客が象に乗ってひと時を楽しんでいた。
 またフォーン河沿いにあるティエンムー寺を訪問。雰囲気は滋賀県は石山にある立木観音みたいな感じ。七重の塔もあり布袋さんがにこやかに鎮座していた。
 この寺で修行していた僧侶が1963年に仏教徒を弾圧したゴ・ディン・ジエム政権南ベトナム政府に抗議して焼身自殺を図ったが、その時に乗っていた車も展示されてあった。新聞記事で見た記憶が鮮明に蘇った。ぼくの中学時代だった。

 それから日本語を勉強している女子学生に同行してもらってぼくはフエ市で一番大きなドンハ市場へ。魚や肉、雑貨類に野菜に果物が売られていてすごい活気。市場を歩くのは楽しいね。また隣にあったスーパーも見学。一階にはロッテリアの店も。高野イズミヤのようで商品もそろっている。ドイモイ政策で生活も向上してきていることを実感する。
 それにしても車道を走るバイクの群れには圧倒されるが、タクシーがその合間をうまく走るのには驚く。人が横断するのは至難の業。

 夜は、ホテルの中庭で舞台ではベトナムの踊りも披露されて参加都市が全員そろって、フエ市長主催の招宴会。ビールに氷を入れて飲む。佛教大学の学生諸君はプレゼンテーションも無事に終えて大はしゃぎ。市長や議長も上機嫌。
 
 二次会は山本恵と安孫子さん、そして代表団で参加している隠塚君と4人で談笑した後、屋台でベトナム名物フォーを食べる。米で作られたウドン。美味かったよ。

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ベトナム日記 ①   4月14日・15日

2012年04月19日 | 日記

ベトナムから無事に帰国しました。
ぼちぼちベトナム視察記を書き始めますよ!

●4月15日(日)

     <ベトナム ホイアンを歩く>

 朝目覚めもよし。かつては戦場となっていたベトナム中部のダナンも町を出れば、静かな自然と稲田が広がる。およそ1時間程、古都ホイアンへ。
 かつての米軍基地跡はいまではリゾート地。プライベートビーチがあり、外国資本のホテルもある。
 ホイアン市は、観光地として多くの観光客が小さな街を散策する。シクロに乗って街をひとまわり。瓦屋根が美しく、京都でいうところの町家が残って日本の宿場町のような風情。
 朱印船貿易が盛んな頃日本人街があって日本橋と言われた来遠橋が名所。海のシルクロードと呼ばれた時代もあり、陶磁会館もあり、世界遺産に登録もされている。海の女神を祀った福建会館は中国文化を色濃く残している。また刺繍など手芸品の工場も観光客で賑わう。古いベトナムの町並みを暫し散策。


      <フエ市へ>


 昼食の後、ハノイとホーチミン市を結ぶ国道を途中真珠の養殖などしている海岸沿いや峠を越えながらバスで4時間近くフエ市へ。日本が売り込んだ新幹線は、国会で採算性の問題とかで否決されたという。国道筋のところどころには星ひとつの赤い旗、ベトナム国旗が旗めく。緑深い山々や畑では民族解放戦線ベトコンがゲリラ戦をしていたことやアメリカ軍がナパーム弾で空爆していたことを思いながら、またベトナム人通訳の生い立ちを聞きながらバスの旅。世界歴史都市会議の会場であるフエ市に着く。

 5時から京都市の代表団と市民交流ツアーのメンバーとフエで日本語を学ぶベトナム人学生や今回の会議に色々と協力されたJASSベトナム事務所小山道夫さんをはじめ「こどもの家」のスタッフにフエ高等師範大学日本語学科学生の交流パーティ。市長に「鈴木議員、ひとこと挨拶を」と声がかかったので、特訓したベトナム語でメモを見ながら「シンチャオ。アンデントウキオト」と一言。冷や汗をかいたよ。小山道夫さんとはもちろん初対面。でも友人の豊田陽君が紹介してくれていたし、またベトナム反戦運動の同時代を生きてきた同世代として親しみを感じて少しの時間四方山話。

         <フエ・フェスティバル> 

 午後8時からはパトカーの先導でフエ・フェスティバルの閉会式に。赤い星ひとつの国旗が夜空に翻り、王宮の城壁と濠を正面の舞台に、そして巨大な観覧席が設置された大イベント。政府関係者と思われる主催者が長々と挨拶。えらく時間がかかったが、舞台では色とりどりのベトナムの民族衣装を着た集団の踊りや太鼓と笛?の演奏や外国からの参加者の大道芸や中南米のカーニバルの踊りや紅白歌合戦のときのベトナムの小林幸子や五木ひろしのような歌手が熱唱。
 最後は花火が打ち上げられてのフィナーレはなかなかのものでした。会場の外には多くの市民が詰めかけて日本の花火大会のようなもの。国営放送のテレビニュースでも流されていた。
 このフエ・フェスティバルは7回目を迎えるとかで、「文化遺産と発展・参入・歴史都市の出会いの場」がテーマで1週間ほど市内を会場に開催されて、28の国と地域、65の芸術団が参加したという。外国人観光客も多く新たなベトナムの観光イベントになっているようだ。
 夜、一人でホテル近くを歩く。オートバイに乗ったニイチャンが声をかけてくるが、屋台で333ビールを飲んで就寝。ベトナムの夜は、静かに更けていきました。

●4月14日(土)

        <いざベトナムへ>

 朝7時前の「はるか」で市長らと関西空港に。ほとんど寝てないので眠い。
 世界歴史都市会議に参加する京都市の代表は市長と国際交流推進課室長らと、議長、市会運営委員会の各会派代表の5人の議員と市会事務局長らの公式代表団グループと、市民ツアーで参加するのは、佛教大学の7人の学生と、どういうわけか安孫子和子さんとわが悪友山本恵の3人組み。学生諸君と空港カウンターで合流。
 10時30分発のベトナム航空で一路旧サイゴンはホーチミン市タンソンニャット空港へ。5時間半ほどのフライト。暑いよ!
 代表団とは空港で別れてぼくらのグループはダナンへ。ダナンは米軍基地のあったところ、夜の街をバイクの集団が大きな道路を埋め尽くす中をバスで夕食会場へ。ベトナム海鮮料理の店では大正琴のような楽器での演奏もあり学生諸君と乾杯。さっぱりした味で美味かった。やってきましたベトナムへ。町からはずれた高層ホテルが最初の宿泊地。疲れていたので熟睡。

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人権相談日  4月11日ー13日

2012年04月14日 | 日記


   <お知らせ>

 ひとくち日記のご高覧いただきありがとうございます。
 4月14日からベトナムに行ってきます。
 ベトナムはフエ市で世界歴史都市会議が開催され京都市から市長や議長らの代表団が参加しますが、
 ぼくも市民ツアーで参加するのです。
 ベトナム戦争が終わって40年近く経ちます。
 ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に参加して反戦運動に日々を送っていた青春時代。
 初めてのベトナム訪問です。
 19日早朝に帰国予定です。
 ベトナム報告記は帰国後に書くつもりです。それまで更新は休みます。あしからず。
 それでは、元気で行ってきます。

●4月13日(金)

    <人権擁護委員 相談日>

 朝、ニュースでは北朝鮮の衛星かミサイルの発射失敗のニュース。官邸からの中継やコメンテーターが解説をしているが、この間のマスコミや自衛隊の大騒ぎは、結局、大山鳴動ネズミ一匹も出なかった感じ。

 10時に京都地方法務局に。人権擁護委員として初めての相談日。担当者から簡単な説明を受けて、長年議員活動をしていると色々な相談ごとの電話があるのでそれなりの対処の仕方は知っているつもりだが、今日はいささか緊張しながら電話の前に座る。
 守秘義務があるので詳しくは書けないが4時までの間に2件の電話がありました。
 午後は、京田辺市から来られた女性の委員が女性人権相談員ということで待機されていたので、四方山話をしながら時間を過ごす。地域で子育て支援や高齢者への配食サービスなど色々な取り組みをされていて参考になりました。

 夕方、議員団室には「故郷の家」の田内基理事長らが来室。この秋にソウルと木浦で韓国孤児の母、田内千鶴子生誕100周年記念及び国連World Orphans Day制定推進大会を開催されるという。
 大会への参加も含めて協力したいと思う。田内さんと出会ってもう7年ほど経過するのかな。福祉への熱い想いとそのバイタリティーには敬服しています。

 夜になってベトナム行の準備。暑いらしいので服をどうするか悩む。そしてサボっていたブログを一気に更新。
 明日の朝は午前7時前のはるかで関空へ。午前10時のベトナム航空でホーチミン経由ダナンで宿泊予定。
 それでは、帰国するまでブログを休みます。ベトナム紀行をお楽しみに。

●4月12日(木)

    <民主・都みらい議員団、議員会>

 午前10時から4月に入って初めての民主・都みらい議員団の議員会。副団長になった中野洋一君が張り切って進行役。冒頭、市会事務局と行財政局の異動になったメンバーの紹介や市会改革推進委員会の協議事項や今後の日程や議員団の役割分担を確認。
 それから環境政策局の担当者から大阪市と神戸市と共同して株主として関西電力の原発問題についての取り組み状況や被災地のがれき処理受け入れ問題について今後の取り組みなどについて説明を受けて質疑。放射能問題など専門家による委員会を立ち上げて検討されることから始まるが、そう簡単にことは運ばないとぼくは思っている。
 ともあれ冷静な科学的な判断が必要になるだろう。

     <京都国際マンガ・アニメフェアのこと>

 午後は、福祉工房P&Pの西村所長とアニメーションの関西での先駆者の谷口さんが来室。この秋に京都市が企画している京都国際マンガ・アニメフェアのことについて産業振興室の担当者から概要の説明を受ける。秋葉原で発表されたところ。この秋、アニメ・マンガビジネスの活性化、クリエイターの育成、そしてファンや一般の人に向けたイベントの3つを目的に9月21日から9月23日までの3日間、みやこメッセやマンガミュージアムで開催される。アニメのことはよくわからんが、マンガ世代としては期待したいね。

     <不登校支援センター>

 それから不登校支援センターのスタッフが来室。この春に京都で事務所を開設したところで、ぼくのブログを見て、不登校対策など京都の状況について尋ねに来る。教育委員会ではパトナなどで相談ができるし、フリースクールを長年取り組んできている友人もいるし、委員会でもよく議論をしてきた。京都の状況について少し説明をする。
 奄美大島出身とかで焼酎をいただく。うれしいね。この不登校支援センターは名古屋を中心に全国に事務所があって、対面カウンセリング・コーチングという手法を使って、子供や家族と向き会って解決の道を探るという。子供が不登校で悩んでいるご家族の人、いちど相談されてみてはいかがですか?
 
 また左京区役所の辻副区長が来室。京都バスが路線を変更して出町柳駅から左京新総合庁舎までの路線バスを走らすことになったと報告に。南部住民からは喜ばれることだろう。交通アクセスの改善を求めてきたぼくとしては朗報だ。区民に広く知らしてよ!

 テレビでは祇園で暴走車が歩行者に突っ込んで死傷者のニュース。
 ヘリコプターが飛び騒然としている。痛ましい。

 夜は、食の安全・安心のことや医療のことなど四方山話。

●4月11日(水)

    <新年度初めての教育福祉委員会>

 新年度になって初めての常任委員会の教育福祉委員会。民主は去年に続いてぼくと新しく山本ひろふみ議員が副委員長。冒頭、保健福祉局の人事異動で新しく就任した高木局長以下、各局長、部長級幹部職員が紹介され局の事務事業概要が紹介される。そして早速共産党の議員が医療費の未払い、介護保険、高齢者の就労、市営保育所、待機児童など保育行政について質問。つい2週間ほど前に異動になったところで早速答弁をしなければならない理事者もたいへんだね。

 昼からは教育委員会。藤原教育委員長から奥野史子さんら教育委員が紹介された後、高桑教育長の後任の生田教育長から次長や部長らが紹介された。「堀川の奇跡」で有名になった堀川高校の校長であった荒瀬克己氏が教育企画監に就任したのが目新しい。
 総務部長から事務事業の概要が説明されて、また共産党の議員が進路状況や中学校給食、武道の必修化などについて質疑がされた。初回ということでまあ顔見世かな。次回からぼくも色々と質疑をしようと思う。

 ニュースでは北朝鮮が衛星とか弾道ミサイルを打ち上げるとかで迎撃ミサイルを配置するとかで騒がしい。14日の午前中の関空発でベトナムに行く予定だが大丈夫かいな、と同僚らから冷やかされる。

 夕方、事務所で久しぶりにわが応援団の主だったメンバーに集まってもらって今後の日程について打ち合わせ。毎年静原で開催、昨年は葛川キャンプ場で開催してきたバーベキュー野外懇親会は今年は取りやめることに。平均年齢が高くなるとアウトドアもちょっとしんどいな。
 その変わりミニ市政懇談会の開催や原発問題を考える勉強会や8月5日(土)には議員活動満25周年記念の夏の市政懇談会を全力で取り組むことにした。ぜひ来てくださいよ!

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春爛漫 入学・入園式  4月9日10日

2012年04月13日 | 日記
●4月10日(火)

     <吉田幼稚園入園式>

 朝、春爛漫、桜満開の吉田幼稚園の入園式。ぼくが行っていた幼稚園は、今は国際学生の家になっているが、当時そこにあった錦林幼稚園。吉田幼稚園では愚息が世話になった。今年の入園園児は80人ちょっと。自然に恵まれていることもあって人気がある。母親と一緒に座った3歳から5歳の園児たち。若いお父さんたちがビデオ撮影に必死。
 吉田神社の沢井宮司さんが理事長でぼくは法人の監事。木下第四錦林小学校校長とぼくが来賓の挨拶。ぼくは節分に出る鬼の話と吉田山の桜の植樹の話をする。ぼくに孫ができるのはいつのことやら。

 昼、左京土木事務所に。この間、市民から相談を受けていた案件で西山所長と懇談。歩道は側溝のところの生垣の剪定のこと、またガレージにするために歩道の改修について、また丸太町通の空洞のために起こる振動対策について、さらに私道の市の移管の条件などを聞く。

 午後は、コムページの牧野君と地域ウエッブサイト「左京ライフ」の充実について打ち合わせ。

      <政策評価手法論>

 夕方、久しぶりに同志社は今出川キャンパスに。経済学部の伊多波先生の講義「政策評価手法論」の第一回。講師は大阪商業大学教授の西嶋淳君。今までは総合政策科学研究科での講義だったが今年から学部生を対象にした授業になった。ぼくは7月17日に体験的政策評価論と題して講義をすることになっている。西嶋君と出会ってもう15年は経つかな。不動産のこと景観政策のことなど議論をする仲。手慣れたもので20人ほどの学生を相手に政策評価の背景や授業の進め方など講義。終わってから久しぶりに一献傾ける。

●4月9日(月)

     <鴨沂高校入学式> 

 鴨沂高校の入学式。古びた校門の桜が満開。前同窓会長として現上野会長らと出席。ぼくが入学したのは1964年東京オリンピックの年。48年前?いやはや。校舎は当時のまま。3階の講堂が会場。
 今年の新入生は199人で6クラス。山岸校長は春の選抜野球大会の石巻の選手宣誓を引用し、チャレンジ精神で高校生活を送ってほしいと式辞。自由の学園鴨沂らしくもちろん制服はないし。チャバツの生徒も2,3人。生徒自治会会長は女子でしっかりした挨拶でした。式の後、スクールソングを在校生と教員が歌う。「波ひかる鴨の河原辺、陽はおどり風もうららか、鳴り響く鐘の調べに若き日の血汐なみうつ」をまだ覚えているよ。
 校舎の建て替えも検討されているいうことでこれから同窓会も協力しましょうと上野会長と懇談。

     <事務所前でガス管破損事故>

 午後事務所で雑務、政務調査費の整理を始める。また長いこと使ってきたパソコンが寿命なので高橋美充氏にセットしてもらっていたら事務所前にサイレン。消防車が2台ほど来てなんやと外へ出ると事務所前で建売住宅の建設工事でアホな作業員がガス管をひっかけてガス臭い。大阪ガスの作業員が修復を図るが、火気厳禁でお願いしますと左京消防署員。2時間ほど騒然とする。何が起こるやわからん時代。

 夜は新しいパソコンに将棋のソフトが入ったので熱中する。なかなか詰まないので苛立つ。

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2区総支部タウンミーティング 4月7日・8日

2012年04月11日 | 日記
●4月8日(日)

    <京大博物館日食展に向けて天儀を運ぶ>

 朝10時前、京大総合博物館に。4月末から始まる京大日食展にて展示される「天儀」を2階のフロアに上げて欲しいと大野館長から吉田今宮会への要請があり、神輿の担ぎ手の精鋭らが300キロの重さの天儀に鉄柱を差し込んで持ち運びやすいように準備。職人さんらが大活躍、見守るのみ。それから階段を20人ほどのメンバーでよいしょよいしょと運び上げました。
 4月25日から5月20日までが展覧会。21日の朝、282年ぶりに京都で金環日食が京都で見れるらしいよ!晴れたらいいな!

 昼には市原野に。川島織物工場の前の広場で春恒例の玄武の会の春の集い。前原議員も公務多忙にもかかわらず地元でもあるので親しく挨拶に。いたるところで女性陣と記念写真。いつもは咲き乱れている花桃はチラホラ咲き。今年の春は遅い。自治連の役員さんらと震災がれきの受け入れのことなど喋る。舞台ではハワイアンの演奏とフラダンスも。お年寄りが春の風を楽しんでおられました。

 午後2時過ぎに事務所近くに消防車のサイレン、何ごとかと左京消防署に連絡したら吉田山の山頂付近で子供の火遊びで芝が燃えたが大事にはいたらなかったとのこと。
 観光客でごった返す岡崎公園を通ってウエスティン都ホテルへ。疏水の桜は7分咲きかな。十石船が浮かんでいたよ。

     <2区総支部タウンミーティング>

4時から2区総支部主催のタウンミーティングをウエスティン都ホテルで。
 前原政調会長が「社会保障と税の一体改革について」講演。党員サポーターら250人が参加。テレビカメラも入る。およそ1時間半、パワーポイントでこれからの人口構成やヨーロッパのギリシャの例、財政再建となぜ消費税か、また社会保障の現状と充実すべきことなど講演。選挙の当落のことを度外視しても今、この問題に取り組まないと日本はたいへんなことになると力説。会場からは5人ほどの人が意見や質問。政調会長として党内をまとめるのもたいへんだろうなあ。これから政局はどうなるのかな。一寸先は闇だよ。

●4月7日(土)

     <大文字山に登る>

 昼前、ふと思い立って天気もええし桜も咲いたので、大文字に登ろうと吉田山の大元宮の枝垂れ桜を見て銀閣寺前に。桜がようやく咲いて哲学の道は観光客で人人。
 八神社から登り始める。谷沿いから登る急傾斜の道を喘ぎ喘ぎ登るとナラ枯れ対策で木を倒した所からの眺めもよくなった。千人塚で休憩することなく150段の階段も登り切って35分ほどで火床に着いた。ところが比叡山の方は雪雲で小雪がちらほら舞う。寒いよ。頂上までは行くのはあきらめた。
 下山するときは膝も笑わず、コケルこともなく無事に下山。帰途参道のみやげもの屋わが同級生の井上雅茂君宅でベトナムへの土産物を購入。近くの酒屋さんで缶ビールを飲んで喉を潤す。およそ3時間の散歩でした。


 事務所には、岡部達平君登場。京都マラソンを彼女と完走して結婚話も具体化するらしい。また彼の体操着のリサイクル運動などの取り組みが児童文学作家の今関信子さんによって「永遠に捨てない服が着たい」と題した本が出版されてええ春になった。出版記念会のことなど相談。
 またその後、太陽光発電の市民里親制度を提案してくれた坂東君も病から少しは恢復して元気そうな顔で来所。なんとか彼の夢を実現させてやりたいな。色々とアドバイス。

 夜は吉田神社境内で吉田剣鋒保存会のメンバーの剣鉾の練習が始まる。ちょっと寒いのでぼくは体が慣れていないので見学のみ。5月13日の吉田氏子講社祭で差すので連休には猛練習をしなくてはいけないなあ。がんばろう!


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鴨川の桜も咲きました。

2012年04月09日 | 日記

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春爛漫 吉田神社大元宮の枝垂れ桜

2012年04月09日 | 日記

春爛漫 吉田神社は大元宮のしだれ桜も咲きました。

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入学式シーズン 4月1日ー6日

2012年04月08日 | 日記
●4月6日(金)

    <第四錦林小学校入学式>

 今日はわが地元で母校の第四錦林小学校の入学式。今年の春は寒い。桜はチラホラ咲きで霧雨が降る。新一年生は男子25名、女子17名の計42名の2クラス。6年生に手を引いてもらってピカピカの一年生が入場。可愛いね。
 校歌は「如意を登りて朝日かげ、わが学び舎にかがよえば、始業のサイレン勇ましく書(ふみ)読むことを進むなり」をぼくも歌う。昭和31年がぼくの入学した年。一クラス50人で7クラスだった。担任の先生は松葉弘先生。左京共同作業所を立ち上げられたが、最近は体調を崩されているのかな。
 木下校長先生は「笑顔であいさつ」と一年生に優しく語りかけられた。2年生がシュプレヒコールと鍵盤ハーモニカの演奏で歓迎。おめでとう!山田吉田自治連会長からは防犯ベルがプレゼントされました。

    <日本南画院展祝賀会>

 昼は、ウエスティン都ホテルで第52回日本南画院展の祝賀会。前のぼくの事務所は聖護院のメタボ岡崎にあったが、部屋の前が南画院の事務所だったのでお付き合いが始まって呼ばれるようになった。福岡県は川崎町の小田町長さんや守口市教育長さんらが来賓。長らく理事長をされていたのは町田泰宣さん。寺町にある廬山寺のご住職。秋には日中国交40周年で日中合同展を開催されるという。乾杯のあいさつをさせていただく。京都美術館で4月8日まで開催。

 午後、村中平治税理士事務所にとある知人に同行して御挨拶に。音楽関係の仕事をしてきた知人は、40歳を過ぎて税理士の資格を取る為に勉強を始めて、いずれは実務経験を積みたいということで相談に乗ってもらったのです。この業界も資格があっても不景気でなかなかたいへんのようですね。最後の一科目の試験勉強がんばりや。

 夕方は、大木工務店のお花見の会が北山通川端上がるの結婚式場のモノリスで。冒頭、今は亡き日本画家岩沢重夫氏が金閣寺で描かれた襖絵の数々がビデオで流れ、ご子息がご挨拶された。桜は咲いていないのが残念。「花より団子」でジャズライブを聴きながら会食。

 帰途、叡電元田中の「さかなやの跡の串かつ屋」へ久しぶりに立ち寄る。娘が学校でいじめられているということで7、8年前に相談を受けたことのある人と遭遇。その子は結婚して出産した所とうことで、写真を見せてもらう。よかったね!

●4月5日(木)

   <近衛中学校入学式>

 午前中、わが母校の近衛中学校の入学式。徒歩3分。京都市内でたぶん唯一制服のない中学校。久しぶりに校歌「静かなる森のこだま返りて、日々新たなる文化競うよ、幸多く夢ぞ若やぐちまた、学の町吉田 建つは母校」を唄う。覚えているものだね。
 ぼくのときはプレハブ校舎で確か17クラスだった。今年は4クラスで育成学級1クラスの150人の入学式。吹奏楽部の演奏で新入生が入場して粛々と式が進んだ。「自主自律」が校風。いつもは校庭の桜が満開になっているが、今年は5分咲きぐらいか。

 昼、浄土寺の吉田デンタルクリニックで、可愛い歯科衛生士さんに歯磨きの指導をしてもらう。いつもはガリガリされて気分が滅入るが、今日は楽しいひと時でした。

    <梅小路一木市>
 
 午後は梅小路公園での「一木市」へ。百万遍は知恩寺の手づくり市の姉妹市。京都創造者大賞に応募したらどうやと、主宰者の臼井さんらにアドバイス。水族館が過日オープンしたが、特に影響はないようだ。久しぶりに浅野さんに会場でマッサージをしてもらう。ちょっと寒かったけれど体がほぐれた。感謝。6月からは土曜日に変更になるらしい。

     <天才アートミュージアム展>

 堀川御池のギャラリーでの天才アートミュージアム展に。主催は障碍者芸術推進研究機構で、障碍のある人たちの作品が100点ほど展示。絵画や粘土作品、陶器などで、シロクマの絵などほのぼのとしたものもあれば、その多彩な色使いに感心する作品など。ほんまに天才や。

     <ベトナム語を勉強>

 夜は、焼肉店「新羅」にて大阪外大でベトナム語を勉強した娘さんにベトナム語を教えてもらう。フランスの植民地だったので、簡単に言えば、漢字からローマ字表記になったので発音はなんとなくできそう。
 例えばこんにちは、Xin chao (スィンチャオ)。ありがとうは、Xin cam on(スィン カァム オン)と言うのだそうだ。60を過ぎるとそう簡単に覚えられるもんではないが、1時間半ほど特訓を受ける。ベトナムに行った時に、カタコトでも挨拶できたらええなあ。がんばってみよう。

●4月4日(水)

     <ベトナムはフエ市で世界歴史都市会議> 

 午前中、日本旅行の担当者が来所。この4月15日からベトナムの古都フエ市で世界歴史都市会議が開催される。市長や市会議長らが参加するのだが、ぼくも市民ツアーで世界歴史都市会議に参加したいと申し込んだ。日程などの説明と手続きに来てくれる。 過去、バルセロナに始まって、クラクフ、モンペリエ、慶州そしてオーストラリアはバララット市にも行って京都弁の英語で交流してきた。
 東南アジアへの初めての旅になるが、ベトナム戦争が終わって40年、反戦運動に青春時代を過ごしたわが眼でベトナムを見てきたいと思う。
 歴史都市会議に参加して14日に旅立って19日帰国の5泊6日の旅になる。久しぶりの海外です。

 午後は、久しぶりに市原野の知的障がい者の施設「わかば」を訪ねて、しばしスタッフと懇談。開所して5年かな。利用者も増えて順調に運営されているようだ。

 夜、福祉工房P&Pの西村君と子息の淳君来所。伏見区に共同作業所「福祉工房P&P」が設立されてもう15年ぐらいかな。長い付き合いになったなあ。運営委員として色々と応援してきた。障がい者がパソコンを活用して版下を作る印刷業務や最近ではアニメーショーンの色付けの作業もしていて、利用者も20人近くになった。色々と過去に課題はあったが、最近は順調に運営されているようで何よりです。

●4月3日(火)

   <凌風学園開校式>

 爆弾低気圧と名づけられた春の嵐が襲来の予報。朝、南区は九条車庫の横の旧陶化中学校地に小中一貫校として開校する凌風学園の開校式及び校舎竣工式。
 教育福祉委員として来賓として壇上に座る。新校舎の3階が立派な体育館が式場。山王、東和、陶化の3小学校と陶化中学校が地元自治会やPTAが協議して統合されることになった。21年に予算が市会で可決されて、その後グランドからガラが出て工事はちょっと難航したが、竣工を迎え凌風学園と決定されて開校の運びとなった。
 中学生の手を引かれた小学生の児童たちが入場。可愛いね。新9年生の生徒が誓いの言葉を述べて、真新しい校章の入った校旗も披露された。南区は東九条の住民にとって待望の開校式であったろう。
 ぼくは毎年秋に行なわれる「東九条マダン」に行くので陶化中に何回かいっているが、さてこの秋の東九条マダンはどこが会場になるのかな。激しい雨も風も吹く前に無事に式典が終了してよかった。門川市長は、祝辞を述べた後、東北の被災地に視察に出かけたようだ。

 春の嵐襲来ということで午後は無理をすることなく事務所で雑務。午後、雹が降ったという嵐の中、京大生の古沢君が来所。蜻蛉塾なるものを立ち上げて蜻蛉(トンボ)の複眼の目で社会のことを子どもたちに教えて行こうと考えている青年。自作の童話をもとに児童館で子どもたちに読み聞かせして、子どもたちと対話しているという。ちょっと難解すぎると思うけれど面白い試みだと思う。広報のことなど色々とアドバイスする。

 爆弾低気圧、京都はたいした被害もなく通りすぎたが、首都圏など電車が止まってたいへんだったようだ。これで春が来るのかな?夜、テレビで松本清張の没後20周年企画の「市長死す」は見ごたえがあった。

●4月2日(月)

 昨年は選挙の真最中だったが、今年は市会も終わりゆったりした気分。
 春眠暁を覚えず、で眠たい。

    <吉田デンタルクリニックで歯石を取る>

 午前中、3ヶ月ぶりか、今年になって初めて吉田デンタルクリニックへ。歯石が一杯たまっていて例によってガリガリされる。久しぶりに快感だ!
 吉田民夫先生とも長い付き合いになった。岩倉は一条山の前がお宅なので、違法な開発によってモヒカン山になっていた一条山のことで出会ったのはもう20年ほど前か。80歳になっても20本の歯が残るように今後とも予防のご指導をよろしくお願いします。

 午後は、コムページの牧野君来所。地域コミュニティサイト、左京LIFEを立ち上げて半年、今後の運営やコンテンツの充実策について協議。ぜひアクセスしてください。そしてイベントなどの情報をお知らせ下さい。
 
 夕方は、岩倉の知人がソフトクリーム屋さんを始める予定ということで相談に乗る。保健所の指導に従って衛生面で安全な店舗にしないといけないよとアドバイス。まあ色々な相談ごとがありますよ。
 上高野では自治会の役員さんのご尊父のお通夜に参列。
 夜は家で映画「ナショナルトレジャー」見ながら奄美の焼酎で晩酌。

●4月1日(日)

 寒い4月。1年前の4月1日は金曜日で市会議員選挙が告示された日。桜はもう咲いていた。あれから1年、早いものだ。
 
    <哲学の道 散策の集い>

 10時に春恒例の哲学の道・散策の集いで大豊神社のお旅所に。桜は蕾も膨らんでいないようで散策する人もほとんどいない。されど哲学の道保勝会の人や浄楽や錦林東山、聖護院のみなさんが集い、セレモニー。
 今年で40年になるとかで役員の皆さんのご苦労に敬意。人事異動で山内左京区長は、会計管理者兼任の企画監に栄転。ご苦労さんでした。後任の高城区長が挨拶のデビュー。副区長経験者でもあるので地域の人に馴染みもある。これから左京区民のためにがんばってや!
 銀閣寺近くまで散策していつものように弥勒院で女性会のみなさんが抹茶を接待。桜が咲いてないのがちょっとさみしいね。週末は賑わうだろうな。

 帰途、真如堂や吉田山を散歩するが、4月になったというのに人出はまばら。大元宮の前の舞鶴から移植して8年になる「幽斎桜」も蕾膨らむぐらい。春はしばし先や。

 午後は市民相談ごと一件。松ヶ崎の知人から留学生寮の建設計画があり、過日説明会も開催されたが、さてどうしたものか、ということで現地に行く。ちょうど左京新総合庁舎の北側のところ。現地を見て中高層建築条例のことなどを説明。さて今後どんな展開になるのかな。都市計画局にいちど尋ねておこうと思う。

 いつの間にか、プロ野球は開幕していて阪神と監督1人がはしゃいでいるDeNA。ややこしい名前やね。さて和田阪神タイガース、今年はどうなるかな。まあ優勝は無理でしょう。期待しないでおこう。
 夜、髭を剃りました。すっきりした顔になりましたよ。

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民主党京都府連定期大会 3月31日

2012年04月04日 | 日記
●3月31日(土)

 午前中、思いがけない来客。白河総合支援学校をこの春卒業して就職が決まった娘さんとお母さん。入学時に相談に色々とアドバイスをしたこともあり、うれしい報告でした。卒業おめでとう!そして就職おめでとう!
 昼前は社団法人鴨沂会の理事会。総会の日程などを協議。

    <民主党京都府連定期大会>

 午後1時には民主党京都府連定期大会の会場のホテルにて、自治体議員ネットワークの幹事会。5月に開催される全国フォーラムの打ち合わせ。
 大会は来賓、党員の代議員とサポーターの代表らが集う。山井会長の挨拶で始まり、来賓のトップバッターは細野環境大臣。綾部市出身で京大卒業ということで京都には縁のある大臣。震災がれきの受け入れへの支援を訴えた。山田知事や門川市長、細田連合京都会長らが来賓挨拶。
 以降、11年度の活動報告が幹事長からあり、各担当の役員がそれぞれ簡単に報告。ぼくも自治体議員ネットワークの代表幹事として2分ほどで簡単に報告、会計監査報告なども淡々と進み、活動方針についても幹事長以下、ぼくも含めて各担当役員から方針が方針を述べて、代議員やサポーターから質疑。いささか民主党の行き先を心配した質問もあったが、野次も飛ぶこともなく粛々と議事は進む。
 2年が任期の会長人事については山井衆議院議員以外に立候補者はなく自動的に留任。会長指名で幹事長には若き府会議員の中小路健吾君が就任。その他の役員も若返った。ぼくは2区総支部幹事長として引き続き常任幹事会のメンバーとしてご意見番みたいな役割りを担おうと思っている。
 民主党の本部では、消費税増税に反対して小沢グループが党の役員や政務官を辞任しているが、京都府連は動ぜず。出て行く連中はどんどん離党したらいいのだ。
 懇親会では、発言の機会がなかった福山議員が政権交代以降に取組んできたことを報告して前を向いて進もうと演説。元気になってよかったね。

 夕方は、わが事務所で中大路町西部町内会の総会。鈴鹿武彦さんから鈴鹿正和さんに会長が交代。地域コミュニティ活性化条例が策定されたことなどぼくは報告。今年の夏の地蔵盆も楽しみだ。

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他都市行政調査で仙台と関東へ 3月28日ー30日 

2012年04月03日 | 日記
●3月30日(金)

   <議員団他都市行政調査 東京都庁にて>

 10時に東京都庁へ。いつもながらデカイ都庁には目を見張る。立派な会議室で、東京マラソンと帰宅困難者対策の実験について担当者からそれぞれ説明を受ける。

 京都マラソンを完走した中野洋一君は今やわが議員団のエース?えらく張り切っているよ。「東京がひとつになる日」がキャッチフレーズの東京マラソンはオリンピックの代表選手の選考を兼ね、日本テレビとフジテレビが交互に放映している経過なども含めて説明。企業から10億円の協賛金があり、総額予算は18億円。桁が違うよ。
 参加者はなんと3万5千人。地下鉄の上をコースにすれば、駅の施設を通ればコースの反対側にも行けるということで市民生活にはそれほど影響がでないようだ。
 京都マラソンの第1回目はまあまあ成功したと思うが、さて次回も今から準備だね。担当者の皆さんがんばって。

 それから帰宅困難者対策訓練については、あの東日本大震災を教訓として、2月3日に実施された。帰宅困難者とは距離が20キロ以上と定義して都内の百貨店や企業など138社、公募で参加した都民が750名、総計1万2千人が参加したという。
 訓練の模様が放映されたが、もちろん訓練だから参加者は淡々と行動している。インターネットを活用した情報収集や発信や安否確認の手法が取り入れられている。また自衛隊や在日米軍にコンビニの協力など官民上げての訓練。来年には帰宅困難者対策条例を制定予定だという。
 されど首都直下型地震が起きたらえらいこっちゃ!あまり東京には行きたくないなあ。

   <副市長らの退庁式>

 午後1時過ぎの新幹線で帰京。
 午後5時から市役所前広場で細見、由木副市長と葛西交通管理者、西村水道管理者と高桑教育長の退庁式。
 議員や市職員や関係者が見守る中、紋付羽織袴の門川市長が送別の挨拶。細見さんは民間人として登用されたが、高齢にもかかわらずようがんばらはりました。京都市万歳!と叫ばれたが万感の想いがあったのだろうと思う。由木さんは国交省に戻り、京都ファンとして尽力したい挨拶。
 葛西、西村、高桑氏は、ぼくと同世代であり、ちょっとさびしく感じたのです。それぞれご苦労さんでした。また呑みたいね。

  <吉田神社 総代会> 

 それから遅れて吉田神社は総代会に。氏子講社長ら役員さんらが集い、決算と予算が承認されて直会が始まっていた。いつもは正面に座っておられる鈴鹿隆男さんが亡くなってちょっと寂しいなあ。京都市都市緑化協会発行の「京のみどり」という季刊誌に「地域のつながりで守られる吉田山の周辺のみどりを歩く」と題して、吉田山を美しくする会に吉田山の里山を再生する会のことも含めて、ええ記事が載っていたので皆さんに配布する。喜んでもらいました。

●3月29日(木)

    <宇都宮市のお弁当の日と雑誌スポンサー制度>

 10時に宇都宮市役所に。立派な建物。20年ほど前に出会った反骨の議員、西房美議員が待っていただいていた。久しぶりの再会。お元気で何よりです。
 宇都宮市は人口50万人。「お弁当の日」を実践しているということで教育委員会の担当者から説明を受ける。食について親子で考え、食への関心と感謝の心を育てることに目的で市内の小中学校で20年から実施されている。
 中学校では家庭科の時間にみんなで栄養のバランスを考えながら献立を考えて家庭の協力を得ながら食育教育の充実を進めている。なかなか面白い取組みではないですか。脱脂粉乳を鼻をつまんで、いやいや飲んでいた給食世代からすれば幸せなこと。親子の会話も弾むというし、京都でもやってみたらどうや。

 それから宇都宮市立図書館では収入確保策として、雑誌スポンサーを募って雑誌購入の無料化を図る試みもされている。これも担当者から説明を受けて実物を見せてもらう。たとえば、図書館の閲覧用の「週刊マルマル」の購入代金をスポンサー企業に出してもらって表紙と裏のカバーに企業の広告が入るというシステム。昨年秋から開始されていてまあまあの実績を上げているという。
 泉佐野市では市の名前まで企業に売却するというアホなことを考えているようだが、宇都宮のアイデアは納得がいく。まあどこの都市も緊縮財政で知恵をだすことが必要な時代になったのだよ。教育福祉委員会でいちど議論してみようと思う。

    <千代田区 区民参加型外部評価制度>

 午後の新幹線で東京は武道館近くの千代田区役所へ。桜はまだ咲いていないよ。千代田区は、東京のド真ん中。人口は5万人弱だが、なんと昼間人口は85万人。
 区民参加型の外部評価制度について政策経営部の担当者から説明を受けて質疑。平成13年から事務事業評価を実施してきているが、区民参加による外部有識者による外部評価を取り入れて、昨年に10事務事業について区民2千人にアンケート調査を実施。500人余の回答者があり、その内18人の区民が参加した「区民参加会議」を開催して行政評価を実施したという。
 京都ではちょうど5年前に行政評価条例を可決・施行されているが、千代田区の場合は今後自治体基本条例盛り込む予定だという。
 ぼくは同志社総合政策科学研究科の伊多波ゼミで勉強したので条例制定の必要性を訴えてきたこともあり、京都の行政評価制度は進んでいると思っているよ。
 宿は新宿西口の高層ビルの中のホテル。昨夜の餃子で胃がもたれてアルコールは控え、夜の新宿を散策することなく早寝。

●3月28日(水)

    <他都市行政調査で仙台へ>

 定例市会も終わったので、議員団の他都市行政調査で同僚らと朝7時過ぎの新幹線で東上、東北新幹線に乗り換えて仙台についたのは昼。車中は爆睡。
 東北大震災から1年。ぼくは9月にも行っているので半年ぶり。伊達の牛タンを食して駅から市役所まで徒歩で行くが、まちには活気が戻っている。
 市役所にて震災についてと要援護者対策について担当者からそれぞれ説明していただいて質疑。仙台市民で亡くなった方は872名、行方不明者33名。建物は全壊したのが約3万棟、大規模半壊が2万6千棟、半壊が7万8千棟に及び、市内の4000宅地が地盤崩壊などの被害が出ている。特に若林区など海岸沿いには津波が6キロまで浸水。甚大な被害をもたらしたのだ。宅地被害は、市内周辺部に広がっている。
 ライフラインや交通関係、農林水産業、商工業、住宅などその被害は1兆3千億円と試算されている。震災廃棄物がれきについては、撤去も概ね完了して、三箇所の仮設焼却炉で処理をされているという。また市内各所で放射線モニタリングも実施されているという。あれから1年、今は復旧から復興に取組まれている状況だ。

 震災直後は、約10万人が250ヶ所に避難されたという。高齢者や障がい者などの災害時要援護者については震災以前から町内会や民生委員さんらの協力により、本人同意の上で名簿も作成されていて、特別養護老人ホームなど指定避難所を指定していた。 課題は、知的・精神障がい者への受け入れ体制だという。京都市の体制はちゃんと準備されているか、要チェックだね。色々と勉強になりました。そして一刻も早い復興を祈っています。

 夕方宇都宮市へ。夕食までちょっと時間があったので市内循環バス「きぶな(黄色い鮒)」号にて市内を散策、15年ぶりぐらいかな。城址公園が立派になっていた。夕食の後、宇都宮は餃子のまち。もちろんケンタ餃子を食べました。

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