●8月26日(木)
朝のニュースで小沢一郎前幹事長が民主党の代表選挙に出馬の意向を表明。きな臭い話や。政治とカネの問題で幹事長を辞めた人が復活を目指しているとは。人のうわさは75日か、その厚顔無恥さにあきれるばかり。いやな感じ。
午後、事務所への来所者は、国際紙芝居協会や京都創世ネットワークのメンバー。日本独自の紙芝居で海外の観光客を誘致しようという提案や国際人材の育成や観光プロジェクトの話。紙芝居は面白そうや。京都市の観光政策などについて説明して議論。
夕方は、夏の終わり、恒例の自治労教育支部のビアパーティ、教育委員会の若いメンバーがそろう。組合運動が活発でない昨今、絆を大切にしたいと支部長挨拶。来賓として議員団のメンバーが参加。
途中で退席して、緊急の議員団会議。土曜日に予定している市内選出の民主党の国会議員との懇談会に向けての意見交換。論点を整理。小林団長、えらく気合が入っている。
●8月25日(水)
午前中、山本ひろふみ議員の呼びかけで、京都夜まわり会のメンバーと舟木浩弁護士とくらし環境委員会のメンバーと懇談。家庭から出されたアルミ缶の持ち去り禁止の条例改正についての問題点をお聞きする。ぼくから昨日の委員会での質疑の模様を述べる。生存権を保障した憲法25条やホームレスの自立支援法の趣旨に反する、というのが論点。ホームレスの現状などお聞きする。この条例の改正案は、9月市会に上程されて審議されることになる。大いに議論したい。
午後は、鴨沂高校の3期生の大先輩が来所。鴨沂高校の3階にある朽ちかけたスタインウエイ・ピアノの復旧についての相談。ぼくはピアノのことは全くの門外漢であるが、なんと府一女子高校のとき、昭和11年に購入されたものだという。戦後も著名なピアニストが使い鴨沂高校で演奏会を開催したという当時のプログラムも持参されてびっくり。同窓会理事会でその復旧についてともかく提案してもらうことにする。予算のことはともかく、どう活用できるのか検討すべきことは多い。
夕方は、伏見区の大手筋近くにある共同作業所、福祉工房P&Pの理事会が開催。職員の退職問題などが浮上して、今後どのように運営するのかシビアな協議。障がい者がいかに活き活き暮らしていける場所を作っていくのかが課題。
●8月24日(火)
朝11時から地元は錦林小学校敷地内に錦林児童館の改築竣工式が行われることになっていたが、10時から「くらし環境委員会」が開催されることになっていたので、9時過ぎに式典前にお邪魔して会館内を見学させてもらう。今まではプレハブだったが新築された児童館は木がふんだんに使われて木の香りがする。館長や校長先生らに挨拶して市役所に走る。
10時から「くらし環境委員会」。正面の委員長席に座って議事進行。文化市民局からの理事者報告は、「京都市消費生活基本計画(第二次計画)素案について」報告。相談員のことなど質疑もあり、また一般質問では、ウイングス京都への消費生活相談センターの移転のことや非核宣言都市の取り組みやコミュニティセンターの転用計画、そしてこの数週間話題になっている100歳以上の住民基本台帳のことでの議論があり当局の見解も示される。京都市では100歳以上で19人が抹消されたという。住民基本台帳と実際生存されているのか、どうか、福祉との連携が希薄なのか、どう点検できるのか、長寿大国日本の思わぬ問題が東京での事件発覚以来露呈したのだ。
環境政策局との質疑の前に懸案の焼却灰溶融炉でのダイオキシン検出に関わる事案について住友重機工業の関係者の参考人招致をするかどうかを正式に図る。自民、共産、民主、公明それぞれ参考人を招致することに賛成を表明。京都市会の委員会で民間人を参考人として招致をすることは画期的。設計の不具合の原因や今後の安全対策運営について陳述してもらうことになる。委員長として配慮をしながら進行につとめたいと思う。
その後、環境政策局からは、地球温暖化対策条例骨子案へのパブリックコメントの結果、08年度の温室効果ガス排出量の確定値、また家庭から家庭から出されたごみの持ち去り禁止に関する取りまとめについて、家庭ごみの指定袋による有料化財源活用方法に関する取りまとめ、さらに大気、水質の調査結果も報告されてそれぞれ質疑。アルミ缶などを収集して生活費に当てているホームレスへの生活支援をどうするのか、ごみの持ち去り禁止を考えるときに配慮をしなければならない課題であるなあ。委員会が終わったのは5時。進行役はちょっと疲れました。
●8月23日(月)
朝、昨日の地蔵盆で使用した椅子や濡れたテントの撤収など。午後は、京都北山大見地区の活性化、エコビレッジプランについて地元関係者らと協議。公共事業再評価委員会での大原・花背線の工事計画休止についての方向性が示されてきた。この道路計画は、北部周辺の整備事業として1980年に着工されたが、ぼくは、残土投棄から京都北山の自然を守れと反対運動を繰り広げて公園計画も含めて白紙撤回、凍結を求めてきた。
財政状況も厳しく事業の継続は困難あると言うことで正式に休止されることになりそうだ。当時の立木トラスト運動のことや京都の自然環境を守る運動「水と緑を守る会」のことなど思い出しながら、今後の展開について議論する。地元で牛が二頭放牧されたが、これは大きな一歩。なんとか突破口を見出したいなあ。
夕方、車で国道367号を北上、大原、途中、花折峠、梅ノ木経由、鹿が道を横切った。およそ1時間で山間地の久多へ。左京区は盆の頃、花背、広河原、久多で火祭りである「松上げ」の行事が行われるが、ぼくが久多の松上げを見に行くのは初めて。
会場の畑の周りには、松明が赤々と燃え、中心には15メートルの高さの燈篭木が立てられ、その笠の天井に向かって青年たちが、松明の火を放り上げる。これがなかなか難しい。紅白玉入れのようには行かないのだ。一番先に火が届いたら「一の松」という。いくつもの火が放り投げられると命中すると拍手。
15メートルの高さの燈篭の笠が赤々燃え上がると燈篭が畑に倒されてクライマックス。五穀豊穣、無病息災を祈念したお祭りが終わる。山内左京区長や府市会議員数人も含めて、夏の終わりの行事を楽しみました。久多のみなさんありがとう!
●8月22日(日)
朝9時からわが事務所での第14回目の朝粥の会。話題提供はヒューマンふれあいコンサートでご一緒した京都女子大名誉教授の高木徳子さん。自閉症の子供や青年たちの社会適応支援を長年続けられてきた。「よりよく生きることとは」と題して家族のことや食のことなど話題が広がった。
また同じ頃、今日は朝からわが家の前で吉田下大路町東部の地蔵盆。近くの善正寺の住職が小さなテントの中に祀られたお地蔵さんにお参り。ものすごく暑い。事務所から持ち込んだ椅子に座ってご近所の大人も座る。
10時のおやつの時には近所の子供たちも大勢つめかける。この2,3年に古い家が壊され新築の家が建って若い子供連れの家族が引っ越してきて町内も賑やかになった。ちょっと雨がぱらついたが、夕方お地蔵さんをもとのところに戻してテントの撤収。そして缶ビールでご近所の新旧住民交じって年に一度の懇親会。
京都の各町内で昨日今日と路地や道端で賑やかに子供たちの歓声が響いていたのだ。フィナーレは暗くなって花火大会。子供たちも大喜び。
後片付けなどで遅くなったが、行きつけの居酒屋「炎の火」で娘の奈々、30歳の誕生日祝い。ラマーズ法でカミさんが出産。立ち会ってあれから30年。娘もがんばっています。
朝のニュースで小沢一郎前幹事長が民主党の代表選挙に出馬の意向を表明。きな臭い話や。政治とカネの問題で幹事長を辞めた人が復活を目指しているとは。人のうわさは75日か、その厚顔無恥さにあきれるばかり。いやな感じ。
午後、事務所への来所者は、国際紙芝居協会や京都創世ネットワークのメンバー。日本独自の紙芝居で海外の観光客を誘致しようという提案や国際人材の育成や観光プロジェクトの話。紙芝居は面白そうや。京都市の観光政策などについて説明して議論。
夕方は、夏の終わり、恒例の自治労教育支部のビアパーティ、教育委員会の若いメンバーがそろう。組合運動が活発でない昨今、絆を大切にしたいと支部長挨拶。来賓として議員団のメンバーが参加。
途中で退席して、緊急の議員団会議。土曜日に予定している市内選出の民主党の国会議員との懇談会に向けての意見交換。論点を整理。小林団長、えらく気合が入っている。
●8月25日(水)
午前中、山本ひろふみ議員の呼びかけで、京都夜まわり会のメンバーと舟木浩弁護士とくらし環境委員会のメンバーと懇談。家庭から出されたアルミ缶の持ち去り禁止の条例改正についての問題点をお聞きする。ぼくから昨日の委員会での質疑の模様を述べる。生存権を保障した憲法25条やホームレスの自立支援法の趣旨に反する、というのが論点。ホームレスの現状などお聞きする。この条例の改正案は、9月市会に上程されて審議されることになる。大いに議論したい。
午後は、鴨沂高校の3期生の大先輩が来所。鴨沂高校の3階にある朽ちかけたスタインウエイ・ピアノの復旧についての相談。ぼくはピアノのことは全くの門外漢であるが、なんと府一女子高校のとき、昭和11年に購入されたものだという。戦後も著名なピアニストが使い鴨沂高校で演奏会を開催したという当時のプログラムも持参されてびっくり。同窓会理事会でその復旧についてともかく提案してもらうことにする。予算のことはともかく、どう活用できるのか検討すべきことは多い。
夕方は、伏見区の大手筋近くにある共同作業所、福祉工房P&Pの理事会が開催。職員の退職問題などが浮上して、今後どのように運営するのかシビアな協議。障がい者がいかに活き活き暮らしていける場所を作っていくのかが課題。
●8月24日(火)
朝11時から地元は錦林小学校敷地内に錦林児童館の改築竣工式が行われることになっていたが、10時から「くらし環境委員会」が開催されることになっていたので、9時過ぎに式典前にお邪魔して会館内を見学させてもらう。今まではプレハブだったが新築された児童館は木がふんだんに使われて木の香りがする。館長や校長先生らに挨拶して市役所に走る。
10時から「くらし環境委員会」。正面の委員長席に座って議事進行。文化市民局からの理事者報告は、「京都市消費生活基本計画(第二次計画)素案について」報告。相談員のことなど質疑もあり、また一般質問では、ウイングス京都への消費生活相談センターの移転のことや非核宣言都市の取り組みやコミュニティセンターの転用計画、そしてこの数週間話題になっている100歳以上の住民基本台帳のことでの議論があり当局の見解も示される。京都市では100歳以上で19人が抹消されたという。住民基本台帳と実際生存されているのか、どうか、福祉との連携が希薄なのか、どう点検できるのか、長寿大国日本の思わぬ問題が東京での事件発覚以来露呈したのだ。
環境政策局との質疑の前に懸案の焼却灰溶融炉でのダイオキシン検出に関わる事案について住友重機工業の関係者の参考人招致をするかどうかを正式に図る。自民、共産、民主、公明それぞれ参考人を招致することに賛成を表明。京都市会の委員会で民間人を参考人として招致をすることは画期的。設計の不具合の原因や今後の安全対策運営について陳述してもらうことになる。委員長として配慮をしながら進行につとめたいと思う。
その後、環境政策局からは、地球温暖化対策条例骨子案へのパブリックコメントの結果、08年度の温室効果ガス排出量の確定値、また家庭から家庭から出されたごみの持ち去り禁止に関する取りまとめについて、家庭ごみの指定袋による有料化財源活用方法に関する取りまとめ、さらに大気、水質の調査結果も報告されてそれぞれ質疑。アルミ缶などを収集して生活費に当てているホームレスへの生活支援をどうするのか、ごみの持ち去り禁止を考えるときに配慮をしなければならない課題であるなあ。委員会が終わったのは5時。進行役はちょっと疲れました。
●8月23日(月)
朝、昨日の地蔵盆で使用した椅子や濡れたテントの撤収など。午後は、京都北山大見地区の活性化、エコビレッジプランについて地元関係者らと協議。公共事業再評価委員会での大原・花背線の工事計画休止についての方向性が示されてきた。この道路計画は、北部周辺の整備事業として1980年に着工されたが、ぼくは、残土投棄から京都北山の自然を守れと反対運動を繰り広げて公園計画も含めて白紙撤回、凍結を求めてきた。
財政状況も厳しく事業の継続は困難あると言うことで正式に休止されることになりそうだ。当時の立木トラスト運動のことや京都の自然環境を守る運動「水と緑を守る会」のことなど思い出しながら、今後の展開について議論する。地元で牛が二頭放牧されたが、これは大きな一歩。なんとか突破口を見出したいなあ。
夕方、車で国道367号を北上、大原、途中、花折峠、梅ノ木経由、鹿が道を横切った。およそ1時間で山間地の久多へ。左京区は盆の頃、花背、広河原、久多で火祭りである「松上げ」の行事が行われるが、ぼくが久多の松上げを見に行くのは初めて。
会場の畑の周りには、松明が赤々と燃え、中心には15メートルの高さの燈篭木が立てられ、その笠の天井に向かって青年たちが、松明の火を放り上げる。これがなかなか難しい。紅白玉入れのようには行かないのだ。一番先に火が届いたら「一の松」という。いくつもの火が放り投げられると命中すると拍手。
15メートルの高さの燈篭の笠が赤々燃え上がると燈篭が畑に倒されてクライマックス。五穀豊穣、無病息災を祈念したお祭りが終わる。山内左京区長や府市会議員数人も含めて、夏の終わりの行事を楽しみました。久多のみなさんありがとう!
●8月22日(日)
朝9時からわが事務所での第14回目の朝粥の会。話題提供はヒューマンふれあいコンサートでご一緒した京都女子大名誉教授の高木徳子さん。自閉症の子供や青年たちの社会適応支援を長年続けられてきた。「よりよく生きることとは」と題して家族のことや食のことなど話題が広がった。
また同じ頃、今日は朝からわが家の前で吉田下大路町東部の地蔵盆。近くの善正寺の住職が小さなテントの中に祀られたお地蔵さんにお参り。ものすごく暑い。事務所から持ち込んだ椅子に座ってご近所の大人も座る。
10時のおやつの時には近所の子供たちも大勢つめかける。この2,3年に古い家が壊され新築の家が建って若い子供連れの家族が引っ越してきて町内も賑やかになった。ちょっと雨がぱらついたが、夕方お地蔵さんをもとのところに戻してテントの撤収。そして缶ビールでご近所の新旧住民交じって年に一度の懇親会。
京都の各町内で昨日今日と路地や道端で賑やかに子供たちの歓声が響いていたのだ。フィナーレは暗くなって花火大会。子供たちも大喜び。
後片付けなどで遅くなったが、行きつけの居酒屋「炎の火」で娘の奈々、30歳の誕生日祝い。ラマーズ法でカミさんが出産。立ち会ってあれから30年。娘もがんばっています。