●7月25日(木)
<岩国にて>
朝ホテルでレンタサイクルを借りて、わが青春の岩国を走る。まずは大通りにあるメガネ屋に立ち寄ってゴウダ君と15年ぶりぐらいの再会。お互い白髪になって薄くなって当時の面影はなくとも懐かしい再会。彼は高校時代隣の街の大竹から「ほびっと」に通っていた。
それから踏切を渡り「ほびっと」があったところに。当時からあった自動車工場はそのまま、「まんぷく食堂」が出来ていたり、向かいは大きなコンビニができていた。それから錦川を渡って川下に。かつては岩国海兵隊基地の米兵たちを相手にするAサインバーやインド人が経営する洋服屋などが並び、米兵が闊歩していたが、ほとんど閉まっていて活気はない。
反戦ビラを撒いたりデモをしたりしていた岩国海兵隊基地の前にたたずむのは10数年ぶりか。基地のなかに入ったことはある。1970年だったか、ノーム・ユーイングという反戦米兵が軍事法廷で裁かれたとき、小野誠之弁護士が熱弁をふるった。ノームは今頃どうしているのだろうか、ジェーン・フォンダやドナルド・サザーランドも来て、FTAショーと名付けて反戦集会などをしたこともあったなあ。
そんなことを思い出しながら、フェンスに沿って行くと、「岩国錦帯橋空港」の看板。知らなかったなあ。去年の12月に開港したという。米軍基地の滑走路を使用して全日空が羽田間を就航。きれいなターミナルビルで驚きました。それから蓮畑を見ながら基地に沿って海に向かう。
ベトナムに出撃する戦闘機を止めよう!凧をあげたのは1971年だったか、お巡りさんらとせめぎあいながら貫徹した。実際、戦闘機は止まったのだ!まさに非暴力市民運動としての「ベ平連」のシンボリックな運動だった。
その後、滑走路は、沖合に移設されてたのは2010年。しばし滑走路にたたずみ発着を待っていたが、飛ばず。ベトナム戦争当時は次から次へと轟音を轟かせながら発着を繰り返していた。そして今、オスプレイが岩国基地に配属されることになる。岩国市民は、どうするのか、どう立ち向かうのか見守りたい。
青春時代を思い出しながら、また現在の基地問題を考えながら暑い陽射しの中を汗を流し、自転車で基地周辺をウロウロ。「ほびっと」があった近くのまんぷく食堂でビールを飲んで駅に。
宮島など波静かな瀬戸内を見ながら広島駅に。ふと思い立って高速バスのところに行くとちょうど大阪行きがあり乗車。新幹線では味わえない風景を見ながらウツラウツラと山陽道を東へ。途中渋滞に巻き込まれて予定の時間を1時間遅れて大阪着。立ち飲みやでどて焼きでビール飲んで阪急で帰京。
参議院選挙が終わって4日目。気分転換できた旅でした。わが青春の原点に戻って、また歩き始めるか。
●7月24日(水)
<北九州市を視察>
政令指定都市政策協議会のメンバーは3班に分かれて北九州市を視察。ぼくは環境コースのグループで近代産業発祥の地、新日鉄八幡製鉄所のあった東田地区に展開する「北九州スマートコミュニティ創造事業」を視察。
北九州市は、戦前から七色の煙が街を多い海が死の海になった公害のまちだったが、公害対策に取り組み今では環境先進都市として名高い。地域電力の需要と供給を最適化する「地域節電所」を見学。さらに3年前かに議員団で視察に行った環境ミュージアムとエコハウスも視察。長年付き合いがある北九州市議団の世良議員が丁寧に説明をしてくれました。
解散後、駅前でちゃんぽんを食べてブラブラした後、JR九州の普通電車に乗り門司、下関から新山口へ。そこでまた普通電車の乗り山陽線を徳山で下車、今は南陽市などと合併して周南市に名前も変わったが、カミさんの実家に行くにはここから岩徳線に乗り換えて行っていたので懐かしい駅。駅前の商店街は閑散としてシャッター通りになっているのが寂しいね。ぶらぶらしてまた山陽線に乗って車窓から瀬戸内海の海を見ながら岩国へ。トンネルだらけの新幹線とは違う風景をのんびり行くのはいいなあ。旅の気分が味わえる。
<わが青春の反戦喫茶「ほびっと」>
わが青春の岩国に降り立ったのは6時半。反戦喫茶「ほびっと」の2代目マスターの富さんが迎えに来てくれる。そしてとある居酒屋には、ぼくが久しぶりに岩国に来るということで、「ほびっと」の当時の常連客であった女性たちが集まってくれて再会。
あれから40年。「ほびっと」を舞台にした「朝はだんだん見えてくる」(理論社)で1977年にデビューした児童文学作家の岩瀬成子さん、マチコさん、ジュンペイ、そしてライダーは、米兵と結婚してしばらくアメリカで暮らしていたが、岩国に戻った。色々と苦労したが、娘の朝美ちゃんももう三十代半ばか、モデルかと思うほど綺麗になっていてびっくりしたよ。夜遅くまでみんなで喋る同窓会でした。
なお初代マスター・ロッペイこと中川六平が「ほびっと戦争をとめた喫茶店」(講談社)を出版したのは2009年のこと。鶴見俊輔先生のエールも併録されている。ぼくも「マサホさん」という実名で出てくるよ。わが青春時代のこと。
●7月23日(火)
<くらし環境委員会>
久しぶりに市役所に。参議院選挙終わって2日目だが、第2週なので各常任委員会が開催される。火曜日は「くらし環境委員会」共産党の議員はなんとなくニコニコ顔。こちらはぐったり。
まずは環境政策局。理事者報告の前に、賀茂川河川敷に公衆トイレの設置に関する請願の審査。紹介議員になっている北区選出の小林議員と玉本議員の二人が、トイレの現状など請願趣旨について説明。河川敷は京都府の権限になるので、京都市との連携などの質疑があり、取り扱いについては留保。
続いて理事者報告。委員会室に座っている局長以下、すべての職員が背広姿なのでなんでやろか?と思っていたところ、職員がネット上の投稿掲示板にわいせつ画像を投稿、6月27日に「わいせつ電磁的記録媒体陳列」の容疑で逮捕、略式起訴で罰金30万円。という事件があり、職員の懲戒処分について報告。背広を着た理事者全員が起立して陳謝。
処分の内容は、所属長に厳重文書訓戒、当事者には停職6月処分が出されたが、その日に退職したという。某労組支部の支部長をしていた男で、アホなことをしよった!その背景などについて質疑。連鎖的に不祥事が続かないように祈るのみ。
その後、報告は、「2011年度の温室効果ガス排出量」について説明。二酸化炭素排出量が、原発の依存度低下による電力不足を火力発電で補われたため、また民生・家庭部門では世帯数の増加、電気の排出係数の悪化して、前年度に比べて96万トン増えて757万トンになった。
また市民協働発電事業などの実施については、すでに2団体が実施をしているが、この夏にはわが地元の錦林小学校など15箇所の設置の予定。運営主体を8月21日まで募集中。また「包装紙等雑がみの分別リサイクル拡大に向けた社会実験」の取り組みについてのなど報告案件が山盛り。
<政令指定都市政策協議会で北九州へ>
されどぼくは、同僚の議員も委員会にはいるので、北九州市で開催されている民主党政令指定都市政策協議会の総会に出席するために3時過ぎ退席して4時前の山陽新幹線で小倉へ。
なお委員会では、その後、東部山間埋立地に建設されてきた問題の「焼却灰溶融施設の整備工事の現状」についてや横大路にある「魚アラリサイクルセンター運転業務に委託」についてなどの報告。さらに文化市民局からは、「京都市動物園におけるゾウの繁殖プロジェクト」に係る覚書調印について、さらに「京都マラソン2014の大会概要について」などの報告案件があり夕方7時頃まで続いたという。天方委員長、ご苦労さんでした。
小倉に着いたのは6時半頃、全国の20の政令指定都市の議員が集い総会と北橋北九州市長の講演が終わり、意見交換会の真っ最中。参議院選挙でかろうじて議席を確保したところもあったようだが、意気上がらず。どこも悪戦苦闘。意見交換会の最後には、ぼくが副会長ということで元気を出して統一自治体選挙に向けてがんばろう!とお開きの挨拶。その後、各議員団は街に出て行ったようだが、北九州市の松井団長や役員のメンバーとしばし懇談。疲れもあってバタンキュー!
<岩国にて>
朝ホテルでレンタサイクルを借りて、わが青春の岩国を走る。まずは大通りにあるメガネ屋に立ち寄ってゴウダ君と15年ぶりぐらいの再会。お互い白髪になって薄くなって当時の面影はなくとも懐かしい再会。彼は高校時代隣の街の大竹から「ほびっと」に通っていた。
それから踏切を渡り「ほびっと」があったところに。当時からあった自動車工場はそのまま、「まんぷく食堂」が出来ていたり、向かいは大きなコンビニができていた。それから錦川を渡って川下に。かつては岩国海兵隊基地の米兵たちを相手にするAサインバーやインド人が経営する洋服屋などが並び、米兵が闊歩していたが、ほとんど閉まっていて活気はない。
反戦ビラを撒いたりデモをしたりしていた岩国海兵隊基地の前にたたずむのは10数年ぶりか。基地のなかに入ったことはある。1970年だったか、ノーム・ユーイングという反戦米兵が軍事法廷で裁かれたとき、小野誠之弁護士が熱弁をふるった。ノームは今頃どうしているのだろうか、ジェーン・フォンダやドナルド・サザーランドも来て、FTAショーと名付けて反戦集会などをしたこともあったなあ。
そんなことを思い出しながら、フェンスに沿って行くと、「岩国錦帯橋空港」の看板。知らなかったなあ。去年の12月に開港したという。米軍基地の滑走路を使用して全日空が羽田間を就航。きれいなターミナルビルで驚きました。それから蓮畑を見ながら基地に沿って海に向かう。
ベトナムに出撃する戦闘機を止めよう!凧をあげたのは1971年だったか、お巡りさんらとせめぎあいながら貫徹した。実際、戦闘機は止まったのだ!まさに非暴力市民運動としての「ベ平連」のシンボリックな運動だった。
その後、滑走路は、沖合に移設されてたのは2010年。しばし滑走路にたたずみ発着を待っていたが、飛ばず。ベトナム戦争当時は次から次へと轟音を轟かせながら発着を繰り返していた。そして今、オスプレイが岩国基地に配属されることになる。岩国市民は、どうするのか、どう立ち向かうのか見守りたい。
青春時代を思い出しながら、また現在の基地問題を考えながら暑い陽射しの中を汗を流し、自転車で基地周辺をウロウロ。「ほびっと」があった近くのまんぷく食堂でビールを飲んで駅に。
宮島など波静かな瀬戸内を見ながら広島駅に。ふと思い立って高速バスのところに行くとちょうど大阪行きがあり乗車。新幹線では味わえない風景を見ながらウツラウツラと山陽道を東へ。途中渋滞に巻き込まれて予定の時間を1時間遅れて大阪着。立ち飲みやでどて焼きでビール飲んで阪急で帰京。
参議院選挙が終わって4日目。気分転換できた旅でした。わが青春の原点に戻って、また歩き始めるか。
●7月24日(水)
<北九州市を視察>
政令指定都市政策協議会のメンバーは3班に分かれて北九州市を視察。ぼくは環境コースのグループで近代産業発祥の地、新日鉄八幡製鉄所のあった東田地区に展開する「北九州スマートコミュニティ創造事業」を視察。
北九州市は、戦前から七色の煙が街を多い海が死の海になった公害のまちだったが、公害対策に取り組み今では環境先進都市として名高い。地域電力の需要と供給を最適化する「地域節電所」を見学。さらに3年前かに議員団で視察に行った環境ミュージアムとエコハウスも視察。長年付き合いがある北九州市議団の世良議員が丁寧に説明をしてくれました。
解散後、駅前でちゃんぽんを食べてブラブラした後、JR九州の普通電車に乗り門司、下関から新山口へ。そこでまた普通電車の乗り山陽線を徳山で下車、今は南陽市などと合併して周南市に名前も変わったが、カミさんの実家に行くにはここから岩徳線に乗り換えて行っていたので懐かしい駅。駅前の商店街は閑散としてシャッター通りになっているのが寂しいね。ぶらぶらしてまた山陽線に乗って車窓から瀬戸内海の海を見ながら岩国へ。トンネルだらけの新幹線とは違う風景をのんびり行くのはいいなあ。旅の気分が味わえる。
<わが青春の反戦喫茶「ほびっと」>
わが青春の岩国に降り立ったのは6時半。反戦喫茶「ほびっと」の2代目マスターの富さんが迎えに来てくれる。そしてとある居酒屋には、ぼくが久しぶりに岩国に来るということで、「ほびっと」の当時の常連客であった女性たちが集まってくれて再会。
あれから40年。「ほびっと」を舞台にした「朝はだんだん見えてくる」(理論社)で1977年にデビューした児童文学作家の岩瀬成子さん、マチコさん、ジュンペイ、そしてライダーは、米兵と結婚してしばらくアメリカで暮らしていたが、岩国に戻った。色々と苦労したが、娘の朝美ちゃんももう三十代半ばか、モデルかと思うほど綺麗になっていてびっくりしたよ。夜遅くまでみんなで喋る同窓会でした。
なお初代マスター・ロッペイこと中川六平が「ほびっと戦争をとめた喫茶店」(講談社)を出版したのは2009年のこと。鶴見俊輔先生のエールも併録されている。ぼくも「マサホさん」という実名で出てくるよ。わが青春時代のこと。
●7月23日(火)
<くらし環境委員会>
久しぶりに市役所に。参議院選挙終わって2日目だが、第2週なので各常任委員会が開催される。火曜日は「くらし環境委員会」共産党の議員はなんとなくニコニコ顔。こちらはぐったり。
まずは環境政策局。理事者報告の前に、賀茂川河川敷に公衆トイレの設置に関する請願の審査。紹介議員になっている北区選出の小林議員と玉本議員の二人が、トイレの現状など請願趣旨について説明。河川敷は京都府の権限になるので、京都市との連携などの質疑があり、取り扱いについては留保。
続いて理事者報告。委員会室に座っている局長以下、すべての職員が背広姿なのでなんでやろか?と思っていたところ、職員がネット上の投稿掲示板にわいせつ画像を投稿、6月27日に「わいせつ電磁的記録媒体陳列」の容疑で逮捕、略式起訴で罰金30万円。という事件があり、職員の懲戒処分について報告。背広を着た理事者全員が起立して陳謝。
処分の内容は、所属長に厳重文書訓戒、当事者には停職6月処分が出されたが、その日に退職したという。某労組支部の支部長をしていた男で、アホなことをしよった!その背景などについて質疑。連鎖的に不祥事が続かないように祈るのみ。
その後、報告は、「2011年度の温室効果ガス排出量」について説明。二酸化炭素排出量が、原発の依存度低下による電力不足を火力発電で補われたため、また民生・家庭部門では世帯数の増加、電気の排出係数の悪化して、前年度に比べて96万トン増えて757万トンになった。
また市民協働発電事業などの実施については、すでに2団体が実施をしているが、この夏にはわが地元の錦林小学校など15箇所の設置の予定。運営主体を8月21日まで募集中。また「包装紙等雑がみの分別リサイクル拡大に向けた社会実験」の取り組みについてのなど報告案件が山盛り。
<政令指定都市政策協議会で北九州へ>
されどぼくは、同僚の議員も委員会にはいるので、北九州市で開催されている民主党政令指定都市政策協議会の総会に出席するために3時過ぎ退席して4時前の山陽新幹線で小倉へ。
なお委員会では、その後、東部山間埋立地に建設されてきた問題の「焼却灰溶融施設の整備工事の現状」についてや横大路にある「魚アラリサイクルセンター運転業務に委託」についてなどの報告。さらに文化市民局からは、「京都市動物園におけるゾウの繁殖プロジェクト」に係る覚書調印について、さらに「京都マラソン2014の大会概要について」などの報告案件があり夕方7時頃まで続いたという。天方委員長、ご苦労さんでした。
小倉に着いたのは6時半頃、全国の20の政令指定都市の議員が集い総会と北橋北九州市長の講演が終わり、意見交換会の真っ最中。参議院選挙でかろうじて議席を確保したところもあったようだが、意気上がらず。どこも悪戦苦闘。意見交換会の最後には、ぼくが副会長ということで元気を出して統一自治体選挙に向けてがんばろう!とお開きの挨拶。その後、各議員団は街に出て行ったようだが、北九州市の松井団長や役員のメンバーとしばし懇談。疲れもあってバタンキュー!