元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

2月市会始まる         2月20日ー24日

2016年02月28日 | 日記
●2月24日(水)

    <2月市会始まる 本会議で予算案の提案説明>

 今日から2月市会。本会議の開催に先立ち,恒例の京都市交響楽団による演奏が市会議場で行われ,「京都市歌」とモーツァルトの「ディヴェルティメント ニ長調K.136」から第1楽章を演奏。市長や副市長は着物姿。

 まずは、この3期目の当選を果たした門川市長が、「市民の皆さんのご信託に感謝し、京都の今と未来の為に、全身全霊を捧げ、公約を実行します。議会と緊密に連携し、適切な緊張関係の下、建設的な議論を大切にしたいと改めて決意の挨拶。
そして、2016年度の新年度予算案について、席上にも配布されているが説明。そして他の議案については、塚本副市長が説明。およそ1時間半。

 今回、提案されたのは合計170件!
 27年度関係では、13件の補正予算関連議案と、10件の条例の改正に関する議案、7件の契約議案や、2件の市道の認定・廃止に関する議案、62件の損害賠償の額の決定に関する議案など。
平成28年度関係では、21件の予算関連議案と、32件の条例の制定・改正に関する議案、18件の指定管理者の指定に関する議案と、その他の5件に関する議案。

 2016年度の当初予算は、・一般会計・・・・7277億円
・特別会計・・・・6745億円、公営企業会計・・2486億円  の合計1兆6508億円。
予算の四本柱として提案されているのは以下の4点。
 ○経済・雇用・・・京都の知恵や強みを最大限に活かした地域経済の活性化と安定した雇用の創出
 ○安心安全・福祉・子育て・・・・市民のいのちと暮らしを守り、子育て環境を充実
 ○世界の文化首都・京都・・・・文化芸術都市、環境にやさしい循環型社会、「歩くまち・京都」など、京都ならではの魅力の向上による「世界の文化首都・京都」の実現
 ○参加と協働・・・・参加と協働による地域の個性と活力あふれるまちづくり

 133の公約の9割に初年度着手する予算案をはじめ168件の議案を説明。

    <市会改革推進委員会>

 午後は、市会改革推進委員会。
 投票率の向上の取組として、過日ぼくが市会事務局に資料要求していた、横浜市議会が高校生と意見交換会のことや文科省が高校などでの政治教育について通達がでているので、そのことについて質疑。

 また投票率向上や18歳選挙権のことで NPO 法人YouthCreate 代表理事原田謙介君を招いて若者の政治参加を促進するために・投票率向上に向けて,京都市会に求められる取組について意見聴取をすることを決定。以前、彼に出会っているが、楽しみだ。

 委員会の後は、事務所にて地域ウエッブサイト「左京ライフ」の今後の運営やユニセフ協会の募金活動などについて相談ごと。

 夜は、高野川ライオンズクラブ例会。3月5.6日に開催する左京小学生バレーボール大会の打ち合わせなど。

 それからクラブメトロへ。シールズ関西(SEALDs KANSAI)のサロン。 「選挙のはなし」として、中野晃一さん(政治学者/上智大学国際学部教授)が「これまでの安倍政権と野党共闘に向けてのはなし」の裏話など。元気なセンセーでした。ちょっと疲れていたので、途中で退席したが、夏の参議院選挙で、昨年の夏、安保法制を巡って大活躍した彼らが、どういう取り組みを粘り強く展開するか、楽しみだ。

●2月23日(火)

 9時過ぎにカミサンと左京総合庁舎に。恒例の左京区民作品展。いつものように百万遍保育園の園児のみなさんによる鼓笛隊の演奏。園児からお年寄りまで400点を超える力作が展示。

 昼前、事務所の来客は、聖護院にマンション建設計画中の施行主らが挨拶に。近隣の住民の要望を真摯に受け止めること、また錦林小学校が直ぐ近くにあるので、児童の交通安全対策を図ることなど要望。

 午後は市役所に。吉田神社の澤井宮司さんと藤影婦人会の役員さんが、節分祭のチャリティー福ぜんざいの収益を福祉施策のためにと京都市にご寄付いただきました。藤田副市長と保健福祉局の部長らが対応してくれて感謝状の贈呈もあり懇談。今年で20回目。節分の時の火炉祭のことも話題に。

 その後、ハラールネットワークのことなど相談ごと。 

 ニュースは、民主党と維新が合流することが、ほぼ固まってきて新聞なども大きく取り上げている。民主党が結党されてほぼ20年、一強多弱の政界で野党が結集、解党的出直しで、巨大与党に対抗できる大きな塊になることは大事だが、党名の変更など課題はある。どんな動きになるのか、予断は許されない。ただ国会議員だけの政党ではないので、我々、自治体議員や党員・サポーターが居ることを忘れてもらったら困るで!

●2月22日(月)

 10時から議員会。2月市会の予算について、会計室、人事委員会、選挙管理委員会、監査委員会事務局から予算の説明と簡単な質疑と資料要求など勉強会。
 その後、2月市会の今後の日程や市会改革推進委員会の取組状況の報告など、そして、代表質問する山岸議員、天方議員から質問要旨について説明があり意見交換。
 それぞれ20分ちょっとの持ち時間。山岸議員は伏見桃山城のことなど熱心に取り組んでいるので、その話題。天方議員は世界遺産と景観のことなどを取り上げる。その後、予算案の資料を読んだり、

 議員団室でウロウロ。夜は事務所で議員レポートの原稿書きなど。

●2月21日(日)

    <京都マラソン>

 昨夜は雨模様だったので心配していたが、晴れた!今日は京都マラソン。ぼくはいつも岡崎公園の平安神宮前のゴールでランナーを迎えることにしているので11時過ぎに岡崎公園に。すでにトップはゴールした後だったが、続々と西京極のスタート地点から完走した選手たちが走り込んでくる。それを迎える市長は、一人一人のランナーと握手、握手。
 1時前には「みやこめっせ」で、いつものように岡崎自治会のみなさんがお世話をされている出店でうどんを食べて表彰式に。京都産業大学のランナーが優勝。会場にはボランティアでがんばっている知人らを激励して、熊野神社から東一条までランナーを応援しながら、出場している知人を探すが、多すぎてわかりません。
 この日出場したのは1万5千人。ボランティアで応援した人も1万以上。まさに京都の一大イベントになったなあ。いつかぼくも走りたいね。
 終わってから、岩倉の知人宅に。難病の息子さんのことで相談ごと。
 夜は早々に家でテレビ見てゆっくり晩酌。

●2月20日(土)

 雨の土曜日。西陣織会館で恒例のテンダーハウスのミュージックフェスタ。利用者のみなさんの歌やダンスなどみなさんで会場は盛り上がり、永年勤続表彰やイオンからの贈呈式。そしてAKBの制服?姿の某放送局のアナウンサーの女史らのア・マーンというグループのミュージカル「弁天小僧」は傑作。大笑い。

    <京都三区補欠選挙に、泉ケンタ議員、立候補!>

 午後は、民主党京都府連選対委員会と常任幹事会。
 京都3区で騒がせた不倫ゲス宮崎某が辞任して、突如降ってわいた補欠選挙が行われることになった。政治不信を払しょくするために、比例区で当選してこの間国会議員としてがんばってきたわが府連会長の泉ケンタ議員が覚悟を決めて、出馬をすることに決定。色々と思いはあると思うけれど、ここはひるまずに前進するのみ。どんなことがあっても絶対にみんなの力を結集して、当選を果たさなければならない。4月12日告示4月24日が投票日。伏見区、向日市、長岡京のみなさん、どうかよろしくお願いします。ぼくも必死のパッチで選挙運動するぞ!

    <京都府広告美術協同組合の創立70周年祝賀会>

 京都府広告美術協同組合の創立70周年祝賀会。
 思えば9年前か、ちょうどぼくが副議長をしているとき、田淵府会議員の紹介で、京都市が提案した新景観条例で、屋外広告物の規制をするということで、えらいこっちゃと陳情に来られて以来のお付き合い。
 京都らしい景観づくりに向けて、何度も何度もみなさんと当局とも議論をしてきて、組合のみなさんの理解と協力もあって、四条通をはじめ京都市内の不法なケバケバシイ屋外広告物が、各事業者市民の理解もあって、取り除かれて、品格ある京都らしいきれいなまちになった。顧問として相談にのってきたので感慨無量。
 児玉雅人理事長らの努力に敬服。表彰式などもあり、門川大作市長も公務多忙な中、来賓で挨拶に来てくれました。関西の各府県から役員さんらも大勢来られて、舞子さんの祝舞や長淵剛の物まねさんも熱演して大いに盛り上がりましたよ。

 そして、〆は、京都駅前のリド街の飲み屋。昭和の時代にタイムスリップ。

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2月予算市会に向けて勉強会   2月15日ー19日

2016年02月22日 | 日記
●2月19日(金)

 議員会。議案についての勉強会2日目。文化市民、産業観光、環境政策、教育、保健福祉に消防局からの説明。保健福祉は、国民健康保険特別会計などもあり、いつものように早口での説明。みっちり5時まで。夜は、事務所にて議員レポートの原稿書き。

 帰って家でニュースを見てたら、いつの間にかプロ野球のキャンプが真っ盛りではないですか。もうすぐ球春や。阪神金本新監督、えらい気合が入っている。楽しみや。

●2月18日(木)

   <議員会、各局から予算案の説明など>
   
 各会派議員会。民主都みらい議員団も朝から予算案や議案について、行財政、上下水道、交通、総合企画、都市計画、建設局の順番で説明があり多少の質疑や資料要求など。
 平成28年度当初予算は、一般会計7277億円、特別会計6745億円、公営企業会計2486億円の合計1兆6508億円。市長選挙後の門川市政3期目スタートの年の予算市会。
 門川市長が公約に掲げた133の項目も可能な限り予算化され、
○経済・雇用―京都の知恵や強みを最大限に活かした地域経済の活性化と安定した雇用の創出○安心安全・福祉・子育てー市民のいのちと暮らしを守り、子育て環境を充実、○世界の文化首都・京都―文化芸術都市、環境にやさしい循環型社会、「歩くまち・京都」など、京都ならではの魅力の向上による「世界の文化首都・京都」の実現
○参加と協働―参加と協働による地域の個性と活力あふれるまちづくりの4本柱。
 なお補正予算もあるし、その他の議案も多くあり委員会で審議することに。
 3月1日2日が代表質問の本会議。2日には民主を代表して山岸、天方議員が登壇します。がんばれー

 夜は、左京区役所会議室で京都高野川ライオンズクラブ杯左京小学生バレーボール大会実行委員会。三月五日六日、子ども体育館で開催します。応援よろしくお願いします^_^帰途、区役所近くの「美乃ぶ」さんで、ラーメンとおでんて晩ご飯。車なのでビールなし。ボーイスカウトの話で盛り上がりました!

●2月17日(水)

 寒い朝、我が家から徒歩三分。吉田神葬墓地の鈴木家の墓で、親父の納骨に備えて墓石に名前を彫ってもらうために、神主さんに来てもらい御霊抜きの神事。いずれ、ぼくもここに入ります。寒かった!
 
 また毎週金曜日に公園体操をしている近衛広場では、枯れた生垣のところに寒椿の補植作業が行われていました。寒い朝、ご苦労様。

 昼前には、毎年ベトナムに医療用具を送っている廣瀬礼子さんが来所。色々とアドバイス。また午後は議員団室に。錦林小学校近くの聖護院東町に建設計画のあるマンション問題について町内会長さんと都市計画局の担当者と懇談。マンション問題の紛争は20年ほど前は、大変だったけれど、最近は近隣住民との話し合いもルール化されて改善されたと思っている。プライバシー保護、眺望のこと、また工事期間中、またその後の管理のことなど不安を訴えられる。

 その後、議員団室で資料の整理など雑務。そして夜は、議員レポートの原稿書きなど。 

●2月16日(火)

 今日は市民相談ごとでウロウロ。まずは、水道局左京営業所で漏水のこと。また地下鉄北山駅の駐輪場のスロープに手すりをつけて欲しいという要望があり、現地で写真を撮る。

 今日のお昼ごはんは下鴨北大路府立大学前下がるの京豆腐百珍工房さんで「つけカレーうどん」セット。細麺の手打ちうどんに豆腐、湯葉ごはん、ひろうすにコーヒーがついて800円。絶品ですよ!店主の南出さんは前原後援会の役員さん。

 そして、忙中閑あり、下鴨のアトリエ劇研での鬼才、高間響が率いる笑いの内閣「朝まで生ゴヅラ」の公演。北海道の温泉地を舞台にした怪獣映画のパロデイ。わが選挙の時にマイク場をしてくれた楠海緒さんもお髪役で熱演!

 夜は、事務所で市民派議員レポートをようやく書き始める。この間、親父のこともありほとんど進んでいなかった。この2週間ほどで何とか仕上げないと。

●2月15日(月)

 朝10時から親父の30日祭。我が家に弟夫婦や従姉が来てくれて、吉田神社の松田氏、土屋氏の二人に神事をしてもらう。神拝詞を詠み、玉串の奉奠。もうひと月経ちました。
  無事に30日祭を終えて市役所に。
 
    <新年度予算案 内示>

 市長応援室で民主都みらい議員団に新年度予算案の概要の説明。予算内示がされました。市長はちょっと声がかすれてましたが、選挙の疲れも見せずに、133の公約を実現するために3期目のスタートの予算。「みんなごと」のまちづくりを推進したいと市長。塚本副市長が主だった項目について説明。予算は委員会などで慎重に審議することになる。
 終わった後、左京区役所副区長が来室。左京区の市民提案型の新年度予算案について説明を受ける。

 その後、監査委員協議会。例月出納検査、会計管理者の指定金融機関などに対する検査結果の報告、公営企業管理者上下水道局の出納・収納取扱金融機関に対する検査結果の報告、住民監査請求の監査、包括外部監査契約の締結に係る意見について協議など。

 監査委員協議会を終えて株式会社大安さんの「仕事はじめ会」。わが祖父鈴木増次郎と大安の創業者大角安冶郎さんが兄弟なんですよ。
 生産者や販売店など多くの方が参集して、舞子さんの祝舞もあり賑やかに開催され、大角安史社長が力強く決意を語られました。「小さなだいやす」や「聖護院かぶら」のスープに焼酎も好評です。    
 
 夜は、事務所で奄美紀行をひとくち日記に書く作業。 

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奄美大島、与論島 3泊4日の旅   2月11日ー14日

2016年02月18日 | 日記
●2月14日(日)

    <奄美、与論の旅 4日目> 

 奄美、最後の朝、部屋でゆっくり墨絵のような海を見ながら朝食。
 空港に向かう途中、ビッグとかいう大きなスーパーの土産物コーナーで鶏飯や黒糖焼酎などを買い物。奄美空港はごったがえしてた。12時発のJALで1時間ちょとで伊丹空港に。束の間の休暇もお終い。空港バスが着いた八条口は整備中。京都は寒いと思ってたら、思いがけず暖かかった。
 関東などでは春一番で飛行機も欠航していたらしかったが、無事に帰京で来てほっとした。で、早速帰ったらカミサンは明日の親父の30日祭の神事の準備で右往左往。ぼくも事務所にてメールのチェックしたり、郵便物や資料を読んだり、日常生活に戻ってしまった。明日から、心機一転、がんばろかいな。

●2月13日(土)

    <与論島を一周>

 昨夜は与論献奉で黒糖焼酎をたくさん飲んだので二日酔いかと思ってたら、そうでもなし。目覚め爽快。お天気も良し。「ヨロン島ビレッジ」朝の朝食は家族的な雰囲気でいいね。
 
 10時前には昨夜お世話になった汐見荘へ。御主人と女将さんに島内を案内していただく。島の高台にある舵引き丘。偶然にも山町長さんがカラスの防除のために観察に来られていてびっくり。
 それからサトウキビ畑を見回しながら海岸沿いを案内してもらう。昨日よりも海が綺麗。まさに紺碧の海。4年前の台風で色々な木々が朽ちて風景も変わったらしい。鳩の湖という神秘的な場所やタイムトンネルという岩場や与論島人類渡来発祥の地「アマンジュ」という井戸、また民俗村では、台風で飛んだ茅葺の屋根を御主人が改修中ということで、その過程を丁寧に説明して頂いたり、牛がサトウキビから砂糖を製糖する道具を見せてもらったり、大いに与論の歴史も勉強。
 そして島内の一番高いところのサザンクロスセンターから見る海はまさに360度。地球は丸い。天気さえよければ、沖縄本島が見えるのだが、残念。20度を超えて暑い。クジラが通るというレストランで、もずくそばで昼食。カミサンと女将さんはえらく気があったみたい。
 もう一日泊まりたかったが、ままならず、空港に送ってもらう。ほんまにお世話になりました。与論の人々の人情に触れ、感謝感激です。
 
    <奄美大島に>

 与論空港を離陸したのは午後2時20分。百合ケ浜もかすかに姿を現したか、サンゴ礁の海が綺麗。また来たいなあ。20分ほどで沖永良部空港に。そして20分ほど待機して、同じ飛行機に乗り奄美空港にほとんど揺れずに30分ほどで着陸。
 奄美はうっとおしい空。空港には愚息が来るまで迎えに来てくれていて、龍郷の海沿いちょっと高台にある「ビラゆりむん」に。小さなホテル。オーナーシェフの奄美の魚や野菜をふんだんに使った地中海料理がこれまたサイコ―。親子三人、水入らず。ワインも美味い。カエルが鳴いてました。爆睡!
   
●2月12日(金)

    <与論島に>

 朝、カミサンと海を見ながらゆっくり朝食。与論島に持っていくお土産のミスタードーナツ(与論にはないので喜ばれるのではないかと、愚息のアドバイス)を買い、一路空港へ。
 飛行機は、沖永良部まで行って、またそこから乗り継いで、与論に行くのだが、放送では、沖永良部空港が強風のために着陸できずに、奄美に引き返すかもしれないとのこと。えらいこっちゃ、と思いながら午後1時10分発の30人乗りの小さな飛行機が離陸。揺れる、揺れる。カミサンはちょっと不安そう。でも30分ほどのフライトで沖永良部空港に無事に着陸。
 風がキツイ!空港の外に出て煙草も数時間もなく、再び同じ飛行機に乗り与論島に。着陸態勢に入っていたときに海が見えたが、天気がどんよりとしていたが、それでも海は透き通ってきれい。
 沖縄復帰前は、与論島が日本の最南端でもあり、ヒッピーの聖地だった与論島にはいちど行きたかったのだ。念願がようやくかなった。
 空港にはレンタカー屋さんが迎えに来てくれていて、街の中からレンタカーで、いざ島内をドライブ。ゆっくりゆっくりとサトウキビ畑の間を、海を見ながら走る。遠くにサンゴ礁のリーフが広がり、エメラルドグリーンの海が広がる。寺崎海岸では、潮が引いていて、白い砂とアオサか、海岸一帯が緑の絨毯がひかれたよう。白い砂浜と緑の絨毯と青い海のコントラストが最高。そして、岩礁がまるで別世界にきたような光景を見せている。もう最高の景色。皆田海岸の風景も美しく、近くには与論島をこよなく愛したというエッセイストの森瑤子さんの慰霊碑と別荘。午後5時過ぎには、「ヨロン島ビレッジ」に投宿。これがまた素晴らしい眺望と部屋も素敵。しばし休息。

    <宮崎不倫議員辞職、補欠選挙に>

 ところがテレビニュースでは、妻が出産中に不倫をした宮崎某議員が辞職記者会見。あれれ!わが京都3区(伏見、乙訓)で補欠選挙になるという。前回の衆議院選で惜敗して比例区で復活当選を果たした泉ケンタ議員がさてどうするのか、彼が出馬をした時には、北神けいろうさんが比例区で、文字とおり復活することになるのだ。ここは補欠選挙でのケンタ議員の当選に向けて必死のパッチでがんばらんと。瓢箪から駒、びっくりぽんや!
 そんなことを考えながらテレビを見ていた。

    <与論の夜、与論献奉!>

 そして与論の夜であります。
 2012年秋、与論を猛烈な台風が遅い崩壊した家も。京都では小島雅子さんや元府会議員の井上(岡沢)敏子さんらが救援活動。円山音楽堂でもチャリティーコンサートがあり、ぼくも少しお手伝いをさせてもらったのです。で、井上敏子さんに与論に行くよとFBに書いたら、連絡してくれて、汐見荘に招待をされ、それがご縁で、今回、歓待していただきました。南前町長さんに現町長の山さん、商工会の会長さん、観光協会の人、そして汐見荘のご主人の林さんは町会議員さん。いやはや、女将さん手づくりの心温まる美味しい魚に野菜の料理。
 そして黒糖焼酎を回し飲みする「与論献奉」で大歓待していただきました。三線も聞かせてもらい、みんなで踊りもうサイコー。

 
●2月11日(木)

   <奄美大島に3泊4日の旅> 

 親父を見送り、市長選挙も終わり、今日から愚息のいる奄美大島へカミサンと旧婚旅行。
 実は1年程前、カミサンが奄美に行った時に土産を買ったら福引で往復の航空券が当たったのですよ!ということで、朝7時にMKのタクシーで伊丹に。飛び石連休で空港は長蛇の列。9時30分発のJALで奄美着、11時20分。ぼくは4年ぶりかな。
 
 家を出るときはコートが必要だったが温度は20度か、暖かい。早速、レンタカーで、まず腹ごしらえでもちろん鶏飯の店。そして北に向かう。サトウキビ畑と海が美しい。そして「あやまる岬」へ。潮風に吹かれながら、青い海を見て心が癒される。さらに島の最北端の笠利灯台に。海からの強風で帽子が飛ばされそう。階段を上がって灯台から見るとエメラルドグリーンというのか紺碧の海がパノラマのように広がる。もう感激だあ!
 
 そこから入江がいくつかある西海岸の山沿いの道を進む。途中、ところどころには、ほぼ満開の彼岸桜が並木がまた嬉しい。またソテツの群生地などを見ながら奄美市は名瀬に。山羊島ホテルが宿泊地。屋上に温泉があり、名瀬港を見ながらのんびり入浴。ほっこり。夜は、愚息と奄美名物鶏料理の店。黒糖焼酎で一献。二次会は、昔は末広市場だったという路地の立ち飲み屋。面白いで。こうして奄美の夜は更けるのでした。

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戦い済んで日が明けて。門川市長3期目の登庁式    2月8日ー10日

2016年02月16日 | 日記
●2月10日(水)
 
    <門川市長、3期目の登庁式>

 青天の下で、午前9時30分から市役所前で3期目の当選を果たした門川大作市長の登庁式。正副議長、自民、公明、民主の各議員に応援した各種団体に市民や職員らが歓迎。
 京都新聞は次のように伝えています。
「支援者らの歓迎を受け、「財政は厳しく、楽な道ではないが、市民の声を聞き、より一人一人に寄り添った市政を目指す」と決意を述べた。門川市長は、12万票以上の大差を付けた選挙について「さまざまな方に懸命な支援を受けた。多くの市民の勝利だ」と振り返った。「激励や厳しい意見もいただいた。反省すべきは反省し、市民と夢や目標、行動を共有する『共汗(きょうかん)』の原点に立ち返って市政を進める」と訴えた」
 驕ることなく、謙虚に市政運営を推進して欲しい。

    <教育福祉委員会>

 10時から教育福祉委員会。
 保健福祉局からは、報告事項として、(1)「健康長寿のまち・京都」の実現に向けた目標(キャッチコピー)の設定及びロゴマークの制定に係る公募について。(2)「障害を理由とする差別の解消の推進に関する京都市対応要領」の策定については、ぼくも12月の本会議で、質疑をしているので、「合理的配慮」なるものを具体的な説明などを求めて質疑。(3)介護保険サービス事業者の指定取消についても報告があった。不当な請求をしたりする法人や株式会社が後を絶たず、この種の指定取り消しがたびたび見受けられるなあ。
 
 午後1時からは、専門家から意見を聞くいう参考人招致として「健康長寿社会の構築について」、京都府医師会の森洋一先生と歯科医師会の佐藤雅之先生を参考人として招いて、健康長寿社会の構築に向けてお話をお聞きしました。
ぼくも親父の看護をして見送ったことを披露して先生のご意見を伺う。一般質問は4人。

 4時ごろから教育委員会。組体操や定番の京北の小中一貫教育についての説明会のことなど一般質問があり、ぼくは過日、わが母校第四錦林小学校で開催された英語学習の研究会での公開授業を参観した感想と今後の京都の小中学校での英語学習の方向性を質疑。終わったのは午後6時。

 夜は明日から三泊四日の日程で奄美に行くので「ひとくち日記」の打ち込みなど。

 ニュースは京都三区の宮崎某議員、イクメン議員などともてはやされていたが、妻の出産のときに不倫をしていたとして文春にスクープされて窮地に。某党の幹事長が委員会を終わり廊下に出たところでテレビカメラがまわって取材を受けていたよ。とんだところにトバッチリや。

●2月9日(火)

 朝、京都府庁は選挙管理委員会へ。昨夜仕上げた後援会の収支報告書を提出。
 
    <民主党 自治体議員局の会議で日帰り>

 昼の新幹線で東京へ。永田町の民主党本部で民主党自治体議員フォーラムのブロック代表世話人会と自治体議員局の会議。
 武正組織委員長と佐々木自治体議員局長らを囲みながら、5月に開催する全国自治体議員フォーラムの開催についての打ち合わせや各ブロックの活動の現状や今後の自治体議員局の活動について忌憚のない意見交換。民主党を支えているのでは国会議員ではなくて、我ら自治体議員が地域で苦闘しながら民主党の屋台骨を支えているのだよ。
そのことを本部役員や国会議員のみなさん、理解しないと。
  また北海道の補欠選挙や参議院選挙、ガンバローと気合わせ。9時過ぎの新幹線で帰京。

●2月8日(月)

    <市長選挙の結果の私見>

 戦いすんで日が明けて、ちょっと疲れたなあ。

 今回の市長選挙は、四条通の歩道拡幅などが話題になったが、京都市政の問題ではなくて、憲法や安保法制を争点にした相手候補の戦略が有権者に受け入れられなかった。京都市民の見識が発揮されたと思う。
 かつては同和行政や職員の不祥事が大きな争点になったことを思えば、隔世の感がする。それに門川市政の8年間が評価されて、自民、公明、民主の相乗り批判も思っていたよりなかった。国政の対立を持ち込まず、今回は民主の国会議員も選挙車では堂々とマイクを握り前面に出た。
 自民の余裕だったかな。民主の存在感がないと、某新聞は書いているが、われわれもがんばったのですよ。
 ところで、一時期、第3極として出馬が噂されていた京都党の某議員が不出馬を表明してその責任をとって代表を辞任、その結末として、ひとりの女性議員が離党、団長には2期目の女性議員がなったそうだ。

 で、ぼく自身はというと、8年前の選挙の時は、選対本部に民主党の責任者として、色々と苦労をしたが、今回は正直、気楽な立場。やるべきことはやったが、親父の葬式のこともあり、イマイチ元気がでなかった。こういう時もあるよ。ともあれ、わが同世代の門川大作氏が3期目の当選を果たしてよかった!よかった!

 終日、事務所で後援会の収支報告の作成やずーとサボっていた「ひとくち日記」の書き込みなど、この間できなかった雑務で一日が過ぎた。

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市長選挙終盤、そして門川大作市長3期目の当選  2月1日ー7日

2016年02月10日 | 日記
●2月7日(日)

   <門川大作 3期目当選>

 眼ざめはまあまあ。NHKの将棋を見て、昼飯の後、徒歩3分、わが母校近衛中学校で投票。南校舎の教室が投票所。パソコンが置かれて、受付も簡単。そして立会い人も体育館ではないので、暖かくてよかった。門川大作と書いて投票の後、立ち合いの町内のみなさんに節分のお手伝いに行けなかったことを詫びる。一日、ご苦労様。

 その後、事務所で溜まった書類の整理などして、午後8時前には、ANAホテルに。門川選挙事務所が手狭なためにホテルで開票結果を待つことになった。

 会場に入り、NHKのテレビが午後8時に大河ドラマの冒頭に、則、門川大作当確の速報。呆気ないね。ホテルから近所が家の候補者が、しばらくして登場。拍手で迎えられて、万歳!立石会長や自民、公明の国会議員に続いて民主の泉ケンタ議員もお祝いのスピーチ。
 そして中央市場の池本さんが例によってお祝いの大きな鯛の贈呈やダルマの目に墨を入れ乾杯。出口調査にを見れば、6割が門川候補に。圧勝や。投票率は、114万人の有権者のうち40万7千人が投票に行き、35.68%だとか。
 問題は、左京区です。さてどうやろか?と思いながら帰宅。家でほっこりしながらKBSの中継を見る。同志社の真山先生が的確なコメント。
 左京の票は、門川26,500 三上 2,000 太田19,000です。左京で勝てた!よかった!市内全体では、門川 243,732、三上 13,622、太田 125,893です。 ダブルスコアの圧勝や。されど驕ることなく、投票に行かなかった有権者のことも謙虚に受け止めんといけないな、と思う。
 
 この間のニュースは、清原選手の覚せい剤逮捕や北朝鮮のミサイル発射。

●2月6日(土)

    <市長選挙  ラストサタデー>

 午前中、とある養護施設の方の告別式。

 そして市長選挙。明日が投票日。ラストサタデー。

 まずは、祇園石段下に左京と東山の議員らが結集しているところに門川候補が選挙車で乗り付けて、最後のお願い。地元東山選出の中野洋一議員がマイクを持って張り切ってました。候補者、声もだいぶかすれてきたが、元気に訴え。

 それからいつものように民主党のフィナーレは三条河原町。桃太郎作戦をしてきた連合京都の組合員を中心に、国会府市会議員の後援会が結集して、未来の京都をつくる会の立石会長や泉ケンタ民主党京都府連会長らの訴えの後、門川候補が最後の訴え。気合が入ってました。知り合いの新聞記者と意見交換。相手候補に元気がなくて、負けることはないと確信。自民、公明、民主に経済界や連合京都、それに各種団体など幅広い市民が応援している門川候補が負けたらえらいことですがな。

 そして6時半からアピカルイン京都での隠塚議員が担当の民主の最後の個人演説会。会場には前原後援会のみなさんの参加やぼくがFBなどで知らせた人も多く来てくれて200人ほどの参加者で、福山議員も応援弁士。門川候補も気合の入った演説をして、有終の美。
 明日は、投票日。さて投票率はどうやろか。ぼくもやっと一息だあ。

●2月5日(金)

 市長選挙もあと1日。

 7時過ぎ、朝日が昇り始めるとき、九条山を超えて山科に。山科区役所前で民主党二区総支部として岸本哲さんらと、朝の街宣。前原山科後援会の女性陣や連日朝の街宣に付き合ってくれているわがFB友達の中島直樹さんも仕事先が近くだからと、今朝も一緒。脱帽ですよ。

 昼からは、門川選挙事務所の当番。松井珍男子元副市長さんが朝から晩まで事務所に張り付いて接客。ご苦労様です。自民、公明の当番の議員たちと戦況についてワイワイ言いながら、来客応対。

 午後6時からは、三条河原町で民主の府市会議員と幹事で、投票に行きましょうと中野洋一議員隊長の指揮のもと街宣活動。
何人かの知人に出会い声をかけるが、通り過ぎる市民は、無反応。ロイヤルホテル前では、門川候補と遭遇。元気ハツラツ。あと一日や、がんばろう!

 帰途、冷えた体を近所の聖護院のキャラバンで熱燗で温める。もう一日がんばろかいな。

●2月4日(木)

    <民主党 近畿ブロック自治体議員研修会>

 10時過ぎ、市長選挙の最中だが、近鉄に乗って奈良へ。三条通など中国からの観光客で賑わっている。

 12時からカレーを食しながら民主党近畿ブロックの各県連代表世話人と研修会と次年度の開催のこと、また昨年春の選挙後の取組や参議院選挙や衆議院候補の公認状況など意見交換。

 そして2時から民主党近畿ブロックの自治体議員研修会。ぼくが、近畿ブロックの代表世話人としてご挨拶。新人議員が何人か初々しく参加してくれていてよかったよ。でも大阪や兵庫は維新に食われて減少。いつも見る顔が居なくて寂しいね。

 研修会は、食と住環境について、国際観光日本レストラン協会会長の尾川欣司さん、プロジェクト泡の三浦雅之さん、パナホームの山田富治さんが講演。交流を兼ねた懇親会では前川清成参議院議員もご挨拶に。奈良名物、中谷堂の高速餅つきも披露していただいて盛り上がりました。スゲエ!神技です。奈良県連のみなさんお世話になりました。次回は大阪です。よろしく!

●2月3日(水)

 市長選挙もいよいよ終盤戦。
 朝7時過ぎ、出町柳駅前に。前原議員に福山議員もいつもの場所に立ってドライバーにお手降り。7時半には門川候補も現れて、一緒に挨拶。前原後援会や自治労のメンバーなども投票に行こう!の旗を持って、必勝を目指して毎朝がんばってる。
 8時には、マイクを使って候補者が訴え。その後、百万遍でもスポット演説。門川候補は選挙車の助手席に乗り、前原議員に、隠塚、北岡議員とぼくも乗り込む。そして下鴨や松ヶ崎、養正などを回る。

 10時には東一条に到着、自民の石田府議、公明の國本議員らも合流してくれて、前原議員ともども節分の露店の雑踏の中に。桃太郎作戦だ。ぼくは喪中で入れないので、しばし選挙車に乗り込んで地元吉田、聖護院をしばし地元の鈴木です。門川候補をよろしくとマイクマン。

 そして11時には大元宮のところで、参道を桃太郎作戦してきた候補者らを待ち受けて、ふたたび選挙車で聖護院から岡崎、新洞学区を回り、蹴上で山科の公明党の議員らにバトンタッチ。天気もよかったが、道行く人やドライバーなど手を振る人たちが増えてきた。反応が良くなってきた感じ。候補者も上機嫌。

 今日のお昼ごはん。銀閣寺交差点西の「てっぺん」で、久しぶりに中華そばと焼飯半分。美味かった!

 帰途、バスで移動の時、百万遍の交差点では共産党の推薦候補が街頭演説。女性陣がと高齢者が多いように見えたが、200人ほど結集していたかな。この選挙中、初めて相手候補と出くわした。過去の市長選挙では、辻辻に運動員が立ち、また路地裏までメガホン部隊が誰それをよろしくと、歩きまわっていたが、今回はそのパワーが見受けられない。安保法に反対して憲法市長をというのが戦略だが、ちょっと運動量が落ちてるように思えるなあ。
 
 午後は、事務所で黙々と電話をしたり、この間、書けなかった「ひとくち日記」を書いたりで、節分に参拝する友人がちょっと立ち寄ってくれたが、静かに夜が過ぎる。今朝は街宣活動で早かったので、今日は帰って寝ます。氏子講社や消防団のみなさん、ご苦労さんです。お疲れがでませんように。

●2月2日(火)

 今日から吉田神社の節分。いつもは朝の8時過ぎに境内に行き、御神楽の舞、追儺の矢の受付に座るのだが、喪中で行けない。さみしいなあ。
 午前中、近所のお家にお邪魔して水道管の漏水事故のため浸水して被害にあった部屋を見せてもらう。
 
 午後、地下鉄東西線に乗り醍醐に。伏見区からきた「未来の京都をつくる会」の宣伝カーに乗り、山科区を岸本アキラ民主党2区総支部幹事とマイクを持ち、門川候補をよろしく!とマイクマン。左京区とはまた違う街並みを1時間ほど走る。

 5時前には民主党の市長選挙対策委員会。この間、自民党の主導で選挙事務などが進んできたが、民主もがんばっているということ、存在感を出すためにできる限りのことをしようと気合合わせ。低投票率になりそうなので油断は禁物だあ。
 
 夜は、事務所前を吉田神社の節分に行く人たちでざわついているのを尻目に、事務所に篭ってこの間の「ひとくち日記」を打ち込む作業など。小さなときから親しんできた節分に行けないのは、喪中で仕方がないのだけれど、ほんまに寂しいよ。

●2月1日(月)

 今日からもう2月。この1カ月、いつものように新年を迎えて、穏やかな天気が続き、消防出初式や新年会などいつもの新年の行事に顔を出して13日に67歳の誕生日を無事に迎えて、さあ市長選挙だと気合を入れていたところ、覚悟はしていたが親父が1月16日に96歳で他界。19日に葬儀・告別式を終えて、疲れも出ていたが、市長選挙に突入。あっという間の1月でした。
 その疲れもあったのか、午前中ゆっくり。

 明日から吉田神社の節分祭。京大前や参道には、露店が並び始めました。剣鉾仲間のすいれんの吉嗣くんも出店。なお小生、毎年、お神楽の舞、追儺の矢の受付に座っておりますが、今年は喪中につき、残念ながら欠礼させていただきます。でもご参拝のほどよろしくお願いしますね。お帰りの節は、事務所にお立ち寄りくださいね〜

 午後から、事務所で平安の森での個人演説会にご参加いただいたみなさんにお礼の電話をしたり、近所のマンション建設問題や水道漏水案件について連絡をしたり。またその他の相談ごとで、来客もあり。

 そして夜は、この四月から東山総合支援学校となる東山区の旧修道小学校で中野洋一議員が責任者の門川大作個人演説会に。FB友達の中島さんが受付でウロウロ。彼の文書を貼りつけておきましょう、
「地元中野市議の声掛けで行なわれました。 夕飯時の開催にもかかわらずに沢山の方々にお越し頂きました。東山に所縁のある懐かしい方にも。田中会長、前原代議士の応援演説、門川候補者、中野市議の話に最後まで皆さんが聞きいられてました。左京の鈴木市議、隠塚市議、北岡府議も伏見からは山本市議も駆けつけてくれました」
寒いとき、広い体育館にはストーブが置かれていたが、200人ほどの参加者でよかった!

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京都市長選挙 始まる    1月24日ー31日

2016年02月07日 | 日記

●1月31日(日)

    <田淵五十生元府会議員の旭日中綬章受賞・結婚50年記念祝賀会>

 市長選挙が始まり一週間。
 日曜日、昼は田淵五十生元府会議員の旭日中綬章受賞・結婚50年記念の祝賀会。
 田淵さんとは、長い長―い付き合い。社会党時代だからもう35年ぐらいかな。3度目の挑戦の時、ぼくは社会党の推薦を得て当選したのが1987年だから、それ以前に出会っている。色々とあったけれど、衆議院選挙で複数擁立をして社会党を除名になったとき、復党問題では、色々とお世話になったことが一番の思い出かな。
 田淵さんは同志社を卒業した後、社会党の職員になり、なんども府会議員選挙に挑戦。それを支えて来られたのが洋子夫人。 まさに二人三脚で政治人生を駆け抜けて来られた。高校時代に出会われたという。心温まる会でした。お疲れさんでした。
 
 ゆっくりしたかったが、途中で退席して当番ということで未来の京都をつくる会の事務所に。事務所には、自民、公明の府市会議員が交代で詰めているので色々と情報交換も。ぼくが当番をしているとのことで友人も2,3人来てくれる。感謝。また3階の民主党の部屋でスタッフのメンバーと打ち合わせなど。
 

    <「まえはら後援会国政報告会新年会」>

 そして5時前にはウエスティン都ホテルでの毎年恒例の「まえはら後援会国政報告会新年会」に。いつもながら1200人とかの大勢の参加者で会場は熱気。
 今回は、北岡府議の進行で国政と市政の連携など、門川市長と前原議員と福山議員とでパネルデスカッションが目玉。その後、しばしぼくもテーブルを挨拶回り。
 来賓紹介の後、いつものように途中退席して浄楽消防分団の出初式に飛んで行って、各団体長さんや消防分団員さんたちにひとまわり挨拶して、ホテルに戻り、帰りがけのみなさんにご挨拶して、新年会実行委員会の打ち上げにも合流して改めて昨年の選挙の御礼など挨拶。いつもながらダブルヘッダー。
 前原後援会の後援会のみなさんの結束ぶには脱帽です。みなさんお疲れさんでした。

●1月30日(土)

    <左京北部を宣伝カーで> 

 午前中ちょっとゆっくり。
 午後、「未来の京都をつくる会」の宣伝カーで民主党左京の三人組、北岡府議、隠塚市議で街宣行動。
 北大路橋から門川大作候補をよろしくと貴船、鞍馬、静原、大原、八瀬を左京の北部を回る。大原小出石町では残雪が。寒いよ!はるか北の比良山は雪景色。大原里の駅で一休みして、午後6時までマイクを持つ。手がカジカムし寒いし寒い時の選挙はかなわん。4年前は、雪も降ったし、確かもっともっと寒かった!
 
    <山科百々小学校で門川大作個人演説会>
    
 夜は山科百々小学校へ。山科には現職の民主党府市会議員がいないので、2区総支部幹事の岸本哲さんが責任者となって前原山科後援会の協力の下、開催。未来の京都を作る会の選対本部の役員の自民井上団長、公明曽我団長、そして民主団長の安井議員も出席しての門川大作候補の個人演説会。
 民主党府連幹事の岸本哲さんや前原、福山議員が応援弁士。門川候補、疲れも見せずに実績と政策を訴えました!200人近い参加者で、まあまあの盛り上がり。関係者のみなさん、ご苦労様でした。

 散会後、急いで地元に戻り、吉田神社参道前のチェルキオに。ご近所の方とのサロン「チェルキオの会」の新年例会。過日の親父の葬儀の時に受付などお世話になり、またご会葬いただいた方に御礼の挨拶してワインでひととき。マスターの福井くん、骨折から完全復活だ!

●1月29日(金)

    <選挙車で、寒い左京を宣伝活動> 

 昨夜の個人演説会を終えてほっと一息、と言いたいところだが、朝6時過ぎに起床。しんどいし眠たい!それに雨や!
 7時半に、選挙車が左京区の民主党担当ということもあり、門川候補と一緒に花園橋で朝立ち。氷雨降る中、前原誠司衆議院議員に左京区の議員と後援会、橋元会長を始めとする連合京都の皆さん、それに山岡景一郎平安女学院学長も一緒。お元気です。びっくりです。
 その後は選挙車に乗り込み、かどかわ候補へのご支援のお願いを訴えて回りました!そして、岩倉から市原野、二ノ瀬まで行って二ノ瀬トンネルを抜けて岩倉に戻り中信前と修学院駅前でも街頭演説。カッパを着ながら門川候補も必死の訴え。
 前原事務所でお茶でちょっと温まって、また百万遍でもスポット演説。小雨が降り続けていて、すれ違う市民の姿は少なかったので、反応はイマイチ。盛り上がってないけれど、前原議員は、候補者になり代わって、門川候補をよろしくとほぼ3時間余、マイク離さずウグイスマン。元気や、そして前原人気もいまだ健在。出町桝形商店街のところで上京区の小林あきろう元市議、高木博章府連幹事と駆けつけた福山参議院議員にバトンを渡す。

 王将で昼飯。

 そして一乗寺の「BIT CUBE art space」でのNPO法人スウィング主催の「Enjoy!Open!!Swing!!! Vol.3 ART BRUT? NOT ART BRUT?  ~京都・左京区編~」に。障害のある人への様々な偏見をオモシロ・オカシク打ち破ります、ということで、芸術創作活動「オレたちひょうげん族」の展覧会。個性あふれる作品が並ぶ。アートスペースのオーナーさんは、以前会ったことのある人でした。

    <四錦小で英語研究会>

 それからわが母校第四錦林小学校での英語研究会に。市内はもとより全国から英語教育活動をしている教員が集まり、公開授業を見学。楽しく学ぶ児童たちを見ていて、うれしくなるね。今は亡き海原校長のときに始まったのかな、文科省の調査官として英語教育に取り組んでいる直山先生にも久しぶりにお会いできてよかった!

 夕方、もう身体がガクガクだったので、久しぶりに整体に。至福の時、身体も心も癒されました。その後、ビールを飲んでゆったり、まったり。

●1月28日(木)

    <ホテル平安の森で門川大作個人演説会>

 今夜は、ぼくが責任者の門川大作個人演説会。会場のホテル平安の森の担当者と連絡をしつつ、電話作戦を継続。

 夕方、会場に出向いてわが後援会の主だったメンバーも結集してくれて受付の段取りなど。今までは、近衛中学校を会場にしていたのだが、準備もたいへんだし、何よりも寒い!ホテルを会場にすると楽だし、暖かいのが何より。6時過ぎには寒い中、わが後援会のメンバーや前原、北岡後援会のみなさんや選挙葉書やFBで告知もしたので続々と聴衆が来ていただく。連合京都の組合員さんたちにも来ていただいて、開会するとき用意していた椅子が足らずに追加も。ほぼ200人の方にご参加いただきました。
 ぼくは司会。応援弁士は、トップに塚本稔副市長がこの8年間の実績などを話してくれて、橋元信一連合京都会長が、元自治労市職労組の委員長であったこともあり、門川市政の市政改革についても分かりやすく言及。そして候補者が登場、吉田幼稚園からの花束贈呈の後、門川候補がこの8年間の実績と未来の京都のためにやるべきことを熱弁。
 FB友達の中島直樹さんの文章を貼りつけておきます。
「マサホ市議の呼び掛けで会場は超満員。スーツ姿の選挙戦の候補者ですが、やっぱり着物姿がしっくりきます。前半戦の疲れが出る頃ですが、マサホ市議の人柄か候補者の顔が凄くリラックスした良い顔でした。福山代議士も駆けつけ島内君の頑張ろう!三唱で締めくくり」。
 寒い夜にもかかわらす多くの方にご参加いただき感謝です。ありがとうございました。〆は久しぶりにタコとケンタローでほっと一息。

●1月27日(水)

 市長選挙4日目。明日は、ぼくが責任者となってホテル平安の森で門川大作個人演説会を開催するので、呼び込みの電話作戦。後援会長夫人とカミサンが電話の前で、市長候補は門川大作をよろしく、演説会にぜひお越しくださいと電話作戦。そしてぼくも携帯電話を駆使して、親父の葬儀に来ていただいた方には、お礼を述べて、演説会への参加を要請。選挙の時のいつもの仕事。
 
 夜は、京都高野川ライオンズクラブの500回目の例会。祇園の洒落た居酒屋で懇談。入会してもう20年になるのかな。小人数で運営をしているが、左京小学生バレーボール大会がこの3月で第19回目。この大会だけは、なんとしても続けたいものだ。

●1月26日(火)
 
 午前中、事務所には市長選挙で電話作戦を行うべく昨年春のぼくの選挙の時にお世話になった業者さんにきてもらい臨時電話を設置してもらう。
 
 お昼ごはんは、門川選挙事務所での当番に行く途中に夷川烏丸を西に行ったところの町家を改造したおばんざい食堂「ひとつのおさら」。同志社総合政策科学研究科の同窓生、西村和代さんのー。美味しかった!
そして、午後は未来の京都をつくる会事務所で事務所当番。元副市長の松井珍男子さんらと市役所のOBの方々と久しぶりに懇談。

 5時過ぎには、忙中閑あり。門川選挙事務所の西の堀川御池ギャラリーでは天才アートミュージアムの「8人の天才たち展」に。障碍のある青年たちが描いた作品や折り紙など。門川市長の似顔絵、ほのぼのとしてサイコー。理事長さんらとしばし懇談。

      <左京区で最初の個人演説会>
 
 そして、夜は宝ヶ池の グランドプリンスホテルでの門川大作個人演説会。民主党2区総支部として北岡ちはる府会議員が責任者。わがFB友達の中島さんが書いた感想を貼りつけておきます。

 「 府市協調、国とのタッグを絵に描いた様な演説会 門川候補の人柄か弁士の方々の人柄か 和気あいあいの中の盛り上がり 司会のちはる姉さんは流石に盛り上げ上手。 前原代議士の話もなかなかの内容で和ませたり納得させたり 最後はマサホ市議が頑張ろう三唱!」

●1月25日(月)

    <寒い朝、左京を回る>


 朝、6時過ぎ起床。まだ真っ暗。外へ出たら、路面にはうっすらと白い。7時30分には洛北高校前交差点に。寒い!冷たい!民主党2区総支部の北岡、隠塚議員に福山参議院議員も駆けつけて、震えながら通勤するドライバーのみなさんに手を振る。真冬の選挙はもうかなわん。勘弁してほしい。そして8時から「未来の京都をつくる会」の確認車に乗車。福山議員もマイクを持って門川大作をよろしくと声をからしながら、路面が白い松ヶ崎から修学院、一乗寺などを回る。ぼくも時折マイクを握るが、声が出ないなあ。

    
 11時頃には下車して、おふくろの住む嵯峨野のケア付き住宅に。

 親父の葬儀を終えて、おふくろのご機嫌伺いと、カミサンと末の弟とで親父が借りていた部屋の荷物の撤収をするとともに、部屋の契約解除の手続きなど。なんやかんやと夕方までかかる。親父が亡くなり、おふくろが一人で生活することになるが、心配だけれど、なんとか元気になってほしい。年金などの色々と手続きもあり、当分、バタバタが続くね。

●1月24日(日)

     <市長選挙、いざ出陣>

 今日から2週間にわたる市長選挙。朝8時半から堀川御池の東のビルが「未来の京都をつくる会・門川大作選挙事務所。風もなく晴れた空だったが、冷たい。4年前は確か雪が舞っていた。8年前の選挙は選対に入っていたのでたいへんだったが、今回は役もないので気楽。
 京都選出の自民、公明、民主の国会議員も勢ぞろいして各党の議員や山田知事らが必勝の挨拶。門川候補、トレードマークの着物を背広に着替えて戦闘モード。簡単にこの8年間の実績を述べて、この4年間にする133のマニフェストの実現に向けて、選挙戦をがんばると、決意表明。府市会議員に経済界や連合京都や各種団体、市役所OBなど300人ぐらいかな、大勢の 支持者が詰めかけるなか、いざ出陣。2月7日が投票日です。寒い寒い季節の選挙。

 出陣を見届けて、わが事務所に戻り、公営掲示板にポスターを貼りに行ってくれたメンバーを迎えて労い。
午後は、28日にぼくが責任者で開催する個人演説会や今後の選挙車の日程やコースを詰める作業。
 
     <候補者は3人>

 ところで、今回の市長選挙は自民、民主、公明の推薦する門川大作さんと元社民連代表の85歳の三上隆さんと共産党推薦の本田久美子さん3人の争いだが、女性候補が立つのは初めてではないかな。
 憲法や安保法制の国政問題を争点にした共産党の戦略がどうでるか、また四条通の歩道拡幅問題の市民の反応は、どうか、そしていつもながらの投票率がどうか、などが課題。元教育長と元教員組合の委員長という構図もあるかな。
 
 京都は雪が降らなかったが、西日本は大寒波到来ということで九州や四国でも大雪、なんと奄美大島では115年ぶりの降雪とか。寒いはずや。またニュースは、大相撲で大関琴奨菊が日本出身力士として10年ぶりに優勝。琴バウアーというパフォーマンスが場内を沸かしていた。

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親父を送って、そして市長選挙に向けて  1月20日ー23日  

2016年02月06日 | 日記
●1月23日(土)

   <「未来の京都 公共政策・社会問題研究会」
     「京都市長選挙についてー各候補者のマニフェストを検証するー」>
   
 昼、事務所に「未来の京都 公共政策・社会問題研究会」の事務局を担ってくれている真下仁志氏が来所。第4回目になる研究会の打ち合わせ。1時30分から開会。京大生2人、同志社生1人、立命館大生の女子学生、そして京都産業大の学生さんが集まってくれて、「京都市長選挙についてー各候補者のマニフェストを検証するー」をテーマにして研究会。

 まずはぼくが今回の市長選挙の概要を説明して、真下氏が門川大作、本田久美子、三上隆の3人の候補の公約、マニフェストを要約説明。以下、①若者の雇用対策(産学公連携による知恵産業の育成、中小企業、ベンチャー企業の成長支援)  
② 子育て支援・教育支援③ 街づくり(四条通り拡幅問題、景観問題)④憲法・安保法制と市長選挙⑤ 財政問題(特に新税について)⑥ 観光について

 各学生から、支持政党関係とは関係なしに、その公約の実現性について、客観的に自分の思っていることを述べてもらう。なかなか興味深い、また的を得た論議であった。まとめて冊子にするので、またお読みください。

 その後、研究会として、学生諸君に自転車問題、教育問題、憲法・安全保障、交通問題、高齢者、子育支援、経済の活性化、府・市協調など、京都市政や政治の課題について 、アンケート調査をしてみたいと提案。みなさんもご協力のほどよろしくお願いします。次回は2月27日に開催。未来の京都への提言として、各自から発表してもらう予定。 年度末には報告書を出したいと思っている。学生諸君、よろしくね。
 
   <明日から市長選挙>

 夜は、明日が市長選挙告示日ということで、公営掲示板のポスター貼りの部隊の最終点検など雑務。左京区は300か所ほどあり、自民、公明、民主でそれぞれ地域を分担して貼ることになっているのです。鈴木事務所としては、近衛中学校など5投票区を担当することになっている。雨や雪が降らんことを祈るのみ。天気予報では、西日本に寒波到来と言っているのが心配や。さあ、明日から四年に一度の市長選挙。門川3選に向けてがんばるか。

●1月22日(金)

 やはり疲れ気味。ユンケル飲んでも力が出ない。
 けれども午後は、市長選挙の推薦葉書を選挙事務所に持参した後、ご会葬、弔電いただいた連合京都や市役所で市会事務局や各会派正副議長や副市長と市長室などにご挨拶。

     <監査委員事務局にて>

 そして監査事務局にも挨拶方々立ち寄り、一般会計と公営企業の11月分の出納に関する例月出納検査の報告ととある住民監査請求に関することでその経過などの報告を受けて意見交換。実はいまいち請求者の意図がよくわからんのです。

 ところで監査委員のことだけど、ぼくは議員になる前、住民監査請求をしたこともあり、また議員になってからは海外視察のことなどで監査請求をされたこともあり、はたまた監査委員になるという、まれな経歴の持ち主だと思っている。監査委員として職責を全うしたいね。

 夜は、組合の旗開きなどが3か所ほどあったけれども喪中につきすべてキャンセル。申し訳ない。もう20年ほど前、同志社の総合政策科学研究科で修士論文を必死で書いているときも旗開きにも行かなかったこともあるが、それ以来かな。ともかく疲れをとらないと。

 夜は、家でぼんやり一献傾けながら洋画を見たり。

 この間のニュースはスキーバスの事故での大学生の死亡や甘利大臣の週刊文春の記事に始まった金銭授与の問題。

●1月21日(木)

 親父の祭壇に礼をして、今朝もぼんやり。

 午後は、この土曜日に昨秋に立ち上げた「未来の京都 公共政策・社会問題研究会」の第4回の研究会として「京都市長選挙についてー各候補者のマニフェストを検証する」を開催するので、事務局の真下仁志氏に事務所に来てもらい、学生にアンケート調査を依頼することや当日のテーマや進行についての打ち合わせ。いささか疲れが出ていて議論するパワーもない。

 それから市長選挙での門川候補推薦の選挙葉書の名簿打ち出しやタックシール貼りを事務所に来てくれた後援会の友人夫妻にお願いして、なんとか間に合わすことができてほっと一息。
 疲れがピークかな。早々に家でダウン。カミサンも疲れた様子。末の弟がおふくろのところに行ってくれて、助っている。

●1月20日(水)

 朝、目覚めたら雪ですがな。昨日の親父の告別式で雪が降っていたらえらいことでした。この間、親父が息を引き取ってから、4日間ほど色々と気を配り、寝る時間も少なくて、また無事に告別式も終えて、もうぐったり、立ち上れず。
 
 午前中は、手話条例のプロジェクトチームの集まりや教育福祉委員会の視察もあったけれど、欠席。議員生活も長いけれど、「忌引き」で委員会などを欠席したのは、カミサンの親父さんの時以来かな。

 午後には事務所に出向いて、弔電の整理やご会葬いただいた方々の名簿を見たり、ご近所の方にご挨拶したり、供花をいただいた方々やお世話をいただいた方にお礼の電話をしたり。
 たくさんの方々にご会葬いただき感謝です。また新年の旗開きなど出席予定のところもあったけれど、関係者に事情を説明して不参加の通知も。

 そして休む間もなく、市長選挙を控えて、門川大作演説会の打ち合わせや推薦葉書の発送のリストを作ったりで、なんやかんやの雑務もあり、もうぐったり。早々に夜は、家で親父の祭壇の横の部屋で一献傾けながら、テレビを見ながらぼんやり。

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父、鈴木正武 死去    1月16日ー19日

2016年02月06日 | 日記
●1月19日(火)
 
    <父、正武の葬儀、告別式>

 寒いけれど晴れた朝。9時前には公務多忙な中、門川大作市長が弔問に来ていただく。愚息に会ってもらってよかった。

 10時30分から通夜祭に続いて神式に則って粛々と葬儀。吉田神社の神官の松田さんが故人の略歴を入れた祝詞を詠んでいただく。いささか涙ぐみそうになる。そして親族から玉串の奉奠の儀。

 そして寒い寒いとき、長らく待っていただいたみなさんにから玉串、榊を奉奠していただく。立礼は、ぼくと愚息と弟二人と前原議員と福山議員に柿阪正夫後援会長。事務所の前には長い長い行列ができていたという。一人一人にご挨拶できなかったことをお詫びします。司会者から弔電も披露していただきました。多くの方にご参列いただき、心より御礼申し上げます。
 最後のお別れをして、出棺。喪主として、父、正武がこの吉田の地で生まれ育ち暮らしていたこと、またヒロシマで被爆したことなどを伝えて、ご会葬の御礼の言葉とさせていただく。寒い時、ご近所のみなさんや後援会のみなさんに最後までお見送りいただき感謝です。心より御礼を申し上げます。そして中央斎場に向かうが、88歳になるおふくろのことが心配だったけれど
長年連れ添ってきたおふくろも一緒に行くことになって安堵。
 
 東山の中央斎場は友引ということとまた改修工事中でもありで混雑。1時間ほど待って、神職の松田さんが神事をしてくれて永久の別れ。ありがとう。おふくろも最後の別れ。外ではチラホラ雪が舞っています。寒いよ。
 2時間ほど待って骨を拾う。公益社の方がこれほど綺麗な喉仏を見たことがないと言っていたが、喉仏が見事に残っていた。96年の生涯を終えて親父も骨になった。骨壺を持って下大路の家に。吉田神社の神職の土屋さんと松田さんに来てもらい、小さな祭壇の前で帰家祭。祭詞が詠まれて親族で玉串奉奠。仏式でいう初七日にあたる十日祭も一緒に済ましたことになる。神道には戒名はないのです。
 そしてホテル平安の森で直会(なおらい)として親族で会食。親父の遺影を持って行くのを忘れてスマホの写真を飾って思い出話。こうして無事に粛々と親父を送ることができました。享年96歳。

 ご参列いただいたみなさん、受付などを手伝っていただいたみなさん、公益社の担当者のみなさん、吉田神社の神職のみなさん、弔電をいただいたみなさん、ほんとうにありがとうございました。これからもご厚情のほど、よろしくお願いしたします。取り急ぎ、御礼を申し上げます。

●1月18日(月)

    <父 正武の通夜祭>

 深夜雨が降っていたようだが、朝には雨も上がり、事務所では公益社の多くのスタッフが来ていただき、葬儀の準備。祭壇をつくり表にテント張りなど手際よく作業をしていただく。また市会事務局と相談も。下大路の家で納棺して葬儀をする事務所に移動してもらう。
 朝から、電報が届き始めたり、供花の申し出に対応したりでバタバタ。5時過ぎに略礼服に着替えて待機、また吉田神社の神官が二人来ていただいて祭礼の準備も。

 寒い夕暮れ時、午後6時には通夜祭に参列していただける親族も揃い、また受付テントなどにはお手伝いの方も来ていただく。6時30分から粛々と神式に則って通夜祭の祭事をしていただき、神式の儀式は多少長くかかる。7時頃から榊を二拝二拍二拝して玉串の奉奠。
 弟らと立礼。寒い中で待っていただき恐縮です。中大路や下大路の隣近所の方々、吉田の団体の方、わが後援会、友人、前原後援会の方々、3人の副市長さん、左京区の府市会議員さん、連合京都の組合関係者、市会事務局や京都市の関係者など次から次へと多くの方にご参列いただき感謝です。そして受付をしていただいたみなさん、ほんまにありがとう!
滞りなく通夜祭を済ますことができました。

 その後、お寿司をつまみながら従姉ら親族と親父の思い出話。深夜、奄美大島から息子が帰京。葬儀には間に合ってよかった。そして深夜に弔電の整理なども。

●1月17日(日)
 
 朝、大原の新年互礼会などよばれていたが、親父が他界したことを友人に欠席を伝えたり、吉田神社に打ち合わせに行ったり、昼には左京区役所の宿直室に死亡届を提出して埋葬許可証をもらう。帰途、女子駅伝に遭遇。近衛で暫し応援。京都は先頭を切って走っていたが残念ながら結果は4位だった。

 午後、公益社に来てもらい改めて通夜祭と葬儀。告別式の打ち合わせ。親父が生まれ育った中大路で、ご近所の人らと関係者にはメールやFBでお知らせして、榊も少なくしてご香典と供花を辞退。できるだけ質素にしたいという思いで、祭壇の形や事務所前での受付の形などを決める。それから文面を持って下大路東部と中大路西部の町内会長さんらに挨拶。そしてFBやホームページと親しい関係者に謹告としてお知らせを載せることにして、その作業。また斎場に行く親族らを確認したり、電話をしたりで、ばたばた。
 
 4年前か、叔父を家族葬で送ったが、葬儀の段取りをするのは難しい。なんやかんやしていたら深夜になった。
本棚から親父が生前に自費出版した詩集を取り出して読む。
 
 ここに鈴木正武の略歴を載せておきます。

 鈴木正武(すずき まさたけ) 享年96歳
 
 ◎出生地  京都市左京区吉田中大路町 17
 ◎生年月日  大正8年(1919年)4月16日
 (父) 鈴木増次郎  (母) 鈴木 つね   長男
 ◎学歴と経歴 
 同志社大学卒業 昭和18年 同志社大学卒業と同時に学徒動員、あかつき部隊に。
 20年8月6日 広島市草津にて被爆。市内の事後、処理作業に従事した後、同年中に無事に京都に復員。
 21年春 京都大学付属図書館に奉職。昭和23年、サホと結婚。広島大学、山口大学付属図書館にも勤務。
 昭和53年京都大学図書館事務長に。55年京都大学を定年退職。
 勤続35年、勲五等瑞宝章を受章。その後京都学園大学図書館に勤務 昭和60年退職。大学図書館勤務、一筋でした。

 ◎趣味 登山、詩や絵画、クラシック音楽を愛した人でした。
 
  山のことを書いた詩集についてはいつか書きとどめたいと思う。

●1月16日(土)

   <父 鈴木正武 死去 享年96歳> 

 昼過ぎ、門川大作を励ます会。その後、左京総合庁舎での「左京食文化フェスター楽市洛味―左京の冬を味わいませんか~」のイベントに。

 そうこうしているときに3時頃、カミサンからメール。
「お父さんの呼吸が止まりました、至急病院に行ってください」。
覚悟はしていたが、来るときが来たなあ。

  急いで西陣病院に。
 病室に着くと看護婦さんたちが親父の身体を拭いてくれているところ。そうこうしていると連絡を聞いた弟らが来て家族がそろったところで4時過ぎには主治医の北村先生が来室、改めて死亡を確認。直接死因は誤嚥性肺炎ということ、さらに慢性貧血。いわば老衰による自然死。
 本人の生命力も強かったが、手厚い看護の中、天寿まっとう、大往生だとぼくは思っている。ありがとうございました。しばし、親父の前で黙祷。ようがんばった!享年96歳。
 
 そして公益社に連絡して、係りの人が来るまで、病室の荷物の整理など。寝台車で出るときは、お世話になった病院の主治医やスタッフに見送ってもらいました。お世話になりました。

 下大路の自宅に戻ったのは6時過ぎかな。温和な顔で眠っている親父の横で従姉夫婦らも早速来てくれて思い出話。また葬儀の日程など打ち合わせ。18日(月)に通夜祭をして19日(火)に葬儀・告別式。吉田神社に来ていただき神式で、親父が生まれ育った中大路の事務所で行うことを決める。
 その後、親父の略歴などを改めて書き直し、さらに葬儀の日程などを関係者に知らせるべく文案を作成。喪主としてしっかりしないと。

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出初式、成人式、そして67歳の誕生日   1月10日ー16日

2016年02月05日 | 日記
●1月16日(土)

    <門川大作さんを励ます未来の京都をつくる会」総決起大会>

 昼、国立京都国際会館に。市長選挙に向けて「門川大作さんを励ます未来の京都をつくる会」総決起大会。受付周辺でウロウロ。公明党さんの受付には続々とグループで来られるが、わが民主はぼちぼちです。立石会長らの挨拶、また国会議員らの挨拶。そして門川市長候補が決意表明。会場はほぼ満員の2000人を超える参加者。京都市長選挙は1月24日告示、2月7日投開票です。門川市長3選に向けて、民主党もがんばるぞ!

 散会後、左京総合庁舎での「左京食文化フェスター楽市洛味―左京の冬を味わいませんか~」のイベントに。『左京食文化プロジェクト「“ほんまもん”の食を楽しもう」実行委員会』が主催で,『左京区の「食」に関するもの・ことの継承を図る』とともに,『「食」を通した区北部地域の活性化を図る』という2つを目的とした事業。
聖護院八つ橋の鈴鹿可奈子さんらのシンポジウムもあったがすでに終わっていて残念。大原や久多、百井、広河原などで生産、加工された商品が販売。漬物や栃餅など購入し知人らと懇談。

 そうこうしているときに3時頃、カミサンからメール。
「お父さんの呼吸が止まりました、至急病院に行ってください」。
覚悟はしていたが、来るときが来たなあ。
父、正武が死去。享年96歳。

●1月15日(金)

    <地震だあ!市会改革推進委員会で初動訓練>

 朝9時過ぎに市役所に。今日は、市会改革推進委員会で議論して平成27年3月に策定した「京都市会大規模災害対応指針」に基づき,大規模災害を想定した初動対応訓練を,京都市会として初めて実施。
 訓練では,市会改革推進委員会の会議中に大規模地震が発生したとの想定のもと,まずは委員会室の大きな机の下に入るなど身を守る行動。そして、係員の誘導で委員会室から市役所前広場までの避難。寒空の下しでほっと一息。なにやら臨場感があるが、ほんまに起こったらたいへんなこと。

    <市会改革推進委員会>

 その後、市会改革推進委員会が開催。投票率向上に向けた取組や議会報告会・意見聴取会の実施について協議。残念ながら議会報告会については合意に至らず。残念ですが、もう少し先送りしてまた試行的にでも実施できれば、いいなあと思っている。
その後、議員団室で行政資料に目を通したりでバタバタ。

    <新年会、旗開きのハシゴ>

 夜は、ホテルオークラでの京都インターナショナルスクールの新年会に少しだけ覗いて校長や理事長さんらに挨拶して、同じ会場で開催されていた左京区役所自治労左京支部の旗開きに参加。市長も飛び込みで挨拶に。そして近くのビアホールで開催されていた自治労府本部に属する埋蔵文化財研究所やユース協会の組合の旗開きにも参加してワイワイ。いつもの旗開きのハシゴ。毎年毎年、よくやるよ。

●1月14日(木)

    <京都市長選、概況>

 午前中来客あり。市長選挙について四方山話。3期目を目指す門川候補は、自民、公明、民主の推薦。連合京都や商工会議所など多くの諸団体が支援をしている。相手候補は共産党の推薦。憲法と安保法制を争点にしようと躍起になっている。全教の教組委員長をしていたという労組出身の女性。そして元京都社民連の代表で85歳の三上隆さんが果敢に立候補を表明。
 いつもながら寒い時期の選挙で投票率が40パーセントを下回りそう。問題は、投票率でしょう。市政の争点は、四条の歩道拡幅や景観条例のことなどかな。それらを有権者がどう判断するかな。そんな話をしたのですよ。
 
 午後は、未来の京都をつくる会のビラまき。お昼ごはんは、左京東部いきいき市民活動センターの西に昨年12月にオープンしたお食事処「ごん太」。スジ肉うどんとフライ。寒い中でのビラまきで身体が温まった。美味しかったよ。
 
 夕方から夜にかけては、手話条例の案文を読み返したり、事務所で雑務。
●1月13日(水)

    <67歳の誕生日>  

 わが誕生日。馬齢を重ねて67歳。もはや目出度くもなし。気力、体力、知力を充実させて、この1年もがんばります。で、FBを初めて3年目ぐらいかな。たくさんのお祝いメッセージが来て感激ですよ。ありがとうございます。そして今後とも叱咤激励のほどよろしくお願いいたします。
 
 昼は、ライオンズクラブ2R4Zの新春合同例会。3年前かゾーンが二つに分かれて参加者が少なくなったなあ。わが京都高野川ライオンズクラブの山中さんがゾーンパーソン。申年に因んでいい挨拶をされて例会の始まり。いつものようにテールツイスターによる楽しいクイズ。今年は何も当たらずでした。

    <親父とおふくろのこと>

 散会後、嵯峨野のケア付き住宅アミーユに。67歳になった報告と様子うかがい。おふくろは89歳かな。昨年秋以来、親父が入院しているので、だいぶ消耗しているなあ。力づけるしかないが、親父の様態も心配。
 その足で西陣病院に。正月明けに主治医の先生からも病状の見通しの説明を受けていたが、酸素マスクをつけて苦しそうにしている。だいぶ弱ってきている。後は生命力を信ずるしかない。西山に沈む夕日が物悲しい。 
 夜は、旗開きの参加を予定していたが、その気分にもなれずに欠席。ベッドの横でしばしたたずむ。

●1月12日(火)

 なぜか二日酔い気味。
 午後は、未来の京都を作る会の事務所にて、市長選挙の準備で左京区選出の自民、公明、民主の府市会議員が集まり作戦会議。確認車や選挙車の乗り方など日程調整。自民の市会議員はいないので戦力がちょっと落ちているかな。
 
 夕方は、自治労現業評議会の旗開き。毎年20年近くこの旗開きに参加しているが年々参加者が少なくなってきているなあ。挨拶だけして京都交通労組の旗開きに。諸先輩も来られていたが、組合員も随分若返った。この数年、瀬戸委員長らもこの間、大変だったけれど、市バス事業も労使協調して立て直しに努力してサービスも運転手のマナーも良くなり、黒字経営。地下鉄も経営改善が進み、乗客数も増えてきて明るい兆し。

 みなさんに挨拶した後は、わが民主・都みらい議員団の新年会。わいわいと賑やかに、といいたいところだけれど13人が7人に減り、実に寂しくなった。それでも7人のおっさん連中でこれから市長選挙、がんばろうと心合わせ。

●1月11日(月)

    <成人式>

 連休、今日もいい天気。まずは吉田神社に。吉田氏子講社が主催する吉田の成人式。20人ほどの新成人たちが着飾って親御さんたちと参加。社殿で神事の後、記念撮影、剣鉾をさしていた少年たちが成人を迎えて嬉しそう。福井講社会長は、いつものように戦争時代のお話をされる。貴重な話だとぼくはいつも感動する。そして記念品は目覚まし時計。時間に遅れるなよ!

 正午過ぎには、みやこめっせ前で、民主党京都府連として新成人たちの向けての街頭行動。着飾った成人たちは聴いてもくれないけれど福山議員らとともにぼくもいつものように爺さん世代として演説。

 そして、教育委員会が主催している京都市の成人式の会場に。学校給食労働組合、ボーイスカウト24団の吉村伸さん、サイクリング協会の守時、井原さん、そして餅つきは新洞学区のみなさんらが裏方。彼らに挨拶してしばし式典を見る。昼からの式典は、おとなしい。去年は川端署のお巡りさんたちも神経を使っていたが、今年の成人たちで暴れる連中も少なかったようだ。今年の新成人は全国で121万人、京都市は2万6千人、昨年より若干減少とのこと。
希望をもって人生を歩み始めてほしいね。
 
 夕方は、これまた恒例の聖護院消防分団の出初式が聖護院御殿荘で。わが同級生の吉川文一団長の後任、宮本分団長の元、この1年もがんばってきた。自治連など各種団体長さんらともご挨拶。サイクリング協会の新年会は行かずにゆっくりと懇談。

●1月10日(日)

   <京都市消防、出初式>

 雲一つない青天の朝、10時から岡崎公園で毎年恒例の京都市消防の出初式。小春日和とでもいうのか、ポカポカする陽射し。消防職員、消防分団員の行進から始まって、自主防災会、自衛消防隊、学生サポーターに園児たちが行進。カラーガード隊の披露やヘリコプターによる救助訓練やクライマックスは一斉放水。
 なお京都市内の昨年2015年の火災件数は232件。前年に比べて4件の減少、火災による死者数は,11名減の6名です。大都市としては少ないですよ。京都の地域ぐるみの消防の底力を見たのです。

 昼ごはんは、柳橋で北岡ちはる府会議員とうどん定食。炭水化物パワーで今年もがんばろ。

   <ロームシアター京都 オープニング式典>

 午後1時からは、京都会館が全面リニューアル、ロームシアターのオープニング式典。京都会館ができたのは、ぼくが小学校6年の頃かな。老朽化して立て直し。一部の人が保存やなんやと声を上げたが、ぼくは大賛成。説明会から建て替え工事を見守ってきた。ロームが50年に渡る命名権契約を結び多額の寄付をされて建設が可能になり「ロームシアター京都」としてオープン。

 京舞井上流家元、井上八千代さんの祝舞、門川市長が「新たな文化・芸術の創造・発信拠点として市民とともに育てていきたい」と挨拶。
 京都市交響楽団が常任指揮者の広上淳一さん指揮で「ボレロ」を演奏。音響など広上さんはお墨付き!

 岡崎から世界に音楽文化を発信して欲しいね。

 夕方は、これも毎年恒例の京都府クリーニング生活衛生同業組合の新年懇親会に。西田参議院議員や前原議員なども参加して、今年は和気あいあい。ぼくは顧問なのです。友人の組合員らと歓談。

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