元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

暑くなってきましたね。6月18日ー26日

2011年06月26日 | 日記
●6月26日(日)

      「朝粥の会」

 事務所にて毎月第4日曜日の朝9時から開催している朝粥の会。22回目になる。近所の常連さんたちに集まっていただき左京消防署の西本担当課長による、「京都で地震が起こったら!」と題した出前トーク。防災マップ左京区版など資料を示しながら、京都市消防の様々な取り組みについてお話をいただく。震災直後、被災地に救援に行った消防レスキューの活動なども報告していただいた。終わって、川端二条の河川敷で左京南部の消防分団による放水訓練を見に行ったら終わった直後だった。暑い中、お疲れ様でした。

      「大元講社の総会」

 11時から祇園の「福住」へ。わが事務所のお隣の中村さんが経営者。大元講社の総会。わが先祖の墓地である吉田神葬墓地のことや宗教法人に認可されたことで決算や予算、また今後の運営などについて協議。長老が元気な間に筋道を立てておければいいな。

      「バイバイ原発・京都パレード」

 総会も途中で抜けて梅小路公園へ。色々と議論のあるオリックスの水族館が建設中。外観が姿を現してきた。「放射能汚染はごめんだ!バイバイ原発・京都パレード&デモ」が芝生広場での集会も終わり出発するところ。わがポンコツ宣伝カーが先頭に、七条通から関西電力前、京都駅前を通って東本願寺前までぼくも久しぶりのデモを歩く。「反原発めだかの学校」の佐伯君らの出番。子供連れの家族での参加やサウンドデモというのか最近流行の楽器を鳴らしてのグループなど千人弱の参加者。

 1981年から96年まで15年間、毎月第3日曜日にぼくが世話人となって、槌田劭さんらと「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を歩いてきたが、そのときの仲間の顔も久しぶりに見る。尼崎で市会議員になった弘中信正君ら「使い捨て時代を考える会」のメンバーとビールで喉を潤す。

       「同志社山岳部OB会」
 
 それから京都駅前のホテルでの同志社山岳部OBの総会。ぼくは2ヶ月ほどで退部したが、この春急逝された吉村公一先輩の推薦で3年ほど前に会友になった。奥さんも来られていた。吉村先輩へお礼を述べるとともに心より御冥福をお祈りし、また現役の学生が、昨年はネパールの未踏峰登頂に成功して京都市スポーツ表彰されたことを紹介して挨拶とした。

 夜は明日から一週間ほど京都を留守にするので、市民派議員レポートの夏号の原稿の仕上げ。明日から夏休み気分。久しぶりの長期休暇。
 
●6月25日(土)

       <きょうと教組の定期大会>  

 朝、解放センターへ。きょうと教組(京都府教職員組合)の定期大会。ちょうど来賓の挨拶の終わりかけに飛び込む。京都は教員の非組合員が増えていると聞くが、圧倒的に共産党系の全教と呼ばれる全日本教職員組合に加盟する京都教職員組合が圧倒的に勢力が大きい。きょうと教組は、民主党系で連合に加盟している日教組(日本教職員組合)の組合。
 20年ほど前に結成されて、ぼくの同世代の友人が委員長だったこともある。残念ながら組合員は少数。家族的な雰囲気。7期目の当選を果たしたお礼とこの間の教育福祉委員会でのやり取り、特に学校プールの放射能線量の検査のことなど報告して挨拶とする。

 帰途、久しぶりに下鴨の「チョキチョキ」という千円のカットハウスで整髪。青色吐息ながらなんとか続いているようだ。

     <原発についての24年前の本会議質問> 

 午後は、ステテコ姿のウルトラクールビズスタイルで事務所にて終日議員レポートの原稿書き。5月市会定例会の報告が中心だが、チェルノブイリ原発事故の2年後、1988年の7月の市会本会議で、放射能汚染の輸入食品の検査やモニタリングのこと、また核燃料輸送のことなど質疑をしているのだが、その議事録を読み返しながら原稿を書く。あれから24年目の夏。当時、原発の安全神話を信じない、他人事ではないとぼくは発言しているが、フクシマ原発事故でほんまにえらいことになったな。

      <同志社総政会> 

 夕方は、久しぶりに同志社大学総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の役員会も後の懇親会に出かける。宇治市役所の松田君がぼくの後の5代目会長。この5月から総政の大学院の事務長は、修了生の久山さん。今後の総政のあり方などについて議論。11月6日には総会とシンポジウムを予定されている。
 13年の大河ドラマに新島襄の妻八重が主人公になるとかで、同志社が脚光を浴びることになりそうだと話が盛り上がる。

●6月24日(金)

      <コミュニティサイト>

 梅雨明けなったのか、真夏日を思わせる太陽の陽射し。午前中、コムページの牧野君と懇談。コミュニティウエブサイトを新たに立ち上げることで色々と打ち合わせ。左京の活性化とネットワークを作ることを目標に準備を進めたい。関係者の皆さんにいずれご支援のお願いに行きますよ。


 昼前歯医者に。わが歯医者仲間の松橋二郎夫妻と久しぶりに会う。10歳上だが元気そうです。松橋さんは同志社の大先輩で随分前だが前原誠司議員の秘書をされていた時もあった。四方山話。

      <寺田バレエ・キエフと姉妹都市40周年>

 午後、寺田バレエアートスクールに。今年はキエフと京都市が姉妹都市になって40周年。高尾美智子さんは長年、文化交流に尽力をされてきた。この夏は、キエフからバレー団もやってきて公演があるし、市長ら京都市民が交流事業でキエフに行く。ついては在ウクライナ日本大使館の対応がスムーズに行っていないので前外務大臣である前原議員に会って話をしたいということ。また隣接する吉田山公園入り口の管理のことなど相談ごと。


 夕方は、きょうと教組の今井委員長が来所。ぼくのポンコツ宣伝カーに「放射能汚染はごめんだ!」の手作り横断紙を貼り付ける作業をちょっと手伝う。26日
に梅小路公園で脱原発の集会がある。ぼくも参加しようと思っている。

 夜は、鴨沂高校同窓会会報の原稿の仕上げ作業。山岸校長にも電話で尋ねたり。原稿の中味は、今年鴨沂高校を卒業して市の職員として北区役所まちづくり推進課で頑張り始めた佐々木祐君のこと。

●6月23日(木)

 午前中、とある用事で松ヶ崎の新左京区役所へ。駐車場が満車で暫し待ったが、開所して一ヶ月余、庁内は広々としてゆったりしてロビーでは左京の昔なつかしい風景の今昔写真展が開催中。岩倉や修学院や松ヶ崎など昭和30年代頃まで田んぼやった。

        <聖護院消防分団後援会>

 昼前、聖護院は蕎麦の河道屋さんで6月恒例の聖護院消防分団後援会の総会。わが同級生の吉川文一分団長ががんばっている。事務局は元聖護院の分団長で左京消防団副団長も務めた辻川博さん。元気になってよかった。西川左京消防署長や府市会議員が来賓。各種団体の代表が集う。

 帰途、錦林小学校に寄り山本早苗校長先生に面会。ビオトープとして作られた池が年月も立ちボウフラが湧くようになり、悪臭もして改善したいとのこと。教育委員会と話しをしないといけないかな。

 午後は、京都高野川ライオンズが応援している左京小学生バレーボール大会のことで三条京阪の有済小学校跡地の体育健康教育室へ。木造の校舎がなつかしい。担当者にこの間の経過など説明。

         <自治体議員ネットワーク幹事会>

 午後4時前、京都府庁へ。遅くなったが22年の鈴木マサホ後援会収支報告書を提出。そして府議会の民主党議員団室の会議室で自治体議員ネットワークの幹事会。7月末に総会と研修会、また懇親会を開催する予定。田淵代表幹事らと打ち合わせ。ぼくは事務局長。さてこれからどうするかな。

         <鴨沂高校の後輩と>

 夕方は、わが鴨沂高校の後輩になる今年卒業した佐々木祐君と懇談。昨年の京都市職員採用試験の中級試験に80人ほどの応募がある中で2人だけが採用されたのだ。お見事!新社会人としてこの春から北区役所はまちづくり推進課に勤務。19歳の好青年。ぼくは鴨沂高校の同窓会として会報に彼のことを載せるつもりでとある居酒屋でインタビュー。彼はもちろんコーラ。高校生活を振り返ってもらい京都市職員として豊富を語ってもらう。ぼくは19期生。彼は63期生かな。未来は彼らに託そう。がんばれよ!

●6月22日(水)
  
         <学校プールの放射線量は? 教育福祉委員会>

 毎月第二週の水曜日は教育福祉委員会の開催日。今日の委員会は報告事項はなし。まずは教育委員会と一般質問。ぼくは午後から質疑に立つ。まずは前回の委員会で質疑をした学校プールにおける放射線量の検査について。わが議員団のスタッフの中村さんが摘録を作ってくれていたのでその要旨を記載しておこう。
(Q)各プールを検査したそうだが、日時等の報告を。
(A)6月14日、15日で14行政区からランダムに抽出し、測定をした。結果、健康に問題のある場所はみつからなかった。
(Q)いつからプールを使用するのか。学校プール使用直前にも検査をすべきだと思うが、どうか。
(A)早くて6月始めにはプールの使用が始まっている。現在ほとんどが使用を始めている状況にあり、夏季休暇まで使用することになる。休暇中は自由利用となっている。今後の検査の予定としては、おおむね使用前に水の入れ替え、使用後に入れ替え、夏季休暇前も入れ替えることで計3回水の入れ替えを行う。空気中の放射線量に異常あれがあればただちに検査する。と体育健康教育室長が答弁。データはあるので、興味ある人はお伝えしますよ。

 その後、高桑教育長が就任してちょうど4年目。彼と、この間の地域に開かれた学校づくりをキーワードに、わが母校第四錦林小学校の創立80周年式典の模様を報告しながら教育改革についてウンチクを傾けながら20分ほどラリーをする。

 またわが家の近くにある白川総合支援学校のことや学習困難児など総合育成支援教育の取組みについても歴史的な経過を多少交えながらこれまたラリー。さらなる理解と充実を求める。

 午後2時からは保健福祉局。共産党の3人の女性議員さんが一般質問を事前に通告していたので給食材料の放射能線量の検査や西京区で起きた水道管破裂に伴うガス管事故で保育所などの対応について質疑もあった。

 閑話休題。この春当選した新人の某議員。まだ質問をしたことがないが、様子を見ていると委員会での質疑のメモを取ることなく、他の関係のない新聞記事を読んだりしているので、廊下で、もうちょっと勉強せんといけないね、と注意しておきました。
 

 夜は、梅小路公園や鴨川の花回廊など設計した空間創研の吉田昌弘さんや立花正充さん、そしてわが吉田の剣鉾仲間の吉田章博君らと談義。ランドスケープのこと、自転車対策のこと、健やか公園のこと、鴨川のこと、歴史のこと、いやはや愉快なアイデアが一杯でてきた夜でした。

●6月21日(火)

 久しぶりに浄土寺の吉田デンタルクリニックへ。選挙後初めてなので歯科医師会の推薦をいただいたことのお礼も。例によって歯石を取ってもらう。久しぶりの快感だ!

 その後、夕方まで終日、後援会の収支報告の点検や民主党党員サポーター登録の最後のお願いと名簿の点検等。民主党への逆風にも関わらず、前年度とほぼ同じ人数の方に登録してもらった。感謝です。

 来客は京都高野川ライオンズクラブの吉岡さん。事務所の移転のことで相談に。
 夕方は、とある別件の相談ごと一件。

 そして夜遅く、明日の教育福祉委員会での質問のメモ作り。国会では復興基本法が成立し、この間、菅首相の退陣時期について取りざたされていたが、国会も延長されるとかで、風向きが変わってきたのかな。菅さん、執念でいつまでがんばるのかな。

●6月20日(月)

    <吉田神葬墓地> 

 昼過ぎ議員団室に。我が家の先祖の墓がある吉田神葬墓地のことで管理する大元講社の長老と司法書士さんと一緒に保健福祉局の担当者と今後の管理運営について相談。
 なにしろ明治、大正の時代に十数人の共同名義になったままになっていて、大元講社が宗教法人化した今、どう整理するか課題が多い。色々とアドバイスを求める。また道路明示課にも出向いて、神楽岡神葬墓地周辺の明治時代の地図を見せてもらう。古地図を見るのは面白いな。情報化推進室に出向いて早速情報公開制度を活用してコピーをとってもらうことになった。

    <食の安全安心推進審議会> 

 それから消費生活総合センターで開催されていた食の安全安心推進審議会に遅ればせながら傍聴に。放射能検査の実施報告や生食用食肉による食中毒防止の取り組み状況の報告や食の安心安全推進計画の事業について説明と意見交換があるのを見守る。
 某百貨店の食品担当の委員は、被災地の生産者を応援しなければという思いと消費者の放射能汚染による安全性の確保の間で悩んでいる様子。京都市として放射性物質の検査をしっかりやりきることが大事だと思う。
 教育福祉委員会で食品の安心安全確保については今後も議論していきたい。これから食中毒のシーズンです。くれぐれもご注意を!ユッケは食べんほうがいいのかな。

 帰途、久しぶりに民主党の京都府連に立寄って宇都宮事務局長らと四方山話。自治体選挙も終わり束の間の比較的暇なときかな。

●6月19日(日)

     <吉田山大茶会>

 昼前、吉田山大茶会に。どんよりした梅雨空だったが、雨も上がり境内に出店が出てよかった。仕掛け人の岩茶房の左能典代さんと1年ぶりに再会。晴女ですね。わがカミさんは韓国茶道のコーナーで手伝い。ぼくはトルコのチャイをいただく。

     <市民環境研究所、減原発から卒原発> 

 午後は、市民環境研究所の総会と講演会。主宰者の石田紀郎さんは、京大助手の時代からの長い長い付き合い。1987年清水達也氏とダブル初当選した時の参謀でもあり、京都の市民運動のリーダー。

 記念講演は、元さきがけの代表で内閣官房長官、大蔵大臣もされた武村正義さん。76歳かな?お元気そうでした。「東日本大震災後の社会と脱原発政策」というテーマで、未曾有の大災害に直面して「減原発から卒原発へ」と訴えながら、少子化時代を迎える中での財政問題、消費税のこと、また菅政権のやり方などについて話された。参加者から質問もあり、関西広域連合は仲良しクラブだとも言われるなど、まあご意見番かな。
 講演の後、市民環境研究所事務所にて坊主頭の槌田劭さんや角替元府会議員らも参加しての懇親会。農薬ゼミや市民運動で培ってきた石田紀郎さんの人脈が集まりワイワイ。7月には原発問題で、ぼくが主催する勉強会には石田さんに参加してもらう予定。

●6月18日(土)

 午前中、ちょっとダウン気味。昼前、吉田神社境内で開催されている吉田山大茶会に行く。今年で2回目。ちょっとしたご縁があって応援している。残念ながら雨で参集殿と吉田幼稚園の園舎内での開催。静岡や宇治のお茶の名産地をはじめ中国茶、韓国茶、珈琲など世界のお茶のブースが並ぶ。ゆっくりする時間もなく残念。

       <民主党京都府連幹事総会>

 午後民主党京都府連の常任幹事会と幹事総会。
 常任幹事会は淡々と終了して、幹事総会では、公務多忙な内閣官房副長官の福山参議院議員をはじめ、京都が誇る9人の国会議員、山井、前原、福山、松井、泉、北神、平、小原、豊田議員が珍しく全員集合。この春の選挙で当選した議員や健闘むなしく当選できなかった候補者らも参加していた。
 各国会議員の挨拶は、統一自治体選挙についてお詫びの言葉から始まった。会長の山井議員は国会対策のこと、前原議員は、菅政権の退陣を促し、久しぶりに出席した福山議員は、ちょっと疲れ気味か、元気がない感じ。政権内部の議員、党の役職についている議員、或いは、不信任案に同調しようとした議員もいたので、その発言が9人9様。ちょっとづつニュアンスが違うのだ。さて、これから国会議員のみなさんは、どういう行動に出るのか、注視しておきたい。
 ぼくは、自治体議員ネットワークの事務局長として総会の案内を一言。ともあれ、永田町がどう動くのか、菅退陣に関わり風雲急を告げているが、なんとかこの春の選挙では、京都の民主党は踏みとどまったものの、来るべき市長選挙や衆参選挙や4年後の統一自治体選挙を目指してどう再構築するのかが、問われている。

 夕方は、銀閣寺前の焼き鳥屋「きてや」にてとある知人らの会合によばれる。話の中で、かつて民主・都みらい議員団に在籍していて、色々とあって辞職勧告決議もして、最後は辞職した某元議員の話が出た。思い出したくもない話だが、2004年のことだったか、夏には天方晶英議員が急逝され、議員団はテンヤワンヤ。ぼくは団長をしていたが、心身ともに疲れた年だった。もう8年前のことか。天方議員の子息、浩之君はこの春トップ当選で2期目。頑張ってますよ。

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市会改革委員会開催 6月14日ー17日

2011年06月19日 | 日記
●6月17日(金)

 10時から市会改革委員会。京都市会では、各会派の理事レベルの少数で、間断なく市会改革を行ってきたが、今回20人の委員による改革委員会が設置された。画期的なことなのだ。ぼくも委員になったので議論をしていきたいと思っている。

 第一回ということで、各会派から検討項目案が示された。議員定数の見直し、議会基本条例の策定は、ひとつの目標案件になるが、「開かれた市会(市民に身近な市会)」。「討論する市会(多様な意見を集約する市会)」、「衆知を集める市会(多くの知恵を生かす市会)」、「行動する市会(主体的に提案・説明する市会)」を目指して具体的な取り組みを進めようと合意。
 わが民主は、正副議長の任期の見直し、速記者の廃止、常任委員会のネット中継、議員バッジの廃止、議会基本条例の制定を提案。他の会派が提案したもので賛成できるものも多くあり、合意を得るのに時間がかかるもの、予算も要らなくて直ぐに実現できる項目など多様だが、実現に向けて大いに議論をして、わが議員生活の集大成としても大胆な市会改革を進めたいと思っている。毎月一回開催される。今後の議論を随時報告するつもり。

 夜は、同志社の総合政策科学研究科の修了生で同窓会「総政会」の2代目会長の真下仁志氏と会食。鴨沂高校の一年後輩で、彼は商工会議所に勤務、中小企業の経営コンサルタントなどに携わり、「ベンチャー企業と京都」などの著書もある。数年前大病を患うが快復して、この春、住菱総合政策科学研究所を開業。中小企業の支援や調査、研究、提言などを進めたいと夢を語る。同世代として協力をしよう!

●6月16日(木)

 午前中、京都市の農業委員会事務局に。昨日の農業塾のメンバーと法人の立ち上げに協力されている行政書士さんらと新たに就農するについて担当者とその手続きのやり方などについて説明を受ける。農地の面積として3千平米を確保することや、今までの実績、また今後の計画などを具体的に示して農業委員会に諮ることになるという。色々と課題はあるけれど前向きに検討をしようということ。ぼくにとっても勉強になった。

 ところでこの間、関西電力が15パーセントの節電の要請を発表したからか、市役所の廊下も一段と暗くなった。大阪府知事は反旗を翻しているようだが、さて京都市はどうするのか。またイタリアでは、国民投票が行われて原発凍結が決定。フクシマがイタリア国民にも大きな影響を与えたと思うが、日本で国民投票をしたらどうなるか、安全神話が崩壊した今こそ、真剣にエネルギー政策のあり方や暮らし方を考え直すときだ。識者を招いて7月末に原発とエネルギー政策について学習会を企画しようと思っている。

●6月15日(水)

 午前中、来客はコムページを主宰している牧野君。彼とも10年を超える付き合いになった。左京区生活ガイドのホームページを作って情報を発信している。ぼくも「マサホの京都案内」というページを持っていて、イベントの情報などを書き込んでいる。
新たな展開を企画してくれていて、その相談。お楽しみに。

 午後は、「京の農産物あんしんネットワーク」の総会。総合地球環境研究所の嘉田良平氏が議長。京都府内の農産物の検査事業と農業塾や料理教室などの開催と冊子「ウーケ」を発刊。農業塾で収穫されたじゃがいもや玉葱も展示。
 記念講演として、「小豆の素晴らしさと京都産への期待」と題して長岡京市の菓子処「喜久春」店主の西山喜久冶氏が、和菓子に欠かせない小豆のお話。「水無月」をいただきながら拝聴。京都では6月になると何気なく食べている「水無月」だが、上に乗っている小豆は無病息災を意味し、台になっている白いウイロは暑気払いの氷を表しているとか。知らなかったな。京都の食の文化は奥が深いのだ。

 その後、農業塾に通う人が農場法人を立ち上げて就農をしようと計画、色々とお話をお聞きする。

 蛇足、梅雨の合間の晴れた日だったので、会場の京都駅南口近くまでママチャリで鴨川河川敷を風に吹かれて往復。30分足らずで帰宅。ええ汗かきました。

●6月14日(火)

 終日、事務所にて民主党の党員、サポーター募集の締め切りの日が近づいてきたのでお願いと名簿の点検の作業。毎年5月末に行っていたが、選挙や震災の影響で1ヶ月延びていた。2年前の政権交代の年は、飛躍的に延びたが、この2年、混迷、混乱する政権と党内運営で元気が出ない。国会議員のみなさん、ほんまにええかげんにせえよ!
 それでも鈴木個人を応援してもらいたいということで、なんとか継続や新規の登録をお願いする。前年度の数に近づけるようにもうちょっとがんばろう。

 夜は、写真家矢鳴裕見雄氏と劇団「笑いの内閣」総裁の高間響君と懇談。彼らは、エレベーターに設置する「ANARU-BOX」なる緊急非常用物品収納ボックスを開発、販売しようと会社を設立して営業活動を始めたのだ。簡易トイレや充電式ラジオに非常食などコンパクトな箱に入れてエレベーターに設置して防犯や防災に役立てようということ。その心意気やよし。写真や芝居の話など芸術文化の話などで盛り上がった。

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梅雨空の下でバタバタと。6月10日-13日

2011年06月16日 | 日記
●6月13日(月)

 うっとおしい梅雨空の日々。朝9時に議員団室へ。民主党の政令指定都市政策協議会幹事長の雨笠川崎市議と、こがゆ(小粥)横浜市議が来室。今枝団長と青木、松下、片桐議員を交えて7月に予定している京都での総会と研修会について打ち合わせ。会場のホテルや視察先のことなど打ち合わせ。メインの講師は前原議員と門川市長に頼むことにした。

 10時から議員会。まずは環境政策局と東日本大震災にかかわり、京都市が被災地の瓦礫処理を引き受けるとのことで、多くの市民が不安を抱いていることについて質疑。現時点では、具体的な要請はなく詳細は決まっていないこと、また福島県の放射性物質に汚染されている災害廃棄物については受け入れ処理はしないと言明。当然のことや。その後、各常任委員会の審議の動向について各議員から報告。諸課題を議員団として共有することが大切だ。

 午後は、とある地域の河川改修での井戸のこと、また景観条例との兼ね合いでの太陽光発電の設置について担当者と協議。議員団室でなんやかんやの来客応対。

 夜は、この春府会議員を勇退した公明党の角替豊君を労い一献を傾ける。大学時代からの付き合い。彼は法学部だった。1987年の選挙でぼくは市会に、彼は府会議員に当選。党派は異なれど、市民運動や在日コリアンの人権問題など一緒に考え取組んできた信頼すべきわが友人の1人。母親の介護が大変のようだが、これからも共にがんばろうと、最近、よく行く三条河原町の池田屋という居酒屋でワイワイ。マネージャーも駆けつけてくれたよ。

●6月12日(日)

 朝、吉田山を美しくする会の清掃活動で吉田神社へ。毎年、恒例になっていてボーイスカウトや各種団体、また吉田の住民が150人ほどで吉田山をゴミ拾い。最近は不法投棄もなく、あまりゴミも出ない。過日の京大生による花火騒動も話題になった。
ぼくは、友人らと桜の植樹のために伐採された木を鋸で小枝を払い長さを整える作業。久しぶりの肉体労働。手が痛い。気持ちのいい汗を流した。吉田山が桜の名所になるのはいつかな?

 その後、岩倉東グランドでの左京体育振興会主催の壮年バレーボール大会へ。わが吉田は一回戦は勝ったが、2回戦は大差で負けたところ。残念。各学区の体振の役員さんらに挨拶。某府会議員さん、会長になって張り切っておられました。

 午後は、事務所にて過日の野外懇談会の反省会と今後の活動をどうするか相談会。夏の市政懇談会や原発学習会の開催などを決める。詳細は、また案内します。

●6月11日(土)

 東日本大震災からちょうど3ヶ月。テレビや新聞は、復興に向かう被災地の姿を映し出すが、フクシマ原発の放射能汚染がさらに広がる。夏場の電力不足の対処もより真剣に求められるが、それにしても国会議員たちはなにをしているのや!

 昼前、御所の近くの新島会館へ。世界連邦運動協会京都支部の総会と講演会。とあるご縁があってこの数年、ぼくはこの京都支部の集まりに参加して勉強している。門川市長も来賓で参加、京都市の世界文化自由都市宣言のことなどスピーチ。ぼくはフクシマ原発のことを語り湯川博士がご存命だったらどう思われるだろうか、と締めくくった。
 記念講演は、比叡山の大黒堂執事、宮本祖豊師。師は、19歳の時に得を積むために信仰の道に入り、20年に及ぶ籠山行を行われた。下界との接点を一切断ち、すさまじい修行生活を経て仏さんの姿を見られた。「俗世間」の「塊」であるぼくからすれば、信仰と精神世界を極められたその姿は神々しく見えた。

 夕方は、事務所にて政務調査費について使途の按分の訂正などの雑務。

●6月10日(金)

 朝から事務所には来客。とある電気屋さんが太陽光発電を店舗の屋根に設置したいのだが、景観条例との関係で苦労しているとのこと。色々と規制があり、簡単には設置できないのだ。過日佐賀県に行ったがソーラー設置が日本一だと説明があったが、古都、京都はそうは簡単に行かない。京都のジレンマや。担当者を交えて話をしようということに。また90歳近い親父の知人や水道業者なども四方山話に。

 夕方は、民主党府連の各総支部の幹事長が集っての懇談会。統一自治体選挙の総括を巡って議論。たいへん厳しい逆風の中、京都はかろうじて踏みとどまったということ。複数擁立のしんどさや国会議員の動き、連合京都との関係など、勝ち戦ではなかったので万々歳ということではなく、ちょっと重苦しいところも。されどここを乗り越えていかないかんのだよ。それにしても亀岡以北は、京都府の北部は民主党にとって凍土だという説は、当たっているのだろう。さて2区総支部の総括をどうするかな。

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入梅、第四錦林小学校創立80周年 6月3日ー9日

2011年06月12日 | 日記
●6月9日(木)

 終日、事務所で雑務。来客は、聖護院は円頓美町の町内会長さんが丸太町通の振動問題について調査と改善を求める要望書を持参される。過日、ぼくも現場を見に行ったが、2年前だったか、4年前のわが事務所前の道路が陥没してびっくりした。復旧はされたが、その後も大型バスなどが通過するときは振動するのだ。市電が走っていた道なのでそれが要因であるかもしれない。いずれにせよ沿道の住民、町内会の署名を集めて担当部局に持っていくことになる。

 夕方は、7期目、最初の鈴木マサホ市政懇談会を吉田神社参集殿で開催。今回はビラも撒かずに電話もせずに葉書などで告知しただけで、10人ぐらいかな、と思っていたら30人ほどの方に参加していただく。
 まずは当選のお礼を述べて、選挙後の市会の会派構成から、委員会のこと、また5月市会で議論された補正予算のこと、また東日本大震災の被災者支援と原発事故による放射性物質の影響のことなど、教育福祉委員会や予算委員会での質疑のことや左京新庁舎のことなど話してご意見を伺う。市民環境研究所の石田紀郎さんも来てくれて原発のこと、また環境のことなどにも話が広がった。
 これからも2ヶ月に一回程度、市政懇談会を開催したいと思っている。

 福岡から某通信大学のスクーリングにきていた小川保博君も来てくれて近くのたこ焼きやで旧交を温める。

●6月8日(水)

 市会閉会中は毎月第2、第4週に常任委員会が開催されることになっている。午前10時からぼくの所属している教育福祉委員会が開催。

 保健福祉局は冒頭に児童虐待未然防止のための医療機関と保健センターの連携の本格実施について、マニュアル本も資料として配布されて報告。すでに母子への家庭訪問が実施されているが、より未然に防ぐ為に各病院で出産した母をケアするための連携を始めようという施策。

 ぼくは一般質問で、夏の電力需要を乗り越える為に自動車産業などでは、土日の工場の稼動も予定されているが、保育対策について質疑。実は、青木芳香議員から質問を依頼されていたのだ。厚生労働省から通達もあり、保育担当者から、すでに関係者と調整を始めていて、すでに休日保育園を実施している園での対応など考えているとの答弁。

 続いて食の安心・安全条例の施行と推進計画にも触れて、放射性物質の検査を関東沖の鯖とヒラメを検査したとの報告もあり、市民の不安に応えるためにさらなる検査の充実と公表、また給食を巡っての調査について質疑をした。
 他の委員も様々な問題について一般質問があり、保健福祉局との審議は午後3時まで続いた。

 休憩の後、教育委員会との質疑。教科書採択についての陳情が出ていたので議論も。一般質問で、ぼくは、図書館友の会けやきの活動に触れて、以前は学習センターと呼ばれていた施設の活用についてと、かっての中国核実験の頃のことなどにも触れて放射性物資を巡る学校給食とプールの安全性のことについて質疑。プールの調査もされることになるだろう。もうひとつ質問を準備していたが、次回に回した。

 なお大阪府議会の君が代強制条例について質疑した議員もいたが、教育委員会は冷静に考えているようだ。かつてぼくは君が代訴訟の原告の1人であったが、大阪府議会はとんでもないぞ!午後5時に委員会は終わった。

 夕方は、久しぶりに嵯峨のケア付きマンションの両親を訪問。親父も血色はよくて、まあまあ元気そう。おふくろが眼の手術をするかどうかの相談も。

●6月7日(火)

 午前中、福島原発事故による放射性物質の流出について不安を感じているお母さんと懇談。ご家族が茨城県から京都へ避難もされているという。給食の食材、牛乳のこと、またプールのことなど、よく勉強もされている。明日の教育福祉委員会で今後の取り組みのことなど質疑をすることにした。

 午後、京都新聞社に義援金を持っていく。過日、中華料理店「十番」で、小学校時代の友人、原田恒男君が「幻の久留米ラーメン」を復活、試食会をしたときに義援金を集めたのだ。店主の彼の兄貴が貯金していた1円玉と5年玉も合わせて義援金とした。震災以降13億円の義援金が京都新聞社に寄せられたという。

 帰途、議員団室に立寄って明日の教育福祉委員会で質疑をすることを市会事務局に通告。夕方、久しぶりに行きつけの「ひげ床」で散髪。カチカチになっていた体もほぐしてもらう。夜は、明日の委員会での質問メモ作り。

●6月6日(月)

 昼前、左京図書館に。「図書館友の会けやき」の館長と司書さんとの懇談会に。日曜日などは千人を越える利用者があっててんてこ舞いとのこと。「けやき」はボランティグループとして赤ちゃんに絵本をサポーター活動や講演会の開催など女性会員ががんばっている。

 午後は、介護保険にかかわる会の総会と講演会。大先輩の梶宏さんが理事長で第三者評価やシンポジウムの開催など介護保険をより良い制度にするために、10年を越える活動されてきた。市役所OBの会員が多いが、みなさんお元気で何より。

 記念講演は、デンマークの高齢者ケアに学ぶと題して野村武夫元ノートルダム女子大学教授が講演。世界で最も税金が高い国だが、社会保障は最高水準。女性社会参加も盛んで、日本と大違い。家庭医制度が発達し、国民一人一人にケースワーカーが配置されているらしい。社会的格差の拡大を防止し、経済的平等を目指している。日本と大違いや。

 午後5時から連合京都での選挙後最初の議員フォーラムの幹事会。これからの日程などを決める。秋には東北へ支援を兼ねて視察に行こうというプランも。連合組織内の候補が落選したこともあり、ちょっと重苦しい雰囲気。

 6時過ぎは三条河原町で連合京都の街頭行動にも。その後、自治体議員ネットワークの今後のことなど田淵府会議員と懇談。田淵議員とは社会党時代からだから長い付き合いになった。

●6月5日(日)

 どんよりした天気。雨と違ってよかった!恒例の鈴木マサホ野外懇談会は、いつもは静原で開催していたが、今年はちょっと足を延ばして滋賀県は比良山麓、大津市葛川森林キャンプ場へ。出町柳駅の京都バスで貸切バスを出し参加者を見送る。

 ぼくは岩倉明徳小学校グランドでの第20回左京女性連絡協議会の「スポーツの集い」の開会式に。上野美代子会長はますますお元気。

 来賓ゲームで走って、直ぐに途中から花折峠を越えて安曇川源流へ。坊村にキャンプ場があり、先発隊がテントなどの設営も終わって準備万端。自家用車できた人も。選挙スタッフやぼくの応援団、元田中の「さかな屋の跡の串かつ屋」さんのマスターや常連客も来てくれて賑やかに。

 鮎のつかみ取りやビンゴゲームもして、司会の某氏は、口紅をつけて登場してくれて大いに盛り上がった。カンカン照りになることもなく、久しぶりにアウトドアで楽しみました。無事に5時ごろ帰着。

 休むまもなく同志社の寒梅館での「あったかサポート」の交流会に走る。社労士や弁護士さん議員など多彩な顔ぶれ。高校に出前授業も始まり、コンビニでバイトをする若者が解雇になったりしたときの対応など雇用保険のことなど女性の社労士さんたちによる寸劇も。いや、わかりやすくて面白かった。がんばってね。

●6月4日(土)

 朝、わが母校、第四錦林小学校に。授業参観の後、講堂で創立80周年記念の式典。校歌をぼくも歌う。覚えているのだ。卒業生は1万1082人だそうだ。実行委員長の同窓会長福井晟さんの開校した当時のお話や記念品の贈呈式や卒業生でノーベル賞受賞者の江崎玲於奈博士のビデオレターも。

 第2部は記念講演として京都大学総合博物館長大野照文教授の「夢へ羽ばたけ四錦っ子」と題したお話。化石一筋の研究者として学生時代から今に至るまでのご自身の様々なエピソードをパワーポイントでドイツやアフリカ、またシベリアでの研究など子どもたちに興味深く講演された。そして3部として、子どもたちの剣鉾、和太鼓も披露されて、教職員と保護者のコーラスも。華美なことはなく子どもたちを主役にした心温まる式典になりました。関係者のみなさん、ご苦労さんでした。


 夜は、総支部長の前原議員を囲んで、久しぶりの二区総支部の議員懇談会。この春の選挙で左京は府会が北岡、島内、市会がぼくと隠塚、山科は、府会が豊田、市会に松下、東山は市会に中野君と7人の府市会議員を擁することになった。それぞれ個性豊かなメンバー。とりわけ、もうすぐパパになる二期目の豊田君が元気。国会では、菅首相の退陣表明を受けて、「大連立」やなんやかんやと浮き足立っているが、慎重に構えて欲しいね。

●6月3日(金)

 午前中の来客は、岩倉で昨年の夏の集中豪雨で浸水をしたところの対策について、左京土木事務所と下水道管理センターの関係者。この間、その原因などについて調査をしてもらっていたが、農業用水のことも関係するなどちょっとややこしいが、短期的な対策と長期的な対策について説明を受ける。大雨が降らないことをまずは祈ろう。

 午後は、第四錦林小学校創立80周年記念式典を明日に控えて設営準備の準備に行こうと思ったら消防車が今出川通を数台走っている。現場は農学部前のマンション。ベランダで何かを燃やしていたらしい。火災に至らずで、一安心。設営を少しだけ手伝って、日曜日に予定している野外パーティの買出しも。

 夜、事務所にて雑務をしていると、はたまた消防車のサイレンが事務所前を走る。またや!と追いかけると今度は、吉田山山頂の公園。京大の学生が10人ほど、花火をしていて、トンボとかいう花火が松の木に飛んで、燃えたらしい。近くに水道もあってバケツで消し止めたらしいが、人騒がせな学生たちだ。お灸を据える。京大に注意するように申し入れに行こう。

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九州へ他都市調査 5月31日ー2日

2011年06月07日 | 日記
●6月2日(木)

 朝、地下鉄に乗って福岡市役所へ。大きな建物。議会の階にて、交通局の理事らから挨拶を受けて地下鉄の営業について。京都とほぼ同時期に開通して、現在3路線、30キロを営業。経営状況は厳しく、一駅間100円で走らせるなど色々と工夫して乗客増に取組んでいる最中。
 また熊本に続いて、動物愛護についても説明を受ける。京都では、2年前に「どうぶつ共生プランー動物愛護行動計画」が作られて、動物愛護フェスティバルの開催や「地域ネコ」の取組みなども進みつつあるが、福岡市は、もっと先進的。動物管理センターを設置して、「わんにゃんよかネット」で収容動物や譲渡動物の一覧も広報。教育福祉委員会でいちど議論したいね。この視察をセットしていただいた江藤市議に感謝。

 さて、不信任案を巡ってどうなるかな、と思っていたら正午に菅首相が代議士会でなにやら退陣を巡って発言をしたらしい。某国会議員からメールが来て、本会議では二人が反対だったとか、あとの70人ほどはどうしたのや、と不思議に思う。

 午後、博多駅前で、わが青春の岩国の反戦喫茶「ほびっと」のメンバーだった鷲野正和君と久しぶりに再会。岩国から福岡に戻って津屋崎で自然学校を運営、「30世紀福津フォーラム」などにも参加、この春喫茶店を開店したが、ちょっと運営はたいへんみたい。「ほびっと」から40年、来年、同窓会でもしようかということになったよ。 

 で、菅首相不信任案は、否決。小沢氏、本会議欠席。民主党は大山鳴動、マツモトなにがしひとり。されどペテン師だとか鳩山氏が怒りの形相。何が一体どうなっているのか、いずれ菅さんも退陣に追い込まれそうだが、今回の騒動は、なんやようわからんよ。ほんまにええ加減にして欲しいよ。

●6月1日(水)

 朝、熊本駅から新幹線で畑の真ん中にポツンとある新鳥栖駅へ。在来線に乗り換えて有田町へ。また松浦鉄道に乗り換えて西有田駅のモダンな有田町役場へ。
 東山区選出の中野洋一議員が今回の視察の日程を作ってくれたのだが、彼のお膝元の清水焼のことや京都の伝統産業のあり方を考えながらの視察。従ってテーマは地場産業である有田焼のこと。有田町議会議長のご挨拶も。後継者の育成などが課題であるのはどこも一緒。
 ぼくは10年ほど前に「白神海渡」という映画を京都で自主上映したことを思い出していた。熊本城を築いた加藤清正が朝鮮半島から連れてきた陶工李参平が有田焼の祖であるが、映画としては芳しくないできだったが、上映会としてはまあまあだった。苦労したよ。

 有田のまちをゆっくり歩きたかったが、時間もなく佐賀県庁に。議会課長が佐賀県の概略を説明。有田焼をはじめとする伝統産業の振興について佐賀県の取り組みについて係長さんが熱心に説明をしてくれた。磁器・セラミックを活用した新商品の活用にも熱心に取組んでいるようだ。
 その後、農作物における鳥獣被害対策について説明を受ける。驚いたことに佐賀県は鹿がいないという。主に猪による農作物の被害が多い。県内の武雄市では「いのしし課」を設置、また加工センターを作って猪の肉を加工、販売しているが食べる文化、習慣もなく業績はイマイチのようだ。泊まりは、福岡市。名物の「もつ鍋」はそんなに美味しくなかったよ。

 で、テレビでは自民、公明の菅首相不信任案について民主党が右往左往している様子。小沢・鳩山グループで70人ほどが不信任案に賛成するとか、しないとか、京都の某国会議員もそうだとか、アホやね。除名だ!

●5月31日(火)

 名実ともに新しい議員団がスタートし、5月市会も紛糾することなく終わり、他都市調査へ。
 朝、八条口から空港バスで伊丹へ。昼前熊本着。熊本市役所のバスで「熊本市動物愛護センター・ハローアニマル熊本市」に。野良犬はもとより、「迷子札をつけよう100パーセント運動」として迷い犬を保護して、殺処分することなく、躾をして市民に引き取ってもらおうと努力がされている。天気も良かったのでセンターには30匹ほどの犬がワンワン吠えていて業務の説明の後、施設を見学。犬や猫好きの人に譲渡をしてもらうべく色々な動物愛護のイベントなども開催。飼育係の若い女性たちががんばっていた。
 
 その後、市内に入り熊本城へ。わが京都の二条城でも昨年から「一口城主」の募金が始まったが、熊本では、「一口城主」の募金は復元を機に先んじて行われていた。「城主手形」を発行して熊本市の管理する施設に優待券にもなり、協賛店では割引もされるという。本丸には一口城主の芳名版があって名前を検索できるようになっていた。
 城内では、緊急雇用対策で武将など時代衣装を着飾った面々が観光客をもてなしていた。どの都市も観光客に対するサービスを怠ることなく、がんばっているのだね。でも九州新幹線の開通で入場者がもっと増えると期待されていたようだが、震災の関係で予想は大幅に下回ったようだ。
 夕方は、議員団で夕食。熊本名物は馬刺しと辛しレンコンでした。

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