京都市会議員鈴木マサホひとくち日記

民進党京都市会議員鈴木正穂(マサホ)の日々の活動と京都市や民進党、左京区の話題が満載。

9月市会 告示 9月19日ー22日

2011年09月30日 | 日記
●9月22日(木)

   <京都交通労組定期大会>

 9時過ぎにロイヤルホテルに。京都交通労組の定期大会。民主党の国会議員は国会会期中で松井孝治議員のみ参加。台風で新幹線が昨晩は動かなくてたいへんだったみたい。瀬戸委員長の挨拶は、組合員の力で公共交通を守ろうと熱弁。この間の交通局の厳しい状況をなんとか乗りきれたこともあり、自信にあふれた挨拶だった。
多くの市会議員も参加したが、11時から議員会が始るということで、来賓紹介前に退出した。

    <議員会  書類調査をパソコンで>

 議員会では、産業観光局、消防、保健福祉、教育委員会など10年度の事業実績などや補正予算案について説明。
 終わった後、この市会からパソコンを使って書類調査をすることになったのでその説明。今までは、委員会室に領収書や決済の書類が山のように積まれて準備もたいへんだったが、電子会計システムが開発されて、活用されるようになったので、担当者からいかにしてデーターを見ることができるのかの説明。パソコンをいじるのが苦手な議員は、どうするのかな。

 夕方は、連合京都が京都府に対して提出する政策制度要求の項目について説明と意見交換。京都府内の様々な課題について提言されているが、南部や北部のことではぼくも知らないことが多いなあと思う。

●9月21日(水)

 朝から議員会。9月市会に上程されている議案や10年度決算について、各局からの説明と簡単な質疑。

 昼前、寺田バレエの高尾美智子さんのお母さんの告別式。60歳を過ぎてから絵を描き始められた。個展を見に行ったことがあるが、ほのぼのとした暖かさを感じる絵だった。享年96歳。心より御冥福をお祈りいたします。

    <詐欺集団、逮捕>

 夕方、某テレビ局の記者から電話。市会議員の名前を語って詐欺をしていた連中が逮捕されたとのこと。北海道の水資源のなんとかの詐欺集団が逮捕されて、さらに関連して、市会議員の名前を語って、二次被害者から、さらにカネを振り込ませようとした悪辣な連中が逮捕されたという。
 この5月末から9月中旬までに4人の被害者の方から問い合わせの電話があった。それは詐欺ですよと!アドバイスをしたので被害を免れた人もいたと思う。しかしえらい事件に巻き込まれたものだ。これで一件落着になればいいのだが、大阪府警さんよ!真相を明らかにして二度とこんなことが起こらんようにして欲しい。

 夕方、行きつけの散髪屋「ひげ床」へ。東北へ視察に行っている時、無精髭をはやしていたが、ちょっとむさくるしかったので、綺麗に整えてもらう。さてどんな髭かな。クリスマスまで切らないでいようかな。

●9月20日(火)

    <9月市会定例会 告示>

 9月定例市会が告示。10時から市会運営委員会が開かれる。冒頭、安井勉副議長がクロアチアのザグレブ、またウクライナのキエフに姉妹都市の周年事業で、市長らと一緒に訪問してきたことを報告。また9月市会の日程を決める。会期末は10月31日。10年度決算について審議するのが大きなテーマ。

    <京都創造者大賞授賞式>

 午後は、京都創造者大賞授賞式が、わが事務所から歩いて5分の京都大学時計台ホールであったので出席。保津川遊船組合や鴨川納涼床協同組合、伝統産業青年会、和紙作家の堀木エリ子さんらが受賞。選考委員長の芳賀さんはよく喋る人ですな。京都国際マンガミュージアム館長の養老孟司氏が「創造が生み出す伝統」と題して記念講演。博識であるのには驚くが、煙に巻かれた感じ。難しくてようわからんかった。

 台風15号が接近、名古屋では洪水で避難勧告が出されて、和歌山や奈良の山間部での土砂ダム決壊の恐れがあるというニュース。京都は大丈夫かな。ちょっと心配や。

●9月19日(月)

    <福島からの避難者と>

 休日。午前中、ちょっとゆっくり。

 午後、伏見区役所に。前と同じ所だが、新築なって初めての区役所。休日だったが、会議室で『京都からつながりながら福島支援』意見交換会に参加。
 「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の中手聖一さんが講演。被爆から子どもたちを守りたいという思いで、福島から京都に避難してきて、桃山の合同宿舎に住む避難者のお母さんたちの「ふれあいの会」の人達と支援活動をしている市民らが集う。
 福島から県民6万人から7万人が全国に避難されているという。合同宿舎には60所帯が生活しているという。福島の現状とチェルノブイリ原発事故による子どもたちへの健康被害への影響なども含めて、その危険性を訴えられて、放射能汚染問題を全国的に考えて欲しいと訴えられた。

 その後、グループに分かれて報告や意見交換されたが、夏頃から子どもが鼻血を出すようになったというお母さんや、また夫は仕事で福島に残り、母子だけで避難してきている人は、父親のいない状況下での子育ての不安なども訴えられていた。司会をしていたのは、この春の選挙で市会議員選挙に2度目の立候補、落選した佐藤大君だった。地道に頑張ってるや。

 代表質問を控えて資料など読み始めるが、福島からの避難者への支援策についても問うことにしよう。

日常活動、あれこれ 9月15日ー18日 

2011年09月25日 | 日記
●9月18日(日)

    <桑の文化を京都から>

 朝10時前、四条花見小路下がるの建仁寺へ。「桑の文化を京都からーマルベリーフォーラム」に。京都マルベリー協会の顧問は桝本前京都市長。久しぶりに会ったが、頭髪は真っ白だったが、まあお元気そうでした。桑を食べる蚕から紡ぎだされる絹が西陣を支えてきたこと、また桑には、生活習慣病の改善にいいとか、鎌倉時代に建仁寺、臨済宗の開祖、栄西が中国から日本へ伝えられたらしい。桑のお茶やお菓子もあるが、餃子もあるらしい。今度食べに行こうかな。

    <運動会回り>

 昼、一路、いやしの里、静原へ。小学校と地域の学区民運動会。秋晴れの下、子供たちの一輪車での競技が微笑ましい。自然に恵まれ、少人数の教育環境なので遠くから通う児童もいて結構賑やかになったという。鹿や猪の被害対策としてバッファゾーンを作るとか。コスモスフェアは、10月8日とのこと。いちど行かれてみてはいかがですか?

 それから貴船口にある鞍馬小学校での鞍馬学区の運動会。狭い校庭で日陰でもあり水はけも悪い。教育委員会に改善を求めて欲しいと地元要望。ラムネ飲み競争に参加。ビールの一気飲みのようにはいかなったよ。ニノ瀬バイパスのトンネル工事の本格着工ももうすぐかな。

 事務所では10月5日の本会議で質問するべく、門川マニフェストの点検作業を開始。

    <詐欺事件に名前を使われた!>

 夕方、某放送局の記者がわざわざ大阪から来所。つい先日、大阪府警が北海道の水源地権利購入の詐欺事件で詐欺集団を逮捕したが、関連して金山開発なんとかで別の詐欺集団も逮捕。この詐欺グループが、他の投資詐欺被害者に、返還云々ということで、市会議員の名前を語って、電話をかけて、さらに巻き上げようとしいたのだ。どういう訳か、ぼくの名前が使われていたのだ。
 7月20日の毎日放送のニュース番組ボイスにぼくが登場したことを以前書いたが、ほんまにケシカラン連中だ。実際、この間、4人の被害者からぼくに問い合わせの電話があり、されは詐欺ですよ!と進言して二次被害を免れたひともいるのだ。
 ほんまに世の中、どうなっているのやろ!ぼくも妙なことに巻き込まれてしまったものだ。警察には事情を言いに行こうと思っている。

●9月17日(土)

    <第四錦林小学校の運動会>     
 
 台風接近で昨夜も雨が降っていたので、中止かなと思っていたが、みんなの精進がよかったのか、晴れた!わが地元で母校の第四錦林小学校の運動会。紅白に分かれて応援合戦も盛ん。1年生が走る姿は可愛いし、6年生にもなるとリーダーとしての自覚があって頼もしい。4年生全員による校庭を乱舞した大風流婆裟羅踊りは最高でしたよ。

    <フットサルに、もっと身近にクラシック>

 昼過ぎ、京都府立体育館に。大橋昭さんが主宰している京都オープンフットサルフェスタ。今年は沖縄から女性チームも参加。年々盛大になってきたが、今年で13回目か。泉ケンタ議員も政務多忙にも係わらず応援に。将来の日本代表選手が誕生するかも。大橋さん、がんばってよ!

 2時過ぎには、アルティでの「もっと身近にクラシック」900円のコンサート・児玉桃さんのピアノファンタジー。主宰者の吉竹さんとは長い付き合い。91年にスタートしたこのコンサート、敬意を表したい。久しぶりにピアノ演奏を堪能する。

     <情報労連定期大会> 

 ゆっくり聴きたかったが、午後3時からNTT労組を中心とする情報労連京都地区定期大会。本部代表の挨拶では、東北大震災で亡くなった組合員さんが多くおられたこと、また支援活動についても報告があった。
 来賓では、京都選出の民主党の国会議員も多く参加。福山前内閣官房副長官は、この間の激務からか、ちょっと疲れた様子。ちょっと休んだらいいよ、と声をかける。

     <左京保育園園長さんたちと>

 夕方、事務所には、左京区の保育園園長会の役員さんが来所。左京選出の議員との懇談会の開催について色々と打ち合わせ。この春に、2年ぶりに開催したので、この11月にでもまたできればいいな。今後、日程など調整をすることに。

     <「福島市での除染活動で見えてきたこと」>

 夜は、堺町画廊に。「福島市での除染活動で見えてきたこと」と題して、京都精華大学の教員で放射能除染・回復プロジェクトの細川弘明さんが話題提供。主催は、「福島市での除染活動で見えてきたこと」を聞く会。町家の堺町画廊は超満員。福島原発事故による地域別の汚染状況やテレビ放映されたビデオも見せながら、福島市内での除染作業の様子や必要性と可能性について報告。問題は、「除染廃棄物」をどうするかだろう。

●9月16日(金)

     <市会改革推進委員会>

 午前10時から市会改革推進委員会が開催。事前にわが議員団の委員4人で簡単な打ち合わせ。委員長は、京都4区から衆議院候補に立候補予定の自民党の田中英之議員。奥さんのお母さんがぼくの高校時代の同級生という。いやはやなんとも。彼のテキパキとした進行で議事が進むが、合意するまでに至るのは難しい案件ばかり。

 委員会の直接傍聴については、ぼくもこの間の経験をもとに認める方向で意見を述べたが、合意に達せず。唯一、全会派、合意に達したのは、本会議で傍聴者に対して、質問項目のテーマを配布することについては、9月市会から実施する方向で議長に諮問することになった。
 本会議での着物着用の「きもの議会」の提案については、和服振興に努力している米沢市とか結城市では実施されているが、京都市会でもいちど試みたが、着付けの問題もありぼくもテンヤワンヤしたことを思い出して、前向きにはなれない。結論は出ず。

 なお公明党から「京都市会の基本理念・基本方針―京都市会の目指すべき方向」が示されて、今後これをたたき台に議論されることになる。議会基本条例策定までには、まだまだ時間がかかる。ともあれ改革を進めようと、議員同士が議論することには大いに意味があると思っている。午後3時前まで、真摯な議論が行われた。

     <鴨沂高校同窓会>

 夕方は、久しぶりの鴨沂高校同窓会理事会。会報のゲラ刷りもほぼ仕上がってきて最後の校正と点検や会計報告や予算案の承認。また11月20日予定している総会と懇談会の持ち方について、喧々諤々。
 そして、ぼくは2期6年会長を務めてきたが、とあることで、いちゃもんをつけた大先輩もいるので、今回で退任することにした。この間、支えてくれた理事のみなさんに感謝です。ともあれ11月20日の総会と懇親会は成功させようと思っていますよ。

●9月15日(木)

     <毎月15日は 手づくり市>

 東北の視察を終えて、精神的なことも含めてちょっと疲れ気味。頭の中は真っ白。午前中なんとなくグッタリ。

 昼前、百万遍は知恩寺境内での「手づくり市」へ。天気も良くごった返していた。主宰者の臼井さんらは友人。25年ほど前、わずか10店舗ぐらいから細々と始ったこの手づくり市も今では境内満杯の400を越える店が並び、天神さんや弘法さんと同様に京都の風物になった。毎月15日は、市バスや京阪電車の乗客も2千人ぐらい多くなり、京都の観光や経済に大いに寄与している。
 イラストレーターの斎藤尚さんも可愛い動物の絵葉書を売っていたので頑張りやと声をかける。彼女の作品展を10月中旬、わが事務所の「カルチャーガーデン吉田の森」で開催しますよ。ぜひ見に来てあげてや。

    <左京自衛消防隊訓練大会>

 午後は、宝ヶ池北公園で毎年この時期に開催される左京自衛消防隊訓練大会。左京区内の大学やホテル、病院など大きな事業所と、平安神宮、三千院そしてわが吉田神社など社寺仏閣の職員が集い、日頃の防火訓練の成果と、もしかの時のために迅速に対応できるように各職場の代表が、暑い中、消火器躁法訓練などを披露。わが吉田神社は、若い神官や巫女さんががんばった。

 夕方は、事務所で雑務。ちょっと京都を留守にしていると資料が山積みだ。

東北視察 写真

2011年09月20日 | 日記

飯館村にて
飯館村にて
名取市にて
名取市にて
野蒜駅
石巻市立病院前
三陸の朝
気仙沼にて
雄勝にて
女川にて

東北を視察  9月9日ー14日

2011年09月10日 | 日記
●9月14日(水)

     <福島市を視察>

 東北視察も最後の日。大隈氏が車で迎えに来てくれる。石原洋三郎議員は40歳。政治家としては3代目で福島では著名な一族だという。
 まずは南矢野目というところの仮設住宅に。浪江町から避難された200所帯が住む。市内には15箇所の仮設住宅があり、双葉町、飯館村からの避難者が居住している。ゆっくり住民とゆっくり話をする時間がなかったのは残念。

 それから地元の人から汚染された土が捨てられているのではないかと連絡があったそうで、一路近くの丘陵地帯の残土捨て場に。早速、大隅さんの線量計を見るが、0・6ミリシーベルトぐらいで大丈夫のようだ。現場責任者と思われる人物が飛んできたが、汚染された土ではない模様。ご近所の人は、ひとまず安堵感。

     <飯館村にて>

 そして、途中、安彦(あびこ)さんという染工場の経営者が同乗されて、国道114号を飯館村に向かう。市街地に近い渡利というところは、ホットスポットだという。一気に線量計の数字が0・83に上がる。

 トンネルを越えて小さな峠を越えて川俣町から飯館村に。飯館村に入ると、線量計の数字は2・88まで一挙に上がる。
 南相馬市につながる国道には、トラックや乗用車が行きかうが、家々や商店、郵便局やコンビニは閉ざされている。人は歩いていない。山に囲まれた風景はのどかだが、花きを栽培しているビニールハウスが時折見えるが、放置されたままで、畑や田んぼだと思われる農地には、人の姿は無く、まったく耕作も行われていない様子。その静かな風景に愕然とする。

 昼前、緑豊かな飯館村役場に到着。京都でいうなら京北町の風景に良く似ている。人口は6千人。違うのは、原発事故による計画避難地域であること。役場の前にはモニタリング計が設置されていること。3・07の数字。ちょっとヤバイなあ。役場はいちおう10時から4時まで開いていて4人の職員さんが交代で勤務しているという。

 役場の隣の「いいだて活性化センター」に今日は特別に住民が集まったという。佐藤長平飯館村議会議長ら議員さんたちも来られていた。議員定数は12人。
 今日はオーストラリアの食肉生産者事業団の一行が復興支援ということで来て、テントではオージービーフの焼く匂い。福島市内の避難先から交代で見守り隊として巡回されている住民が100人ほど会場内で懇談。佐藤議長は民主党、除染の問題などあるが、2年先にはなんとしてでも大人は帰れるようにしたいと熱望。
 この交流には、安彦さんと大隈さんたちが協力された。警戒の為に四国から派遣されてきた若い警察官たちとともにオージービーフをぼくもご馳走になる。
 今、飯館村の役場機能は、福島市内に支所が設けられていて、村には7つの事業所が通勤する人によって維持され、特別養護老人ホームも残っているという。美しい村に、いつの日に住民は帰ることができるのだろうか!そんな想いをしながら、福島駅まで大隈さんに送ってもらう。

 少し時間があったので駅前で無料!のレンタサイクルを借りて、市街地を走る。並木の綺麗な商店街、この1月に新築なった立派な市役所、そして学校のグランドでは表土を入れ替えて保管してあると思われるブルーシートを張ってあるところなど足早に走る。帰宅する子どもたちは元気そうだった。

 新幹線を乗り継いで京都に戻ったのは、午後11時前だった。

 3・11から半年。残暑厳しくむし暑い日が続いた東北での4泊5日の視察の旅。頭が真っ白になった。2万人を越える、亡くなった方々と行方不明の方々の御冥福を心よりお祈りし、被災されたみなさんが元気になられ、東北が復興するとともに、原発事故の収束を願う。道中お世話になったみなさん、ありがとう。

●9月13日(火)

     <仙台市役所へ>

 10時前仙台市役所に。広場では復興へがんばろう!と「東北のへそ」観光祭りが開催されていた。山形県最上地域・秋田県雄勝地域・宮城県大崎地域が「東北のへそ」になるという。それらの地域の物産展。リンゴジュースは牛乳を賞味。芋煮を食べたかったが自重。
 議会棟の民主党の議員団室を訪問。「市民フォーラム仙台」が会派の名称。8月28日に選挙が終わったところ。自粛ムードで逆風下、民主党は候補者を12人擁立、当選は7人。みんなの党が4議席を確保したという。政令指定都市政策協議会の副会長の渡辺公一議員と被災状況や復興策について懇談。牛タンランチをご馳走になる。美味しかった!

     <仙台の被災状況>

 午後、近くの青葉区役所へ。仙台市災害対策本部を訪ねて担当の齋藤健一課長から3・11からの被害状況などをお聞きする。

 9月2日現在、死者は704名。いまだ行方不明の方26名。負傷者2269名。多くの方は沿岸部で津波の犠牲になられた。地震直後の避難者は10万人。建物の全壊は2万2千棟。大規模半壊は1万5千棟、一部損壊は8万棟。罹災証明の申請数は19万件を超えるという。丘陵地では、宅地造成されたところで地すべりなども発生。想像を遥かに超える被害だった。

 京都市は消防レスキューに続いて3月15日に門川市長と奥山仙台市長とのホットラインで市役所職員を150人派遣、以降延べ1200人の職員が派遣されているが、力強かったという。多忙にもかかわらず時間を割いていただいて感謝したい。

 新幹線で福島入り。ちょっと時間があったので、市内循環バス「ももりん」に乗って市内を一周。料金は100円。

     <福島にて>

 夕方、衆議院議員石原洋三郎議員の大隈秘書と高橋秀樹県会議員、粟野啓二市会議員と懇談。全壊した住宅は171件あったそうだが、地震による被害は亡くなった方は3人。行方不明者はゼロ。地震そのものの被害は軽度だった。

 しかし問題は、なんといってもフクシマ原発事故による放射性物質の飛散による子どもたちへの健康被害への影響と原発周辺地域からの避難者への仮設住宅の確保などが大きな課題としてのしかかっているのだ。
 学校の校庭の表土改善、汚染された地域の除染作業、子どもや妊婦への個人線量計(ガラスバッジ)の配布。そして、これから大きな問題になる除去された土の処分地の確保など原発事故がもたらしたものは計り知れない。
 大隅氏も議員も線量計を手に持っているのには、正直驚いた。必需品なのだ。高浜、大飯、美浜原発からそれほど遠くない京都なので、ぼくも買っておこうかな、とふと思う。
 席上、今週の17日土曜日にはわが2区総支部長の前原誠司政調会長が福島入りするということで大隈秘書は連絡でばたばた。また福島県会議員選挙は11月に行われるとのこと。ご奮闘を。歓待していただき感謝です。

●9月12日(月)

      <石巻へ>

 朝の陽光に輝いた海は穏やかだ。カモメが部屋の窓際に数匹留まりこちらを見ている朝。南三陸町を後にして、国道45号から三陸自動車道を石巻市に向かう。途中、各県警から派遣されたパトカーと多数すれ違うのが国道の風景。

 石巻港のインターチェンジから降りて石巻市内は工場地帯に入る。日本製紙は稼動を始めたのかトラックなどの動きがある。

 愕然としたのは海岸から直ぐにある石巻市立病院の無残な姿。前日のニュースで当時、孤立した病院の中で医師がビデオを取り続けて、ヘリコプターで患者が避難されるまでのビデオが公開されてインタビューを受けておられたが、建物の3階まで津波ですべてが破壊された。頭上の樹木にはビニール袋などゴミがぶら下がり、カラスの群れが飛び交う。隣の敷地は官舎のアパートが2棟あったが、建物は残ったもの各部屋は所帯道具が散乱し流されてきた瓦礫でぐちゃぐちゃ。

 そして周辺はといえば、家々はすべて流されて、瓦礫の処理はだいぶ進んだのか、夏草に覆われ始めている。そして日和山の下にある門脇小学校にも津波が襲いかかり、火災で校舎が黒ずんでいる。あまりにも無惨な光景。呆然と立ち尽くすのみ。グランドでは作業車が整地する作業。
 石巻の街が見渡せる日和山に登る。街があったところが、なにもない。遠くには穏やかな海が光っていた。

     <松島に>

 石巻から航空自衛隊松島基地の近くを通って海岸沿いに奥松島に。丘の傍に石巻・仙台間を走っていた列車が線路に放置されたままの姿が遠くに見える。
 海岸の松林の中にあるかんぽの宿や野蒜駅も津波に襲われて時間が止まったまま。海岸から望む海は広くて穏やかな夏の終わり。悲しい。

 そして日本三景の松島には、観光客がだいぶ戻ってきたのか散策する人々が多く観光船も復活したようだ。気分はなんとなく安堵感。

      <仙台空港>

 松島から三陸自動車道と仙台東部自動車道で一気に仙台空港へ。津波で水没するテレビの映像も衝撃であったが、7月25日に再開された。仙台を結ぶ鉄道は10月からという。屋上デッキが開放されていたので、海岸のほうを臨む。松林の向こうに海がある。そして、建設時は誰も津波のことを考えなかったのだろうな、とふと思う。空港は名取市にあるとは知らなかった。

      <名取へ>

 海岸沿いに北上。津波にすべてが流されたところ。
 宮城県農業高校は海岸沿いにある。幸いなことに学校に当時いた生徒たちには犠牲者は出なかったらしいが、そのときの恐怖は想像できない。今は、遠くの農業高校まで3校に分かれてバスで出向いて授業を受けているという。

 さらに北上。道路上に漁船が置き去りになっていたところを過ぎて、「閖上(ゆりあげ)」浜に向かう。この地域も壊滅的な被害を受けたところ。日和山という造成された小さな丘には震災で犠牲になった方々の碑が建てられて、ご家族が献花をされていた。

 そして仙台市内は、若林区は荒浜地区に。夕暮れ時、トラックが行き交うが、この地も多くの犠牲者が出た所。重い重い気分になる。荒浜小学校近くで黙祷する。犠牲者の皆さんの心より御冥福を祈るのみ。

      <ゆさ議員らと>

 夕方、6時この2日間付き合ってくれた諸岡氏に県庁近くのビジネスホテルまで送ってもらい投宿。夜は、河北新報社の記者だった穴澤さんと宮城県会議員の遊佐美由紀さんと懇談。地震当日のこと、仙台の被害のこと、仮設住宅のこと、避難所でのボランティア活動のこと、仙台復興のこと。
 遊佐さんは、社民党時代からの知り合いで現在4期目。この11月に県会議員選挙がある。がんばってね!穴澤さんからは原発事故のことを寄稿した「山脈」をいただく。夜の仙台の繁華街は、日常が戻っていて若者たちで賑わっていた。

      
●9月11日(日)

     <東北大震災から6ヶ月、石巻、女川へ>  

 3・11東日本大震災からちょうど半年。アメリカの同時テロから10年。京都市会の海外視察で、2週間ほど前にニューヨークにいて、ビルを見上げていた。

 午前9時過ぎ、宮城県は、加美町の中新田を諸岡氏の車で出発。1時間ちょっとで石巻市に入る。道路などの瓦礫の処理はだいぶ済んでいるようだが、津波に襲われて全壊・半壊している建物が次から次へ出現。

 国道398号線を進み、女川の入江を遥か先に望む小さな峠を越えたところの高台に諸岡氏の親戚の家があった。津波はこの高台にまで押し寄せてきて、彼の親戚の家も流された。家の基礎部分が残っているのみ。流されてきた車が山裾に数台放置してある。こんなところまで押し寄せたのか。

 そして海岸沿いの女川のまちは壊滅。津波によってすべてが流され、また瓦礫の光景に呆然。沈黙。
 リアス海岸沿いの道路を北上。小さな入り江の集落もすべて壊滅状態か。硯で有名な雄勝には建物上にバスが載っていた。入り江近くの川では地元の人が遡上してくる銀鮭を釣り上げていた。

 峠を越えると北上川。多くの子どもたちが津波の犠牲になった大川小学校では、追悼の碑が建ち遺族の方々がお線香を上げられていた。言葉がない。心より御冥福を祈るのみ。

       <南三陸町にて>

 対岸に渡る大橋は通行止め。10キロほど上流の橋を渡って、峠を越えて登米市から南三陸町は志津川に入る。ここも甚大な被害を受けたところ。海辺の町はここもすべて津波に襲われた。

 高台にあるベイサイドアリーナと呼ばれる総合体育館では、南三陸町の慰霊祭が終わっていて跡形付けの最中だったが、黙祷。ちょうどあれから半年。入り口の所には、ご遺体の特徴を書いた紙が何枚も貼ってあるのが悲しい。

 駐車場には他府県のナンバーの車があり、テントには災害ボランティアセンターの本部のテント。センターを運営されている社会福祉協議会の担当の方と暫し懇談。頭が下がる。些少だがカンパさせてもらいました。
 この高台がこれからの街の復興の中心地になるのか。仮設住宅も近くにあり、またボランティアのメンバーの簡易テントも見られた。ご苦労様です。ぼくも若かったら来ていたかな。今回は、何もできないけれど、ともかく現地を見ること。

        <気仙沼にて>

 そしてさらに北上、3月11日夜の火災の光景が目に焼きついている気仙沼市に入る。気仙沼に来たのは実は2度目。2003年7月に議員団の視察で同僚と本吉広域防地災センターを視察し津波対策を聞き、防波堤も見た。今回の津波は防波堤を越えて流れ込み人々の命と生活をすべて奪い去ったのだ。

 漁港周辺の地域は、多くの商店や倉庫などが無残にも焼き尽くされ、瓦礫があちこちに積まれて、海水がどす黒くなって、周辺が池のようになっている。魚の腐った臭いが充満し、そこにカモメが舞うなんともいえない光景。言葉がない。この周辺の復興はどうなるのであろうか。
 宿は海岸沿いの高台にあるホテル観洋。一時は避難所にもなっていて、建物の所々には亀裂も入っている。かつては漁火が夜の海に見られたのだろうが、この夜は、見られなかった。
 疲れているはずなのに、今日一日の衝撃的な光景を思い出し、ショックか、なかなか寝付かれず。

●9月10日(土)

         <民主党自治体議員フォーラム世話人会>

 9時過ぎの新幹線で東京へ。地下鉄で永田町下車。土曜日で国会周辺は閑散としている。暑いよ。

 民主党本部へ。自治体議員フォーラムのブロック代表者会議。北海道から九州・沖縄ブロックまで9ブロックの代表者が集う。ぼくは近畿ブロック代表ということで参加した。11月に全国フォーラムを開催するのでその打ち合わせ。

 野田内閣が発足して支持率もだいぶ上昇したので安堵感。分科会や総会と全体集会をどうするか協議。マニフェストの見直しや財政、エネルギー問題や農業や産業の空洞化など色々と地方には課題があるが、なんといっても大きなテーマは震災復興と原発問題だよ。

 ぼくの提案が受け入れられて、宮城、福島の被災地の自治体議員に取り組みを報告してもらうことに。ぼくはエネルギーと原発防災についての分科会を担当することになった。民主党は、国会議員だけの政党ではないということ、自治体議員の存在感を示したいというのが、ぼくの想い。

         <宮城県加美町にて>

 午後4時前の東北新幹線に乗って、仙台から15分ほどのところの古川駅に午後7時着。サークル「山脈の会」で30年ほど前に出会った、加美町は中新田の諸岡氏が迎えに来てくれる。彼の娘さんは京都造形大学卒業で結婚して我が家の近くに住んでいる。かつての町長、本間某氏がバッハホールを建設したことで中新田はちょっと有名になったときもあったかな。
 友人の武田氏とも再会。数年前までソーセージ作りを生業としていたが、今は、石山けいき衆議院議員の後援会の役員として地元で後援会の拡大に向けて頑張っているということで、びっくり。
  話題は、3・11東北大地震のときのこと。揺れがひどかったこと、停電したこと、水が出なかったこと、などなど。また被災地から避難してきた人たちのことなど夜遅くまで聞き取り。

●9月9日(金)

        <十二提灯神輿保存会> 

 思い立って東北に行こうと思ったので、宮城や福島の関係者に連絡。午後は歯医者に行って、被せ物をしてもらう。

 夜は、十二提灯・子ども神輿保存会の世話人会。もうすぐ秋のお祭りの季節。吉田の東部を巡幸する十二提灯を復活させ、とあるスーパーの抽選で町内のオバサンに子ども神輿が当たってご寄付いただいてから、かれこれ20年ぐらい経つのだろうか。
 毎年吉田今宮社のお祭りの前の日に2日間巡幸をしていたが、この5年ほど前からは一日で済ますようにした。大元講社や剣鉾保存会や地元の有志のメンバーによりお世話してきた。昨年は雨で巡幸は中止、夜店だけになった。
 この間の反省や今年の世話人の確保のことなど打ち合わせ。その後、夜遅くまで、明日から京都を留守にするので雑務。

台風一過       9月2日ー8日

2011年09月10日 | 日記
●9月8日(木)

      <鴨沂高校 仰げば尊し>

 昼過ぎ、わが母校鴨沂高校に。文化祭ということで3年生による伝統行事「あおげば尊し」のパレードを見に行く。台風が来て作業もできなかったらしいが、地球儀の形をした山車など北運動場を出発。高校生活の思い出に残る行事だ。ぼくらのときは紫野グランドまで行進した。友情を深められたかな?
 
      <介護保険にかかわる会で講演>  

 午後、ひとまち交流館で介護保険にかかわる会の研修会。ぼくが講師。「議員活動25年 京都は変わったか」と題して、過日の市政懇談会のときに流したパワーポイントの「25年の軌跡」のスライドを流してから、今川、田邊、桝本、門川市政を振り返りながら、その時代時代に話題になったことなど検証。
 景観政策や同和行政、また財政問題、また高齢者福祉と地域福祉、原発のことなど、そして京都市のこれからの課題や市長選挙のことなど2時間半ほど喋って質問に答えた。平成の時代の京都市政をぼくなりに省みることができて有意義でしたよ。

 夕方は、鴨沂高校同窓会の役員人事について副会長らと懇談。

       <山科支部の選挙総括>

 そして、民主党は山科支部のメンバー、豊田府会議員、松下市会議員、そして藤川前市会議員と各後援会の会長や前原山科後援会の人に集まってもらって、選挙の総括。まあ選挙前から色々とあったし、民主への逆風下、市会での二人当選はならなかったのは残念だが、藤川前議員の奮起を促し、4年先には3人とも当選するようこれからがんばろう、ということだ。

●9月7日(水)

    <教育福祉委員会 市政白書を巡って> 

 10時から教育福祉委員会。保健福祉局からは理事者報告はなし。自民、共産、民主、公明の順番で一般質問。ぼくは3番目。

 京都市政のこの4年間の歩みと成果や課題をまとめた市政報告書が7月に発行された。つまり来年2月に市長選挙を迎えるが、世界同時不況、新型インフルエンザ対策、保育行政にかかわるプール制のこと、食の安心・安全、そして放射能対策など、いわば門川市政の4年弱の白書なのだ。いのち、安心、子育て、健康をキーワードに保健福祉分野の取り組みの成果が写真入りで書かれている。
 この4年間を簡単に振り返りながら、生活福祉、長寿社会、子育て支援、障がい者福祉、保健衛生のそれぞれの分野で、いくつかの個別事業に触れながら、各部長に答弁を求めて質疑のやり取り。
 この質問の意図は、市長選挙を控えて、民主・都みらい議員団として門川マニフェストの検証を始めているが、その過程としてのやり取り。
 最後に、保健福祉局長に答弁を求めるのを忘れてしまったよ。

 他の委員は国保会計、生活保護所帯のクーラー使用、まちネコ対策、学童保育など。そして長らく沈黙していた某新人議員さん、各種式典やイベント啓発事業などについて無駄遣いがあるのではないかと、デビュー。もうちょっとゆっくり喋った方がいいね。

 教育委員会とは、生徒の名簿作成、給食の安全、学齢を超えた外国人生徒の転入、防災教育、そして式典、表彰制度のコストのことなど。休憩なしで3時過ぎまで。

 散会後、某学校での地元役員さんの挨拶での差別的な発言があったということで、この間の対処や運動団体とのやり取りの経過について教育委員会の担当者から経過などを聴取。かつては糾弾会などが激しく行われ、行政も右往左往していたが、最近では様変わりした。久しぶりの事案かな。

 夕方は、自治労教育支部のビアパーティ。若い山崎支部長が水俣の「もやいなおし」と言う言葉を使った挨拶はよかったよ。新規採用の若い職員が司会。ぼくが挨拶のとき、昭和62年生まれの人と聞くと3人ほど手が挙がった。ぼくが市会議員になった年だ。いやはやまいった!
 
 その後、事務所に戻って介護保険にかかわる会で明日講演をするので京都市の変遷についてメモ作り。

●9月6日(火)

 台風一過、ちょっと爽やかな天気になった。
 過日、地元から要望を受けていた京都大学の石垣の角切りのことで担当者と懇談したこと、また今後の課題、見通しについて報告に。交通安全の面から道路管理者の京都市にも働きかけが必要だ。時間をかけて実現に向けて努力をしよう。

     <携帯電話 機種変更>

その後、携帯電話のバッテリーがほとんど切れたので、機種変更のためにソフトバンクのショップに行く。色々と店員と喋っていて、結局流行のiPhoneに機種変更をすることにした。書類の手続きや電話番号など情報の移動に時間がかかってしまってもうくたびれました。
 今どきの若者のように上手く使いこなせるかどうか、無用の長物に終わらんようにしたいと思うが、それにしても当分厄介やな。
 なおメールアドレスはmasaho62@i.softbank.jpです。直ぐに返信できないと思いますが、もしよかったら送ってください。

 夜は、明日の教育福祉委員会での質問を予定しているので、つい先日発行された市政白書の特に保健福祉局の分野を読んで、簡単な質問メモを作る作業。

●9月5日(月)

 台風一過、さわやかな天気にはならない。じっとりと蒸し暑い。特に奈良県十津川村では土砂災害などで孤立地域があるようだ。

 昼前、生駒市で市会議員をしていた小笹浩樹君が来所。2期頑張ってきたがこの春の選挙で苦杯をなめた。社会党時代からで20年ほどの付き合いかな。ええおっさんになっていたが、これからどうするか、選挙のことや議会活動でのことなど喋る。再起を期待したい。

 午後は、議員団室へ。「体操服!いってらっしゃい、おかえりなさいプロジェクト」という学校体操服のリサイクルシステムについて、特に産業廃棄物としての取り扱いについて、帝人と旭化成の担当者と教育委員会、環境政策局との関係者と協議。学校現場での回収から運搬、処理、再生へのエコサークルをどのように作り上げるのか、知恵をださないといけないな。

 またこの秋に五条坂で障がい者の授産施設で作られた作品の展示などをするスペース「ユイ・ハート」をオープンするNPO法人京彩都の石井さんらを保健福祉局の障害保健福祉部長らに紹介。色々とアドバイスや京都での取り組みについて懇談。幸せいろ鑑定なども行うという。ぜひいちど行ってみてください。

 その後、民主党府連に立寄って打ち合わせ。ちょうど野田新内閣の政務官などを発表しているとき、京都からは北神圭郎議員が産業経済政務官に就任したとか。がんばってや!

 夕方は、連合京都議員フォーラムの幹事会。秋の総会や研修旅行会のことなど協議。選挙後、初めてゆっくり懇談。

●9月4日(日)

 予定されていた吉田学区の自主防災訓練は中止。
 奈良県や和歌山県で台風の被害が甚大。

 テレビで世界陸上の男子マラソンを見る。県庁の星、川内選手ら健闘。ケニア勢は強いね。

 新聞の世論調査では、野田内閣の支持率が50パーセントを超えて幸先よし。民主党の支持率も30パーセントに回復。ひとまずよかった。この先どうなるか不安だが、しっかり復興対策や原発事故の収束に向けてしっかりやって国民の信頼を取り戻してくれよ。ほんまにたのみまっせ!

 午後、風も弱まったので車で鴨川の水位や街路樹が倒木しているところなどないかウロウロ。また消防署に電話して被害状況など聞くが、花背で倒木があった程度で浸水箇所もなく被害はないということで一安心。

 夜は、遅くなったが娘の誕生日祝い。31歳になった。暑い夏の日、神楽岡の産院で生まれた。ラマーズ法で生み、ぼくも出産に立ち会った。結婚話もなさそうだが、元気に頑張っているので何より。

●9月3日(土)

 予定されていた京都市の総合防災訓練も台風で中止。外を出歩くのも危ないし事務所で仕事をするのもイマイチ気合が入らないし家で夕方までゴロゴロ。

       <笑いの内閣> 

 夕方、近くの京大吉田寮へ。第13次「笑いの内閣」の「非国民文化祭」の芝居を見に行く。総裁の高間響君とも4年ほどの付き合いになるのか。彼は鬼才だ!
 初っ端が「原子力少女ぷるとちゃん」。電力会社や推進派をコメディ風に社会風刺。科学特捜隊が事業仕分けに出くわす光景。蓮舫役がまた良く雰囲気が似ていて面白かったよ。高校野球を題材に共産党と創価学会を皮肉ったコントも馬鹿受け。でも若い子らがインターナショナルの歌を知るすべもなく、また「代々木」というのが共産党であることを知っているのは、ぼくらの世代か。
 石原慎太郎を演じる高間響は見事。風雨が強いにもかかわらず観客の入りもまあまあ。その後、某社会福祉法人の理事長から今後の夢を聞く。夜半、風雨強し。被害が出ないことを祈る。

●9月2日(金)
  
       <手づくり市と市バス乗客数>

 台風接近。風雨強し。昼過ぎ議員団室に。百万遍は知恩寺境内で毎月15日に開催されている「手づくり市」の主宰者臼井郁司さんと交通局の自動車部長と懇談。手づくり市が始ってもう20年を越える。ぼくが事務所を百万遍に構えていた時にひっそりと始ったこの市も今や天神さんと弘法さんに負けない市になった。

 とある観光シンポジウムでこの手つくり市のことを報告するということで交通局に毎月15日の百万遍のバス停で降りる乗客数を調べてもらっていた。206・201・17・3系統のバスの乗客数はいつもほぼ2千人から2千5百人程度が、市があるときは5千人を越える時もある。いやはや凄いよ。京都駅ではときには乗れないときもあるという。京阪出町柳駅の乗客数も格段に増えている。京都の観光に大いに貢献しているということだ。
 梅小路公園で毎月第一木曜日に開催されている「一木市」も徐々に出店が増えているという。市長表彰したらどうや。継続は力なり!

 その後、介護保険にかかわる会の理事長の梶宏さんらと来春行われる市長選挙のことや門川市政の評価など喋る。台風接近で風雨も強く警戒警報も出ていたので島内研府会議員の府政報告会も中止。聞きに行くつもりだったが残念。

 ニュースは菅首相が官邸を去り、野田首相の新内閣発足。サプライズ人事はないと言うことだが、ぼくの知っている大臣はいないな。ともあれ、これからちょっとは落ち着いて欲しいというのがぼくのささやかな願い。

野田新首相誕生  8月30日ー9月1日

2011年09月06日 | 日記
●9月1日(木)

       <「こぺる」のこと>

 今日から9月。台風が接近しているからか、蒸し暑い。昼前から事務所の倉庫の整理を始める。事務所を熊野から移転してちょうど4年。後生大事に残していた資料など捨てる作業。色々と面白い資料は残す。

 1996年に京都会館別館で藤田敬一さんと「同和行政と制度疲労」と題して公開対談した時のテープを活字にしたものも出てきた。彼が出し続けている「こぺる」に寄稿したのは96年の9月号だった。
 この9月号には消防局職員だった谷亜生さんが寄稿しているが、ぼくの名前もちょこっと出てくる。過日、藤田敬一さんから電話があって11月には、15年ぶりに「こぺる」に原稿を書く約束をした。10月定例市会が終われば、作業にかかろうと思うが、さてどんな原稿になるかな?

 また暇になれば、平成時代の京都市政と市会の歴史を書きたいなと、色々な資料をチラチラ見ながら思ったのである。終日、事務所に篭っての作業。ちょっと疲れた。

●8月31日(水)

         <地元の要望活動>

 午前中、京都大学へ。地元の町内から交通安全のために石垣の角を間仕切りして欲しいとの要望を伝えに行き協議。
 子どもたちの通学路でもあり、自転車のマナーも悪く、見通しも悪い所なのでなんとか改善できないかということ。担当の課長らに来てもらって、その旨を伝える。時間がかかると思うが、京都市の協力も得てなんとか実現したいな。

         <秋の祭りが近づいてきた> 

 夕方は、吉田今宮社の秋のまつりに向けての神事世話人会。もう祭りの準備だ。神輿は復活して30年かな?また剣鉾が復活して20年かな?年々賑やかになってきたが、色々と打ち合わせ。3年ほど前から京大の学生諸君も神輿担ぎに来てくれるようになったし、子ども剣鉾も子どもたちによる今宮太鼓も披露される。今年もぼくは剣鉾を差すよ!10月8日(土)が宵宮と十二提灯の巡行。9日(日)が神幸祭。剣鉾と神輿とお稚児さんたちの行列があるよ。

 民主党の政調会長の要職にわが2区の前原総支部長が就任。政府と民主党の間で民主党の政策をどうまとめて実現させるのか、期待してまっせ!

●8月30日(火)

        <民主党代表選挙一夜明けて> 

 民主党代表選挙の戦い済んで日が明けて、各紙朝刊京都版にはぼくのコメントが掲載されている。朝日新聞には写真付だ。早速、3人ほどの知人から新聞見たよ!と電話がある。前原議員が民主党の代表、即総理大臣になっていたら取材攻勢もたいへんやったやろうな、となんとなくほっとした。残念だけれど、ちょっとした安堵感。

 「どじょう」の野田新首相は松下政経塾の一期生で前原議員の先輩ということで、順番からしてまあそれでいいのではないかと思ったりして、まずは代表選挙に係わる前原議員の地元議員としての役割はひとまず幕が下りた。
 ともあれ、菅内閣が総辞職して、野田首相のもとで民主党はリセットして出直して欲しい。被災地の復興や原発事故の収束など課題が山積だ。ほんまにしっかりせえよ!

        <イエローカードはぼくらの旗印>

 閑話休題。午後久しぶりの読書。
 「イエローカードはぼくらの旗印」というタイトルで、電動車いすサッカーチーム「SONIC」のメンバーの1人、雄也君を主人公にした児童書。(京都新聞出版センター刊・沢田俊子さん著)。雄也君はぼくの地元で母校の第四錦林小学校に転入してきて近衛中学校で学んだ。彼の仲間の拓馬君は、ボーイスカウト24団のメンバー。
 京都の障害者スポーツセンターでの練習や試合にもぼくは応援に何回か行ったこともある。彼の生い立ちと「SONIC」の仲間たちのことが活き活きと描かれた秀作。
 吉田のまちのバリアフリー度を6年生の時に点検した感想も載っている。「バリアフリーのまちどころかバリアアリーのまちだった」と。なんとかしないかんな。ぼくの仕事や。みなさん、ぜひご一読ください。

 夕方、久しぶりに吉田デンタルクリニックへ。奥歯に被せ物をすることにしようと吉田先生。
 夜、某組合の親睦会のことで打ち合わせで「ホテル平安の森」へ。いつもお世話になっている担当者と色々と交渉。よろしくね。

民主党代表選挙  8月28・29日

2011年09月04日 | 日記
●8月29日(月)

     <民主党代表選挙>

 10時過ぎに前原事務所に。後援会の各会長と2区の府市会議員がテレビ中継を見ながら待機する。11時過ぎから候補者の演説が始った。
 トップは前原議員。献金問題についてのお詫びから始めざるを得ないのが、ちょっと辛いところや。馬渕議員は、とある研修会で講演を聞いたことがあるが、演説はそれなりに上手だと思うが、なんで田中角栄なんやね。海江田議員は、涙を流せばよかったのに。野田議員の「どじょうは金魚のまねができない、どじょうはどじょうの持ち味があり、泥臭く政治を云々」には、脱帽!かつて前原議員が菅さんと代表選挙のとき、自分の生い立ちを語って、国会議員の気持ちが動いたという逸話があるが、今回はノー原稿で喋った野田さんにやられましたな。

 海江田143票、野田102票、前原74票、鹿野52票、馬渕24票。ちょっと差がついた。一回目の開票結果で待機していた後援会のメンバーはがっくり。某後援会会長、「選挙で初めて負けたよ!」とテーブルに顔を伏せたのが印象的。決戦投票の開票を待たずに、後援会のメンバーは気落ちして事務所の裏口から退出。
 朝から待機していた某テレビ局の中継車も外を見たら引き上げていた。決戦投票になって、野田さんが逆転。なんと215票で海江田177票を圧倒。政権交代以降3人目の代表・首相に決まった。

 昼前から待機していた新聞記者にコメントをするべく、ぼくが地元議員を代表して記者会見。世論調査では、前原議員がダントツで支持率が高く、京都から首相誕生を期待していたが、それが反映されなかった。献金問題が尾を引いて、野党の追及されたくないという心理があったではないか。残念。これからも内閣なり党なりの要職についたら頑張って欲しい、などと喋った。暫くして奥さんの愛里さんから電話。「また陽が昇るときがくるよ!」とぼくはひとこと激励。

 4時前、岩倉南小学校の新築なった児童館に。2時から開所式が行われていたのだが、遅れてご挨拶に。金嶺会という社会福祉法人が指定管理者となった運営される。区画整理も終わり新築の家も多く建って児童数が急激に増えた。ようやく地元の要望が実現した。
 夜は、俳優の伊吹吾郎さんが来ているということで、とんかつの「羅生門」に呼ばれる。水戸黄門の撮影のエピソードやぼくは見たことがないがNHKの「すイエんサー」やまたギターの話で他のお客さんとも盛り上がる。気さくな人だった。
   
●8月28日(日)

 昨夜の市政懇談会が終わってぐったり。この夏は節電して冷房もせずに扇風機だけで寝ていたこともあり、ちょっと夏バテかな。午後2時過ぎまで爆睡。

 実は、札幌で政令指定都市政策協議会の役員会が札幌であったので、当初は行く予定をして飛行機のチケットまで予約していたが、代表選挙の絡みでキャンセルした。

 民主党の代表選挙は、結局のところ前原、海江田、野田、馬渕、鹿野の5氏が立候補した。小沢・鳩山グループに押された海江田氏が本命視されているが、テレビ報道によるとわが前原総支部長は野田さんにちょっと負けているのかな。決選投票になったら一発逆転もありそう。

 午後遅く、某週刊誌記者が前原議員のエピソードなど聞きたいと取材に来る。週刊誌は面白おかしく書くことが多いので慎重に言葉を選びながら、出会いから地元でのこの間の活動について話す。地域の消防団や運動会回りなど、こまめな地道な活動を続けて来ていることなど紹介。

 また前原事務所所長と前原後援会の幹事長らと、明日の投票日をどう迎えるかなど相談。京都から総理大臣が誕生することを期待しつつ、前原事務所で粛々とその時を待とうということになった。2区の府市会議員にその旨を連絡。バタバタする。

 それにしても国会議員だけで決めるわけで、我々は投票も具体的な応援も何もできないのが残念だ。

議員活動25年 夏の市政懇談会 8月25日ー27日

2011年09月01日 | 日記
●8月27日(土)

    <議員活動25年目 夏の市政懇談会> 

「鈴木マサホを京都の未来を語ろう!議員活動25年目夏の市政懇談会」の日。スケジュールや座席表の点検をして3時過ぎにウエスティン都ホテルは瑞穂の間に。わが後援会のスタッフがテキパキと受付。およそ300人の方にご参加いただく。

 5時開会。冒頭は柿阪正夫後援会会長の挨拶でスタート。司会はいつものように文字裕子さん。来賓で公務多忙なか、山田啓二知事がトップバターでご挨拶いただき、門川大作市長に山岡景一郎平安女学院学長にもご挨拶いただく。

 そしてパワーポイントのスライドショーでぼくが髭をはやして最初の選挙に出た時の写真や本会議場での若々しいときの写真、「同和行政と制度疲労」と題して藤田敬一さんと対談した時や「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」などわが25年を振り返り、またこの春の選挙運動の様子や剣鉾や祭りの写真も入れ、この7月に開催した「脱原発社会を考える集い」の光景を写してぼくの想いを語った。

 鏡割りもして乾杯は今枝徳蔵団長。豊田府会議員、島内研府会議員、松下真蔵議員のスピーチも。ぼくは各テーブルを回って懇談。オールデイズのバンド「サーフシティ」の演奏も。ゲストの測量士の米谷さんも元気よく盛り上げてくれました。サンキュー。

 思えば遠くまで来たものです。30歳の時に初挑戦をして、38歳で3度目の正直で初当選。市民派議員としてデビューして、今年で7期25年目。社会党時代には除名、復党を経験。社民党から民主党になって12年かな。副議長になって有頂天になっていたら38票差で次点、奇跡の繰上げ当選したのが4年前。いやはや波乱万丈です。

 京都市政に対してぼくが提言してきたこと、変えてきたことをいまいちど点検しながら、7期目も元気で活動したいと決意しています。歩けなくなる。喋れなくなる。人の話が聴けなくなる。自転車に乗れなくなる。そうなったら潮時かな。62歳。まだまだ元気です。もうひとふんばりしますよ!
 みなさんありがとう。これからもよろしく!

 閑話休題。この間、色々と相談に乗っていた神楽坂近くの「タコのケンタロー」の店主らが主宰した夜店は大盛況とのことでした。来年はぼくももっと手伝うよ!

●8月26日(金)

      <雲ヶ畑路線バスの存続を!>

 11時には市役所へ。雲ヶ畑は志明院の田中真澄住職と雲ヶ畑自治連の波多野会長、そして石田紀郎市民環境研究所長の3人が京都バスの雲ヶ畑路線のバスの存続を願う4千人余の署名用紙を持参されて、水田交通政策監ら担当者と懇談。

 来年の4月に路線バスが廃止される予定になっているが、この間、地元との協議も行われてきているが、何しろ乗客数ががた減り。赤字路線で、先行きは不透明。ぼくも高校時代は山岳部でこのバスに乗って北山を歩いた。福祉の視点からもなんらかの方法で足を確保することが必要だと思う。

 午後は、ひたすら明日の市政懇談会参加者の名簿の点検とテーブル席を決める作業。
 
      <菅首相退陣、民主党代表選挙へ> 

 ニュースは、菅首相ついに退陣表明。よう粘らはりましたなあ。そして3日間での民主党代表選挙の始まり。世論調査では前原議員がダントツだが、海江田議員が小沢・鳩山グループの支援を得て本命か。民主党の国会議員たちが右往左往している様がテレビに映しだされるが、われわれ党員、サポーター、自治体議員にも投票権を与えよ!と声を大にして言いたい!

●8月25日(木)

      <前原議員、代表選挙に出馬>

 ぼくが幹事長を務めるわが民主党2区総支部長の前原議員が出馬表明をしたことで、各新聞記者から電話が次から次へとかかって来る。

 27日のぼくの議員活動25年夏の市政懇談会のテーブル表を作らないと行けないし、ゲストに前原議員を予定していたので、ビデオレターでもいいからメッセージがもらえないかと東京事務所に連絡をしたりでテンヤワンヤ。

 1年前は小沢・菅両氏の代表選挙を巡ってバタバタしていたし、その1年前は政権交代を賭けた衆議院選挙の終盤戦だった。

 とある新聞記者が事務所に。前原議員が代表に選出されることを見越しての取材を受ける。人柄やエピソード、奥さんの愛里さんのこと。

 振り返れば、ぼくが2期目の当選を果たした1991年に、28歳のときに無所属で府会議員に初当選。ぼくは当時社会党だったが、彼が日本新党から中選挙区で初当選したときから彼の選挙を応援してきている。出会って20年か。

 新京極のうなぎやでうなぎを食べたのを思い出し、2年前の京都会館での集会で、偽メール事件の永田議員の墓参にいったときの話をして涙目になったときのことなど話す。京都から首相が誕生すればすごいことだが、期待と不安が混じる。夜遅くまでかかってテーブル席をほぼ決める。