明けましておめでとうございます。
安心・安全で希望の年になりますように!
●12月31日(土)
<2011年回顧>
去年は雪でたいへんだったが今年は穏やかな大晦日。昼から、吉田神社境内で大祓式。祝詞を詠いながらこの1年を振り返った。
2011年は、わが62年の生涯では、日本にとって、とてつもなく、たいへんな年だった。3・11の東日本大震災と原発事故。2万人を越える犠牲者に対して心より御冥福をお祈りしたい。
そして原発事故で避難している人々や今も仮設住宅に住むなど、そのご苦労にお見舞いを申し上げたい。ぼくは、東北地方を2回訪問したが、その惨状を風化させることなく、記憶にとどめなければならないと思う。そして何よりも脱原発依存社会を目指さなければならないと確信している。
そして民主党政権の迷走は腹立たしい。前原議員の外務大臣辞任も衝撃だったが、どじょうの野田政権に期待したもののスカッとしない。来年は解散総選挙になるのだろう。関西では大阪維新の会が旋風を巻き起こして、政界の台風の目になりそうだ。
ぼくにとっては、なんと言っても震災の自粛ムードと民主党への逆風下であったが、多くの支援者に支えられて5115票を得て7期目の当選を果たせたことは大きな喜びであった。また、国民文化祭で第四錦林小学校の児童の子ども剣鉾と一緒にオープニングパレードで御池通を巡幸できたこともうれしいことだった。
年が明ければ、京都は市長選挙だ。現職の門川市長再選に向けて頑張らなくっちゃ!そして1月13日が誕生日だが、63歳になる。体を鍛える年にしようと思う。そして何よりも安全・安心で希望のある年になることを祈りたい。みなさん、来年もよろしく!
●12月30日(金)
<髭を剃るべきか、これが問題だ!>
昼過ぎ、理髪店は行きつけの「ひげ床」へ。9月から伸ばし始めた髭をそるか、どうするか、これが悩みの種。クリスマスまでは伸ばします、と公言してきたが、ここは潮時か、と思いつつ、しばらくは、アゴ髭は剃って鼻の下だけは生やして様子を見ることにしよう。
隣に座って一緒に散髪した人は友人の板金屋さんの西嶋さん。石巻へ被災者の仮設住宅の改修の応援に10日間ほど行ってきたという話。ご苦労様です。いつのように散髪の後は、肩を揉んでもらって楽になったよ。ありがとう。
夕方、松ヶ崎の鶴山さん宅で恒例の経糸の会の忘年会。つき立ての餅を頂いて障がい者福祉について四方山話。酒を飲まずに事務所に戻って朝方まで「こぺる」の原稿書き。編集者の藤田敬一さんに、原稿を書く約束してしまったと多少後悔しながら、パソコンに向かう。なんとか草稿ができた。後は、肉付けをして正月明けにでも仕上げよう。
●12月29日(木)
<こぺるの原稿書きで四苦八苦>
事務所にこもって「こぺる」の原稿書き。同和行政を巡ってぼくが本会議で質疑して議事録や「京都市同和問題懇談会」の「意見具申」や「同和行政終結後の行政のあり方総点検委員会」の「報告書」を読み返しながら、ワードで打ち込み。
来客は、解放同盟京都市協の宮崎議長。暫し解放運動の諸問題について議論。解放センターの垂れ幕が取り外されたことやコミュニティーセンターが廃止されて指定管理者による運営になったことや、地域のまちづくりのことなどについて意見交換。彼とも長い付き合いになったなあ。
夜は、銀閣寺は市会議員の大先輩の故上倉哲郎さんのお孫さんの居酒屋「すいれん」で、選挙を手伝ってくれたウグイス嬢に、選挙スタッフだった友人の子息との見合い話が持ち上がって、釣書を渡して、一献傾けなる。
何回も選挙をしているとぼくの選挙で出会い結婚したカップルが数組あるよ。縁結びになれたらええなあ。
●12月28日(水)
昼、体操着のリサイクル運動に取組んでいる岡部達平君来所。児童文学の作家、今関信子さんが、岡部君が取組んでいる様々な環境教育のことを単行本にする準備をされてきたがいよいよ出版の運びになりそう。いい話やね。
岡部君はこの春の選挙ポスターのデザイナーでもあり、鴨沂高校の後輩の好青年。感謝。
夕方は、わが事務所でわが後援会の主だったメンバーに集まってもらって感謝の会。ビールでささやかに乾杯。そして年明けから始まる市長選挙の日程などを説明、また2月19日<土>には早春市政懇談会を開催することなど打ち合わせも。この1年、多くの友人らに支えられて7期目の当選を果たすことができた。感謝、感謝です。