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元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

教育福祉委員会で他都市調査 8月21日ー24日

2011年08月28日 | 日記
●8月24日(水)

      <さいたま市の子ども医療費>

 浦和は緑豊かなまちの印象。昔、議員をしていた小沢遼子さんは今どうしているんやろう?とふと思いながら。さいたま市役所へ。さいたま市は大宮市や浦和市が合併して平成13年に誕生、15年に政令指定都市になった。

 冒頭に副議長がご挨拶いただく。子育て支援策としての子どもの医療費に関する施策について担当者から説明を受ける。さいたま市では、中学校卒業までの乳幼児、児童については、通院、入院費の全額を助成しているのだ。21年度決算では160万件でおよそ28億円の支出。京都ではとてもできることではないな。委員と担当者との質疑がイマイチ噛みあわなかったのがちょっと残念でした。

 さいたま市議会の本会議場も見学。市長以下、理事者が正面に座り、議員の各席にはマイクも付いていて、京都市会の本会議場とは大違い。本来は、さいたま市議会のようにあるべきなのだが、いますぐ改善はできないよな。

      <横浜市の学校給食について>

 昼前、浦和駅から京浜東北線でおよそ70分、横浜市役所へ。節電の影響で館内は薄暗く、昼休みは午後1時から2時までとのこと。民主党の議員団室に顔を出して政令指定都市政策協議会に来てくれたメンバーに挨拶。

 2時30分から、学校給食調理民間委託について教育委員会からの担当者から説明を受ける。中田市長の時、横浜は効率化を求めて行政の多くの分野で民間委託を進めてきた。
 学校給食もそのひとつで、平成15年から試行。22年度では354校のうち、125校が委託化されている。子どもたちに安全安心な給食を提供するために、効率化ばかりを優先して民間委託を進めるのはどうかとぼくは考えているが、横浜では定着してきているもの事実。
 学校栄養職員の役割りや学校と教育委員会の責任や問題が起きた時の対処など課題は大きい。また委託業者の水準のことなど心配事だね。4時前には質疑も終わったので、ぼくはひとり新横浜から帰京。

 夜は、前原議員の代表選挙出馬を受けて、ぼくは、二区総支部長の幹事長ということもあり、各新聞社からも電話での問い合わせも多く前原事務所の斎藤所長と対策を練る。29日の月曜日が代表選挙になるのだが、さてどうなるかな?

●8月23日(火)

   <教育福祉委員会で他都市調査・名古屋科学館> 

 教育福祉委員会の他都市行政調査で、高橋委員長他12名の委員が呉越同舟、まずは名古屋市科学館へ。
 築60年の建物を改築、今年3月に新館開館をした。夏休み中でもあり子供たちで大盛況。目玉は、なんといっても世界最大といわれるプラネタリウム。球状の外観の大きさに驚いた。担当者から説明を受けて質疑の後、プラネタリウム内に。ゆったりした座席で夜空を見上げる。名古屋で見れる夏の星座について丁寧な説明が館内に流れ、また惑星の動きなど大人が見ても楽しくて科学的な心が養われるひととき。
 ブラザー工業がネーミングライツとして年間3650万円で契約している。年間の100万にの来場者を予定しているが、理工館や生命館があり、水や竜巻、放電や極寒などのラボもあり子供たちに科学の楽しさを知る場所だ。京都の青少年科学センターは財政厳しいなかで色々と工夫されているが、ちょっと負けそう。

 3時過ぎの新幹線で東京へ。JR京浜東北で浦和市へ。随行の部長らも一緒に夕食。日頃は委員会で丁々発止をする他会派の委員と食事しながら懇談するのもたまにはいい。若い議員に講釈もしたりして遅くまで付き合った。最後は関東名物ホッピーで一献。

 で、前原誠司議員が民主党代表選挙に出馬表明ということで夜のニュースを期待していたら、島田紳介引退記者会見が大ニュースでびっくり。なんや突然!ナニワ突撃隊で若いタレントが活躍する「クイズ!紳介くん」でのトークは楽しかったが、暴力団がらみでの引退か。

●8月22日(月)

 午前中、新たに農業法人を立ち上げて就農をしようと計画している農業塾のメンバーと一緒に京都市農業委員会に。過日も相談に行っているが、その後の経過報告など。

      <心の家族 故郷の家>

 昼は、社会福祉法人「心の家族・故郷の家」の田内(尹)基理事長と久しぶりに会食。出会って6年ぐらい経過するのかな。東九条に「故郷の家」がオープンして3年かな。韓国で孤児たちを育てたお母さんの田内千鶴子さんの生誕100周年がもうすぐとかで、国連で「世界孤児の日」を制定する運動とか、また留学生会館の建設の夢を語られる。長年、社会福祉と日本と韓国の架け橋としてエネルギーを費やされてきた。そのバイタリティーに敬服する。韓国や日本の政治情勢についても色々と懇談。

 夕方の来客は、とあるマンション管理組合のメンバー。バス停設置や緑地帯のことで相談に。京都市の担当局の考え方などを伝えて、少し時間を置くことを提案。
 夜は、ビープロジェクトの高橋美充さんに来てもらってパワーポイントでの「25年の軌跡」作成の手伝いをお願いする。 

●8月21日(日)

      <下大路町の地蔵盆>

 朝方、猛烈な雨。今日はわが自宅のある下大路町東部の地蔵盆。9時過ぎ雨も止んで陽が差して暑い。
 近くの善正寺のご住職が念仏をあげに来られる。畏まって子供たちは日蓮宗のお経を聞いている。幼児にとってお経を聞く機会がほとんどないと思うが、地蔵盆は仏法に接する数少ない機会かな。
 その後は、輪投げやゲーム大会で、今年の当番のお母さんたちはたいへんだけれど子供たちも多くなって活気があって楽しそうでした。

       <バレエ「白雪姫」>

 午後は、京都会館で京都市・キエフ姉妹都市40周年記念のバレエ。キエフバレエ団と寺田バレエアートスクールなど京都バレエシアターのダンサーによる「白雪姫」。
 長年キエフとの交流に尽くされてきた高尾美智子さんが総芸術監督で、子息の寺田宜弘さんやウクライナの若きダンサーが舞台で躍動する。子供たちにも好きな「白雪姫」で7人の小人たちの踊りも楽しい。アンコールのコッサクの踊りも素晴らしかった。
 この8月末には京都市長らはクロアチアのザグレブとキエフに姉妹都市30周年と40周年で訪問するとのこと。

 夕方は、事務所で「議会活動25年記念の夏の市政懇談会」でパワーポイントを使ってスライドを見せようと思っているので写真の整理。髭をはやした時の写真や髪がふさふさの若かりし頃の写真がたくさん出てきたよ。

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市会改革推進委員会など  8月17日ー20日

2011年08月21日 | 日記
●8月20日(土)

        <地蔵盆>

 京都の夏の終わりを告げる行事、子どもたちが楽しみにしている地蔵盆。
 わが事務所では、中大路町西部の地蔵盆を昨年から開催している。
 朝、テントを立てて、近くの稲田さん宅から「野守地蔵」を運ぶ。ちょっとしたいわれのある地蔵さんで、実は石の地蔵さんではなくて、鏡と大木の枝がお守りになっている。聖護院の梅瑞庵の尼僧がお参りに。稲田さんが地蔵さん謂れを語っていただく。

 今年は、子どもたちにコーヒーカップに絵付けをするのと、近くの井上夫妻「あじまー」による沖縄民謡のライブ。地蔵盆の実行委員長として活躍もしてくれた井上君は、家で沖縄の三線(さんしん)の音を響かせていたのでぜひ唄って欲しかった。「新安里屋ユンタ」や「十九の春」など島唄を見事に歌ってくれて子どもも大人も大喜びでした。
 3時ごろには雨が降り始めたが、事務所の中で雨にも濡れずに、無事に終わった。

 跡形付けをしてから、自宅のある吉田下大路町東部の地蔵盆テント建ての手伝いに。我が家の隣のガレージが今年の場所。新築の家がこの2、3年に立ち若い夫婦が引っ越してきて子どもたちも多くなった。地蔵盆は、ご近所の人との親睦の時でもある。酎ハイを飲みながらワイワイ。

●8月19日(金)

 27日に予定している夏の市政懇談会参加者名簿の作成やなんやかんやでの雑務。相談ごと来客もあり。

 過日お邪魔した北山通にある焼肉南山では、肉牛の放牧のことで色々と夢をお聞きする。北山は大見地区のことなども話題に。実現できたらいいなあ。

 夕方は、わが後援会の中心メンバーと27日の市政懇談会の受付や進行について打ち合わせ。ぼくは議員活動25年間の軌跡と未来の京都を語りたいと思っている。ぜひご参加下さい。

         <民主党代表選挙はどなる?>  

 当日は前原誠司議員をゲストに招く予定だが、菅首相退陣が迫ってきて、民主党の代表選挙が本格化してきた。野田、鹿野、馬渕、海江田、樽床、小沢鋭氏らが手を上げかけていて、大連立や増税や小沢詣でなどが話題になっている。「帯に短したすきに流し」とかいう言葉があるが、ぼくは彼らには全然魅力を感じない。

 わが二区総支部長の前原議員は世論の支持率は最も高いものの、現在は白紙状態。「仲間と相談します」と16日にぼくと大文字山で会ったときの言葉だが、今や再び時の人に浮上した。代表選挙の日程にもよるが、来れないかもしれないな。

●8月18日(木)

 地域コミュニティウエッブサイトの立ち上げについてコムページの主宰者牧野君と懇談。昼は、京大のレストランで総長カレーを久しぶりに食す。大昔、この京大時計台にはゲバラの写真が貼られて、バリケードが築かれて、学生が立て篭もっていたのだよ、とウンチク。はるか40年前か。今では、京大キャンパスには立て看板も見当たらないな。

 午後、議員団室に。解放同盟京都市協議会の役員と議員団との懇談会。議長に宮崎氏が就任。新体制になった。この春にあった某中学校での自治連会長の「差別発言」についての経過報告と京都市の差別事象に係わる対応についてのガイドラインのこと、また奨学金返還請求のこと、またかつては隣保館と呼ばれていた施設は、コミュニティセンターと名前を変え市職員が引きあげて、この4月からは「いきいき市民活動センター」となって指定管理者が運営することになったが、その課題について懇談。

 ぼくが「同和行政と制度疲労」と題して、「こぺる」発行者の藤田敬一さんと公開対談をしたのは96年だったか。大正時代に宣言が成された京都会館別館には300人ほどの参加者があった。京都市政に大きな波紋を投げかけたのだ。
 あれから15年か。参加者の1人として彼が発言をしていたのをぼくは思い出しながら、意見交換。

 夕方は、わが議員団今枝団長の店、「ちゃんこ横綱」で過日の政令指定都市政策協議会の京都総会の反省会と暑気払いを兼ねての懇親会。まつたけを一杯食べて鱧しゃぶ鍋を堪能。来年2月の市長選挙のことも話題になった。さてどういう展開になるかな。


●8月17日(水)

 昨日は大文字の火床まで登ったので、ちょっと筋肉痛。昨夜の夜のニュースはどのテレビも大文字の送り火を流していた。

        <市会改革推進委員会>

 10時から市会改革推進委員会。過日の委員会で議論されたことについて各会派が改めてその態度について表明をする。交渉会派の基準は5人というのが自民、公明、民主の主張で、従って合意には達せず。
 本会議での代表質問については、5人に達しない会派にも議員の平等性・公平性ということも含めて認めることを合意したので、京都党の4人と無所属の2人も質問に立つことが可能になるが、持ち時間については、今後の課題。まあ一歩前進だね。
 個人質問のことについては、今回は見送り、議会基本条例の制定を考える中での懸案事項になった。本会議議事録の作成については、費用削減の視点でデジタル化しようという意見もあったが、これも先送り。活字派のぼくとしては、この議論には正直イマイチぼくは馴染めない。いつも自民党がトップにしている本会議での質問の順番は、もちろん自民が容認するわけがなく、現行のまま。すべての会派が賛成して合意に達するということは至難のこと。
 本命の議会基本条例については、共産党が積極的ではないが、前向きに検討する方向性は示された。議員定数の見直しについては国勢調査の確定値が決まってからの課題。まあぼちぼちですな。
  
 午後から夜にかけて遅くなったが、議員レポート夏号の最後の発送作業。 

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大文字の送り火  8月15・16日

2011年08月17日 | 日記
8月16日(火)

      <大文字の送り火> 大文字・五山の送り火の日。午後2時に銀閣寺は八神社へ。2年ぶりかな、ボーイスカウトのメンバーらと坂道をあえぎながら火床を目指す。いつものように前原議員や北岡府議も一緒。途中2回ほど休憩してようやく火床にたどり着く。風が気持ちいい。

 3時から1時間ほど一列に並んで大の字の火床に薪や護摩木、ポリタンクをバケツリレー方式で運ぶ作業。陸前高田の被災松のことを巡って二転三転したこともあってテレビクルーが全社揃っていたかな。作業の終わった後、前原議員は暫し記者と懇談。きっと代表選挙ことが話題であったのだろう。

 ボランティのメンバーが降りる時、地元の大文字保存会の子どもたちも一緒に各家族が点火の準備で登ってこられる。心中いささか複雑かな。フクシマ原発の放射能汚染のことも考えずに、被災松を大文字に持って来ようとした人たちのいささか軽率な善意が問題の始まりみたいだな。

 5時前には山を降りて浄楽消防分団の器具庫に激励に行って帰宅。

 一服して、毎日新聞京都支局での大文字を見る会に。この2、3年この会に出ている。午後8時に大文字が点火。如意ヶ岳の南のほうからお月さんも昇りはじめて幻想的な光景。「妙法」の「法」はビルに隠れて見えなかったが、「舟」も「左大文字」も、そして西の彼方に「鳥居」も垣間見ることができた。
 被災松では色々と物議をかもし出したが、鎮魂の炎が京都の夜空を焦がした。

 で、その会では、30年ほど前のぼくのことを知っている人に出会ってびっくり仰天。もちろん毎日新聞の先輩記者さんたちとも再会できてよかった。京都の夏ももうすぐ終わりを告げるなあ。


●8月15日(月)

      <終戦記念日>

 66回目の終戦記念日。不戦を誓う日。66年前も暑かったのだろう。戦後と東北大震災後の復興を比べる論調が目立つ。

 昼過ぎ、京都会館での韓国民団京都府本部主催の光復節の記念行事に。韓国にとっては日本の植民地支配下から解放された日。これから日韓新時代を若者たちで築いて欲しいと思う。

      <北沢恒彦とは何者だったか>

 ところで、戦後1949年昭和24年生まれのぼくにとってはベトナム戦争だった。過日、吉田泉殿町を議員レポート配布している時、北沢恒彦さんの娘、街子さんに会って「北沢恒彦とは何者だったか?」(編集グループSURE)を手に入れていたので読む。
 北沢さんは、ベ平連や家の会で繫がっていた人で、ぼくの師匠の1人。子息の黒川創の書いた年譜にぼくの名前も出てくる。
 「1968年7月、反戦と変革に関する国際会議の事務局と受け持ち、鈴木正穂・井上美奈子らと京大病院おおぎや旅館を借りて準備に入る」。
 
 19歳のこの夏の日々が、ぼくが、その後のベトナム反戦運動にのめり込む転機となったのだ。いわばぼくの原点になった夏。その後、「思想の科学」「反戦喫茶ほびっと」「ほんやら洞」、「山脈の会」などで交叉しながら同時代を過ごしてきた。北沢さんは、長年京都市役所職員として中小企業診断士として商店街を歩いてはレポートも出していた。晩年、東一条のクラークハウスでモーニングセットを取りながら四方山話も。

 1999年11月23日自死。前日、ぼくは百万遍の事務所近くで奥さんと歩いているところで出会ったのも別れを暗示していたのか。享年65歳。もう12年前のこと。

 不戦の日にぼくは、また原点に立ち戻って考えたいと思っている。

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お盆休み  8月12日ー14日

2011年08月15日 | 日記
●8月14日(日)

今日も暑いよ。メゲズニ、昼前から聖護院、岡崎、新洞など議員レポートの配布。自転車に乗ってポストマン。熱中症にならないように水気を十分にとる。喫茶店でビールでも飲みたいところだが、休みのところが多いので我慢。

 とあるところで、わが親戚の一家が食事の終わったところで出会ったのにはびっくり。何年ぶりだろうか!みなさんお元気で何よりです。夕方までかかってなんとか議員レポートの配布も終わりがけに二条公団横のたこ焼屋「親指小指」ではやっとビールを飲んで喉を潤す。とある人からは、青少年科学センターの充実、改築の要望も聞いた。

 夕方は、親父とお袋を訪ねて嵯峨の某高齢者マンションに。92歳になる親父は、よう来てくれたな、と言ってくれたものの直ぐにぼくの名前を言えなかったが、暫し時間が経って正穂やな、とニコニコ。まずは一安心。難聴気味のお袋は84歳。先日、道路を横断する時に転んだとかだが、たいしたこともなくよかった。

 閑話休題。その二。深夜テレビでプロレスチャンネル「サムライ」が無料放送をしているので、GIクライマックスやノアを見るのが楽しみ。京都は山城高校出身の天山広吉もカムバックしたし、福知山出身のノアの小橋健太も不死身のようでまたカムバックした。GIクライマックスで優勝したの中邑真輔は確か峰山出身で、ぼくが結婚式にも出席した中西学選手は負傷欠場中だったが宇治高校だったかな。ぼくはプロレスの味方です。

●8月13日(土)

 お盆休みだというのに、朝から議員レポートの発送作業。ぼくは、暑い中、熱中症になるのをおそれながらも地元吉田から配布に歩く。

 民主党はどうなりまね。菅首相も退陣表明を正式にされたようで、前原議員は代表選挙に出馬しやはるのですか?と会う人ごとに尋ねられる。いや、どうなるのでしょうね。ぼくは慎重に構えて欲しいと思っていますが、と言葉を濁す。
 また大文字の被災地からの松のことも大いにまちの話題になっていて、セシウムが検出されたことで、今年の大文字は中止ですかと、聞く人もいて、これにもびっくり。

 地元を歩くと色んな要望も聞く。京都大学の石垣を角切りしてもらわないと自転車とぶつかりそうになるとのこと。京大にいちど話に行こう。同時に地元町内で要望書をまとめて欲しいことも付け加えた。
 暑さで頭がボーとしながら吉田のまちを自転車でウロウロ。

 閑話休題。その一。タイガースがヤクルトに接近中。ちょっと面白くなってきた。高校野球は真っ盛りだが、地元竜谷大平安も一回戦で負けて京都では盛り上がらず。

●8月12日(金)

 朝から、議員レポートの発送作業。午前中の来客は、エレベーターに閉じ込められたときに使う非常用グッズ「ヤナルボックス」を普及しようとがんばっている矢鳴さんと高間君らが来所。防災フェアを企画しようではないかと、話が盛り上がる。

 午後は、消防局へ行ってヤナルボックスのことや防災フェアのことについて、担当者と懇談。レスキュー隊の隊長さんからは、エレベーターで閉じ込められた人を救援するときの心構えや対処の仕方をお聞きする。

 夕方、隠塚議員の事務所で左京の共産党系の保育士労組役員さんらと懇談。政府が提案している「子ども・子育て新システム」案について、絶対反対だと三条京阪でマラソンスピーチをしたとか。いかに子どもたちの保育環境を守るのか、子育て世代を社会的に支援するのか、勉強しよう。
 夜は、市役所の友人らと懇談。色々とご苦労さん。

 ところで、車でニュースを聞いていると「大文字の送り火」の陸前高田の松のこと。新たに現地から取り寄せた松の表皮部分から1キロ当たり1130ベクレルの放射性セシウムが検出されため、送り火で燃やすことを断念すると発表した。市長は「断腸の思いだ。申し訳ない」と陳謝した。
 被災松問題は、当初の計画中止から受け入れへと揺れた末「使用断念」という結末となったのだ。燃やしたら健康への被害がどうなるのかぼくは知らないが、大文字保存会と門川市長を全国ニュースにしてしまった。原発事故の影響が、思わぬところで波及した。被災地への支援の人々の善意がかき消されたのは残念だ。

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暑い夏の日々。色々なことがあります。8月5日ー11日

2011年08月13日 | 日記
●8月11日(木)

 昨日、市民派議員レポート夏号の印刷が上がってきたので封筒詰めの作業が始まる。発送が予定より遅れているのだが、女性陣が頑張ってくれる。

 来客は、「体操服!いってらっしゃい、おかえりなさい」プロジェクトの岡部達平君。この間の経過や今後の課題を聞く。

 午後は、久しぶりに山科区選出の豊田貴志議員が来所。春の選挙の総括について色々と報告を聞く。菫(すみれ)ちゃんが誕生して一児のパパになった。おめでとう!子育てを経験することで親として彼も成長することだろう。未来のエース、しっかり頼むで!合間を縫って議員レポートの発送作業など。

 夕方は、焼肉店「新羅」で重点候補として推薦してくれた京都水道労組の松田委員長らとワイワイ。彼とは、「こぺる」を発行している藤田敬一さんが主宰していた問題全国交流会で20数年前からの付き合い。水道局職員の不祥事問題続発のころ彼は委員長になって組合員にも意識改革を進めてきたが、まだまだ課題はありそう。


 ところで大文字の送り火の松のことだが、新聞によれば全国から批判が相次いだために保存会の役員が謝罪し、新たに500本の松の薪が陸前高田から到着。「16日は立派に点火したい」と述べ、市内の検査機関に放射能検査を依頼した。結果は12日にも出る見込みで、13~15日に市役所前広場で市民や観光客に被災地への思いを書いてもらう。市長は「犠牲者を慰霊し、被災地を支援する取り組みを力強く進めたい」と話したと、新聞記事。テレビのニュースでも大きく取り上げられていた。


●8月10日(水)

      <自治体議員ファーラム世話人会>

 「くらし環境委員会」の開催日であったが、同僚の片桐議員に任して、10時過ぎの新幹線で東京は民主党本部へ。京都自治体議員ネットワークの代表幹事として、地方自治体議員フォーラム全国研修会の世話人会に参加。

 11月に予定されている研修会の開催について日程や講演テーマ、会の運営方法などについて議論。統一自治体選挙で惨敗したことや菅首相退陣問題、また子ども手当ての見直し問題など地方議員にはフラストレーションが溜まっているのだ。各都道府県から参加した議員がその心中を吐露。各ブロックで代表を決めて後日世話人会を開催して詰めることになるが、ぼくが近畿ブロックの代表世話人なった。

 散会後、新築なった衆議院議員会館に。山井事務所の近澤秘書と介護予防として公園の活用のことなど打ち合わせ、また前原議員の部屋では坂上秘書に日頃のお礼、また泉議員の部屋では委員会が終わったところで戻ってきたケンタ議員と被災地復興の話や大文字の松のことなど四方山話。

 8時過ぎには帰京して、鴨沂高校同窓会の会報編集委員会に出席。ゲラ刷りができたので校正。16ページ立ての充実した会報になる。スタッフと今後の日程など諸課題についても議論。

●8月9日(火)

 ナガサキから66年。わが長崎の被爆2世の友人、黒岩久雄君元気にしていますか?

 午前中、近所の方が土地家屋調査士と一緒に事務所に来所。近くの道路は私有道路になっていて、側溝を改修するについてどうすればいいのか、という相談。下水道局の担当者を紹介するが、私有道路ということで色々と難儀な問題がある。

 午後は、議員団室に。過日市政相談を受けていた、入札制度のこと、また道路に緑地帯を設置することについてそれぞれ担当者と懇談。

 議員団室のモニターテレビでは「くらし環境委員会」で大文字の送り火に陸前高田の松を使う計画があったが、放射性汚染のことを心配した市民からの抗議を受けて保存会が中止したこと、また中止に対して抗議が殺到していることなどが判明。責任の所在や検査のことなど、その問題についてやり取りが行われていた。ぼくは経過をよく知らないが、残念なことだ。

 夕方は、政令指定都市政策協議会の京都開催に尽力してくれた議員団のスタッフらと打ち上げ。

●8月8日(月)

       <未来づくり教育フォーラム>
 
 午前中、国際会館での「子どもを共に育む未来づくり教育フォーラム」に。特別講演に明治大学教授の斎藤孝さん。「教育力―家庭・学校・地域における人間関係を豊かにするには」と題されていたが、まずは立ち上がって肩甲骨を動かすことから始って、隣に座っている見知らぬ人とハイタッチをして会話をしたり、曰く「部活の乗り」で2千人の参加者が声を上げて白波五人男を朗読したりで、居眠りする暇もなかった。

 テレビによく出演されているとかで、ちょっとしたタレント以上の面白さ。この教育フォーラム、京都だけではなくて全国からの参加者で5千人の参加者とか。

 午後の分科会にも出たかったが、事務所に戻って夕方まで議員レポートの発想準備作業を黙々と。夕方は、1949年は1月が誕生日の3人が集まって市長選のことなどワイワイ。

●8月7日(日)

       <墓参り>

 このところ2週続きで日曜日に行事があったが、今日は行事もなし。午前中は爆睡。

 午後4時前に我が家から歩いて5分、岡崎東福の川町は浄土宗公安院に。金色の阿弥陀如来仏像の前でご住職に念仏を上げてもらう。朽ちかける寸前の明治以前の鈴木家の墓にカミサンと墓参。

 それから歩いて3分。吉田神葬墓地でわが祖父ら先祖の墓の墓参。京都のまちを望める絶好の景色。何年先か、ぼくの骨もここに埋葬されることになるのだ。日和さんの墓にもタバコと線香を。

 午後6時過ぎには市原野自治連合会会長の増田さんのお通夜。知人が立礼されているのでお聞きすると従弟とのとのこと。心より御冥福をお祈りいたします。

 その後、新装改築なった吉田神社参道の鳥居手前に大元講社の社務所にて今後の運営についての長老の方から若い世代に引き継ぐべく相談ごと。


●8月6日(土)

 今日はヒロシマから66年目。被爆2世のぼくも62歳になる。すこぶる元気だ。92歳になる親父もいまだ元気だが、フクシマ原発のことで放射能被爆のことを考える夏になるとは、心境は複雑だ。

 朝8時前、近所の近衛広場に。地域の吉田女性会の会長さんや寿会、ご近所のみなさん20人ほどで盆前恒例の草引き。京都市の街路樹里親制度に認定されていて、年3、4回みんなで草引き。およそ2時間、ボランティ袋に30個ほどの雑草が収集。いい汗を流した。

      <岡崎地域の都市計画の見直し説明会>

 10時過ぎ、自転車で国際交流会館に。都市計画局の岡崎活性化ビジョンの実現に向けた都市計画制限などの見直し素案についての説明会。担当者からパワーポイントを使っての説明。

 要は、岡崎地域の当面の課題である京都会館の再整備などに関して特別用途地地域を指定することで、高さ規制の緩和を図り、一方、景観保全の観点で特別修景地域として指定して、屋外広告物についても規制するなどの都市計画を見直しするということ。岡崎地域にホテルとか商業施設が建つとかデマ宣伝があったこともあり、またロームが京都会館の再整備でネーミングライツ(命名権)で出資することもあり、京都の景観政策にひとこと言いたい市民からいくつかの質問。

 何事であれ、説明は懇切丁寧にするべし。それが基本だ。オール京都市として、しっかり対応しないかんよ。

      <まつたけ十字軍>

 散会後、岩倉は長谷へ。わが友人のまつたけ博士吉村文彦さんが主宰している「まつたけ十字軍」の300回記念のお祝いの会。里山の復活を目指してこの運動が始ったのは7年ほど前か。60代を越えるメンバーが元気に活動をしていて里山復活に汗を流してきた。ぼくは年に一回ぐらいしか行かないが、手作りの料理をご馳走になる。いつもながら食べるだけ。美味しかった。

      <使い捨て時代を考える会>

 午後2時過ぎには、ひとまち交流館で、過日ぼくの主催した「脱原発を考える集い」で講演してくれた槌田劭さんが相談役の「使い捨て時代を考える会」主催の「簡素な暮らしでいのちを守ろう、脱原発シリーズ第4回<聴きたい・知りたい、しゃべりたい>の会」に参加。ぼくは30年ほど前、この使い捨て時代を考える会の会報の編集に参加したりもしていて、久しぶりに会うなつかしいメンバーも。

 5つほどのグループに分かれて自己紹介した後、原発問題について意見交換。食や農業、マスコミ報道、また人々のつながりをどうするかなど真剣に議論。子育て世代の女性陣が多かったかな。

 夕方は、事務所でわが町内、吉田中大路町西部の地蔵盆の準備のために打ち合わせ。8月20日(土)の朝のお地蔵さんの設置から始って、安寿さんにお参りに来てもらって、子どもたちが喜ぶゲームの景品買出しのことや高齢者に対する配慮など色々と担当の隣組のみなさんが集まって議論。京都の夏の風物である地蔵盆は、地域力の証。されど準備はたいへんだよ。

      <京の七夕>

 8時過ぎ二条城前に。去年から始った夏の新しい京都のイベント「京の七夕」に。堀川が水辺に親しむ遊歩道として行き来できるようになったのは3年ほど前か。夕暮れのせせらぎに友禅流しや笹に短冊を飾りつけた願い七夕や京都の各芸術大学学生の作品は、光の天の川は、まあ見どころか。一方通行の流れに身を任せながら二条前から一条戻り橋まで歩く。鴨川界隈でも色々と催しがあったが、たくさんの人で賑わったようだ。祇園祭と「五山の送り火」の間の京都の夏の行事として定着したようだ。発案した人、準備を進めたみなさん、ボランティアのみなさん、ご苦労さん。

●8月5日(金)

       <丸太町通の振動問題>

 朝10時前に市役所に。聖護院は円頓美町の町内会長さんらに同行して丸太町通の空洞調査と振動に関して、町内として署名活動を展開されていたので、建設局の道路管理の担当者に対して要望書を提出。市電の廃線敷地をそのままにしていることなども原因で大型車が通ると振動もするし、過去には道路が陥没したこともある。その改善について懇談。岡崎学区からも要望が出ていることもあって、年内には空洞調査を実施するという方向ということ。

 昼前、ちょっとサボっていたが久しぶりに吉田デンタルクリニックへ。ゴリゴリしてもらう。歯周病は糖尿病になるもとだと聞き、今後はちゃんと通おう。午後は、エレベーターに閉じ込められた際の非常用防災グッズ「ヤナルボックス」のことで高間君らが来所。防災フェアを屋外でしようかと盛り上がった。

 その後、議員レポート夏号の校了。夕方は比叡平の友人宅を訪問。とあるサロン的な会があるのを忘れていた、というかその会は、日曜日だと思い込んでいた、サボってゴメンね。手帳を朝、ちゃんと見てその日の行動をチェックしんといかんなあ。

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臨時市会 井上与一郎議員が議長に  8月1日ー4日

2011年08月07日 | 日記
●8月4日(木)

      <議員会 岡崎地域の都市計画見直しについて>

 朝9時30分から議員会。総合企画局から岡崎地域活性化ビジョンのこと、また都市計画局からは関連して都市計画制限等の見直し素案について説明がある。

 岡崎地域を文化交流ゾーンとして活性化を図ろうと検討がされてきた。ぼくも提言して実現に向けて期待しているのだが、都市計画局から事前に地元議員に説明が一切されていなくて、日頃は温厚なぼくも怒った!京都会館の再整備による高さ規制の課題など、たとえ良好な景観を守るという計画であっても、議員も含めて地元住民らに丁寧に説明しないかんやないか!ホテルがグランドにできるとデマ宣伝をしたり、京都会館の再整備については市長選挙の争点にしようと思っている連中もいそうだし、十分な説明と議論が必要だとぼくは思っている。

 ともあれ、8月22日までパブリックコメントを受付中。ご意見をお寄せ下さい。議員会では、市会改革委員会での議論の報告があり、かんかんガクガク。本会議における個人質問の時間を拡充すべきだというのがぼくの主張だが、イマイチ理解してもらえんよ。

 午後、議員団一行は動物園の視察に出向いたが、過日、斉藤尚さんの動物イラストの売店での販売をお願いしていたのでそのお礼にだけ出向く。ショップに並んでいたよ!早速買いました!

 その後、「タコとケンタロー」の店主と左京土木事務所に出向き、夜店の企画のことなど道路占用について協議。道路管理者としての考え方を聞く。

           <放牧畜産研究会>

 それから焼肉店「きたやま南山」での「人と牛とふる里を育てる放牧畜産研究会」に参加。過日、主催者の楠本さんから岩手県の肉牛出荷停止のことで連絡があり、福山哲郎官房副長官と電話でやり取りも過日した縁で案内をいただいた。今回の講師は、岡山県高梁市の市職員で高梁短角牛生産組合を設立した徳田匡彦さん。朴訥とした話しぶりで時には岡山弁を交えながら「耕作放棄地で育つ地備栄短角牛まもなく出荷!」と題して講演。いや、久しぶりに面白い話だった。京都は大見で展開できたらいいなあ。

 夜は、事務所でひたすら議員レポート発送の為の名簿チェックと最終校正。 
        
●8月3日(水)

 朝、聖護院の在住のイラストレーター斉藤尚さんがぼくの似顔を持ってきてくれる。自転車に乗っているところが可愛く描かれているよ。議員レポートに早速使うことにした。
 午前中は、準備を進めているコミュニティウエッブサイトの立ち上げで打ち合わせ。午後は、議員レポート夏号の校正。
 合間を縫って川端署に「タコとケンタロー」の店主と夜店のことで道路許可について懇談。
 夜は、とあるビアガーデンで選挙スタッフ有志と暑気払い。夜風が気持ちよかった。

●8月2日(火)

          <臨時市会 井上議員(自民)議長に就任>

 11時から、小林議長の辞任を受けて市会運営委員会。昨日、自民・民主・公明の理事と話し合いが持たれて自民党の井上与一郎団長が議長に正式に立候補。共産党は北山議員が立候補することが表明される。選挙にて決めることに。

 市会運営委員会は直ぐに終わって議員団会議。井上議員が議長に立候補されたことを報告。ところで、自民党の後任の団長はというとぼくの予想では、議長経験者だろうと思っていたが、なんと若手の津田大三議員。投票で決まったらしいが、ちょっとびっくり人事や。
 京都市会には、自民の井上議員本人と共産に井上けんじ議員、公明に井上教子議員の3人がいるので、「井上与一郎」と書かないといけないのだ。本会議前にはご本人が挨拶に。

 午後1時から会期は1日の臨時市会。
 冒頭は安井副議長が議長席に座って議事が始まる。小林議長の辞任が承認されて小林議員が一身上の都合で辞任したこと、ご迷惑をかけたと詫びて、今後は一議員として精進しますと退任の挨拶。安井副議長が恒例のはなむけの言葉。

 そして選挙。過日の投票の時、一枚多く配布されたということもあり、簡素化された投票用紙に書き込み、議長席の前の投票箱に1人づつ用紙を入れる。その結果、北山議員が15票。井上議員に52票。無効が2票。無効はどうやら無所属の二人かな。

 新議長就任の挨拶は、緊張しているのか、時にはメモを見ながらでタドタドシイ。16年ぶりの2度目の議長か。順送りで5期目の議員が順番で議長になるかと予想もしていたが、結果的には、温厚な井上議長就任は妥当かなとも思う。

 新議長の元で、くらし環境委員会で不採択になっていた「東部クリーンセンター余熱利用施設の存続について」の請願について、共産党の議員が討論に立った後、起立表決。賛成多数で不採択に。わずか30分ほどで本会議は閉会。

 午後、左京区役所にて税の滞納による差し押さえのことについて担当者と懇談。まあ色々なことで市民から調査を頼まれることがあるのです。

           <今枝議員のビアーパーティ>

 夕方は、京都タワーホテルで毎年恒例の今枝徳蔵議員のビールパーティ「徳ちゃんと乾杯」。今年も4夜連続で大盛況。会社の納涼会を兼ねてのグループも。中央市場の関係者も多く、ぼくは当選する前に中央市場で丁稚車を引いて4年間働いていたので当時を知っている市場の関係者に久しぶりに挨拶。今では当時の売り上げの半分ぐらいかな。


●8月1日(月)

 今日から8月。先週は、政令指定都市政策協議会、自治体議員ネットワーク、そして「市政懇談会・脱原発を考える集い」と続いたので、ちょっとバテ気味。昼は、とある会社の今後のことで相談ごと。技術革新と新しい商品の開発と営業を怠ると先はしんどいな。午後から夕方にかけて事務所で議員レポート夏号の原稿書き、資料の整理やひとくち日記書き。

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脱原発社会を考える集い 7月27日ー31日

2011年08月01日 | 日記
●7月31日(日)

      <花背で「ふるさと森都市フェスティバル」>

 朝、吉田は今宮社にて祭具の虫干し。秋の祭りの準備が始まった。

 ぼくは、朝8時半、ボロ宣伝カーで一路鞍馬街道から杉木立の酷道477号を花背峠を越えておよそ1時間のドライブ、恒例の「山村都市交流の森」での「ふるさと森都市フェスティバル」に。今年は門川市長も参加。さすが着物ではなかった。

 開会式の後、花背の小中学生による金管バンドの演奏でオープニング。今年はそれほど暑くもなく好天で例年より人が多いかな。久多、広河原、百井、花背の人達が、猪肉カレーや鹿肉丼、野菜などの特産品のコーナーと河原では魚つかみ大会、木工コーナーなど多彩な催し。
 森愛館と呼ばれるドーム状の会場では、山味一体品評会で、地域のお母さんたちによる手作りの山椒や蕗の炊いたものとか、紫蘇ジュースとか岩魚、鯖、鹿の燻製や栃餅などお菓子など70品目ほどの品評会ということで試食。どれも美味しかった。お腹が一杯になった。いつもは、広河原や久多を回って帰るのだが、再び花背峠を越えて一路事務所に戻ったのは2時前。

          <鈴木マサホ市政懇談会>

    「脱原発社会を考える集いー私たちは原発と共存できるか!」

 4時からアピカルイン京都で、「脱原発社会を考える集いー私たちは原発と共存できるか!」と題して市民環境研究所の共催で、鈴木マサホ市政懇談会を開催。メールやビラ、葉書を見てきていただいた方、80人でほぼ会場は埋まった。関心が高いのだな。

 冒頭、ぼくが20分ほど、1986年チェルノブイリ事故のあと、1期目のとき、88年(昭和63年)7月の本会議で原発問題について質疑したこと、被爆2世であること、「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を15年間槌田劭さんと一緒に歩いてきたこと、最初の当選した選挙の参謀が石田紀郎さんだったこと、教育福祉委員会での京都市の放射能検査についてのやり取りのことなどをスピーチ。

      <文明社会のゆくえと私たちの暮らし>

 そしてマイクを石田さんに渡して、槌田さんが「文明社会のゆくえと私たちの暮らし」と題して講演。彼の講演を聞くのは久しぶり。4月半ばに菅首相に幼児、妊婦の疎開や学校敷地などの駆除について原発事故と今後を憂うるサイエンティスト有志として提言したこと、伊方原発裁判のときのことから始まって、文明論や有機農業の思想、また互助、協同して、いかに我々は生きるのか、ということも含めて、熱弁を振るってもらった。
 
 ぼくには「共生・共貧」という4文字熟語が目新しかった。会場からは茨城県は東海村近くに住んでいた女性や「もんじゅ」の事故を心配する女性からの発言も。そして最後のまとめとして、ぼくは9月市会で原発問題について質疑することなどを表明して、原発問題についての第一回の集いは無事に終わった。またやりますよ!
 
      <夏まつりーーー> 
 
  その後、槌田、石田両氏を囲んでわがスタッフと労ったあと、山端の夏まつりにご挨拶に。雨の降った後でぬかるんでいた。まさに地元ということで前原議員も久しぶりにリラックスした表情で子どもたちを握手。

 その後、吉田剣鉾保存会の直会に。高校生たちも大人に交じってジュースで乾杯。国民文化祭のパレードを歩くことになったので意気軒昂。秋に向けてもっともっと練習をしないといけないな。

●7月30日(土)

 午前中、明日の鈴木マサホ市政懇談会「脱原発を考える集い」の資料作り。さて何人の方に参加してもらえるかな。資料は12ページになった。午後は、社団法人京都鴨沂会の理事会。公益法人になる手続きなどについて報告。

       <吉田区民夏まつりー剣鉾を差す>

 4時過ぎには、第31回吉田区民夏まつりの会場のわが母校、第四錦林小学校に。地元各種団体が模擬店を出し、PTAの人たちが子どもたちの遊びのコーナーなど。お化け屋敷が賑わっていた。また近衛中学校や精華女子高校の吹奏楽部など盛りだくさん。

 ぼくは吉田剣鉾保存会の一員として、草鞋をはいてハッピに着替えて、グランドで剣鉾を差す。足がもつれてヨタヨタやな。子どもたちの剣鉾は素晴らしい。この10月29日には国民文化祭のオープニングパレードで先頭を歩くということで、京都府の担当者が見学に。また校長先生らと打ち合わせも。
 
        <前原後援会「誠会」>

 午後7時からは、前原誠司後援会「誠会」の研修会。前原議員は、「日本の成長戦略と外交・安全保障」とパワーポイント使って講演。過日の政令指定都市政策協議会での研修会と同じ内容だったので、ぼくはウツラウツラ。政局や代表選挙のことについての裏話などがあるかな、と思っていたら、一切触れることなく淡々と講演。
 2区総支部の各議員も参加して壇上で挨拶もする。9時過ぎまで各テーブルでは仲の良い前原議員夫妻を囲んで記念写真の撮影など和気あいあいと懇親会。

●7月29日(金)

         <さてどうなる議長人事>

 10時から議員会。理事から小林議長の辞任表明を受けて、自民党の動きの説明などをしているところへ、小林議長本人がしょんぼりした顔で、自民党の理事と共にお詫びの挨拶に。当分の間まあ謹慎だな。

 で、自民党は議員団会議を3日連続で開催したらしいが、現自民党団長の井上与一郎議員が後任に浮上したという。彼が議長をしていたのは、20年ほど前かな。返り咲きというか2度目の議長の椅子に座ることになるのか。公明党の出方もどうなるかわからんが、さてどうなるのか。

 また議員会では、この間の常任委員会での審議の報告や普通予算決算特別委員会の総括質疑を本会議か消防指令センターの会議室で行うべきかどうか、なども協議する。

         <京都自治体議員ネットワーク>

 午後5時前にリーガロイヤルホテルに。京都自治体議員ネットワークの研修会と総会と懇親会。ぼくが事務局長ということで民主党府連のスタッフと準備をしてきた。

 研修会では、同志社大学政策学部・総合政策科学研究科の山谷清志教授に「自治体評価の現状と議会―政策評価、行政評価、事業仕分け」と題して、何を、誰が、なぜ、なんのために、政策評価をするのか、行政評価の意義や課題、またアカウンタービリティの重要性など40人の自治体議員に講演していただいた。感謝。

 総会では、ぼくが事務局長として活動報告や活動方針について提案。国会議員と自治体議員が政策協議をできる場の設置を目標にしたい。そして代表幹事だった田淵府会議員が顧問になり、ぼくが代表幹事を務めることになった。民主党政権が揺らいでいる時、京都府内の自治体議員の交流や議会の活性化に向けてがんばりたいと思っている。
懇親会では、南部の議員さんたちが元気!

●7月28日(木)

         <「脱原発社会を考える集い」の準備>

 昼前、事務所には市民環境研究所の石田紀郎さんらが来所。31日に予定している「脱原発を考える集い」の打ち合わせ。アンケート、また資料集の作成などすることにして、司会は石田さんにしてもらうことにした。もちろんぼくは想いを語るつもりだ。50人ぐらいの方には参加してもらえるかな。

 来客の合間に資料の作成の準備。88年の7月市会でぼくがチェルノブイリ原発事故の2年後に本会議で質疑した議事録や槌田先生のレジメ、また京都市のこの間の野菜、水産物、肉などの放射能検査の結果などをホームページから拾い出して資料にすることにした。

         <色々ある相談ごと> 

 午後の来客は近くの障がい者の施設「吉田学園」の職員さん。自立支援法のことや清掃業務の実態などお聞きする。色々とご苦労されているなあ。障がい者の雇用の確保のことなど今後委員会で質疑をしよう。

 またとある建設会社の人。公共事業における入札のあり方や地元企業をどう支援するのか、現状の改善を訴えられる。

 夜は、吉田神社の境内へ。30日の夏まつりに向けて剣鉾の練習。他のメンバーは剣先の鈴の音を見事に鳴らしながら差すが、ぼくは3年かかっても足取りがおぼつかない。まあなんとかなるやろう。

●7月27日(水)

          <議長辞任で臨時市会開催へ>

 小林正明議長の辞任表明を受けて、後任の議長を決めるために急遽臨時市会が開催されることになったので、市会運営委員会が10時から開催。8月2日に臨時市会が開催されることが正式に決まった。

 自民党の議員団会議も開かれて、後任をどうするか調整が始まったようだ。高見の見物をしつつ、安井副議長の議長就任の可能性とか、色々とわが議員団として考えるべきだとぼくは思っている。さてどういう道筋が開けるのか。いずれにせよ議長就任2ヶ月で辞任とは異例のこと。まあ京都市会では前代未聞だ。

          <地元要望の実現を> 

 午後は、体操着のリサイクル運動に取組んでいる岡部達平君に同行して教育委員会の担当者と懇談。少しずつではあるが、趣旨に賛同して小学校での取組みも広がってきたようだ。

 事務所への来客は、バス停のこと、
 また丸太町通の振動改善に向けての要望書が、沿道住民である聖護院円頓美町の住民の署名が集まって町内会長さんが持参。建設局の担当課へ持っていくべく日程調整など。

 夜は、吉田神社境内で剣鉾の練習。夏の夜空を見上げながら剣鉾を差すが、イマイチ調子が出ない。腰にいささかの違和感を感じたので無理をしないでおしまいにした。

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