元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

地蔵盆とさいたま市で研修会   8月22日ー25日

2015年08月28日 | 日記
●8月25日(火)

    <民主党政令指定都市協議会、さいたま盆栽美術館・鉄道博物館を視察>

 台風接近とのこと、蒸し暑かったが雨も降らずで、ホテルで朝食の後、バスでまずはさいたま市盆栽美術館を視察。なぜ大宮に盆栽があるかというと関東大震災の後、東京から多くの盆栽職人さんが適地を求めて大宮に住みついたとのこと。盆栽町という町名もある。美術館では盆栽だけではなく、盆器や水石に資料も展示されていて、担当者から丁寧な説明を受けて、盆栽をしみじみ鑑賞したのは初体験!奥深い!埼玉の文化として根付いているんですね。

 そして10年ぶりかな、鉄道博物館に。京都の梅小路公園にも鉄道博物館の建設が始まるが、鉄道好きのこどもたちで大賑わい。SLや貴重な歴代の車両やお召列車も展示。鉄道好きの人にはたまらんやろね。歴史博物館としても価値があり、ジオラマは運転のシュミレーションもできるし、子どもたちも大喜び。京都の鉄道博物館にも期待したい。さいたまの民主の議員団のみなさん、お世話になりました。

    <遠藤洋一、元福生市議を見舞う>

 散会後、羽場議員と福生市の元市議であった遠藤洋一君を訪問。川越線から八高線を乗り継いで福生に。駅前近くのマンションが彼の自宅。クジラこと遠藤洋一君には1968年、ぼくが初めて銀座でべ平連のデモに参加して以来の付き合い。その後、彼は米軍横田基地のある福生で居を構え市議に立候補して、長年基地問題に正面から取り組んできた。糖尿病になり人工透析を続けながら議会活動も続けてきた。2年前、脳梗塞で倒れたので昭島の病院に見舞った。足を切断するとか、そのとき言っていたが、残念なことに自宅のベッドに横たわる彼の足は無くなっていたが、口は達者。羽場議員とは早稲田時代からの知り合いか、色々な友人たちの消息など。また元気になって車イスで走る彼の姿をみたいなあ。どうぞお大事に。
 
 中央線で東京駅に出て、6時過ぎの新幹線で羽場君と喋りながら帰京。台風が九州を通過したようだが、雨で岐阜羽島から米原まで徐行運転したが、無事に帰京。

●8月24日(月)

    <民主党政令指定都市政策協議会でさいたま市に>

 夏の終わり、またまた新幹線で東京へ。駅で同僚の某議員が家族で実家とディズニーランドへ行くとかでばったり。しっかり家族サービスしておいでよ!
 東京駅で乗り換えて埼玉は大宮に。民主の政令指定都市政策協議会。まずは幹事会で議案などを承認してもらってから総会。こがゆ横浜市議と山田市議が正副幹事長で報告と答弁など。会長が北九州市議の松井さんから横浜の森市議にバトンタッチ。ご苦労様でした。

   <研修会 清水勇人さいたま市長が「選ばれる都市さいたまを目指して」>

 それから研修会。清水勇人さいたま市長が「選ばれる都市さいたまを目指して」と講演。「さいたま市」は、浦和市と大宮市そして岩槻市が合併して政令指定都市になった。清水勇人市長は松下政経塾出身。「市民・企業から選ばれる都市、日本一幸せを実感できる都市」を目指して、国際観光都市、スポーツ観光・産業、医療ものづくり、東日本中枢都市、広域防災都市を掲げて奮闘中。東北、上越、北陸新幹線の交通結節点という利点と地震につよい地勢ということ。浦和レッズ、大宮アルディージャのサッカーチームがしのぎを削り、ツールドフランスや国際マラソンも誘致。横浜市とのしあわせ指数を比較して、紹介された時には、横浜市議団から苦笑いの声。さいたま市は若い世代が多くて元気な政令指定都市です。

    <さいたま市議、漫才コンビ誕生>

 その後、意見交換会では、地元選出の枝野幹事長も挨拶。民主党もちょっと元気になってきたのかな。各政令指定都市が壇上であいさつした後、サプライズはさいたま浜口市議と小川市議の漫才!小川議員は西川きよし師匠に入門、秘書も経験。いいね!
 役員が集まり一献交わしたのち、長年の友人、羽場岡山市議とも一献。菅直人議員や江田五月議員の秘書経験のある彼とはもう25年来の付き合い。お互い元気で何より。

●8月23日(日)

    <地蔵盆 2日目>

 今日は我が家の下大路町東部の地蔵盆。お隣さんのお家にお地蔵さんがまつられて、9時過ぎには、近くのお寺のお坊さんが念仏の後、子供たちにお話し。そこから子どもたちの出番。この5年程前からわが町何に新築の家が数軒たち、子どもたちで賑やかになった。

    <上海からの家族と同志社キャンパスに>

 10時半に、ロイヤルホテルに同僚の安井勉議員の友人で上海から来た劉さん一家を迎えに行く。劉さんは、かつて埼玉県に留学した経験があり、上海で自分の会社を立ち上げて、日本にも仕事でよく来ているとのこと。一人娘が、わが母校同志社大学に留学を希望。卒業生として同志社のキャンパスを案内する役。御所から今出川キャンパスを歩き図書館や寒梅館を案内。夏季休暇で日曜日でもあり、学生もいなくて静かなキャンパス。日中友好のひとときでした。寒梅館から見た比叡山が綺麗でしたよ。

 そして午後は木屋町仏光寺下るの高瀬川に。川なか遊び場『ききみずガーデン』と名付けれた企画です。シャボン玉も飛んでええ雰囲気!9月7日までですよ。

 夕方、地蔵盆の跡片付けをして、夜は、河原町三条近くのVOXビルのホールで「YAZAWA night」。
 友人の馬場さんがリーダーのバンド「DURANDAL」が熱演。馬場さん、やるなあ!久しぶりにロックンロールの夜。
 二次会はBAR TWOという元メトロの店長ツーさんのお店で五代君としばしくつろぐ。

●8月22日(土)

    <夏の終わりの風物詩 地蔵盆>

 京都は地蔵盆。吉田中大路町西部の地蔵盆は、この5年ぐらいかな、わが事務所の一階で開催されることになっているのです。朝、8時過ぎには前にテントを立て、近所の稲田さん宅にあるお地蔵さん(実は、石の地蔵さんではないのですよ)の祠を事務所の中にみなさんでお飾り。9時半には、庵主さんにお参りしてもらいました。今日は、庵主さん、あちこち回るので大忙し。10時頃から輪投げが始まり、ご近所の子供たちの歓声が響きます。もうすぐ秋ですね。
 毎年、世話をする組が変わるのだが、準備など大変。昼休みは家でちょっとゆっくりして、午後4時前から片づけ。ぼくの軽四貨物車でテントや祠を運び夕方4時過ぎに無事に終了。今年は、雨が降らなくてよかった、よかった!

 そして、下大路町西部の地蔵盆ものぞいて、夕方は、わが自宅のある吉田下大路町東部の地蔵盆は我が家の前。テントを立てて飾りつけも終わり、みんなで懇親会。路地ビアガーデンです。お月さんがわが家の上に!

 京都市内の各町内で行われるこの京都特有の地蔵盆。京都市は、京都に伝わる様々な無形文化遺産を大切に守り,未来に引き継いでいくため創設した京都をつなぐ無形文化遺産制度による第3号として,「京の地蔵盆-地域と世代をつなぐまちの伝統行事」を選定しているのですよ。地域の絆を確かめるいい機会です。

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委員会他都市調査で神奈川と金沢に   8月17日ー21日

2015年08月24日 | 日記
●8月21日(金)

   <教育福祉委員会 他都市調査 金沢>

 他都市調査3日目、金沢市役所へ。市役所前には「金沢に来るなら春か夏か秋か冬がいいと思います」という看板。視察の目的は、金沢市教育委員会が取り組む小中一貫英語教育と絆教育について。
 市会事務局課長さんの挨拶の後、教育委員会の女性の担当者がパワーポイントを使って小学校における英語の授業やテキストのこと、そして中学生の英語授業の実践について丁寧に説明をしていただきました。
 文科省の英語教育で活躍している直山先生のことが話されてうれしくなったね。金沢を紹介する副読本は良くできてます。ぼくも英語をもういちど勉強しようかな。また絆の日として浅野川が氾濫した日を児童生徒ボランティアの日として思いやりの心をはぐくみなどの実施中。議会の教育消防委員会委員長もご挨拶。お世話になりました。

    <双葉保育園 白神園長と>

 視察終了後、同僚と別れて、鴨沂高校時代の同級生白神雄さんの園長の香林坊にある「双葉保育園」に。休演日は年末と正月のみ。夜間保育も夜10時まで実施。一人一人の園児のペースに合わせた保育を実施。こどもたちもすくすく育っています。可愛いね。白神園長、がんばってや!昼は蕎麦屋さん。白神園長の車で茶屋街なども見学。新幹線が開通して大賑わい!

 サンダーバードで京都に着いたのは午後6時過ぎ。京都劇場でキエフ国立バレエ学校・寺田バレエアートスクールの姉妹締結40周年記念コンサート。いつもながらその舞台には感動します。藤田副市長がご挨拶。高尾美智子先生のお誕生日でもありました。おめでとうございます!

●8月20日(木)

    <教育福祉委員会 金沢>

 教育福祉委員会他都市調査2日目。ジャンボタクシーに分乗して、まずは駅前近くの教育プラザ此花に。金沢市では14年に「こどもの幸せと健やかな成長を図るための社会の役割に関する条例を制定。教育プラザを2か所に開設。教育と福祉が連携してこどもの健全育成を総合支援する施設で、一階には各地域団体も入っている。
 小学校跡を活用。此花プラザでは教育相談、育児発達相談、不登校の児童生徒の適応指導教室や県警との連携で少年育成支援なども実施。京都でいうとパトナや「ふれあいの杜」で実施している。いずれにせよ、こども一人一人を大切にしたケアが必要なことを実感したのです。
 
    <シェア金沢、ごちゃまぜの街>

 次に、金沢大学、刑務所の近くの高台にある「シェア金沢」に。この地は、大いに気に入りました。ごちゃまぜの街、つまり障がい者、高齢者、学生が緑豊かな敷地の中に住むまち。天然温泉、「ニューももや」というレストラン、アトリエ付学生住宅、児童入所施設、全天候型グランドもあれば、雑貨屋さんにカフェ、アルパカ牧場にドッグランもあり、高齢者のデイサービスも。なにか理想的なまちをみんなでつくろうという心意気が伝わってくる。
 社会福祉法人「佛子園」が運営団体。石川県内で地ビールを作りレストランやJR駅の指定管理者になるなど多彩な福祉活動を展開。
 元新聞記者だったという施設長さんが映像などで説明。ランチも美味しかったあ!温泉に入りたかったなあ!
 
      <金沢海みらい図書館>

 昼食の後、午後は駅の西、海側にある「金沢海みらい図書館」に。この建物は、遠くから見ると真っ白の四角い建物。採光のために小さな丸い穴が全館にある不思議な建物。館内も広々としていて、200人ほどが入れる交流ホールもあり、もちろん児童図書、地域情報フロアに、携帯電話をかける電話ボックスも用意されている。休館日は水曜日。色々な建築賞を受けている金沢の新しいランドマーク。
 
4時頃にはホテルに到着。閑話休題。食事前ちょっと時間があったので一人で金沢に兼六園。65歳以上ということで無料でした。

    <もっきり屋>

 そして、同僚議員と夕食の後、香林坊にあるジャズ喫茶「もっきり屋」に。40年ほど前に開店している。京都でいえば「ほんやら洞」
 20年ほど前に立ち寄ったことを記憶するが、店主の平賀さんは同世代。街で出会っても分からんやろなあ。お互い年齢を重ねたね。色々な知人のミュージシャンのこと、京都のライブハウスのこと、
 京都のこと、ベ平連の仲間だったメンバーのその後など、すぐ近くで奥さんがママの「ペパームーン」でも夜の更けるのを忘れるぐらい、飲みながらワイワイ。いい夜でした!(なおシェア金沢のメンバーは、知り合いの人が多く、「ももや」の料理人は、元もっきり屋の二階で店をしていた人とか、不思議な縁ですね)


●8月19日(水)

     <教育福祉委員会 他都市調査で神奈川と金沢に>

 今日から教育福祉委員会の他都市調査。自民の西村議員が委員長、自民5人、共産3人、公明2人、民主はぼくと天方君、京都、維新がそれぞれ1名の14名の議員、そのうち新人議員は、6人かな。加えて、教育委員会、保健福祉局の部長が2人に市会事務局から2名の合計18名の大部隊。

     <未病を治す神奈川宣言>

 8時過ぎの新幹線で横浜へ。神奈川県庁議会棟に。耐震工事中。まずは、ヘルスケア・ニューフロンティア推進局の担当者から「ヘルスケアニューフロンティアについて説明。最先端医療・最新技術の追求と「未病を治す」ということで、健康寿命日本一と新たな市場・産業を創出するという政策。未病産業研究会が設立され、「ME-BYO」というのが登録商標もされているという。
 「未病」とは、説明によると、健康と病気の間のことらしい、そして、「未病を治す神奈川宣言」もされている。また「かながわ医食農同源レシピ」なるものも開発されていたり、認知症の予防プログラム、コグニサイズとか運動機能を高める普及をするというが、ようはメタボ対策や介護予防対策のことなのかな。京都市も色々と健康長寿のまちづくりを進めている。よくわからんかったので、質問をしたかったが、一人の委員が、色々と聞いて時間なし。残念。

 横浜から東京に。初めての北陸新幹線で金沢に。乗り心地はよかったが、途中、トンネルも多くて曇り空でアルプスなど見えず残念。

 夕食は、みんなでワイワイと。会派を超えて、食事をするのもたまにはいい。息子と世代が変わらん若い新人の議員が、どんな経歴か、どんな性格か知るには絶好の機会。料理も美味しかったよ!金沢の夜は静かに更けて行きました。涼しくて何より。ニュースは、高槻の女子中学生の殺人事件のことなど。


●8月18日(火)

      <監査委員協議会 26年度決算審査>

 10時から監査委員協議会。少し涼しくなったのでママチャリで鴨川河川敷を走って市役所へ、夏の終わりを告げる風でもう暑くはないかな。
 監査委員協議会は、事務局の担当課長から26年度の一般会計と国民健康保険事業特別会計など16の特別会計の決算審査及び基金運用状況の審査、また健全化判断比率審査及び資金不足比率審査の報告を受けて審議。
 「市民の福祉増進に努め、最小経費で最大効果をあげるよう予算が適正かつ効率的に執行されているか」というのが、ポイント。一般会計の歳入と歳出の内訳や保健福祉費、土木費など各項目について、説明を受けて、不用額のことなどについてぼくも質疑。この数年、京都市の財政は、だいぶ改善されてきています。

なお監査事務局は、市役所の向かいの5階にあるのだが、これからはエレベーターに乗らずに、階段を上ることに決意したぞ!
その後、民主党京都府連に立ち寄りこの4月からスタッフとして頑張っている荒川君と自治体議員ネットワークのことなど打ち合わせ。

      <経糸の会 運営委員会>

 夕方は、社会福祉会館で経糸の会の運営委員会。この6月に開催した「ヒューマンふれあいコンサート」の会計報告など。多くのみなさんのご協力を得てほぼ満員になり、パンフレットの協賛金も多くいただいたので収益が出ました。各福祉団体にその収益を寄付するので、団体の選定など議論。来年は5月にロームシアター京都で開催しますよ!


●8月17日(月)

 昨日、大文字山に登り、薪を運んだりしたのでちょっと足と腕が筋肉痛か。まあ大したことはなし。午前中、雑務。午後、行財政局の税務に書類を提出に。それから川端署に出向いて、「吉田東通の夜市」の開催に向けて打ち合わせ。車両の通行止めを一部して、交通安全対策をしようということに。ご近所の皆さんにご迷惑をおかけしますが、なんとかご理解のほどよろしくお願いします。

 それから、松ヶ崎に。過日深夜、自転車走行の方が、誤って用水路に落ちて亡くなった。2度と事故が起こらないように左京土木事務所に改善を地元の人も要望されていて、その改善策について、地元の交通安全協会の会長さんらと所長から現場で説明を聞く。柵が取り付けられるようになりました。現場には今でも花束が置いてありました。亡くなった方に心よりご冥福をお祈りいたします。

 それから、前原事務所に立ち寄って斎藤所長と今後の民主党2区総支部の運営について諸々の打ち合わせ。

 夜は、事務所で明日の監査委員協議会を控えて事前に渡された資料読み。夏の高校野球、昨日、京都代表の鳥羽高校は惜敗したが、早稲田実業の1年生の清宮幸太郎選手の人気でえらい盛り上がってる。阪神もええで!

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戦後70年、終戦記念日。大文字の送り火   8月15日・16日

2015年08月18日 | 日記
8月16(日)

<「朝粥の会」「戦後70年目の夏、鶴見俊輔先生を偲んで」

今日は大文字、五山の送り火の日。
朝9時から「朝粥の会」。特別企画で「戦後70年目の夏、鶴見俊輔先生を偲んで」とぼくが話題提供。10人ぐらい来てもらえるかな、と思っていたら、FBを見たと思いがけない人も。ベ平連のメンバーや「家の会」の会員だった人、同志社の学生運動の先輩、元新聞記者さん、それに広島から某新聞社の記者も。彼は、戦後70年の特集で、当時の岩国での反戦運動のこと、「ほびっと」のことなどを取材中。

ぼくは鶴見先生の略歴を紹介し、家の会のこと、ベ平連のこと、反戦脱走米兵のこと、選挙の時のこと、晩年でのつきあいのことなど思い出を語り、参加してもらって人からも、それぞれ鶴見さんのことが語られた。
出会えたことに感謝して、そして先生の遺志を継いでこれからも生きるのがぼくらの責務だろうと思う。心よりご冥福をお祈りします。ありがとうございました。ここには略歴だけ貼りつけておきましょう。
鶴見俊輔先生 略歴
 1922年(大正11年)東京生まれ、父鶴見裕輔
 1937年(昭和12年)渡米  39年ハーバード大入学
 1942年 ハーバード大学卒業 日米交換船で帰国
 1943年 海軍軍属としてインドネシアへ
 1945年 敗戦
 1946年 「思想の科学」創刊
 1948年 京大人文研助教授
 1954年 東工大助教授
 1960年 安保闘争 「声なき声」 東工大辞職
 1961年 同志社大学社会学科新聞学教授、「思想の科学」研究会「家の会」 
 1965年 ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)結成
 1967年 イントレピッド号から4人の反戦米兵
 1970年 機動隊導入に抗議して同志社大学教授を辞職
 1972年 反戦喫茶「ほびっと」・ほんやら洞 開店
 1996年 「思想の科学」休刊
 2004年 九条の会結成
 2015年 7月20日逝去  享年93歳

<大文字の送り火、ボランティアで薪運び>

 服を着替えて、午後2時前には、広島から来た新聞記者さんと一緒に銀閣寺門前の八神社に。この数年、ぼくはボーイスカウトのみなさんやボランティアの市民とともに大文字に登って、各火床まで薪や水を運ぶのを手伝っている。例年、前原議員の番記者さんも、また隠塚、北岡議員も同行。
 久しぶりの大文字登山。二年前の台風で土砂が流出したところには、砂防ダムが建設されていた。出発しておよそ三〇分。曇り空で暑くなくて、しんどさはまし。最後の階段も登り切って火床に。どんよりとした空に京都の街が望める。
 前原議員がリーダーとなって、バケツリレー方式で火床に薪を運ぶ。重たいよ!汗が噴き出る。途中、にわか雨が降ってずぶぬれになったが、およそ一時間ほどで無事に作業を終了。
 4時過ぎには下山を始めるが、代わりに大文字保存会の方がご家族で登って来られる。京都の夏の風物詩、精霊を送る「送り火」は彼らによって守って来れたのです。
 下山して、銀閣寺門前の店で前原組のみんなで飲んだビールの美味しかったこと!

 夜は、我が家で久しぶりにゆっくり夕食。そして午後8時には、2階から少しだけ見える大の字を見て、近くの神楽坂からご近所の人とともに夏の夜を焦がす大文字の送り火を見つめたのです。今週の週末は地蔵盆。京都はもうすぐ秋ですよ。

   <タコとケンタロー5周年 ライブ>

 それから近くのタコとケンタローの5周年記念のライブ第一弾でタカダスマイル・ライブ。いつもの常連さんたちとたこ焼き食べながら夏の夜のひととき。帰りがけには雨が降り始めてたよ。無事に送り火が終わってよかった!


8月15日(土)

    <戦後70年目 終戦記念日 安倍談話と天皇の言葉>

 終戦から70年の夏。京都新聞の朝刊に安倍首相の談話について京滋地方議員のひとりとして京都市会日韓親善議員連盟の副会長としてぼくのコメントが掲載された。「談話内容そのものは最低ラインに達しているが、おわびは、村山談話のようにもっと率直な言い回しができたはずだ。建前だけの謝罪と受け取られかねない」と指摘した」。ともあれ、これから日韓、日中など隣国との和解が進むことを願う。

 昼、テレビで全国戦没者追悼式を見る。天皇陛下の言葉が印象に残ったので、記しておきます。
「終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」。

 午後は、家でごろごろしてから、明日の朝粥の会で特別企画としてぼくが「戦後70年目の夏、鶴見俊輔先生を偲んで」と題して語るので、略歴のレジメや毎日新聞記事をコピーしたり、また書庫から先生の本や「思想の科学」を取り出したりであたふた。しかし残念なことに、当時ぼくは「思想の科学」には、何回か寄稿させてもらっているが、その号が見当たらない。どこに片づけたんやろ。

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東京、奈良、監査委員協議会、人権擁護委員  8月10日ー14日

2015年08月17日 | 日記
●8月14日(金)

     <墓参り>

 朝8時過ぎに家から神楽坂を上がったところの公安院さんに。一説によれば、藤原時代からの鈴木家の墓が3基ある。墓石も風化して苔むしている。この10年かな、カミサンと一緒に行くようになったのは。水を撒いてサカキを捧げておく。
 そして、わが町内にある吉田神葬墓地にも。ぼくも役員をしている宗教団体「大元講社」が管理運営している。擁壁の工事も終わって3,4年か?京都の街が見下ろせる絶好の場所。大正時代に共有墓地として発足。ぼくのひいじいさんらの古い墓石とわが祖父が亡くなったときに建立された墓石とがある。水で洗い流して線香を焚いて、この春の選挙のことも報告して頭を下げる。若い時は、こんなことは思わなかったなあ。
 いつかぼくもここに納骨される。それまで、元気に生きるかな。

     <奥村毅さんの初盆>

 昼、この5月に亡くなった奥村毅さん宅に初盆ということで友人らと。奥さんはぼくの同級生。仏壇の写真と位牌に対しておまいり。享年68歳でした。ぼくの4年前の選挙では中心的役割を果たしてくれ、昨年、夏の熊野神社での市政報告会では司会もしてくれて、秋のバス研修会ではガイド役も。この春には、だいぶ元気がなくなっていたが、入院されてからは、思いがけず病状が進んだ。よく喋る人やった。今頃、あの世で、今の社会を憂い怒っておられるでしょね。
 
 夕方は、とあるところで整体師さんに体と心をほぐしてもらう。ぼくの身体は猛烈に硬い、固い!鉄板のごとし。至福の時。ありがとう!元気になったよ!

    <『安保関連法案に反対するママの会@京都』と「SEALDs関西」の街頭行動>


 そして、四条河原町での『安保関連法案に反対するママの会@京都』の街頭行動に参加。青木芳香さんも反戦犬JIN君もがんばってました。ジジイ世代もがんばらんと!
 そして夕暮れ時、京都駅まえでのSEALDs関西という学生たちの街頭行動にも。蓮舫参議院議員や福山議員も熱弁。学生たちが「自分の言葉」で訴える姿は、いいなあ。学生時代にタイムスリップして、拍手を送りました。ジジイ世代、戦うシルバー世代もがんばろかいな!

 そして、そのあとは、FB友達と西木屋町の沖縄料理の店「ハイビスカス食堂」で沖縄に行った気分でオリオンビールと泡盛とチャンプールで人生について語る。〆はもちろん沖縄そば。楽しい真夏の夜。
 
 そして、直ぐ近くに八文字屋に。店主の甲斐さんは入院中。もうすぐ退院できるらしい。留守を預かって今夜は八文字屋の美女、さゆりさんが応対。若い友人が来てて障がいしゃの24時間ヘルパー制度のことなども真面目に聞きました。ラム飲んで帰ったよ〜

●8月13日(木)
 
     <人権擁護委員、電話相談>

 今日は久しぶりに人権擁護委員として京都地方法務局で電話相談。
 選挙後初めてかな。いささか緊張。いじめのことなど女性から3本かな、色々な悩みを抱えながら人々は生きているのです。相談員としてもどうご返事をしたらいいのか、実は悩んでいるのです。人権侵犯と言われる事例に対応したことはこの間なかったが、ちょっとしたアドバイスで、ありがとうございました、と電話を切ってもらうとなんとなくホットする。ぼくと人権擁護委員として法務局から委嘱されているのは、この10月まで。色々と勉強させていただきました。役に立ったかな?なお全国共通ダイヤル番号は0570003110です。ひとりで悩まず電話してくださいね〜〜

     <「京都でつくる有効なヘイトスピーチ対策・政策懇談会」>
 
  その後、京都府議会に。民主党の府議団と「京都府・京都市に有効なヘイトスピーチ対策の推進を求める会」と
「京都でつくる有効なヘイトスピーチ対策・政策懇談会」に参加。

 過日、人権擁護委員として研修会で朝鮮学校への襲撃事件の裁判の経過など豊福弁護士の講演を聞いたところ。またそれなりに以前から在日コリアンの人権問題などに取り組んできているので、何かしないといけないと、と思っていた。人種差別被害の実態調査、市民との対話での対策、ヘイトスピーチを許さない宣言や条例の制定、外国籍住民に対する社会的、制度的、文化的差別の是正などを要望されている。角替元府議もがんばってるなあ。ぼくも京都市会で論陣を張ろうかな。

 夕方 某労組の書記長さんと念願の食事。京都府庁前の「はなふさ」で「はもしゃぶ」を食しながらワイワイ。京都市学校給食労働組合の元委員長だった丹波さんが女将。今年で3周年。がんばってはります。
そして2年ぶりかな、西大路のスナック「ごん太」へ。竹内まりあの「静かな伝説」をカラオケで聞く。ええ歌や!楽しいひと時でした。

●8月12日(水)

 今日からお盆?近くの公安院さんのご住職さんが、我が家の仏壇に拝んでいただきました。ご近所からも木魚の音が鳴っています。ありがとうございました。

 昼過ぎ、同志社の総合政策科学研究科で一緒だった真下さんが、来所。ああでもない、こうでもないと議論をしながら懸案の研究会の立ち上げに向けて知恵を絞る。京都・未来の公共政策社会問題研究会と名前で、まずは大学生諸君と勉強会を始めようかと、考えがほぼまとまった。もう少し詰めることもあるが、秋には発足させたい。ご協力のほどよろしくお願いしますね。

 その後、事務所の来客は14日に発表される戦後70年の安倍首相談話について、京都市会の日韓親善議員連盟副会長という立場のぼくにコメントを求めに某新聞記者さん。議員になる前から在日コリアンの人権問題などに取り組んできた経過なども話しながら、この間のギクシャクする日韓関係に憂慮しているものとして、侵略をした歴史的事実に率直に「おわび」をして、関係改善に努めるべきだ、というのが、ぼくの考え。

 戦後70年、特定秘密保護法の成立や集団的自衛権の閣議決定からこの数カ月の安保法制の強行採決など安倍政権の暴走にストップをかけねばと、思う夏。爺さんの岸信介という妖怪が生き返ったみたいだ!

 ところで、このところスポーツニュースを見るのは、ちょっと楽しい。なんでかというと、阪神タイガース、えらい頑張ってるやん。真夏の夜の夢に終わらんようにね!

●8月11日(火)

     <監査委員協議会>

 10時から上下水道事業と交通事業の監査委員協議会。午後3時頃まで、監査事務局が作成した決算審査報告書案について水道事業、公共下水道事業、自動車運送事業、高速鉄道事業の順番で、担当者から説明があり、問題点などについて質疑。
 経営の基本原則である経済性の発揮及び公共の福祉の増進の観点に基づいているかどうかを審査し、年度比較により事業の推移を把握し、その経営内容を分析するというのが監査の目的。26年度から新たな地方公営企業会計制度が適用されているので、ちょっとややこしいところも。
 
     <奈良で民主党近畿ブロック世話人会>

 終了後、民主党京都府連に立ち寄って、スタッフの荒川君と近鉄に乗って、久しぶりに奈良に。西大寺で乗り換えないといけないのに郡山まで行きすぎた!
 駅前で、民主党近畿ブロック自治体議員フォーラムの世話人会。各府県連のスタッフと世話人の議員ら15人ほど集まる。ぼくが最年長。
近畿ブロックの研修会をどのように開催するか、時期とか予算のことなど協議。京都もそうだが兵庫、大阪は議員の数がガタ減り。意気上がらんなあ。
 で、来年2月に奈良で開催することに決定。県議の藤野奈良県連幹事長らみなさんにお世話になります。感謝。会議の後、県議の猪奥美里さんに「なら燈花会」を案内してもらう。
 鹿さんたちはもうお休み。「なら燈花会」の開催中。猿沢の池、県庁前。県議会本会議場は期間中見学可能だとか。興福寺のライトアップは綺麗でしたよ!夜のライトアップなどで観光客を呼び込もうと、どこの自治体も知恵を絞っていますなあ。
テレビによく出る餅やさんで饅頭食べて近鉄駅中の立ち飲みやで、奈良の銘酒の立ち飲みで仕上げて近鉄と京阪特急で無事に帰京。
 昨日は富士山。今夜は古都、奈良。夏の日本を満喫(笑い)
明日はどこ行こうかな!

●8月10日(月)

 灼熱の夏!月曜日。朝、月に一度の民主党二区総支部として前原議員らと百万遍で街頭行動。朝の太陽が眩しい!何人かの知人に声をかけてもらって嬉しかったよ。北岡議員らも一緒。15分ほど親父の被爆のことなどにも触れながら戦後70年のこと、2度と戦争を起こさないと演説。

     <東京で地方自治体議員フォーラムブロック代表世話人>

 喋ってすぐに地下鉄で京都駅に出て新幹線で東京へ。国会議事堂前もお盆前からか、安保法制反対の座り込みなどもなくて閑散としている。正午前には、民主党本部に。全国から地方自治体議員フォーラムブロック代表世話人の議員らが10数人集い、弁当を食べながらこの11月に開催する全国地方自治体議員フォーラムの総会と研修会のことについて打ち合わせ。冒頭、代表の内海宮城県議が選挙前で来られなかったのでぼくが副代表としてご挨拶。
 総会の段取り、講師に誰を呼ぶか、翌日の分科会のテーマをどうするか、など意見が述べられて集約。ぼくからは自治体議員局の活性化を要望しておく。

  散会後、東京駅八重洲口のヤンマービルにある京都市の東京事務所と京都館にも立ち寄り、この4月から赴任している所長らに挨拶。京都館では京ロウソクのゆるキャラ「ひーぼーちゃん」にも挨拶。東京のみなさん、京都館に行けば京都名産のお酒や和菓子に工芸品などありますよ。ぜひご利用くださいね。
 
     <高速バスで浜松に、夏の富士山を見る>

ふと駅をみると高速バスの発着場。新幹線で帰るのも味気ないので、東名高速バスの浜松行に飛び乗る。車中、うたた寝しながら足柄パーキングでトイレ休憩、ふと後ろを見ると富士山が見えるではありませんか!真夏の夕暮れ時の富士山。ラッキーという気分。浜松駅まで4時間ほどかな。そこから新幹線に乗り換えて京都駅に着いたのは午後10時過ぎ。富士山が見れたのでなんとなくうれしい気分。リニア新幹線ではこういう情緒が味わえんやろね。

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ヒロシマ・ナガサキから70年   8月6日ー9日

2015年08月12日 | 日記

    <お知らせ>

吉田文化サロン 「朝粥の会―朝粥食べなが らお喋り会」

 特別企画「戦後70年目の夏 鶴見俊輔先生を偲んで」

◎8月16日(日)午前9時―10 時30分

◎話題提供  鈴木正穂

◎会場「カルチャーガーデン吉田の森」(鈴木マサホ事務所一階)(左京区東山通近衛東入ル 761-5537)

◎参加費(朝粥代)300円

なお準備の都合上8月13日までに 参加ご希望の方はご連絡ください。

●戦後70年目の夏。哲学者・鶴見 俊輔先生が亡くなりました。
鶴見先生に出会ったのは19歳のとき。同志社の鶴見研究室が京都べ平連(ベトナムに平和を市民連合)の連絡先でした。
べ平連運動に参加しながら「思想の科学」の研究会の「家の会」にも参加。
反戦脱走米兵の援助や岩国での反戦喫茶「ほびっと」など大きな役割を担われました。
30歳の時に京都市会議員選挙に立候補したときも鶴見先生は推薦人にもなっていただきました。
不肖の弟子ですが、わが師でありました。

●鶴見先生の訃報に接し、大文字の送り火の日の朝、戦後70年目の夏、反戦平和を誓い、
先生との思い出を語り、みなさんと先生を偲びたいと思います。

お気軽にご参加ください。   

            京都市会議員 鈴木マサホ


●8月9日(日)

     <ナガサキから70年 平和宣言>

 このところ、毎朝6時過ぎごろから我が家の庭ではクマゼミが大合唱!五月蝉い!睡眠不足です。

 ナガサキから70年。田上富久長崎市長の長崎平和宣言を引用しておきましょう。
「現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。
 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。
原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。」
 どこかの国の首相とえらい違いや!
 
 午後、国際交流会館での「インドネシアの夕べ 2015」。カラフルな民族衣装を着飾った留学生や子どもたちが張り切ってました。

 その後、小学校の5.6年のときからの、まさに竹馬の友が脳梗塞で入院したということで、見舞いに。涙を流さんばかりに見舞いを喜んでくれた。思っていたより軽症で、話もできたし、顔色もいいので一安心。早く元気になって社会復帰せえよ!と激励。
 
 夜は、11日に公営企業の決算審査の監査委員協議会があるので、事前に渡された資料読み。

●8月8日(土)

     <左京女性消防隊激励会>

 10時から宝ヶ池の球技場で第22回 全国女性消防操法大会に京都代表で出場する修学院の左京女性消防隊「京の火消し屋小町」の激励会に。夏空の下、そして妙法の山麓のグランドでこの1年以上の練習の成果を披露され感動しました。10月15日が全国大会、「頂点を目指してがんばって!
 女性消防隊激励の後、久しぶりに北山通の松ヶ崎駅東の北山ラーメン「てっちゃん」に。夏は汗をかきかき、カレーラーメン!美味かった!大将も娘さんもお元気でした!
 
 午後の事務所への来客は、選挙のこと、今のご時世のことなど色々と話して、アドバイスなど。ともあれ、がんばって!とエールを送る。
 その後、事務所で雑務。要は資料の整理などだが、雑紙として分別して、古紙回収業者に出すために紙袋につめる。なんと7袋ほどの紙の山。ゴミ減量、リサイクルに協力しなくては!

●8月7日(金)

 毎週金曜日は近衛広場で公園体操。桜の木の下が、日陰。汗をふきふき体を動かす。いつも終わりに。「今日の日はさようなら」を手話で唄うのだが、覚えられないなあ。

 そして今日は、終わった後、寿会や近衛広場みどりの会のメンバーで草引き。暑くて倒れそう!でも綺麗になりましたよ!


     <京都創生推進フォーラム>

 午後は、京都国際会館での京都創生推進フォーラム。宗田教授の軽妙な司会。青柳文化庁長官のフランスはナント市の文化都市に再生される話は興味深かった。京都精華大学の学長が漫画家の竹宮さんだったとは。イギリス人のデビットマークアトキンソンさんは流ちょうな日本語でお喋り。町家を2億円で買ったとか。楽吉左衛門さんの話は、暗かった(笑い)。
 京都創生!京都創生!とわが小林あきろう前議員がよく言ってたなあ!外に出たら入道雲!結局雨は降りませんでした。雨乞いでもしないと涼しくなりそうにないなあ。

 夜はカミサンが留守で、久しぶりに近衛の大龍亭でビールセットで水分補給してあんかけ焼きそば。あかん!食べ過ぎや!

●8月6日(木)

    <ヒロシマから70年 父のこと>

 今日は8月6日。夏の高校野球が始まった!そしてヒロシマから70年目の夏。久しぶりに親父とお袋に会いに。学徒動員で広島にいた親父は爆心地から4・5㎞の草津東町で被爆している。26歳の時。地獄の中を生き延びて帰京。
 ぼくが生まれたのは、それから4年後、1949年(昭和24年1月)。父は、昭和33年に被爆者健康手帳を交付されている。京都大学の図書館に長年勤務していたが、被爆の後遺症か、微熱が続き、体がだるいとよく言っていたのを記憶する。ぼくは、被爆2世だ。多感な高校時代は、白血病で早死にするという不安の中で生きていい、若禿になる、頭髪が抜けるという恐怖もあった。案の定、祖父からの遺伝でもあろう、50代前半から禿げて、今では、年相応の禿げ頭。
 ともあれ、早死にすることもなく、大病を患うことなく66歳の馬齢を重ねた。感謝したい。父は、この5.6年マダラ症候であるがこの夏で96歳。ヒロシマから70年。この5月に圧迫骨折で入院、退院したもののこの暑さもありだいぶ参っている様子。一緒に暮らしているおふくろも夏バテ気味でちょっと心配やね。

 ヒロシマから70年。未だ核兵器の廃絶はならず、好戦的な安倍政権が、安保法制を数の力で押し切ろうとしているのに怒りを覚える。

 午後4時からまち美化事務所の担当者とともにとある町内の資源物のゴミの集積場のことで住民のみなさんとの懇談会。20人ほど参加者がそれぞれの要望を話される。まち美化事務所の判断を待ちたいが、いずれにせよ課題は多い。
 
 そして夜は「屯風」でおでんをつつきながらこの8月29日に開催する「吉田東通の夜市」の打ち合わせ。今年で5回目。昨年来、大変盛り上がってきて、交通安全の面から色々と工夫が必要。迂回路を確保して、期間中、通行止めの方向で対策を進めたいね。

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暑い!8月だ!  8月1日ー5日

2015年08月07日 | 日記
●8月5日(水)

    <京都市会 教育福祉委員会>

 今日は8月の第2週。10時から教育福祉委員会。まずは教育委員会から理事者報告。ひとつは京都市立定時制単独高校の創設に係る基本構想について。伏見工業高校と西京高校の定時制を統合して、学び直しや課題を抱えた生徒たちによりきめ細かい指導と専門性のある支援体制を確立した昼間、夜間2部制の新定時制単独高校を創設するという構想。時代が変われば、高校の在り方も変わる。府立高校としてこの4月に開校した清明高校との関連など質疑がされる。

 また委員会では初めての取組だが、この8月末に委員会他都市調査で金沢市へ行くのだが、その視察先の概要とともに京都市の取り組みの比較などが報告された。

 一般質問では各委員が、右京区京北地域の小中一貫校統合問題について議論。自治振興会の要望と一部PTAや自治会メンバーの中で反対意見もあり、ちょっと紛糾している事案。

    <総合選抜から単独選抜に高校制度は変わったが> 

 ぼくも今期初めて一般質問。まずは京北の統合問題に触れて、左京区は花背での小中一貫校の成果について披露して、住民の間で亀裂が生じないようにするべしと意見を述べ、また定時制高校のことでは、府教委との連携について一言。
そして昨年の4月から京都の高校制度は単独選抜に入試制度が大改革されたが、その現状と課題について、希望する高校に通学することで、自己実現できるようになったという評価と一方では学校格差、ナンバー校にならないかという危惧もあった、それらの課題と私立高校との共存共栄などウンチクを傾ける。

 また保健福祉局からは、南区区役所の職員が逮捕された事案、さらに認可小規模保育事業所管理者の逮捕の事案についての報告。また裁判で争われた生活保護廃止決定処分に係る損害賠償請求訴訟について報告。それぞれ委員から質疑。共産党議員が紹介者の「生活保護法による住宅扶助限度額の引き下げ撤回」の請願は留保。一般質問もあり、終わったのは午後5時。委員会室は冷房が効いているとはいえ、暑さでボートとなる。理事者のみなさん、委員のみなさん、お疲れさん!

 夕方は、とある事案で愚痴を聞きに。大成功したと喜んでいたが、まあ色々とありますね。

●8月4日(火)

 午前中、とある約束をしていたが、不意の来意客もあり行けず。申し訳ない。

 今日の昼ごはん。百万遍上るの「来々飯店」。いつものようにとり天定食。味噌汁に卵も入ってるよ。

    <ハラール、モスリムのこと>

 午後2時過ぎ大久保町にぐるぐるカフェの店主の大槻君と大宮七条にある「きっちん なごみ」へ。過日、パプアニューギニアの大使が来た時、コーディネートをした友人とハラール、ムスリムの文化や料理のことを「サラーム・パートナーズ」の鴇さんから色々とお聞きする。
 サラーム・パートナーズは、日本企業のイスラム市場進出及び国内への観光誘致に関するコンサルティングを行っていて、マレーシアにおいては、現地ムスリム系旅行会社と連携し、具体的な日本ツアーのプロモーションを行っている。会社概要によれば、イスラム諸国は、今後人口増と経済成長が期待される巨大な市場です。一方、日本はイスラム諸国にとっての観光地として高いポテンシャルを秘めています。私たちは、相互のニーズを知る立場で、日本とイスラム市場の架け橋となり、様々なビジネスシーンでお役に立たせていただきます。という。
 また地元・日本での私たちの短期目標として、世界標準の視点を持ち、世界を意識した観光国・JAPANの実現のため、イスラムへの正しい理解に基づいた日本ならではのおもてなしを普及させ、日本とイスラムを結びます。また、イスラムに対して理解と倫理観を持った企業を育成し、企業にとっても無理がない、心をこめたモスリムの皆様向けのおもてなしの環境を日本に浸透させます。とあり、お話も面白かった。
 みりんもあかんのやね。食事の材料の制限などおもてなしもむつかしいのだね。ぐるぐるかふぇの大槻君とはもう8年ほどの付き合いになるけれど、小さな店だけれどケバブは有名。ハラルフードの食品の販売や鹿カレーにインド音楽企画などもしている。いかにムスリム文化と交流するのか、京都の観光にとっても課題ですね。

 なお「きっちん なごみ」は、3・11震災後、人と人がつながり新しい出会いを作り出すコミュニティレストランとしてオープン。女性陣が頑張ってる様子。わが左京からはちょっと遠いけれど、機会があれば、また行きたい場所や。
 
 その後、相談ごと一件。そして夜は、明日の教育福祉委員会の準備でメモづくり。

●8月3日(月)

     <宮井久美子さん お別れ会>

 朝10時、カミサンと岩倉の平安教会に。宮井久美子さんの召天30日記念式に。宮井さんは、京都犯罪被害者支援センターの事務局として設立以来ご尽力されてきた。ぼくのカミサンもボランティアで電話相談など支援センターに行っていたこともあり、親しかった。
 実は、もう25年ほど前かな、同志社女子大の静和館の保存問題を巡って宮井さんからその保存への思いをお聞きしたことがある。略歴をみると、YMCAの配食サービースや西陣会にも関係されるなど福祉活動を活発にされてきた。その後、癌を克服しながらも犯罪被害者支援センターで活動されたが、この7月3日に天に召された。享年84歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
 
 午後は、事務所に、体操着のリサイクル運動に取り組んでいる岡部達平君と前原事務所長の斎藤君。リサイクル運動について説明。その足で右京区の交通局へ、市バスや地下鉄の運転手の制服の貸与の現状について担当者から話を聞き、制服のリサイクル化の可能性について懇談。

 午後4時過ぎには、人権擁護委員として四条河原町での啓発活動に。暑い中、通行する市民にタオルを配布。なにしろ暑いので、多くの人が受け取ってくれる。

 夜は、アメリカから学生を連れてFB友達の札谷新吾君が京都滞在。元府会議員の清水達也さんと三人で一献。百万遍のくれしま。社会党時代の懐かしい話しなどで盛り上がる。札谷君の御嬢さんはシカゴでスケートはフイギアの選手を目指して練習に励んでいるそうな。楽しみやね!

●8月2日(日)

     <花背「ふるさと森都市交流フェスティバル」>

 朝8時半、車で一路、鞍馬を抜けて花背峠を越えて「ふるさと森都市交流フェスティバル」に。今年で22回目かな。ほぼ皆勤!市長も多忙な中、到着。正副議長に左京選出の議員や経済総務委員会のメンバーも参加。北山の緑が美しいし街よりちょと涼しい!が、陽射しはキツイ!花背小中一貫校の児童の演奏や和太鼓の披露も。そして、久多、広河原、百井、花背の特産品のブースがあり、選挙後初めての花背峠を越えたので、知人らと懇談。河原では子どもたちが元気に水遊び。年に一度の北部山間の住民との交流。

 昼過ぎ、広河原へ。いつものように左京最北の喫茶店「庄兵衛」に。冷房はもちろんない。扇風機の風で気持ちがいいね。いつものようにハニーレモン。広河原では、元京都市学校職員労働組合の委員長だった中原さんのお宅を訪問するのが定例のコース。まあお元気でした。そいて、これも定番、杉木立の道を能見峠を越えて、北山友禅菊を見に久多に。今年もまるでピンクの絨毯のように、見事に咲いてたよ。
 針畑渓谷を抜けて安曇川沿いの国道367号、花折峠、途中峠を越えて帰宅。
 
 午後4時からは、民主党府連の常任幹事会。各地域での夏まつり等もあり、ちょっといつもより出席者は少ない。福山議員からは参議院における安保法制の審議についての報告も。しっかり頼むぜ!その他、諸々の報告とこの11月に開催が予定されている府連の資金パーティのことなど協議。
  
    <鴨川納涼と京の七夕>

 そして、鴨川納涼に。三条と四条の河川敷は大賑わい!友人らが各県人会でがんばっていて、そこかしこでビールを飲んだり、名産を食べたりでウロウロ。それから二条城前の堀川を舞台にした「京の七夕」に。夏の京都の新しい風物詩として、定着したかな。そぞろ歩きというより、人の流れにそって歩くしかない。若いアベックや観光客で人の流れが途切れない。特に天の川をイメージした電飾のところは特に人気。人いきれでちょっと疲れたね。スタッフのみなさん、ご苦労様!


●8月1日(土)

 今日から8月。たまらん暑さ。ちょっとバテ気味やあ!無理せんと午後4時ごろまで家でゴロゴロ。ようやくちょっと元気になった。
 で、夕方は、下鴨のとあるお寺さんでの「原爆と戦争展」。時間が遅かったが、峠三吉の詩や当時やヒロシマ、ナガサキの写真などを見る。改めて原爆と戦争の悲惨さを想う。ご住職夫妻は同年代でお茶をいただきながら暫し懇談。

     <「土砂災害防止法に基づく砂防基礎調査結果にかかる説明会> 

 それから第三錦林小学校での錦林東山学区の「土砂災害防止法に基づく砂防基礎調査結果にかかる説明会」。広島の安佐南区での土砂災害の後、法律が改正されたこともあり、なんといっても2年前の台風18号では土砂が流出して被害があったところ。
 地域のみなさんが暑い暑い体育館での開催であったが、100人近くの参加者が京都府の土木事務所や左京区役所の防災担当者からの説明を熱心に聞いておられた。レッドソーンに指定されると色々と建物に規制もかかり、またイエローゾーンでも避難計画などを制定する必要がある。災害は忘れたころにやってくる、というけれど土石流の怖さがわかったので、身の安全や財産を守るためにも、行政の役割もあるが、これからは、地域力で安全なまちづくりをしていかないと。

 8時前には、錦林小学校での聖護院学区のなつまつりに。終わりがけだったが、消防団のみなさんのかき氷を食べながら、地元の人と懇談。タコとケンタローも必死にたこ焼きを焼いてましたよ。みなさんお疲れ様。

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暑い!7月の終わり   7月29日ー31日

2015年08月04日 | 日記
●7月31日(金)

 暑いね!今朝は公園体操に久しぶりに参加。蝉しぐれのしたでご近所のみなさんと汗を流しました。今日もぼちぼちイコカいな!

 公園体操の後は、市会改革推進委員会の副委員長として正副委員長とともに正副議長に予決算特別委員会の総括質疑のネット中継や市会ホームページをスマホ対応にもできるようにという委員会の報告。それから今後の委員会の検討項目などについて正副委員長会議。

 午後は、人権擁護委員として八瀬小学校に「人権の花運動」の打ち合わせに。50人余の児童が在籍。この秋に水仙の球根を贈呈して人権の話をするという計画。木の香りがする校舎で笠原委員と玉置委員と懇談。

 夕方は民主党府連で自治体議員ネットワークの幹事会。京丹後から谷口議員にも来てもらい、今後の運営について協議。

     <埋文研労組定期大会>

 そして、夜は、埋蔵文化財研究労組の定期大会。20年余前、アルバイト・臨時職員の正規雇用問題で深夜まで団交に付き合ったこともある。前委員長の加納君とは40年余の付き合い。公益社団法人になって、2年。なんとか順調に運営されているようだ。懇親会にも参加してわいわい。

 帰途、東山近衛では消防車が!お風呂の空焚きだったとのこと。放水もなしで大事に至らず。火の用心!火の用心!

●7月30日(木)

 午前中の来客はコムペイジの牧野君。地域ウエッブサイト「左京ライフ」の今後の運営のこと。

      <この秋 岡崎公園でバディ・ウォーク>

 昼過ぎ、再整備が進む岡崎公園に。この秋、10月25日(土)京都ニンジャムキッズが企画しているバディ・ウォーク京都のメンバーと下見。ヘルメット被って建設局の担当者から説明を受け、イベントのイメージを膨らませる。このバディ・ウォークとは、ダウン症の子どもたちの保護者が昨年秋、京都でも実施されている。若いママたちとワイワイいいながら楽しいイベントになりますように。

      <京都ニンジャムキッズ>

 この主催者である京都ニンジャムキッズ」の武田さんは、次のように書かれています。
「2010年7月13日ダウン症のある赤ちゃん一心が我が家に仲間入り。あれから4年・・・いっくんに手を引かれるように歩んできた私達には数えきれないほどの多種多様な出逢いと新しい発見がありました。東京代々木公園で2012年に日本で初めてのバディウォークが開催され、その存在を知った私達、運よくその第二回目のバディウォークに家族揃っての参加が実現し…あの場を体感し興奮冷めやらぬ私達が思った事『いつか京都でも…』。そして、ポロっとこぼしたその一言…そんな小さな一言を拾い上げてくださった方々がいました。いっくんが繋いでくれた出逢いが、このバディウォーク@京都実現へ向けてどんどんと周りを動かし始めてくださいました
 小さな小さな呟きを次へ次へと繋いでくださった方々のおかげであっという間にこんな大きな呼び掛けが出来るまでなりました小さな命が私達家族に山盛りの出逢いを与え、心を大きく動かし変化をもたらしたように…このバディウォーク@京都を通じて「ひと・もの・こと」との多くの出逢いがそこかしこで生まれ縁あって、この場を共有する機会を得たすべての方々に、新たな世界と視野がひろがっていきますように…願いを込めて…」

 ところで、岡崎界隈は大きく変わる。神宮道の前の道路が公園と一体化。またロームシアター京都も竣工間近。動物園のグランドオープンもこの秋。岡崎がたのしくなります!
 夕方、事務所には画家の友人。美味しい焼酎を持って来てくれました!感謝。
 
 夜は、わが議員団のスタッフであった中村さんの送別会。民主・都みらい議員団のスタッフとしてこの間、頑張ってくれた。春の選挙で13人から7人に人数が減ったことで、雇用の継続が出来なくなった。誠に残念なこと。栄枯盛衰、この4年間は、7人の侍でがんばるしかないなあ。ともあれ中村さん、ありがとう!

●7月29日(水)

 旅の気分が終わって、また日常に。事務所への来客は、「体操着、行ってらっしゃい、おかえりなさい」と体操着のリサイクル運動に取り組んでいる写真家で環境問題に取り組んでいる岡部達平君。職員の制服のリサイクルについての提案などを聞く。去年の夏にベビー誕生。かわいい盛り。事務所近くの風媒館でランチ。デザートついて800円!

 その後、事務所では汗を流しながら資料を読んだり。

    <怒りのデモ>

 夕方は、戦争法案の強行採決に対して怒りのデモ。戦争をさせない京都1000人委員会の主催。民主はわが隠塚幹事長が連帯の挨拶。山本ひろふみ議員や藤川剛元市議らも参加。久しぶりに会う面々も。70年の頃はデモばっかりしてたなあ!労組のメンバーも頑張ってたよ。300人ほどの隊列。JP労組の某支部長、シュプレヒコールでがんばった!このところ安倍政権の支持率が低下しているが、全国津々浦々で声をあげることが、大切。横暴を許さないぞ!



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夏まつりのシーズン!  7月24日ー28日

2015年08月01日 | 日記
●7月28日(火)

    <埼玉は大宮から東海道線在来線で帰京>

 朝、ホテルでゆっくりモーニング。ふと、若いころ、鈍行列車を乗り継いで、東京を往復したことを思い出して、正午前に大宮から湘南ライナーとかで小田原まで2時間。熱海から浜松、浜松から豊橋、豊橋から快速で午後7時に名古屋。残念ながら富士山はみえなかったけれど新幹線でみる車窓とはまたちがう東海道の風景が新鮮。
そのまま大垣から米原経由で京都までと思ったが、さすがバテテ、名古屋から新幹線京都駅に着いたのは午後8時過ぎでした。腰が痛いよ!でものんびりした時間がもてて、たまにはいいでしょ。

●7月27日(月)

 9時過ぎ、市役所の議員団室に。春の選挙で会派の人数も変わって各部屋の大改装が始まったので仮の部屋として第3会議室に民主の部屋。4年に一度のこと。
  議員団室で野暮用を済まして10時過ぎの新幹線で東京へ。

   <さいたま市 大宮で民主党政令指定都市政策協議会役員会>

 午後埼玉県の大宮で民主党の政令指定都市政策協議会の役員会。会長は北九州の松井議員。札幌からは大島議員、神戸からは藤原議員、そして幹事長のこがゆ横浜市議と副幹事長の山田川崎市議が集まり、8月にさいたま市は大宮で開催する総会と今後の方針などを議論。
 関西は神戸も堺もわが京都も議員数が半減、大阪は壊滅。関東の政令指定都市は、なんとか現有勢力を維持できたようだが、民主党の再生をめざして、政令指定都市の連携をどうしていくのか、なんとか展望を見出したいものだ。懇親会の後は、とある友人に会うつもりでいたが連絡なしで早い目に就寝。

●7月26日(日)

 日曜日、朝、吉田今宮社に。吉田氏子講社の長老や今宮会に剣鉾保存会のメンバーに吉田神社の神官が集まり、倉庫から神輿を出して、祭具の虫干し。若いメンバーは神輿の担ぎの練習も。

   <左京区民ふれあいまつり>

11時から「みやこめっせ」で、左京区民ふれあいまつり。多くの区民で賑わいました!司会は例年のように元気な大奈さん、下鴨中学校のブラスバンドや松田美緒さんも世界の歌を披露。第四錦林小学校の児童による子供剣鉾と和太鼓も披露されました。選挙後に初めて会う左京の知人も多くて、みんなから8期目当選おめでとうと声をかけてもらいました。感謝です。わがカミさんも住み良い京都をつくる婦人の会としてカレーの販売にがんばったよ。
冷房が効いている会場なので多くの左京区民で賑わいました。
4時からは、大元講社の社務所で剣鉾グループの直会。

   <錦林盆踊り大会>

 そして、午後7時過ぎには、真夏の夜、錦林盆踊り大会!志賀國天寿さんの音頭取りで盛り上がりましたよ!議員になって28年、この錦林での夏まつりの歴史を知るものとして、多くの若者や外国人も参加したこの盆踊り大会は画期的!感慨無量。スタッフのみなさん、お疲れさん!志賀國天寿さん、ありがとう!


●7月25日(土)
 
 昼過ぎ、梅景繁治前左京消防分団長の告別式。この1月に長年の消防団活動に対して瑞宝双光章が授与されて、受章を祝う会が開催されたばかり。3月に発病されて、薬石こうなく他界された。市会議員になった頃、新洞消防分団のトイレ設置のことで相談を受けて以来、30年近い付き合いだった。誠実な方で家業は畳屋さん。
 消防団活動を始められて52年。新洞消防団分団長や左京の団長も長かった。享年73歳。みんなでお見送りする。心よりご冥福をお祈りいたします。
 
      <吉田区民なつまつり>

 今日は各学区で夏まつり。午後3時過ぎには、まずはわが母校第四錦林小学校で地元吉田学区。夏空の下、吉田剣鉾保存会の一員として、剣鉾を差しました!京都造形大学の学生たちに四錦の児童たちもがんばりましたよ!剣鉾の収納まで手伝って、


      <夏まつりをハシゴ>

 夕方6時過ぎから夏まつりをハシゴ。まずはパチンコ店出店に反対するみなさんの「高野ひろっぱ」から川東学区、それから元新洞小学校での新洞学区。団子兄弟のご住職とツーショット。錦林小学校では前原議員とバッタリ。
 ラストは錦林盆踊り大会の前夜祭。カラオケ大会に飛び入り参加。「青い山脈」を鈴木潤さんと一緒に歌ったのです。明日は盆踊り、本番!午後6時から、東天王町下がる東の公園です!江州音頭でも盛り上がろう!

●7月24日(金)

      <鶴見俊輔先生 死去の報道>

 京都新聞の朝刊に、鶴見俊輔先生死去の報道。ベ平連時代の友人から何本かの連絡があり、20日に亡くなり家族葬が行われたこと、また今後、偲ぶ会などが開催されるのであれば、また連絡すると電話で答える。多くの友が鶴見先生の逝去を惜しみ、また今の時代の在りように危機感をもち、先生の遺志を継ぐことを想っている。
享年93歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

      <人権擁護委員研修会>
 
 10時に荒神口の京都地方法務局に。人権擁護委員の研修会。2009年12月に「在特会」なる集団が京都朝鮮第1初級学校を襲撃した事件の弁護団の豊福誠二弁護士が「ヘイトスピーチ裁判に被害者の立場からかかわって」と題して講演。当時の映像を見るが、その罵詈雑言に怒りを覚える。裁判の経過とその判決、ヘイトスピーチを生み出す社会構造、レイシズムの危険性やヘイトスピーチを許さないための政府や自治体の役割などをお話されました。暗澹たる思いで講演を聞きまた映像を見て、多文化共生社会の実現をぼくは願っているが、その対極にあるヘイトスピーチの根絶をどうするのか、大きな課題だと改めて思った次第。

       <左京の台風被害>

 午後、左京区役所に。左京選出の有志の議員と区役所の防災担当者、左京土木事務所、左京消防署の担当者と台風11号の被害に関して情報交換。山中越えでの土砂災害が一番の災害だったみたいで、左京の鞍馬など山間部でも多少土砂が流出したところをあったようだが、負傷者などもおられなくて、ともあれよかった。避難勧告の発令と避難所の開設のことなど色々と課題はある。改善すべき課題もあるなあ。

       <新日本プロレス 武道センターで初興業>

夕方、わが地元の武道センターで初めての新日本プロレスの京都大会!この25年ほど京都大会を見ているけれど、若い女性客も多くて久しぶりに盛り上がりましたよ!メインは京都山城高校出身の天山広吉と立命プロレス研究会出身の今を時めく棚橋選手。わが選挙に応援に来てくれた中西学選手は出場せず。わがFB友達もたくさん観戦に来てくれました!ありがとう!

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