●9月30日(月)
<本会議 補正予算を可決>
9月市会定例会。10時から本会議。冒頭、過日のまちづくり委員会で採択された出町柳駅前の「河合橋の歩道の安全対策」の請願を全会派賛成して採択。24年度決算やその他の議案については委員会付託することを決めた後、市長が登壇して、「台風18号による大雨などに係る被害に伴う追加議案」として緊急的な補正予算を提案。被災者支援、被害を受けた社会福祉施設への支援、中小企業者への緊急融資、道路などの復旧、観光PRなど。融資制度の預託金として20億円、その他に21億円の大型補正。
それから、先週予算委員会で質疑したグリーンニューディール基金による事業などの補正予算の審議について委員長報告が行われた。共産党の議員が、認定こども園の設置になどについて異論を唱えたが、補正予算そのものについては原案可決。焼却灰溶融炉の付帯決議は、共産党はもともと反対していたので賛成しなかったが、他の議員で多数で可決。
その後、関西広域連合の議会議員に投票により、公明党の曽我修議員を選任。
<台風18号被害対策の緊急補正予算を審議>
本会議終了後、3つの分科会に分かれて、今日提案された台風18号の被害対策の補正予算について審議に入る。ぼくは第2分科会。
環境政策局は、浸水ごみ等収集運搬処理費に1千万円、南部クリーンセンターの仮置き場におよそ500トンの浸水ゴミが置かれているが、その処理のためなどの費用。行財政局は、予算編成についてなどの質疑。
文化市民局は、桂川の久我橋東詰と宇治川公園の泥土の撤去とグランドの整備などに1億2千万円。
それから産業観光局は、被害を受けた中小企業者への復旧支援に預託金を20億円、また嵐山をはじめとする京都の観光PR、「元気です京都キャンペーン」に800万円。伏見の十石船運行再開、嵐山での「風響夜舟」などのイベントや東京・京都館でのPR事業に予定。
ぼくは、緊急融資制度の対象事業者の把握や周知、また被害は、嵐山だけではなく、ぼくが見聞した銀閣寺や大原の様子を伝えて、観光社寺で被害にあった箇所や今後のテレビを活用したPRの大切さを力説。なお農林業関係への補正予算は今後の課題。
<左京区の台風18号による被害状況>
午後4時半からは、副議長室に左京の議員有志6人が集い、高城区長、左京土木所長らと台風18号に係る対応状況について報告を受けて意見交換。
それによると9月15日21時51分に大雨洪水警報が発令、1号体制で職員らは待機。翌16日の未明「特別警報」が発表されて3号体制で職員らがさらに待機して対処。久多では時間雨量は46ミリだが、総雨量は383ミリに及ぶ降雨量だったという。
鹿ケ谷では近くのノートルダム女学院に自主避難した人が25所帯57人。左京区内では、床下浸水52戸、床上浸水16戸。道路陥没や倒木、水路の溢水、土砂流出など70か所ほど。とりわけ鞍馬以北の花背峠の手前での道路陥没による大型車の通行禁止は、早急な対策がされて、この月曜日にはバスも通るようになった。唯一、広河原では一部不通のところもあるが、ほぼ復旧したようだ。
土木事務所、左京区役所、そして各関係者のみなさん、ご苦労様でした!
●9月29日(日)
<岩倉北と八瀬の区民運動会>
秋の日曜日は、10月半ばまで左京区の各学区の区民運動会が開催されるので休みなし。11時前に岩倉北小学校に。体育振興会の会長は、北岡ちはる府議。コロコロとした体で来賓の接待などでウロウロ、がんばってはりました。それから八瀬に。ちょうど昼休み前で、町内対抗のリレーで盛り上がってるとこ。おいしい弁当をご馳走になりました。新築される小学校の工事順調も順調に進んでるようで、何よりです。
<講座「ルネサンス岡崎をめざして>
それから、みやこめっせでの講座「ルネサンス岡崎をめざして」に。文化庁支援で、知となごみのまち京都・東山における文化遺産活用事業ということで、京都生涯教育研究所が主催。
京都市歴史資料館館長の井上満郎氏が「よみがえる岡崎、六勝寺の賑わい・崩壊から古都再生へ」、また元武庫川女子大教授の山内潤三氏が「黒谷に眠る敦盛・直実と会津・新撰組」と題してそれぞれ講演。
大昔、岡崎は白河と称されて、円勝寺、法勝寺、成勝寺、延勝寺、尊勝寺、最勝寺と六つのお寺があったのです。応仁の乱で焼けたらしい。動物園には、その遺物が展示されてますよ。山内潤三先生は、「平松家本平家物語」を朗読されたが、ぼくにとっては驚きでした。その後、寄田真見乃さんの尺八演奏の後、冨士谷あつ子さんが進行役となって、平安神宮の神官、細見美術館の吉川さん、動物園の秋久園長、みやこめっせの岡田氏、そして、起工式が終わったばかりのロームシアター京都(旧京都会館)の支配人にこの夏就任した蔭山陽太さんらがこれからの岡崎を熱く語る。冨士谷あつ子さんのパワーにはいつも敬服。ええ会でした。
それからウエスティン都ホテルで開催されていた松下真蔵議員のパーティ「しんぞう名月の会」に。前原議員ら来賓の挨拶も終わった後、会場は300人ほどの参加者。岸本哲(あきら)さんが、民主党として再来年の春に府会議員選挙に立候補をするべくデビュー戦。
中野洋一議員が乾杯の音頭でした。ぼくは参加していた府市会議員を紹介する役。その後、親しい前原後援会の山科のメンバーなどに挨拶した後、退席。
<米澤鉄志さんの「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」の出版を祝う>
8時前には、米澤鉄志さんの「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」の出版を祝う会に遅れて参加。米澤さんは、ぼくが世話人となって1981年から1996年まで毎月一回続けた「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を一緒に歩いたひと。9歳の時、ヒロシマで市内電車の乗っているときピカドン、原爆で被爆、地獄を体験した人。語り部として被爆を語り続けている。1950年代、若くして共産党に入党、原水爆禁止運動や立命館大学の2部学友会委員長として60年安保闘争を闘い、その後共産党を除名。時を経て、1984年の京都での「原爆の図」展で、ぼくは知り合った。立命の当時の同志、平和運動の仲間、川柳の仲間のひと、高雄病院の関係者など
多彩な人々が集い出版を祝うとともに、反原発と反核を誓う会でした。79歳かな、今後も原爆の悲惨さを訴えて続けて欲しい。
●9月28日(土)
朝、9時過ぎ、南区のテルサでの京都水道労組、京水労の定期大会に走る。長年、委員長をしていた松田委員長が勇退して河村書記長が委員長に就任。ちょっと挨拶は慣れてないけれど、デビュー戦。執行部も若返ったかな。市民の水を守るためにがんばってや!
来賓紹介が終わると、地元の錦林小学校の運動会に。好天に恵まれて児童が玉入れにがんばってました。ぼくの住んでいるのは、吉田下大路町。小学校区は錦林小学校なので子どもたちがお世話になった。されど、下大路町は、元学区となると吉田学区になる。ちょっとややこしいのです。
校長先生や地元の諸団体の人に挨拶して、昼前には、京都府立体育館での関西フットサル大会に。今年で第15回大会。田中けんじ府会議員と激励の挨拶。京都産業大学のチアリーダーが躍動して大会を盛り上げてくれました。女性や児童のチームがずいぶん増えたね。実行委員長の大橋昭さんの努力でここまで盛大になってきた。ほんまにお疲れ様!
それからわが母校の第四錦林小学校の運動会に。左京区役所跡が見事に解体されて、更地になり風景が変わった。第四錦林小学校のグランドからなんと大文字山が見える。京大の新しい大学院の建物が建てばまた見えなくなるなあ。絶好の運動会日和で5年生の騎馬戦、また6年生の組体操には感動しました。
その跡、吉田山に。過日、京都市が管理する公園内で、とある業者が松の木を伐採するときに、それなりに配慮して作業が進められたようだが、吉田山の里山を再生する会として、われわれが植樹した桜の若木を折ってしまったのです。担当した業者に来てもらって、経過を聞き、来春一本植えてもらうことになってやれやれ。それから、参道でしばし剣鉾の集中練習に参加。バテ気味です。
夜は、自治労京都府本部と京都交通労組の統合レセプション。
府本部の橋元委員長と京交の瀬戸委員長は、それぞれの単組の委員長になったのも同時期。体育会系で体格も同じぐらい。親しい組合役員と懇談。
それから地元は、吉田神社参道前のチェルキオにてのサロン、チェルキオの会に遅ればせながら合流。ワインを酌み交わしながらご近所のメンバーやマスターの福井君と談笑して、近くの居酒屋チッパーで焼酎飲んだら、久しぶりに酔いが回った。
<本会議 補正予算を可決>
9月市会定例会。10時から本会議。冒頭、過日のまちづくり委員会で採択された出町柳駅前の「河合橋の歩道の安全対策」の請願を全会派賛成して採択。24年度決算やその他の議案については委員会付託することを決めた後、市長が登壇して、「台風18号による大雨などに係る被害に伴う追加議案」として緊急的な補正予算を提案。被災者支援、被害を受けた社会福祉施設への支援、中小企業者への緊急融資、道路などの復旧、観光PRなど。融資制度の預託金として20億円、その他に21億円の大型補正。
それから、先週予算委員会で質疑したグリーンニューディール基金による事業などの補正予算の審議について委員長報告が行われた。共産党の議員が、認定こども園の設置になどについて異論を唱えたが、補正予算そのものについては原案可決。焼却灰溶融炉の付帯決議は、共産党はもともと反対していたので賛成しなかったが、他の議員で多数で可決。
その後、関西広域連合の議会議員に投票により、公明党の曽我修議員を選任。
<台風18号被害対策の緊急補正予算を審議>
本会議終了後、3つの分科会に分かれて、今日提案された台風18号の被害対策の補正予算について審議に入る。ぼくは第2分科会。
環境政策局は、浸水ごみ等収集運搬処理費に1千万円、南部クリーンセンターの仮置き場におよそ500トンの浸水ゴミが置かれているが、その処理のためなどの費用。行財政局は、予算編成についてなどの質疑。
文化市民局は、桂川の久我橋東詰と宇治川公園の泥土の撤去とグランドの整備などに1億2千万円。
それから産業観光局は、被害を受けた中小企業者への復旧支援に預託金を20億円、また嵐山をはじめとする京都の観光PR、「元気です京都キャンペーン」に800万円。伏見の十石船運行再開、嵐山での「風響夜舟」などのイベントや東京・京都館でのPR事業に予定。
ぼくは、緊急融資制度の対象事業者の把握や周知、また被害は、嵐山だけではなく、ぼくが見聞した銀閣寺や大原の様子を伝えて、観光社寺で被害にあった箇所や今後のテレビを活用したPRの大切さを力説。なお農林業関係への補正予算は今後の課題。
<左京区の台風18号による被害状況>
午後4時半からは、副議長室に左京の議員有志6人が集い、高城区長、左京土木所長らと台風18号に係る対応状況について報告を受けて意見交換。
それによると9月15日21時51分に大雨洪水警報が発令、1号体制で職員らは待機。翌16日の未明「特別警報」が発表されて3号体制で職員らがさらに待機して対処。久多では時間雨量は46ミリだが、総雨量は383ミリに及ぶ降雨量だったという。
鹿ケ谷では近くのノートルダム女学院に自主避難した人が25所帯57人。左京区内では、床下浸水52戸、床上浸水16戸。道路陥没や倒木、水路の溢水、土砂流出など70か所ほど。とりわけ鞍馬以北の花背峠の手前での道路陥没による大型車の通行禁止は、早急な対策がされて、この月曜日にはバスも通るようになった。唯一、広河原では一部不通のところもあるが、ほぼ復旧したようだ。
土木事務所、左京区役所、そして各関係者のみなさん、ご苦労様でした!
●9月29日(日)
<岩倉北と八瀬の区民運動会>
秋の日曜日は、10月半ばまで左京区の各学区の区民運動会が開催されるので休みなし。11時前に岩倉北小学校に。体育振興会の会長は、北岡ちはる府議。コロコロとした体で来賓の接待などでウロウロ、がんばってはりました。それから八瀬に。ちょうど昼休み前で、町内対抗のリレーで盛り上がってるとこ。おいしい弁当をご馳走になりました。新築される小学校の工事順調も順調に進んでるようで、何よりです。
<講座「ルネサンス岡崎をめざして>
それから、みやこめっせでの講座「ルネサンス岡崎をめざして」に。文化庁支援で、知となごみのまち京都・東山における文化遺産活用事業ということで、京都生涯教育研究所が主催。
京都市歴史資料館館長の井上満郎氏が「よみがえる岡崎、六勝寺の賑わい・崩壊から古都再生へ」、また元武庫川女子大教授の山内潤三氏が「黒谷に眠る敦盛・直実と会津・新撰組」と題してそれぞれ講演。
大昔、岡崎は白河と称されて、円勝寺、法勝寺、成勝寺、延勝寺、尊勝寺、最勝寺と六つのお寺があったのです。応仁の乱で焼けたらしい。動物園には、その遺物が展示されてますよ。山内潤三先生は、「平松家本平家物語」を朗読されたが、ぼくにとっては驚きでした。その後、寄田真見乃さんの尺八演奏の後、冨士谷あつ子さんが進行役となって、平安神宮の神官、細見美術館の吉川さん、動物園の秋久園長、みやこめっせの岡田氏、そして、起工式が終わったばかりのロームシアター京都(旧京都会館)の支配人にこの夏就任した蔭山陽太さんらがこれからの岡崎を熱く語る。冨士谷あつ子さんのパワーにはいつも敬服。ええ会でした。
それからウエスティン都ホテルで開催されていた松下真蔵議員のパーティ「しんぞう名月の会」に。前原議員ら来賓の挨拶も終わった後、会場は300人ほどの参加者。岸本哲(あきら)さんが、民主党として再来年の春に府会議員選挙に立候補をするべくデビュー戦。
中野洋一議員が乾杯の音頭でした。ぼくは参加していた府市会議員を紹介する役。その後、親しい前原後援会の山科のメンバーなどに挨拶した後、退席。
<米澤鉄志さんの「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」の出版を祝う>
8時前には、米澤鉄志さんの「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」の出版を祝う会に遅れて参加。米澤さんは、ぼくが世話人となって1981年から1996年まで毎月一回続けた「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を一緒に歩いたひと。9歳の時、ヒロシマで市内電車の乗っているときピカドン、原爆で被爆、地獄を体験した人。語り部として被爆を語り続けている。1950年代、若くして共産党に入党、原水爆禁止運動や立命館大学の2部学友会委員長として60年安保闘争を闘い、その後共産党を除名。時を経て、1984年の京都での「原爆の図」展で、ぼくは知り合った。立命の当時の同志、平和運動の仲間、川柳の仲間のひと、高雄病院の関係者など
多彩な人々が集い出版を祝うとともに、反原発と反核を誓う会でした。79歳かな、今後も原爆の悲惨さを訴えて続けて欲しい。
●9月28日(土)
朝、9時過ぎ、南区のテルサでの京都水道労組、京水労の定期大会に走る。長年、委員長をしていた松田委員長が勇退して河村書記長が委員長に就任。ちょっと挨拶は慣れてないけれど、デビュー戦。執行部も若返ったかな。市民の水を守るためにがんばってや!
来賓紹介が終わると、地元の錦林小学校の運動会に。好天に恵まれて児童が玉入れにがんばってました。ぼくの住んでいるのは、吉田下大路町。小学校区は錦林小学校なので子どもたちがお世話になった。されど、下大路町は、元学区となると吉田学区になる。ちょっとややこしいのです。
校長先生や地元の諸団体の人に挨拶して、昼前には、京都府立体育館での関西フットサル大会に。今年で第15回大会。田中けんじ府会議員と激励の挨拶。京都産業大学のチアリーダーが躍動して大会を盛り上げてくれました。女性や児童のチームがずいぶん増えたね。実行委員長の大橋昭さんの努力でここまで盛大になってきた。ほんまにお疲れ様!
それからわが母校の第四錦林小学校の運動会に。左京区役所跡が見事に解体されて、更地になり風景が変わった。第四錦林小学校のグランドからなんと大文字山が見える。京大の新しい大学院の建物が建てばまた見えなくなるなあ。絶好の運動会日和で5年生の騎馬戦、また6年生の組体操には感動しました。
その跡、吉田山に。過日、京都市が管理する公園内で、とある業者が松の木を伐採するときに、それなりに配慮して作業が進められたようだが、吉田山の里山を再生する会として、われわれが植樹した桜の若木を折ってしまったのです。担当した業者に来てもらって、経過を聞き、来春一本植えてもらうことになってやれやれ。それから、参道でしばし剣鉾の集中練習に参加。バテ気味です。
夜は、自治労京都府本部と京都交通労組の統合レセプション。
府本部の橋元委員長と京交の瀬戸委員長は、それぞれの単組の委員長になったのも同時期。体育会系で体格も同じぐらい。親しい組合役員と懇談。
それから地元は、吉田神社参道前のチェルキオにてのサロン、チェルキオの会に遅ればせながら合流。ワインを酌み交わしながらご近所のメンバーやマスターの福井君と談笑して、近くの居酒屋チッパーで焼酎飲んだら、久しぶりに酔いが回った。