京都市会議員鈴木マサホひとくち日記

民進党京都市会議員鈴木正穂(マサホ)の日々の活動と京都市や民進党、左京区の話題が満載。

鶴見俊輔先生、逝去     7月21日ー23日

2015年07月29日 | 日記
●7月23日(木)

      <浅川清さんの「ふたりでひとり」を読む>

 なんとなく気怠い一日。先日の朝粥の会に来ていただいた浅川清さんがMIXIに「ふたりでひとり」と題して2008年〜2014年までの日記を投稿されていたのを冊子「ふたりでひとり」を預かっていたので読書。わが同志社の大先輩で近所に住んでおられてたまに会う。
 同志社ラグビーの応援団、追っかけで、ラグビーの話題が頻繁に出てくる。また学生運動のときのことや、キューバはゲバラの娘、アレイダさんが来日した時のことやジャズのこと、交友関係や美味しい店のことなど、淡々と描かれてきた。ぼくのことも出てきます。
 そして、奥さんのみさよさんが倒れられてからは、彼女の介護のことなど、その時々の切なさが伝わって来て、涙が出そうになる。みさよさんは去年の秋、介護むなしく亡くなりました。心より、ご冥福をお祈りいたします。その後、浅川さんは元気にまたFBで介護や医療、また社会ネタも含めて日々を書き続けておられる。どうか先輩、お元気で!
 
    
     <鶴見俊輔先生、逝去>

 夕方、鶴見先生が亡くなったという情報が流れているが、ほんまか?とある友人から電話。早速、先生と親しい友人に連絡すると20日に亡くなり、家族で葬儀をされたとのこと。ご自宅で療養されているのは知っていたが、愕然とする。その後、問い合わせの電話が何本かぼくにかかるが、亡くなったことを告げ、詳しくは明日にでもご家族が発表されるでしょう、と答える。
享年93歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
 
以下の文章は、翌日、鶴見先生を偲んでFBに書いた文章です。

 「鶴見俊輔先生が亡くなりました。(鶴見先生を偲んで長い文章です)
23日の夕方、友人から知らせがあり、鶴見先生と親しい友人に確かめると、20日に亡くなったということでした。享年93歳。新聞社から何本かの問い合わせがその後ありましたが、詳細は触れずに亡くなったということだけを伝えました。
 今朝の京都新聞に載り、べ平連時代からの多くの友人らから電話をいただきました。すでにご家族で葬儀も済まされていますが、涼しくなった頃に、お別れ会でもされると思います。決まればまたお知らせしましょう。今はただご冥福をお祈りするばかりです。
 この4月の選挙の時、宣伝カーで岩倉を走っているとき久しぶりに鶴見先生のご自宅を訪ね、チャイムを押しました。先生にはお会いできませんでしたが、奥さんの貞子さんが出て来ていただき、近況をお尋ねしたのが最後になりました。
 振り返れば、不肖の弟子を自認するぼくは、鶴見先生に出会って親しくなったのは一浪の後、47年前、19歳のとき、同志社に入った1968年でしたか、鶴見先生の研究室が京都べ平連(ベトナムに平和を市民連合)の連絡先になっていたのです。「思想の科学」の研究会の「家の会」にも参加。今日の京都新聞の記事の写真に小田実さんと一緒に写っている北沢恒彦さんの紹介だったのです。先生が同志社をやめられるまでは(72年でしたか)、研究室にはよく遊びに行きましたよ。
 68年の東京銀座でのべ平連のデモに参加。夏、国際会館で開催された「反戦と変革のための国際会議」から、「ベトナム通信」の編集や定例デモなどべ平連運動にのめり込み始め、「思想の科学」にも原稿を書かせてもらい始めました。
 その後、反戦脱走米兵の援助や米軍海兵隊基地のある岩国での反戦行動や、反戦喫茶「ほびっと」の開店から閉店まで(当時のマスター中川六平君は一昨年亡くなりました)、鶴見先生はまさに応援団でした。「ほんやら洞」が開店した時の看板も鶴見先生の書だったと思います。(写真は1971年5月岩国で凧を揚げて戦闘機を止めようとした時の写真)。
 その後、ぼくは駱駝館という喫茶店の雇われマスターしながら9年かかって、大学を卒業。
 1979年30歳の時に、髭を生やしたまま「ネコもネズミも怒ってる」と京都市会議員選挙に立候補!わが地元近衛広場で(今はいつも公園体操をしているところ)での当時の写真です。右端のエプロン姿は鶴見先生です。
 まさに鶴見俊輔先生はわが青春時代の恩師であります。
 
 その後、市会議員になっても、反戦喫茶「ほびっと」のマスターでその後鶴見先生の本の編集をしていた中川六平君らと、時々、先生のお宅にお邪魔してお話を聞かしていただいてました。わが友、中川六平君は2013年夏の終わり、旅立ちました。 
 「ベトナム通信」の復刻版が1990年に出版されていますが、飯沼二郎先生、鶴見先生、小田実さん、北沢恒彦さんとぼくとで京都べ平連のことで、座談会をしています。みなさん、先立たれました。東京のべ平連の事務局長だった吉川勇一さんも先日亡くなっています。
 今日、鶴見先生の訃報に接し、先生とも思い出を振り返り、先生の在りし日を偲び、感謝を述べて、心よりご冥福をお祈りする次第です。
 そしてべ平連運動、反戦平和運動をともにたたかってきた鶴見先生、飯沼先生、北沢恒彦さん、小田実さん、吉川勇一さん、そして同世代で先に旅立った中川六平はじめ友人、仲間の想い、遺志を継いで、原点に戻って、これからも、残されたわが人生を生きたいと思います。」

●7月22日(水)
 
     <教育福祉委員会で京都大学のiPS細胞研究所を視察>

 午前中、教育福祉委員会の市内視察で、わが地元、京都大学のiPS細胞研究所へ。高橋淳先生がiPS細胞の性質やこの5年の取り組みや再生医療の今後の取り組みなど説明していただき、研究所の中を見学。新しい医学や生命科学の拠点です。勉強になりました。
 
 午後は、川端署に。「吉田東通の夜市」に向けて関係者と協議。交通の安全を第一に今年もやります。ちょっと色々と宿題があるけれどがんばらないと。

      <京都弁護士会「戦後70年と安全保障法制を考える」>

 その後、京都弁護士会主催の緊急市民集会「戦後70年と安全保障法制を考える」に。雨が降る中を会場はほぼ満員。
河野洋平氏が来られる予定が諸般の事情で来れずにインタビューに答える形で映像出演。同僚の隠塚議員も参加していて、彼がFBにアップしたメモを以下、コピペしておきます。
「合憲と言うけれども何故合憲かわからない」
「安部さんは主観に基づき過ぎ」
「自民党内にもっと声があっていいはず。恐怖政治になっている」「積極的平和主義とは核を持つ技術は持っていても核兵器は持たない。武器の技術は持っていても、輸出しない。ある意味やせ我慢してでも平和に向けた努力をすべきもの。しかし、安部さんは強そうな人と一緒にやろうとするのが積極的平和主義している。」
「中国が日本を攻撃すると本気で考えているとは考えられない。本当に危機を感じるのなら、外交でその問題を事前に解決する努力をすべき」
「戦後70年の談話は意味をなさない。むしろ、法律や事業、例えば国立の慰霊施設建設などの方が意味がある。」
などのコメントをされていました。至極もっともで、この発想が今の自民党内にない事の危惧もされていました。以上隠塚議員のメモです。
 その後、立命館大学の小松浩さんが講演。昨年の閣議決定で集団的自衛権を認めて以来立憲主義を逸脱。憲法研究者が235人も改憲に解釈に反対していることなど踏まえて、安倍政権に対して怒りの講演。
 
     <土砂災害現場にて>

 夕方、とあるご縁で北白川の仕伏町の土砂災害に遭われたお宅に。   
路地を入ったところなので道路沿いからは見ることができないが、お隣のお家が崩壊して、柱などがのめり込んでいる。危機一髪とは、このことか。お住まいの人は、演劇関係者で、ぼくの友人をよく知っていた。裏山にはブルーシートが。また大雨が降ると大変危険なところ。怪我された方が、おられなかったのが不幸中の幸い。対策はこれから。ともあれ身の安全を!

 夜は、市会改革推進委員会正副委員長と懇談会。忌憚のない意見交換。その後、ひとりの副委員長とその後、暫しワイワイ。

●7月21日(火)
 
 朝、前原誠司事務所の若いスタッフと上高野に。過日、相談を受けていた山裾の遊歩道化について、左京土木事務所での懇談の結果報告。

    <三井別邸 改修中> 

 午後は下鴨神社近く、家庭裁判所の東側にある重要文化財旧三井別邸に。戦後財閥解体後、家庭裁判所所長宿舎として活用されてきたが、3年前から改修が始まり、この9月市会で京都市が管理する建物として、設置条例の議案が提案され、2月には指定管理者を選定するという予定なので、関係議員にお披露目。丁寧な修復作業が続いていて、それも今まで活用されていた材を使うということで時間もかかるようだ。もちろん一般公開されるし、京都らしいイベントにも活用が可能になるとのこと。
 
 夜は、吉田神社参集殿で吉田今宮会の世話人会。昨年の神輿巡行の会計報告などや反省点、また今年の巡行計画のことなどわいわい。神輿巡幸が復活して35年かな。京大の学生たちのボランティアも増えてきて、盛大になって何より。今年は10月11日が神幸祭。会議と同じ時間、境内では剣鉾の練習もあり、汗を流しながら一回差す。後は本番でがんばろ!

台風で被害!     7月17日ー20日

2015年07月26日 | 日記
●7月20日(月)

 海の日で三連休。
 
 台風一過、このところのニュースは安保法制のことは終わって、衆議院本会議で採決された翌日に安倍首相が決断した国立競技場建設問題の白紙化。いかにも姑息や。話題をすり替えるのが得意なのや。
 
 そして、やって来ました京都の夏!吉田神社で久しぶりに剣鉾の練習!汗ダクダク、太陽がまぶしい!25日(土)が吉田学区の夏まつり。がんばろ!と思うけれど、熱中症みたいにボートしてしまい。無理せんとこ。それにしても造形大学の女子大生はよくがんばるよ!

     <岡田民主党代表、京都で演説!>
 
 4時過ぎ、いつもより水は濁っていたが、ほぼ日頃の水位になった鴨川河川敷をチャリンコで25分。タクシーより早いで。京都駅タワーホテル前で、暴走する安倍政権に対してのキャンペーンで岡田代表が全国遊説。福山、山井そして泉ケンタ議員が演説をして、岡田代表がマイクを持つ。昨年の衆議院選挙の時は雨でもあったので足を止める人も少なかったが、もちろん動員もあったので、ちょっと多く感じる人だかり。シャッキと自民党と対峙すべし!しっかり頼みまっせ〜
 
 夕方、三条大橋たもとの眠々で、とある新婚さんと結婚40年の夫婦のお祝い。

 そしてこの3連休、まあ色々とありましたが、〆は「錦林盆踊り大会」に向けての練習が国際交流会館で開催。盛り上がってきました。本番は今週の土日の夕方です。ご近所からクレームがあったのはちょっと残念。音頭好きあつまれ!年齢国籍地域を問わずどなたでも無料!ご参加下さい。

●7月19日(日)

 台風一過。左京区の北白川では2か所で土砂災害。山中越(下鴨・大津線)は、当分の間、警察に聞いたところ通行止めのようです。被害にあわれた皆さんにお見舞い申し上げます。

    <朝粥の会>

 今朝は吉田文化サロン「朝粥の会」。テーマ「もしも私が認知症になったとき」と題して、日本いのちの花協会代表の宮田さよこさんのお話。96歳の親父のことを思いつつ、自分自身の老後はどうなるのかなあ、身につまされながらお聞きしました。
 

    <ほんやら洞・八文字屋の甲斐さんを見舞う>

 午後は、まだ水は濁っていたが、濁流も収まった鴨川を見て、甲斐扶佐義君の見舞いに。自転車で転倒したときの傷を放置していたら、膿がたまって象の足のようになってしまっていた。足の切断も予想されていたようですが、無事に膿をとる手術も終わり、ベッドでタブレットを打てるまでに快復。2か月ほどは入院とのこと。
 ほんやら洞の全焼から年が明けて、甲斐サン、今年は厄年やなあ。それでも気持ちは写真集出版のこととか、フランスの「ルモンド」紙に載ったとか。意気軒昂でしたが、でも問題は医療費をどうするのか。国保にも加入してないしさて困った、困った!
 
 同じ病棟に酔っぱらって頭にけがをしてまた頸椎にも損傷が起きて入院中の知人を訪ねる。もう酒やめなさいよ!そのひとこと。
 
 夕方から夜にかけては、日吉神社の夏まつり。わが鴨沂高校の先輩の臼井さんら日吉会のメンバーが今年も奮闘。岡崎中学校の吹奏楽部の演奏やビンゴゲーム。年々、盛り上がっています。ここの串カツは美味いよ!その後。わが春の選挙を闘ってくれた面々と「すいれん」でまたワイワイ。いささかマワッタ!

●7月18日(土)

      <ドキュメンタリー映画「轟音(ごうおん)」>

 激しく夜中も降り続けていた雨も朝にはほぼ小雨模様。台風被害のことを気にかけつつも、鴨川の水量を見ながら、前からの約束で木屋町の元立誠小学校の立誠シネマに。太平洋戦争末期に和歌山県田辺市龍神村の山中に墜落した米軍爆撃機B29の乗務員と村人の交わりを描いたドキュメンタリー映画「轟音(ごうおん)」を見る。
 大阪芸術大学の学生さんたちが製作に携わり、監督は25歳の笠原栄理さん。米兵の妹さんと当時の墜落現場を知る人との対面シーンは劇的でした。
 主催は四ノ宮陽一さん。大阪自由学校の池田知隆さんとも久しぶりに再会したのでした。戦後70年の夏、各地で上映されたらいいな。映画が終わった頃、銀閣寺前の友人から雨で被害が出たと電話。

       <台風11号による被害>

 2年前の18号台風のとき、大文字の土砂が参道に流れ込みいたるところで土砂が埋まったが、現場に走るとそのようなことはなく、観光客も普段のように歩いている。しかし、わが土産物屋さんの友人宅に伺うと家の中に水が噴き出たとのこと。数軒、バキュームカーが来て濁水を処理中。どうやら道路下の雨水管がオーバーフローして家の中に吹きあがったらしい。各お店では後片付けでたいへん。お見舞い申し上げます。 
 災害は思いがけないところで起こる。
 その後、東山山麓を巡回するが大きな被害の形跡はなくてよかった、と思っていたら、なんと山中越え(下鴨・大津線)の仕伏町バス停から300mほど行ったところの山裾で土砂崩れで家が崩壊との情報。

       <北白川仕伏町で土砂崩れ>

 山中越えをさらに先に進んだ採石場のあるところ。毎年、大雨で被害が出るところだそうですが、無残です。けが人などなかったは不幸中の幸いです。もちろん通行止めになっていたが、現場に足を運ぶ。ちょうど門川市長も視察にきたとこ。
 路地を入って二人して崩落現場に。およそ50メートほどの山が崩れている。空き家が押しつぶされてその隣家も危うい。昨年夏の広島での土砂災害の怖さを想う。空き家でもあり、人に被害はなかったが、もう少し大きければ数軒が押し流されていたかな。
 
       <琵琶町の採石場でも車が土砂に埋まる>

 その現場から400メートルほど先の琵琶町の砕石場の谷筋の土砂の流出は凄まじかった。車が3台ほど埋まる惨状。聞けば毎年大雨で土砂が流れ出すいう。京大の三村先生も来られていて市長とともに視察。このあたりの砂は白川砂として有名だが、花崗岩の山でどうしてももろいのだろう。けが人もおられなかったのは不幸中の幸いか。
 
 土砂流出の危険性のあるお宅の人が北白川小学校に避難されているとということでお見舞いに。左京区役所の職員、自主防災会のひととともに避難されていた50名のほどの人が不安げに説明を受けておられた。雨がまた降れば危険なのは素人目にもわかる。身の安全のためにしばらくは帰れそうにないとの説明。
 
 区長らにその他と地域での被害はどうだったかと聞くと、18号台風ほどの被害はないとのこと。少しは安堵した。
 
 夜は、2か月にいちどの地元の人との交流会であるチェルキオの会。いつものようにワインを飲みながらワイワイ。わが地元の吉田周辺には被害もなくてほっとした。
 
●7月17日(金)

     <台風11号 それでも祇園祭、山鉾巡幸>

 台風11号が接近!祇園祭が台風直撃に会うのは珍しい。主催者のみなさんはさぞ悩まれたことだろうが、山鉾を巡幸は決行とのこと。市会改革推進委員会が10時開催ということで、登庁すると雨にもかかわらず観覧席にはカッパを着た観光客が座り始めている。脱帽です。

     <市会改革推進委員会>

 10時から市会改革推進委員会。寺田委員長のテキパキとした進行で各委員がフリートーク。今日も市会改革に係る検討項目として、(1)議会報告会・意見聴取会の実施について、それぞれの会派や委員が持論を展開。実施に向けて、なんとか合意点を見つけたいね。
 情報発信の強化は、インターネット時代なのテクニカルなことが多い。(3)投票率向上に向けた取組は、大学生との意見交換の今までの経験などが語られている。(4)政務活動費の公開の在り方は、ネットで領収書の添付も含めて検討されているのだが、これも合意に達するのはまだまだ先かな。12時過ぎまで熱心に議論伯仲。

 終わって議員団室から御池通を見たら巡幸最後の山鉾が、雨の中、ゆっくり進んでいった。見物客も鉾を引く人もびしょ濡れになりながらで、頭が下がる。ご苦労様でした。これぞ京都の町衆の心意気!
 ランチは、巡幸を見に来ていた友人と。
 
 午後は、議員団室で、4年に一度、各議員団室の部屋の改修が行われるので机の上の整理などでバタバタ。また、監査委員として例月出納の報告を受ける。

     <左京区の学区に避難勧告> 

 夕方、さらに雨足が強くなる中、友人宅で食事。帰途、車で三条大橋を見ると鴨川は濁流が激しく渦巻いていて、堤防近くまで水位が上昇。2年前の台風18号のときを思い出す。かなりヤバイよ。
 
 京都市の危機管理室から避難勧告のメールが送られてくる。北白川や錦林東山学区も避難の対象になってきた。深夜に大雨の中、避難をすることの危険性と、また実際に土砂災害の危険な個所の住民の避難も必要だが、学区全体になるとその危険性の格差が大きすぎないか。また避難所の開設が実際されていて受け入れ体制が整っているのか、そのあたりのことは今後の課題ではないかと思う。
 大きな被害が出ないこと祈るのみ。

安保法制強行採決!  7月13日ー16日   

2015年07月21日 | 日記
●7月16日(木)

  <東京へ。民主党地方自治体議員フォーラム代表世話人会と国会で安保法制本会議で可決>

 朝、民主党地方自治体議員フォーラム代表世話人会に参加するために新幹線で東京へ。台風接近だけどまあ大丈夫やろうと思っていたが、もちろん富士山は見えず。

 東京駅から地下鉄で国会議事堂前へ。風雲急をつげる国会。警察官がウロウロ。周辺には警察のカマボコ車がずらり。首相官邸近くも厳重な警戒。議員会館前では、安保法制の本会議採決に向けて抗議行動の人たちが並びシュプレヒコール。12時から代表の内海宮城県議たらと打ち合わせ。国会は衆議院本会議で1時から開かれるということで慌ただしい動き。
 台風で来れなかった四国のメンバーを覗いて全国の都道府県の代表者の議員が結集。当初、予定されていた国会議員の挨拶は省いて、早速、この秋に開催を予定している全国自治体議員フォーラムの総会と研修会の打ち合わせ。ぼくは副代表ということで、議事進行役。総会での研修テーマや講師の選定など議論して、また統一自治体選挙後の各県の情勢など報告。関東などはなんとか踏みとどまっているところもあるが、関西では大阪など民主党の議員はガタ減り。もうたいへんですよ。されど、ここから再出発するしかない。

 会議終了後、近畿の兵庫、大阪、和歌山、奈良、滋賀の代表者に集まってもらい今後の近畿ブロック研修会のことなど協議。ぼくが近畿代表の世話人に留任。

 解散後、衆議院議員会館に。前原議員と泉ケンタ議員の事務所を訪問。衆議院本会議では、自公民の多数で、安保法制関連は可決。民主など野党は退席。昔は牛歩戦術なるものもあったが、戦後70年平和国家として存続してきた日本が安倍政権のもと、海外での戦争に日本が加担することになるこの局面で、数の横暴だとはいえ、退席しかなかったのか、と思う。
 ちょうどそれぞれの事務所では、多少疲れた両議員と懇談したが、これからも世論を味方に、安倍政権に対峙してもらいたい。

 帰途、小雨降る中、座り込んで抗議行動をする自治労や日教組のメンバーに声をかけて、新橋駅へ。台風接近でゆっくりできなかったけれど京都支局に昨年まで赴任していた新聞記者さんとガード下でホッピーを飲んで暫し懇談。国会情勢や野党再編の動きなど色々と懇談。台風で新幹線が止まったらえらいこっちゃ、とういうことで早々に切りあげて新幹線で帰京。ホッピーがまわって車中爆睡。京都は、宵山。人出が少なかったらしい。

●7月15日(水)


 午前9時過ぎ、左京土木事務所に前原誠司事務所の若きスタッフの小島君と。まずは先日、市民要望で実現をお願いしていた街灯設置や私道助成のことなど報告し、先日現地を見に行った上高野小学校の近くの山沿いの道の遊歩道化について、現状と課題について議論。
 地元の皆さんの要望はぼくも理解はするけれど、予算のこと、或いは立地条件のことなど課題は大きく実現は難しいというのが感想や。

 その後、昼前には東部まち美化事務所に。これも過日要望があったご近所の資源物ゴミの集積場所のことで担当者と協議。正直、これも地元のみなさんの要望実現はちょっと無理かな。

 午後は、ちょっとした縁があって、とある場所へ整体をしてもらいに。整体師さんが丁寧に癒してくれました。至福の時。感謝!

    <衆議院委員会で安保法制強行可決!抗議行動!>

 夕方、三条河原に。戦争をさせない1000人委員会の集会に。
 安保法制の衆議院委員会での強行採決に抗議の緊急行動。今日の午後、怒号が飛び交う中、衆議院平和安全法制特別委員会において、安倍政権は安全保障関連法案の採決を強行採決!憲法を踏みにじり、国民の多くが理解をしない中での採決。けしからん!
 60年安保闘争、70年のぼくらの学生時代の安保闘争などを経て、平和国家としての日本があった。それが戦後70年目にして、自民党と公明党は、数の横暴で憲法をないがしろにして、戦争に加担する国にしようとしている。怒り心頭!平和と福祉の党の公明党が自民党に加担するのは許されん!三条河原町では労組や社民党のメンバーとともにぼくも怒りの街頭演説!

 夜は、最近で出会ったFB友達とビールを飲み、久しぶりに四条木屋町下がるの「ろくでなし」。ビートルズを聞きながらワイワイ。ちょっと飲み過ぎたかな。楽しかったよ。

●7月14日(火)

    <京都駅南口 再整備の課題、どうする観光バスの発着>

 午前中、議員団室に。過日、相談を受けていた京都駅南口の整備について観光バスの駐車場が手狭なのでその御苦労話をバス協会の役員さんと「歩くまち京都推進室」の担当者と交通政策監との懇談会。
 修学旅行生を載せたの「のぞみ」がシーズン時には10時台に3本かな到着するともう観光バスの発着はもうたいへん。バス協会が旅行会社と連絡を取りながら、受け入れをするのだが、安全に短時間で修学旅行生を乗せて出発させるご苦労をお聞きする。観光客が5千万人を超え、修学旅行生は百万人だといわれているが、それを迎える観光バスの発着上の確保は大きな課題。

 昼は、三条寺町のサンシャインカフェでランチしながら相談ごと。

 午後、七条京阪の集酉楽サカタニでの「たけの世界」を見がてら、わが悪友の酒谷宗男君を訪問。幼稚園、小、中、高校と悪がき仲間。もう60年お付き合いだ!

    <核兵器廃絶とヒロシマ・ナガサキ原爆展>

 夕方、ふたたび市役所前のゼスト御池に。
 連合京都がこの数年、ゼスト御池で原爆展を開催している。退職者の方が受付。ヒロシマとナガサキの被爆の模様をパネルにして展示。そして6時過ぎから、連合京都の宣伝カーの乗って平井府会議員らとともにぼくも演説。親父が被爆していること、この間の暴走する安倍政権の危険性、戦後70年目の夏、平和と戦争を考える夏であること、そして核兵器廃絶に向けての決意を語ったよ!

 夜は、水田雅博上下水道管理者らと懇談。彼とは、彼が教育委員会の係長の時代からの付き合いで議論相手。琵琶湖疏水の通船を試行実施してくれたことを大いに評価。彼も来年には退職かな?

 仕上げは、久しぶりに八文字屋だあ!ほんやら洞は焼失したが、何とかガンバっている甲斐さんを励ましに!ところが、自転車で転倒して怪我をしたところからばい菌が入ったらしく、ゾウの足。明日、病院に行くそうだが、心配やな。

●7月13日(月)

 朝、事務所の前の朝顔が咲き乱れはじめました。夏やね。午前中、久しぶりに浄土寺の吉田デンタルクリニックに。ぼくが通う医者は、唯一歯科医。現在、美術館で開催中のルーブル美術展での「抜歯屋さん」の絵を思い出して、スマホで写真撮って流したら、みなさん大笑い!

 午後は事務所にて資料整理など雑務。

 夕方、事務所にて吉田の東部の町内会長さんや自主防災会のメンバーが集まり、この秋9月に行う防災訓練のことで協議。今年初めて近衛中学校ですることになったので、ああでもないこうでもないと意見を述べる人もいたが、福井会長らがまとめ役で、みんなが協力して実施することに決定。わが地元の吉田の住民のみなさんの防災に対する意識は高いよ。

なんやかんやの1週間   7月6日ー12日

2015年07月13日 | 日記
●7月12日(日)

 今日12日のお昼、わが事務所近くの京大前、吉田神社参道前の中尾写真館で、網田奈央さん(旧姓小宮山さん)のお嬢ちゃん、華子ちゃんの初宮詣での前の記念写真撮影に乱入。可愛い、可愛い。おめでとうございます!我が家の孫は、当分なさそう。

  昼過ぎ、民主党京都府連で会議。来年のことをいうと鬼が笑うけれど、来年の夏に行われる福山参議院議員の再選を目指して、第一回の選対会議。ポスターのことなど協議。厳しい選挙戦になるけれどがんばろかいな!その後、とある会で万華鏡ミュージアムに。2017年には万華鏡国際大会を京都で開催されるそうですよ。

     <まえはら誠司左京後援会「ふれあい夏まつり」>

 そして夜は、まえはら誠司左京後援会の第18回ふれあい夏まつり。毎回参加させてもらっているけど、今年も700名の参加者で大盛況。奇跡の11票差でこの春の選挙で滑り込みセーフでできた御礼を。みなさん、ほんまに喜んでいただきました。感謝、感謝です。 また多忙の中、応援に福山哲郎参議院議員も。素敵なピアノ演奏は、八木橋夏子様とギターの弾き語りで宮原春彦さんも飛び入り。民主党の支持率は上がらんけれど、左京は前原議員や前原後援会のみなさんと再起を期すのです。実行委員会の皆さん、お疲れさんでした!.

●7月11日(土)

 今日は蒸し暑い!土曜日。朝8時30分から動物園の正面玄関と学習利便施設のオープン式典。この秋にはグランドオープン! 門川市長と奥野卓司関学教授は堀川高校同級生。ぼくは鴨沂高校で彼らより2年上です。屋根には象の瓦!

 昼からは、おふくろの携帯電話がつぶれかかってきたので弟と一緒にショップに。

 そして、夜は岩倉のホンキートンクでの、「 OH BROTHERS」という大阪学院大学の軽音楽部のOBの団塊の世代のみなさんのブルーグラスを聴きに。リーダーの斉藤さんは岩倉北消防分団の団員さんでした。岩倉のフナッシーこと歌姫北岡ちはる府会議員も飛び入りでカントリーロードを熱唱。さすがですわ!

●7月10日(金)

 鬼の攪乱か、ダウン。午後、事務所にてぼんやり。アフリカはマリから来られたファティマタさん。フランス語で、ボンジュール!なんとなく気怠くて、終日、気合入らず。一杯飲みながら探偵ナイトスクープ見て、早々に就寝。たまには、こんな日もあるわいな。

●7月9日(木)

 朝9時から議員会。10時から本会議。桂川・小畑川水防組合の議会の議員ほ補欠選挙と「全国水平社創立宣言と関係資料のユネスコ記憶遺産登録に関する決議」を共産党は退席したが、多数で可決。

 正午には、市会改革推進委員会の正副委員長と正副議長と今後の検討課題について懇談。昨日夕方は、動物園の正面入り口がオープン。図書室、グッズショップ、レストランなどの内覧会。ええで!レストランは夜9時まで営業。
 宮城県会議員の内海議員が視察で上洛。内覧会に来てもらい門川市長を紹介。そして聖護院の「嵐まる」で一献。帰途、久しぶりにクラブメトロに!ニックさんには会えなかったけれど、若者たちで盛り上がってました!

●7月8日(水)

 朝8時半にご近所のごみ集積場に。缶ペットボトル、プラスティックの資源物の置き場所について、ご近所の人から陳情。ちょうどパッカー車もきて収集作業。ご苦労さんです。まち美化事務所に相談に行こうかな。

      <教育福祉委員会>

 今日は第2週の水曜日なので教育福祉委員会。
 保健福祉局からは、税額調整措置にミスがあって、保育料の算定に誤りがあったとして77所帯に保育料を加算しすぎたと報告。また制定時に大いに議論になった、ごみ屋敷対策条例に基づいて、とある該当者に文書指導をするという報告。
 また昨年来、議論のあった市営保育所の民営化に伴い、移管先法人などの 募集についての案件。保護者会のみなさんから相談を受けていた錦林保育園の選定項目などについて質疑。さらに京都市動物との共生に向けた マナーなどに関する条例の施行 に関する取り組みについて報告も。もりだくさん。
 一般質問では、山科のペット霊園、ピロリ菌と胃がんの検診、学童クラブ事業についてなど質疑がそれぞれされました。
 
 教育委員会からは、報告案件はなかったけれど、今朝の京都新聞でも「自治会は要望書、一部住民の抗議文」との記事が載ったが、右京区京北地域の小中一貫校問題で、4人の委員が論議。
 ぼくは、高校制度の改革についてなど質疑をする予定だったが、6時前だったので次回の委員会で時間をとって質疑することにした。ちょっとくたびれました! 

 そして夜は、京都高野川ライオンズクラブの新年度の初例会。親クラブの天神川ライオンズからご来賓。わがクラブの会長は、百万遍の吉岡書店の鴨沂高校先輩の吉岡誠さん。新入会員を募ってます!

●7月7日(火)

 10時過ぎにウエスティン都ホテルに。日本南画院展表彰式。聖護院に事務所を構えた時、前の部屋が南画院事務所でした。そんなご縁。市長表彰を代読させていただきました。

      <人権擁護委員として>

 午後から夜にかけて人権擁護委員会の常務委員会と懇談会と懇親会の3連荘。議会選出で人権擁護委員に委嘱されて3年。この10月で任期がきれるけれど、啓発運動や電話相談など精一杯のことをやってきたつもり。また京都市の文化市民局の担当者と法務局との連携なども委員会でアピールして、京都市の人権計画にも記された。ゆるきゃらに入って啓発活動したのもよき経験。夜は、がんこ二条苑で人権擁護委員の懇親会。青田委員と京都地方法務局長さんが手品を披露。青木 よしかさんも元気だよ。今度の局長、愉快な人でした。

●7月6日(月)

 週明け、暑くなってきた。事務所の前の朝顔が咲き乱れていている。もう夏や。昼間は時間があったので、事務所で作業が遅れていた後援会収支報告書づくり。政務活動費との按分もあり、ややこしい。

 夜は、わが民主・都みらい京都市会議員団と民主党の府会議員団と食事しながら懇談会。府連の集まりなどで一緒になることは、よくあるけれど、議員団同士で集うのは初めてかな。福知山の大橋、舞鶴の小原舞、木津川の松岡、京田辺の北川、城陽の酒井府議らとも色々と交流で来てよかったよ。二次会も盛り上がりました。

七月になりました。          7月1日ー5日

2015年07月08日 | 日記
●7月5日 (日)

     <スナック「ゲリラ同窓会」>

 日曜日の午後は、久しぶりに四条へ。渋滞もなくスムーズに流れてましたね。閉店して10年ほど経つけれど祇園は大和大路下がるにあったスナック「ゲリラ」の同窓会。マスターの満身学さんが亡くなって 13回忌。英子さんも車イスだけれど元気に回復された。同志社の民俗学研究会のメンバーや当時の飲み友達が集結。満身さんは、真如堂前で ラーメン屋「一休軒」のマスターでもありました。いい会でした。

     <七夕コンサート>

 夕方は、「拾得」に。43回目 の最後の?「七夕コンサート」。ベ トナム戦争の終わるころ、戦争孤児救援で始まった、コンサート。あれから40年余。みんな60代になったな。東野ひとしさんが亡くなって さみしくなったけれど、古川豪、豊田勇造、中山ラビ、三浦久さん、それぞれの想いをこめて熱唱!ラビちゃんのパワーがすごかった!久しぶりに会う同世代の友人ら多数。

●7月4日 (土)

 土曜日の午後、下鴨に。喫茶「スイフト」で一服。アトリエ 劇研に。吉田剣鉾保存会の新人、日置あつし君のパフォーマンス「苔人」。不思議な空間でした。彼の親父は、ぼくの友人!

  それから松ヶ崎の喫茶店に。店内にはぼくと前原議員のポスターが今も貼ってありました。感謝。隣の駐車場敷地に、とある通信機器会社が基地局の建設を予定しているとか。電磁波のことや住宅専用地域でもあるので色々と不安材料があるようだ。いちど都市計画局に聞いてみておこう。

 夕方は、前原事務所にて2区総支部常任委員会。過日開催された府連の常任幹事会の報告や党員・サポーター登録の結果や今後のこと。某左京選出の議員がNPO法人の金を使い込んだ事案も話題に。

 夜はとある店で2区の議員会。お疲れさん会。歌の上手い店主が、七変化で大いに盛り上げてくれました!

●7月3日(金)

     <湖南市を視察>

 滋賀県湖南市へ。栗東から一号 線を少し行ったところ、石部町と甲 西町が合併して平成16年に誕生した人口5万人のまち。以前から、市民共同発電などの取り組みに興味を持っていたので、久々の個人視察。 地域エネルギー課の女性の担当者から、自然エネルギーを活用するまちづくりについてお話を伺いました。障がい者福祉の現場から生まれた 「アールブリュット」の取り組みや湖南市地域自然エネルギー基本条例のことなど、勉強になりました。


●7月2日 (木)

 朝、テレビつけたら「なでしこ」の試合を前半戦だけ見る。一点先制ゴールを見てトイレに行った即、同点になってた。試合の結果はイギリスのオウンゴールでなでしこ土俵際のうっちゃり勝利。決勝進出だ!

 それから、弟と嵯峨のケア付き住宅に。おふくろを美容院に送り、車イスに載せて親父と病院に。圧迫骨折で入院をしていたのが、一か月半ほど前。レントゲンをとって、その後の経過について診てもらいました。96歳でも骨 がまたできて来たそうです。不死身です。主治医の先生は、ぼくの友人の金先生の後輩のドクターでした。

  お昼は、ちょっと遅参したが、河道屋さんでの聖護院消防分団後援会の総会で聖護院のみなさんとしばし懇談。午後は、事務所でバタバタ。

 夕方は、左京西部いきいき市民活動センターでの部落解放同盟田中支部の定期大会。まずは選挙のお礼。学生時代に大丸の配達で地域を回っていた話や今は亡き同盟の幹部だったひとの思い出話。水平社宣言を世界記憶遺産にという運動が始まったようだ。その後、友人ととある居酒屋で近江牛。美味かった!

●7月1日 (水)

 今日から7月。雨が激しく降っ てました。西京区ではちょっと被害 があったみたいでが、みなさんいかがでしたか?

 午前中の来客は同志社の総合政策科学研究科の同窓生の真下仁さん。京都の課題や未来の京都のために政策勉強会をしませんかと提案してくれる。もともとは聖護院に住んでいて鴨沂高校の後輩。前向きに検討しようと思っています。楽友会館でランチしながらアイデアを出し合う。

午後は資料の整理など。たまにしないとごみ屋敷になりそう。

夕方は、河原町今出川下るの京都画廊での日韓国交正常化50周年記念の創石会展。韓国から女性画家たちがチョゴリを着て華やかでした。民俗音楽や舞踊もあり楽しいひと時。

     <公契約条例制定へ>

 その後、京都公務労協・連合京 都官公部門連絡会主催の公契約条例 の制定を求める集会。行財政局の担当課長が、的確な講演。門川市長のマニフェストで制定が 約束されていたので予算委員会などでもぼくもたびたび条例制定を訴えてきた。勤労者の賃金の確保なども大事。また中小企業の振興も理念に謳われているが、業界とのせめぎ合いもあって、ようやく成文化に向けて動き出した。課題は色々とあるのだけれど、まずは一歩前進か。

  そし て今夜の〆は、府庁前の「はなふ さ」で、元京都市学校給食職員労組委員長の女将の栄子さん相手にひとり「すき焼き」。この7月には3周年記念。

梅雨の合間に   6月26日ー30日

2015年07月02日 | 日記
●6月30日

  今日は水無月の晦日ということで夏越しの大祓式。吉田神社で一人茅の輪をくぐる。

     <若狭は小浜、高浜に>

 10時過ぎ、事務所を出て国道367号で、福祉工房P&Pの西村君と子息とで若狭は小浜へ!港近くの市場で、腹ごしらえ。とれとれの刺身定食!美味かったあ!
 1時から小浜文化会館で、ぼくも役員をしているNPO法人福祉工房P&Pが高浜町に開設を準備している障害者就労継続支援B型事業所「海のとまり木」の相談説明会。高浜から一人来ていただきました。パソコンを使って、アニメや名刺づくりの説明です。三木小浜市議も多忙な中、来てくれました。感謝。入所希望の方、おられましたらご連絡くださいね。

 説明会の後、原発の町、高浜へ。事業所としてお借りするお家にご挨拶。潮の香りがいいね。7時前には無事に帰京しました。


●6月29日(月)

 水無月の晦日は、夏の大祓式。岡崎神社では茅の輪が飾られていました。穢れを払い清め、心身の清浄を神様に祈る儀式です。
 昼前、この春、ベトナムはホーチミン市の子ども病院に哺乳瓶など医療品を持参した廣瀬礼子さんが来所。今後の取組について相談を受ける。
 また、市役所では2時から地球環境団体ガイアの神田さんらと地球環境政策監らと顔合わせ。来春4月に国際交流会館でイベントを開催準備が始まった。

 5時過ぎには、上高野に。里山の横に流れている用水路のところを遊歩道ないし避難道として整備することができないだろうかという相談ごと。現場を見させていただく。まずは、調査から始めるかな。

 夜は左京東部いきいき市民活動センターで、錦林盆踊り大会に向けての練習を見学に。江州音頭の志賀國天寿が音頭とり。盛り上がる!本番が楽しみや!スタッフの鈴木キヨシさんとピアニストの鈴木純さん夫妻とタコとケンタローで懇談。鈴木姓が四人そろうなんて珍しいなあ!

●6月28日(日)

 梅雨の合間のさわやかな日曜日。

    <朝粥の会>

 午前中は、わが事務所。カルチャーガーデン吉田の森で再開した朝粥の会。わが鴨沂高校山岳部の一年後輩で税理士の池上陽さんが「税金よもやまばなしー相続・贈与を中心に」と題して国の税制、マイナンバー制度や相続のときのことなど。話してくれました。彼とももう50年の付き合いかな。相続の相談は池上事務所に。

    <民主党の集い> 

 昼はみやこめっせで、民主党京都府連の常任幹事会に続いて、民主党京都フォーラム。 泉ケンタ議員の司会で一部は安全保障法について、前原議員と福山議員が、第二部は労働法制について、山井議員が報告。民主党、ここが正念場やで!ぼくもガンバロるぞ!

 みやこめっせでは、京都市・乙訓地域公立高等学校合同説明会が開催中!わが母校鴨沂高校も藤井校長を先頭に奮闘中。新校舎の建設もいよいよです。ゆるきゃらも誕生!ぼくの愚息も教えてもらっていた書道の増川先生は異動になって洛北高校のブースでがんばってはりました!

    <鈴木マサホ市政懇談会>

 そして5時から、選挙の時のスタッフを中心に集まってもらって、今期初めての鈴木マサホ市政懇談会を平安の森で開催!
ぼくからは、8期目ミラクル当選の御礼と五月市会のことやこの4年間の政策課題や抱負を語り、参加者から色々と叱咤激励や京都市政に対して要望などお聞きしました。みなさん、ありがとう!この4年間がんばるで!また開催しますので、そのときはみなさん、来てね!

●6月27日(土)

    <世界連邦運動協会>

 11時過ぎに高台寺の京大和に。世界連邦運動協会京都支部の総会に。支部長の品川幹雄さんのご挨拶の後、「異文化の交わる世界の中から」と題して、蔡國強さんのお話。世界で活躍されるアーティスト!すごかった!火薬を使ったスケールの大きなイベント。京都市美術館でのパラソフィアにも出展されていたのですよ。また福島県いわき市とのご縁も深い人。

    <映画「花のように あるがままに」上映会>


 午後は、シルクホールでの映画「花のようにあるがままに」の完成披露上映会に。この春から、制作協力委員会や上映実行委員会に多少かかわってきた。
 主人公のペイ・リファさんと出会ったのはもう20年ほど前かな。一乗寺でアリラン舞踏研究所などをされていたとき。今は祇園で梨花苑という韓国風居酒屋さんをしているが、彼女は、人権教育などで学校で舞ったりしているパワーあふれるオモニ。彼女の日常を描きながら、彼女のお父さんの講演のテープが残されていて、そのルーツをたどる旅などが淡々と描かれて、朝鮮通信使の研究家でもある仲尾宏さんの解説などもある。監督は港健二郎さん。
 広い会場で入りを心配していたが、まあまあでした。そして何よりも映画の後のシンガーソングライターの翼君と舞踊家の川口真由美さんのパフォーマンスもよかった!日韓正常化50周年。政府間同士がギクシャクしているときに、まさにタイムリーな映画でした。打ち上げにも参加して成功裏に終わったことに感謝!

    <映画「ヒロシマが泣いている フクシマが泣いている」の上映会>


 そして夜は、福山参議院議員事務所からの案内で映画「ヒロシマが泣いている フクシマが泣いている」の上映会に。この映画の監督・制作は歯科医師の古田博一さん。南方留学生特別生だったオマールさんのことから始まって、京都歯科医師会の重鎮であった平塚哲夫先生(被爆されていました)の病床でのインタビューや3・11東日本大震災直後にフクシマに入った時の映像や反原発のパレードの模様などを描いたドキュメント。ぼくの96歳になる親父も被爆しているのです。またぜひ自主上映しようかな。音楽を担当したバイオリニストエリカさんと久しぶりに再会しました。

●6月26日(金)

 雨どすな。ちょっと今日はゆったり。午前中は来客ひとり。春の選挙や来年春に迎える市長選や参議院選など選挙談義。

 昼はコムペイジの牧野君と銀閣寺交差点の「すいれん」にて昼食。店主の吉嗣知也君は、市会議員だった故上倉哲郎さんのお孫さん。ぼくが主宰している「左京ライフ」で人物紹介に登場してもらうことにしたのでその打ち合わせ。剣鉾仲間です。この夏祇園祭展ということで7月23日(木)京都文化博物館前で北白川壱の鉾を差すそうですよ!

 夜は、近所の居酒屋「屯風」でわが同世代の明星観光の谷口さんと一献。京都の貸し切り観光バスのことで政策談義。現在京都駅南口の再整備事業が進行しているのだが、修学旅行生の新幹線が到着した時の観光バスの発着場の狭いところでのご苦労は、並大抵ではない。安全面を確保しつつ、どう気持ちよく生徒たちの乗車してもらうのか、日々、現場に出て対策をとっているという。ほんまにご苦労様です。京都の観光を支える裏方さんのご苦労を知った次第です。