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元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

朝の街頭演説    11月19日ー21日   

2012年11月27日 | 日記

     お知らせ

 ◎鈴木マサホ 11月30日(金)午後2時過ぎ 代表質問!
 
 11月市会が告示されました。11月30日(金)が代表質問の本会議です。
 午後2時過ぎから民主・都みらい議員団を代表して今期2度目の質問に立ちます。
 持ち時間は20分と短いのですが、
 民主党政権下の地方自治体における成果と課題
 総合支援教育、就労支援、交通バリアフリーなど「障がい者福祉」について質問します。
 ぜひネットやテレビ中継を見てください

 ◎民主党2区総支部政策フォーラム
   12月2日(日)午後5時―6時30分
   講演 前原誠司国家戦略大臣
  会場 みやこめっせ 参加費  無料

●11月21日(水)

    <朝の街頭行動>

 朝、7時半から東山五条の交差点での街頭演説。大谷本廟の紅葉が朝日に照らされて綺麗。前原議員は、この3年間の政権の成果やマニフェストで実現できなかったことを詫びつつ、9時まで1時間半、喋りづめ。長時間にわたる演説は、なかなかできることではないよ。前原後援会や東山選出の中野洋一議員の後援会のみなさんも赤いジャンパーを着て、9時まで応援でビラを撒いたりドライバーに手を振ったりで盛り上げる。

 事務所への来客は、某新聞記者さんら。2区の選挙情勢にウンチクを傾ける。小泉旋風が吹いた郵政選挙のときと同様の厳しさだと覚悟してるよ。
 また、交通局の担当者とホームドア、可動式柵の設置のこと、ワンストップバスの導入状況など、地下鉄と市バスのバリアフリーの状況について懇談。

 合間を見ながら、代表質問の原稿を書き始める。冒頭に、野次を承知で民主党政権の成果を述べて、本題のテーマを、総合支援教育と雇用、バリアフリーのまちづくりなど中心に障害者福祉に絞って質問をしようと考えている。資料を読みながらワードに打ち込む。

 夜は、過日の国際交流会館前庭での「ユイハート福祉まつり」の反省会。出店してくれた新洞学区にあるテンダーハウスのスタッフと福祉施設で作られる製品の販売や運営の苦労話を聞く。お茶会に来てくれた人は200人ぐらい。各施設の売り上げもまあまあだったようで、次年度にも開催しようね。石井岩吉さんはじめスタッフのみなさんご苦労さんでした。来ていただいたみなさんに感謝。

●11月20日(火)

     <11月市会定例会の議案勉強会>

 昨日11月市会定例会が告示されたので、10時から議員会を開いて、各局を順番に呼び込んで補正予算や議案についての勉強会を午後5時30分まで。
 補正予算は、①きめ細かに着実に推進する、災害から市民を守る施策として合計 2億200万円。内訳は、民間保育所への耐震アドバイザー派遣事業 400万円、夏の集中豪雨による災害復旧のための農林災害復旧事業 1300万円、河川浸水対策緊急事業 1億5400万円、土木災害復旧事業 3100万円。②子育て支援・高齢者福祉施策の充実に5800万円。内訳は、民間保育所整備助成 100万円、小規模保育事業等開設準備 800万円、介護基盤整備助成 4900万円。それから突如決まった衆議院議員選挙執行費に3億1000万円。
 その他、環境アセスメントに関する条例の一部改正や、醍醐センターや伏見の児童館など指定管理者の指定、国の地域主権改革による基準緩和による条例整備、伏見は神川出張所の移転、伏見は消防学校の跡の私有地が14億800万円で医療法人清水会に売却の提案もあり、さらに左京区では八瀬小学校の移転新築工事の契約議案など。
 それから毎年この時期には、人事院勧告により、京都市職員、教職員、学校職員の給与のことを決めるのだが、今年も減額する改定。辛いね。
 なお、衆議院選挙に伴い、当初は12月11日に最終本会議を行う予定が、12月3日から16日までは休会!17日に再開して、会期末の本会議は12月26日とすることが決定!たまらん日程やな。
夜は、修学院の前原事務所に行き、斉藤所長と今後の打ち合わせ。臨戦体制を整えないと。

●11月19日(月)

    <山科駅で前原議員、朝の街頭演説>

 衆議院が解散。12月16日が投票日に決まったので、早速2区総支部として朝の街頭行動を始めることになった。久しぶりの早起き。車を飛ばして山科駅前に。すでに前原議員の街頭での演説が始まっていた。
 駅前には山科の前原後援会の面々が集まり、豊田、松下議員らが、SPの横に立ち通勤客に対して挨拶。周辺には新聞記者も多数取材にきている。選挙本番直前のムード。前原議員は延々1時間半、政権を取って以降の成果を訴えるが、ビラを取る人も少なく反応が悪いなあ。駅のそばやで朝飯。

     <高野パチンコ店建設計画を巡って懇談>

 10時過ぎには、市役所へ。高野アバンシェルホテルに突如持ち上がったパチンコ店建設計画に対して周辺の高野公団住宅らの住民代表と左京区選出の市会議員、9人が全員揃い懇談会。
 住宅地にパチンコ店はいらない!と住民のみなさん。京都市のまちづくり条例や中高層の建物を建てる時の手続き、また風営法のこと、解体工事のことなど様々な手順があること、また請願を出すタイミングやその内容について初めての顔合わせで意見交換。
 ホテルは1月末まで営業をするようだが、さてそれまでに反対運動の狼煙が上がったのだ。

 午後は、総合支援学校の障害のある生徒の実習を受け入れ、また雇用をしている事業所人らと教育委員会の担当者と懇談。その後、代表質問のためのネタ集めを始める。

     <京都市交響楽団音楽家労組>

 夕方は、京都市交響楽団音楽家労組の第20回定期大会後の懇親会。京響は、3年前から京都市の直営から財団の運営に移管されたが、活発に演奏会も開催されお客さんも増えたようだ。清水信貴代表運営委員のもとに音楽家たちが集まり懇親の夕べ。わが飲み友達の間憲司前代表委員も顔を見せて久しぶりにワイワイ。自治労府本部参加の組合として結成から20年、京響の発展のために頑張ってくださいね。

     <ほろよいの夕べ>

 途中で抜けて、事務所に帰る。毎年ボジョレー・ヌーボ―でワインを楽しむ「ほろよいの夕べ」を酒谷宗男君らの協力で、女性限定、カミサンが主宰者となって始めて5年目か。
 今年のゲストは、たこ焼き屋「親指小指」の看板娘でジャズシンガーを目指している中尾雅美さん。ピアノを弾きながらジャズの名曲や全米ヒットチャートで2位を記録したという「竹田の子守歌」は聴かせたよ。某新聞社の女性記者や友人の女性映画監督山崎博子さんも来てくれたよ!雅美ちゃん、ありがとう!八木さんのパスタも美味しかった!

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国会解散!  11月16日ー18日

2012年11月21日 | 日記
 
●11月18日(日)

    <吉田山に桜を植えよう!>

 昨日の雨も上がって好天気。9時には吉田山参集殿前に。年に2回の「吉田山を美しくする会」と「吉田山の里山を再生する会」共催の清掃活動とこの夏前に間伐した木々をペレットにすべく亀岡へトラックに載せる作業など。左京区役所の「大学と地域の相互交流促進事業」支援対象事業にもなっていて、「吉田山に桜を植えよう!」と東ロータリークラブの応援もあり、吉田剣鉾保存会のメンバーらとぼくも作業を手伝う。今年植樹した桜も順調に育っているようだ。10年先が楽しみやね。

 11時過ぎには、新洞小学校グランドでの自主防災訓練に。終わりがけだったけれど、参加者は200人ほど。岡本消防分団長や松下校長先生らと錦林小学校との統合問題など経過を喋って、おいしい豚汁を頂戴した。長い歴史のある新洞小学校の廃校には地元のみなさんは格別の思いはあろうが、こどもたちの教育のための決断だったと思う。

 それから第四錦林小学校横の吉田自治会館前での女性会のバザーで沢井会長らとお喋り、左京区役所の移転、そして跡地を京都大学に活用してもらうことになったが、消防器具庫の出入り口をどう確保するかがこれからの課題。

    <修光まつり>

 昼には、修学院は紅葉で綺麗な赤山禅院近くの福祉施設「修光学園」に。第25回の「修光まつり」。焼きそばやカレーなどの模擬店と製品販売コーナーに吹奏楽団の演奏など。パンが売り切れていたのは残念でした。保護者会や地域やボランティアスタッフのお手伝いで行われている。玄関には、この夏、63歳で亡くなった前理事長の森昇さんの遺影があり、天国からみんなを温かく見守っておられるように思えましたよ。

    <歯のひろば>

 それから、「歯のひろば」に。今まではカナートで開催されていたが、今年は左京区役所での開催。左京歯科医師会と保健センターの主催で、カメラで歯の様子を見せてもらったり、同級生の歯科衛生士に歯みがき指導を受けていたら、前原大臣も来てびっくり、マメですよ。

 そして夕方は、吉田今宮会の直会(なおらい)。10月14日の神幸祭で神輿を担ぎ手や剣鉾や太鼓のメンバーが50人ほどが集っての大宴会。剣鉾を差した4人のキャピキャピの女子学生も参加してちょっと明るい雰囲気でした。途中で退席して、事務所に戻り真面目に代表質問のメモづくり。


●11月17日(土)

    <「北山ふれあいセンター」のまつり>

 雨の土曜日。下鴨は児童館、生活介護事業所、障害者就業生活支援センターなどがある地域福祉の拠点である「北山ふれあいセンター」のイベントに。各授産施設の製品の販売コーナーや作品の展示や楽器の演奏などステージに模擬店など多彩な催し。雨で来客数はちょっと少ないかな。老人デイサービスセンターのお風呂では、足湯のコーナがあり公明党の国本議員市会議員と一緒に高野のパチンコ店問題など喋りながら癒しのひととき。気持ちよかった!
 隣の焼肉「南山」では、創業祭ということでガレージで無農薬の野菜と短角牛の串焼きなど販売中。串焼き、美味かったで。

    <はあとの会のバザー>

 それから田中神社での障がい者のデイサービス「はあとの会」のバザーに。左京共同作業所として、わが第四錦林小学校のときの担任であった松葉弘先生が立ち上げられた。松葉先生は体調を崩しておられるのか、今年は来られなかったが、今の施設長も友人。雨で一般の参加者は少なかったが、山科から民謡グループがボランティアで踊りなど披露。バザーでは例によってウイスキーを安く手に入れて、焼きそばと豚汁で昼食。

     <野外保育センターでの「落ち葉まつり」>

 午後3時前には、紅葉が雨に煙る比叡山麓、八瀬は野外保育センターでの「落ち葉まつり」に。いつもは庭でやきいもをつくったりしているが、雨で室内の催しだけ。ホールで議長も挨拶に来ての式典、亡くなった役員さんの追悼のことばが述べられて、感謝状がライオンズクラブに手渡され、この秋に収穫を迎えた各園での「かぼちゃコンテスト」で大きなかぼちゃを作った保育園の表彰など。研修会もあったようで保育士さんたちが参加さてました。雨でちょっと残念でした。

     <田中直子展 & 萩村真帆展」オープニングパーティ」>

 夕方は、神楽岡のギャラリーでの「田中直子展 & 萩村真帆展」オープニングパーティ」に。直子さんは樹を描きファンが多い。韓国の踊りやBerryさんのベリーダンス、中田優氏のダラブッカというアラブ太鼓の演奏と、久しぶりに会う友人もいて楽しいひととき。会場の「アートゾーン神楽岡」の外観は2階建に見えるが、中に入れば吹き抜けもあり3階の立派なギャラリーにはびっくりした。

 夜は、さぼっていた日記の書き込み

●11月16日(金)

     <市会改革推進委員会>

 民主党近畿ブロック自治体議員研修会場の舞子ビラの朝、日の出の朝日が眩しくて目が覚める。海の朝は、気持ちがいいよ。視察が予定されていたが、市会改革推進委員会が開催される日なので、参加できず残念。明石大橋を眺めながら朝食を食べて、通勤客で混雑するJRは三ノ宮で新快速に乗り換えたら先の電車の故障で20分遅れで、京都駅に着く。

 10時からの市会改革推進委員会には10分ほど遅参。議会基本条例検討部会における検討結果について。すでに各会派から意見交換が始まっていました。議案説明資料のホームページでの掲載や委員会のネット中継の是非、議会報告会の開催、政策討論会の開催については、全会派一致できず、もう少し各会派で検討されることになるのかな。

 しかし、委員会の直接傍聴については、委員長から市会改革推進委員会で試行してみたいと提案されて、若い某議員が反対の意見を述べたのには、ちょっと残念。モニターテレビで傍聴できるようにはなっているが、委員会室が狭いことで直接傍聴は実施されなかったが、ぼくは大賛成。各常任委員会でもほぼ前向きに検討されることになりました。昼には散会。

 家に帰って喪服に着替えて市原の恵光寺に。中西正彦さんの告別式。市役所のOBで退職後、左京区の選挙管理委員もされていた。5年ほど前、倒れられて以来長い闘病生活を送られていたが、旅立たれました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 帰途、前原事務所に立ち寄り、解散総選挙で12月16日に投票日が決定したこともあり、早速、前原後援会の九谷幹事長と、事務所開きのこと、選挙体制のこと、総決起集会のこと、演説会のことなどなど打ち合わせして後援会役員会に出て気合合わせ。

 夕方は、福祉施設わかば会の小谷理事長らと懇談。色々と問題はあるものの、ほぼ順調に運営ができており、今後の展開について夢をお聞きする。
 その後、某新聞社の若い記者とおでんをつつきながら選挙情勢などについて懇談。

     <ついに国会解散!>

 ニュースは、国会解散。いよいよ総選挙に。民主党からは離党者が出る。さっさと出たい奴は出たらええのだ!維新やみんなやなにやら色々な第三極の動きも訳がわからんようになってきた。
 15とも16ともいわれる政党?ができて、まるでプロレス業界やな。共産はともかく、新日本と全日本とノアが民主、自民、公明がメジャーだとすれば、ドラゴンゲートやみちのくや大阪プロレスなどは、小沢派や維新やみんなで、その他弱小政党は、多々あるインディーズのプロレス団体で、さて、どの団体が生き残るのか、見てのお楽しみ。

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研修会など参加で忙しい日々      11月8日ー15日

2012年11月18日 | 日記
●11月15日(木)

    <手づくり市と真如堂>

 8時過ぎに知恩寺の手作り市に。友人の主宰者の臼井さんらに挨拶をして注文していた手作りの帽子屋さんでハンチング帽を購入。寒い冬にぼくは帽子が必需品です。
 その後、紅葉が美しい真如堂に立ち寄って、鉦講(かねこう)をしている知人らに挨拶してお参り。朝からお酒を飲むわけには行かないので甘酒をいただいて市役所に。

    <議員研修会> 

 10時から本会議場で全議員が集って議員研修会。年に3回かな、学識経験者に色々な話をしてもらうのです。
 今回は大島仁市会事務局長が地球環境政策監のときに「環境モデル都市」に京都市が選定されたときの委員会のメンバーであった柏木孝夫東工大特命教授が、「地方自治体における今後のエネルギー政策について」講演。
 ぼくは民主党の全国自治体議員議員フォーラムでお話を聞いたことがあり、色々な裏話など氏の自由奔放な、時には脱線しそうなところもあり、もちろん異論は大いにあったが、原発問題も含めてエネルギー問題についてのお話を面白く聞かしてもらいました。

    <民主党自治体議員近畿ブロック研修会>

 昼前には、京都駅から新快速で兵庫は明石大橋の舞子ビラ神戸に。2時から民主党自治体議員フォーラム近畿ブロック研修会。掛水すみえ兵庫自治体議員団代表など兵庫県連にお世話になって以前から計画されてきたのだが、まさか明日16日に国会が解散になるとは、夢にも思わなかったよ!
 ぼくは、この近畿ブロックの代表世話人ということで冒頭に挨拶。しんどい状況だけれど正々堂々と民主党の自治体議員として誇りを持って選挙戦を闘おうと挨拶。
 講演の第一部は「二つの災害を通して防災教育を考える」と題して、県立舞子高校の環境防災科長の諏訪清二先生。阪神大震災を契機に、2002年に環境防災科がスタートしているが、英語の教員であった諏訪先生が科長になって、様々な防災教育に取り組まれてきた。そして昨年の東日本大震災以降、高校生がボランテイィアとして被災地を訪れて、避難所などでの経験したことなども語られ、防災教育の在り方について真っ向から提起。京都の高校教育では考えられないこと。その先取りの教育姿勢に敬服した。
 第2部は、元観光丁長官の溝畑宏さん、このおっさんは、松井孝治参議院議員の高校時代からの悪友だと噂を聞いていたが、ともかく面白い!京大教授だった親父さんとのことも含めて、そのオモロイ役所人生と大分県での活躍ぶり、そして観光立国としての日本の今後の在り方について、面白おかしくかつ真面目に左京区生まれの関西人の誇りをもって「観光行政について」喋らはりました。

 講演会の後、近畿の滋賀、京都、大阪、奈良、和歌山、兵庫の代表の世話人が集まり幹事会。来年参議院選挙が終わってから京都で研修会を開催することになりそう。
 懇親会では、崎元神戸市議の娘さんらの弦楽四重奏の「きらら」の演奏と各府県議員団の自己紹介と最後は衆議院選挙に出馬する神戸市議横畑議員の激励会。ホテルの温泉に入って英気を養い、テレビを見ていると、民主党からも離党者が出て、石原何某と橋元何某と渡辺何某とか河村何某とか、第三極勢力も国会議員諸兄はあわてふためいてはりますが、明石大橋の夜景を見ながら就寝。すべて夢うつつ。

●11月14日(水)

    <不登校セミナー打ち合わせ>

 午前中、京都駅前のホテルで「不登校支援センター」が12月8日に企画している「不登校解決セミナー」の打ち合わせ。この春に京都支部が発足したのだが、ぼくの「ひとくち日記」を読んで泉さんが訪ねてきたのは5月だったかな。セミナーを開催するということで相談に乗ってきた。理事長の瀬尾君も若い。京都では初めての開催。
 パトナの所長をされていた教育大学の桶谷守教授と原清冶佛教大学教育学部長のお二人の専門家がパネリスト。いちおう学校の教員やPTAのみなさんらが対象で、「前向きな不登校支援とはー予防と不登校児童の状態を知る」とサブタイトル。
ぼくは門外漢だが、喋ることになっています。参加ご希望のお方は、052-485-9421へ。予約制です。

    <池坊美佳さんにインタビュー>

 午後は、事務所にて、わが「左京ライフ」に登場してもらうべく来夏の参議院候補の池坊美佳さんにインタビュー。
 生い立ちや華道の世界のこと、学生時代のこと、東京の京都館館長時代のこと、好きな食べ物や趣味のこと。選挙と国政の舞台でしたいこと、そして左京のことなど1時間ほどフランクに喋ってもらう。面白いエピソード。彼女が通っていた高校は左京の哲学の道近くだが、その登校する坂が制服の色からゴキブリ坂と呼ばれていることを初めて聞いて大笑い。

    <予算要望を提出、16日に解散?> 

 3時過ぎに議員団室に。国会中継で野田総理と安倍総裁の党首討論の真っ最中。
 4時には、ぼくと隠塚、松下議員と3人で予算要望について市政記者室に。
 およそ30分、解散問題で記者室もざわついている雰囲気のなかで政策要望、重点要望、分野別の要望などをぼくが説明。事業仕分けのことも話題になったが、16日に解散が決まったようですよ、と記者から聞き、びっくり仰天。代表質問もしないかんし、この年末にえらいこっちゃ。

 午後5時からは、議員団のメンバー14人で市長第一応接室に。市長と3人の副市長と行財政局。総合企画局の局長らが座る中で今枝団長から予算要望書を提出。取りまとめの責任者として重点要望など主な項目について説明をする。政策制度要望が15件、予算要望が45件(うち重点要望が13件)、各行政区の要望が33件で合計93項目になった。13年度予算にしっかり反映させてちょうだいよ!

 夜は、年に一度の議員団と市長副市長、局長、両公営管理者らとの懇談会。たまにはワイワイと喋るのもいいよ。散会後、帰途ジャズが流れる四条木屋町下がるの「ろくでなし」へ10数年ぶりに行く。なつかしい店。
帰宅してテレビで、党首討論の
 
 模様や今後の選挙日程や第三極の右往左往ぶりを見入る。「16日に解散します」と凛々しく言い放った野田総理。されど厳しい選挙になりそうや。がんばるのみ。
  
●11月13日(火)

     <議員団で事業仕分>

 民主・都みらい議員団主催の第3回「事業仕分け」の日。9時前に会場のロイヤルホテルに。構想日本のスタッフや今回から参加してもらった市民判定人のみなさんと開会式。前回、ぼくはスーパーバイザーだったが今回は仕分け人。市民判定人の役割は、議論を聴いていて判定をすること。
 
 最初に「安心すまいづくり推進事業」について。担当者から説明があり質疑。この事業は十条烏丸の公団住宅にある店舗に「すまい体験館」もありセミナー開催や住宅の相談業務を行っているが、通行人も少なくロケーションがイマイチ。市民に知られていなくて入館者も少ない。ぼくは要改善を求めたが、仕分け人は再検討、市民判定人も再検討の判断。
 2番目には「京都市あんぜん住宅改善資金融資制度」について。各金融機関がリフォーム融資などもしているのでぼくは再検討、他の仕分け人は不要、市民判定人の判断は、市民ニーズを的確にとらえ直して利用しやすい制度になるように再検討。
 それから3つ目は、「高齢者マシン筋力トレーニング普及促進事業」について。健康づくり協会に委託して、油圧式マシン等を備えた「いきいき筋トレルーム」での中・高齢者の筋トレ事業が実施されているが、健康づくり協会の在り方についても議論になったが、仕分け人は要改善、市民判定人は、事業の対象とする市民と事業効果の検証をして、委託の在り方についても再検討の判断がなされた。いずれも市会での委員会での質疑とまた違う緊張感があり、答弁する課長もたいへんそうでしたよ。
 なお2班に分かれて午後も行われて、合計12事業について仕分けが行われたが、そのその他7事業の結果は以下の通り。伝統産業の日関連事業は再検討。小売商団体助成は再検討。「京都消防」発行委託については要改善。環境保全資金融資制度は不要。蛍光管拠点回収事業は要改善。ゴミ減量エコバスツアーは要改善。元離宮二条城の運営も要改善。路上喫煙禁止条例の推進も要改善。消費者啓発事業も要改善となった。詳しくは議員団のホームページをご覧ください。

    <障害のある市民の雇用フォーラム>

 午後、ぼくは「事業仕分け」を抜けて「障害のある市民の雇用フォーラムー一人一人の働きたいという願いを実現させるために」に参加。主催は、総合支援学校生徒の進路開拓をめざす「巣立ちのネットワーク」。
 支援学校卒業生で勤続5年した青年らに表彰状が授与され雇用企業には感謝状が贈呈。その後、在校生と教員が二人で支援学校における学習や就労に向けた実習の取り組み報告や卒業生の就労体験の発表も行われた。

 分科会では、元リクルート出身で障がい者の雇用対策で活躍されてきた秦政さんが「障がい者雇用の現状とその支援」と題して、この間の現状と雇用が企業にもたらす意味、仕事の作り方、また福祉だけでは障がい者を支えられなくなるであろう日本社会の今後の予測などを話された。その後参加者の自己紹介が行われ、企業の人、教育関係、相談機関の人などが意見交換。ぼくは市会の代表質問で障がい者福祉のことを取り上げますと宣言したよ。

 途中で退席して、事業仕分けの閉会式と構想日本や市民判定人との懇談会に戻って暫し懇談した後、泡盛同好会に。

   <泡盛同好会>

「古酒は寝て待て!輝く泡盛。京都泡盛同好会 京の錦秋の集い」は、ぼくが毎秋楽しみにしているイベントのひとつ。
 ゼスト御池の沖縄物産展の店主で事務局を担ってこられた松田明さんが亡くなり、昨年は開催されなかったが、今年は檀王法林寺の信ヶ原雅文済職が頑張られて再開された。会長は門川市長。
 ぼくが初めて沖縄に行ったのは二十歳の時。本島から与那国島まで行った。もちろん復帰前で渡航証明書を持っていった。あれから40年余、沖縄と泡盛が好きで毎年楽しみにしている。沖縄から酒造組合の面々や琉球新聞や沖縄タイムス、また関西の県人会や京都の沖縄ファンが集う。ゴトウゆうぞうさんの軽妙な司会でミス泡盛の女王による抽選やエイサー島唄で盛り上がり、泡盛を堪能して気分は最高! 

●11月12日(月)
 
 午前中、事務所で雑務。雑務とは、色々な行政資料を読んだり、郵便物を開封して、色々な催しの案内が来ているので手帳に書き込み、また返事を出したりで、それだけでも時間がかかる。
 来客は「日本いのちの花協会」代表の宮田さよこさん。ぼくと同世代で介護や高齢者福祉について色々と教えてもらっている。看護師の経験を活かして、1995年よりホスピスケアを含む専門看護・介護付きの有料老人ホーム「花の家」を開設。医療とケアに人間の尊厳をと、高齢者福祉の先頭を歩いてきた人。大阪で「ビハーラの会」などで頑張っているぼくの友人を紹介しようと思っている。
 午後は、岩澤有徑さんらと彼のお父さんの日本画家岩澤重夫さんの展覧会に向けてどうするか協議。再来年の秋を目指して準備にかかられることに。

    <宇治市長選挙に山本正府会議員が立候補>

 さて、京都の民主党にとっての大きなニュースは、宇治市長選挙に山本正府会議員が出馬するらしいということ。宇治市会議員として3期つとめた後、99年から宇治選挙区で府会議員に初当選。現在4期目か、府会議員団の代表幹事や府連の幹事長としてこの間活躍してきた同世代の。関西電力労組出身の議員。
 自民党の議員と共産党の候補者が久保田現市長の不出馬表明を受けてすでに立候補を予定しているが、さて、民主党の旗色が悪い時によう決断しはりました。投票日は12月9日。山井議員や宇治の市会議員団、さらに6区の議員が総力を挙げれば勝てるのではないかな。応援に行かなくっちゃ!

 夜は明日の議員団主催の「事業仕分け」で仕分け人になるので資料を読み。

●11月11日(日)

    <民主党2区総支部定期大会>

 雨の日曜日、午前中、ぼんやりテレビで将棋を見る。
 午後、ウエスティン都ホテルで民主党2区総支部の定期大会。先立って幹事会を開催して式次第や議案書の確認。
 
 大会は70人ほどの参加者。前原総支部長から挨拶は、冒頭に東京後援会の事務所費問題のことでその経費の使い道について、やましいことはないと説明。社会保障と税の一体改革など野田政権は大きな仕事を成し遂げ、「近いうち」とは年明けではうそつきになり、先送りすることなく、解散は早い方が良くて、そうでないと壊滅的になると見解を表明。
 またコンクリ―トから人へと成果を上げたこと、方向性が間違っていなかったこと、党内ガバナンスへの反省などおよそ20分ほど演説。
 以降、活動報告は幹事長としてぼくが、決算報告は豊田議員、監査報告もありそれぞれ満場一致で確認され、解散総選挙での前原議員と池坊美佳参議院候補の必勝に向けてがんばろうとする活動方針、また予算案も承認された。
 そののち時間があり、会場から意見が出されたが、最後に島内研君が必勝に向けてガンバローコール!円滑に終わり、ほっとしたよ。
 まあ解散は年末で、選挙は年明けかな?
 されど民主党への支持率がガタ減りで、第三極もなんやかんや動いているし、厳しい選挙になるのは覚悟しておこう。
 夜は久しぶりに我が家で鍋。鍋の季節になりましたなあ。

●11月10日(土)

    <ユイ・ハート福祉まつり>

 快晴の土曜日。南禅寺門前の京都市国際交流会館へ。NPO法人京彩都の石井岩吉さんらが中心となって準備を進めてこられたぼくも多少の手伝いをした「ユイ・ハート福祉まつり」の日。
 あおい苑、いきいきいわくら、いろり舎、修光学園、テンダーハウス、ゆりかもめ、よしだ学園、楽々堂など左京の福祉施設のブースが並び、手芸品やクッキーなど多彩な商品に七彩の風の野菜などが展示販売。
 舞台では色と健康について岩崎英和さんが講演をして、また「グルボ・カフェジーニョ」がブラジルのサンバの演奏、フルートやピアノの演奏に、御茶席も準備されて、障がい者も含めて200人ほどの参加者が三々五々来ていただいた。教育委員会、保健福祉局の担当者にも来てくれました。みなさん感謝です。

    <「いい歯の日週間」記念行事>

 途中2時間ほど、地下鉄で二条駅の歯科医師会口腔保健センターでの「いい歯の日週間」記念行事に多くの府市会議員とともに参加。80歳以上で20本の自前の歯がある人の表彰式や口腔ケア推進優良施設へ感謝状の贈呈、また川柳コンテスト優秀作品賞の発表など。<歯を抜いて 「し」が「す」となって「愛すてる」>が優秀作品でした。

    <同志社総政会 懇親会>

 夕方は、同志社大学の寒梅館での総合政策研究科の同窓会「総政会」の年一回の総会と懇親会。向かいの運動場だったところが烏丸キャンパスとして、立派な建物が完成していてびっくりしたよ。ぼくは4代目の会長だった。
 松田現会長ら役員さん、そして今里教授ら修了生が40人ほど集まりワインを飲みながら近況報告など。開講したのは1995年、阪神大震災とオウムサリン事件で騒然としていて、ぼくは3期目の当選を果たした春。経済学者の伊多波良雄先生が指導教員、しごかれました。修士論文「京都自治体論」を書いて98年に修了。後期博士課程にいつかチャレンジしたいな。1
 10時頃か2区大会の議案書について前原事務所の齊藤君と打ち合わせ。

●11月9日(金)

 朝、わが下大路町の町内の西村芳太郎さんの告別式。町内会長や氏子講社や自主防災会の役員として活躍されていたが、この秋のおまつりには参加されていなかった。入院されていたのは聞いていたが、突然の訃報に驚く。家族葬ということでしめやかに告別式が行われた。享年78歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

 11時過ぎには、日本画家岩澤重夫さんのご子息、岩澤有徑さんらと美術館に。岩澤画伯は、大分県日田市出身で日本芸術院会員、文化功労者。2009年に逝去されたが、子息の有徑さんとは2年ほど前に出会い、京北町のアトリエにもお邪魔した。美術館での展覧会開催に向けての潮江館長らと懇談。美術展開催の内情をお聞きするが、色々とたいへんやなあ。

 昼食は、京都国際学園の金晃理事長と。以前から話をしたかった人。白川にあった韓国学園が東山区の本多山に移転するとき、地元住民の反対運動がおこり教育委員会との交渉にぼくも参加したり、教育委員会が外国人教育基本方針を策定するときに奔走したことなどぼくが喋り、金さんの日本での学生時代や韓国に行っていた時代、在日の社会のことなどおよそ2時間、生い立ちや学園のことなど大いに語り合う。これからも同時代を生きる同世代の友人として語り合えたらうれしいな。カムサハムニダ。

 その後、議員団室に立ち寄って、青木、松下議員と予算要望の最後の仕上げ。いちおうぼくが責任者として取りまとめてきたが、松下議員がようがんばってくれた。来週14日に議員団として市長に提出することになる。

 夜は、鴨沂高校同窓会事務局の金子さん宅にて上野民夫会長も参加して親睦のひととき。校舎の建て替え、運動場のこと、また月刊誌「エコノミスト」が鴨沂高校の卒業生のことを取材するとかでワイワイ。

●11月8日(木)

    <教育功労者表彰式>

 午前10時から京都市生涯学習センターにて教育功労者表彰式に正副議長と教育福祉委員会のメンバーが来賓で出席。平塚歯科医師会長ら33人、PTA連絡協議会など団体や学校20団体、また永年勤続の学校医や薬剤師ら13名、そして30年勤続の教育委員会や教職員ら347名のみなさんの表彰式。つい数年前までは、わが同世代の友人の教員が表彰されていたが、みんな退職した。されど何人かの知り合いの教員と挨拶。市長等の挨拶ののち、例によって記念写真。何度もフラッシュがたかれて目が痛い。

     <福祉施設を見学>

 午後は、人権擁護委員委員協議会の高齢者・障害者の人権委員会のメンバーとして市立病院の北側の京都市こころの健康増進センターの3階にある京都市朱雀工房の見学会に。京都光彩の会が、精神的な病のある人たちのために就労移行支援事業と就労継続支援B型事業を行っている。指導員の方から概略の説明を受けて、箱折りの作業を黙々とされている部屋で利用者からも作業の行程の説明。それから利用者とも懇談。
 ある人はサラリーマンとしてバリバリに仕事をしていたが、鬱になってここに通い始め、社会復帰を目指していることなどお聞きする。配食サービスなども利用者が行っているが、企業就労の困難さをも聞き、またグループホームなどの建設も時には、地元住民の反対運動が起きるなど、精神障がい者に対する偏見も未だ根強いことを改めて実感した次第。
 

 4時ごろには、議員団室で予算要望の仕上げをするべく、松下、青木議員らと打ち合わせ。また貴船の観光トイレの使用料について環境政策局の担当者と懇談。公共下水道が敷設、供用開始されて水洗化が図られたが、さてその使用料を補助制度でなんとかならないのか、と要望。
 夜はとある女子会に乱入したのち、某市長選挙の候補者に白羽の矢が立った、10数年来の友人と懇談。
 声をかけてもらって彼は光栄に思い、喜んでいたが、奥さんの反対や様々な周辺の状況を聴き、また選挙のしんどさなどを考えて、彼の気持ちはすでに断念の方向にあった。民主党に勢いのある時だったら、もろ手を挙げて、立候補せい!と言えるところだが、そうはいかん御時世。残念ながらこの話には幕が下りた。ぼくの役割はここまで、さて誰が立候補するのかな?

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11月になって 11月3日ー7日

2012年11月12日 | 日記
●11月7日(水)

   <教育福祉委員会> 

 毎月第2週は常任委員会の日。10時から教育福祉委員会が開催される。
 保健福祉局からは報告案件なし。「社会保障制度改革推進法の抜本改正の要請」の陳情について質疑があった。その後、一般質問。
 ぼくは、今日の3時から予定されている食品衛生優良施設表彰式とみやこ食の安全衛生管理認証店などの食の安全について質疑。日程調整のことで理事者からは陳謝の意が表明された。また先に左京区に開設されたサービス付き高齢者向け住宅を例に、高齢者福祉の観点から民間の役割についても質疑をして、さらに大原での子育て支援策について要望。
 その他の議員は、歳末の貸付金、孤独死、こども文化会館、障害児保育、敬老乗車証のことなど質疑。保健福祉局とは珍しく短時間の午前中で質疑が終わた。

 教育委員会は、報告案件が一件。冒頭に陳謝。山科区安祥寺中学校で発覚した事件、女子生徒のスカート内を盗撮していた28歳の教員を10月26日付けで懲戒免職にしたと報告。もちろん退職手当は 不支給で教員免許失効とのこと。当然のことや。各委員は、被害生徒の心のケア対策や教師がなぜその行為におよんだのかその原因、或いは流出の有無などについて質疑。二度とこんな破廉恥な事件が起こらんようにしないかんぞ!
 その後、共産党の議員から短時間での一般質問。

   <食品衛生優良施設表彰式>

 委員会は2時過ぎに終わり、委員そろって3時からの食品衛生優良施設表彰式に出席することができた。
 毎年この表彰式は行われているのだが、市長表彰が食品衛生優良施設が10施設、食品衛生指導員が13人。食品衛生協会会長表彰が37施設。わが地元吉田下阿達の「満佐留」の上田勝さんが食品衛生指導員として表彰されました!おめでとうさん!市長、正副議長と教育福祉委員と各表彰者と記念撮影。

 散会後、地下鉄で太秦天神川駅へ。ちょっと時間があったので藤田右京区長を表敬訪問、京北町もある広い行政区なので9月以降11月末まで色々な行事があり、土日祝祭日の休みがないそうだよ。たいへんだが、ちょっと太ってるやん。がんばりや!
 5時から、右京ふれあい文化会館前の会場で議員会。予算要望のこと、事業仕分けのこと、今夕開催する議会報告会の進行の点検など簡単に協議。

   <議員団 第2回議会報告会>

 6時には、右京ふれあい文化会館で民主・都みらい市会議員団主催の第2回議会報告会の準備。みんなで椅子を並べる作業をして7時から開会。青木芳香議員の後援会のみなさんはじめほぼ満員の80人ぐらいかな。
 松下議員の司会で市会の仕組み、決算委員会、各常任委員会など付託された議案の取り扱いなど中心に、各議員が持ち時間5分ほどで報告。ぼくは、教育福祉委員会で質疑したことを簡単に報告。
 そして会場からは、議員バッジ、議員定数、四条通りLRT、通学路の安全確保のことなど質問があり担当議員がそれぞれ答弁。この模様はインターネットで流される予定。ぜひご覧のほどよろしく。
 後片付けした後は、向かいの焼肉屋で打ち上げ。マッコリ飲んで気分よく散会、担当の芳香君、お疲れさんした。

●11月6日(火)

   <ライオンズクラブ>

 昼、ライオンズクラブ2R1Z新春合同例会打ち合わせの会に出席。毎年1月に新年例会が合同で開催されるのだが、ぼくはこの7月から高野川ライオンズクラブの会長になったので色々と関係の集まりに出ることになった。ライオンズクラブとして京都マラソンの協力なども要請されているようだが、わが高野川ライオンズクラブとしては、左京区小学生バレーボール大会を成功させるのが最大の活動。これだけはがんばるで!

   <高野 パチンコ店建設計画を巡って勉強会>

 午後4時からは、委員会室で左京区選出の6人の議員で高野のアバンシェルホテルに計画されているパチンコ店の建設について都市計画局の担当部長らと、手続きなど条例や法的な問題について勉強会。

 都市計画における用途地域や「京都市土地利用調整に係るまちづくりに関する条例」のこと、「中高層建築物などの建築に係る住環境の保全及び形成に関する条例」のこと、そして「風俗営業などの規制及び業務の適正化などに関する法律」のこと、そして建物解体に係る届出やアスベスト対策に関する法的な課題など質疑。また住民と議員との懇談会の開催や請願をどう出してもらうか、なども協議。
 ホテルは来年1月末で閉鎖されるという。地元住民も連絡協議会を設置、反対集会も計画されているようだ。これから長期にわたってこの問題に取り組まなければならない、と覚悟してかかろう。

 ニュースはアメリカ大統領にオバマ氏が再選。4年前は、ぼくらにも熱いものが伝わってきたが、今回は冷めているな。今後4年間、アメリカはどうなるのかなあ?

●11月5日(月)

 午前中、この間、松下議員がまとめてくれた議員団の要望項目を読んだり、資料を読んだり、事務所にて雑務。
 来客は豊田府会議員、四方山話。

    <民事裁判の証人に>

 午後、京都地方裁判所に。とある民事訴訟での若い友人の原告側の証人で出廷。
 宣誓書を読み上げて証人席に座る。原告本人からの質問や被告側の代理人の弁護士から、それから裁判官からの質問に、当然虚偽を言うことなく答える。
 争点は、給料未払いに係わり、雇用関係にあったかどうか、共同経営者か否か、ということ。原告との出会いや、その仕事のことなど、原告と被告との関係など見た様子などを答える。ぼくの「ひとくち日記」も証拠として提出されており、裁判にも活用されているのだと、妙なところで日記に意味があることを確認した次第。金額も少額なので和解すればいいと思うが、さて裁判官はどう判断するのかな?久しぶりに裁判の経験をさせてもらいました。

     <ケルンと京都>

 夕方は、東京の鴨沂の同期生の加藤啓の紹介でバリトン歌手、髭の津田直美氏が来所。北白川にある実家で、サロンをつくりたいというアイデアをお聞きして、ドイツは京都市と姉妹都市のケルンの大学に留学していたこともあるので、姉妹都市締結30周年を記念して活動をできないかなど相談ごと。次にお会いしたときまたぼくのドイツ通の友人らを紹介しましょう。髭の人は親しく感じるよ。

 夕方は、岡崎道のところのうどん屋柳橋の安田節也さんの通夜。昼飯にうどん定食を食べに行ったら閉まっていて、御主人が亡くなって今日がお通夜のお知らせ。以前から闘病されていたことは知っていたが、ちょっとびっくり。地域で色々と活動されていたので消防団の皆さんをはじめ多くの方がご焼香に来られていた。心よりご冥福をお祈りいたします。

●11月4日(日)

     <自主防災訓練、バザー、鴨沂19期会校舎見学会>

 好天の日曜日。運動会や祭りが終わると11月は自主防災訓練が各学区で行うところが多い。南田公園での浄楽学区自主防災訓練を見学に。自主防災会の役員さんを中心に、消防団や左京消防署員がリーダーになって消火器訓練や救命訓練などグループに別れて160人ほどの参加者が実地訓練。
 暫し見てから、娘が世話になったペスタロッチ保育園のバザーに。ぶどうの会という卒園児の保護者の会のみなさんと年に一回会える場所。たこ焼きや餅つきをしている知り合いに声をかけて、ひとくちビールを飲んで、荒神橋を渡って鴨沂高校に。
 鴨沂高校を1967年(昭和42年)に卒業したメンバー「鴨沂19期会」の同窓会。校舎が建て替えになるということで校長先生にお願いして3階の講堂やクラブボックスがあった北運動場などの見学会。毎年参加する常連組や久しぶりに会う同窓生と挨拶。卒業生のみなさん、校舎が解体される前に、青春時代の思い出の校舎をぜひ見に行かれたらいいですよ!会食には参加せず。

    <鈴木法務経営事務所開設>

 12時過ぎには御所を横切ってルビノ堀川での「鈴木源太郎法務経営事務所」開設事務所開き。所長の鈴木源太郎さんは元府会議員。なんと87歳でぼくのお袋より年上。大病を患われたこともあったが不死身!元気ハツラツ、行政書士、経営コンサルタント、またNPO活動をしている人など50人ほど参加者で、和太鼓と謡のコラボもあり賑やかでした。ゆっくりしたかったが、チャリンコで京都駅は八条口のホテルへ。

     <祐野恵 長岡京市議、衆議院選挙1区候補に>

 民主党の京都府連の会議。まずは選挙対策会議。平某氏の離党の後の1区の候補者に長岡京市の市会議員祐野恵さんを1区の候補者に推薦したいと発表があり、3区の幹事長からもその旨の発言。満場一致で祐野さんに決定。また宇治市長選挙が12月にあるが候補者選びはこれからの課題とのこと。2時からは常任幹事会。1区の候補者が決定されるということで新聞記者さんも多く待機。

 常任幹事会では前原議員も挨拶。事務所費問題のこと、景気回復の道筋などを語り、松井孝治議員は党の役員として常在戦場であると言明、以降、淡々と報告案件があり、協議事項では、衆議院選挙候補者として1区祐野恵さんを、そしてそれぞれ現職の2区前原誠司、3区泉ケンタ、4区北神圭朗、5区小原舞、6区山井和則を候補者に決定。
 また宇治市長選挙は自民党が出馬表明しているとこいうことで、これから独自候補者を模索中と宇治市議団から報告。その他、粛々と終わりました。

 それから別室で前原総支部長参加のもとに2区総支部常任幹事会を開催。11日に予定している2区大会の議案書について、この1年の活動報告や活動方針案や会計報告、予算案など示して訂正個所などの指摘もあり、幹事長一任で修正することに。その他、今後の街頭行動の提起など。

 それからチャリンコで鴨川河川敷をひたすら北上、およそ30分で第四錦林小学校の横にある吉田自治会館で鴨沂19期会同窓会の二次会にかろうじて合流することができた。昼間からの会食でわが同級生たちはみんなええ気分で上機嫌、ぼくは、ともかく残り物を食べてビールを飲んで久しぶりに会う同窓生たちと喋るがテンションがあがらんよ。すぐにお開きになって後片付けを手伝って帰宅したよ。川本、辻村君ら幹事のみなさん、ご苦労さんでした。

●11月3日(土)

 韓国から帰国してほっとするまもなく、午前中は前原事務所の斎藤所長と11日に予定している民主党2区総支部大会の議案書に載せるべく、一年間の活動報告と活動方針や予算などについて協議。

 午後は、ガールスカウトフェスタ2012に参加。京都でガールスカウトが始まって58年、うちのカミサンがお茶を習っている岡本先生らと一緒に御茶席で岩手の卵のお菓子と抹茶をいただく。人工芝のグランドではフリーマーケットや活動紹介など。

     <東九条マダン>

 そのあと、元陶化小学校での「東九条マダン」に。マダン”とは“広場”の意味で、「東九条で、韓国・朝鮮人と日本人がひとつのマダンに集い一つになって、みんなのまつりを実現したい」--このような思いをこめて名付けられた。今年でなんと第20回目。
 全国外国人教育研究会のメンバーや自立生活センターなど友人たちに出会う。希望の家保育園の崔忠植さんらや朴実さんらが中心となって93年の秋に第1回目が開催された。確か、この夏、京都で全国在日朝鮮人教育研究集会も開催された年でぼくも運営委員として右往左往していて、第一回の東九条マダンにももちろん参加した。
 当時のメンバーから若い世代に見事に受け継がれてきた。午前中には、門川市長も来場していたという。校庭には、キムチや焼肉や韓国料理の店など模擬店が並び、車いすの体験コーナーや民族衣装の試着コーナーなど盛りだくさん。またチャンゴなどのサムルノリの演奏やジャマイカのレゲエのライブもあり若い世代が大いに盛り上がっていた。韓国に一緒に行ったオモニも元気に参加していたよ。ともあれぼくにとっては年に一回色々な友人らに再会できる日でもあり、来年も続けてや!
 夜は我が家で日本酒で晩酌してぼんやり。

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訪韓報告  10月30日ー11月2日

2012年11月11日 | 日記

   <韓国孤児の母・田内千鶴子生誕100周年記念式典
      国連「World Orphans Day」制定推進大会 
       訪韓報告>

●11月2日(金)

   <釜山女子大学 茶道博物館見学から帰国へ>   

 ホテルの朝食は、ホテル前の食堂で「お粥」。二日酔いにちょうどよかった。おかずがたくさんあるのにはびっくりしたよ。
 昼過ぎまで自由行動となっていたが、京都で韓国茶道の教室を開いている尹道心さんに誘われて、王団長らと釜山女子大学へ。実はカミサンは彼女に韓国茶道を教えてもらっているのですよ。
 山裾にある釜山女子大学は、国会議員でもあった鄭相久という人が創立したらしいが、文人で書家で韓国茶道を普及されたという。立派な茶道博物館があり陶器や韓国古来の服飾や刺繍で作られた屏風など色々なコレクションが展示されていた。そして学生たちも茶道を学ぶ建物があり、そこで煎茶をいただく。自分で湯を注ぎ気楽に飲む。ゆったりした時間が流れる釜山の秋の一コマ。
 昼食は、尹さんの親せき宅へ、公団住宅風の団地の中の部屋。ベランダは二重の窓、オンドルで冬も温かそう。オモニが手作りの韓国家庭料理を作ってくれていてご馳走になる。色々なキムチやチジミに煮豚や太刀魚など家庭料理を味わいました。山葡萄のワインも美味しくいただきました。カムサハムニダ!

 午後2時、ホテル前に集合して一路、空港へ。途中土産物屋に立ちより、出国手続きも無事に終わり空港内で暫し待機して午後4時30分発のエアプサンで帰路に。1時間20分ほどのフライト。あっという間に関空に着いた。3泊4日の短い日程だったが、充実した旅になった。仲尾さん、リファさん、尹道心さん、そして田内基理事長ら故郷の家のスタッフのみなさん、カムサハムニダ!

●11月1日(木)

   <晋州市へ>

 朝食は、貝や魚の入った卵のチゲとナムルとキムチ。
 バスにて高速道路を一路、木浦と釜山との間にある晋州市へ。晋州市は、京都市とパートナーシティの盟約を交わしている。
 昼食は、郊外にある建物で韓国ウドンを食す。カルグクスとかいうらしいが、鍋に貝や鶏肉などが入っていてあっさりとしたスープで、小麦粉で作った麺が入った煮込みうどん。「すいとん」みたいな味やねと誰かが言っていたが、口に合った。

   <晋州城と衡平社記念碑>

 仲尾さんの案内で市内にある晋州城 (チンジュソン)を見学。南江(ナムガン) が流れてちょっと風は冷たいが小春日和。豊臣軍が攻めていく1592年文禄・慶長の役のときの城。1970年代から復元工事が行われて今では、城内にはいくつかの楼閣や祠、国立晋州博物館も野外公演会場などがあり公園になっている。
 壬辰倭乱(文祿・慶長の役)の時、慶長の役1593年7万余名の民・官・軍が最後まで抗争して壮絶に殉死した所でもある。川べりには「義岩」と呼ばれる岩が突き出ているところがあるが、日本の武将を「論介」という名の妓生が抱いて川に飛び込んで殉職したというエピソードのある所や、また城門の前の鰻屋の前には、日本の運動とも連携のあった白丁と呼ばれる被差別の人々の衡平社運動のシンボルとして96年に建立された記念碑も見学、仲尾さんが説明をしてくれる。

   <晋州市長に表敬訪問>

 晋州を流れる南江は、鴨川より大きいが花壇など設置されていて美しい街並。そして市役所の職員に迎えにきてもらい市役所に。晋州市は人口35万人。経済通商室長らと懇談した後、京都韓国民団の王清一団長や婦人会の会長さんらとともにイ・チャンヒ市長と面会。
 公務多忙でゆっくり時間が取れなかったのは残念だが、門川市長からのメッセージと記念品を手渡し、今後もパートナーシティとして交流を深めることなど懇談。市役所は立派な建物で、中には物産コーナーもありオモニたちは色々買い込んでいました。

  <釜山の夜>  

 4時前には出発して釜山に。高速道路から見ると山際に新都市とでもいうべく高層のマンションが立ち並び、躍進する韓国とでもいうべき光景。市内の国際観光ホテルに投宿。バスで夕食会場へ。高層ビルが立ち並び夜景が綺麗。
 夕食は、もちろんカルビですよ!マッコリでええ気分。オモニたちも気分も良く歌って踊って楽しそうでした。
 そしてホテルに帰ってから近くの屋台へ。仲尾さん、ペイリファさん、ヒャンハら事務局メンバーとタコや貝などの魚介類を食しながら韓国焼酎で上機嫌。某君はちょっと飲みすぎたかな。釜山の夜は更けていくのでした。

●10月31日(水)

   <王仁博士遺跡跡の公園を見学>

 朝快晴。田園風景の外は空気が冷たい。朝食はワカメのチゲ(味噌汁)とナムルやキムチの盛りだくさん。日頃はぼくは朝食を食べないのだけれど、美味かったよ。早速バスで近くの王仁博士遺跡跡の公園に。ちょうど門前の敷地一杯に菊花展が開催されていて秋の香りがする。仲尾宏さんの説明で館内を見学。
 王仁博士とは、実在したかどうか定かではないという説もあるようだが、館内には肖像画が飾られ、幼少の時に飲んだと伝えられる聖泉の説明など歴史上の人物の紹介をしている。王仁博士は百済人として日本の応神天皇の招待により、論語10冊、千字文1冊を持って日本に渡り、漢字と学問を日本に伝え、学問の神として崇拝されたと日本書紀にも書かれていて、大阪の枚方には墓もある。
 説明によれば、百済文化の伝授を通し、日本の飛鳥文化に影響を与えという。遥か古代のロマンやね。この遺跡地は1980年代に整備されて、文化観光事業の拠点になっているようだ。

   <国立海洋博物館を見学>

 それから、バスで木浦市は海岸沿いの国立海洋博物館に。見ごたえがあった。11世紀~14世紀に難破、沈没した貿易船の海底の遺物を発掘し、保存処理されたものを展示。高麗青磁の遺物や日本、中国のお金や生活道具なども展示されて、実物を復元した舟が中央に、また朝鮮通信使を乗せた船などの大きな模型など展示。海底から引き揚げて保存する作業の説明なども。
 中国、朝鮮半島、琉球、日本、さらに東南アジアとの交易が盛んに行われていたことが良く分かった。海のロマンに思いを馳せました。

   <共生園と田内千鶴子さん> 

 その後、木浦市内をバスは共生園に。海岸沿いの高台で瀬戸内海沿岸を思わす風景の中に共生園があった。
 この地で1928年尹致浩牧師が孤児とともに生活を始めた場所。音楽教師の千鶴子さんは牧師と結婚、朝鮮戦争当時に行方不明になった夫の遺志を継いで、共生園を守ってこられ、3千人の孤児を育て上げられた。
 千鶴子さんが50歳代で亡くなった以降、子息の田内基(尹 基 ユン・ギ)さんが共生園を継がれるが、亡くなるとき「梅干しが食べたい」という言葉を胸に、在日のオモニたちの老後の生活のための「故郷の家」を堺や京都で建設されることになる。記念館では、夫妻の写真や共生園の沿革などが展示。国境を越えたその人生に感動する。

 昼食は、プルコギ(韓国風すきやき)でした。

    <国連「World Orphans Day」制定推進大会>

 午後2時から昨日と同じ会場で「田内千鶴子女史生誕100周年記念式及び国連「World Orphans Day」制定推進大会が開催される。
 「オモニの祈り・100年の香り」として田内さんと共生園の映像が流され、その遺徳を偲ぶ。丁木浦市長らの祝辞や「世界孤児の日」制定請願決議文が朗読されて、子どもたちや各代表者が壇上に上がり、華やいだ舞台上では、田内基さんが感慨深そうにお礼と今後も子どもたちや福祉のために生涯をかけるとご挨拶。その熱い想いをぼくも応援したいと思う。

 そして舞台は祝賀公演。昨夜に続いて大阪成美高校の獅子舞に、左京育ちで左京ふれあいまつりでも毎年歌っている在日3世のHYANGHAの舞台。伝統的民俗芸能であるパンソリや踊りなど見事な舞台芸術が繰り広げられ堪能しました。

 夕食は、市内でビビンパ!ゆっくり木浦市内の夜の繁華街を散策する時間がなかったのはちょっと残念でした。バスにて月出山観光ホテルまで40分ほど。9時前に到着。昨夜同様、仲尾さんらと部屋で韓国焼酎を飲んで就寝。

●10月30日(火)
 
   <7年ぶりの韓国へ>

 朝京都駅7時50分発の「はるか」で関空に向かう。<韓国孤児の母・田内千鶴子生誕100周年記念式典。― 国連「World Orphans Day」制定推進木浦大会>に参加する訪韓団の一員として、2005年10月の慶州市での世界歴史都市会議に参加して以来、7年ぶり4度目の渡韓。
 京都造形芸術大学客員教授で同志社の先輩でもある朝鮮通信使の研究者の仲尾宏さんが団長でペイ・リファさんが事務局長。メンバーは、東九条にある特別養護老人ホーム「故郷の家」を応援している韓国民団の在日のオモニたちや堺からの部ループも一緒で、そしてわが学生時代からの友人で元府会議員の角替豊君ら30人余。

 出国手続きも無事に済ませて11時50分発のアシアナ航空で釜山へ。サンドイッチの機内食を食べてうつらうつらする暇もなく1時間30分のフライトでアッという間に釜山空港着。
 快晴でそれほど寒くもない。そして貸切バスで韓国の南部の海を時たま見ながら高速道路を一路木浦市(モッポ)へ。途中サービスエリアでトイレ休憩を取りながら280キロのバスの旅。元気なオモニたちは喋りづめ。
 
    <日韓・愛と平和の祭典>

 6時半ごろ市内の高台にある木浦市市民文化体育センターが「日韓・愛と平和の祭典」の会場。高台から見る夜景がきれい。前庭では、田内千鶴子さんの生誕の地高知県の地酒やキムチや海苔など韓国名産のブースが出され、早速キムチでマッコリを試飲。美味かった!そして同時通訳の機器をつけて会場に。

 午後7時半から追慕の礼拝。田内千鶴子さんの業績をたたえる牧師さんの祝祷や千鶴子さんの生い立ちと孤児院共生園の記録写真が映し出される。
 
    <田内千鶴子さんとは>

 千鶴子さんは、1911年高知市の生まれ。両親とともに日本の統治時代の韓国に渡り女子校を卒業したのち、クリスチャンの尹致浩氏と結婚し、孤児救済のために共生園で働き、夫が朝鮮戦争で行方不明後も孤児救済のために尽くし3000人の孤児を守り育て、韓国孤児の母として慕われ、1965年日本人として初めて韓国文化勲章国民賞を受賞されたが、57歳で死去。木浦市では市民葬が行われ3万人の市民が参列したといわれている。
 彼女の長男が特別養護老人ホーム「京都・故郷の家」の理事長の田内(尹)基さん。ぼくが田内さんから京都に特別養護老人ホームをつくりたいとお話を聞いたのは、もう7年ほど前か。色々とご苦労されたが、彼の熱い思いは成し遂げられたのだ。田内千鶴子さんの生涯は、石田えり主演で『愛の黙示録』という日韓合作の映画にもなっている。

 その彼女の生誕100周年ということで国連「孤児の日」の制定推進をしようということでこのイベントが企画され、高知県知事、市長をはじめ日本からも500人の参加者があり、木浦市長ら多数の来賓、市民らで熱気のある前夜祭となった。とりわけ大阪成美高校生の獅子の踊りはすごかった!また木浦市立舞踊団の華麗な韓国の民俗舞踊は華麗で太鼓の演奏も迫力満点。第九の合唱も魂が揺るがされた。感動的な舞台が終わったのは10時前、

    <木浦名物 踊る!噴水>

 それから海岸沿いではギネスブックに登録されているという「木浦・踊る!海の噴水」が参加者のために市長の計らいで特別に上演?された。
 暗闇の海に、軽快な音楽をバックに幅150メートル、高さ70mの噴水がまさに踊るように色も鮮やかに参加者を魅了したよ。
 そして近くのコンビニでビールや韓国焼酎と夜食を買い込んで貸し切りバスに乗って木浦市内から40分ほど、郊外にある月出山観光ホテルに着いたのは深夜12時前か。もうクタクタ。
 オンドル部屋で暖かい!仲尾さんや角替君らとビールを飲んで一息。寝たのは1時過ぎ。

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