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元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

臨時市会開会 1月24日ー29日

2011年01月31日 | 日記
●1月29日(土)

 昼前、伏見区は共同作業所「福祉工房P&P」の新年会に。スタッフと利用者のみなさんが揃って、テーブルを囲んでワイワイ。近くの仕出屋さん「うお弥」さんのご好意で和食のフルコース。わが議員団のスタッフ、中野涼君の実家で彼も手伝いに来てくれていた。「うお弥」のみなさんに感謝!開所してもう10年ぐらいかな。色々なことがあったが、なんとか軌道にのったかな。

 午後は、大津の膳所へ。パソコン教室を開いておられる戸所さんの事務所で、名刺から名簿作成のノウハウを聞いたり、商店街の色々な取り組みについて懇談。

 夜は、昭和美術会の授賞式と祝賀会に。全国から公募され入選された方が参加。西尾草峰さんが主宰者。ぼくは京都市長賞と京都市会議長賞の方に代読で表彰状を渡す。帰途、熊野神社の焼き鳥屋で久しぶりに一献。

●1月28日(金)

 相談ごとで北山駅近くの歩道を見に行く。水道工事の後、仮復旧されているのだが、今後の対応について水道局に問い合わせ。また障がい者年金のこと、学校でのイジメのことなど相談ごとも。

 夜は、自治労理財会計支部と解放同盟田中支部の旗開き。さらに学校職員労組の旗開きに飛び入り参加。新年会と旗開きシーズンももうすぐ終わりや。

●1月27日(木)

 10時から議員会。昨日の市会運営委員会での定数削減問題についての審議状況が報告される。請求人の陳述が行われた後、各会派の委員から行財政局との質疑が行われ、各会派の意見表明がされたという。請求人たちは、それぞれが某地域政党の候補者であり、実現をめざすのではなくて、選挙前の戦略的なパフォーマンスをしているだけのことや、とぼくは思っている。わが議員団としては、上京と左京の定数削減を主張しようということで合意しているが、これも自民、公明、共産が賛成するわけでなく、これも実現性が乏しい。市会改革委員会の議論の成り行きを見守るもとになる。

 昼前、鞍馬の本田正武さんの告別式。長年水道局に勤められ、退職後は鞍馬の区長もされていた。秋にご挨拶に行って久しぶりに会ったが、体調を崩されていた。心よりご冥福をお祈りいたします。

 午後、北区は雲ヶ畑の志明院の住職、田中真澄さんが来所。大晦日から元旦に降った雪で、倒木があり停電、陸の孤島になったという。4月29日の「しゃくなげ祭」の宣伝について相談。早速、大森北区長に電話をして区民しんぶんに載せてもらうようにお願いをする。

 夜は、銀閣寺交差点を西に行ったところに開設する選挙事務所にて今後の日程や事務所運営について相談。節分が終わったら本格的に稼動するぞ。

●1月26日(水)

 風邪気味か、ちょっと体調がイマイチ。午前中寝る。

 午後は、事務所にて選挙葉書のデザインのことや本番ポスターのことなどで打ち合わせ。また某警察署にて市民から相談を受けていた防犯の取り組みや信号機のことで相談に。

 夜は、自治労建設支部と保健福祉支部の旗開きを掛け持ち。挨拶するにも声が出にくい。酒も不味い。ちょっとおとなしくしていよう。

●1月25日(火)

 朝、喉がイガイガするしタバコも不味い。声が出ない。花粉症か風邪か?近くの門元病院へ10年ぶりぐらいかな。問診してもらい薬をもらう。2、3日演説したらだめだよ!とドクターストップ。ちょっと街頭演説も休憩や。事務所には来客。公園のこと、固定資産のことなど相談ごと。その他、色々と雑務。


 夜は、「住みよい京都をつくる婦人の会」の新年会と自治労清掃支部の旗開き。住みよい京都をつくる婦人の会の内藤しげ会長は、80歳を越えておられると思うが、いやはや今年も元気、元気。左京と中京のメンバーで吉田幼稚園の園児たちが作ってくれた鬼の面を被って舞台で歌う。

●1月24日(月)

 定数削減を求める住民直接請求による臨時市会が開会。市長が召集し、議員定数69人を60人にするという請求を受理して、市長の意見としては「議会自らが議論をして判断するべきもの」と意見が述べられる。市会運営委員会に付託されて議論されることになる。20分ほどで散会。

 その後、各常任委員会が開催。くらし環境委員会では、まずは理事者のまたまた陳謝から。昨年末まち美化職員が同僚に対して包丁を手にいざこざを起こして本人は辞職をすでにしているが、懲戒処分になったこと、と同時に「不祥事の根絶と職員のあるべき姿を目指してー環境政策局不祥事対策チームの取りまとめー」についての報告。各委員から色々と意見が。一般質問では、ぼくから青木芳香議員に頼んでマンションの業者による分別収集の現状と課題について質問をしてもらう。
 環境政策局の後、文化市民局からの理事者報告は、区役所で残業をする職員と課長との間でのイザコザについての報告。ぼくは委員長として進行役なのだが、なんで職員同士のトラブルについて委員会で議論をしないかんのや、とイライラが増す。

 報告事項は、京都会館再整備に関する市民意見の募集と「スポーツの絆が生きるまち推進プラン・スポーツ振興計画」の素案について報告。左京区に青少年活動センターの設置と選択的夫婦別姓制度法制化の要請の請願は留保。
 一般質問では、いきいき活動センターの指定管理者の選定についてと左京区の地域体育館のことで自民党の委員がいささか感情的になっての質疑。なんと終わったのは7時前。風邪気味か、花粉症か、喉がイガイガして気分が悪い上に、長時間の審議で委員長としてほんまに疲れたよ!

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剣鉾見学会 1月23日

2011年01月27日 | 日記


●1月23日(日)

 朝粥の会。柿阪正夫さんが「吉田山の桜」と題して、大元宮の前にある幽斎桜のいわれなど、細川ガラシャの話を交えてのお話。舞鶴は吉田地区にある瑠璃寺の枝垂れ桜が里帰りしたのは、7年ほど前か。偶然ラジオで聞かれたことが話の発端であったのだ。

 昼前、松ヶ崎へ。道路改良に伴う側溝の整備について陳情を受ける。

 昼からは、京都造形芸術大学での「京都の剣鉾―講演会・見学会」に。講演は、下御霊神社の宮司、出雲路敬直氏が「京都の剣鉾行事の諸相」について、歴史的な背景や剣先の飾りのことなど丁寧な説明をされ、一乗寺八大神社のことについて末松剛造形大准教授が古書を引用しての講演。そして参加者は八大神社に移動して、展示してある剣鉾の見学と、わが剣鉾の師匠が見学者を前に実演。また参加者が飛び入りで体験。「鈴木さん、差しますか」といわれて、いささか緊張しながら今年初めての剣鉾を差す。鈴(りん)は鳴らないし足もヨタついたがなんとか様になったかな?

 夕方は、吉田神社参道前のイタリア料理店「チェルキオ」にて新年最初のサロン。大野京大総合博物館館長も来られて、2月2日から6日まで京都初公開になる小惑星探査機「はやぶさ」の帰還カプセル特別公開のことで盛り上がる。

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新春市政懇談会を開催 1月21・21日

2011年01月23日 | 日記


●1月22日(土)

 朝10時前、民主党京都府連に。選挙対策委員会では、向日市の市長候補に現職の久島務さんを推薦決定。続いて常任幹事会。山井会長は、党大会や内閣改造のことや通常国会の見通しについて報告。春の統一自治体選挙は厳しいぞ!諸般の報告や府連大会の日程などの確認とともに統一自治体選挙に向けての民主党京都のマニフェスト案が示される。「人と人、地域の絆、暮らしと政治を結んでつくる京都の未来」として、子育て、福祉・医療、雇用、環境、自治などに関して重点政策が書かれたもの。ご苦労さん。
 

 午後は、2時30分から「みやこめっせ」で、「鈴木マサホと未来の京都を語ろう!新春市政懇談会―環境・福祉・文化・まちづくりについて考える」を開催。館内は食べ物会議や人体の不思議展で大賑わい。わが市政懇談会には、スタッフが30人ほど結集してくれて受付や設営準備。間仕切りをした広い会場だったが、300人近い人にご参加いただいた。

 オープニングは視覚障害者の梶寿美子さんの琴演奏とスピーチ。わが柿阪正夫後援会会長の挨拶の後、藤川市議と豊田府議、そして候補者の作島マキ、松下しんぞう、島内研君、それからわが盟友の山本恵も駆けつけてくれたのでそれぞれ挨拶してもらう。

 来賓として門川市長も登場してくれて、議員になる前からの出会いも含めて、ぼくがこの間でやってきたこと、3年前の市長選挙のこと、また京都市政の課題などについてスピーチ。予定していた前原外務大臣は、官邸で急遽会議が入って来れなくなったのでビデオレターを流す。

 リレー放談は、鴨沂高校の大先輩で生涯学習研究所の冨士谷あつ子さんが環境と文化について。連合京都副会長の橋元信一自治労府本部委員長が労働組合の役割と8年前の選挙のとき雪降る花背にぼくと一緒に行ったときのこと、演劇集団「笑いの内閣」代表の高間響君が、青少年活動センターの有料化問題での出会い、中川郵便局長が剣鉾のこと。
 宝ヶ池地域の環境を守る会の上高野の井口武男さんが葬議場建設問題のこと、寺田バレエアートスクールの代表の高尾美智子さんが文化交流のこと、最後に、ヒューマンふれあいコンサートの主催団体、経糸の会の杉村紳爾さんが福祉のことに触れてもらってリレートークを見事に締めていただいた。

 時間が押していたが、ぼくが登壇してご参加いただいたお礼とこの間の活動報告や市政の課題そして4月に向けて必死でがんばると決意表明。

 そして最後は「しのぶアンドみさお」さんらによる津軽三味線のライブ。ちょうど5歳の誕生日を迎えた幼稚園の男の子と小学生1年生の女の子も登場してくれて盛り上がったよ!

 左京区のわが応援団、小中高大学時代の久しぶりに会う同級生や前原後援会のメンバー、労組の関係者、そしてビラを見て来ていただいたすべての参加者、リレートークでスピーチしていただいた友人、そしてスタッフのみんさん、ありがとう。燃える闘魂いまいちど、4月10日に向けて全力で走ります。ご支援のほどよろしくお願いします。

●1月21日(金)

 朝の街頭演説は東山通仁王門前。30分ほど演説。角にある喫茶店で「朝早くからお騒がせしました」とお詫びしてモーニングティ。

 10時過ぎには、銀閣寺交差点を西へ行った所のビルの一階に選挙本番用に事務所を開設することになり内装がほぼ終わったので吉田神社の神官に来てもらって清祓式。過去の選挙事務所開設の時は、清祓式をしたことはなかったが、還暦を過ぎると信心が深くなってきたのかな。神頼みというなかれ。わが応援団のメンバー20人ほどが参集して厳粛なうちに玉串奉てんをして必勝を誓う!
 場所は、24年前の初当選と2期目の当選を果たしたときのラーメン屋さんの事務所の向かい側でゲンがええところ。節分が終わったら事務所機能を移転して、2月末か3月に事務所開きをします。ぜひお立ち寄り下さい。

 午後は、明日の新春市政懇談会の打ち合わせなど。

 夕方は、旗開きを4箇所ハシゴ。まずは、自治労公室支部。行財政局と総合企画局と市会事務局や選挙管理委員会のメンバー。隣の部屋では自治労教育支部。教育委員会の若いメンバーが多く活気がある。参画と連帯がキャッチフレーズ。ええスローガンや。それから隣のホテルでは左京区役所の自治労左京支部、福引抽選の最中で盛り上がっているときに失礼しました。
 そして最後は、ホテル平安の森での解放同盟の錦林支部の荊冠旗開き。かつては行政関係者も多く参加していたが、近年は少なくて、また同盟員の参加者も減少しているのか、ちょっと活気がなくなったなあ。
 新年会や旗開きも来週で終わる。飲む量を減らしているのでなんとか肝臓も持ちこたえた。

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左京南部を挨拶回り 1月17日ー20日

2011年01月23日 | 日記
●1月20日(木)

 朝の街頭演説は出町柳駅前。鴨川から寒風が吹き寒いよ。近くの喫茶店のモーニングでようやく温まる。

 11時前、北区は千本北大路下るの宝泉院へ。この春の府会議員選挙に立候補する平井としき君の娘さんの告別式。体調が悪いとは聞いていたが、享年21歳。お悔やみの言葉もない。心よりご冥福をお祈りいたします。辛いと思うけれど選挙は頑張ってほしい。

 午後は、百万遍界隈を挨拶回り。京都府生活衛生営業指導センターではコーヒーで一服。初当選したときは百万遍の西側で「市民センター左京」として、2期目から4期目は知恩寺の隣の小さなビルの3階で事務所を構えていたので、わが百万遍界隈は、わがホームグランド。飲み屋も含めて知り合いも多いよ。
 正月明けてこの10日間ほどで市民派議員レポートの宅配をかねて700軒ぐらい挨拶回りで行けたかな?

 夕方は、久しぶりに散髪屋へ。行きつけの「ひげ床」で整髪してもらってマッサージも。わが至福のとき。

 夜は、とあるマンションのオーナーが来所。マンションのゴミ分別収集についての京都市の取り組みについて苦言。また社寺仏閣と建築材木のことなど日本の林業政策について面白い話を聞く。分別収集のことは、いちど環境政策局と議論をしないといけないなあ。

●1月19日(水)

 朝の街頭演説は、銀閣寺前。近くの友人がビラ撒きを手伝ってくれる。感謝です。

 寒いけれど天気はいいので昼前から自転車で議員レポートを持って挨拶回り。聖護院や川東学区、新洞学区など疏水から南を回る。左京区と東山区の境界は三条通りから一筋北の孫橋通。だん王保育園では、コーヒーをいただき信ヶ原先生と保育行政のことについてお話を伺う。日が暮れると寒い。5時が限界や。

 夕方は、自治労文化市民支部の旗開き。くらし環境委員会で所管している局なので、答弁をする部長らに労いの一言も。

●1月18日(火)

 10時から議員会。議員定数削減問題直接請求による臨時市会の日程などの説明。市会運営委員会で請求者の陳述が行われ議論されることになる。
 また1月7日に議員団として開催した事業仕分けの総括。ぼくは第二班のスーパーバイザーということで総括的な感想を述べる。いささか準備不足のところもあったが、初めての試みとしては、次第点かな。予算市会の審議に生かせたらいいなあ。

 午後は、自転車に市民派議員レポートを積んで岡崎周辺を挨拶回り。久しぶりにお会いする人も。私道の舗装について要望なども受ける。

 夜は、韓国民団京都府本部の金有作前団長のご尊父さんのお通夜に。在日一世として色々とご苦労されたことであろう。心よりご冥福をお祈りいたします。

●1月17日(月)

 朝、また雪景色。昼前には雪も溶けて自転車で市役所へ。

 正午から1月の臨時市会を控えて各常任委員会委員長が集まって委員会の開催日を決定。

 その足で京都府の美容組合の華やかな新年会。雪で転んで骨折した人もいたよ。左京区の美容室の方々と他党の府市会議員も同席して懇談。呉越同席や。オールディズの演奏もあったが、早々に退席して地元を挨拶回り。

 夕方は、自治労京都市職の現業評議会の新年会。土木事務所や公園管理事務所、まち美化事務所、輸送課や動物園の職員らの集い。知人も多いので挨拶。ビンゴゲームで盛り上がっていた。

 夜は、銀閣寺交差点前で昨年秋に開店した「すいれん」へ。若い店主は剣鉾仲間の一人で上倉哲郎元市会議員のお孫さん。彼の母親、上倉さんの娘さん妙さんとデイト。上倉先生が亡くなって6年かな。民社党の重鎮だった。晩年は将棋を指しにご自宅に遊びに行ったこともある。生前の話や吉田山の「白樺」の話などで盛り上がる。

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奥野史子さんと対談 1月15・16日

2011年01月18日 | 日記
●1月16日(日)

 朝、目覚めたら雪。大原で新春恒例の消防団出初式に行こうと思ったが、鬼の撹乱か、ちょっと体調も悪いし、ノーマルタイヤで雪道を走るのもちょっと怖いし、1時前には京都駅での研修会の進行役の任務もあったので、欠席させてもらう。女子駅伝の日だが、雪で選手たちは大丈夫かなとちょっと心配。

 昼前、錦林小学校での聖護院学区の餅つきにちょっと顔を出して校長先生や地元の知人らに挨拶して、京都駅前に。

 クリーニング組合の新年研修会。シンクロ選手としてバルセロナオリンピックの銅メダリストでスポーツコメンテーターの奥野史子さんの新春トーク「家族と仲間の絆で明るい明日を!」。

 なんと!ぼくが対談者。同志社の総合政策科学研究科の後輩になり、京都市教育委員でもあるので、ちょっと無理を言って多忙なとき、来ていただいたのだ。
 ぼくが聞き役となって、踏水会時代のこと、井村コーチとの出会い、バルセロナオリンピックのこと、朝原選手との出会いと結婚、そしてあの感動を呼んだ北京オリンピックのこと、総合政策科学研究科の大学院で学んだこと、京都のこと、テレビ番組のこと、クリーニングのことなどおよそ1時間半ほどの対談でした。拙い聞き役でごめんなさい。無事に大役を果たしてほっとした。奥野さん、ありがとうございました。参加されたクリーニング業界の人たちに元気をだしてもらえたかな?

 その後、吉田は大元講社の新年会を兼ねた会議。ほとんど終わりがけだったが駆けつける。
 夜は、中学生の母親二人が来所。クラブの指導教員のことで相談に。色々とアドバイスをする。
 夕方、雪が激しく降り始め、午後10時ごろには10センチほどの積雪。京都も雪国になった。

●1月15日(土)

 午前10時過ぎ、ロイヤルホテルで京都市体育協会の新年会にくらし環境委員長として出席。スポーツ振興に尽くされてきた各競技団体の功労者への表彰式も。今年になってロイヤルホテルに行くのは何回目かな?昼間からビールを飲むわけにはいかずウーロン茶で乾杯。

 午後は、府会候補の新人、島内研君を伴って、わが地元の応援団のメンバーに挨拶回り。島内君は、同志社の経済学部出身で総合政策科学研究科のぼくの後輩になる。前原事務所で秘書として4年間?がんばった。まだ29歳。よろしくね。

 夕方は、「きょうと教組」の旗開き。いつもながらのアットホームな会。それから聖護院御殿荘でわが地元の吉田自治連の新年会。区長や第四錦林小学校と近衛中学校の先生方に各種団体や町内会長さんらが集い賑やか。ほとんどの人が顔見知り。今年の春はよろしくお願いしますと、ご挨拶。

 9時前散会後、左京南部のクリーニング組合メンバーの新年会。前原大臣の代理で斉藤秘書も一緒。毎年参加していてみなさんと親しいので、楽しく過ごす。宮川町の舞妓さんも来ていて華やかでした。

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62歳の誕生日 1月11日ー14日

2011年01月16日 | 日記
●1月14日(金)

 朝の街頭演説は、北山駅。寒いよ。
 ちょっと一服して自転車に議員レポートを積んで吉田を挨拶回り。ところどころ、ポスターの張替えもする。街を歩いていると、同級生などと久しぶりに会えるし、がんばってよ、と声をかけていただいて元気になる。「鈴木さんは応援するけど、民主党は期待はずれやね」とそこかしこで言われる。

 夕方、介護のことで相談ごと。夜は、わが後援会のメンバーに集まってもらって、4月に向けての取り組みや1月22日の市政懇談会のビラ撒き体制のことなど打ち合わせ。2月の節分が終わったらいよいよ本番体制。

●1月13日(木)

 62歳の誕生日。昼前、友人らが「誕生日おめでとう」のメールを送ってくれて思い出した。還暦を迎えた時はいささかの感慨はあったが、この歳になると、誕生日だといっても目出度くもなし。同じ日の誕生日の青木芳香議員からも電話。選挙勝って、お祝いしようね。

 議員レポートをもっての挨拶回りは、吉田学区を精力的に回る。まずは地元を固めないとね。夜は、友人が誕生祝をしてくれた。

 ニュースは、民主党の党大会。小沢グループの国会議員らが痛烈に執行部を批判したらしい。内ゲバはええかげんにせえよ!「たちあがれ日本」の与謝野議員が離党して入閣とか。なんじゃそれは、と思う。前原外務大臣は留任。当然だろう。内閣改造して菅政権は浮上できるのかな。

●1月12日(水)

 朝は、出町柳駅にて街頭演説。出勤途中の知人らが車から手を振ってくれてうれしくなる。

 10時過ぎに韓国民団京都府本部の新春年賀交歓会。領事さんや王清一団長が挨拶。自民、民主、公明、共産の府市会議員が多く参加。壇上でぼくは「セヘ ポンマーニ パドゥセヨ」と挨拶。多くの在日の友人たちと懇談。

 午後は、昨日に続いて浄楽と錦林東山学区の知人宅を挨拶回り。

 夕方は、自治労府本部の旗開き。京都府内の自治体や埋蔵文化財研究所などの労組の役員さんたちと懇談。市長は、大晦日の雪の中、環境政策局の職員が一丸となってゴミの収集を夜遅くまでかかって完遂したエピソードを披露。

 ニュースでは、明日の民主党大会を控えて内閣改造の話題。仙石官房長官は辞任のようだ。小沢問題であれ、なんであれ、ほんまにスッキリしてほしい。

●1月11日(水)

 朝の街頭は銀閣寺前交差点。事業仕分けのことなど30分ほど喋る。

 午前中打ち合わせ、午後は、議員レポートをもって浄楽学区の知人宅を挨拶回り。

 夕方は、社会保険労務士連盟の新春の集い。府議会と市会の常任委員会の委員長らも来賓。ぼくはくらし環境委員長として出席。

 その後、JAM京滋の旗開きと京都水道労組の旗開き。さらにとある環境グループの新年会に。久しぶりに丸坊主姿の槌田先生に会う。1981年から96年まで15年間ぼくが世話人をしていた「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」の話も。4箇所の新年会のハシゴは疲れる。

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消防出初式や成人式 1月8日ー10日

2011年01月16日 | 日記
●1月10日(月・休日)

 朝、吉田氏子講社主催の成人式が吉田神社で。役員さんたちと参加。本殿での神官による祝詞の後、参集殿では記念品として目覚まし時計が贈られた。今年の新成人は5人。
 ぼくが20歳の時は、全共闘運動華やかりし時、京大時計台にはチェ・ゲバラの絵が大きく描かれ、ぼくは反戦脱走米兵の面倒見ていたとき。あれから42年か!

 昼過ぎは、モラロジー研究所にて新年会、役員さん手作り料理、ノンアルコールビールで乾杯、30分ほどで退席して前原誠司事務所にて2区総支部の幹事会。この間の島内研君の府会候補となった経過などについて説明。これで問題も解決、ようやくスッキリした。全員の当選目指して、がんばろう!
 
 夜は、西院の居酒屋で京都サイクリング協会の新年会。守時会長、井原理事長の名コンビ。今年もアースライドやるで!

●1月9日(日)

 朝10時から岡崎公園で京都市消防出初式。風もなく快晴で寒くなくてよかった。昨年の京都市の火災件数は170件。昨年に比べて16件少ないのだ。他都市では一万人当たり3.7件だが、京都はなんと1.2という驚異的な少なさ。3年連続の減少。左京は、一昨年比5件多くて20件でした。
 いつものように市長らの挨拶の後、車両や、消防職員、消防団員による分列行進、自主防災組織、幼稚園児らの市民パレード、さらに市民による消火訓練にフィナーレは一斉放水。今年は男性消防職員による実況中継?が臨場感あふれてよかった!

 午後は、岩倉のとある工務店の新春恒例のもちつき大会。暖かい陽射しでよかった。 それから4時からはクリーニング同業組合の新年会。自民党派閥の領袖の某国会議員さんもご参加。こまめに新年会を回っておられますよ。市会議員はぼくひとり。

 夕方は、聖護院消防分団の初出式。市長表彰や局長表彰など功労者への表彰のあと、懇親会。吉川文一分団長とは、近衛、鴨沂高校の同級生。ようがんばっているよ。昨年11月の我が家の近くの火災のときは消防団より早くぼくが現場に行った。大火にならずによかった。

●1月8日(土)

 午前中、社団法人京都鴨沂会の新年最初の理事会ということで出席。今年の総会開催のことや今後の教養講座の企画のことなどが話題。途中で退席して、とある組合の旗開きに行ったらもう終わっていた。ゴメンね。

 正午には、京都府生協連の新年賀詞交換会。ちょうど1年前に、食の安心安全条例の制定を巡って色々とご意見をお聞きしていたので久しぶりに参加した。民主党の国会議員も一人参加していたが、共産党の府市会議員が多く、民主はぼくだけだった。

 午後は、京都鴨沂会の教養講座「故を温め新しきを知るー能楽の魅力」と題して観世流能楽師、吉波壽晃氏の講演。ぼくが理事ということで進行役。吉波さんとは、4年ほど前に面白能楽館の企画を持ち込んでこられたときにお会いして以来。能楽の歴史や実際に謡をみんなで謡うなど実に面白いお話だった。勉強になりました。

 終わってから、解放同盟の荊冠旗開き。北区から府会に立候補する平井としき君が司会。かつて解放センターで開催されていた頃、市役所の各局の局長や部長級が同盟員よりも多いぐらい参加していたことがあったが、この数年前から文化市民局の局長と部長や関係者だけになった。隔世の感がする。
 かつての隣保館が、コミュニティセンターから、この4月から「いきいき活動市民センター」として指定管理者による運営に模様替えされるが、同和行政終結後の京都市行政の象徴的な転換点になる。地域に根ざした運動団体の真価が問われると、ぼくは考えている。今後を見守りたい。

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事業仕分けを実施 1月6・7日

2011年01月10日 | 日記
●1月7日(金)

 朝小雪が舞い、わが宣伝カーは冷えこんで凍結状態。

 7時過ぎから泉ケンタ委員長の下、民主党京都府連の選挙対策委員会。2区総支部は、左京区の市会候補に公認していた島内研君を左京区の府会議員候補にするという懸案のことについて提案。ぼくは幹事長ということでこの間の経過について説明も。色々と意見があったが、満場一致で決定された。
 続いて常任幹事会が開催されて選挙対策委員会の決定事項が諮られて、これまた意見があったが、島内研君を左京区の府会議員候補として正式に決定されてほっとした。
 昨年11月以来の懸案のことがようやく解決。幹事長として、ほんまに苦労したよ。現職の北岡府会議員の当選はもちろんのこと、共産党の2議席を打ち破るのだ!同志社の総合政策科学研究科の後輩である島内君をよろしく。

 9時過ぎから民主・都みらい議員団主催の「事業仕分け」。「構想日本」のスタッフとゆっくり打ち合わせをする時間もなく開会式をして、早速2班に分かれて「事業仕分け」の作業に。ぼくは2班のスーパーバイザー。
 介護保険制度の市民周知から始まって6項目。構想日本の4人のメンバーと議員団の二人の仕分け人。各事業の担当者の課長との緊張したやり取り。市会の委員会での審議とはまた違う緊張感がある。ぼくは、冒頭での選定の背景をおおまかに説明し、担当者からの説明の後、質疑が行われた後、仕分け人による多数決による採決の後、まとめをする役。思っていたより傍聴者も多くて、新聞記者やテレビカメラも入って居眠りしていることもできないよ。真剣にやり取りを聞く。担当した各課長のみなさん、ご苦労さんでした。
 そしてそこは20数年議員をしていたらそれぞれの事業の背景も十分分かっているので、実情を知らない仕分け人にも説明を加えながら、担当者にも的確なぼくの所見を述べたつもり。伊達に長いこと議員をしてないよ。某議員が「カッコよかったですよ」と言ってくれた。
 結論は、介護保険制度市民周知は要改善。京都府主導の京都こども会館運営補助も要改善、障がい者自立支援法の見直しの中での課題であり、最も審議する時間がかかった、いわゆる共同作業所といわれる地域活動支援センター等の運営助成は、要改善。京都創生に関わるシンポジウムは小林議員のライフワークだが、要改善。また御池シンボルアートである噴水などの維持管理についても要改善。そして市民活動推進「くらしの工房」支援事業については不要という結論に達した。色々と感想はあるが、やってよかった、ということでしょう。藤川剛議員と議員団スタッフの中野涼君がようがんばった!

 夜は、連合京都の旗開き。「すべての働くものの連帯で、希望と安心の社会を築こう」と細田会長。山田府知事、門川市長に宇治市などの多くの市長に民主党の国会、府市会議員に候補者が勢ぞろい。選挙前なので、候補者は各テーブルを挨拶回り。ぼくは2区総支部幹事長として左京、東山、山科の府市会候補を紹介する役。
 それにして朝早くの選挙対策委員会から始まって、事業仕分けのことまで、長い一日でした。

●1月6日(木)

 熊野神社交差点で朝の街頭演説。
 午前中、ぼくを重点候補として推薦してくれた京都水道労組など挨拶に。
 
 昼前には、京都宅地建物取引業協会の賀詞交換会。民主党の政権交代がなって昨年よりわれわれ民主党の国会議員や府市会議員も呼ばれることになった。時代が変わったのだ。
 昼過ぎには、2区総支部の常任幹事会。左京、山科、東山の現職と新人の候補者そろい昼食会。必勝を誓う。
 午後は議員団室で事業仕分けのことで、保健福祉局の担当者と障がい者の作業所、小規模地域支援センターのことや文化市民局の担当者から「まちづくり工房」のことについて現状を聞く。

 夕方5時から新年最初の議員会。理事から市会改革委員会の状況についてと今後の臨時市会の日程や事業仕分けの打ち合わせ。新年早々、選挙の年に事業仕分けをするのも如何なものかと思いながら、ぼくはスパーバイザーという役割なので決めたら、きっちりしようということ。
 6時過ぎには、鞍馬はニノ瀬地区の杉原さんのご母堂の通夜の前にご焼香に走る。長い間介護をされていた。享年96歳。心よりお悔やみ申し上げます。

 その後、京都交通労組の旗開き。瀬戸委員長のもと、来賓には民主党の国会府市会議員が多く参加。地下鉄事業は苦しいが、なんとか乗客増目指して労使一体となってがんばろうという気概があふれていた。

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挨拶回りと旗びらき 1月2日ー5日

2011年01月06日 | 日記
●1月5日(水)

 朝8時前、百万遍交差点で新年最初の街頭演説。手がかじかむ。車から久しぶりに会う友人が「がんばれよ!」と声をかけてくれて元気になる。

 9時過ぎ、左京区役所へ。恒例の左京区の新春文化の集いー賀詞交歓会。市政協力委員や社会福祉協議会、各種団体代表らが集う。もちろん府市会議員も全員揃う。小・中学生の琴の演奏、また未生流の笹岡隆甫次期家元が現家元笹岡勲甫に代わって初登場。陰陽と交通安全を願った華を説明される。門川市長も挨拶に。元気そうだった。今年の話題は、婚活事業のこと。

 正午には、三条京阪で民主党京都府連の大型宣伝カー・ダッシュ号にて2区総支部として左京、山科、東山の府市会議員が揃い恒例の新年の街頭演説。連合京都の細田会長もデイーセントワークなど雇用問題について演説。風もなく無茶苦茶寒くなくて助かった。

 1時には、歯科医師会の新年の互礼会。府内の歯科医師さんたちが集まられて、知事、京都市長や首長らに、共産党以外の国会議員、府市会議員が勢ぞろい。伊吹文明さんが乾杯の発声。ぼくら府市会議員も全員紹介していただく。

 その足で、連合京都へ新年のご挨拶に。JAM京都ではみなさん一杯機嫌で盛り上がっていた。その足で京都交通労組など挨拶に。夕方は、ロイヤルホテルで自治労京都市職労組の結成20周年記念を兼ねた旗開き。20年前、共産党の勢力が強い組合から分かれて自治労が再建されたことを思い出していた。初代の羽室委員長らの挨拶が印象的。20人のメンバーで立ち上げられたのだ。これからロイヤルホテルに何回来ることになるのかな。
 帰途、「新羅」と「赤垣屋」に立ち寄り新年のご挨拶。肝臓に気をつけないといけないシーズン到来。

●1月4日(火)昼前から市民派議員レポート新春号を持って挨拶がてら地元をポスティング、また議員レポートの発送作業の第2弾。また川端署へ宣伝カーの道路使用許可
の申請に。

●1月3日(月)
 午前10時前に吉田神社へ。本殿、神楽岡社、今宮社を参拝した後、参集殿で氏子講社の理事会。今年は鈴鹿隆男講社長も元気になられてよかった。理事として永年勤められた方の表彰も。今年の講社大祭など日程などの提案を確認。2月2日と3日の節分は、ぼくは追儺の矢を渡すお神楽のところに座っているのでぜひご参拝ください。祈願成就、厄除けをしますよ。そして5月15日の講社大祭と秋の神幸祭では「剣鉾」を差すぞ!

 午後からわが地元の界隈の友人、支持者宅に市民派議員レポート新春号を持ってポスティング、挨拶周りを始める。また近所の鴨沂高校の後輩の友人宅にて、東京で愚息が世話になっている弁護士さんと懇談。不思議な縁でびっくりした。今後ともご指導をよろしくお願いします。高校時代のことや法曹界のことで話が盛り上がる。夜は、事務所にてメールニュース新春号を送る作業。

●1月2日(日)

 午前中、わが家でゆっくり。午後、近くの須賀神社、熊野神社へ初詣。宮司さんらに新年のご挨拶。その足で、平安神宮でも必勝祈願。また今年は卯の年で、兎が祀ってある岡崎神社はテレビニュースで流れたこともあり、長蛇の列。申年のときは哲学の道のところにある大豊神社が長蛇の列だったのを思い出した。並ぶのは好きではないので、昨年3月に市政懇談会を開催した近くの日吉神社へ。ひっそりとしていた。夕方は、事務所にて雑務。

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雪の元旦  2011年元旦

2011年01月04日 | 日記
●1月1日(元旦・土)
 
 雪の元旦、大晦日から降った雪を踏みしめて吉田神社へ。15cmぐらいの積雪。ホカロンを貼り付けて礼服を着て吉田神社へ。元旦恒例の歳旦祭。晴れ渡った空と樹木に積もった白い雪と朱色の社殿のコントラストが素晴らしく、神々しい。雅楽が流れて澤井宮司さんの厳粛なる祝詞に、この4月の必勝を祈願する。参集殿にて、「一月一日」、「年の初め」の歌を歌い、乾杯。参道には真っ白に雪が積もり、朝日が輝いていた。

 娘と東京から帰ってきた愚息と白味噌雑煮でお祝い。そして年賀状を拝読。ありがとうございます。今年もわが剣鉾仲間の某郵便局長さん一家の年賀状が微笑ましい。
 昼、昨年来、嵯峨のマンションで暮らしている両親を家族で訪問。おふくろは昨年大病を患ったが、手術後の回復も早くてほっとした。耳が遠くなったが、ほぼ元気。84歳かな。親父は94歳、マダラ症候群だが、マンション生活にも慣れて二人して機嫌よく暮らしている。

 帰途、ひとりで嵐電に乗って白梅町経由、初詣で賑わう北野天満宮からブラブラ帰宅。鳥取県では大雪で車も電車もJRも不通。

 思いがけない大雪の元旦。さあ、4月に向けてがんばるのみ!


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jinnkenn

2011年01月03日 | 日記
6月8日(金)  左京土木  ビオトープ  レミ舗装  議会報告会
6月7日(木)11時前、京都府人権擁護委員連合会総会に。初めての参加。北は京丹後から南は乙訓、城南など各協議会の府内一円の委員が集っての総会。法務局や京都地裁、京都地検、知事代理、弁護士会長らの来賓挨拶。その後、会務報告や決算報告、事業計画や予算案などの報告がありしゃんしゃんと円滑に総会は終わり、「みんなで築こう人権の世紀、考えよう相手の気持ち、育てよう思いやりの心」の決議を採択。
午後は、研修会ということで、福島からの自主避難者に西山裕子さんが「原発事故と自主避難」と題して講演。昨年彼女の話を聞いたことがあるが、この間、色々なところで話をしているからか、経験を積んで話が上手になったと思う。事故前の生活、事故直後のこと、避難への経過、そしてこの1年、広域処理の危険性など、一生懸命思いを伝えられた。それから、「エネルギーと環境問題」と題して京大名誉教授の笠原三紀夫さんが放射線や原子力発電のイロハ、原子力防災の取り組みなど淡々と講演。昨年震災直後に、福島の被災者がホテルでの宿泊や避難先の学校でいじめられるなど、人権侵害につながる風評被害など、人権相談が500件ほどあったことも報告。総会と研修会は午後3時ごろまで。
帰途、議員団室に立ち寄り、産業観光局の農林振興室の鳥獣対策チームの担当者とカラス対策について懇談。ゴミを食い散らかすカラス対策としてはネットを配布して対策が講じられてきたが、カラスの鳴き声などについては、光と水と音ぐらいしか対策がないとのこと。今後の対策を協議。夜は、事務所で雑務。
6月6日(水)毎月第2週は常任委員会の日で、水曜日は教育福祉委員会。今日は市内実地視察で岡崎中学校と中央斎場を視察の日。市役所から地元左京区の岡崎中学校へ。鴨沂高校で同級生だったタイガースのジュリーこと沢田研二の母校なのですよ。説明を受けたのち、3年生の道徳教育の時間を授業参観。各クラス、地下鉄や市バスの優先座席について、先生の話の後、横浜市では全席優先座席にしたケースもあるが、さて座るのか、否か。生徒たちは真剣に意見発表。今どきの中学生は大人しいな。みんな真面目で静かですね。感心しました。ぼくは道徳教育なんて,と思っていた時代もあったが、近頃は「規範意識」が教育現場で
重要視される時代になったのだ。久しぶりに学校現場、授業参観してええ勉強になりました。それから京都で唯一の中央斎場に。叔父さんのお別れのときに斎場に行って以来かな。休場の日であったが、場長らから説明を受けて、火葬炉など視察。建築されたのは昭和56年。それまで北区の蓮華谷にもあったが、今はこの中央斎場が一か所。市内在住者は一件1万5千円。市外は7万5千円が使用料。年間1万5千件、火葬される。犬猫は1万件余。20年先には現在より1万件多い件数が見込まれるとい予想もあり改修・改築が検討されている。「ゆりかごから墓場まで」と自治体の役割はよく言われるが、まさに骨になり、墓場まで自治体の責務なのだ。両親を見送りに来るのは、数年先だろうが、後5年か、10年か、30年か先には、ぼくもあの火炉で焼かれて骨になるのだなあ、と思うと、なんとなく気分が落ち込む視察でした。午後は、最近設置され始めた広告付きの市バスの屋根付き停留所の設置を請け負っている知人と懇談。色々と苦労もあるのだな。また震災がれきの処理について、過日、
5月29日に京都市災害廃棄物広域処理に係る専門委員会が開催されているが、その審議の様子や論点について環境政策局の担当者と懇談。今後、委員のメンバーは、被災地に視察に行ったりして結論を出すということだが放射性物質の汚染の測定や最終処分地の問題、また作業員の健康被害の影響や、なんといっても反対派の抗議行動やクリーンセンター周辺住民への説明など課題は山積。今後の専門家委員会の議論を見守りたい。
夜は、この春、選任された塚本副市長らと一献傾ける。見た目はひょうひょうとしているが、芯はしっかりしているのだよ。色々と市長を支え、補佐をするのも、たいへんだろうが、がんばりや!色々と議論をして思ったのは、彼らの世代が、京都市の同和行政で交渉に立ち会った経験のある最後の年代なのだ。同和行政の自縛から解き放たれてよかったね。

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2011年01月03日 | 日記
tesuto

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教育福祉委員会実地視察と人権擁護委員会総会 6月6日・7日

2011年01月02日 | 日記

    お知らせ  

   久しぶりの<鈴木マサホ市政懇談会>
   
   6月19日 午後7時
   会場 鈴木マサホ事務所
     初めての方もお気軽に!

●6月7日(木)

   <人権擁護委員連合会総会と研修会>

 11時前、京都府人権擁護委員連合会総会に。初めての参加。北は京丹後から南は乙訓、城南など各協議会の府内一円の委員が集っての総会。法務局や京都地裁、京都地検、知事代理、弁護士会長らの来賓挨拶。その後、会務報告や決算報告、事業計画や予算案などの報告がありしゃんしゃんと円滑に総会は終わり、「みんなで築こう人権の世紀、考えよう相手の気持ち、育てよう思いやりの心」の決議を採択。

 午後は、研修会ということで、福島からの自主避難者に西山裕子さんが「原発事故と自主避難」と題して講演。昨年彼女の話を聞いたことがあるが、この間、色々なところで話をしているからか、経験を積んで話が上手になったと思う。事故前の生活、事故直後のこと、避難への経過、そしてこの1年、広域処理の危険性など、一生懸命思いを伝えられた。

 それから、「エネルギーと環境問題」と題して京大名誉教授の笠原三紀夫さんが放射線や原子力発電のイロハ、原子力防災の取り組みなど淡々と講演。昨年震災直後に、福島の被災者がホテルでの宿泊や避難先の学校でいじめられるなど、人権侵害につながる風評被害など、人権相談が500件ほどあったことも報告。総会と研修会は午後3時ごろまで。

 帰途、議員団室に立ち寄り、産業観光局の農林振興室の鳥獣対策チームの担当者とカラス対策について懇談。ゴミを食い散らかすカラス対策としてはネットを配布して対策が講じられてきたが、カラスの鳴き声などについては、光と水と音ぐらいしか対策がないとのこと。今後の対策を協議。夜は、事務所で雑務。

●6月6日(水)

   <教育福祉委員会 岡崎中学校と中央斎場を視察>

 毎月第2週は常任委員会の日で、水曜日は教育福祉委員会。今日は市内実地視察で岡崎中学校と中央斎場を視察の日。
 
 市役所から地元左京区の岡崎中学校へ。鴨沂高校で同級生だったタイガースのジュリーこと沢田研二の母校なのですよ。説明を受けたのち、3年生の道徳教育の時間を授業参観。各クラス、地下鉄や市バスの優先座席について、先生の話の後、横浜市では全席優先座席にしたケースもあるが、さて座るのか、否か。生徒たちは真剣に意見発表。今どきの中学生は大人しいな。みんな真面目で静かですね。感心しました。ぼくは道徳教育なんて,と思っていた時代もあったが、近頃は「規範意識」が教育現場で重要視される時代になったのだ。久しぶりに学校現場、授業参観してええ勉強になりました。

 それから京都で唯一の中央斎場に。叔父さんのお別れのときに斎場に行って以来かな。休場の日であったが、場長らから説明を受けて、火葬炉など視察。建築されたのは昭和56年。それまで北区の蓮華谷にもあったが、今はこの中央斎場が一か所。市内在住者は一件1万5千円。市外は7万5千円が使用料。年間1万5千件、火葬される。犬猫は1万件余。20年先には現在より1万件多い件数が見込まれるとい予想もあり改修・改築が検討されている。
 「ゆりかごから墓場まで」と自治体の役割はよく言われるが、まさに骨になり、墓場まで自治体の責務なのだ。両親を見送りに来るのは、数年先だろうが、後5年か、10年か、20年か先には、ぼくもあの火炉で焼かれて骨になるのだなあ、と思うと、なんとなく気分が落ち込む視察でした。
 
 午後は、最近設置され始めた広告付きの市バスの屋根付き停留所の設置を請け負っている知人と懇談。色々と苦労もあるのだな。
 また震災がれきの処理について、過日、5月29日に京都市災害廃棄物広域処理に係る専門委員会が開催されているが、その審議の様子や論点について環境政策局の担当者と懇談。今後、委員のメンバーは、被災地に視察に行ったりして結論を出すということだが放射性物質の汚染の測定や最終処分地の問題、また作業員の健康被害の影響や、なんといっても反対派の抗議行動やクリーンセンター周辺住民への説明など課題は山積。今後の専門家委員会の議論を見守りたい。

 夜は、この春、選任された塚本副市長らと一献傾ける。見た目はひょうひょうとしているが、芯はしっかりしているのだよ。色々と市長を支え、補佐をするのも、たいへんだろうが、がんばりや!色々と議論をして思ったのは、彼らの世代が、京都市の同和行政で交渉に立ち会った経験のある最後の年代なのだ。同和行政の自縛から解き放たれてよかったね。

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教育福祉委員会実地視察と人権擁護委員会総会 6月6日・7日

2011年01月02日 | 日記

    お知らせ  

   久しぶりの<鈴木マサホ市政懇談会>
   
   6月19日 午後7時
   会場 鈴木マサホ事務所
     初めての方もお気軽に!

●6月7日(木)

   <人権擁護委員連合会総会と研修会>

 11時前、京都府人権擁護委員連合会総会に。初めての参加。北は京丹後から南は乙訓、城南など各協議会の府内一円の委員が集っての総会。法務局や京都地裁、京都地検、知事代理、弁護士会長らの来賓挨拶。その後、会務報告や決算報告、事業計画や予算案などの報告がありしゃんしゃんと円滑に総会は終わり、「みんなで築こう人権の世紀、考えよう相手の気持ち、育てよう思いやりの心」の決議を採択。

 午後は、研修会ということで、福島からの自主避難者に西山裕子さんが「原発事故と自主避難」と題して講演。昨年彼女の話を聞いたことがあるが、この間、色々なところで話をしているからか、経験を積んで話が上手になったと思う。事故前の生活、事故直後のこと、避難への経過、そしてこの1年、広域処理の危険性など、一生懸命思いを伝えられた。

 それから、「エネルギーと環境問題」と題して京大名誉教授の笠原三紀夫さんが放射線や原子力発電のイロハ、原子力防災の取り組みなど淡々と講演。昨年震災直後に、福島の被災者がホテルでの宿泊や避難先の学校でいじめられるなど、人権侵害につながる風評被害など、人権相談が500件ほどあったことも報告。総会と研修会は午後3時ごろまで。

 帰途、議員団室に立ち寄り、産業観光局の農林振興室の鳥獣対策チームの担当者とカラス対策について懇談。ゴミを食い散らかすカラス対策としてはネットを配布して対策が講じられてきたが、カラスの鳴き声などについては、光と水と音ぐらいしか対策がないとのこと。今後の対策を協議。夜は、事務所で雑務。

●6月6日(水)

   <教育福祉委員会 岡崎中学校と中央斎場を視察>

 毎月第2週は常任委員会の日で、水曜日は教育福祉委員会。今日は市内実地視察で岡崎中学校と中央斎場を視察の日。
 
 市役所から地元左京区の岡崎中学校へ。鴨沂高校で同級生だったタイガースのジュリーこと沢田研二の母校なのですよ。説明を受けたのち、3年生の道徳教育の時間を授業参観。各クラス、地下鉄や市バスの優先座席について、先生の話の後、横浜市では全席優先座席にしたケースもあるが、さて座るのか、否か。生徒たちは真剣に意見発表。今どきの中学生は大人しいな。みんな真面目で静かですね。感心しました。ぼくは道徳教育なんて,と思っていた時代もあったが、近頃は「規範意識」が教育現場で重要視される時代になったのだ。久しぶりに学校現場、授業参観してええ勉強になりました。

 それから京都で唯一の中央斎場に。叔父さんのお別れのときに斎場に行って以来かな。休場の日であったが、場長らから説明を受けて、火葬炉など視察。建築されたのは昭和56年。それまで北区の蓮華谷にもあったが、今はこの中央斎場が一か所。市内在住者は一件1万5千円。市外は7万5千円が使用料。年間1万5千件、火葬される。犬猫は1万件余。20年先には現在より1万件多い件数が見込まれるとい予想もあり改修・改築が検討されている。
 「ゆりかごから墓場まで」と自治体の役割はよく言われるが、まさに骨になり、墓場まで自治体の責務なのだ。両親を見送りに来るのは、数年先だろうが、後5年か、10年か、20年か先には、ぼくもあの火炉で焼かれて骨になるのだなあ、と思うと、なんとなく気分が落ち込む視察でした。
 
 午後は、最近設置され始めた広告付きの市バスの屋根付き停留所の設置を請け負っている知人と懇談。色々と苦労もあるのだな。
 また震災がれきの処理について、過日、5月29日に京都市災害廃棄物広域処理に係る専門委員会が開催されているが、その審議の様子や論点について環境政策局の担当者と懇談。今後、委員のメンバーは、被災地に視察に行ったりして結論を出すということだが放射性物質の汚染の測定や最終処分地の問題、また作業員の健康被害の影響や、なんといっても反対派の抗議行動やクリーンセンター周辺住民への説明など課題は山積。今後の専門家委員会の議論を見守りたい。

 夜は、この春、選任された塚本副市長らと一献傾ける。見た目はひょうひょうとしているが、芯はしっかりしているのだよ。色々と市長を支え、補佐をするのも、たいへんだろうが、がんばりや!色々と議論をして思ったのは、彼らの世代が、京都市の同和行政で交渉に立ち会った経験のある最後の年代なのだ。同和行政の自縛から解き放たれてよかったね。

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教育福祉委員会実地視察と人権擁護委員会総会 6月6日・7日

2011年01月02日 | 日記
●6月7日(木)

    <人権擁護委員連合総会と研修会>

 11時前、京都府人権擁護委員連合会総会に。初めての参加。北は京丹後から南は乙訓、城南など各協議会の府内一円の委員が集っての総会。法務局や京都地裁、京都地検、知事代理、弁護士会長らの来賓挨拶。その後、会務報告や決算報告、事業計画や予算案などの報告がありしゃんしゃんと円滑に総会は終わり、「みんなで築こう人権の世紀、考えよう相手の気持ち、育てよう思いやりの心」の決議を採択。
 午後は、研修会ということで、福島からの自主避難者に西山裕子さんが「原発事故と自主避難」と題して講演。昨年彼女の話を聞いたことがあるが、この間、色々なところで話をしているからか、経験を積んで話が上手になったと思う。
 事故前の生活、事故直後のこと、避難への葛藤と経過、そしてこの1年、広域処理の危険性など、一生懸命思いを伝えられた。
 それから、「エネルギーと環境問題」と題して京大名誉教授の笠原三紀夫さんが放射線や原子力発電のイロハ、原子力防災の取り組みなど淡々と講演。昨年震災直後に、福島の被災者がホテルでの宿泊や避難先の学校でいじめられるなど、人権侵害につながる風評被害など、人権相談が500件ほどあったことも報告。総会と研修会は午後3時ごろまで。

 帰途、議員団室に立ち寄り、産業観光局の農林振興室の鳥獣対策チームの担当者とカラス対策について懇談。ゴミを食い散らかすカラス対策としてはネットを配布して対策が講じられてきたが、カラスの鳴き声などについては、光と水と音ぐらいしか対策がないとのこと。今後の対策を協議。夜は、事務所で雑務。

●6月6日(水)

     <教育福祉委員会、岡崎中学校と中央斎場を視察>

 
 毎月第2週は常任委員会の日で、水曜日は教育福祉委員会。今日は市内実地視察で岡崎中学校と中央斎場を視察の日。

 市役所から地元左京区の岡崎中学校へ。鴨沂高校で同級生だったタイガースのジュリーこと沢田研二の母校なのですよ。説明を受けたのち、3年生の道徳教育の時間を授業参観。各クラス、地下鉄や市バスの優先座席について、先生の話の後、横浜市では全席優先座席にしたケースもあるが、さて座るのか、否か。生徒たちは真剣に意見発表。今どきの中学生は大人しいな。みんな真面目で静かですね。感心しました。ぼくは道徳教育なんて,と思っていた時代もあったが、近頃は「規範意識」が教育現場で重要視される時代になったのだ。久しぶりに学校現場、授業参観してええ勉強になりました。


 それから京都で唯一の中央斎場に。叔父さんのお別れのときに斎場に行って以来かな。休場の日であったが、場長らから説明を受けて、火葬炉など視察。建築されたのは昭和56年。それまで北区の蓮華谷にもあったが、今はこの中央斎場が一か所。市内在住者は一件1万5千円。市外は7万5千円が使用料。年間1万5千件、火葬される。犬猫は1万件余。20年先には現在より1万件多い件数が見込まれるとい予想もあり改修・改築が検討されている。
 「ゆりかごから墓場まで」と自治体の役割はよく言われるが、まさに骨になり、墓場まで自治体の責務なのだ。両親を見送りに来るのは、数年先だろうが、後5年か、10年か、30年か先には、ぼくもあの火炉で焼かれて骨になるのだなあ、と思うと、なんとなく気分が落ち込む視察でした。

 午後は、最近設置され始めた広告付きの市バスの屋根付き停留所の設置を請け負っている知人と懇談。色々と苦労もあるのだな。
 また震災がれきの処理について、過日、5月29日に京都市災害廃棄物広域処理に係る専門委員会が開催されているが、その審議の様子や論点について環境政策局の担当者と懇談。今後、委員のメンバーは、被災地に視察に行ったりして結論を出すということだが放射性物質の汚染の測定や最終処分地の問題、また作業員の健康被害の影響や、なんといっても反対派の抗議行動やクリーンセンター周辺住民への説明など課題は山積。今後の専門家委員会の議論を見守りたい。

 夜は、この春、選任された塚本副市長らと一献傾ける。見た目はひょうひょうとしているが、芯はしっかりしているのだよ。色々と市長を支え、補佐をするのも、たいへんだろうが、がんばりや!
 色々と議論をして思ったのは、彼らの世代が、京都市の同和行政で交渉に立ち会った経験のある最後の年代なのだ。同和行政の自縛から解き放たれてよかったね。

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