元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

11月市会の議案勉強会  11月21日ー23日

2011年11月27日 | 日記
●11月23日(水)

    <中央市場の鍋まつり>

 休日。午前中、左京区民のハイキングなどがあったが、ちょっと風邪気味か。無理をしないで午前中はゆっくり。昼過ぎ、中央市場第一市場の恒例の「鍋まつり」に娘と出向く。
 中央市場は、ぼくは2回目の選挙に挑戦して落選した後、34歳から当選するまでの4年間近く働いていたホームグランド。塩干の山本水産・山安でお世話になっていた。毎朝4時に起きてデッチ車を引いて、モートラに乗って場内をうろうろしていた。最も活気があり、ぼくも体力があった頃。今では塩干部は当時の三分の一の売り上げかな。本部に立寄ると、市長や中央市場のドン、今枝議員や安井副議長らも来ていて三陸の魚を使った鍋やカレー鍋を賞味。場内は多くの人で賑わっていて、マグロの解体ショーやあんこうの吊るし切などに市民が興味深く見守っていた。万を越える市民が京都の食の一大イベントを楽しんだ。

    <チェルキオの会> 

 午後は事務所で予算要望の取りまとめの作業を始める。夕方は2ヶ月に1回のチェルキオの会。吉田神社参道前のイタリア料理とパンの店「チェルキオ」に15人ほど地元のメンバーが集い、大野京大総合博物館館長さんが撮影した吉田今宮社の秋祭りの映像を見ながらワイワイ。ぼくの剣鉾の足取りは、実際よたっているなあ。世話役の中尾写真館の中尾勇さんとシェフの福井君に感謝。

●11月22日(火)

    <議員会、市長選挙が近づいてきた> 

 10時から議員会。近づいてきた市長選挙の今後の日程や与党各会派との調整についての報告など。4年前の今頃は、確か10月に桝本市長が出馬しないことを表明して、民主・都みらい議員団は門川教育長の擁立に向けて動き始めた頃か、ぼくは民主党の市長選挙の責任者として、擁立を巡って、水面下で右往左往していたとき。
 なにしろ民主党本部が相乗りを禁止して、同時に民主党の国会議員が血気盛んで、民主・都みらい議員団とのつばぜり合いがあったり、色々とたいへんだった。今度は隠塚議員が調整役。ぼくは気分的には楽や。門川市長も再選に意欲をすでに示しているし、相乗り禁止も昔の話。民主も元気がないし、自民、公明、民主の三党推薦ということになるのかな?政党が推薦しなかった知事選挙とはまた違うパターンになるだろう。
 議員団として「私たちが目指す京都市像」なる政策を作成して市長候補との政策調整に入るこちになる。また12年度予算要望をどうするかなど、色々と論議。

    <ほろ酔いの夕べと白神君>

 夕方は、わが事務所恒例の「ほろよいの夕べ」。吉田神社澤井宮司さんの娘さんのサックス演奏と土谷光さんのギター演奏でボジョレー・ヌーボォを楽しむ会。秋の夜長のひと時を楽しむ。また金沢より鴨沂高校の同窓生、白神君が来所。近くの近衛の「よろずや」で坂井夫妻も一緒に一献。高校時代の友人と飲むのは楽しいひととき。

●11月21日(月)

   <11月市会定例会の議案勉強会>

 10時から議員会。11月市会定例会の議案についての説明が各局からあり、簡単な質疑。補正予算は、秋の台風による災害復旧工事に1億円余。保育所待機児童の解消に向けて1700万円、そして子ども手当て給付事業費の減額が38億円、また篤志家の寄付を動物園の整備に当てる基金積み立てに3億円余。合計33億円の珍しい減額補正。

その他、京都市芸術大学が公立大学法人化に関係する条例、また児童館の指定管理者の選定、障害者自立支援法の移行に関連しての各授産施設の条例の改正、また市道路線の認定や廃止、さらに宝くじの金額についてと職員の給与に関する条例などで大きな議論となる議案はなさそう。ぼくは、建設局の審議で時間があったので事業仕分けをした事業についての感想を部長から述べてもらった。
 
    <自治労京都市職の予算要望>

 3時過ぎに議案の説明は終わった後、自治労京都市職労とわが議員団との予算要望についての懇談会。市民自治の実現と自治体改革、新しい公共のこと、公契約条例の制定や、社会保障制度の充実、男女共同参画の推進など多岐にわたる。
 自治労も近年、職員の不祥事などで元気のない時があったが、役員も若返ったようだ。橋元委員長はラガーマン。議員団の予算要望に取り入れる項目もある。

     <和田高槻市議と> 

 来客は、友人の紹介で高槻市の和田市会議員が視覚障がい者の方と同行して来室。和田議員は元京都市職員で、今は市会議員。京都市から高槻の視覚障がい者の施設に入所したところ、高槻市のガイドヘルパーの制度には、他の市町村から移転して来た人には適用されないとか。改めて担当者と協議することにしよう。

 夕方は、前原後援会「誠会」会長戸川政人君のご母堂のお通夜。前原後援会の役員さんたちが受付。心より御冥福をお祈りいたします。

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鴨沂高校同窓会 11月19日・20日

2011年11月25日 | 日記
●11月20日(日)

    <吉田山の里山を再生する会>

 朝、吉田山を美しくする会の環境美化運動に。と同時に吉田山の里山を再生する会の行事として、桜を来春植えるべく、うっそうと茂った木を伐採する作業。造園業の津田さんの指示で、剣鉾保存会のメンバーなどが木を切り倒すのにがんばった。
ぼくは倒された木を鋸で切って整理する役。腕が痛いよ。区役所と京大との連携もあり、吉田山を桜の名所にしようという夢をもって頑張るのだ。

    <修光まつり> 

 昼、修学院は、色づいてきた赤山禅院近くの知的障がい者の通所施設、修光学園の修光まつり。この秋、理事長の森昇さんは、社会福祉功績で藍綬褒章を授章された。おめでとうございます。長年の福祉の向上に向けた取り組みに心より敬意を表します。ちょうど経糸の会の鶴山伸爾さんや木村正さんらと一緒になったのでうどんをご食べて、東北支援のバザーで買い物。今年は天気が良くて何よりでした。ボランティアの方と利用者らの交流もあり、何人かの知人らに会う。

    <鴨沂高校同窓会 総会>

 午後は、ウエステイン都ホテルでの鴨沂高校同窓会の総会。多くの理事のメンバーによって受付がされ記念講演をしてくれる舞台監督小川幹雄さんと同期の20期生がたくさん参加してくれて150人ほどの参加者か。
 ぼくは会長ということで冒頭の挨拶。2期6年間、会長をしたので今回をもって退任。お世話になった理事の皆さんらにお礼を言って、同窓会の活動や鴨沂高校の現状など報告。来賓には鴨沂高校の山岸校長と社団法人京都鴨沂会の北丸会長らの挨拶があり、山崎理事長から活動報告や決算予算の報告。淡々と議事は進み、新会長の上野民夫先生(8期生)がご挨拶。

 2部は、日本舞台監督協会理事長の小川幹雄さんが、新国立劇場のことや海外公演での色々と面白いエピソードとともに、高校時代の演劇コンクールの思い出を語り、高校時代はドラマだったと、感想。
 また3部ではポルトガルギターとマンドリンの「マリオネット」のライブ。機縁か、小川氏とポルトガルで会ったりした友人であったという。いい音色でした。ぼくも実は知り合いで、浮島丸事件を描いた映画「エイジアン・ブルー」の音楽を彼らが作曲したのだが、そのときにちょっと縁があって、韓国の楽器カヤグンを調達したのであった。 それから4部は、懇親会。関東支部の事務局長、同期の19期、吉川能信君の乾杯で開宴。鴨沂高校の定時制を卒業して看護士をしながら歌の練習をして歌手デビューした立神真知子さんがこれも縁あって、盛り上げてくれた。彼女とは左京消防署近くの「恵美」というスナックで同席したこともあるよ。
 なお一番若いこの春卒業して京都市役所に採用された佐々木祐君も来てくれた。一期生から数えて60年を越えた年代が同じ校舎で学びこうして同窓会で会えるということはいいものだ。出席していただいたみなさん、ありがとう。

 日本シリーズは福岡ホークスが制覇。阪神はいつ優勝するのや。それにしても読売巨人の清武何某氏と渡辺恒男氏の場外乱闘もおもしろいなあ。

●11月19日(土)

     <民主党2区総支部 常任幹事会>

 朝10時から修学院の前原事務所で民主党2区総支部の常任幹事会。総支部長の前原政調会長は欠席なので幹事長としてぼくが仕切り役。12月3日に2区の定期大会を予定しているので、その大会次第や活動報告、決算報告、また活動方針や予算案を審議。ちょうど1年前は、島内研君の市会候補から府会候補への転出を巡って侃々諤々、神経をすり減らしたというのは大袈裟だけれど、大会は大紛糾した。島内君は、見事当選できて結果はよかった。

     <こどもたちを放射能から守る講演会>     

 午後は、まず「こどもたちを放射能から守るためにー知らされなかった内部被曝の真相」と題した琉球大学名誉教授の矢ケ崎克馬さんの講演会。会場は、東山いきいき市民活動センターの多目的ホール。この施設は、かつては隣保館であり、今は市民の集会も開催できるようになった。ある種の感慨がぼくにはある。会場は、放射能による健康被害について心配する幼児連れの若いお母さんたちが多い。色々と講演を聞き学びたかったが、ゆっくりできずに資料だけもらう。

     <故金大中元韓国大統領夫人の歓迎会>

 それから東九条の「故郷の家」に。金大中元韓国大統領夫人、李姫鎬女史が来所。歓迎会に参加。金大中氏が日本で拉致されたのは1973年だったか、ぼくは京都で救う会の一員として街頭行動をした記憶がある。
 その後、光州事件など韓国の民主化運動が高まり京都でも様々な支援活動が行われた。1997年金大中氏は大統領に就任。それから2009年夏に亡くなった。享年85歳。

 夫人の李姫鎬(イ・ヒホ)女史は、女学校時代のお友達が「故郷の家」で生活されているということで訪問されたという。車椅子で会場に来られた。わが友人の西院の「ゆうクリニック」のドクター兪正根(ユウ・ チョングン)氏が歓迎の賛美歌を熱唱し、野中広務元内閣官房長官が歓迎のご挨拶。故田英夫参議院議員が、成田空港に立寄った金大中氏に対して事情聴取する日本の公安のやり方について中止するよう申し入れがあって、それに対して対処したことなど披露された。女史は90歳かな、ちょっとお疲れのようだったが、凛とした雰囲気でやさしさが感じられた。お元気で。

     <パーソナルサポートセンター>

 それから、京都府パーソナルサポートセンター設立1周年記念のシンポジウムに。生活と就業の安定に向けたパーソナルサポートセンターの役割と題して、派遣村で活躍した湯浅誠氏の司会で、釧路や大阪などでパーソナルサポートを担っている方が討論。岩手のこれからのくらし仕事支援室の吉田さんからは震災以降の状況について報告も。
 懇親会では内閣府の担当参事官の方らと名刺交換。わが友人の恒河紗は福島美枝子女史のことなど話題に。このパーソナルサポート制度は菅首相の提言によって実施され始めたのだよ。「あったかサポート」の笹尾君、ご苦労さん。夕方事務所で相談ごと一件。

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市会改革推進委員会で議事進行! 11月16日ー18日

2011年11月24日 | 日記
●11月18日(金)

     <92歳の親父と過ごす>

 朝8時前、嵯峨にあるマンションに両親を訪ねる。84歳になるお袋は白内障の手術をするということでカミさんと病院に。ぼくは市会運営委員会があったが欠席して、92歳になる親父と終日過ごす。
 午前中はウツラウツラと居眠りしている親父の横でぼくも同様に居眠り。
 昼は近くのファミレスで食事。親父と二人で飯を食うのは、昨年、お袋の入院の時以来か。子どもの時はともかく、飲みに行ったりした記憶はほとんどない。入れ歯はないのでよく食べる。元気なのだ。
 その後、紅葉が始まった高雄から京北町へドライブ。昔、来たことがあるなあ、とふと思い出しているかな。西山ドライブウェーの菖蒲谷池では鴨に餌をやりながら、楽しそうに笑う。帰途、行楽客で賑わう嵯峨野の叔母の家を久しぶりに訪問。従姉が在宅していて、スペイン土産のお菓子でお茶。あれ誰やったかな?という。
 5時前、マンションに無事に帰宅。二人でテレビ見ながら「ほか弁」で晩飯。8時過ぎに弟がきて交代。老々介護というには早すぎるが、ちょっと疲れました。
 
 事務所では、明日の民主党2区総支部の常任幹事会にかけるべき、大会議案書の今年度の活動報告と活動方針案を泥縄で書く。

●11月17日(木)

      <市会改革推進委員会で「議事進行!」>

 10時から市会改革推進委員会が開催。月一回のペースで20人の委員が集まり議論。
 冒頭、議会基本条例の策定についてというところで、某自民党の若手議員が、過日の流山市議会の他都市調査で、二日目の14日の所沢市議会の調査時には、委員の参加者が少ないのが残念、民主の人は誰もいなかった、という趣旨の発言をしたものだから、議事進行をかける。
 「事業仕分け」の日程を以前から決めていたことは正副委員長が承知の上で、視察の日程が決まり、参加できないのは、了承済みであったから、議事録削除を求めたのだ。取り扱いについては、正副委員長に任せて発言を終えた。まあひと波乱起こしたということかな。
 その後、開かれた市会(市民に身近な市会)ということで議論があり、委員会の直接傍聴の実施については、前向きに検討する方向になったが、実施はまだ無理。本会議での一問一答方式は、合意できず。常任委員会のネット中継は対費用効果もあり結論はでず。また議案説明書資料のホームページへの掲載も無理。議会の新たな情報発信については、仙台市では議会開催のポスターを作製しているが、これは前向きに検討することになったのだったかな。委員会の審査内容の事前告知をホームページにおいて公表することにはなった。
 全部の会派が合意に達するのは至難のことだが、まあボチボチですよ。

 委員会終了後は、体操着のリサイクル運動に取組んでいる岡部達平君来室。教育委員会の担当者と経過報告や今後の見通しについて協議。来春には試験的に始めることができるかな。
 事務所への来客は、豊田府会議員。民主党2区総支部の会計として決算と予算について協議。
 夜は、聖護院の「炎の火」で珍しい取り合わせの5人のメンバーで秋の夜長を談論。楽しかったよ。

●11月16日(水)

       <鴨沂高校を訪問>

 昼前、わが母校の鴨沂高校へ。20日に同窓会総会を開催するので顧問・来賓としてのご参加をお願いがてら校長や事務長さんと懇談。スタインウエイピアノ再生のことや生徒たちの学力向上の取り組みなど四方山話。
 午前中は、校門を閉門しているとのこと。ぼくらの時代はエスケープといって授業をサボるのが多くいたが、今も変わらないのかな。ぼくも御所や山岳部のクラブボックスで早弁をよく食べたものだ。猛者は、ジャズ喫茶の「シャンクレール」でタバコをふかしている輩もいたよ。鴨沂食堂で生徒たちに交じって昼飯。制服は今もないよ。

 午後は、事務所にてウロウロ。保健福祉局の部長らが11月市会定例会の議案の説明に。障害者自立支援法に関連して条例の改正や児童館の指定管理者の選定についてが保健福祉局の議案。
 
 また若い友人が結婚披露宴をもうすぐするのだが、お祝いのビデオメッセージを作るということで、カメラの前で「乾杯」を唄う。アルコールなしで唄うと声がでないな。

 夕方は、保証協会に関連して返済のことで、連帯保証人が亡くなって相続人に通知があって、どう対処したらいいかと駆け込みの相談ごと。色々な相談ごとがありますよ。

 夜は、選挙のときに弁当を作ってもらっていた「おかえり」という食堂(飲み屋?)で、友人と一献。なんやかんやで遅くなった。

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「事業仕分け」 11月14・15日   

2011年11月23日 | 日記
●11月15日(火)

 わが民主・都みらい議員団の同僚たちは、他都市調査と民主党政府へ予算要望のために上京したが、ぼくはこの間、民主党の議員フォーラムや東北視察で京都を留守にすることが多かったので同行せず。午前中は久しぶりにたまった資料を整理。午後は、26日開催の民主党京都府連のパーティチケットの購入のお願いに組合などを回る。

     <食品衛生功労者ら表彰式>

 それから教育福祉委員会委員として、食品衛生功労者・衛生優良施設・食品衛生指導員表彰式に出席。壇上で正副議長らと座る。飲食店や菓子製造業を営む方々、また料理屋やホテル、漬物や豆腐などの製造業の優良施設など、各食品や行政区別に表彰式が行われ、最後は記念撮影。わが友人のうどんやの店主らも来ていた。昨年、食の安心・安
全条例も制定されたが、この表彰式は長年の行事。
 帰途、市民から相談を受けていたことがあったので保証協会に立ち寄り知人の役員さんに会う。四方山話も。

     <隣に脱走兵がいた時代> 

 夜は、わが家に、朋あり遠方より来る。アメリカはニュージャージからサンディーさん。つい一週間ほど前に「ほんやら洞」で再会を果たしたが、わが家ですき焼を囲む。ベ平連時代からの友人で、「隣に脱走兵がいた時代」(思想の科学社刊)を書いた関谷滋君も一緒に積もる話。
 1969年から74年、ベトナム戦争に反対して岩国米軍基地で凧をあげて戦闘機を止めたり、錦帯橋で米兵とのパーティやジェーン・フォンダやドナルド・サザーランドのFTAショーの話。PCS(パシフックカウンセリングサービス)というアメリカの平和運動団体から弁護士や活動家が日本に来て、一緒に反戦活動を繰り広げていたわが青春時代。ぼくも脱走兵と過ごしたこともあるし、ガールフレンドもいたので、ぼくの京都弁英語は、実はその頃覚えたのだよ。あれから40年。ヤン・イークスやバーバラ・バイなどみんなどうしているんだろか?サンディーは同志社に留学、合気道を学んでいたが、その周辺にウロウロしていた仲間。65歳かな。また会おうな。

●11月14日(月)

     <「事業仕分け」を実施>

 9時前、ロイヤルホテルに。民主・都みらい京都市会議員団主催の2回目の「事業仕分け」、ぼくは1班のスーパーバイザーということで構想日本のスタッフらと打ち合わせ。簡単に開会式をして、早速、2班に分かれて事業仕分け。
 コーディネーターの仕切りで始まるが、まずぼくが仕分けの着眼点などのついて簡単に説明。同僚の議員が3人、構想日本から3人が6事業について仕分け。市民の傍聴者のいることで、居眠りをするわけにいかず緊張しながらやり取りを聞きながらメモ。委員会での緊張とはちょっと違う雰囲気。答える担当の課長らも初めてのことで、いささか緊張気味。
 最後は仕分け人の採決で対応が決まり、結果が出た後、スーパーバイザーとして、ぼくがまとめの意見を述べる役。

 わが班の結果は以下のとおり。
 要改善は、都市計画局が所管する京都駅前の烏丸公共地下道維持管理については、広告費の収入増などの努力が必要で、ゼスト御池の公共地下道維持管理は、京都市も出資していることもあり、その先のことを考える必要があるということで、要改善。それにしても今は空き店舗が目立つのは如何なものか?
 建設局の放置自転車対策は、どうすれば放置がなくなるかを考えて政策を見直す必要があり、啓発のあり方も要改善。この間、民間の駐輪場の設置など対策がされてきて出町柳駅周辺は大いに改善されたことなどは評価。
 街路樹の維持管理は、「生き物」である街路樹の剪定は、落ち葉で困る市民もいれば、紅葉を楽しむ市民もいるので、議論がある。2段階剪定は効果的。造園業の後継者の育成も必要。また入札のやり方については要改善。
 鍼灸マッサージ関係関係団体事業補助は、関連団体とも協議を行いより有効な事業のあり方を見直すべき、と再検討。消防団の運営は、団活動の必要性は大いに認めるが、協会のあり方についてはゼロからの見直すべきと再検討。京都市学校給食協会への委託は、委託の妥当性についてメリット、デメリット等もう一度見直す時期として要改善という結果になった。

 なお、ぼくは議論の中身は知らないが、第2班の結果は、不要が資源ごみ拠点回収(紙パック)事業、再検討は、映画広報、姉妹都市交流事業、旧公設小売市場等管理、販路開拓・産地商品宣伝事業。人権啓発推進支援事業・市民啓発事業は要改善という結果になった。
 この事業仕分けは、単に廃止をしろ!という結論アリではなくて、どう政策的に有効な手法を用いるか、ということが着眼点。予算編成にも活用してほしい。傍聴に来ていただいたみなさん、ありがとう。答弁してくれた課長級のみなさんご苦労さんでした。

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流山市議会の議会報告会  11月13日

2011年11月21日 | 日記
●11月13日(日)

   <千葉県流山市議会 議会報告会を視察>

 朝9時、秋葉原駅の改札口で市会改革推進委員会の他都市調査で一行と合流。つくばエキスプレスで千葉県流山市は「おおたかの森」駅で下車。駅前は、開発工事が進行中。
 タクシーで初石公民館へ。会議室で、流山市の議員による「第4回議会報告会」が開催。40人ほどの市民が参加して、議員の市会で始まる。最初に「予算はどう使われたのか」と題して、流山市の財政について家計に例えて説明。流山市は人口16万人。新撰組の近藤勇がひとときいたらしい。一般会計は686億円。決算議会が終わったところなので議会の役割と、関連して耐震強化や学校のエアコンの設置など各会派で合意した指摘や要望項目の説明も。

   <放射能汚染問題と流山市> 

 そして、「放射能汚染問題に対する市議会の取り組み」と題して議員が経過と課題について説明。3月12日から15日のおける福島原発の水素爆発後、千葉県にも放射能が飛散し、流山もホットスポットになった。議会として怒涛の日々だったという。
 6月の臨時市会から各会派が質問をして議会として7月には「放射能問題及び災害対策に関する協議会」を設置、9月には特別委員会も設置されてクリーンセンターなどの放射能汚染被害状況の視察も行われている。放射能対策室が設置され、除染作業などにも取組んでいるのだ。
 議会報告会を勉強に来たのだが、ぼくは、昨日、福島は飯館村や南相馬に行ってきた所なので、この地まで放射能汚染にさらされているのかと、暗澹たる思い。だから参加者には子ども連れの家族も来ていたのだ。質問には議員が返答。
 1人の参加者は東武鉄道の駅の設置問題で延々と喋りちょっとひんしゅくもの。
 
 放射能問題のことは別にして、この流山市議会は、21年に自治基本条例の制定時に議会基本条例を策定しているので、全国の自治体議会から視察団が多い。視察団の一行と流山議会の議員7人と懇談会。会派や党派を超えて、呉越同舟、議会として議会報告会を開催する意義や開催の広報や運営の仕方、また議会基本条例の制定過程、またインターネットを活用したユーストリームでの中継のことなど意見交換。なるほど議会改革の先進的な取組みには敬意を払うが、議員個人の意見を述べられない、というのはちょっと合点がいかんね。

 昼食を食べて、一行は翌日の埼玉県は所沢市議会の視察のために移動、ぼくと数人は、秋葉原で散会。

    <川崎・ブレーメン通り商店街>

 ぼくは品川駅から横須賀線に乗り武蔵小杉駅で東急東横線はは元住吉駅で下車。鴨沂高校時代の同期生の吉川能信君が商店街組合事務局長をしてるブレーメン通り商店街を視察。この商店街、ドイツのブレーメンの音楽隊をイメージして活発な商店街作りが行われていて実に活気がある。この日は、「とびっきりのふくしまオータムフェア」ということで、福島産の米やリンゴの試食会など。

 滞在時間は1時間足らず、新横浜から8時過ぎに帰京。百万遍の「門」での吉田今宮会の直会(なおらい)に。10月の吉田のお祭りで神輿や剣鉾でがんばったメンバーの懇親会。50人ほどでビールがなんと7ケースも飲み干された。二次会に行くことなく年寄りグループと10時過ぎに帰宅。2週間続いて東京での会議や視察は、さすがに疲れるよ。
 なお大阪市長選挙が告示された。平松市長と橋下元知事との合戦だ。

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ふたたび仙台・福島へ 11月9日ー12日

2011年11月20日 | 日記
●11月12日(土)

    <連合京都議員フォーラム研修会 福島市は大波地区と南相馬市を視察>

 朝、出発前にホテル玄関で2ヶ月前にお世話になった石原衆議院議員秘書の大隈さんと再会。県会議員選挙で忙しいとのこと。お元気そうでした。
 バスで粟野市会議員の引率で浪江町住民が避難してきて暮らす仮設住宅に。これからの冬は厳しい寒さで住民の生活もたいへん。住民のみなさんの声をお聞きしたかったが時間もなく、除染作業が進む大波地区に。

 柿が実る山間の農村地域で400所帯が住む。線量計は2・5マイクロシーベルトを越えてピピピという警報が鳴る。広場には、仮置き場として、汚染された土を入れた土嚢が積まれている。また社会福祉協議会のゼッケンを着けたボランティアの人達30人ほどが、とある民家の庭の土を入れ替える作業を黙々としているところを見学。原発が水素爆発したときに放射能が流れてきたという。子どもたちがいる家を優先的に除染の作業を始めたということだが、さて、これから先の展望はあるのだろうか。およそ1時間ほどの滞在であったが1マイクロシーベルトぼくらは被爆したことになるのかな。作業をしている人、また村の住民の健康被害が今後どのようになるのか、心配だ。

 そしてバスで飯館村に。2ヶ月前には、畑や田んぼには雑草が生い茂っていたが、雑草は刈り取られた様子。しかし作物は生育していないようだ。途中ガソリンスタンドには人影があったが、家々や商店は閉じられたまま。人影はない。村役場前まで行く。連合福島の自治労の出身の役員さんとも知り合いの村役場の自治労の委員長だという青年が日直で1人おられた。

 それから、少し色づき始めた阿武隈高地を南相馬市へ。浜どうり地区といわれるところで、津波で甚大な被害を受けたところ。そして原発から20キロ余のところ。連合福島原町地区の方から説明を受ける。3月11日、津波は3時35分頃到達。死者、不明者は600人を超える。12日早朝5時44分から半径10キロ圏内の住民に避難命令。15日から4千人を越える住民が市外に集団避難をしたという。人口は7万人だが、11月現在市外に避難している人が2万7千人とのこと。42地点でモニタリングをしている。バスで原発から20キロの所に行く。警察官が警戒中だったが、そこから100メートルの所ではコンビニが営業していたよ。日常生活が戻ってきているのだ。「相馬野馬追」で有名な地。映画「私が棄てた女」でその馬追の光景があったと記憶しているが、違ったかな?
 津波に襲われた海岸沿いにバスで行く。海は穏やかであったが、鉄塔が倒れていて原町火力発電所も被害を受けて復旧までには3年ほどかかるらしい。地盤沈下したところか、水がついたままのところもある。津波に原発事故とまさに二重苦の地。言葉はない。
 南相馬から一路北へ。国道は、車が行きかい日常の風景。仙台空港で一行と別れてバスを下車。電車で仙台駅へ。東北新幹線に乗り換えて上野から秋葉原経由、浅草へ。明日の京都市会市会改革推進委員会委員として流山市議会の議会報告会視察に合流するために浅草のホテルで宿泊。つけ麺食べて、場末のパチンコ屋でちょっと遊んだが、勝てないね。

●11月11日(金)

      <連合京都議員フォーラムで仙台・福島へ>

 東日本大震災からちょうど8ヶ月。連合京都議員フォーラム調査研修会で再び東北へ。ぼくにとっては9月に東北地方を駆け抜けて以来2ヶ月、2度目の訪問。
 朝8時過ぎの空港バスで伊丹へ。一行は、京都府内の自治体議員や連合京都の役員ら20人余。
 仙台空港には昼前着。仙台と空港間の電車も走っていた。バスで空港から沿岸部を通って仙台市内方面へ。2ヶ月前には、津波に押し流された自動車の残骸があちこちに残っていたが、だいぶ整理されたのか、見かけなくなっていた。若いバスガイドさんが、地震当時の体験も交えながら仙台の被害などについて説明。2ヶ月前に見た道路上の漁船はそのままだった。
 ぼくは2ヶ月前に来ているので名取市の被災状況や閖上(ゆりあげ)浜周辺や荒浜地区のことを同僚議員らに説明。車中は沈黙。瓦礫を処理するプラントも建設されたのか、ダンプトラックが走り、所々には瓦礫の集積場が小山になっている。昼食会場は、倉庫街にある仙台名物の蒲鉾屋さん。平常営業を再開していた。
 
 午後は、高速道路で2時間弱、福島市へ。リンゴや桃畑の風景。小雨模様で、冬物のジャケットを着込むが、ちょっと寒い。
 市内では連合福島政治政策フォーラムのみなさんと意見交換。影山連合福島会長が挨拶、今泉事務局長さんがこの間の被災状況や復旧・復興に向けた取り組みについて説明。地震発生から被災地へのボランティア活動、避難所の問題や仮設住宅建設の問題などを語り、「福島は、宮城県と岩手県の被災状況とちがう。南相馬市にすべてがある」という言葉は重い。
 地震と津波とそして原発事故による被害。福島市においては4万2千人が、県においては15万人が県外へ避難されている。原子力災害は継続中であり、除染が大きな大きな課題であること、「一にも二にも除染」で安心・安全、子どもの健康を守りたい、暮らしをなんとか早くしたいという思いは、いつ実現するのか。
 
 粟野福島市会議員とも2ヶ月ぶりの再会。ちょうど県会議員選挙の真っ最中。忙しい中であったが、この1月に新築なった福島市役所へ。福島市の危機管理室の課長と髭の専門官から福島市の放射性物質対策について、福島市ふるさと除染計画についてお話を伺う。専門官は、自衛隊からの出向で除染作業の先頭に立っている人。
 積算線量計(ガラスバッジ)を子どもたちや妊婦、4万人近くに配布。地域ごとの除染を進めて行くことなどその多難な手法について説明があり、放射能対応として45億円の予算が想定されているが、果たして農地や山林をどのように除染するのだろうか。

 夕食は連合福島のみなさんと懇親会。解散後、ぼくは2ヶ月前に一緒に飯館村に行った安彦さんと駅前で再会。わが後援会会長の柿阪正夫さんの仕事上でつながりがありびっくりいたが、染色関係の設備を取り付けに子息のよしたか君も来ていて知り合い。安彦さんが住んでいる所はホットスポットの渡利地区。小学生と中学生の子どもの健康被害を心配しながら除染作業のことなど深刻なお話。11月末には京都に仕事で来るということで再会することに。外は冷たい雨が降っていた。

●11月10日(木)

     <門川市長、2期目出馬に意欲> 

 京都新聞朝刊に、現職の門川大作氏(60)の選挙母体となる「未来の京都をつくる会」(略称・未来の会)が9日の総会で、門川氏の再選に向けて支援する方針を決め、活動を再開させた。門川氏は立候補の意向を表明しており、未来の会は今後、支持者拡大を図っていく、との記事。告示は1月22日、投票日は2月5日。
 大阪では知事選挙が告示され、市長選挙も平松・橋下でヒートアップしそうだが、京都は寒い時で共産党の候補も2回目の挑戦だが、イマイチ、パワーもなさそうだし、投票率も悪いやろな。されど、京都市長選挙もようやく動き始めたということ。

     <教育功労者表彰式>

 午前中は、京都アスニーで教育功労者表彰式。正副議長と教育福祉委員が来賓。教育振興に尽くした個人や団体、また30年以上の永年勤続の教員や委員会の職員さんらの表彰式。かつては、ぼくの担任だった先生らと再会したことがあったが、それも昔の話し。いくつかのグループに分かれての記念写真の撮影も。

 昼時、食事をしながら議員会。事業仕分けの最終打ち合わせや市長選挙の今後の日程や様々な動きについて報告。
 午後は、学校給食協会のことを事業仕分けの対象に選んだので、教育委員会の学校給食の担当者と勉強会。

     <雲ヶ畑の交通をどうする>

 また北区は雲が畑志明院住職の田中真澄さんと同志社の総合政策科学研究科の新川達郎教授が来室。京都バスの路線廃止問題と今後の公共交通のあり方について交通政策監らと懇談。鴨川と仙台は広瀬川の清流を守る運動でお二人の付き合いが始まったということらしい。
 地域住民の足の確保も大切だが、観光客や北山のハイカーなど街から雲が畑へ行く人々の交通手段を確保することも必要。ぼくは高校時代山岳部で北山荘へ行く時など京都バスを利用したものだ。

     <金川弁護士の御冥福を> 

 夕方は、金川琢郎弁護士の御通夜。享年73才。京都弁護士会会長や京都市の人事委員会委員委員長等など歴任。はるか昔、ぼくの学生時代に(ぼくは逮捕歴はないよ!)デモなどで逮捕されときの救援活動なのでお世話になった弁護士さんの1人。議員になってからも、市民の相談があった時には、お世話になったこともある。心より御冥福をお祈りします。

●11月9日(水)

      <教育福祉委員会>

 毎月第二週は京都市会の各常任委員会が開催される日。水曜日は教育福祉委員会。
 教育委員会は報告案件なしで一般質問。2学期制のこと、京都マラソンに係わる教員の人事異動、食育や給食のアレルギー対策のこと、中学、高校の教育制度のことなどについて質疑がある。

 保健福祉局からは京都市動物愛護センター(仮称)構想に係わる意見募集の結果についての報告と質疑。パブリックコメントの数は、市外や外国からも、なんと1744名の人から、4198件の多数の意見があった。この数は凄いよ。普通は100件足らずなのだが。それだけペットに関する関心は高いのか。いささか驚きました。京都府の動物愛護センターと役割分担、ペットの深夜夜間救急診療、殺処分の防止、ボランティアの協力、収容動物の譲渡の推進、動物園との連携、災害対策などについて質疑が交わされた。
 また一般質問では共産党の3人の女性議員が、妊婦診療受診券の再発行について、子宮頸がん予防ワクチン、緊急通報システム、保育行政について質疑。
 
 委員会が終了後、事業仕分けは、マッサージ師会等への補助金のことについて担当者を交えて勉強会。スーパーバイザーということで概略を知っておきたいので同席。
 その他、なんやかんやで議員団室を出たら、外は真っ暗。秋の夜は、つるべ落とし。

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地方自治体議員フォーラム 11月4日ー8日

2011年11月11日 | 日記

  日記を読む前にお読み下さい
  
   まずは「お知らせ」です。
   
●11・12日は、連合京都議員フォーラムの研修旅行で
  福島県に行きます。除染活動など視察します。
 13日は、千葉県流山市議会の議会報告会を
  市会運営委員会の一員として視察に行きます。
  京都を留守にします。 
 14日(月)は、午前9時過ぎから三条河原町上がるのロイヤルホテルで
 民主・都みらい議員団主催の「事業仕分け」をします。
 ぼくはスーパーバイザーです。
 公開です。傍聴できますよ。  


● 「鈴木マサホの創ろう語ろう楽しもう京都・左京LIFE」
    
   市民参加型コミュニティサイトを立ち上げました!
   ご協力のほどよろしくお願いします。イベントの情報などお知らせ下さい。
   またぜひ投稿してください。
   http://sakyo-masaho.com/

●鈴木マサホ 研修旅行会
  11月27日(日) 午前8時 東一条 集合
  行き先 若狭地方  熊川の宿
      明通寺 長年原発問題に取組まれてきた中島哲演住職の講話
      美浜原発PRセンターの見学など
  参加費 8千円(食事代・バス代など)
  先着 40名様です。
 

●11月8日(火)

    <地方自治体議員フォーラム 分科会>

 民主党地方自治体議員フォーラムの二日目。朝8時30分から分科会の司会をぼくはすることになっているので打ち合わせ。9時から二つの分科会に分かれて研修会。ひとつは食と農業の分科会で、ぼくは第二分科会の前半の司会。

 講師の柏木孝夫東工大大学院教授が「エネルギー政策の展望」と題して、裏話を交えながらエネルギー政策の転換が必要なことを述べ、松岡俊和北九州環境局環境未来都市担当理事は、「次世代エネルギーとスマートコミュニティ」として、北九州の低炭素社会へ向けた具体的な取り組みを語った。
 会場からは長崎の議員の原発問題について質問など、その他、小水力発電のことなど多岐にわたり、2時間はあっという間に過ぎた感じ。有意義な研修会だったと思う。民主党本部の組織委員会の担当者のみなさん、ご苦労様でした。

    <足立区 花畑公園を視察>

 解散後、新宿駅から上野に出て地下鉄日比谷線で20分ほどで谷塚へ。足立区の花畑公園に。空間創研の吉田昌弘氏から「すこやか公園」として紹介してもらっていたので、一人で視察に。
 大きな団地の横に花畑公園はあった。広い公園には幼児が遊べるところと公園の敷地内に一周200メートルのウオーキングコースがあり、秋の昼下がりの陽射しを浴びながら高齢者が30人ほど思い思いのペースでウオーキングを楽しんでいる。毎週土曜日にはインストラクターが指導しながら設置された簡単な道具(遊具ではない健康器具)など使いながら介護予防の体操などしているという。これぞ「すこやか公園」。元気に老後を暮らすことで医療費の抑制にもなるし、ふれあいの場にもなるというわけ。
 公園に隣接して花畑記念庭園と桜花亭がある。足立区制50周年を記念して、当時畑であった所に作られた立派な石垣と庭園。区画整理事業でバブル前にできたという。指定管理者が運営していて副園長さんから説明を受ける。これからの紅葉もいいだろうな。

 午後5時過ぎののぞみで帰京の途に。ところがどっこい、名古屋駅でのぞみは1時間弱運転が停止。京都・大阪間で、線路上にヒトが立ち入ったという。人騒がせなアホが!京都駅に着いたら9時前だった。自治労京都市交響楽団音楽家労組の定期大会後の懇親会の二次会に。わが同世代、トランペット奏者の間憲司氏らと暫し懇談。疲れていたのでちょっとだけ呑んで退散。

●11月7日(月)

     <地方自治体議員フォーラム> 

 まあまあの目覚め。ホテルで朝食の後、10時から自治体議員フォーラムの全国11ブロックの代表世話人会。ぼくは近畿代表。会の持ち方や日程、司会の担当や基調報告の確認など。近畿からの代表者と近畿ブロックの年明け2月に京都市長選挙後の研修会を和歌山で開催することも決定。11時から47都道府県の自治体議員の代表が集まっての世話人会。

 そして午後2時から全国から500人の自治体議員が集合しての総会。1999年の民主党の議員は1800人でスタートした。今年になって2900人の議員数になったのだ。この春の統一選挙でイマイチ躍進できなかったのがちょっと残念や。

 世話人代表は草加市の11期の新井議員。副代表の勝部北海道県議が報告。代表世話人としてぼくも登壇したよ。予定されていた輿石幹事長は、西岡参議院議長が急逝され葬儀参列で来れず、急遽、樽床幹事長代理が挨拶に。与党になってなんやかんやと弁明。
 全体講演の第一部はわが前原誠司政調会長。TPPのこと、第三次補正予算のこと、消費税のこと、介護サービス付き住宅のこと、そしてマニフェストの検証のことなどスピーチして、質問に対する答弁も堂々たるものでした。安心したよ。

      <そのとき地方議員は何ができたのか>

第2部は、「東日本大震災―そのとき地方議員に何ができたか」と題して、工藤大輔岩
手県議、岡本あき子仙台市議、そして福島は伊達市の佐藤実市議の3人が報告。
 地震の揺れ、停電したこと、情報が入ってこなかったこと、津波に襲われた被災地のこと、避難所のこと、風評被害のこと、子どもたちの健康のこと、復興のことなどが語られ、名取市ではふたりの議員が誘導に尽力して亡くなったこと、福島県では2万人近い児童生徒が県外へ避難していることも報告された。
 助言者の岩手大学の南正昭教授は、人々の和をもって長く寄り添って復興に向けて進むことなどを提起。さて、我々は何ができるのだろうか?

      <野田首相、挨拶に>

 午後6時からは懇親会。午後7時、野田首相が会場に姿を現し挨拶に。千葉県会議員の経験など語り自治体議員を大切にしたいと挨拶。
 TPPの交渉参加問題を巡って大揺れの時、マスコミも多数詰めかけていたが、核心部分にはふれずに10分間ほどの短い時間。写真も撮りたかったが、その時間もなし。ちょっと残念でした。まあ時が時だけにやむをえないかな。

 懇親会散会後、京都から参加した10人の自治体議員と京都選出の国会議員との懇談会。山井、小原、泉、松井、福山議員が超多忙にもかかわらず来てくれてTPPを巡る議員集会の模様など聞く。京都は交渉参加賛成派が多いのかな?世話をしてくれた北神事務所の金井秘書、そして山井事務所の近澤秘書ありがとうよ。京都自治体議員ネットワークの代表幹事として、色々と新人議員とも喋れてよかったよ。 

●11月6日(日)

     <左京総合防災訓練>
 
 朝早く小雨模様だったが、9時過ぎに錦林小学校に。地元は聖護院学区の自主防災訓練は雨で中止。
 されど左京総合防災訓練は決行とのことで、修学院小学校に行く。修学院、修学院第二、上高野の三学区の自主防災会や消防団をはじめ住民や各事業所、また消防少年クラブの児童や医師会の人たちが集まり、避難所設営の訓練や消火訓練など。
 校舎屋上から府警のレスキュー隊が降下訓練など披露。消防ヘリコプターも到来。府市会議員が来賓で紹介をしてもらう。特に左京区役所のみなさん、ご苦労さんでした。

     <民主党府連 常任幹事会>

 昼食をとりながら民主党京都府連の常任幹事会。山井会長らから国会報告。TPPを巡って民主党本部は喧々諤々のようだが、京都はのんき。山本幹事長らから淡々と諸般の報告。ぼくは議員フォーラムのことなど報告。
 そして京都市長選挙を巡って今後の日程や推薦に向けての手法など協議。12月に入ったら本格化するのだろう。告示は1月22日。投票日は2月5日に決定。大阪では、平松市長とハシスト橋元元知事の戦いで大騒動だが、京都は静かなもんだ。

     <国民文化祭 閉会式>

 終了後、娘が世話になったペスタロッチ保育園のバザーを覗いて、直ぐに京都会館での国民文化祭の閉会式に。
 オープニングパレードの先頭を剣鉾を差して子どもたちと歩いたので、特別に招待してもらった。黙祷の後、「石橋」という獅子が舞う能で始まり、「こころを整える」というシンポジウムがあり、閉会式典では作家の三浦朱門氏が実行委員長と山田知事が主催者挨拶。
 当日のプログラムを見ると、門川市長の挨拶の出番がなかったようだが、お礼ということで出番ができてで機嫌よく挨拶。そして次期開催地の徳島県の飯泉嘉門知事がゆるきゃら「スダチクン」と登場。他の県は引き受けないのか、2回目になるらしい。「まゆまろ」からバトンタッチ。国民文化祭は、盛り上がったのか、どうなのか、ようわからん。まあ、終わりよければすべてよしとするか。

      <同志社大学院同窓会「総政会」>

 4時過ぎには、同志社の寒梅館に。総合政策科学研究科同窓会「総政会」の討論会。「ポスト3・11」総合政策科学のイノベーション、東日本大震災後の、我々は何をしてきたのか、そして日本はどうあるべきなのか、ということでフリートーク。およそ50人の総政の多彩な経歴、年代の修了生が松田会長の司会で討論。原発問題や防災対策、ボランティの在り方、行政の役割などについてフリートーク。
 総合政策科学研究科が開講して16年か。ぼくは伊多波ゼミの一期生。有名人としてはラグビーの平尾選手やシンクロの奥野史子さんに朝原選手も総政。府会議員になった中小路君、上村君もそうだしこの4月に当選した島内君も。社会人入学したのは佐川公也さんも田島一成衆議院議員は彦根市議時代に通っていた。総政会のぼくは4代目会長で今は顧問。社会人入学したら勉強になるよ。懇親会盛り上がったよ。

 午後8時過ぎに退席して新幹線で東上、新宿の京王プラザホテルに着いたのは11時を回っていた。

●11月5日(土)

      <体操着のリサイクル>

 午前中、体操着のリサイクル運動に取組む岡部達平君が来所。過日、京都新聞日曜版の紙面「ソフィアがやってきた」というページで,第三錦林小学校の児童に体操着のリサイクルなどのエコ活動の取組みが大きく紹介されていた。来春には児童文学作家、今関信子さんが児童図書として岡部君のことを本にして出版される。体操着のリサイクル運動の今後の課題について話を聞く。

      <モラロジー>

 午後は、京都工芸繊維大学で公益財団法人、モラロジーの生涯学習セミナー。「心新たに生きる」をテキストに講師の方が講演。地元左京の知人らが数人参加していて、お誘いを受けた。
 道徳心や家族のこと、社会のことなど、ご自分の体験談など交えながらのお話。時には、政治の世界を離れて、心温まる話を聞くのもいいものだよ。ひとつの講話を聴いて残念ながら退席。

       <日韓交流 黒田福美講演会>

 ぼくも理事をしている京都日韓親善協会主催の俳優でエッセイストの黒田福美さんの講演会に。
 「交流が変える日韓―三千里の道も一歩から」と題して1980年代半ばから韓国に行き始めて、韓流ブームになった近年までのご自分の韓国での人々との交流の温かさを語る。
 日本軍の特攻隊で死んでいった青年の霊を弔う碑がいちどは反対デモにあって撤去されたが、ソウル郊外の法輪寺に「帰郷祈願碑」を再建できたときの話はいささか涙ぐまれていた。会場からも沖縄の女性が涙ながらにスピーチされていた。
 わが国の政治家たちがなんだかんだと言っているが、彼女たちの市民的な交流の輪が広がり、日韓の未来を創ることを願っている。いい会でした。
 
 それから友人の今井信幸さんの作品を見に御池通にある京町家の「嶋臺」での如山会の能面展に。ご本人はおられなかったが、元左京消防署長の萬冶さんが声をかけて頂いて作品を紹介していただく。久しぶりに出会ったがお元気でした。退職後、色々な趣味を持っているといいなあ。

 夜は、明日から3日間京都を留守にするので、事務所にてメールニュース11月号を送付し、また議員レポートの葉書版と市会報告を送るべく準備。

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11月の空の下で。11月1日-4日

2011年11月09日 | 日記
 
 ● 「鈴木マサホの創ろう語ろう楽しもう京都・左京LIFE」
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●11月4日(金)

      <大原にて>

 午前中、大原へ。京都大原記念病院グループ創立30周年記念「稜風の集い」に出席。「ケアハウスやまびこ」の庭で、他界された方々のご遺族と地域の関係者が集い、三千院ご住職の読経の中、献花。児玉先生を招いてぼくが介護保険制度についてシンポジウムを開催したのはもう10年以上前かな。大原は、もうすぐ紅葉の季節。「里の駅」で大好物の親子丼を食べて市役所に。

      <「事業仕分け」の打ち合わせ>

 14日に予定しているわが議員団主催の「事業仕分け」の事前の打ち合わせ。街路樹剪定の事業と御池ゼストと京都駅前の公共地下通路の維持・運営について担当課長らから説明を受けて、簡単な質疑。本番では、ぼくはスーパーバイザーということでまとめ役。傍聴にお越し下さい。14日(月)午前9時30分から三条河原町のロイヤルホテルです。

      <サンディーと再会> 

 夕方、ほんやら洞に。朋あり遠方より来る。40年前、わが青春時代。ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)で反戦運動に熱中していた頃、多くの若いアメリカ人たちと出会った。合気道の勉強に来ていたサンディーもその1人。10年前、9・11の二週間前にニューヨークで会って以来。サンディーが京都に来た。彼も65歳か。元気そうだ。再会を喜ぶ。
 ほんやら洞の甲斐さんもフランスで写真展を開くなど元気だし、彼の写真集には、フレンズワールドカレッジのニコラ・ガイガーおばさんの写真も写っていて、当時出会った、バーバラ・バイやヤンイークス、日系2世のカール・タカムラなどなつかしい名前が出て彼らの消息などで盛り上がる。あれから40年。みんな元気かな?

●11月3日(木)

      <障害者総合福祉法の学習会>

 昼過ぎ、西陣織物会館での障害者総合福祉法骨格提言に関する内容の学習会」。200人ぐらいの参加者。内閣府障がい者制度改革推進会議総合福祉法部会委員の竹端寛(山梨学院大学)さんが「今こそ私たちの求める新法」と題して講演。
 障害者自立支援法の廃止後の新法として障がい者当事者を含んでの有識者会議がもたれて提言がされた。戦後の日本の障害者施策が大きく変わろうとしていて、その背景とポイントなどについて熱弁。今後色々とぼくも勉強をして議論していきたい。民主党政権よ、しっかりせえよ!

 その後、ハートピアでの「心のケアも食事からー京野菜からの食育事業」の集いに。京の農産物あんしんネットワークが協賛して「子どもの村を設立する会」が主催。食の大切さについて京都料理学校の小川さんらが講演。八木町の主婦が作った「おやき」は美味かった!
 それから新風館でのDOアートジャンクションに。友人の重度障がいの子息らの作品が色合いも鮮やかに展示されている。ロール紙にいくつも書かれた東京タワーの絵は面白かったよ。

      <東九条マダン>

 それから京都駅は南口近くの山王小学校での「東九条マダン」に。在日コリアンが多く住む東九条でこのイベントが始って今年でなんと19回目。オモニたちのつくる韓国料理に食べながら、サムルノリや李政美さんの唄を聞く。「イムジン河」が心に沁みた。
 毎年一回、このマダン(広場)で色々な友人たちと再会するのが楽しみだ。沖縄で町会議員をしていた知花さんとも久しぶりに出会った。今日は市内を自転車であちこちを回ったことになる。天気の良かったし体力も快復してきたぞ。
 夜は、安い美味しいスペイン料理とワインで相談ごと一件。少し解決の道筋が見えてきたかな。

●11月2日(水)

      <尾崎晃さんの告別式>

 昼前、田中関田町の尾崎晃さんの告別式。町内会長や田中神社の氏子、消防団など町内の世話をされていて、ボーイスカウト活動にも熱心で、またモラロジーの会でもご一緒させていただいていた。たくさんの友人のみなさんがお見送り。心より御冥福をお祈りいたします。

 午後は、コムページの牧野君来所。コミュニテイィサイトの立ち上げもほぼ準備できたので、サポーターのお願いするべく説明に友人らを回る。新たなネットワークづくりを始めたい。ぜひアクセスしてみてください。そして投稿してください。
 
 夕方は相談ごと一件。資金繰りが詰まってきて、保証協会とのやり取りをどうすればいいのか、深刻な相談ごと。なんとか頑張って欲しい。色々な相談があります。

●11月1日(火)

      <京都アスニー30周年>

 今日からもう11月。定例市会も終わりほっと一息。
 秋晴れだったので自転車で、午前中京都市生涯学習振興財団が運営する京都市学習総合センター・京都アスニー30周年記念式典に教育福祉委員会委員として出席。上田正昭先生や千玄室さんが開館の頃のお話などご挨拶。
 京都における生涯学習の拠点として30年経つ。今は亡き桑原武夫先生などが道筋を付けられて、様々な講座が開催され、また中央図書館も併設。平安京復元模型もあり見所も満載。ご尽力された方々の表彰式も。

 昼食は高校時代の同級生がマスターの喫茶カワモトに。19期会の世話役。ご苦労さん。

 午後は、自治労京都市職の定期大会。同僚議員らと来賓として壇上に座る。橋元委員長が挨拶で門川市長再選に向けての踏み込んだ発言。役員たちも若返ったかな。
 議員団室には、とある友人の紹介でオランダ人が来室。定年退職後、日本で暮らしたいとビザの更新について相談ごと。京都弁の英語を久しぶりに喋る。
 夜は、定例市会報告の議員レポート書き。

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国民文化祭パレードで剣鉾を差す!定例市会閉会 10月28日ー31日

2011年11月01日 | 日記
●10月31日(月)

     <11年度決算を認定、地域コミュニティ条例修正可決>

 長かった9月定例市会の会期末の本会議。付託されていた議案についての審議の各委員長報告があり、表決の時は立ったり座ったりで、ぼっとしてられない。
 地域コミュニティー活性化条例は、2個の付帯決議をつけて修正案が可決された。共産党とみんな無所属の会が反対。
 22年度一般会計歳入歳出決算は、各会派が次々に討論に立つ。わが議員団からは、青木芳香議員とデビュー戦の松下真蔵議員が、公営企業会計について決算を認定する立場で落ち着いて討論に立つ。共産党は一般会計決算など認定しなかったのもあり、また付す意見についても起立表決もあってややこしい。
 主な「付す意見」は、小規模低コストバイオガス技術の実証、宝ヶ池球技場の芝の張替え、区役所の宿日直嘱託職員の定年制の適用、京都市都市整備公社による駐車場経営の効率化、防災危機管理室の強化、西京区の配水管の更新計画、地下鉄ホームの転落防止柵の設置の検討などであった。

     <意見書は> 

 それから政府に出す「意見書」は、29日の市会運営委員会での決定どおり、全会派賛成して可決されたものもあれば、起立表決で可決されたものもあり、民主として政府与党として賛成しないものもありで実にややこしい。
 「子ども・子育て新システムの撤回を求める意見書には山本ひろふみ議員が野次をものともせずに反対討論。今後、保育園関係者からまあ色々と苦情が言われるかな。
また「環太平洋パートナーシップ(TPP)への参加に関する意見書は民主のみ反対して可決されたのでした。
 午後2時前に閉会宣告。本会議終了後、市長・副市長らが各会派に挨拶に来て、長かった市会定例会もようやく幕。

     <左京西部いきいき市民活動センターにて>

 4時頃、元養正隣保館の建物が、この4月からは、左京西部いきいき市民活動センターと名称が変わり、劇研という団体が指定管理者になって運営され始めているが、「わたしの来た道、そして今~メッセージと写真展~」の最終日ということで見に行きスタッフのメンバーと懇談。
 ぼくの知り合いの顔もあり、写真と苦労したこと、幸せに思ったことなど、それぞれのインタビューが短く書かれている。高齢者と若い世代との交流を目指しての企画だそうで、地元のまちつくりの会と協働して、野菜市なども始めているという。ええ感じや。この活動センターは、わが友人の演劇集団「笑いの内閣」も稽古場として活用しているようで、演劇や文化の発信の拠点になればいいなあ。長年同和行政のあり方について発言してきたぼくは、時代は大きく変わったと思うし、ここから何かが新しく始ることを期待したい。スタッフのみなさん、がんばりや!

 夜は、長かった市会も終わり、議員団の打ち上げ。11月14日に予定している事業仕分けに参加してもらう、元議員の安孫子和子さんや山本恵に藤川剛君も合流して、市長も顔を見せてくれて大いに盛り上がった。

●10月30日(日)

     <秋の日曜日はイベント回り>

 朝10時過ぎ、近衛中学校の南にある吉田学園のオータムフェスティバルに。今年で7回目ぐらいかな。近衛中学校の吹奏楽部の演奏でオープニング。バザーや第四錦林小学校児童のお茶席などもあり、地域と障がい者との交流の場。

 それから吉田山は宗忠神社の世界連邦運動協会京都支部秋の講演会に。「政宗公に学ぶ仙台藩の伊達家の心」と題して、伊達家34世・伊達泰宗さんの講演。お公家さんのおっとりした話し方にいささか驚いた。NHK大河ドラマの時代考証のことなども興味深かった。

 途中で退出して、四条室町の京都芸術センターに。国民文化祭の行事の一つとして、ちょっと小雨が降りそうだったが、一乗寺は八大神社の剣鉾が披露された。粟田神社や大豊神社の剣鉾のメンバーが集まり応援に。柿阪君は二日続き。タフやな。ギャラリーが少なかったのがちょっと残念でした。

 それから、平安女学院での京都SEELフェアに。今年も雨模様でした。京都府生活衛生営業指導センターと大学の理事長でもある山岡景一郎さんが奮闘。学生たちの出店とクリーニングや麺類、寿司や喫茶などの組合の模擬店もあり、住みよい京都をつくる婦人の会もバザーで出展。偶然にも市長も駆けつけたときに遭遇して舞台で挨拶する市長とともにぼくも一言ご挨拶。

 小雨降る中、檀王法林寺での沖縄県人会のフェスティバルで沖縄ソバを食べて、
「みやこめっせ」での3R推進全国大会に。3Rとは、Reduce(ゴミをださない )Reuse(繰り返し使う) Recycle(再び利用する)ということで、フロアでは環境諸団体がブースを出し、B級グルメコーナーやタレント掛け合いもあり、地下では環境フォーラムとして、産業廃棄物の処理やリサイクル資源の展示など。課長らが子どもたちの双六で頑張っていた。秋の日曜日は行事三昧。
     
●10月29日(土)

     <国民文化祭、オープニングパレードで剣鉾を差す>

 朝8時前に吉田神社は第二鳥居前の大元講社の社務所に。今日は国民文化祭オープニングパレードの日。
 パレードの先頭を第四錦林小学校の児童のこども剣鉾とともに、吉田剣鉾保存会も一緒に歩くということでテンヤワンヤ。法被に着替え、草履を履いて、トラックに剣鉾を積み込んで神官に簡単にお払いをしてもらって、いざパレードのスタート地点に出発。元城巽中学校の今は京都堀川音楽高校の校庭が待機場。

 秋晴れの絶好のパレード日和。10時半には御池通は西洞院のスタート地点にスタンバイ。11時前、本隊のパレードが出発する前に子ども剣鉾を立ち上げて、わが吉田剣鉾保存会のメンバーによる大人の剣鉾3基も雲ひとつない秋晴れの下、出発。ぼくは「扇」という剣鉾を差すチーム。
 烏丸通を過ぎて、ロイヤルボックスの横には市長と知事が手を振ってくれているのが眼に入ったが、皇太子さんは着席せず無人、ロイヤルボックスを過ぎたところから少しバックして待機。
 ロイヤルボックスに皇太子さんが着席されたところで、第四錦林小学校児童の子ども剣鉾が巡幸し、そしてわが吉田剣鉾保存会の高校生による剣鉾が3基、雲ひとつない秋空に差されたのだ。ぼくもその後ヨタヨタしながら差して、観客席の知人らから声をかけてもらった。
 差し終わってロイヤルボックス席に頭を下げると、皇太子さんが会釈をしていただいたのが見えた。(後日談だが、皇太子さんの後に座っていた市長が剣鉾のことを説明してくれていたという)。
 パレードは吹奏楽のマーチングパレードなど3千人が行進。その先頭を子どもたちが元気よく市役所前広場まで歩ききった。名誉あることでした。ぼくも陽射しが眩しくて、よろよろしながらだったが、剣鉾の師匠、柿阪君の指示に従って無事に何箇所かで差すことができた。いやはや疲れました。

     <鴨沂会 教養講座「京都のゴミの話」>

 午後1時過ぎには着替えて鴨沂会館に。社団法人京都鴨沂会の教養講座。ぼくが司会をして、エコロジーセンター所長の高月紘先生が「京都のゴミの話」で講演。高月先生は鴨沂高校12期生で、京都市廃棄物減量等審議会会長として、京都の先進的なゴミ問題の取り組みを進めてきていただいた。家庭ごみの組成を調べたこと、レジ袋や家庭ごみの有料化のこと、また原発のことなど、ペンネーム「ハイヌーン」として環境マンガ
も描かれるが、マンガも随時見せながら、お話いただいた。この間の京都市のごみ問題の施策の流れについて改めて勉強する機会になりぼくにも有意義でした。

     <リラ亭・カリン亭同窓会>

 4時前には「リラ亭・カリン亭同窓会」に。「リラ亭」は三条河原町を下がり、二筋目か東に入った小さなショットバー。20代後半からぼくが呑んだくれていたところ。加藤登紀子さんの「時代遅れの酒場」の舞台。マスターの木村さんが亡くなった後、今は福知山の山村で民宿をしている長谷さんが10年ほどカリン亭として続いていた。店が閉まってもう10年。
 冊子「こぺる」の発行者藤田敬一さんらの呼びかけて同窓会が開催されたのだ。当時の常連客、小西桂氏や高槻の市会議員だった岡本さんらと久しぶりに一献傾けた。

 それから国民文化祭のパレードを無事に巡幸し終えた吉田剣鉾保存会のメンバーの直会でワイワイして、さらに岡崎公園での「あかりとアートのプロムナード」を見に行く。美術館前は、まあまあの人出。全体的には寂しいな。ライフスタイルカフェで犬の散歩中の知人とホットラムを飲んで懇談。長い一日でした!
   
●10月28日(金)

     <討論結了と意見書のこと>

 議員会も3日目。昼前から意見書調整を精力的に進める。文言訂正や対案が出されたものもあれば、取り下げされたものもあったり色々と駆け引きがあったが、
 結果は、「子宮頚がんワクチンなど定期接種に関し早期に国の制度支給確立を求める意見書」、「京町家の維持・保全に関する意見書」、「学校施設の防災機能向上のための新たな制度創設を求める意見書」、「大規模災害時に備えた公立学校教職員派遣制度の創設を求める意見書」、「受診時定額負担の導入に反対する意見書」は、各会派賛成して可決されることに。「エネルギー政策の転換の推進を求める意見書」は共産のみ反対で可決されることに、「原子力発電からの脱却を求める意見書」は共産のみ賛成で否決されることに。「年金受給資格期間の短縮を求める意見書」は、自、共、公、京都党賛成で民主は反対。「電力多消費型経済からの転換を求める意見書」は、自民、公明、民主、共産が賛成。京都とみんなは反対。「円高・デフレ克服する経済対策を求める意見書」は、自民、共産、民主、公明、京都、みんなが全議員賛成。「こども・子育て新システムの撤回を求める意見書」は 自、共、公、京都、みんなが賛成。民主は反対。「環太平洋パートナーシップ(TPP)への参加に関する意見書」は、民主のみ反対ということで意見書の対応が決まった。

 これらの意見書の調整が終わり、また各会派から出されてきた付帯決議などが検討されて、ようやく4時過ぎから各常任委員会から始って討論結了委員会が開催されて、決算特別委員会は本会議場にて討論結了の委員会が病欠の議員を除いて全員の議員が出席して開かれた。
 付帯決議や「付す意見」を巡って調整に時間がかかったが、その後、明日の本会議で討論に立つ議員名が表明され、本会議日程が決定された市会運営委員会が開催されたのは、午後9時前だった。たいして紛糾しなかったので、まあこんなものかな。
 長い1日だった。
 残っていた同僚議員らと「世界のやまちゃん」の手羽先で一献傾けて帰宅。

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