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元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

5月市会閉会、補正予算を修正、可決  5月27日ー30日

2011年05月31日 | 日記
●5月30日(月)

 5月市会定例会も会期末の本会議。
 
 まずは一般会計補正予算を審議した予算委員会の富委員長が委員長報告。東北大震災被災者支援の諸事業や影響を受ける中小企業の預託金の増額の総額300億円余の補正予算。公債償還基金の取り崩しには異論があったが、議員報酬の10パーセント削減と費用弁償を廃止した分、1億円余を補正予算に入れて震災対策に活用するという修正案が可決。各会派の議員が賛成討論。わが議員団からは天方浩之議員ががんばった。
 
教育福祉委員会は、自民党の10期目の最長老の高橋委員長が委員長報告。長い長い名前の法律の改正で関係する条例の整理をされることになったが、長すぎて読みあげもたいへん。共産党は市立病院の独立行政法人の中期計画には反対。

 そして人権擁護委員の推薦については、委員候補は議場を除斥。ぼくは25年目にして初めて人権擁護委員になったのだ。

 最後の日程は意見書を巡ってのこと。

 「公立学校施設における防災機能の整備の推進を求める意見書」は全議員賛成で可決。「震災からの復興に向けた第二次補正予算の早期編成を求める意見書は、政府批判の文言が多く民主のみ起立せずに賛成多数で可決。
 「今後の電力需給対策に関する意見書」は、エコポイント制度に反対する京都党の4人は、起立せず。賛成多数でもちろん可決。
 わが民主の提出した「東日本大震災の復興支援に関する意見書」は、民主、共産、京都党は起立するも少数で否決された。ややこしいことでした。
 閉会宣言は11時20分頃だったか、本会議終了後、議場で市会改革推進委員会の正副委員長の互選。委員の数は20人。ぼくも委員となりました。やるで!

 市長、副市長らが各会派の部屋を挨拶に回って5月市会に幕が下りた。
 議員会では、9月市会での代表質問者を内定。3期目の山岸副団長、新人の片桐君、そしてぼくも代表質問に立つことにした。さて7期目最初の代表質問、どんな切り口でやろうかな?

 午後、事務所には北区は雲ヶ畑の山寺、志明院の住職田中真澄さんが来所。京都バスが路線を廃止すると京都市に申し入れをしたと新聞記事になったので、その経過や対応について相談に。早速、水田交通政策監に電話でこの間の経過を問いあわせる。北山を歩くハイカーに親しまれているバスだが、さてどうなるか。
 夜は、社団法人京都府不動産鑑定士協会の設立15周年記念の懇親会。民主の3人、自民の長老の1人の国会議員と自民、民主の府市会議員が参加。民主が呼ばれるようになったのは2年前からかな?知り合いの鑑定士さんたちと懇談。

●5月29日(日)

 台風2号襲来。朝から雨。上高野で予定されていた地域ふれあい祭りや岩倉南消防分団の激励会は中止。

 昼過ぎ、アースライドを激励に市役所前広場に。震災の影響もあり申込者は500人余。雨にも関わらず都大路を走ったライダーは250人とか。門川市長も激励に。京都サイクリング協会やKBS京都の協力もありともあれ無事に終わった。来年は好天になることを。ぼくもママチャリで走ろうかな。

 ゼスト御池では地下鉄30周年記念のイベント。忘れ物コーナーなど賑わっていた。経営が厳しいが5万人乗客増に労使一体となり京都市として全力で取組むべし。市民のみなさん、ぜひ地下鉄に乗ってください。

 夜は、吉田神社参道前にイタリア料理の店「チェルキオ」での会合。京大博物館の大野館長や地元の人とワイワイ。ぼくのポスターの写真を撮ってくれた中尾写真館の中尾勇さんが主宰者。みなさんに当選を喜んでいただき感謝。

●5月28日(土)

 朝、市原野の鞍馬街道の山裾にある障がい者の施設「わかば」の役員会。開所してまる4年かな。ようやく順調に運営されているようで畑も整地された。利用者が活発に活動できたらいいなあ。

 昼前には、社団法人京都鴨沂会の総会に。明治時代に設立された法人で、鴨沂高校の前身になる京都第一高女の諸先輩が結成された由緒ある法人。公益法人になることが了承された。ぼくは鴨沂高校同窓会長として来賓で挨拶。母も叔母も府一の卒業生で愚息も鴨沂高校卒業なので3代が世話になった。現況など報告。
 記念講演は、わが先輩の京都市文化観光資源財団の専務理事小林正雄さんが「京都の文化財」と題して講演。京都の文化財の多様さと奥深さを改めて学んだ。

 夜は、クラブメトロでアースライドの前夜祭。ツール・ド・アフリカの過酷な自転車レースのドキュメンタリー映画と自転車大好きなブルースシンガー近藤房之助さんのトークとライブ。若い時に京都に住んでいて今や還暦。京都の同時代を過ごしていて白樺や拾得の話で二次会が盛り上がる。

●5月27日(金)
 
 5月市会代表質問の本会議。小林新議長のもと開会。自民党は持ち時間62分で、加藤、寺田、田中明秀議員が、共産党は持ち時間42分でくらた、とがし議員が質疑に立つ。

 わが民主は2期目の青木芳香議員が持ち時間37分を使って、選挙の結果、東北大震災にかかわり被災地救援や防災計画のこと、また一児の母となったので子育てのこと、また京北地域の振興や暴力団排除条例のことや公園再整備のことなど、長い演説。早口であったが、噛むことなくやり切れました。成長したね。堂々たるものですよ。

 安井勉副議長も議長席に座って議場を見渡す。同期当選として思うに、感慨無量ではないかな。公明は新人の議員が二人登壇。選挙後、最初の代表質問だったが野次が飛ぶこともなく淡々と終わった。睡魔との闘いでした。共産党はイマイチ元気がないな。

 夜は、東一条を西に路地の奥にある「Sakura-Sari」というリンク夫妻のドイツ料理とアジア料理の家庭的な店で友人らと会食。この秋には西部講堂でドイツフェスティバルを企画しているとか。ドイツビールが飲めるのが楽しみ。

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意見書調整で右往左往 5月22日ー26日

2011年05月29日 | 日記
●5月26日(木)

 10時から議員会。意見書の調整を巡って最後の踏ん張りどころ。議員団での議論もあり、文言の修正や削除など押したり引いたり。で、結論は、民主が提案した「東日本大震災の復興支援に関する意見書」は、自民、公明が反対、共産、京都党は賛成。自民から提出された「震災からの復興に向けた補正予算の早期編成を求める意見書」については、民主は賛成しないことに。「今後の電力需給対策に関する意見書」は、色々と政権批判の文面はあったが、賛成することに。公明から提出された「公立学校施設における防災機能の整備の推進を求める意見書」は全会派賛成して共同提案されることになった。
 意見書調整も終わって、討論結了の常任委員会が始まったのは3時前。
そして予算委員会の討論結了の委員会は、本会議場で開催されたのだ。これは、京都市会に歴史の残る画期的なこと。今期から3つの分科会に分かれて補正予算が審議され、全員の議員が審議をすることになった。委員会室は狭いので本会議場で委員会が開催されたのだ。委員長が市会事務局席に。副委員長が市長と副市長の席に座り、わが山岸議員が副委員長と言うことで、いつもは市長が座っているとことに着席。今までの京都市会になかった風景。静かなる市会改革ができたということかな。
 各会派代表が、本会議場の正面に登壇して、補正予算について、賛成か反対かの態度を表明。議員報酬の10パーセント削減分と費用弁償を廃止することで生じた1億300万円を活用して公債償還基金の取り崩し分を減額するということで補正予算を修正すること賛成することになった。
 そして明日の本会議の日程などを決める市会運営委員会が開催されたのは、午後5時過ぎ。

 夜は、とある友人らが、祝勝会をしてくれてリラックス。

●5月25日(水)

 朝10時から議員会。昨日、自民、共産、公明から提出された意見書、決議についてどう対応するかまずは議論。ぼくは山本ひろふみ議員とともに意見書・決議を調整する市会運営委員なので、議員団での議論を促して、方向性を出していく役。
 政権与党になって、この意見書の調整はたいへん微妙で難しくなってきた。ぼくが市会運営委員として意見書の調整に関わるのは、10年ぶりぐらいかな。他会派は2期生の若い議員がメンバーでぼくは最長老。他会派のベテラン議員から、鈴木さん、若い議員に交じって大変ご苦労さんやね、と冷やかされたよ。
 できるだけ全会派一致して京都市会として意見書を採択したいと思うが、政権野党の自民党からは菅政権への批判が散りばめられた文面なのでそう簡単に賛成するわけにもいかないのだ。文言の修正や削除をすることで、できるだけ調整を図ろうとするが、ままならず。やりとりは山本ひろふみ議員に任して、ところどころで発言することにしよう。断続的に意見書調整が行われ、随時議員団のメンバーに図り、方向性を決めていく。夕方まで右往左往。

 夜は、公園づくりの専門家の友人と「すこやか公園」のことについて喧々諤々。梅小路公園など京都の公園づくりに携わってきた人で、高齢者の医療費を抑えるためにも、地域の健康増進の拠点として公園を再整備する意義について議論。

●5月24日(火)

 5月市会も会期末を控えて各会派議員会を開催。まずは今後の日程が確認されて、意見書の提出のことや各委員会に付託されていた補正予算や議案についての審議状況や問題点について各議員から報告。民主・都みらい議員団として東北大震災被災地復興への意見書を提出することに。また各議案については賛成の方向で話が進む。山岸副団長が張り切って進行役。なんやかんやで夕方まで断続的に議員会。自民、共産、公明から夕方意見書案が提出されてきた。

 夕方は、京都地方自治総合研究所の研修会。「東日本大震災と災害支援」として、木村京都府危機管理防災部参事が講演。関西広域連合として、また京都府としてペアリング支援として福島県への支援を震災直後から現地に入って対策本部を立ち上げて活動してきたことについて臨場感ある講演でした。

●5月23日(月)

 市会は二つの常任委員会が開催されていたがぼくは休み。午前中来客は、自習ネット「英語広場」の主宰者の阪東君。体調を崩して近日中に入院するということだが、太陽光発電の里親制度についてさらに調査研究して政策提言。ともかく早く元気になれよ。
 午後は、事務所で雑務。選挙収支報告書第二次分も提出。

 夕方は、事務所にて6月5日に開催を予定している野外パーティの実行委員会。久しぶりのアウトドアでの催しなので、ああでもないこうでもないと、話が盛り上がる。

●5月22日(日)

 朝8時前、小雨模様の精華大学グランドへ。恒例の左京消防の査閲。北は久多から南は新洞の27消防分団のみなさんが雨カッパを着て入場。梅影団長、左京区長の挨拶の後、京都市総合査閲の左京の代表になる岩倉南分団の精鋭が日頃の訓練の成果を発表。その後、3分団づつの点検が始まるが、途中で雨が激しくなり、グランドはぬかるんで躁法の訓練は中止になる。去年も大雨でたいへんだった。2年続きの雨。

 事務所では、選挙で2ヶ月休んでいた「朝粥の会」。「故郷岩手を訪ねて」と題して、東北大震災で壊滅した陸前高田が実家の荻原淑子さんが、この連休に被災地を訪問、親戚の方々を見舞いに行ってこられた。写真を見せてもらうが、言葉がない。これからどう支援できるのか、考えないと。

 午後1時から松ヶ崎の左京総合庁舎の開所式。木の香りがする広くなったフロアで市民交流の場にもなればいいな。昔の貴重な写真も展示されている。市長の挨拶などの後、植樹も行われて新しい庁舎の開所を祝う。

 その足でボーイスカウト連盟の表彰式で京都アスニーへ。ちょっと時間があったので、平安京創生館の平安京の模型と特別展示の「江戸時代のGoogle Earth」、 江戸時代に京都生まれの森幸安が描いた、天文・世界・亜細亜(アジア)・日本,国・地域など多彩な地図に見入る。その精密さや発想にびっくりした。必見の価値ありです。
 ボーイスカウト京都連盟の表彰式では、国会議員や府市会議員も参加。羽生田副理事長が一人一人表彰されました。
 
 夜は、東山二条公団の東隣にあるたこ焼き屋「親指小指」にて看板娘で、3月にメトロでライブをした中尾雅美ちゃんを囲んでワイワイ。クラブメトロのニックさんも来て盛り上がる。彼は若い頃、関西電力の某原発で仕事をしていたとのこと。当時はストレスが凄かったらしい。今はサブカルチャーの場づくりなど自由な仕事をしている。左京でなんか動きが作れたらいいなあ。

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委員会が開催  5月19日-21日

2011年05月23日 | 日記
●5月21日(土)

 10時からわが母校の第四錦林小学校の創立80周年実行委員会。いよいよ6月4日に記念式典が開催される。記念講演は、大野京大博物館館長さん。子供達に楽しい話をしてもらえるだろう。卒業生のノーベル賞受賞者の江崎玲於奈博士からビデオレターが届く予定。

 昼は、西京極の作業所「加音」に。総会は終わった後だったが、理事のみなさんと食事をしながら福祉のことや今後の運営について懇談。

 2時過ぎ、スーパーグレース田中にある就労支援センターの飛鳥井ワークセンターの「飛鳥井まつり」を覗く。修光学園の森先生が立ち上げられ15年ぐらいかな。ここのパンとクッキーは美味しいよ。

 その後、大原へ。里づくり協会の総会。和田野理事長から観光と農業や文化振興など地域の活性化を図る大原の環境保全型の地域づくりについて熱い思いの挨拶。これからはフォーレスト運動などにも取組むとのこと。一会員として応援したい。

 夕方は、京都日韓親善協会の総会。自民党の内海議員らと同席。京都市会日韓議員連盟も活動を再開しないといけないね。親しい在日の友人から当選おめでとうございますと、声をかけていただき感謝。

 その後、査閲を明日に控えて、錦林小学校グランドでの聖護院、岡崎、川東、新洞の消防分団、南田公園での浄楽分団の訓練を激励。そして訓練は終わったところだったが、吉田消防分団の器具庫も激励に。天気予報は明日は雨模様かな。

●5月20日(金)

 常任委員会が開催される。ぼくは教育福祉委員会の委員。

 まずは保健福祉局から局長、部長ら理事者の紹介の後、事務事業や今年度の予算と事業についての説明。その後、付託されていた議案、音羽児童館の設置、市立病院が独立行政法人化したことでの中期計画についての市長専決の報告などの議案説明があり委員から質疑。
 また生肉ユッケによる死者が出たことでの京都での検査状況や対策、生活保護の適正事務などについて質疑があった。
 また教育委員会は、理事者紹介の後、付託された議案はなく一般質問があった。ぼくは、委員会が一回目でもあるので、各委員の質疑を聞くに留め、質疑は次回からしよう。

● 5月19日(木)

 朝10時から三つの分科会に分かれて予算特別委員会が開催される。ぼくは、第二分科会。
 保健福祉局から補正予算について説明。国民健康保険事業特別会計は繰上充用。放射能測定検査機器の更新やホームレス緊急雇用創出事業、授産製品の展示販売店舗の設置、東日本震災被災者へ介護施設で雇用確保・資格取得支援などが事業。各委員から質問。

 ぼくも25年前のチェルノブイリ事故後の1988年の本会議で放射能対策について質疑したことに触れて、福島原発事故後の京都での食品検査体制や実績など、また空き缶持ち去り禁止条例の施行後のホームレス対策などについて質疑。

 3時前に審議は終わる。議員団室への来客は、京大の学生達たちが立てる看板のことについて京都市の考え方についての問い合わせで某同級生が、また外国籍市民の障害者無年金者救済のことなどで手話通訳さんをまじえて永井哲氏と懇談。夕方まで議員団室で右往左往。  

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正副議長決まる  5月15日ー18日

2011年05月20日 | 日記
●5月18日(水)

 本会議。最年長の今枝議員が議長席に。ちょっとしたハプニングがあって、前代未聞の2回投票することになったが、冒頭に自民党の小林正明議員が議長に選任。そして、副議長には、わが議員団の6期目安井勉議員が副議長に選任された。1987年の選挙で社会党で当選した同期の桜。

 その後、市長から挨拶があり、常任委員を決めて、自民の繁議員と公明の津田議員が監査委員に。その後、市長と副市長から5月市会の補正予算などの議案について提案説明。
 散会後、議場で常任委員会や予算特別委員会の正副委員長の選任などが淡々とされる。
 午後は、議員団会議。27日の本会議で代表質問に立つ青木芳香議員から質問要旨が説明されて、各議員が点検、意見を述べる。彼女も一児の母となり、えらく張り切っているなあ。
 また「市会だより」などに掲載される69人、一人一人、自民から順番に写真撮影。 夕方は事務所にて、6月9日に今期最初の市政懇談会を開催するので、その案内の発送準備など。

●5月17日(火)

 11時から各派世話人会。今枝座長のもとで明日の本会議の日程を決める。

 午後は、時間が空いたので久しぶりに京都高野川ライオンズクラブの会議に。メンバーも少なくなったので今後の運営をどうするか、また毎年春に開催している高野川ライオンズクラブ杯左京小学生バレーボール大会をどうするか、シビアな会議。さてどうするかな。

 夜は、井戸のことや新たに農業法人を立ちあげて農業をする計画についての手続きのことなど相談ごと。
 
 ところで、地震直後に福島原発がメルトダウン・炉心溶融していたことが、5日ほど前に東京電力は発表したが、アメリカはスリーマイル原発の事故を描いたジェーンフォンダが主演した映画「チャイナシンドローム」を思い出す。もう最悪だ。

●5月16日(月)

 今日は16日。京都市地球温暖化対策条例にうたわれた環境に良いことをする日。ノーマイカーデー。自転車で市役所に。

 選挙後最初の本会議。最年長、8期目は髭の今枝徳蔵わが民主の議員団長が仮議長。自民党の高橋議員が10期だが誕生日が1日違いとか。
 本会議場の新しい座席が決まる。一番後列に座ることになった。ちょっと景色が変わったかな。会期を15日間と決めて直ぐに散会後、議員会が招集される。

 副議長の選任のことで公明党との調整で決着がついていない様子。わが議員団は6期目の安井勉議員が副議長候補。公明、民主が12人と同数の8年前を思い出した。途中小川という議員が辞職したりして色々と苦労したよ。

 また委員会の正副委員長ポストや予算決算特別委員会の持ち方なども議論され、今までは、普通予算決算はは二つの分科会と公営企業はひとつになっていたが、消防局を交通水道委員会に移管したことで、三つの分科会に分かれて審議することになった。総括質疑は本会議場ですることになりそう。ぼくは常任委員会が教育福祉委員会に、予算決算特別委員会は保健福祉、教育、建設、都市計画局を所管する第2分科会の委員になった。なんやかんやで午後遅くまでかかる。

 夕方は、久しぶりに鴨沂高校同窓会の常任幹事会。会報の発行や秋に予定している総会のことなど。某大先輩の発言で人事のことで多少紛糾。ちょっとまいったな。


●5月15日(日)

 好天に恵まれた吉田氏子講社の大祭。
 昼、わが吉田剣鉾保存会のメンバーと一緒に草鞋とハッピに着替えて身支度。格好だけは一人前かな。神事の後、近衛中学校のブラスバンドで幕開け。
 3週間ほど前に自転車で転倒して手首がちょっと痛かったが、太陽が眩しい天空に向かって「新松」という剣鉾を差す。多少ヨタヨタとして、鈴も鳴らなかったが、空から神が降臨したよ。なんとか本番も無事に終わってやっと一息。第四錦林小学校の児童たちも子供剣鉾を懸命に差し拍手喝采。
 邦楽や軽音楽の演奏に、抽選会もあり地元吉田の氏子のみなさんが五月の空の下で楽しいひと時を過ごす。鎮守の森のお祭りだ。

 後片付けをして、吉田神社参道前にあるイタリア料理店「チェルキオ」にて剣鉾差しの高校生も参加して直会。当選祝いもしてもらって感謝。ちょっと酔っ払う。これにて春のお祭りシーズンも終わり。

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5月市会定例会告示 5月9日ー14日  

2011年05月18日 | 日記
●5月14日(土)

 朝、吉田山で桜植樹のために木を伐採する作業が京都大学の深町ゼミの学生らも参加して行われる。

 ぼくも参加したかったが、関係者に挨拶だけして、京都市学校職員労働組合の定期大会に。植田委員長ら女性のメンバーが元気。いい挨拶でした。

 午後は、吉田神社参道で明日の吉田氏子講社大祭を控えて最後の剣鉾の練習。まあ、何とか差せるやろう。

 4時から前原事務所にて、総支部長の前原議員の出席の元、2区総支部の常任幹事会。選挙が終わっての最初の会議。現職の藤川剛君が落選したこともあり、前原議員から冒頭にお詫びの言葉も。ちょっとギクシャクした雰囲気もあったが、党員・サポーターの募集のことや今後の運営について相談。

 夜は、藤川剛君と一献傾ける。選挙のこと、今後のことなど話す。4年間長いと思うけれど、「燃える闘魂、いまいちど」や!

●5月13日(金)

 午前中、各派世話人会が開催。今後の本会議や委員会の日程などが決定される。

 午後、左京土木事務所の関係者と地域住民から要望のあった岩倉の某所のカーブミラー設置について隣接する地権者と懇談。快諾していただき一歩前進。

 続いて以前から相談を受けていた熊野神社交差点東のところの丸太町通が、バスやトラックが走ると大きく道路が振動するといこうことで現地視察。以前、陥没したところだが、道路下に空洞があるのか、揺れるのだ。かって市電が走っていたところでもあり、下水道菅に老朽化しているのか改善を求められるなあ。

 その後、某お寺の駐車場拡幅でねむの木が伐採されるということで、なんとか残すことはできないだろうかと緊急の電話があり現場に走り、市の担当者にも経過を聞く。

 夕方、事務所には、コムページ左京区版主宰者の牧野君。
 また演劇集団「笑いの内閣」総裁の高間君が来所。新たな仕事として営業をするという。その商品とは、開発者の名前をつけたYANARU-BOXというエレベーター用緊急非常用ボックス。非常食、飲料水、充電式ラジオライトに携帯トイレがコンパクトな金属製の箱に収められている防災グッズ。このご時世に必要な商品になりそう。

 夜は、吉田神社で剣鉾の練習。夜空を見上げてソロリソロリと差すが、足がもたつくし鈴は鳴らんなあ。

●5月12日(木)

 午後、川崎市役所へ。議会棟を訪ねて、議会事務局の課長さんから川崎市議会基本条例の制定の経過や課題について話を伺う。
 川崎市議会は、2008年に13人の委員による検討プロジェクトチームを立ち上げ、1年間で20回の検討がされて、パブリックコメントを経て昨年4月に市民に開かれた議会を目指して制定された。ぼくも今回の選挙のマニフェストで議会基本条例の制定の実現を約束しているし、わが議員団もその方向にあるので参考になった。

 新幹線に乗るまでちょっと時間があったので気晴らしにパチンコしたら勝利。気分良く新幹線で熟睡。

 京都駅で、この春の選挙で東山区の府会議員候補として奮闘した作島牧さんと懇談。公認が決定してから、よくがんばったが届かず。選挙中のこと、今後のことなど色々と聞く。元気そうで安心した。これからもがんばれよ!

●5月11日(水)

 昼、新幹線で横浜へ。政令指定都市政策協議会役員会。ぼくは副会長。会長の奥村名古屋市議から「減税日本」の躍進で名古屋市議会は、民主党惨敗。大阪も維新の会に、川崎や横浜はみんなの党に惨敗。意気消沈。

 議員年金問題の取り組みや、仙台市の渡辺議員からは地震と津波の被害や今後の選挙の見通しなどの報告も。今後の運営をどうするかが大きな課題。この7月に京都で研修会と総会を開催することを引き受ける。
 夜、駅周辺を歩いたが、節電により薄暗い。知人によると地震当日は停電になり、帰宅難民になってたいへんだったという。

●5月10日(火)

 議員会。10時から補正予算や5月市会に上程された議案についての各局勉強会。

 山岸副団長が張り切って進行役。各局の局長、部長も人事異動があり自己紹介の後、わが議員団の新人、片桐君と松下君が自己紹介。この市会の主な議案は、東北大地震被災地救援や被災者への支援についての補正予算や、地震被害の影響による中小企業支援の預託金増額のことなど。

 夕方は解放同盟京都市協の定期総会。新議長に京都市を退職した宮崎氏、初当選を果たした平井府会議員が事務局長。さて、大いに議論できる関係ができたらいいのだが。剣鉾の練習は雨で中止。

●5月9日(月)

 5月市会の告示。新しい議員での市会が本格的に始まる。最年長の今枝徳蔵議員が座長となって各会派の代表が集まり色々と今後の市会の運営について協議が始まる。
 10時から議員会。今後の日程や正副議長のことなど。副団長の山岸議員が進行役。
本会議場の座席や常任委員会の持ち方なども今後の課題。

 夕方は、事務所で雑務。夜、吉田神社の境内で剣鉾の練習。テーピングをしているので、無理をしないように。

 ニュースは、静岡県の浜岡原発が菅首相の申し入れをのんで、中部電力が停止するとのこと。地震のことを考えれば当然のことか。

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大型連休、春のおまつり  5月1日ー8日

2011年05月09日 | 日記
●5月8日(日)

 朝、久しぶりにNHKの将棋番組を見る。長いこと将棋もしていないなあ。

 昼過ぎ、地元は錦林小学校の西隣にある須賀神社・交通神社の神幸祭。火災で本殿や「ご鳳輦(ほうれん)」が全焼したのは7年ほど前だったかな。見事に再建がされた。
 地元聖護院の役員さんたちと玉串奉天。剣鉾が3基、青空に立ち、鈴が鳴る。西尾八つ橋さんらが剣鉾の頭屋。飾りつけなどご苦労されている。聖護院の各町内の子ども神輿が13基並び行列。各町内の知人のみなさんにご挨拶させていただく。
 
 4時過ぎには吉田神社の参道へ。わが吉田剣鉾保存会のメンバーによる剣鉾差しの練習日。第四錦林小学校の剣鉾クラブの児童も二人熱心に参加。ぼくは過日の自転車転倒で右手首をテーピングしていて、多少の不安はあったが、「新松」に挑戦。手首に力を入れることなくバランスはとれて、なんとか歩けた。これから1週間練習して、15日の氏子講社祭ではなんとか様になるように頑張ってみよう。

 夜は、前原誠司左京後援会役員会の懇親会に、島内、隠塚議員と参加。選挙に多大なるご支援をいただいたみなさんに感謝。長老の竹内さんの島内君への激は、思いがこもっていた。また二次会では九谷幹事長十八番の「男はつらいよ」の披露など。左京では二人の府会議員、そして二人の市会議員が誕生して勝利だ。まあ色々とあったけれどこれにて大団円。みなさん、ありがとう!前原誠司必勝に向けて、次の総選挙ではがんばろう!

●5月7日(土)

 昼過ぎ、民主党京都府連へ。選挙後、初めての常任幹事会。山井会長ら国会議員と府連執行部と各総支部幹事長が揃う。府議会では議席増になったものの北部は大敗。京都市会も3人の現職が落選して、14人が13人で、宇治市や木津川市なども含めて京都はなんとか踏みとどまったものの、暗い雰囲気。北部の某市の選挙に民主党員でありながら社民党で立候補した党員を除名した。また選挙総括をどうするかも議論。党員・サポーターの募集もたいへんやで。建て直しをしないとね。
 それにつけても民主党本部がグチャグチャしたことがモロニ被ったのだ。反省せよ!

 4時前、国際会館へ。東日本大震災チャリティーイベント「つながれ、ニッポン!鎮魂と祈りの夕べ」に。宮城県仙台市出身の天江喜七郎館長が呼びかけ人。物産展で岩手の一の蔵を購入。前原議員の講演や門川市長と仙台市長らとの電話対談、また映像を見ることなく退出。

 午後5時から30分間、三条京阪での民主党の2区総支部の街頭行動。幹事長ということでぼくが司会をして、島内、松下、豊田、隠塚、北岡議員、そして藤川幹事がそれぞれ演説。ちょっと酔っ払ったおっさんが「こら民主党!」と絡んできたが、大事に至らず。

 終わって、国際会館へ引き返す。天台宗延暦寺の高僧たちによる「声明の奉唱による供養と癒しの祈り」、寺田バレエアートスクールのバレエにピアノデユオ、そしてゴスペルと多彩な舞台。そして庭園に出て犠牲者の霊魂が天へ昇ことを象徴して21発の花火が打ち上げられた。心よりご冥福を。

●5月6日(金)

 昼、わが第四錦林小学校の同級生、原田恒男君が幻の元祖久留米ラーメンを甦らすということで、彼の実家である吉田の中華屋「十番」で試食会。

 たかがラーメン、されどラーメン。彼は、長年、下関にて魚函を売る商売に携わり、またラーメン屋を5年間開業していた。ラーメン好きのぼくは、彼の作ったラーメンをいちど食べたいと熱望、やっと実現した。その匠の技を披露、豚骨エキス、天然コラーゲンたっぷり。美味かった!試食会には50人ほどの友人らが参加。売り切れゴメン。参加費500円は東日本大震災被災者へ義援金に当てます。

 夜は、事務所で恒例の野外市政懇談会の実行委員会。毎年、5月に静原で開催しているが、今年は6月5日(日)に大津市は、安曇川の坊村にある葛川キャンプ場でやることに決定。京都バスを貸し切りバスで行きます。参加費は大人3000円、子ども1000円です。小雨決行です。詳細はまたいずれ。ぜひご参加下さいね。

●5月5日(木)

 昼過ぎ、一乗寺は八大神社のお祭りに。選挙中に個人演説会を開催した上一乗寺集会場にて、出発前に行われる奉幣式。太鼓と鉦がなる中で宮座と呼ばれる役員さんたちの儀式。個人演説会にご参加ただいた剣鉾の関係者にご挨拶。暫し、比叡山の姿を望みながら、のどかな道を進む剣鉾に同行。八大神社の神幸祭は子どもたちも多くて活気がある。

 夕方は、聖護院御殿荘で第四錦林小学校の校長先生らの歓送迎会。中島校長は定年退職、大平教頭先生は静原小学校に。山科は大宅小学校から木下先生が新校長に。教務主任だった綿越先生が教頭に。わが地元の自治連や各種団体の人、50人余が集まり、感謝と期待を込めての歓送迎会。近衛中学校での個人演説会にご参加いただいた方も多くてビールを注いで回われてよかった!この6月には創立80周年の記念式典も開催。これがわが地元吉田の地域力だ。

●5月4日(水)

 10時過ぎ、哲学の道の大豊神社に。わが剣鉾仲間の今年最初の晴れ舞台。みなさんに当選おめでとうと声をかけていただき感謝。新緑の綺麗な南禅寺門前では鈴を鳴らしながら神輿の前列を4基の剣鉾が進むのは美しい。今年は観光客も少ないみたい。剣鉾の調査グループのメンバーも5、6人来ていて熱心にビデオ撮影したりメモを取る。昼食まで同行。

 その後、ツツジが咲くときに一般公開され、多くの市民が来場する蹴上浄水場前にて「つながれニッポン!鎮魂と祈りの夕べ」のビラ撒き。何人かの知人に出会い、当選おめでとう、と声をかけていただきビラ撒きも貫徹。今年のツツジは5分咲きぐらいかな。

●5月3日(火)

 憲法記念日。家族サービスを兼ねて車で淡路島は一宮伊弉諾(いざなぎ)神宮に向かう。名神の南インターでは西宮まで3時間、30キロの渋滞情報。テレテレと黄砂に煙る171号線を向かうことにした。3時前には神戸についたが、須磨公園からまたまた大渋滞。明石に着いたのはなんと5時前。

 明石海峡大橋を渡って淡路島に入ったら事故があってまたまた大渋滞。高速道路を降りて伊弉諾(いざなぎ)神宮に着いたのは6時前。わが選挙事務所に、応援団の方がこの神宮の必勝祈願のお札さんを授けてもらっていただいたのでそのお礼参り。夕暮れの本殿の前にて頭を下げて感謝の意を表す。ぼくも信心深くなったものだ。「たこせんべいの里」に立寄ったがすでに閉店。そのまま帰途に着く。名神を飛ばして京都に戻ったのは夜の10時過ぎ。連休にドライブするものではないことを痛感した。

●5月2日(月)

 連休の谷間の月曜日。午前中の事務所へ来客数組。天江国際会館館長が7日に企画されている東日本大震災チャリティイベント「つながれニッポン!鎮魂と祈りの夕べ」のポスターとビラを持参される。宣伝する時間がないので、早速メールで友人・知人に知らせる作業。
 また左京新庁舎の開所式の案内や消防の査閲式の案内をもって副区長や左京消防署長が来所。また小学校時代の同窓生の原田恒男君が、幻の久留米ラーメンを1日限りで甦らせたいと相談に。合間を見て事務所の資料の整理など。

 夕方、神楽岡の藤村接骨院へ。久しぶりに電気とローリングで体をほぐしてもらい手首にテーピングをしてもらう。なんやかんやで一日が過ぎる。

 テレビではパキスタンでアルカイダの指導者ビンラディン射殺のニュース。9・11から10年。あの2週間前、ぼくは、京都市会の海外視察でニューヨークにいた。これでテロは終結するのか。

●5月1日(日)

 わが家の祖父、鈴木増次郎の50年祭を祖霊社で行う。ぼくが小学校6年生の時だったか、亡くなった。漬物の大安の創始者の大角安次郎さんとは兄弟。戦前は京都大学で写真師をしていたらしいが、戦後、東一条に鈴木マイクロフイルム研究所を設立。日本のマイクロフイルムの草分けだったらしい。冨士キャビンという当時は珍しい3輪小型車に「南無阿弥陀仏。お先にどうぞ」と車体の後ろに書いて走っていたので近所では有名人だった。

 戦前は、わが家も吉田の剣鉾の頭屋だったそうで鈴木増次郎の名が記録に残っているという。吉田神社の神官に祝詞を上げてもらって、玉串奉天。ぼくは鈴木家の14代。新緑が美しい吉田山荘で親戚の吉本の叔母と三姉妹夫婦、そして親父とお袋と兄弟が集まり増次郎爺さんの思い出話で一献傾ける。84歳の叔母と92歳の親父だが、だいぶモウロクしてきているので、みんなが揃うこのような祭事は、最後かな、とふと思う。

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雲の上の青い空 4月24日ー4月30日

2011年05月02日 | 日記
●4月30日(土)

 午前中、聖護院の吉川病院へ。自転車で転倒したときの手首の痛みが多少あったので、とりあえず診察を受けることにした。レントゲンをとってもらったところ、小骨?がちょっと剥離しているとのこと。ギブスをはめるのもちょっと大げさなので包帯を巻く。5月15日の吉田氏子講社の祭りで剣鉾を差すつもりなのでそれまでには直したいな。

 昼、新日本プロレス共同企画の平岡君が来所。業界も近頃はたいへんみたいやな。6月4日(土)午後6時からKBSホールでジュニアタッグリーグ戦。チケット欲しい人はご連絡を。

 午後は、アバンティホールで梶寿美子さんの「私の見つけた琴の道」と題したコンサート。1955年にヘレン・ケラーが来た時に花束贈呈をしたという。琴の演奏とおしゃべり。

 一部の休憩時間で抜けて平安女学院は、東日本大震災―被災地復興応援チャリティー講演会。講演者は、「千の風になって」の新井満さん。高校3年生の時、新潟地震の体験者。そのときの経験を語り、また「千の風になって」を熱唱。

 新井満さんの「雲の上の青い空」と題した詩。

 「苦しいとき、悲しいとき、あまりのつらさにくじけそうになったとき、ぼくはふと立ち止まり、空を見上げる。そうして灰色の雲の上に広がる真っ青な空を想う。ゆうゆうと吹きわたる風を想う」。

 夜、久しぶりに友人らと「サントロペ」などで痛飲。

●4月29日(金)

 4月29日は連合京都のメーデーの日。京都中央メーデーで宇治市の太陽が丘へ。京阪電車とシャトルバスでおよそ家から2時間弱。スローガンは「災害復興支援―希望と安心の社会 笑顔で元気をとりもどそう」。細田会長の主催者挨拶の後、山田知事、門川市長、山井和則民主党府連会長らととも久保田宇治市長が挨拶。当選できなかったメンバーも含めて自治体議員も多く参加。知り合いの組合関係者に挨拶。

 帰途、京都市職退職者会の竹下さんと四条まで戻ってやっと餃子で昼飯。
 その後、前原議員と今後の2区総支部の運営のことで相談。

 夜は、沢田和也友の会の総会。音楽院を主宰されている沢田先生のお弟子さんたちやゲストでタレントの田淵岩夫さんや必殺仕事人に出ていた三島ゆり子さん。山内左京区長や元左京区長の斉藤力さんらと同席でわいわい。

●4月28日(木)

 昼、愚息も世話になった前川夫妻をはじめ食堂の面々に挨拶がてら久しぶりに鴨沂高校の食堂で昼飯。今も制服がないのはいいな。校長室にも立寄って山岸先生らとも懇談。同窓会長として学校評議員に今年も任命されることになった。

 午後、議員団室で雑務。政務調査費の提出。ビラの按分のことで市会事務局と相談。修正が必要かな。藤川君が資料の整理に来ていた。再起を望む。

 午後4時前、小雨降る中、三千院へ。不動大祭さくら・しゃくなげ祭とかで、石楠花が見ごろ。秘仏金色不動明王ご開扉され、不動百味供ということで、百味の飯食をお供えするとかで志野の辻さんがヨモギ餅のぜんざいを無料で振る舞い。ぼくもお相伴に預かる。

 夜は、笑いの内閣総統、高間響君と懇談。芝居の練習場所としていきいき活動センターを使っていることやプロレスの話や新しい仕事のことなど。がんばれよ!

●4月27日(水)

 10時から議員会。理事から京都党や無所属の議員が誕生したことで、議員団室の部屋割りのことや、5月市会の日程などの報告。今枝議員が最年長と言うことで、仮議長を務めることになるという。わが民主・都みらい議員団の部屋は、以前のままだが、共産党の部屋は小さくなるのかな。

 午後は、社団法人鴨沂会の奨学生を決める選考委員会と理事会。公益法人を目指して改革が進んでいて、数年前から高校生に奨学金を給付しようと各高校に案内を送った所、鴨沂高校をはじめ多くの高校生が申請をしてきた。成績や家庭の事情を鑑みて選考する作業。母子家庭や経済的な苦境の中でがんばっている生徒諸君にエールを送りたい。

 夜、この3月の予算市会総括質疑での議事録の議員レポート出来上がってくる。

●4月26日(火)

 昼前、吉村建設工業の吉村公一さんのお別れの会。京都府の建設業協会の副会長もされていたので業界や議員らも多く参列。また同志社出身と言うことで、校友会や大谷総長ら大学関係者の方も多い。
 ぼくは山岳部の後輩と言うことでお世話になった。会場の祭壇は、ヒマラヤの大きな写真を背景に、花がお花畑のように飾ってあって、そこに遺影があり厳粛に献花させていただく。山をこよなく愛されていたのだ。享年78歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

 午後2時からは、大原は「里の駅」の前のJA会館で大原駐在所落成式。大原の自治連会長や各種団体の人が揃われての式典。明治の後半から大原には駐在所があったという。昭和の時代に建てられた駐在所も老朽化して、地元の人から土地の寄付もあり竣工した。若い駐在さんが、奥さんと幼児と家族一緒に住んで大原の防犯活動に当たることになる。凛々しく決意表明。そして竣工なった駐在所前で記念撮影。

 夕方から夜には事務所で政務調査費の使途明細を打ち込む作業。  

●4月25日(月)

 終日事務所で雑務。午後、選挙の収支報告書を提出するために左京区役所へ。新庁舎への引越しで職員らがバタバタしているところ。4トン車で延べ200台とか。

 5月の連休明けから松ヶ崎の新庁舎が開所することになる。収支報告書も提出してやっと一息。次は、政務調査費の提出準備やね。

●4月24日(日)

 久しぶりに早起きをして大原の朝市へ。大原で開催した演説会のときに来ていただいた方々など、みなさんから「よかったですね」と声をかけていただく。お世話になったみなさんにご挨拶。
 江文峠を越えて静原の朝市も尋ねる。橋本さん手作りのうどんを賞味。桜の花が散って風に舞っていた。

 午後、チェルノブイリ25周年の集いに参加しようと思って自転車で走っていたら、車道から歩道に乗り上げる時にスリップして前のめりに突っ込んで転倒。かっこ悪いよ。近くに自転車屋さんがあってハンドルを直してもらって事なきを得たが、右手首にちょっと違和感。捻挫をしたかな。

 されど御所を通り抜けて会場のYWCAに着いたら外まで多くの人が会場に入れずに路上まであふれている。路上で出会った友人と暫し話して、帰途に着く。福島原発の事故のことが心配なのだ。いずれ改めて原発問題を考える勉強会を開催しようと思う。

 夜は、領収書を貼ったりして選挙収支報告書を仕上げる作業。ほぼ目途がつく。

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