元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

松上げと大文字の送り火 8月12日ー19日

2012年08月18日 | 日記
●8月16日(木)

 今日は五山の送り火。午前中、関東から大文字を見に来たお母さんが急病になってたいへんという友人が一人。色々と打ち合わせをするが、早く元気になられることを祈ってますよ。

    <大文字山に登る>

 午後2時過ぎには、浄楽消防分団の器具庫に立ち寄って銀閣寺横の八神社へ。
 ボーイスカウトや前原議員らと一緒にボランティアとして、大文字山の火床まであえぎながらおよそ40分、休み休み火床まで登る。体力が衰えてるなあ。京都造形大学の学生さんたちの中に、剣鉾を差した女子学生もいて、再会を喜ぶ。
 去年は被災松騒ぎでテレビカメラがたくさん来てたが、今年は地元テレビだけ。暑さに耐えながら、薪とポリタンクを火床にバケツリレー方式で配る。1時間弱で100人ほどのボランティアで70数箇所の火床に置くことができた。4時頃、膝が笑う寸前だったが、ぼちぼち山を下りる。すれ違いに銀閣寺町の保存会のみなさんが火床に向かう。みなさんの力で送り火が続いているのだ。ほんまにお疲れさんです。
 山を下りて、最初に口にした冷たい缶ビールが美味かった!



この4年ほどは送り火は毎日新聞支局で見ていたが、亘英太郎さんも亡くなったこともあって、我が家でゆっくり過ごすことにした。
 午後8時には点灯。2階のベランダからは、残念ながら上半分だけしか見えないので、神楽坂に出て近所の人と一緒に東の空を見る。街灯の光が気になったが、東山の夜空に赤々と大の字が燃えた。しばらくして近衛通りに移動すると火の勢いも衰え消えかけていた。去りゆく夏の夜空に亡くなった友を思いちょっと感傷的な気分。もう夏も終わりです。



 
●8月15日(水)

     <両親と>

 終戦記念日。戦後67年目の夏。
 娘と一緒に嵯峨のとある高齢者マンションで暮らしている親父とおふくろを訪問。耳の遠くなったおふくろとトンチンカンナ会話。94歳になる親父は年齢を忘れたか、多少マダラだが、されど元気。ここで暮らし始めて3年目の夏。結婚生活66年。二人して100歳まで行くかな。

 午後、我が家には従姉夫妻が墓参帰りに立ち寄ってくれる。日本経済の今後の行く末を案じている経営コンサルトの旦那は70歳代だが元気。従姉もスペイン語のクラスを持っていて元気。彼らがベルギーに赴任中にぼくが訪問したのは20年ほどの前の思い出。叔母はショートステイで元気にしているとのこと。

 夕方5時過ぎ、同世代のおっさん3人で左京区は花背の松上げを見学に一路鞍馬街道から花背峠を越える。花背峠は23度。涼しい!
 八桝町のふるさと森都市交流センターのところの河原で場所取り。暗闇になる午後9時前、前原議員も参加して、松明を持って地元の青年たちが河原に並べた千本ほどの松明に点火。幽玄の世界。



 そして、鉦と太鼓の音が静寂な闇の中に響いて、高さ約20メートル?ほどの木柱の先の籠の大きい松明に向けて、縄の先に付けた小さな松明を放り上げるのです。暗闇に浮かぶ火のまつり。なかなか入らないのですが、入れば拍手喝采。
 前原議員の秘書の斉藤君は初めて成功したそうです。夏の夜の星空もきれいでした。それにしても元気な女児が、がんばれ、がんばれとカナきり声を上げてうるさくて最後に頭にきて、うるさいぞ、と一喝。真夏の星空も綺麗だったよ。
 来週には、広河原と久多でも松上げが行われる。左京区は伝統行事の宝庫です。保存会のみなさん、ご苦労様です。


 帰ってきたのは午後11時過ぎ。叡電元田中の「さかなやのあとの串かつ屋」でビールを飲んで直会。
 
 テレビでは、尖閣に香港の活動家を名乗る集団が上陸。テレビのやらせやないか。毅然とした対応を政府はとれよ!尖閣の漁船衝突事件は2年前か、あれから政府の対応にケチがつき始めた。

●8月14日(火)

 朝方雨音が激しい。宇治の方面で洪水。浸水した箇所も多いし、炭山の山間部では孤立地域も出ているようだ。お見舞い申し上げます。
 
    <墓参り>

 午前中、近くの公安院さんの鈴木家の先祖の墓に墓参。100年ほど前の祖先の朽ちかけた墓が3対並んでいる。
 それから同じ町内にある吉田神葬墓地に。この墓地には、わが祖父増次郎爺さんのその前の先祖の墓がある。京都の街が眺望できる吉田山山麓の墓地。ぼくもいずれここに入ることになるのだ。
 日和さんのお墓にも行って煙草を一本供える。

 午後は、今年亡くなった友人宅、北白川は浦野宅に。浦野康博君は鴨沂高校の同級生で左京消防署長、消防局予防部長をつとめ消防局を退職後、市民共済組合で仕事をしていたが、病に侵されて5月に亡くなった。よく飲みに行った。この2月に電話で喋ったのが最後だった。奥さんと暫し思い出話をして線香を供えて合掌。

 それから岩倉の亘さん宅に。毎日新聞記者だった亘英太郎さんは、享年69歳。ぼくが同志社時代にはすでに毎日新聞記者と活躍されていた。弟の大二郎さんはぼくの高校時代の山岳部の先輩。彼もすでに鬼籍に入っている。
 この春に手術後、急逝された。毎年恒例の大文字の鑑賞会が毎日新聞京都支局で開催されて、そこで亘さんに会えるのを楽しみにしていたが、今年はもう会うことができないのだな、と思うと無念でならない。心よりご冥福をお祈りいたします。

 夕方は、伏見へ。宇治方面の洪水で京阪の特急は運休。大手筋のとある居酒屋で脱原発運動に取り組み、「小水力、さぁ関西で!」という集会を企画している里中女史と懇談。9月1日(土)に龍谷大学アバンティ響都ホールで関西広域小水力利用推進協議会設立総会と講演会の集いを開催するとのこと。また八瀬での可能性を探るべく地元関係者とも会合を持ったとのこと。面白そう。集会には行くつもりだよ。

●8月13日(月)

 盆休み。午後、近くの浄土宗公安院のご住職にお参りに来てもらう。粛々とお盆の行事。

    <京の七夕>
  
 夕方、二条城前の堀川は「京の七夕」に。今日が最終日。この「京の七夕」が始まって4、5年かな。京都の夏の新しい観光資源として、観光客も多いし、市民は家族連れで大賑わい。堀川の河川敷に行燈など光の作品が並び「天の川」のイルミネーションがひときわ人気。

 帰途、府庁前の道を西にいったところに一か月ほど前に開店した家庭料理の店「はなふさ」に立ち寄る。京都市学校給食労働組合の委員長を長く勤めていた丹波さんが女将。伊勢から取り寄せたウニを白御飯に乗せて食べたのは絶品だった。近くに行かれたらぜひ立ち寄ってね!

●8月12日(日)

 10時から吉田下阿達町の「きくや」の速水愛蔵君のご母堂の告別式。自宅での告別式は最近では珍しいが、ご近所の方がお見送り。心よりご冥福をお祈りいたします。

       <日本とウクライナの若きアーティスト達―バレエコンサート」>

 午後は、京都造形芸術大学内の京都芸術劇場春秋座にて、日本とウクライナ外交関係樹立20周年を記念した「日本とウクライナの若きアーティスト達―バレエコンサート」に。高尾美智子さんが率いる寺田バレエアートスクールの可愛いプリマドンナたちとキエフバレエ団のダンサーたちによる「眠れる森の美女」や「クルミ割り人形」などの名場面の踊り。可憐で素晴らしい踊りの数々。中でも寺田宜弘のダイナミックな踊りには拍手喝采。そしてフィナーレは、向日葵を背景にしてコザックダンス。素晴らしい!のひとこと。

 オリンピックでは南京都高校出身の村田諒太選手がボクシングのミドル級で金メダル! ニューヒーローの誕生。確か八幡市議の田辺勇気君の母校ではなかったかな。おめでとう!


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