この時代の貨幣の単位呼称は次のようであった。
1タラントン --- 60ムナ(ミナ)
1ムナ(ミナ)--- 100ドラクマ 600オボロス
1ドラクマ --- 6オボロス
タラントンとムナ(ミナ)は、硬貨の単位ではなく、秤量貨幣の単位呼称であり、金や銀の量として流通した。
貨幣は、スタテル貨と呼ばれ、2ドラクマ硬貨であった。ドラクマ硬貨は銀貨である。この硬貨は、ギリシアはコリントス、アイギナ島で造幣され、アテネで造幣されるのは、二百五、六十年後になるのである。また、アヱネアスが住を営んでいる、この時代にはクレタ島では造幣されてはいないが、時代が少々下った時代には、このクレタのキドニアにおいて、スタテル貨である2ドラクマ硬貨が造幣されたのである。この硬貨は、銀貨であり、この硬貨にはミノア文明の神であるプリトマイルスの肖像が描かれていた。また、アテネで造幣された1テトラドラクマ硬貨は、4ドラクマ硬貨の金貨であり、金の量目は、8.5グラムであった。(テトラとは、ギリシア語で 4 のことである)価値判断として金は銀の10倍くらいに評価されていたようである。この金貨にはアテナとアテナを象徴するフクロウが描かれていた。また、コリントスで造幣された銀貨には、兜をかぶったアテナとペガサスが描かれていた。スタテル銀貨は2ドラクマ、スタテル金貨は20ドラクマとして通用したらしい。
1タラントンは6000ドラクマであり、銀の量目26キログラムであった。1ドラクマは銀4.3グラムであるということは、2ドラクマのスタテル貨の銀の量目は、8.5グラムであった。金貨は、アテネとごく一部の都市国家で造幣されただけであり、流通量は極めて少ない状態であった。
この時代のこれらの通貨の貨幣価値はどれくらいであったろうか?それを考察すると次のようであったらしい。
一日の最低賃金が2オボロスであり、5人家族が3日間くらいの生計が営めたらしい。役職者や高度技能労働者の1日の賃金が1ドラクマであったといわれている。また、大人の奴隷一人の取引価格が1ムナであったらしい。
1タラントン --- 60ムナ(ミナ)
1ムナ(ミナ)--- 100ドラクマ 600オボロス
1ドラクマ --- 6オボロス
タラントンとムナ(ミナ)は、硬貨の単位ではなく、秤量貨幣の単位呼称であり、金や銀の量として流通した。
貨幣は、スタテル貨と呼ばれ、2ドラクマ硬貨であった。ドラクマ硬貨は銀貨である。この硬貨は、ギリシアはコリントス、アイギナ島で造幣され、アテネで造幣されるのは、二百五、六十年後になるのである。また、アヱネアスが住を営んでいる、この時代にはクレタ島では造幣されてはいないが、時代が少々下った時代には、このクレタのキドニアにおいて、スタテル貨である2ドラクマ硬貨が造幣されたのである。この硬貨は、銀貨であり、この硬貨にはミノア文明の神であるプリトマイルスの肖像が描かれていた。また、アテネで造幣された1テトラドラクマ硬貨は、4ドラクマ硬貨の金貨であり、金の量目は、8.5グラムであった。(テトラとは、ギリシア語で 4 のことである)価値判断として金は銀の10倍くらいに評価されていたようである。この金貨にはアテナとアテナを象徴するフクロウが描かれていた。また、コリントスで造幣された銀貨には、兜をかぶったアテナとペガサスが描かれていた。スタテル銀貨は2ドラクマ、スタテル金貨は20ドラクマとして通用したらしい。
1タラントンは6000ドラクマであり、銀の量目26キログラムであった。1ドラクマは銀4.3グラムであるということは、2ドラクマのスタテル貨の銀の量目は、8.5グラムであった。金貨は、アテネとごく一部の都市国家で造幣されただけであり、流通量は極めて少ない状態であった。
この時代のこれらの通貨の貨幣価値はどれくらいであったろうか?それを考察すると次のようであったらしい。
一日の最低賃金が2オボロスであり、5人家族が3日間くらいの生計が営めたらしい。役職者や高度技能労働者の1日の賃金が1ドラクマであったといわれている。また、大人の奴隷一人の取引価格が1ムナであったらしい。