『アエネイスミッション』[Aeneas Mission ]

建国の使命を抱くアエネイスのフアストミッションは自軍団自民族引き連れて炎上壊滅するトロイからの脱出である。

坪内忠太氏の雑学のあれこれがおもしろい!

2021-07-02 06:29:55 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
陸上競技及び水泳競技のリレーの最終走者や最終泳者を『アンカー』と言っています。それのなぜ?

『アンカー』とは英語で言うと『錨』のことである。
それがなぜ、リレーの最終走者や最終泳者なのか?である。

1920年のオリンピック アントワープ大会まで、『綱引き競技』がオリンピックの正式競技であったのである。
その‘『綱引き競技』の最後尾の選手のことを『アンカー』といったのである。
『綱引き競技』の『アンカー』には、選手の中で一番体重の重い選手が選ばれたらしい。
そして、この『アンカー』だけが、綱引き競技のロープを肩にかけることが許されていたのである。

この『アンカー』という呼称が、やがて、リレー競技の最終走者や最終泳者の呼称に使われるようになったのである。


*最初の投稿に誤変換2箇所、誤呼称2箇所をやりました。それによる、再度の投稿です。

Always the Finest mind! 目を覚まさせるコピーの力!

2021-05-06 05:58:20 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
                   今日のコピー

                『店で調べて、家で買う!』
                ニッセン 1994年の広告コピー

                そのような時代になりましたね!



Always the finest mind! 目を覚ませるコピーの力!

2021-04-27 06:18:58 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
                    今日のコピー

               好きという字は、女の子と書く!
               努力の努は、女の又に力と書く!

             漢字のなりたちを考察するとおもしろい!
          いきで意味深、進化した文明を感じるところがあります。

Always the Finest mind! 目を覚ませるコピーの力!

2021-04-26 07:45:36 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
                         今日のコピー!

                         Think Different!
                         アップル 1997年

             アップル、ステイブ ジョブス氏のコピーや言葉をひもといて見てみると
         今日の iphone に至るプロセスの思考の変遷、ステイブ ジョブスのハッタリの本音が
                   何となく感じ取ることができるようですね。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代ローマ人は、甘味をハチミツから摂っていた。(2)

2021-04-02 09:14:08 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代ローマ人の『葦のハチミツ』についての記載によると
 『そのハチミツは、インドに生い茂っている葦の茎から採れ、夜露のように空から落ちてくるのかもしれないし、他の植物の樹液が集まったものかもしれない』と記している。

 『なめると甘い石がある』は、サトウキビの茎を搾って採った植物液を土鍋で煮詰めたものが固形化したものではないかと考えられている。
 現今の黒砂糖ようなものではと考えられている。この項 完

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代ローマ人は甘味をハチミツから摂っていた。(1)

2021-04-01 09:48:56 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代ローマ人は甘味をハチミツから摂っていた。
 サトウキビから採った砂糖を甘味料として使うのは中世になってからであるらしい。
 サトウキビから採る甘味料には、長い歴史があるのに砂糖の歴史は短いといえる。

 ギリシア語、ラテン語の原典には『葦からとれるハチミツ』の一種として記載されているそうである。

 サトウキビは、熱帯の地である南アジア、東南アジアで生まれている。
 『葦から採れるハチミツ』はインドからであり、ニューギニアでは、サトウキビの栽培植物化がはじまったのが紀元前8000年ころだといわれている。

 『葦から採れるハチミツ』なる甘味料が世界史に登場するのが紀元前4世紀、アレキサンダー大王のアジア遠征に始まっている。
 アレキサンダーのインドにいたる記録の中に『インドに蜂の力を借りることなく葦から採れる密がある』『噛むと葦が甘い』『なめると甘い石がある』と記録があるそうである。
 余談ではあるが日本へは、薬として奈良時代に唐から伝わってきている。

[一択!建国の大地へ] 番外編  ハチミツが人類の生活に蜂とともに登場していた。

2021-03-31 07:32:33 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 ハチミツは、2000万年くらいも前に人類の生活に登場したと考えられている。
 ハチミツは甘いだけではなく、医学的特性もあわせもって人類の生活に登場したのである。

 ローマ時代になってブリニウスなる人物がオーバー気味に言っている言葉に
 『10世紀もの長い間、ローマ人は、医師なしで生きてきた!』と彼が記した書き物の中に書き記している。
 ローマ人が結構健康であったのは、ハチミツがもたらした恩恵があったのではないかと考えられる。

 ローマ人は、ハチミツを食すだけではなく、肉、果物、野菜等の保存にも使用した。
 古代のエジプトでは、遺体の防腐に使ったらしい。

 ハチミツが好まれた理由には、ハチミツのもたらす医学的効果があった。
 ハチミツは、毒消しの霊薬として重宝された。
 ネロ帝の侍医アンドロマクスは、ハチミツに少量の麻薬を加えて鎮痛薬として使用したことが伝わっている。
 そのほかハチミツは、創傷や潰瘍をを治すことに使われたといわれている。

 また好まれたスープの一種にワイン、ハチミツ、魚醤、で調味した大麻のスープが好まれたといわれている。
 特殊な作用があったのではないかといわれている。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代のローマ人にとってソラマメは基本的食べ物のひとつであった。

2021-03-30 07:50:09 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代のローマ人の基本的な食べ物にソラマメがあった。
 ソラマメの原産地は、地中海の沿岸地方、西南アジア辺りであるといわれている。

 ソラマメには大粒種と小粒種があり、大粒種はアルジェリア周辺地方、小粒種はカスピ海南岸地方で収穫されたらしい。
 イスラエルの新石器時代の遺跡から、その時代のソラマメが発掘されている。

 ソラマメの栽培は、一説によると紀元前6000年ころにはヨーロッパ地域でもう始まっていたらしいといわれている。
 ソラマメを重宝した地域では青銅器時代ころには栽培に着手している。これは史実である。
 ソラマメが日本に渡来するのは8世紀ごろらしいが、紀元前3000年ころには中国に伝わってきているらしい。

 古代のエジプトでは、ソラマメが国民的朝食として食された時代もあったらしい。
 豆類としては大きな部類であるため、古代において重宝した食べ物であった。
 ソラマメを塩汁でゆでて食べる。さやごと焼いて中の豆を食べる。
 ソラマメを煮こんでオリーブオイルと果汁で和えて食したらしい。
 セロリ、コショー、魚醤、ワイン、ハチミツを入れてソースをつくり、そのソースをソラマメにかけて食べたらしい。
 

[一択1建国の大地へ] 番外編  古代ローマ人は料理のために家禽を飼育していた。

2021-03-29 07:43:37 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代のローマ人は、料理を楽しむために様々な家禽を飼育していた。
 
 鶏の消費が多くなり、ローマの帝政は、ぜいたく規制法を作って庶民を取り締まる、晩餐一度に鶏一羽とする。
 彼らは規制法を手段を使って回避する。彼らは鶏以外の家禽を飼育する、飼育する家禽には旨いエサを食べさせてまるまると太らせて調理に及んだ。

 彼らが好きであったのは、鶏を丸のまんまハーブ入りの汁で茹でて、ハチミツ、ディル(せり科の一種)、漁醤で液を作り、茹であがった鶏にに塗りつけ火であぶり焼く。
 焼き終えたら工夫を凝らしてソースを作り、コショーをきかせて、そのソースで茹でて焼いた鶏を食した。

 尚、飼育する家禽はというと土鳩、ツル、鴨、さらにホホジロ鳥、ウズラ等々であったらしい。
 調理には、狩りで捕ってきたキジなど多種類のトリを調理して食したといわれている。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代ローマ人のテーブルマナーの鼻つまみの一例。

2021-03-26 05:58:16 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代ローマ人が宴会の席でナプキンを使い始めるのは、紀元80年が過ぎてからである。
 それまでの宴会の席ではナプキンがわりに何が使われていたかはであるが、それは『パン』であったといわれている。

 料理が運ばれる、次の料理が音楽が流れるとともに運ばれてくる。その合間に美麗のウツワに香り芳しい水を入れて客席に運ばれてくる。
 その水で手、指を洗い、ナプキンがわりの『パン』で手をぬぐい、料理をつかみ、口へ運ぶ、酒杯の酒を飲んだ。

 それに加えて、宴席の客らの中の食べすぎ、飲みすぎの客らために土器が嘔吐したい客に配られたのである。
 食べ過ぎ、飲みすぎの客がその土器の中に嘔吐して、胃をカラにして、酒か飲み物で口をゆすいでまた食べ飲んだと伝えられている。
 まさに宴会にあるまじきマナーで酒宴を続けたといわれている。