きまぐれ日記

高知県室戸市の地域情報と写真などの趣味の話。時々エッセイ風に。

『土佐日記御崎の泊』の海食台と南海地震の跡

2007年06月24日 21時05分30秒 | 室戸ジオパーク
室戸岬の『ホテルニューむろと』前の海岸に『土佐日記御崎の泊』という碑が立っています。

『御崎の泊』とは、『土佐日記』の作者として有名な、紀貫之が土佐の国府のあった、現在の、南国市の大湊の港から京に向かう途中に、船を停泊させた場所と伝えられています。

実際にこの場所が、室戸での停泊場所だったかどうかは分かりません。いろいろ説があって、現在の室戸岬漁港のあるあたり、あるいは、現在の室津川の河口の川港だったという説もあります。どの説が正しいのかは分からないのですが、『土佐日記御崎の泊』の碑のあるところに、船が停泊したとしたら、その当時は、現在よりも土地が、1メーター以上も低かったということになります。

土佐日記が書かれたのは、西暦935年とされています。空海が室戸岬で修行をしていた時代は、それよりも150年ほど以前になります。空海の時代は、紀貫之の時代よりもさらに土地は低かったと思われます。室戸岬の沖では、百年から150年の間隔で、南海地震が起こっていますから、地震が起こるたびに、土地が隆起してきました。

最近の南海地震の跡も、『ホテルニューむろと』前の海岸で見られます。『土佐日記御崎の泊』の碑の立っている台地状になっている岩は、『海食台』と呼ばれるものです。海食台とは、海岸の地層が波によって浸食され、波があたらなかった海面下の部分が平らになったものです。

普段は、何気なく通り過ぎる場所ですが、地質学的には、こういう重要なポイントだったわけです。お遍路さんたちは、そんなことは全く知らずに、通り過ぎているだけでしょう。





『土佐日記御崎の泊』の碑は台地のような地形の岩の上に立っていますが、この台地が海食台です。




『ホテルニューむろと』前の海岸では、南海地震の跡が見られます。
手前の、白い砂浜は、150年前の安政の地震の時に隆起したもので、先端の黒い磯の部分は1946年の昭和の南海地震の時に隆起したものです。


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