いつもの月曜日なら、龍馬伝の感想を書くのですが、それはもう書く事はできないのが、残念です。
幼稚園児や、小学生も龍馬伝を見ていたようです。
そして、園児や児童が疑問に思ったのは、龍馬と慎太郎を殺害したのは誰かという事でした。
新撰組という言葉は、覚えやすいのか、あるいは、知名度が高いのか、龍馬・慎太郎の下手人は新撰組だと思っているようです。
見廻り組というのは、園児や児童にはあまり縁のない言葉のようでした。
龍馬伝では、もっとも可能性の高い見廻り組が下手人だという説を取っていました。
黒幕は不明でした。というよりは、黒幕はいなかったという説を取っていたようにも思われます。
龍馬がなぜ、命を狙われていたかは、龍馬伝を見ればはっきりと分かったはずです。
龍馬のまわりには敵ばかりでした。
龍馬が殺害される理由はいくらでもあるのですが、なぜ、慎太郎と二人一緒いいた時に暗殺されたのか、大いなる疑問です。
単に偶然だったのか、それとも必然だったのか。
見廻り組は龍馬と慎太郎が近江屋の二階に居る事を知っていたのか。
次々に疑問は湧き起ってきます。
龍馬と慎太郎はなぜあっさりと殺害されてしまったのか。
11月15日に龍馬が慎太郎を訪ねて行くという事を知っていたのは、土佐藩でした。
慎太郎が龍馬の居場所を知らせてほしいと土佐藩邸に手紙を送ります。
その手紙が土佐藩邸から龍馬に渡されます。
龍馬伝ではそのように描かれていました。
これは、当日、慎太郎が龍馬に会いに行く事を土佐藩は知っていたという事です。
見廻り組が、慎太郎と龍馬の二人を同時に殺害できる機会を狙っていたとしたら、11月15日に龍馬・慎太郎の暗殺が実行された事には意味はあります。
もしかして、見廻り組は、11月15日以外にも、龍馬を暗殺しようとした事があったのかもしれないと思ってしまいます。
龍馬・慎太郎の暗殺に土佐藩が関わっていたとしたら、11月15日に慎太郎が龍馬に会いに行く事を知っていた事が大きな意味を持ちます。
土佐藩が見廻り組に慎太郎が、11月15日に龍馬を訪ねる事を知らせたという可能性は否定できません。
11月15日という日は単なる偶然だったのか。
寺田屋騒動以降の龍馬の足取りを辿りながら、近江屋事件に関しても個人的見解をこれから少しずつ書きます。
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