故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「ぴちぴち」です。
この方は、今どうしているのかな。
小糠雨が軒を流れ、下の庇に一粒ずつ落ちていく。
こうして、今日も書いている。
感謝の気持ちでいっぱいだが、どう表現したものかと悩んでいる。
今日のタイトルは、「もうすぐ開店」です。
建物が完成し、明日建築検査と言う前夜のこと。
先輩の営業職の方が、飲みに行こうと誘ってくれた。上司(その頃は専務)も一緒だと言われた。
頑張ったねと褒められたいと言う気持ちもあったが、建築検査が無事済んでくれる方を選んだ。
私は機械担当のマネージャーだった。建築検査が終わらない限り、機械の検査もない。
床の上のゴミを拾って歩いた。検査官の印象が、少しでも良くなることを願った。
苦労することが多かった。これは無理だろうと何度もくじけかけた。
それでも頑張れた。
どうしてだろう。
こんなことでは終われないと言う気持ちもあった。
私ならきっとやってくれるだろうと、家族や会社の期待を裏切れなかった。
今は、それもない。
若い人たちが、カフェの「お任せ料理」が美味しかったから、また来てくれる。
今日がその日である。奥様の人もいるので、昼間しか時間が合わないと言われる。
妻は、2-3日前からメニュー作りに忙しい。
これから、買い出しに行く。
作っても作っても、売り切れるピザの材料を仕込むのである。
この方たちの似顔絵を描いて、感謝の気持ちを著そうかと、カメラのバッテリーを充電している。
このところ、似顔絵を描いていない。描いてと言われると、なんとなく躊躇する。
この頃は、似顔絵を描くのに一大決心がいる。
似顔絵の前に、生きるための仕事が待っている。
生きるための仕事がある。
私が汗をかかなければ済まぬのである。
家族も社会も、私に期待しない。
期待されないけど、やらなければと思う。
これは、「やらせてもらえる」と言う感謝の現れじゃないかと思う。
美味しいね 笑顔で作り またくるね
2020年7月23日
絵のタイトルは、「これが飲まずにおられるか」です。
年上の奥様と仲良くされています。
時には、飲んでください。
今日のタイトルは、「客を黙らせる」です。
昨晩のメニューは、もやしとにらの麻婆鍋でした。
山椒入りオリーブ油で、鶏ひき肉、にんじん、もやしと長ネギを炒める。
甜面醤、豆板醤、味噌を酒でなじませる。
火が通ったら、水を4カップ入れる。塩、醤油、コショウで味を整える。
最後に、片栗粉でとろみをつける。
山善の電気鍋に入れ、豆腐とにらで覆うようにして、ひと煮立ちさせる。
売れ残りの焼きそば麺も加えた。
一口、二口と止まらなくなり一気に食べた。ビールも美味い。
もう、夢中で食べた。
残った汁に、ご飯を加え、それも平らげた。
あれよと、寝てしまった。
早朝起きて、かねふくの明太子を炙った。
馬刺しのあまり、長ネギとニンニクを山椒入りこめ油で炒めたのち、酒とみりんで煮詰めた。
胡椒も少々振った。それらの具材でお握りを9つ作った。
早朝ゴルフの準備はできた。
起きてきた妻は、ありがとうと笑顔である。
苦手な客を接待するときは、「蟹の店」と決めていた。
口は、蟹で塞がれ、終始無言となる。
食べ終わったら、「さあ、帰ろう」である。
実際は、そうでもなかった。
満足したら、話も弾んだ。
それでは、もう一軒とお客さんの行きつけの店(料金はこちら持ち)に案内された。
苦手な客とも仲良くなれた。
(早朝ゴルフで中断)
カフェでお好み焼きを出す。
それまで、あれやこれやと喧しく話していたお客さんが静かになる。
食いついたなと、厨房にいても分かるのである。
そして、また賑やかになる。満足の表情である。
料理がうまいと、誰しも夢中になる。
目を見張る 無言が語る うまいとな
2020年7月22日
エンドウ豆です。タイトルは、「ふわふわからぴょんと生まれる」です。
豆のつるは、風に吹かれてそよそよと可憐に揺らいでいます。
収穫の頃、大風に遭うと支柱ごと倒れてしまいます。
今年は、長雨が続く。
10日くらい前の梅雨の晴れ間に、ジャガイモを掘った。
明日に続きをしようかと話しながら、全部の畝を掘りあげた。
4種類のジャガイモの収穫は、総量100Kgになった。
一昨日、友人と飲んだ。彼の畑のジャガイモは8割がた腐っていたそうである。
わずか、10日間の差で、明暗を分けた。
今日のタイトルは、「豆の木」です。
花豆を植えた。やぐら(3mx15m、孟宗竹製)に群がって花を咲かせている。
花豆が苗の頃、やぐらを組んだ。道を通る人が、突然現れた構築物を不思議がった。
今は、花豆がやぐらを覆い、誰もが構築物の役割に気づいた。
妻が、他の豆(黒筋いんげん、茹でると真緑)を植えた。
1mを越えて、小さなしの竹では支えきれなくなった。
森に入り孟宗竹を10本ばかり伐った。
農業資材にするには、どのくらいの長さが適当なのか思案した。
農業資材を売る店から購入した支柱のうち、長いものは2.5mだった。
孟宗竹を運び出すのは骨が折れる。伐った場所で2.5mに切った。
豆を巻きつかせるために、孟宗竹を8分割にした。
鋼製の8割の道具を打ち込むものの、10mmの厚肉の孟宗竹は、節ごとに止まってしまう。
両刃の鉈で、8分割をなぞり、一節ごと打ち抜いた。8割の道具は5Kgもある。
1/3くらい割った後に、道具と共に竹(7Kg)を持ち上げ地面にたたきつけるも私の力では節を打ち抜けなかった。
結局、最後の節迄、鉈を入れることになった。
少し乾かせば、話は違ったかもしれない。6-8mmの肉厚ならたたきつけるだけで節を抜ける。
3本の竹製支柱を豆の両端に、地面に埋めて組み合わせた。組み合わせた支柱に竹(12m長)を渡した。
8分割の竹を豆の木に沿って地面に立て、横梁に固定した。固定するひもは棕櫚縄を使った。
昼前に始めて、完成したのは夕方5時を回っていた。今年4つ目のやぐらができた。
汗びっしょりになり、何度も水休憩をとり、2度シャツを替えた。
家を作るとき、土壁を塗る前の竹編み状になった。
出来上がるころ、妻が現れご苦労さん。
夕食に肉料理をリクエストした。
夜間雨 背中の張りに 安堵かな
2020年7月21日
絵のタイトルは、「おーい」です。
横浜ベイブリッジを遠くに眺め、誰かに呼びかけたくなったのです。
木炭車が緩やかな坂を登る。
乗客は、皆降りて押すのである。
戦時中の島でのことでした。
今日のタイトルは、「後押し」です。
私にとっては、ブログのアクセス数です。
読んでくださるのは、友人であり、どこかの誰かです。
今日は書けない。読者数を見ると頑張ろうとなります。
子どもには俺たちより良い暮らしをさせたいと、世界中の親たちが学校に通わせました。
都会に巣立つ子供の背中を押してやりました。
押してくれた親の年を越えました。
親は背中を押し続けてくれました。
子供と同じ速度で成長しなければ、押し続けることはできない。
親としても、成長であり挑戦だったのです。
親を越えることは、生涯できない。
私は、親の背中を見て育ちました。
親の背中しか覚えていません。
大人になったら、勝手に歩いていました。
子供に私の背中は、どう映っているのでしょう。
自分の背中は、見ることができません。
気が引き締まると同時に、楽しんでいるよと後ろを振り返りたい。
力がある限り、後押しはできます。
誰かの後押しになればと、生きています。
無観客 一人で登る 木が月が
2020年7月20日
絵のタイトルは、「ゴッドママ」です。
亡くしたかみさんを偲び描きました。
子供たちに教えることは何もありません。
あの子たちが判断してやっていくでしょう。
今日のタイトルは、「古き者、新しきを知る」です。
何が新しいかは、人それぞれです。
交流こそ、コミュニケーションこそ教えるところと学んできました。
このコロナ禍で生活がすっかり変わってしまいました。
誰もが疑心暗鬼です。
コロナは狡猾で、すぐには殺戮をするわけではない。
見えない空気に乗って、暗躍する。
コロナで重篤な病気になると聞いている。
免疫力を持っているのか、強いのか、多くの人々が罹患(りかん)しても生還する。
もちろん、医療の助けがあってこそです。けっして、神が治癒するものではない。
こんなことが起こるなんて誰も予想しなかった。
長年生きて来た者たちの常識を一挙に覆した。
交流しないことが唯一の防御手段なんて、思いもつかない事態です。
テレワークが一挙に浸透し、これからもこれで行こうと決めた会社も出てきた。
乗客が少なくなったJR東は、距離別料金を見直し、時間帯料金を採るかもしれない。
もう、通勤しなくてもよくなった。
飛行機で海外出張も必要ない、インターネット国際通信で電話会議をすればよい。
さて、こんなことはかつてあったのだろうか。
富むものは永久にそのままと信じられてきた。
絹が、コットンにそしてナイロンに替わっていくと、多くの生糸業者は衰退していった。
日本人の誰もが、水やお茶が売れるなんて思わなかった。
水の浄化が進み、海外渡航が増えるにつれて、ペットボトル入りの飲料が安全神話のように飲まれていった。
水の浄化は、安全を追求するあまり薬剤殺菌をした。その薬剤臭が違和感を与えた。
汚染された琵琶湖の水を源流とする淀川水系で、豆腐は作られなくなった。
マイクロン膜で除菌し、イオンで殺菌する。
今や東京の水を飲んで、ペットボトルに入った自然水と飲み比べても、どちらが美味しいか分からぬほどになった。
時代は、思わぬ方向へ舵を切った。
都会の便利さが、不便に変わった。
Uターン、Iターンをする若者が増えるだろう。
コロナで汚染されているかもしれないからと、他県ナンバーは敬遠される。
これまで、枯渇する人財を引き受けたくて疲弊していた田舎が威張っている。
それでも情報は、東京一辺倒である。
東京で風邪ひきゃ、田舎がくしゃみをする。
今も、その逆はありえない。
いやいやそうでもない。三密しようにもできない田舎の価値が上がる。
会社の仕事以外することがない。田舎には、草刈を始めすることがいっぱいある。
やろうとすればであるが。
家族と一緒に過ごすのは、家族サービスと言って良きことであった。
昨年の10日間連続のゴールデンウィークに主婦は、「なにしろ、3x10よ」と悲鳴をあげていた。
食事の支度のことである。
そうですか。
爺ちゃん世代、父ちゃん世代と子供世代で、食事の時間も内容(パンと米)も違うことは、
とうに許されていた。
今更、「3x10」の驚天動地はないだろう。
いじめで学校に行けない子がいる。
これからは、家庭でいろんなことを教えることになるだろう。
学校に行かなくても、卒業できる時代になった。
生きていれば、いろんなことに出会う。
昨年までに亡くなった方たちは、あの世で驚いていることでしょう。
何が新しいことなのか、分からなくなってきた。
古き良き 時代は回る 生きてこそ
2020年7月19日