
絵のタイトルは、「おとめのはじらい」です。
ほんのささいなことで、心に火がついた。
何度も交わした日記も、新しい恋には不要物になった。
燃やしてしまえと火に放り込んだ。
ページに書き留めた恋心が弾けて逝った。
こじつけえ。
今日のタイトルは、「焚火」です。
農業で出たもの(燃えるもの)は、少しずつなら燃えやしてもよいと聞いた。
引っ越してきたとき、伐ったものは暗渠に入れた。
竹害を食い止めようと竹を切った。竹材でやぐら(豆、はやとうりの支柱、トマトの屋根など)を組んだ。
笹は、残ったままで腐りそうにない。それに嵩張る。
梅雨空の今にも降り出しそうな雨模様に焚火を始めた。
濡れたものを燃やすので火種が必要です。
次々に笹を投じていった。油を含んだ笹は、梅雨にさらされても水を弾くのか、湿気ておらずよく燃えた。
かまぼこ板を燃やした。これを燃やそうと、焚火を始めたのでした。
かまぼこ板で鳥用巣箱を作ろうと取っていました。3年間ため込んだかまぼこ板は、多すぎる。
濡れて黒くなった桑の木や今年剪定した庭木を燃やした。
一度芯まで乾燥しているので、多少水分を含んでいてもよく燃えた。
私は、焚火が好きである。
会社に勤めている頃、平屋の築30年近い家族寮に住んでいた。
新たな住民が転勤して引っ越してくるたびに、傷んだ内装を修復した。
実にたくさんの廃材が出た。廃材は、野積みにされていた。
大きな穴を掘り、冬空の風のない日を選んで焚火を始めた。
朝始めたら、夕方まで焚火のお守をしなければならなかった。
木材が炭になったら、また土をかけて終わりである。廃材の山は、一時的に平らになった。
本社には、次から次に転任者が来るので、程なくして廃材の山ができた。
古い木材は、煙も少なくよく燃えた。
家族寮は、若い夫婦が多く。子供たちが多かった。
子供たちは、焚火の周りで遊んだ。寒くなれば暖を取り、寒空にまた出かけて行った。
親に芋を持たされた子もいた。焚火に放り込んだ。お腹が空いたら頬張った。
歳をとっても焚火が好きである。
雨がしとしと降っても、燃えカスがすべて炭になるまで気になって仕方がない。
よって、なかなか焚火から離れることができない。
無心になれる。
ちろちろ燃える火が、やがて熾きになり、次の濡れた木材を乾かして燃やしていく。
シンプルな連鎖をいつまでも見つめてしまう。
火の粉が上がらぬように、焚火のドラム缶の上に10mmの銅板(600w x 900mm)を被せている。
効率的に空気を補充するために、時々動かしている。
「もう入りなさい」の妻の声。子供のように、名残惜しそうに家に入った。
火おこしは マッチ一本 決めている
2020年7月11日