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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

過去を振り返らぬ

2016-06-09 06:04:47 | よもやま話

京都永観堂で見た地蔵2体です。
私には、微笑んでいるように見えました。
そしてささやいていました。
こいつはこまい(小さい)なと。


今日のタイトルは、「過去を振り返らぬ」です。
過去を振り返る時、必ず浸るのが苦しいけど切り抜けたハラハラです。
私は、自分を慰めているだけと考えます。
今日の挑戦が出来ないから、過去の成功を呼び戻すのです。

過去を振り返っても何にもならない。
が今日の言いたいことです。

過去があるから現在があります。
牛が、胃から繊維が多い食物を口に戻し、再度かみ砕きます。
それは、牛にとって必然であり生きる知恵です。
しかし、人は自分に都合の良いことだけを反芻します。

江戸っ子の自慢話、年寄りの小言はエンドレスです。
それでも、どこかに必然性があります。
なぜこんなことを自慢し、誰も聞いていないのに繰り返すのか。
自分の存在を分ってほしいのです。
これは、これで良い。聞く耳を持つだけの度量を持ちたい。

自分がこれをやるのは、おぞましいと思います。
私はよくやります。酒が入ると、おしゃべりが過ぎます。
妻にいつも注意されています。

現在が苦しいから、未来が見えないから過去を振り返る。
確かに、過去から学んで人間は生きてきました。
それでも私利私欲、小さな諍いから譲れぬ殺し合いになってしまいます。
何にも学んでないように見えます。

考えてみれば、文化が文明を造って来たように徐々にではありますが、
人間の精神構造、心のバロメーター
(原意は、気圧計、晴雨計。転じて、物事の状態を知るための目安となるもの。広辞苑より)
は進化しています。

私は、過去を言い訳にしたくないだけです。
今試されていることを粛々と挑戦するだけです。
出来なくなれば、降りるだけです。
過去の栄光は、今の成功の手助けには何にもならない。
と思っています。

今はいま 過去はなぐさめ 明日さらに

2016年6月9日

2015年1月30日投稿記事「必然性とユーモア」もご参照ください。

コメント
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