私から見ると頑張っていると思うんだけどな。
若い人は、ハードルが高く見えるんかな。
この人もよくやっています。
今日のタイトルは、「うんと若い人へ」です。
この歳まで何をやったかと言われても、
なにしろあっという間でしたので、これと言って答えるものはありません。
そんなことはないでしょう。と言われるでしょう。
自分の若い時の感覚で話します。
経験は、勲章のように積み重なるものだと思っていました。
貯金が増えていくようなものだと考えていました。
経験が、チャラになるとは思いもしませんでした。
生きているということは、常に新しいことに挑戦していることです。
同じようなことを昨日もしました。
昨日が経験ですが、今日は状況が昨日とは異なり挑戦になります。
体調が変わっていたり、環境に変化があったりで昨日とは違います。
たくさん生きたからと言って、経験がすべて糧にはなりません。
マイナスの経験もありますから、結局振りだしの毎年です。
若くないから、身体が動かなくなります。
これは、見ての通りです。
歳を重ねることで、大きく減退するのは「感動力」です。
若い時ほど強く感動しなくなります。
似たようなことだなとか、またかとなります。
これが、もっとも大きな違いです。
へえそうだったんだ。と
そんなものか。の違いです。
感動が少ない分、落ち込みも少なくなります。
どちらが良いですか。
私は、感動をうんとし、その分落ち込んでも若い時のほうが良い。
もう、戻れません。
得るものがあれば、失うものがあります。
全勝はありません。できれば二勝一敗くらいが理想です。
「経験」を広辞苑で調べてみました。
分かりやすい解説の一つにつぎのようなことがありました。
「何事かに直接ぶつかる場合、それが何らかの意味で
自己を豊かにするという意味を含むこと」
経験とは、直接ぶつからなければ得られないことで、
その後、自分を豊かにすることがある。
恋愛バカと言われるほど恋をします。
都度、撃沈。これまでの経験は露ほども糧になっていません。
分かりやすいたとえです。
でも、過去の恋を語れるほど豊かになっています。
それが、自分にどのような爪痕を残し、傷を癒したか知ることになります。
若い人に伝えたい。
望めば近づける。
そして、いつまでも挑戦である。
慢心を戒めるのは、ただただ愚直のごとく続けることである。
だって、続けられないのが普通だから。
切り替えても続けることに変わりはないのです。
うんと若い人がまばゆく見えるのはどうしてでしょう。
存在そのものが、息遣いに溢れているからです。
負けないぞ、頑張りましょう。
生きて良い 今朝も朝日が 言うてはる
2016年6月4日
2015年1月15日投稿記事「一勝一敗」を参照ください。