オオバコは人里植物のひとつです。人間の生活の営みと合わせるようにして,分布範囲を形成し,広げていきます。人との縁が切っても切れない草という,ふしぎで,おかしな植物です。それなら,人類史で定住生活を始める前はオオバコとしてはどのようにして生息地を得,維持・拡大しようとしてきたのか,それはわたしの想像力を超えています。
ところで,人の歩くところ,行くところに生える術を身につけているのが,この植物らしい点です。人でなくても,動物でもよいのです。その術とは,秋に熟する“引っ付き虫”と似た戦略です。種子が熟すと,水分が付いて濡れたときに表面に粘着力が現れるのです。すこし専門的なことばを使うと,ゼラチン質のゲルにまとわれるということになります。すると,たとえば人間がその場所を通るときに靴に付着する,動物ならからだのどこかにくっ付く,このようにして離れたところに運ばれていくわけです。
この巧妙な謎は,熟したタネを水に浸して指先で摘まむようにして触ると,納得できる事実です。はっきりぬるっとします。オオバコは大した戦略を持っているといえます。人間がよく歩く範囲は背の高い草が生えてこないところです。そこでならオオバコはずんぐりした茎を地面にへばりつけ生きていけます。どんなに強く踏まれようと,次から次へと葉を出し続けるしくみを発達させてきたからです。
里を離れた峠でも,山道でもどんどん増えていきます。そこは今も人間が通っているか,かつて通っていたことを物語っています。逆にオオバコが生えている場所は,今はいくらひっそりしていても人間の匂いがする場所,あるいは昔,人間の匂いがしていた場所ということができます。
大山に登ったときも,そのことを強く感じました。登山口にはたくさんのオオバコが生えていました。
そこを過ぎると,姿があまり目立ちません。しかし,2合目を過ぎた辺りの夏山登山道にも,ちゃんと生えています。ブナの根元に! ただし,よほど注意深く観察してみないとわからないほどです。
これから先,どうなるかわかりません。気温など生育環境との関係で,そうそう高いところにまでは分布を広げないかもしれません。これまでの状況が目立たないほどですから。
植物の植生については,考え始めると,奥深いものがあります。わたしのような素人には見えない世界が広がっています。それでも,持ち合わせの知識で合点しようとする知的作業にはおもしろさが伴ないます。ついつい考えることが増えます。