葉月のブログ

命題:ウイルスの糖鎖はヒトの糖鎖と同一なので病因とはならない

症例(ガーダシル)22 アメリカ ゾーエ

2013-09-22 | ガーダシル症例

パップスメアテストに命を救われる: ガーダシルの後の子宮頸癌


2014年4月24日木曜日

ゾーエ・ビッカーズ・カー


2008年1月上旬、私は医者に行きました。診察のとき、ガーダシルを受けたかどうか聞かれました。副作用については何も話し合われず、無料である間に受けるよう促されました。それで、26歳の誕生日の直前に、最初の接種を受けました。2月の終わりに2回目の接種を受けました。

私は健康で、体力があり、毎日を楽しんでいました。私は販売の仕事をしており、昇進と管理職へのトレーニングの話がありました。私の長期計画には、仕事を変えることも含まれていたので、体力増進のため定期的にジムに通っていました。5月上旬、私は広範囲な健康診断を受け問題がありませんでした。


ガーダシルへの遅延反応?

5月中旬に、発疹に襲われました。最初、シラミか洗剤への反応かと思いましたが、なかなか消えないので、医者は何かのアレルギーではないかといいました。抗ヒスタミン薬を服用しましたが、発疹は消えませんでした。ある日には、まぶたが腫れ、また他の日には、唇が腫れました。それはランダムで不可解でした。 6月に、3回目のガーダシルを受け、その後、それらの症状はより頻繁により重度になり、悪化していきました。

その時、私は、食べたもの、服用した薬、現れている症状について健康日記を付け始めました。数週間後、食べたものに関連していないことがわかったので、薬と症状だけを記録することにしました。

7月には、発疹は、胴体、脚、腕、そして顔中に広がりました。それは、みみずばれのように現れることもありました。ある晩、私の太股は血のように赤く、とても痒くて気が狂いそうでした。ある朝、起きたとき、顔の全体が腫れて、まるでひっぱたかれたようで、自分の顔だとわからないほどでした。私の手と足も腫れて、とても痛くてほとんど歩けませんでした。手首と足首が痛み、動くたびに痛くて眠れませんでした。舌には、奇妙なはげたような部分がいくつかできました。

ガーダシル後炎症病状の写真あり

私は何回も血液検査を受け、まるで自分が裁縫箱の針山のような気がしました。7月上旬に、血液検査の結果で、CRP レベル(炎症の指標)が高いことを医師から電話で知らされました。

私は毎週血液検査を受け、CRP レベルは毎週上昇し続けました。その時には、すでに他の診療所で異なる医師たちの診察も受けていましたので、母に、彼女のかかりつけの医師であるR医師に、全体的な視点から見てもらったらといわれました。 この時期までに、すでに何日も仕事を休んでおり、これ以上病欠が取れなかったので、疾病手当を受けることにしました。

R医師は アレルギー専門医の診察を予約しようとしましたが、待ち時間が10-12週間でしたので、私はキャンセル待ちのリストに記名しました。その間、私はグルテンフリーダイエットをし、加工食品を減らすようにしました。何も効果はありませんでした。


突発性蕁麻疹と血管浮腫

7月24日、舌が腫れ始めました。母に、病院の救急科まで車で連れて行ってもらいました。私はテレビ番組の「ドクター・ハウス」や「オールセインツ」のように、医師たちが謎を解き、診断を下し、治癒してくれると思っていました。でも、幸運はありませんでした。私は「突発性蕁麻疹と血管浮腫」だといわれました。彼らは、原因が何かわからず、彼らができることは症状をコントロールしようと試みることだけでした。そこで何時間も滞在したあと、高用量の抗ヒスタミン薬の処方箋を渡されて帰宅しました。1日2回、2 x 24 時間の強度の錠剤を服用とのことでした。 判明したことのひとつは、抗ヒスタミン薬R1とR2の2種類の薬を蕁麻疹のために服用するということでした。

医師らは、これが私の症状をコントロールすると保証しました。けれども、効果ありませんでした。


結合組織の関与

キャンセルがあって、私は、専門内科医(診断の専門科)であるS医師予約を7月25日にとることができました。彼は、私の病歴と症状に関するカルテをじっくりと読みました。臨床的には、結合組織の関与のようであり、関節リウマチかループスのような病状が示唆されるといわれました。彼はさらなる血液検査を手配し、ループス用の検査も含まれていました。医師は、最近、「仮性ループス症候群」と呼ばれるものを示している患者がいるので、あまり心配しすぎないようにといいました。

これらの仮性ループス症候群は、ガーダシルワクチンや他の薬剤副反応と関連している可能性はあるのでしょうか?


腫れた舌

8月14日、前回からちょうど3週間後、Alfred 病院救急科を訪れました。3週間の治療は、症状をコントロールできないどころか、私の身体は弱まりました。吐き気があり、睡眠がとれず、痛みがありまし た。救急科に着いたのが夜の10時15分で、舌の裏側が腫れ、のどに何か変な感じがありました。まるで大きな気泡がのどにあるようで、飲み好むの困難でし た。Alfred 病院のスタッフは、とても役立たずの不親切で、息ができなかったら受付に報告するよういいました。その後の数時間、腫れは安定していたようで、悪化はしま せんでした。診察を受けずに、午前0時30分に病院をで、午前2時半に帰宅しました。

午前6時半ごろ、腫れは突然大きくなり始め、飲み込むことが困難になりました。母が迎えにきて、すぐに医師Rのところへ行きました。女医は、30年間医者をしているが、このようなことは見たことも聞いたこともないといいました。私は、コルチゾンの服用に戻りました。

8月20日、医師Sの診察があり、ループスの血液検査には異常なしでしたので、私も、「仮性ループス症候群」患者のひとりとなりました。 医師は、アレルギー専門医や皮膚科よりもリウマチ科を受診するようにといいました。メルボルンでは、免疫専門医は、臨床よりも研究よりで、リウマチ専門医 が自己免疫疾患の専門科であると言いました。それで、もう1人の専門医の診察待ちリストに記名し、9月9日に医師Aとの診察の予約をしました。

9月2日に、やっとアレルギー専門医を受信しました、医師は、とても厳しい「除去食事療法」をするよう進めましたが、その時点でそれに従うエネルギーもそ うしたいという気持ちもありませんでした。すでに数週間前に、腫れと食べたものとの間に関係がないことがわかっていました。けれども、アレルギーフリーの 石鹸、歯磨き粉、シャンプーを購入しました。それから、医師は、保存剤のため避けるべき食べ物と飲みものリストをくれました。


心雑音

9月9日、リウマチ専門医のA医師の診察を受けました。医師Sのように、彼女も病歴を最初から最後までチェックしました。HIV, バルマ森林ウイルス、ロスリバーウイルスなどの広範囲な一連の血液検査を手配しました。私を診察して、彼女は、心雑音を検出し、胸部CTスキャンと心エ コーも手配しました。ひとつ確かなことは、5月に広範な健康診断受けたとき心雑音はありませんでした。


依然答えなし

今回も同じことでした。リウマチ専門医の医師Aは結合組織の専門家でしたが自己免疫疾患の専門家ではありません。臨床免疫医であるH教授の診察を受けたら どうかといい、10月13日に予約がとれました。 それで、私は数ヶ月、高用量の抗ヒスタミン剤と断続的なコルチゾンのコースを服用しました。コルチゾンは最初は湿疹をコントロールしていましたが、治療を 止めるや否や、湿疹が再発しました。最後には、コルチゾンを服用していても湿疹がでるようになりました。そのように、推奨された治療法は作用しませんでし た。さらに悪いことに、医師らは私の症状の多様性にすかっり困惑してしまいました。

私の日記によるとこのときまでに、出現パターンを見つけていました。生理のときに症状が悪化するようでした。また、ジムは個人でのトレーニングの運動のあとにもでした。また、抗ヒスタミン薬が実際には症状、特に腫れ悪化させているように感じました。

最も衝撃的な出来事は、8月14日に起こりました。ヒスタミン薬を服用して15分以内に、私の唇が突然腫れ始め、腫れは舌からのどまで広がりました。


不安定なマスト細胞(肥満細胞)

ある種のブレークスルーが起こったのは、同僚が医師Rにケトチフェン(マスト細胞安定剤)の情報シートを渡したときでした。それが、私の症状を説明し、(望むらくは)治療するかもしれないと思われました。

慢性の蕁麻疹と血管浮腫に罹患している人びとは、ある特定のアレルギーにはならないが、むしろ不安定なマスト細胞系を持っているらしいのです。そのデータ シートによれば、不安定なマスト細胞はヒスタミン、プロスタグランジン類、ロイコトリエン類を漏出させ、頭痛、疲労、嗜眠、易刺激性、集中力欠如などの他 の関連する症状を引き起こしているということでした。また、胃腸管に作用して、痙攣、腹部膨満、消化不良、逆流、鼓腸、断続的な下痢や便秘などを引き起こ すことが可能ということです。多くの患者が、関節痛や筋肉痛を訴えています。これらの症状は、ヒスタミン、プロスタグランジン類、ロイコトリエン類の炎症 性の性質によるものです。この情報シートを書いた医師は、喘息患者が専門だったので、私は診察してもらうことができませんでした。

また、ケトチフェンはオーストラリアでは錠剤では入手できず、ニュージーランドから取り寄せなくてはなりませんでした。オーストラリアでは、ケトチフェン は目薬としてのみ入手可能でした。友人が、ザジテンの販売リーフレットを送ってくれましたが、そこには、「唯一の、3つの作用を有する、季節的アレルギー 性結膜炎症候性の短期治療用抗アレルギー目薬、処方箋なしでも購入できるOTC薬」と書いてありました。奇妙なことに、そのタイトルは、ゾーエの窮地とあ り、涙目のゾーエのイラストが「はやくなんとかしなくては!」 といい、「私だけが迅速に解決できる」といいながらハンサムな若い白衣の医療従事者が ザジテンをさしています。

ニュージーランドに注文して、錠剤を受け取り、観察することに同意した医師を見つけるまで、ケトチフェンを服用しませんでしたので、始めたのは9月でした。徐々に、腫れることが少なくなりました。発疹は残っていましたが、異常な状態ではなくなりました。

蕁麻疹に戻って

10月13日に臨床免疫専門家のH教授の診察を受けました。私の多様な症状に困惑しなかった医療専門家は、H教授が初めてでした。重度の慢性蕁麻疹と診断 し、写真を見せたときに、それらは古典的な重度の蕁麻疹だといいました。重症度の点では、私の病状は彼が見た中で上位5%にはいるといいました。

彼は説明を続けました。不安定なマスト細胞系が、すべての自己免疫性病状の基礎であり、研究者は、免疫系、特に自己免疫がいかに作用するかと、やっと解明 し始めたといいました。最近になって研究者は、不安定なマスト細胞が、以前考えられていたよりもずっと様々な化学物質を漏洩することを発見したといいまし た(つまり、ケトチフェン情報シートに記載されていたよりもずっと多くのもの)。教授は、この分野で、博士課程の学生を指導しているということでした。

私は以前はとても元気だったのに、2ヶ月の間にこんなにひどくなることは奇妙なことかどうかと質問してみました。H教授は、なんらかの理由で、もっとも元 気な人たちが、もっとも重度な自己免疫疾患にかかるのだといいました。それはまるで免疫系もひどく強力で、特別熱心に、身体を攻撃しているようだというこ とでした。私の直感、つまり、症状が運動の後悪くなること、また女性では、生理の頃に悪くなることを支持する証拠もあると言いました。

唯一の薦められる治療は、長期の高用量コルチゾンコースでした。長期のコルチゾン使用は、たちの悪い副作用があると説明しました。彼は保証できないけれ ど、その治療が蕁麻疹を消すことには確信があるといいました。どのくらいの期間コルチゾンが必要かはわからないということでした。この治療の利益と不利益 について考え、12月の次回の予約までにコルチゾンを開始するか決めなくてはなりませんでした。


代替療法

11月28日、伝統的な中医学のZ医師の診察を受けました。彼が、発疹の治療に成功できると確信している最初の医療従事者でした。それに効果的な鍼と漢方薬があると言いました。私は治療を受け、発疹は消えました。

それが、鍼なのか、鍼とケトチフェンの併用なのか私にはわかりませんが、やっと効果的が得られました。私は依然、断続的な腫れがありましたが、少なくとも発疹はなくなりました。 12月2日、H教授を再訪したとき、発疹はありませんでした。私は、情報シートに書かれていたように、ケトチフェンをさらに4ヶ月 続けることにしました。 ケトチフェンだけで発疹はでなくなり、その後、2009年3月にそれを止めても発疹はでなくなりました。

これらのことすべてで、私は疲労困憊しており、何ヶ月も、人生が一時停止中のように感じました。私は、休職し、その後も、パートタイムでしか働けませんで した。休職のため経済的な問題がおこっただけでなく、抗ヒスタミン薬, ケトチフェン, 鎮痛剤、消化薬、他のいろいろな薬剤のための出費は、大変でした。 2009年3月、ケトチフェンを終えたすぐ後にそしておそらく体験したことのために、初めて、急性の不安とパニック発作を経験しました。その治療とカウン セリングを受けました。


そして今度は子宮頸癌に

最大の衝撃は、2011年3月に起こりました。定期的なパップスメアテスト をして、子宮頸上皮内癌 (AIS)と診断され治療しました。前回の異常無しのパップスメアテストから17ヶ月後のことで、最初のガーダシルの接種のあとの3年後です。以前のパッ プスメアテストはすべて問題なしでした。

2011年3月上旬に定期的なパップスメアテストのためP医師を訪ねました。1週間後、彼は電話で、結果報告書に、異型腺細胞があることを伝えられ、診断 のため、次の火曜日にいくことになりました。 [子宮頸癌には主に2つのタイプがあり、より一般的なのは、異型扁平細胞および癌(扁平上皮癌); より珍しいが、より侵襲性の異型腺細胞および癌 (腺癌)があります]。

翌金曜日に手術をして、錐体コールドナイフ生検を受けました。結果は、翌水曜日に戻ってき、錐体生検の周縁部は異常なしでした。

腟頸管検査の専門家にスクリーニングしてもらい、結果を受け取って10日以内に手術ができたことは、とても幸運であったと思っています。この結果、癌はステージ0の初期にみつかりました。 癌が再発していないことを確かめるために6ヶ月ごとにスクリーニングを受けており、いまのところ問題ありません。私は、信頼できる専門家の経過観察をしてもらっていることで安心しています。

私は、ワクチンの重篤な有害反応を経験しただけでなく、ガーダシルが重度の子宮頸癌である腺細胞子宮頸癌になることを予防しませんでした。AISは16型 と18型HPVが原因となると考えられているのですが、ガーダシルが予防すると考えられているまさにそのウイルスです。ワクチンを受けるほんの17ヶ月前 には、HPV も癌もありませんでしたから、ガーダシルワクチンが私のシステムの中へウイルスと癌を導入したのではないかと思わなくてはなりません。

蕁麻疹と血管浮腫の再発

2011年6月、おそらくストレスの結果、舌とのどの腫れとともに蕁麻疹/血管浮腫が再発しました。このとき私は英国のCornwellを旅行していましたので、地元の医者や病院がどこにあるか知らなくすこし恐く思いました。

2ヵ月後にH教授に受診したとき、オーストラリアの研究者が新しいマスト細胞安定剤を開発したといいました。治験中で、よい結果がでていること、オースト ラリアでの使用に政府の承認を得ようとしているということでした。ケトチフェンが私に効果的であったのだから、それをまた服用するべきだといいました。カ プセルをニュージーランドから取り寄せて服用を始めたら、症状は徐々に治まりました。

再発したときにCornwell にいたとH教授につたえたところ、彼は、“Just as well your tongue didn’t start to swell (あなたの舌が腫れ始めなくてよかったですね).”といいました(訳注、本当はCornwallだと思いますが、well で韻を踏んでいるようです)。舌とのどが最近そして2008年にも腫れたと聞いて、H教授は、すぐにエピペンの処方箋を書いてくれ、常時持ち歩くように言 いました。後に母がコメントしたように、2008年の初頭に、この3年間のことを知っていたら、どんなに役立ったでしょうか。


ガーダシル後の6年間

6年後の今の私はというと、いまだにガーダシルの余波と苦闘しています。 蕁麻疹 / 血管浮腫はこの3年間は再発していませんが、「目に見えない」遺産である不眠と疲労に手を焼いています。

私の睡眠パターンは、極度に混乱しています。わたしはティーンの頃から不眠の問題がありましたが、ガーダシル後は、とても重症になりました。私は、エネルギーがなく、極度に疲労しているのに、眠れないという、奇妙な状況です。

2010年に、私は、勉強しなおすことに決め、Deakin大学に通うためGeelong (メルボルンから約1時間の距離) に引越しました。距離、仕事、大学の勉強のため、Z医師から定期的な経過観察の処置を受けることは不可能となりました。

TCM (中医学)が、私の睡眠とエネルギーの問題を解決するのに最も見込みがあるように思われますが、残念ながらその時点で私がそれを選択する事はできませんで した。地元の医師を見つけ、症状を説明し、血液検査をするエネルギーがありませんでした。それで、私はできるかぎりのこと、ハーブティー、カノコソウ、処 方された睡眠剤などをして闘病を続けましたが、どれも効果はありませんでした。

症状が再発した2011年以降、睡眠パターンはさらに混乱しました。2012年の初め、睡眠専門家であるM医師の診察をうけ、睡眠テストをしました。私は 一晩中目がさめており、正式に、不眠のための消耗から日中に眠りに落ちる「スリープ・ナルコレプシー」と診断されました。

ガーダシルの目に見える遺産は、皮膚にありました。ガーダシル後、私の皮膚は、ティーンのころでさえいまだかつて経験したことがないほど悪いにきびに襲われました。

ガブリエルの話を読んで、多分、私は自分の健康に関してやっと何らかの答えを見つけることができただと理解しました。それは、どこから始めるか、誰に会うかという知識の問題です。

他のガーダシルの女性たちそしてすべての若い女性たちに伝えたい大切なメッセージは、毎年のパップスメアテストの必要性です。子宮腺癌を診断し治療したP 医師によると、このタイプの癌を発症する若い女性の数が増えており、毎年のパップスメアテストがそれをモニターするには必須であるということです。再び、 ガーダシルワクチンと若い女性の子宮頸癌の増加に関連があるかどうか思わずにはいられません。

私の命を救ったのはパップスメアテストであって、ガーダシルではありませんでした。


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